著者
高田 智和 盛 思超 山田 太造
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH)
巻号頁・発行日
vol.2012-CH-93, no.2, pp.1-7, 2012-01-20

いわゆる 「異体字」 の概念を漢字の派生関係と通用関係とに整理した上で,人間文化研究機構研究資源共有化統合検索システムでの運用を想定し,検索のための必要最低限の 「異体字」 群を収録した異体漢字対応テーブルの作成事例を報告する。
出版者
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
雑誌
宇宙航空研究開発機構特別資料 = JAXA Special Publication (ISSN:1349113X)
巻号頁・発行日
vol.JAXA-SP-15-014, pp.1-42, 2016-03-01

第91回風洞研究会議 (2015年5月21日-22日)
著者
中村 唯史
出版者
阿部宏慈
巻号頁・発行日
2008-01-01

視覚表象における「リアル」の研究 : 平成16年度~平成18年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書 ; 研究課題番号: 16602001 ; 研究代表者: 阿部宏慈 ; p55-84
著者
竹中 真也
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.279-304, 2019-09-30

本稿は,ティモシー・モートンの環境哲学の一端を解明することを目指す。そうするにあたって,ここでは鍵概念のmesh とstrange staranger に焦点を当てる。まずはモートンの哲学を生み出した時代背景「人新世」に触れ,しかるのちにmesh とstrange stranger に関する論述を紹介する。最初に豊富な具体的事例を『エコロジーの思想』から取り上げ,次に,『コラプス』に掲載された論文を軸として,それらの事例を哲学的水準から捉え返す。最後に,これらのmesh やstrange stranger の議論を,モートンが与すると言われているオブジェクト指向存在論の旗手ハーマンの議論と接続し,モートンの議論の特徴のひとつを浮き彫りにする。
著者
藤田 佳子 Yoshiko FUJITA
雑誌
淑徳短期大学研究紀要 = Bulletin of Junior College of Shukutoku (ISSN:02886758)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.181-196, 2013-02-25

パネルシアターは1973年に古宇田亮順が創始して40年が経ち、現場では多方面で活用されてきているが、研究の場ではまだまだ絵本や紙芝居と比べて論文や著作が少ない。ここでは、パネルシアターが誕生するまでを古宇田亮順の半生を振り返ることによりまとめた。第二次世界大戦の少し前に上野の寺で生まれ、物がない時代に育った古宇田は幼少期、工夫をして遊ぶことや紙芝居の面白さに触れる。大正大学に入学してからは、児童研究部に所属し、子どもたちの幸福のために熱心な部員とともに活動した子ども会活動の中で、人形劇等の上演を通して喜んでもらえること、その喜びを共有することを学んだ。そのためにはたゆまぬ努力と研究があった。現状だけでは満足しない古宇田は、失敗を重ねながら遂にパネルシアターを生み出した。そこには、作画の松田治仁との出会いも大きく関わっている。松田の絵を活かすために、そしてお話の構成を膨らますためにと探した結果、1972年パネルシアターに適した素材、不織布(三菱製紙MBSテック130番、180番)を見つける。その不織布をのちに「Pペーパー」と名付ける。その後、30以上の作品を製作した後、1973年に「パネルシアター」と命名して、発表する。このパネルシアターの発見には、古宇田の「人に喜んでもらいたい」「必要なものは必ず見つかるという信念」をもった生き方・考え方があったからこそ生まれたのだと確認した。
著者
安孫子 忠彦 飯島 英則 小山 明夫 上林 憲行 成田 徳雄
雑誌
情報処理学会研究報告電子化知的財産・社会基盤(EIP)
巻号頁・発行日
vol.2003, no.87(2003-EIP-020), pp.55-60, 2003-08-28

参与観察手法による入院患者の生活の一日観察を通して入院患者は時間を持て余している事,その家族は忙しい中毎日面会に来ている事などの調査結果を得ることができた.そこで入院患者の生活の質(QOL: Quality Of Life)の向上を目的としたサービスとして,ネットワークとマルチメディアを用いた遠隔コミュニケーションサービスを提案する.PCをベースとし,カメラ,マイク,スピーカ,音声チャットソフトなどを用いてシステムを構築し,利用者誰もが使えるような操作簡略化の工夫を凝らした上で,この遠隔コミュニケーションサービスが実社会の入院患者に対してどれだけ有効であるかを実際のフィールドで実験を行い検証した.
著者
申 昌浩 シン チャンホウ Chang Ho SHIN
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2000-03-24

本博士論文は、現在の韓国政治、文化の枠組を支える「韓国的ナショナリズム」の形成過程に、いかに宗教が大きな役割を果たしているかについて考察したものである。その宗教は、特に、日本という近代国家によって開国を迫られ、近代化の課題に直面していた朝鮮半島において、東学、親日仏教、プロテスタント(改新教)の三つが新たに成立したのである。そして、それらの成立の背景としては、東アジアを取り巻く国際情勢、とりわけ日本と韓国との政治的ダイナミズムが深い関わりをもっている。それゆえ、本論文では三つの宗教のそれぞれの成立と展開を、政治的な背景と関連させつつ、考察する。<br /> 第一に東学について。東学は19世紀後半、朝鮮半島で初めて成立した自生宗教であり、朝鮮王朝の封建的な儒教中心の既存の政治体制と両班による政治政権の掌握と運用に新たな変革を求めたものである。それは民族の宗教としての始まりと、民衆の真意を反映した民族主義と民族運動を成立させる役割を果たした。そして、特権身分階級として政治的・経済的な支配者である両班とその儒教体制による封建的な社会構造に対して挑戦を挑んだ民衆レベルの宗教であった。この東学の誕生は、間接的な原因ではあるが19世紀の朝鮮王朝の支配を突き崩すほどの力を発揮したといえるだろう。民衆運動と宗教運動を基盤にして形成された東学は、開国以後、日本帝国の経済的な進出に対しても積極的に対抗し、民族の自主と自立の精神を培養しようとした。この東学の民族主義は、宗教の問題であると同時に、政治的な問題であるといった方がよいだろう。東学が唱えていた思想は、朝鮮末期の政治問題や経済問題に民衆を結集させ、宗教的な内容よりもむしろ自由民権の宗教的哲学根拠を提供し、近代的な改革や社会変革を求める政治的な内容がより強く表出するものであった。この時期に形成され始めた民族主義は、国家ナショナリズムというよりも、民衆レベルでの民族の危機意識と開化精神の始まりといえよう。東学思想は19世紀後半期において、封建体制の対外的危機に対応する、農民や商人、賎民、没落両班の階級的利害、欲望、要求を反映した民衆運動として登場し、韓国の民族主義形成に大きく関わりを持っている政治的なものであった。しかし、日韓併合後の東学は日本帝国の政治的な力の前に内部分裂を繰り返し、民族宗教としての存在感が薄くなってしまった。その結果、解放後においても民族を支える宗教としての役割や政治舞台の中心に立つことはできなかったのである。<br /> 第二に親日仏教について。これまで仏教は幾度も民族的な危機に際して民衆を支えてきた伝統宗教であった。しかし、朝鮮時代の儒教的な政治体制から排除されることによって、町からその姿を消し、山に閉じこもるようになった。政治政権を掌握している儒者たち、いわゆる両班からの政治的な抑圧と蔑視と差別によって、朝鮮の仏教は非政治的な宗教集団となっていた。この仏教が、1876年の開国と共に朝鮮半島に進出してきた日本の僧侶によって復活し、政治的にも再生されるようになった。朝鮮仏教の宗教活動が解禁されたのは、日本帝国の経済的な進出が活発な時期であり、朝鮮王朝の儒教思想にも民衆を統制する力がなく、国運が傾き始めた頃のことでもあった。開国以来、日本の経済的な進出と1895年の日本の僧侶による嘆願によって、解禁されたため近代韓国仏教の始まりを「親日」仏教の始まりであるともいっている。朝鮮仏教は日韓併合後も政治的性格が日本の政治的支配や宗教政策に対して大きな反発を示す宗教運動や政治的な活動や動きも少なかった。また、解放後の成立した新政府による仏教浄化政策よって、親日仏教というレッテルを貼られるようになった。<br /> 第三はプロテスタント。1880年代に入ってきたキリスト教は、いわゆるプロテスタントのことであるが、儒教社会に迫害を受けたカトリックとは違い、封建的な社会であった朝鮮に近代的な先進文物や教育をもたらした宗教である。キリスト教は国を失った人々に、独立に対する熱望と組織的な体制を与え、近代韓国に本格的な民族的アイデンティティをもたらし、自覚することを可能にしたといえる。キリスト教教会は信者を中心に一般民衆が独立運動や民衆運動に積極的に参加する基盤を提供する役割を果たすと共に成長した。この韓国的キリスト教は、いわば純粋な聖書を土台にした信仰の基礎を作り上げることによって形成されたものではなく、愛国啓蒙運動や抗日民族運動の拠点を築く際に形成されたのである。それが日本帝国の植民地下での反日民族独立運動に参加し、韓国特有の民族イデオロギーを形成し、成長させることに結びつくことになる。その後、日本植民地からの解放されたキリスト教は、政治的・宗教的な苦難に対抗したことを様々な民族的な苦難を乗り越えてきた信仰的伝統にも結びつけるのである。そして、多くのキリスト教者は解放に伴って成立した新国家建設に参与し、教会の再建を図るために、儒教的な権威主義を背景にもつ西洋キリスト教者と結びつくようになったのである。<br /> 以上、三つの宗教を取り上げ、韓国的な民族主義宗教の形成と展開を近代韓国における、いわゆる政治と宗教の状況について論じてきた。封建的な儒教体制に挑戦するために民衆を結集させた力を持つ東学、親日的政治的な性格が付けられている韓国の近代仏教、日本帝国に立ち向かい愛国啓蒙運動や民族主義運動の立て役者となり、解放後は南北に分断された国土で共産主義に対抗し、大きく成長、定着したキリスト教に要約されよう。要するに、韓国的ナショナリズムの形成は、とりわけ宗教が同時に政治思想を帯びていたことを特徴とするのである。
著者
中野 はるみ Harumi NAKANO
出版者
長崎国際大学
雑誌
長崎国際大学論叢 = Nagasaki International University Review (ISSN:13464094)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.235-249, 2001-03

In this paper I have described about the auxiliary 'つ(tsu)' 'ぬ(nu)' that was used from ancient times until the Kamakura Period, and the difference from the similar expressions 'たり(tari)'. The modern word '~てしまう(~teshimau)' implies the ancient auxiliary 'つ(tsu)' and 'ぬ(nu)'. I tried to make clear the characteristics of Japanese which has the originarity idea for the objective expression and the subjective one. That's means Modality.