著者
小早川 知子 松尾 和吉 橋本 忠明 築山 良一
出版者
日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 : Nippon shokuhin kagaku kogaku kaishi = Journal of the Japanese Society for Food Science and Technology (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.57, no.8, pp.336-345, 2010-08-15
被引用文献数
2 2

淡口醤油パラドックスともいえる淡口醤油の調理特性をあきらかにするため,淡口醤油と濃口醤油での「塩味」「かつおだし風味」「煮干だし風味」「昆布だし風味」の閾値を2点識別試験片側検定にて比較した.さらに,醤油とかつおだしを組み合わせた時の減塩効果についてプロビット解析により検討を行い,以下の知見を得た.<BR>(1) 「塩味」の閾値は喫食時を想定して設定した3種類(0.92%,1.28%,2.75%)すべての食塩濃度範囲で濃口醤油より淡口醤油の方が低いことが明らかとなった.<BR>(2) 「かつおだし風味」「昆布だし風味」の閾値は,食塩水,濃口醤油よりも淡口醤油が低い結果となった.<BR>(3) 「煮干だし風味」の閾値は,醤油使用量が多い5.6%濃口が最も低い結果となった.5%淡口醤油,5%濃口醤油の閾値に差は見られなかった.<BR>(4) 0.90%食塩水と同等の塩味の強さと感じる等価食塩濃度は2%,3%,6%のかつおだし溶液それぞれ0.903%,0.894%,0.843%となり,だし濃度が高くなるほど塩味を強く感じる傾向を示したが,95%の信頼限界域から判断して,濃厚な6%かつおだしにのみ減塩効果が認められ,通常のだし濃度3%以下では減塩効果はなかった.<BR>(5) 4%淡口醤油,4%濃口醤油そのものには減塩効果はなかった.<BR>(6) 3%かつおだしと4%醤油を併用した場合の0.90%食塩水との等価食塩濃度は,淡口醤油の場合0.872%,濃口醤油の場合0.891%と共に減塩の傾向を示したが,95%信頼限界域から判断して淡口醤油の場合のみ有意な減塩効果が認められた.<BR>以上より,調理に淡口醤油を使うことは,目的とする塩味に調節し易く,且つ,だし風味を効かせた低塩料理につながることが強く示唆される結果となった.
著者
吉浦 裕
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告 = IEICE technical report : 信学技報 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.113, no.415, pp.21-26, 2014-01-27

ソーシャルネットワークの利用が拡大する一方,様々なプライバシー問題が起こる場にもなっている.本稿では,ソーシャルネットワークのプライバシー保護に向けて,多数の発言の中から注日者の発言を特定する技術,投稿文から個人情報の漏洩を検知する技術,顔画像から個人が特定される確率を制御可能な匿名化技術を紹介する.
著者
清水 一
出版者
大阪経大学会
雑誌
大阪経大論集 (ISSN:04747909)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.57-70, 2013

社会科学系学部(約400学部)の偏差値と退学率・就職率をマッチングさせたデータを分析した結果、退学率や就職率は偏差値によってかなりの部分が説明されることが分かった。大学生にとって卒業できるか(退学率が低いか)、就職できるかは、大学生活の満足度を決める主要な要因であるが、偏差値はそれらの指標をかなりの程度代理する。そのため情報の入手しやすさを考慮すると、偏差値による大学選びにはかなりの合理性があると考えられる。だだし、低偏差値の学部では偏差値水準と就職率等の実績が逆転傾向にあるため、低偏差値の学部を選ぶ際には偏差値によらない大学・学部選びにも一定の合理性がある可能性が否定できない。
著者
杉山 尚子 鷲見 潤子 佐藤 方哉
出版者
山脇学園短期大学
雑誌
山脇学園短期大学紀要 (ISSN:03898814)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-10, 2002

Twelve male and twelve female students who rarely bake cakes were given instructions on how to beat eggs. The students were divided into three groups according to the type of instructions: verbal instructions only (VI group), verbal instructions plus a videotape of the process (beating eggs) (VI+PC group), and verbal instructions plus a videotape of the product (the beaten eggs) (VI+PD group). The VI+PC group saw a videotape of an expert beating eggs. The VI + PD group saw a videotape of the eggs when they were finished by the same expert. The duration of beating eggs was shortest for the VI+PC group, while the quality of the resulting sponge cake was the best for the VI+PD group. Although videotape is often presented as a convenient modeling tool, behavior analysts need to determine what aspects of the videotaped model are effective in training new behavior.
著者
石毛 直道
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-41, 1986-08-25
被引用文献数
3
著者
高埜 利彦
出版者
学習院大学
雑誌
学習院史学 (ISSN:02861658)
巻号頁・発行日
no.53, pp.41-55, 2015-03
著者
高埜 利彦
出版者
学習院大学
雑誌
学習院史学 (ISSN:02861658)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.41-55, 2015-03
著者
村上 一博
出版者
明治大学法律研究所
雑誌
法律論叢 (ISSN:03895947)
巻号頁・発行日
vol.84, no.6, pp.197-257, 2012-03-01
著者
早川 尚男 川崎 恭治
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.299-327, 2001-06

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著者
武藤 那賀子
出版者
学習院大学
巻号頁・発行日
2014

1. 問題意識と研究の目的本論は、『源氏物語』より数十年前に成立したとされる『うつほ物語』における「書かれたもの」に着目し、その機能について考察するものである。これまでの『うつほ物語』の研究は、巻々の論や人物論、琴や学問、羅列される物の論考といったものが主であった。しかし、『うつほ物語』には、これらとはまた別の、固有の特徴として挙げられる事項がある。それは、物語の最初から最後まで、紙だけではなく物に文字を書きつけるという行為が多くみられ、かつ物語の展開の中でこの行為が重要な役割を担っていることである。これまで、物に文字を書きつけるというこの物語独自の人物間のコミュニケーションについて述べた論考は少ない。本論では、物に文字を書きつけるという行為を中心に据え、『うつほ物語』において贈与される言葉と、それに付随する物について見ていき、過去に「稚拙」の一言で片づけられていた本物語において行なわれてきた「言葉」を贈る行為について考える。そして、これを発端として、この特徴的な行為を行なう藤原仲忠という人物について見ていくことで、「清原一族」が作り出した三つの〈系譜〉を考察する。2. 本論の構成と方法本論では、九つの観点から『うつほ物語』における「書かれたもの」の機能を考察しており、それぞれの観点を章としている。各章の概要については、以下の通りである。第一章では、紙以外の物に文字(和歌)を書く場面が多くあることが『うつほ物語』独自のものであることに着目し、物語内で一貫して物に文字を書き続ける藤原仲忠に焦点を合わせる。この検討から、『うつほ物語』における物に文字を書きつけるという行為が一定の論理の元に描かれている可能性があることを指摘した。第二章では、源実忠が文字を書きつけた物を取り上げ、第一章で見た仲忠と比較した。また、あて宮との意思疎通に成功した仲忠の方法を詳細に見てゆくことで、「書きつける」ことから見えるこの物語の言語認識が、文字に対する『うつほ物語』独特の認識を根底に置いた上で成り立っていることを示した。第三章では、人物たちの筆跡、すなわち〈手〉に着目した。筆跡は、書いた人物を特定するものであると共に称賛の対象となっている。特に素晴らしいとされるのが仲忠である。このことは、「蔵開・上」巻の冒頭において仲忠が俊蔭伝来の蔵を開き、清原俊蔭や俊蔭の父母といった人々の書物を手にし、その学問を習得したことと関係があることを示した。第四章では、手紙の機能について述べた。『うつほ物語』に出てくる全ての手紙についてその特徴を七つに分けた。『うつほ物語』では、人物関係の補強・拡大、もしくは信頼の獲得として手紙が機能しているといえる。またそのことから、『うつほ物語』における手紙の「安定性」が見えてくる。第五章では、仲忠が藤壺の若宮に献上した「手本四巻」について論じた。俊蔭伝来の蔵を開いた仲忠の筆跡は称賛されるものであった。仲忠の「手本」は、受け取り手から見れば至上のものである。しかし、仲忠にとっては「手本」は至上のものではない。このことから、至上のものとして「手本」を認識し、またしたがって、それに続く〈琴〉を求める藤壺と、「手本」は「手本」でしかなく、〈琴〉を教えるつもりのない仲忠の思惑がすれ違うことが明らかになるのが、若宮への手本献上の場面であると指摘した。第六章では、俊蔭伝来の蔵から書物が出て来てからの仲忠の行動を追った。仲忠は、俊蔭伝来の蔵を開いたことにより、「清原氏」としての自覚を持った。そして、母屋に八ヶ月間籠って〈学問〉を継承するとともに〈手〉も継承した。またいぬ宮を〈琴〉の継承者とした。このことから、〈琴〉のみならず、〈学問〉においても、「籠る」ことによって継承者が継承者たりえることを示した。第七章では、「蔵開・中」巻における朱雀帝の御前での〈学問〉の進講に着目した。従来、菅原道真の「献家集状」との関連のみが指摘されてきたこの進講を、本論では史実の進講とも比較し捉え直している。「清原家」の学問が、一氏族の学問でしかないものであるにも拘わらず、それを公のものにするべく、『日本紀』の進講と同じ形式を採っていたことを指摘した。さらに、『日本紀』の進講と同じ形式を採ることにより、春宮の権威付けと、清原家の学問の家としての権威付けを図っていることを示した。第八章では、〈琴〉と〈学問〉の公開の場を比較し、時刻表現・〈香〉・空間の三点において、この二つの場の構造が相似関係にあることを指摘した。また、秘曲を披露する前に必ず学問披露の場があることから、〈琴〉の公開の場と〈学問〉の公開の場が一対のものであるといえることを示した。第九章では、清原家の系譜――〈琴〉・〈学問〉・〈手〉――の全てを担っている仲忠に着目し、これらの継承されるものが、どのようにして次世代に伝わっていくのかについて考察した。〈琴〉はいぬ宮が継承者となっているが、〈学問〉を伝える先は決まっておらず、また、手本は春宮と藤壺の若宮という、清原家とは無関係の人々へと伝わっていく。また、「楼の上・下」巻での秘琴披露において、俊蔭の娘の体調が思わしくないことも踏まえ、「清原家」の継承されてきたものが、消えていくことを示した。過去の論考において、〈琴〉の系譜について述べたものは多く、また、「蔵開・上」巻において、仲忠が清原家の「学問」を継承したことを述べたものも多い。しかし、仲忠が継承した〈学問〉を「系譜」として捉え、また、「学問」から仲忠が独自に作成した手本もまた、「清原家」を負うものとして位置付けられていると述べるものは見られない。本論が、『うつほ物語』の「清原氏」を「書かれたもの」から捉えるという、新たな知見を示すものとなれば幸いである。
著者
堀 千晶
出版者
日本フランス語フランス文学会
雑誌
フランス語フランス文学研究 (ISSN:04254929)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.159-170, 2010

Deleuze, au debut de Empirisme et Subjectivite : Essai sur la Nature humaine selon Hume, pose l'identite de l'esprit et de l'imagination, et ne cesse de la reaffirmer tout au long du livre. La valeur de cette affirmation est constatee quand Deleuze definit l'empirisme de Hume comme <<philosophie de l'imagination>>. Et cependant, cette identification, Hume a son tour ne la dit jamais, du moins de facon manifeste : l'esprit selon Hume est toujours l'ensemble d'impressions et d'idees, l'imagination n'etant que la collection des idees. De sorte que dans Empirisme et Subjectivite, il existe implicitement deux definitions divergentes de l'esprit, celle authentique de Hume (impressions et idees) et celle transposed de Deleuze (idees ou imagination). Deleuze ote l'impression presente a la definition de l'esprit, et cette reticence reiteree lui permet d'introduire, dans sa lecture de Hume, la theorie bergsonienne du passe et de l'habitude, qui agissent independamment de l'impression presente. Le frivole chez Hume - theme constant et serieux de sa philosophie morale, croyance en ce qui n'a jamais ete present, voire en ce qui n'est meme pas presentable dans l'imagination - est fonde selon Deleuze sur la conjonction de la presence et de la non-presence, de l'experience et de l'habitude. Cette conjonction ouvrira, au cceur meme de la subjectivite, la possibility generale de la fiction, de la fabulation et de la tromperie.