著者
柏葉 武秀
出版者
応用倫理学研究会
雑誌
応用倫理学研究
巻号頁・発行日
vol.2, pp.135-144, 2005

さまざまな国際環境条約に明記されている「予防原則」は、2003年から2004年にわが国の環境省でも研究会が開かれた事実に顕著に示されるように、現在ますます注目を集めている。先進的な紹介者である大竹によれば、予防原則とは「潜在的なリスクが存在するというしかるべき理由があり、しかしまだ科学的にその証拠が提示されない段階であっても、そのリスクを評価して予防的な対策を探ること」と定義される(大竹・東 2005:18)。応用倫理学的な観点から捉えるならば、予防原則は環境倫理と科学技術倫理を横断するアプローチであるといえよう。 本稿の目的は、F・エヴァルドの予防原則に関する独特の議論を「悪しき霊の再来:予防の哲学の素描」(Ewald 1997)に即して紹介・論評することにある1。エヴァルドは、いまやわれわれは社会的義務と安全の政治哲学に関して、パラダイム転換に直面しているという。19世紀のパラダイムは責任であり、それは20世紀を迎えて連帯のパラダイムに取って代わられた。連帯のパラダイムは福祉国家に対応するものであったが、20世紀後半に入るとこのパラダイムの基礎が揺らぎ、新たなパラダイムが必要となる。それはいまだ名称をもたないのだが、エヴァルドは新たなパラダイムを表現する候補として予防原則を挙げている。 このようなエヴァルドの予防原則論は、フーコー流の「社会史の考古学」ともいうべき歴史認識に導かれたきわめて独創的なものではある。だが、エヴァルドはクセジュ文庫の『予防原則』(Ewald et al. 2001)執筆者のひとりでもあり、フランス予防原則研究の潮流を代表してもいる。したがって、本稿はエヴァルド一人の見解を紹介するのみならず、フランスでの予防原則研究一般に貢献することをも目指している。1節から3節までは、論文の節分けどおりにエヴァルドの議論を要約、紹介する。そして最後に、エヴァルドの予防原則論を同じフランスの論者の論考とつきあわせつつ、論評してみたい。
著者
西 悠哉
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.19-35, 2007-03-01

綱島梁川(一八七三-一九〇七)は、哲学や倫理学に関する多くの著作を残す一方で、自らの宗教体験の告白「予が見神の実験」(明治三十八年)によって世間の注目を集めた。日露戦争の只中、多くの青年が自己・世界の意義について懐疑し、煩悶が社会現象になっていた。「見神」と呼ばれるこの体験において、「神は現前せり、予は神に没入せり、而も予は尚ほ予として個人格を失はずして在り」(「予は見神の実験によりて何を学びたる乎」)と述べられる事が注目される。このことは、本論文で示すように、宗教と倫理・社会の関わりという、より基本的な問題に梁川は身をもって答えているのである。本稿では、宗教と倫理をつなぐものとして、梁川の個我に注目し、宗教と倫理を断つ時代風潮に抗して、それらを橋渡しする個である梁川の自我を探る。
著者
田浦 武雄
出版者
The Japanese Society for the Philosophy of Education
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
no.31, pp.68-73, 1975

私は、一九七四年九月五日から二ケ月間、文部省在外研究員として、アメリカ教育哲学の動向について、研究する機会をえた。アメリカには、十二年前に、ハーバード・エンチン研究所の招致研究員として、十ケ月程留学したことがあるので、今回は二度目のアメリカでの研究であった。今回は、ハーバード大学のイスラエル・シェフラー、コロンビア大学のP・H・フェニックス、ホノルルでセオドーア・ブラメルド等の各氏と会い、話しあいの機会をもち、あわせて資料蒐集をおこなうことを重点に、日程をくんだ。以下、アメリカ教育哲学の動向について、私の見聞を中心に報告したい。
著者
松本 耿郎
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.347-371, 2004-09-30

イスラームの信仰宣言「アッラーのほかに神はなく。ムハンマドはアッラーの使徒である」はムスリムを宗教的瞑想に誘う。その理由は、二つの命題の論理的関係が文言だけでは不明で、なぜ二つの命題を宣言するのかも明らかでないからである。多くのムスリムの思想家たちがこの問題に取り組み、その知的営為の中から存在一性論という哲学が形成され、この哲学を継承発展させる運動がイスラーム世界全域で展開した。存在一性論はアッラーを唯一の真実在者とし、それ以外の諸存在は仮の、あるいは幻の存在であるとする。そして、唯一の真実在者と幻の存在との関係を考察し、さらにこの真実在者から預言者ムハンマドが派遣される理由を可能な限り理論的に説明しようとする。これは相当なエネルギーを必要とする知的営為である。しかし、存在一性論はその中で使用する基本概念をいずれも重層的意味を持つものに設定して、この学派の枠組みの中での思索がほぼ自己増殖的に発展する装置を創り上げている。それは思想的生命力の自動的維持装置ともみなしうる。存在一性論が中国の思想的土壌のなかでも見事に開花していることもこのことを証明している。
著者
町田 榮
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.A37-A62, 1997-03-15

日本文学は、ヨーロッパ文学に接して近代化の緒につき、展開して来た。今さらに言うまでもなかろう。影響のもとにとか、依ってとかいい条、そこにはみずから求めてやまぬ積極性が働いていた。受容に懸命な力を尽くすのだった。西欧文学、思潮に依拠することで自身を養う。おのずと近、現代文学内に、制作のある系譜を形成しているものがある。ひとつでも、具体的な実態を、はるか彼方からたどり来たった道筋を明らかにしてみたい。「ハムレット」の場合である。外国文学を個別にみるとき、日本文学に着床、胚胎した多くの作品群のなかでウィリアム・シェイクスピアの「ハムレット」一作ほどに関心を集めたものはない。長期にわたって間断なく、広範囲に受容され続ける。ほかに比肩できる作品はあるまい。稀有な、しかも顕著な事例であろう。「ハムレット」を手にして百数十年間に、促がされて日本文学が生産した大量、多様の関連作品が証明している。当然ながら、時代とともに「ハムレット」に寄せる興味、接し方は推移する。さまざまな解釈をほどこして、新しいハムレットを創造する時期もあった。現在、登場人物たちに捧げる熱誠に昔日のおもかげはない。余儀なく風化もしよう。それは平静な常態を獲得したというべきか。いや、飽和の情態に達しているのかも知れぬ。かりに、筒井康隆氏の『乱調文学大辞典』(昭四七・一・二八刊 講談社) で「ハムレット」の項をひいてみると、最近では、実行力のある「強いハムレット」という解釈も有名になっている。「生きといたろか、死んでこましたろか、そいつが問題やねん。ワハハハ」と、いったところか。一見して奇矯、洒脱、磊落を装う訳を放っているようだ。が、必ずしも、機知と諧謔とを凝らす戯文を弄したものとも言えまい。氏が、ハムレット受容の変遷史を視点に持ち、さらに進行する過程に立っているからである。突きつめた生死択一に真向って、佇立のみしていた過去が、既成の日本ハムレット像が諷刺の対象だ。「ワハハハ」に、それを問題視せぬ現代も寓する。生死を思索せぬ、閑却した青春も「問題」となろう。種々の「解釈」を入れたハムレットの行く方に、その果てのハムレット破綻まで見通しているらしい。不気味である。私見では、この発言時来二十五年を経て、氏の予想はますます的中しているように思われる。かつて、青春が to be or not to be を、生死択一を迫られる大問題として、その前に身をさらしていた時代があった。島崎藤村は日本のハムレットたちとも言うべき、ハムレット群像を長編自伝『緑蔭叢書第貮篇 春』(明四一・一〇・一八刊) に描く。その末尾は、『あゝ、自分のやうなものでも、どうかして生きたい。』/斯う思つて、深いく溜息を吐いた。である。あの第三幕第一場の独白は、藤村自身の痛切な真情吐露にほかならない。いまだに蝉脱できぬ生死の問題を背負って、わずかな希求を重くつぶやく。ハムレット体現者のひとりであった。同じく漱石門下の人々も、生死に賭けて、哲学的な教養主義を形成していく。『文学界』同人は北村透谷を、漱石門下生は藤村操を喪っているからである。彼我、隔世の感を禁じえない。しかし、双方は断絶しているわけではない。徐々に推移して来た期間がさし渡している。いま、英文学者による専門的研究著書、論文を別にしても、「ハムレット」一作品にちなむ演劇、翻訳、小説、詩、歌謡、評論、随筆、引用例など数限りない。やがて <ハムレット上演史>、その主として明治期の発掘、研究に河竹登志夫氏の『日本のハムレット』(昭四七・一〇・三一刊南窓社) がある-、また <ハムレット翻訳史> が編まれるに違いない。これらを除いても、近、現代の作家は「ハムレット」に心酔し、傾倒し、反発し、触発され、解釈し、取材し、依拠し、何らかの類縁を結んで、幾多の制作を紡ぎ出している。すでに、創意豊かなとはいいがたい、また、単に「ハムレット」にことよせただけの著述も存在する。「ハムレット」は清新な摂取期、客観的に咀嚼した消化吸収期を送って、しゃぶり尽くされた残滓になってしまったかも知れない。試みに、三区分してみる。明治期における <ハムレットを自任する人々>、それを脱却して迎える大正から昭和前期の <「ハムレット」小説の開花> 期、以降の衰えた <「ハムレット」の解体、拡散> 期とでも称してみられよう。先年発表された堤春恵氏の「仮名手本ハムレット」がある。「ハムレット」の解体、拡散を体現し、一時期を代表する大部な傑作だ。この制作出現の意味を、日本の「ハムレット」文学史上に尋ねて、序説としてみたい。以降、管見に入った「ハムレット」関連の作品は、島村洋子氏の「ハム列島」(平七・一二『小説すばる』) である。
著者
上寺 常和
出版者
The Japanese Society for the Philosophy of Education
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
no.54, pp.98-101, 1986

世界各国、とりわけ開発途上国では教育に直接関連してはいないけれども、人々を苦しめる災害が生じている。先進諸国においても例外ではない。これらの災害の中で、多くのものは人為的なものとみなされている。一九八五年八月の日航ジャンボ機墜落事故、一九八六年四月のソ連チェルノブイリ原子力発電所爆発事故などはそれを物語っている。科学の急激な進歩は、人間自身それに追いつくことができず本来人間の幸福のための科学が、逆に大きな災害を引き起こす結果となったのである。自然科学優先の科学主義は、反省すべきであり、人間性に基づく科学を発達させる必要がある。
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンピュ-タ (ISSN:02854619)
巻号頁・発行日
no.500, pp.138-146, 2000-07-17

プロジェクトをたくみに切り盛りし,必ず本稼働へもっていくプロジェクト・マネジャたち,物流アプリケーションにかけては百戦錬磨のコンサルタント,ミドルウエアを核にしたソリューション(問題解決策)の全体像を描けるアーキテクト。データベースの中味を完全に知り尽くしたスペシャリスト。最前線で走り続けるプロフェッショナル7人が,自身の「プロ哲学」を語る。
著者
徳原 靖浩
出版者
東京外国語大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

本研究の中心課題は、西暦11世紀のペルシア詩人であり、イスラーム・シーア派の一派イスマーイール派に傾倒した思想家として知られるナーセル・ホスロウ(1072年以降没)の思想の全体像を明らかにすると共に、イランの思想史に位置づけることである。採用二年目である本年度は、(1)前年度学会で発表した、ナーセル・ホスロウの解釈学教義を端的に著したテクスト『宗教の顔』に関する研究を進め、また、(2)前年度に引き続き、新たに公刊された研究書、本邦で入手が困難な一次・二次資料文献、写本情報の収集のためイランに渡航した。(1)前年度はナーセル・ホスロウに先行するイスマーイール派思想家のテクストとの比較作業を行なった。特に、本研究で主に扱うテクスト、『宗教の顔Wajh-i Din』における記述には、基本的な教義的方向性に関する記述で先行する文献や、後のイスマーイール派の文献、また同時代の神秘主義文献にも程度の差こそあれ類似した表現が見られることが分かった。この点を間テクスト性の観点からどう扱うかについても考察を進めた。また、前年度の研究からの継続としては、『宗教の顔』に見られるザーヒル(外面)・バーティン(内面)の概念に二重の基準があるのではないかという考えを更に掘り下げ、この点に関して新たな知見を盛り込んだ論文を準備中である。(2)イランにおける資料収集:今年度はイラン国民議会(マジュレス)図書館および国民マレク図書館にて、刊本に使用されていないナーセル・ホスロウ著作の写本調査を行なった。
著者
菅野 仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.26-40,111*, 1990-06-30

本稿の課題は、「生」と「分業」という二つの概念の統一的把握を通して、G・ジンメルの「近代文化論」がもつ独自な意義を明らかにすることにある。<BR>これまでジンメルの近代文化論については、その中心的概念が「生」であるとし、その概念的、形而上学的性格を批判する見解や、「生」と「分業」との統一的把握のもとに近代文化の問題の核心に迫った意義深い文化論であると積極的評価を下す見解などがあった。本稿は基本的に後者の立場に依拠しており、ここではジンメルの近代文化論がどのような意味で積極的に評価しうるのかを、『貨幣の哲学』の近代文化論の検討を通じて明らかにしたいと考える。すなわちジンメルは、「生」と「分業」という二つの概念を主軸に近代文化がはらむ問題状況を、「主体の文化と客体の文化との齟齬的関係」としてとらえ直すことによって、ネガティヴな現象形態をとりつつ進展する近代文化の在り方のなかに「可能性」として蓄積されているポジティヴ性をみる、という複眼的視座からの近代文化論を展開したのである。本稿では、彼の近代文化論における「生」概念と「分業」概念との関係の在り方を明らかにすることを通して、近代文化をとらえるジンメルの複眼的視座がもつ独自な意義に迫りたい。
著者
李 哲権
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.41, pp.219-230, 2010-03-31

漱石文学の研究には、一つの系譜をなすものとして〈水の女〉がある。従来の研究は、このイメージを主に世紀末のデカダンスやラファエル前派の絵画との結びつきで論じてきた。そのために「西洋一辺倒」にならざるをえなかった。拙論は、それとはまったく異なるイメージとして〈水の属性を生きる女〉という解読格子を設け、それを主に老子の水の哲学や中国の「巫山の女」の神話との関連で考察する。