著者
上薗 恒太郎 蒲池 文恵
出版者
長崎総合科学大学附属図書館運営委員会
雑誌
長崎総合科学大学紀要 = Bulletin of the Nagasaki Institute of Applied Science (ISSN:24239976)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.94-148, 2017-02-03

Moral education is integrated with history, geography and politics, and so to the worldview of children in textbooks of PRC. In Chinese moral textbooks, four dimensions are found to enhance self-affirmative consciousness, namely, efforts: 1) to emphasize acceptance by others, parents, friends and society, 2) to realize a dream as a member of the Sino-centric society of China, 3) to assess self-affirmative consciousness by contribution to groups, class society, community and state, and 4) to recommend a method of portfolio management and autosuggestion. We can say that self-affirmative consciousness in Chinese moral textbooks is integrated to form the point of view of the communist party to patriotism. Compared to this integrated and strong moral education, the Japanese system has a character of reticence, where moral values are taught separately in each lesson. Japanese moral education allows individual integration of moral values to self-affirmative consciousness, which is a base of democracy.
著者
西田 智裕 伊藤 孝紀 福島 大地 深町 駿平 松岡 弘樹 仙石 晃久 大塚 孝信 伊藤 孝行
雑誌
研究報告知能システム(ICS) (ISSN:2188885X)
巻号頁・発行日
vol.2016-ICS-185, no.9, pp.1-7, 2016-12-06

住民参加によるまちづくりの法制化に伴い,まちづくりワークショップが増えている.まちづくりワークショップは,毎週 ・ 毎月など期間を空け,連続して実施すること (連続ワークショップ) がある.一方,ワークショップの間での日常生活において,議論に対する意見が出てくることがある.この意見をワークショップの議論へ反映することは難しい.そこで本研究では,対面式のまちづくり連続ワークショップの間に,合意形成支援システムを用いた非対面式ワークショップを行う手法を提案する.提案手法による合意形成への効果や課題を検証することを目的とする.提案手法の効果は,社会実験により検証する.社会実験では,地権者,住民などに加え学生も参加した連続ワークショップを行う.まちづくり連続ワークショップの間に,合意形成支援システムによる議論を行う.まちづくり連続ワークショップと合意形成支援システムにおける議論データの分析および参加者へのアンケート調査を行い,提案手法の効果および課題点を把握する.
著者
藤尾 慎一郎
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.1-77, 1990-03-10

Included in the earthenwares in the period when the paddy farming was started in Japan is a ware with incised plastic band. The representative pottery of this kind is a jar type pottery (a cooking tool) found mainly in the Western Japan, west of the districts along the Ise Bay. As the distinctive features, it is a deep bowl, and has incised patterns: the plastic bands are adhered at the mouth and the outer surface of its body, and then the plastic bands are incised using a finger or spatula. This is a pot positioned at the transition period from the Jômon period of the culture of gathering and hunting to the Yayoi period of the culture of paddy farming. When dealing with the issues of the transition period, it is quite important where to position this ware. For example, when the division of the times is discussed, such as when the Yayoi period starts, a different conclusion may be drawn depending on the assumption whether this ware is regarded to belong to the Jômon pottery or this ware is regarded to belong to the Yayoi pottery. The western Kyûsyû (Fukuoka Prefecture, Saga Prefecture, Nagasaki Prefecture, Kumamoto Prefecture and Kagoshima Prefecture) is known as the district where the paddy farming had been started in the first place. It is an important fundamental work to put in order the chronological researches on the wares with incised plastic band found in these districts in order to carry on the studies on the start of the Yayoi period.In this paper, attentions were given to the decorative patterns on the mouth and on the body of the jar and six forms were set up. Then, each form was classified into 5 types based on the six attributes (a method to incise patterns, positions to adhere the pastic band around the mouth, the form of the pots, the sizes or the clay bands at the mouth and on the body, surface adjustment of pots and clay band adjustment). As a result, the beginning and the end of the first half of the Yayoi period (approx. BC400~BC100) can be divided into five stages. Period I: a period the pottery with the incised plastic band was born and spread; the pottery of this kind appeared in the Western Kyûsyû under the influence of the Setouchi and Kinki districts. On that occasion, Nijô-kame unique to this district was born.Period II: Nijô-kame born in the Western Kyûsyû appeared also in the Setouchi and Kinki districts. Based on this phenomenon, it can be assumed that the paddy farming had been started even in the Setouchi and Kinki districts.Period III: Itaduke-Ongagawa wares were born in the coastal districts of the Genkai-nada in the Western Kyûsyû (the district from Karatsu-city, Saga Prefecture to Fukuoka-city, Fukuoka Prefectute) and the distribution was expanded. In some regions of the Western Japan from Kyûsyû to Kinki district, the pottery with the incised plastic band almost disappeared, but continued in other regions.Period IV: In the Setouchi district where the pottery with the incised plastic band had disappeared in the period III, the pottery with the incised plastic band reappeared.Period V: The style of the pottery of this period onward developed further based on the patterns of potteries born in the various regions, as a result of the interchanges of the pottery with the incised plastic band born in the period I and Itaduke-Ongagawa wares born in the period III.It is possible to vividly reproduce the circumstances how the Yayoi culture, a period of the agriculture unique to Japan, was born and developed in the dissension of the culture introduced from the Asian Continent and the conventional Jômon culture, if the pottery with the incised plastic band is confrontally positioned with the pottery of Itaduke-Ongagawa wares.
著者
染谷 智幸 ソメヤ トモユキ Tomoyuki SOMEYA
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2013-03-22

井原西鶴は日本を代表する小説家である。しかし同時に西鶴は、東アジアを代表する小説家でもある。西鶴は東アジアの文化史、特に古典文学史や小説史の中でどのような位置にあるのか。本論文は、この点の解明を最終的な目標にして、様々な角度から検討を加えたものである。本論文は、論文全体の概要を論じた総説(第一部)に続き、次の三部から成る。A西鶴小説を「東アジア」「17世紀の時空」の視座から把握したもの(第二部)B西鶴小説を「男色」「武士」の世界から把握したもの(第三部)C西鶴小説の対照的構造を明らかにし、その構造の持つ世界観を把握したもの(第四部) 以下記号順に第二部~第四部の要旨をまとめる。A 西鶴小説を「東アジア」と「17世紀の時空」に置いた場合、どのような新たな特色が浮かび上がって来るのか。第二部ではそれを、(一章)東アジア17世紀における歴史的文化的背景(二章)西鶴の同時代小説、中国『金瓶梅』、朝鮮『九雲夢』との比較(三章)東アジア17世紀における仏教的背景(四章)東アジアにおける性文化の伝播と広がり(五・六・七章)東アジアにおける遊廓とその文化的背景(八・九・十章)東アジア17世紀における、都市と経済の発展と小説から分析した。その結果、13世紀~17世紀の大交流時代、主に重商主義的発展にともない、人間中心で自由闊達な文化が東アジアで産声を上げたものの、それを後代に受け継ぐことが出来たのが主に日本であったこと。その継承こそがアジアにおける日本の逸早い近代化を準備したこと。その継承・発展のラインの中心に西鶴という作家が位置し、同じく人間中心で自由闊達な世界を小説の中に描き出していたこと、が分かった。特に、西鶴が描いた武士と商人の、対照的でありながらも、相互補完して一つの世界を作り上げている姿は、東アジア海域で活躍した武商一体の倭寇勢力や、日本の商人・武士が発展し成長した姿として捉え直すことが可能である。B 西鶴は明治以降の西欧的近代文学の要請から「リアリスト西鶴」と呼称され、リアリズム(現実主義)文学の日本における元祖として位置付けられてきたことは周知のことである。それが江戸時代の中後期に埋没していた西鶴の評価を高め、新しい光を当てたことは言うまでもないが、その「リアリスト西鶴」が西鶴小説の一面を深く理解させたものの、それによって西鶴小説の持つ他の魅力が切り捨てられ、西鶴の全体像が歪んだものになってしまったことは間違いない。第二次世界大戦後、そうして切り捨てられた魅力や全体像の再構築が盛んに行われることになったのだが、それは不徹底に終わった。何故ならば、切り捨てられた中で最も重要なものが『男色大鑑』であったにも関わらず、これを十分に汲み上げてこなかったからである。この『男色大鑑』や他の作品中の男色譚、そして武家物作品を解読することによって、忘れられていた西鶴の精神構造にスポットを当てつつ、従来の歪んだ西鶴像の修正を試みようとしたのが三部の諸論考である。まず、西鶴作品中、最も大部である『男色大鑑』が、(一章)どのような歴史的文化的背景を持って登場してきているか(二章)どのような世界を特徴として描き出しているかを検討するとともに、作品自体に、(三章)長期にわたる成立時期(四章)複雑な成立過程が想定されることを導き出した。また、そこで得られた豊かな武士の世界観は、西鶴の武家物である『武道伝来記』の世界を理解するにも役立つ。従来、西鶴が商人層の出身であることをもって、武家社会への深い理解は不可能という偏見から、西鶴の武家物は低い評価に甘んじて来たが、『武道伝来記』に描かれた、(五章)武士の水平的関係は当事者の武士の意識・常識を超えるほどに深く、武家社会の一面を鋭く抉り出していた可能性があることが分かった。従来、我々が漠然として抱いてきた西鶴へのイメージ、すなわち「町人作家西鶴」は、その根本から見直す必要が生まれてきたとも言ってよい。 なお『男色大鑑』に描かれた男色のルーツを辿れば、それは日本を越えてアジアやメラネシアの文化に行き着く。その男色文化の広がりの一端を、第一章に引き続いて、(六章)東アジアの新出男色文化関係資料で論じた。アジアには男色や武士(武人)を取り上げた文献や文学作品が多く、今後の調査によって、西鶴を始めとする日本の男色、武士の作品群の文化的背景が明らかになるだろう。C 「男色」「武士」に注目したことは、私に、もう一方の極である「女色」「商人」にも目を向けさせることとなった。その結果、西鶴小説の世界には、「女色」と「男色」、「武家」と「商人」の対照的構造があり、それが貞享三年~元禄二年までの西鶴中期の作品群に最もよく表れていることが分かった。そこで、第四部ではまず、(一章)『好色五人女』を取り上げて、この作品における「女色」「男色」から季節や「海」「山」などの地理的感覚に至るまでの対照性を炙り出し、その「女色」「男色」の対照性が、(二章)『好色一代女』と『男色大鑑』において極まっていることを指摘した。またその対照性は「武士」「商人」の対照に受け継がれ、(三章)『武道伝来記』と『日本永代蔵』においてピークを迎える。従来、西鶴小説への高い評価は、前期の『好色一代男』を中心にしたものと、晩年の『世間胸算用』『西鶴置土産』を中心にしたものとがあったが、『好色一代女』『男色大鑑』『武道伝来記』『日本永代蔵』の四作品を中心にした中期の作品こそが、西鶴文学の最も良質な部分が表れたものだと考えなくてはならない。 しかし、西鶴の晩年の作品には、そうした中期の作品群とは全く違った文学的な原理が働き始めていた。それは短篇(掌篇)とも言うべきスタイルを持った小説の、その制約を逆手に取った新たな方法であった。(四章、五章)
著者
天尾 久夫
出版者
作新学院大学
雑誌
作大論集 = Sakushin Gakuin University Bulletin (ISSN:21857415)
巻号頁・発行日
no.7, pp.163-194, 2017-03-15

[要約] 信金中央金庫(Shinkin Central Bank)は昭和21年(1946年)6月1日に設立され、平成28年(2016 年)3月末で、国内14店舗、23分室、海外5拠点を構えている。 この金融機関の特徴を一言で述べれば、日本の金融史の大きな事件を、金融当局の指導のもと上手く対応し尽くした金融機関と言える。この機関は、現在の全国265の信用金庫の信用ほう助や日本銀行の一歩手前の全国信用金庫の最後の貸手の存在として位置づけられる。信金中央金庫の社史を見ると、為替の取引の自由化、プラザ合意、金融ビッグバン、バブル経済の進捗、崩壊、金融機関の倒産、2000年になり日本の中小企業の海外展開の進捗、高齢化社会の進捗と企業の継承問題、地域創生に併せて経営業務が展開されてきた。 信用金庫がなぜ為替取引の業務も担当しなければならないのか、どうして投資信託から保険まで窓口販売手数料を稼ぐ必要があるのか、筆者はこの銀行がどういう顧客に対してどのようなポジションを志向しているのか、目指す業態は都市銀行ではないのかという錯覚を抱く。 この金融機関は、「信用金庫法」に基づいて業務を行っている。この法律の元々の狙いは会員(中小企業)向けの資金決済や与信のための金融で国民経済に貢献することであった。なぜ、上記のように変遷したのかという金融史の視点も存在する。しかし、本稿ではその議論を省くことにした。 この機関は平成28年3月で総資産(平残)は34兆6440億円で、会員(主として信用金庫)からの出資金は6909億円、連結自己資本比率(国内基準)は41.1%を記録している。そして、出資会員に占められているのは、全国265行の信用金庫である。 信金中央金庫は会員信用金庫のセントラル・バンクとしての位置づけとなっており、国内で都市銀行(メガバンク)・地方銀行という範疇からみて、規模の小さな信用金庫の信用保証を果たすという経営目標を掲げている。 しかし、銀行には日本銀行という中央銀行の存在があるにも係わらず、戦後の混乱期を終えても、なぜ、信用金庫にセントラルバンクの機能が必要なのか、そのことが大きな疑問として残る。会員へのサービスのように振る舞っているが、この機関はなぜ信用金庫の代理貸出を為し、その意味で各信用金庫が都市銀行(メガバンク)の支店のように展開しているようにも見える。 本稿では、信金中央金庫の財務データーからこの機関の行動を分析する。本稿では貸出に関しての関数を推計することにした。これは現在の金融当局の貨幣拡張政策による金利低下が、この種の機関にどのように作用しているかを見たいと考えたからである。これが本稿の副次的目的である。 この信金中央金庫を考える際に、信用金庫の現行の業態の特徴を検証することが必要となる。本稿では、まず信用金庫の現況について検証することから始めている。信用金庫は、政府が実体経済を刺激するとき、中小企業向け貸出時に信用保証協会などを通じ積極的に与信を与えている。 信金中央金庫も、最近では、東日本大震災の復興預金を集め、そこから復興資金を提供したり、あるいは、人口減少する過疎地域で「地域創生」の名の下、資金提供を行っている。全国のそれぞれの信用金庫が地域住民や中小企業の預貸業務を行うことが主目的であるとすれば、これは完全に業務目的が重なる分野である。信金中央金庫と各信用金庫がどのように重複する貸出について棲み分けを行っているのか、それも本稿で明確にしたい疑問の一つである。 上記のような見解に同意できない研究者もいるかもしれない。例えば、農林中央金庫と地方のJAの与信部門では、預貸への分野の重複を避け、上部機関の農林中央金庫が採算性の乏しいJA本体の利益を保つために、投資銀行として、地域JAから集めた資金を信託して利益を得ている事実がある。そうした業態と同じ形状を採っているのではないかという疑念が本稿作成の動機の一つである。 さて、本稿の結論だけを述べれば、日本で、すべての信用金庫の預金は右肩上がりで増えていることが確認できるが、貸出については思うように伸びていないことが確認できる。信用金庫のその余剰資金は有価証券では国債、社債で運用されている。そして信金中央金庫は信用金庫のかなりの資金を信金中央金庫の預入金として資金運用を行っている。ところが、信金中央金庫は、その資金運用の国内業務での収益率(利鞘)が、0.1%を下回る事態になっており、投資銀行の体を為していない状況にある1)。 信金中央金庫の貸出行動についても政府への依存度の高い姿が見える。すなわち、この機関は預金を大量に集めて、乏しい資金運用力でも十分機関本体に維持可能な金融収益を稼得している。しかし、貸出も政府・地方自治体への関係が深く、他業種への貸出能力に長けていない。そして、昨今、信託部門を都市銀行系列の信託銀行に売却した。この金融機関は、いよいよ生き残りを与信業務に掛けなければならない時期に来た。本稿はこのことを明示した論文と言える。1) 2016年10月31日の日経新聞で信金中央金庫の傘下の信託銀行を三菱UFJ信託銀が買収と記載されたとき、本稿を書き終えるところであった。
著者
神崎 正英 Masahide KANZAKI

CODHセミナーの講演「IIIF:もっと使える機能、そして拡張の可能性」で、神崎氏が利用した資料へのリンク。
著者
松岡 靖
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究委員会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 人間科学部篇 = Journal of the Faculty of Human Sciences, Kobe Shoin Women's University (JOHS) (ISSN:21863849)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.35-52, 2016-03-05

本稿の課題は道徳教育で私たちが希望をどう語れるかを検討することである。この研究は2015 年に改訂された学習指導要領を二つの段階で検討した。第一にオースティンの言語行為論を枠組みとして、発語行為・発語内行為・発語媒介行為という三つの水準で指導要領を分析した。第二に玄田らによる希望の社会科学の成果、とくに職業希望に関する知見を参考に、指導要領にみる希望の語り方を考察した。結論は次の二点にまとめられる。第一に指導要領の希望の語り方には、成果主義と初志貫徹という特徴があり、それぞれに長所と短所がある。また指導要領は規則の遵守を強調しつつ、「結社の自由」に沈黙している点は不充分である。第二に個人による職業希望の語り方には、可能性・関係性・物語性という三つの要因が影響していた。個人の希望はその人の社会的な条件にある程度左右される。また希望は他者との関わりを契機に創られ、人生の各段階で作り直されていく。言語行為論や希望の社会科学に学ぶことで、道徳教育と希望の概念をより深く理解できる。
著者
黄道三 黒橋 禎夫 長尾 眞
雑誌
情報処理学会研究報告自然言語処理(NL)
巻号頁・発行日
vol.1994, no.77(1994-NL-103), pp.121-128, 1994-09-15

実際文では,非文ともいえるほどの文も使われる場合があり,文を限定されたルールによって解析するには限界がある.韓国語は語順が自由で,不規則が多い言語であるため,決まったルールでは解析できない場合が多い.最近,用例パターンとの類似性に基づいて日本語文を解析するシステム「KNP」が開発され,構文解析において96%という高い成功率を表している.これは,長い日本語文には並列構造になっている文節が多いので,これらを先にまとめることによって,長い文を簡単な構造に解析することができるという考え方に基づいている.日本語と韓国語とは構文構造と語彙形成形熊とにおいて似ているので,KNPは韓国語にもうまく働くと考え,KNPのハングル化()を試みた.330文に対して実験を行なったところ,韓国語の長い文にも十分に有効であることがわかった.また,日本語180文とそれを訳した韓国語文を各々KNPとhKNPで構文解析し,日本語から韓国語への対照分析を行なった結果,すべての文において文節の順序が一致しており,74文(%)の構文構造が完全に一致していることがわかった.
著者
史料館
巻号頁・発行日
no.2, pp.1-70, 1953-03-30

凡例駿州岩本村文書目録遠州気賀宿文書目録岩本村文書解題気賀宿文書解題
著者
砂山 渡 大澤 幸生 谷内田 正彦 Wataru Sunayama Yukio Ohsawa Masahiko Yachida 大阪大学大学院基礎工学研究科システム人間系専攻 筑波大学大学院経営システム科学専攻 大阪大学大学院基礎工学研究科システム人間系専攻 Dept.of Systems and Human Science Graduate School of Engineering Science Osaka University. Graduate School of Systems Management University of Tsukuba. Dept.of Systems and Human Science Graduate School of Engineering Science Osaka University.
雑誌
人工知能学会誌 = Journal of Japanese Society for Artificial Intelligence (ISSN:09128085)
巻号頁・発行日
vol.15, no.6, pp.1117-1124, 2000-11-01

In recent years, Web pages have become the most available resource of information. However, it is hard to express a user interest by words, so people are hard to access those information by using search engines. In this paper, we suggest a system which supplies keywords used in real Web pages. This system aims at making up a lack of user's knowledge and filling the gap between user's knowledge and real information. Along with these, a two-dimensional search interface is supplied to a user. In this interface, keywords are classified by a user interest and are arranged with expressing the relation between a user interest and Web pages cleary. As a result, a user can make his/her own interest concrete and can get disirable pages quickly.
著者
瀬古 俊一 青木 良輔 井原 雅行 小林 透
雑誌
研究報告グループウェアとネットワークサービス(GN)
巻号頁・発行日
vol.2013-GN-86, no.15, pp.1-8, 2013-01-09

本研究では, Web 上の欲しい情報を簡易かつ容易に取得可能なユーザインタフェース, InfoSkin を提案する.手軽な情報取得を実現するために実世界でのウィンドウショッピングの行動メタファに着目した.本研究では,そのメタファに基づいて情報の取捨選択を容易に行えるユーザインタフェースを設計・実装し,検証実験を行った.その結果,提案方式が既存のユーザインタフェースと比較して情報に対する興味・認識を向上させる効果があるとともに,ユーザビリティに優れていることを示した.
著者
小林 桂子 渡辺 勇士
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.278-281, 2015-02-15

ビジュアル言語「Viscuit」を利用したプログラミングワークショップを数多く実施した経験から,技術や知識だけでなく「創造性」を育むことを目的に,小学生を対象にしたコンピュータ上でクリエイティビティを発揮する能力を育てるレッスンとそのカリキュラムを制作し実施した.子供達がプログラミングを楽しく理解するための「設計図」,制作に集中し,自分に自信をつける「発表会」など,授業課題やレッスン方法を工夫した.