著者
近喰 ふじ子 塚本 尚子 安藤 哲也 吾郷 晋浩
出版者
一般社団法人日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.50, no.12, pp.1171-1185, 2010-12-01
被引用文献数
1

筆者は,ここ数年,子どもが身体症状を訴えて母親とともに小児科外来を受診した際,子どもの症状を心配するよりも夫婦関係を重視した情報を聞かされ,家族関係が変化したことを母親の言葉から間接的に知らされた.すなわち,夫婦関係の親密性が想定された.そこで,今回,「夫婦親密度尺度」を作成した.本尺度は4因子の構造からなり,親関係項目からは「依存型夫婦」「安定型夫婦」「不満型夫婦」「尊重型夫婦」の31項目が,子ども関係項目からは「子ども重視型夫婦」「子ども干渉型夫婦」「子ども否定型夫婦」「子ども不信型夫婦」の25項目が抽出され,信頼性と妥当性が確認された.すなわち,従来使用されていた「家族機能測定尺度」との相関関係から,従来の家族機能とは異なる新しい家族機能へと変化し,子どもの混乱が生じやすいことが推察された.
著者
木村 定三
出版者
立教大学
雑誌
史苑 (ISSN:03869318)
巻号頁・発行日
vol.3, no.3, pp.220-228, 1929-12
著者
西尾 和美
出版者
松山東雲女子大学人文科学部紀要委員会
雑誌
松山東雲女子大学人文科学部紀要 (ISSN:2185808X)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.164-141, 2011-03

本稿は、慶長七年(1602)八月の毛利輝元養女と興正寺門跡の婚姻が関係諸勢力の間でもった意義を、当時の政治状況をふまえつつ考察するものである。同女は、小早川氏に入った秀吉の養子秀秋と関ヶ原合戦以前に離縁し、秀秋生前のうちに興正寺門跡に再嫁した。毛利氏にとって、小早川隆景、豊臣秀吉の相次ぐ死により、秀秋との婚姻の意義は関ヶ原以前に変化しており、また関ヶ原以後の苦境の下で武士との婚姻には成り行きを予測できない難しさがあった。一方、この時期、東西分派問題に直面する興正寺および本願寺にとって、戦国期以来の同盟者である毛利氏の周防・長門の門徒掌握ほ重要であり、この婚姻成立の意義は大きかった。このように関係者間でそれぞれに大きなこの婚姻の意義は、婚姻成立より輝元死亡まで多年に及んで細やかに維持された輝元と養女・興正寺門跡夫妻との付き合いを通じて、またこの婚姻を契機として結ばれた養女の実家宍戸氏関係者と興正寺関係者との婚姻によって、支えられた。 This article explores, in the political context of its time, the significance of the 1602 marriage between the adopted daughter of the warrior Mori Terumoto and the head priest of Koshoji Temple in Kyoto. The daughter had previously been married to the warrior Kobayakawa Hideaki, the adopted son of Toyotomi Hideyoshi and, later, of Kobayakawa Takakage. With the deaths of Hideyoshi and Takakage, the marriage was terminated for it had become politically problematic for the Mori family, even before the Battle of Sekigahara in 1600. For the Mori family, on the losing side of the Sekigahara battle, marriage of their daughters to warriors carried an inherent risk, while marriage to a cleric, with less concern for worldly matters, was seen as a safer prospect. While Hideaki was still alive, the Mori's adopted daughter entered into a new marriage to the Koshoji cleric in 1602. At that time, however, the Honganji Temple, along with its then-branch temple Koshoji, was embroiled in a serious schismatic dispute. Therefore, the daughter's marriage was of great significance for it offered a means of control over adherents in the Mori domains of Suo and Nagato in western Japan. Indeed, for twenty years after the marriage, Mori Terumoto remained in close communication with his adopted daughter and her husband, and more marriages followed between members of the clerical family of Koshoji and the adopted daughter's natal family, the Shishido.
著者
辻 慶太 黒尾 恵梨香 佐藤 翔 池内 有為 池内 淳 芳鐘 冬樹 逸村 裕
出版者
日本図書館研究会
雑誌
図書館界 (ISSN:00409669)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.176-189, 2012-09-01

本研究では(1)T大学附属図書館の貸出履歴約5年分を用いた協調フィルタリング, (2)同データを用いたアソシエーションルール, (3)Amazon,の3つによって被験者33名に図書を推薦し,それぞれの有効性を比較検証した。結果, (3)>(2)>(1)の順に推薦パフォーマンスが高いことを確認した。貸出履歴を用いて図書推薦を行うならば,協調フィルタリングよりも,プライバシー漏洩の可能性が低く計算コストも少ないアソシエーションルールを用いた方が有効であること,さらにAmazonの利用・併用も検討に値することが言えた。
著者
斎藤 富由起 吉田 梨乃 小野 淳 Fuyuki Saito Yoshida Rino Ono Atushi 千里金蘭大学 生活科学部 児童学科 東京学芸大学大学院 教育学研究科 千里金蘭大学 生活科学部 児童学科
出版者
千里金蘭大学
雑誌
千里金蘭大学紀要 (ISSN:13496859)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.19-26,

三世代のボディワークとして注目されているロシア武術システマ(Systema)は1.護身術、2.怒りを中心とした感情コントロール技法としての呼吸法、3.自己への気づきを深めるためのボディワーク、4.非常に強いストレッサーへの対処法、5.親子関係や対人関係を中心としたコミュニケーションの質を高めるワークショップなどに活動領域を広げている。一方、システマは日本に導入されてから日が浅く、定義が不明確であり、基礎研究に乏しかった。本研究では、作成された定義に基づきシステマの公認インストラクターへの半構造化面接を通じてシステマの特徴を整理した。また参与観察法に基づきシステマ親子クラスの構造を分析し、ワークショップ性と即興性の観点からその活動の性質を考察した。システマ親子クラスは、親子のコミュニケーションの質を高める優れたワークショップであることが示唆された。
著者
三枝 有
出版者
信州大学大学院法曹法務研究科
雑誌
信州大学法学論集 (ISSN:13471198)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-25, 2014-09
著者
歌野 博
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-7, 2005-01-31

書物の表紙の裏の部分をさす「見返し」という用語は、これまで和装本、洋装本を問わず用いられてきた。書物の製本構造上、「見返し」を必要とするのは洋装本だけである。洋式製本の技術が導入され、定着した明治中期以前に「見返し」が用いられた形跡は見出せない。当時の文献に徴し「見返し」は洋装本の盛行とともに和装本に転用された用語であることを確認した。書物の部位名称に着目し、書物の構造との整合性を考察することにより、和装本、洋装本の違いを明らかにするとともに、その文化的意味について言及した。
著者
矢野 久
出版者
慶應義塾経済学会
雑誌
三田学会雑誌 (ISSN:00266760)
巻号頁・発行日
vol.95, no.4, pp.669(35)-696(62), 2003-01

論説はじめに第一章 戦後ドイツの戦後補償 : 1950年代の到達点第二章 苛酷緩和措置と統一ドイツ : 1980年代以後の変化第三章 強制労働被害者の提訴と政権交代・経済界の対応 : 1990年代後半の状況第四章 補償基金法への道 : 交渉の論点第五章 「記憶・責任・未来」基金創設の合意とその後の交渉過程第六章 「記憶・責任・未来」基金法の成立と基金をめぐる争点おわりに : 戦後補償と補償基金の歴史的意義50年にわたるドイツ戦後補償の歴史を政治・社会史的に考察している。前半では、企業・国家間・国内法の3つの局面から戦後補償の多様性と特質を明らかにしてその問題点を析出し、後半では、戦後補償の欠陥をドイツがいかに克服したのかを検討している。その結果成立した「記憶・責任・未来」基金の成立過程に注目し、戦後補償の史的発展の原動力がどこに存在したのかを解明している。This study examines the history of post-war compensation in Germany over a 50 year period, from the perspectives of politics and social history. The first half of the study clarifies the variety and characteristics of post-war compensation in three phases, enterprises, nation-to-nation, and domestic laws to extract its tacit issues. The second half of the study discusses how Germany overcame the flaw of post-war compensation.Moreover, this study particularly focuses on the process of establishing the "Memory, Responsibility and Future" Fund, which was established in the process of such overcoming as a result, and elucidates where the driving force of the historical development of the post-war compensation existed.