著者
高田 賢一郎
出版者
日本鳥学会
雑誌
日本鳥学会誌 (ISSN:0913400X)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.112-113, 2009-05-01 (Released:2009-05-20)
参考文献数
5
著者
松岡 和美 内堀 朝子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

【かな由来の手話表現の音韻的制約】指文字が取り込まれて語彙化する「かな由来」の手話単語では手話の音韻パラメータの1つである「位置」と、利き手の身体部位との接触の有無に関連性があることを明らかにした。その理由に接触や追加の動きが手話単語のsaliency(顕著性)を高めることが考えられることを指摘した(論文採択済み)。【愛媛県大島の地域共有手話の研究】数と時の表現について追加のデータを収集し、ろう者と聴者が手話を共有する地域の歴史的・社会的背景の聞き取り調査を行った。他の共有手話や聴者のジェスチャーも考察に入れた論考をまとめた(論文採択済)。海外の研究で用いられた動画を参照しながら、より文化的に適切な動画を作成し、一致動詞の空間使用を調査した。【日本手話の否定とモダリティ】日本手話の否定表現とモダリティ表現の共起関係の制限を手がかりに、否定は3つ、モダリティは2つの異なる位置に生じていることを明らかにした。その構造的位置は、語彙の形態・意味的な性質と深く結びついている仮説を提案した。【数量詞の適用範囲と空間位置】日本・アメリカ・ニカラグアの聴者のジェスチャー動画を収集し、数量詞を含む文を用いる際に'more is up'の空間的メタファーの使用に関して数量的分析を行った(論文投稿中)。【話題化の非手指標識について】文頭の話題化要素に伴って生じる「眉上げ・うなずき」に加えて、文頭に生じる要素には話題化とは別の非手指動作が伴っている例も観察した。例えば「目細め(ないし視線変化)」であるが,これは従来Referential Shiftの非手指標識とされている。今後の研究でも,これらを含め,非手指標識全般について,複数の標識を厳密に見分けた上で互いの分布(特に共起関係)を記述する必要があることが確かめられた。
著者
山本 達人
出版者
東京大学大学院教育学研究科
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.139-148, 2015

The purpose of this article is to review of the empirical studies of parents' attitudes toward school education in Japan and to lead problems about the study of the opinions and requests from parents to school in Japan. For this purpose, I try to review the empirical studies of parents' attitudes toward Japanese school education in time series.
著者
齋藤 雅英
出版者
日本体育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

記憶課題と注意仮題を用いた新たな催眠尺度の作成を行うために実験を行った。実験には、世界的に使用されているハーヴァード集団式催眠感受性尺度(HGSHS)と、意図的に操作することが難しい潜在連合テストを用いた。潜在的権威主義尺度(IAT)とHGSHSの関連について実験を行った。その結果、HGSHSとIATの相関係数が有意であり、IATを用いた新しい催眠尺度を作成できる可能性が示された。
著者
向居 暁 佐藤 純 DEHON Hedwige
出版者
高松大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究は、実験室におけるDRM課題による虚記憶と現実世界で生起すると考えられる自伝的虚記憶との関連性を、連想活性化、及び、モニタリングに係る個人変数を通して検討することであった。本研究では、日常において空想的に生じる自伝的虚記憶として、「心霊体験」が仮定され、そして、その生起に関与する個人変数として、心霊信奉はもとより、解離体験、認知スタイルなどが検討された。その結果、予測に反して、DRM虚記憶と自伝的虚記憶との間には、それぞれに関与するいくつかの個人変数は示されたものの、強い関連性は認められなかった。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.67, no.7, pp.775-780, 2013-07

私は媒介者検索のため,7月22日に久保田さんの家の離れにお邪魔した。幸いにも,久保田さんの離れを井野専務夫妻が借りておられて,私を泊めて下さるというのである。有り難いことであった。しかも,この離れの裏にはバタリー鶏舎があったので,この離れに血液塗抹や染色用具,携帯顕微鏡,接種用ヒナなどを置き,裏の鶏舎で作業して,その処理を,この離れの部屋の座り机の上ですることができたので,大変好都合であった。お邪魔して最初は,裏の鶏舎に入り,まず糞の状態を見る。緑色をした便を見つけたら,顔を上げて鶏冠の状態を見るのである。鶏冠が白っぽくなっていれば,その鶏は貧血しているのである。このようにして緑色便と貧血の見られる鶏を数羽,探し出して,血液塗抹をとった。離れに帰ってメタノール固定し,ギムザ染色をして顕微鏡で検査して,II期とV期の原虫が同時に見られるような鶏を選び出したのである。V期の原虫のみしか見られない鶏では,すぐ消失してしまうかもしれない,II期とV期の原虫が同時に見られるような鶏はV期の,すなわちガメトサイトの出始めであることを示していて,ニワトリヌカカに吸血させるのに好都合であったからである。
著者
金山 梨花 カナヤマ リカ Rika Kanayama
雑誌
国際基督教大学学報. II-B, 社会科学ジャーナル = The Journal of Social Science
巻号頁・発行日
no.60, pp.243-265, 2007-03-31

Gender can be rightly considered as the "universal otherness" regardless of cultural, ethnic, and/or national differences. This paper argues that masculinity/femininity in gender is the most familiar cultural differences and by practicing releases its "spiritual personality" via cross-cultural translation. Also, it further posits that understanding gender relations the sine qua non for the existence of each other belonging as a whole person. By deconstructing gender in two parts, each part becomes deformed, plagued, contaminated with its viability being lost. Similarly, Jung explains gender as a goal for personality formation, the concept of integrating masculinity and femininity arises in educating the original "self through liberating his or her contra-sexual archetypes in universal unconsciousness: "anima" refers to the latent femininity in man; and "animus" refers to the latent masculinity in women. The gender relations are meant not only to promote cooperation as fellow beings, but to translate each others' differences in order to activate creative spirituality as a unique personality. In this sense, the term "gender-free" points to the releasing spiritual-level individual identity, rather than females advancing and assimilating in androcentric society, or females becoming andro-genized or vice versa. This puts the border differences between males and females in adaptable and heterogeneous, equivocal binary opposition of males and females, allowing further pursuit for a new "female culture" or "male culture. "Thus, "gender-free" does not mean the demise of differences, but the emergence of the spiritual person within through gender cross-cultural translation.