著者
中谷 常二
出版者
一般社団法人 経営情報学会
雑誌
経営情報学会 全国研究発表大会要旨集 2015年秋季全国研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.287-290, 2015 (Released:2016-01-29)

本稿ではソーシャル・メディアの社会課題を技術論の視点から考察する。そのため情報セキュリティシステムの具体的な構築法を論じることはしない。 技術論においては、技術は自己修正システムを持つという考えがある。この説によると、技術の進化によって生じた危機は、それを上回る技術の進歩によって是正される。 しかし、技術の進歩の過程で取り返しのつかない被害が出た場合はどうするのかについて述べていないという、致命的な欠陥がある。他方、社会が技術のあり方を決定できるとする社会構成主義という考え方がある。ソーシャル・メディアの課題も、この社会構成主義の考え方を取り入れることで、新たな方向を見出すことができるといえよう。
著者
橋口 英俊
出版者
日本行動医学会
雑誌
行動医学研究 (ISSN:13416790)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.1-7, 2001 (Released:2014-07-03)
参考文献数
9

筆者はこれまで、専門の臨床心理学や東洋医学を通じて、病院や大学その他の相談機関で数多くの悩める方の相談に従事してきた。ここでは、これらの経験を踏まえ、最近、カウンセリングや臨床心理の世界で注目されている代表的な認知行動療法の1つであるREBT (Rational Emotive Behavior Therapy) について、若干の資料と共にご紹介したい。ここで、REBTの特徴を要約しておくと次のようになる。(a) 症状の除去より、その背後の人生哲学に注目し、その矛盾に気づかせ、ラショナルなものに変えることに関心がある。(b) 実存的人間主義的立場に立つ。人が今ここに生き、存在することに価値があり、人間はあくまで人間であり、不完全で過ちを犯しやすい存在であることを前提に、それを受容し、克服する道を示す。(c) 感情行動を重視し、それがビリーフを変えることでよりよく幸せに生きる道が拓かれることを学ぶ。最後に筆者の関わった事例 (手記、REBTインペントリー) を紹介し参考に供したい。
著者
中田 行重 今林 優希 岡田 和典 川崎 智絵
出版者
関西大学臨床心理専門職大学院 心理臨床センター
雑誌
関西大学心理臨床センター紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.79-88, 2015-03-15

Person‒Centered Therapy(以後PCT と略す)において非指示性(Nondirectiveness)は重要であるが、同じPCT の内部においても、その重要さに関する考え方に違いがある。ここでは2 人の論客Cain, D. J. とGrant, B. との間で起こった論争を紹介する。まずCain が、クライエント(以後Cl と略す)の中には心理的成長の上でセラピスト(以後Th と略す)の非指示性が促進的でない場合にまで非指示性に拘るのはパーソン・センタードとは言えない、と論じる。それに対してGrant が、非指示性には道具的なそれと、原理的なそれとがあり、道具的非指示性がCain のようにCl の成長促進の道具として非指示性を活用するものであるのに対し、原理的非指示性はCl を尊重しているかどうかが焦点であり、原理的な方こそ、Client‒Centered Therapy(以後CCT と略す)の中心的な意義である、と主張する。それに対しCain は、Grant の言う原理的非指示性におけるCl への尊重という考え方は、Th という、いわば外側からの仮説に過ぎず、それが本当にCl にとって良いものかどうかは分からない、と批判する。これらの議論は、Cl の成長になるようにTh が対応を変えて対応すべきという主張と、Cl の成長をTh が判断するのではなく今のCl をそのまま尊重すべきという主張のぶつかり合いであり、CCT/PCT の本質を問うものである。両者の議論からは、こうした問いがPCT の今後も続く哲学的な大きな課題であろうことが示唆される。
著者
伊集院利明著
出版者
晃洋書房
巻号頁・発行日
2018
著者
村山 繁雄 齊藤 祐子 金丸 和富 徳丸 阿耶 石井 賢二 沢辺 元司
出版者
一般社団法人 日本老年医学会
雑誌
日本老年医学会雑誌 (ISSN:03009173)
巻号頁・発行日
vol.42, no.5, pp.483-489, 2005
被引用文献数
1

老化・痴呆の克服を目指し, 在宅高齢者支援病院と併設研究所が共同で, ブレインバンクシステムを構築した. 法的基盤としては, 死体解剖保存法18条と, 病院剖検承諾書をもとに行う, 共同研究を前提とした. 共同研究申し込みの内容に対しては, 論文審査と同様の守秘義務のもと, 外部委員による事前審査を行うこととした. 共同研究者の適格性については審査の上, 研究所協力研究員に委嘱するかたちをとった. 倫理面では, 病院・研究所及び, 共同研究先の倫理委員会の承認を前提とした. その上で, バンク管理者, 神経病理診断責任者, 臨床情報提供者が, 共同研究者となることを条件に, 共同研究を開始した. 標本採取には, 神経病理担当医が, 開頭剖検例全例に対し, 臨床・画像を判断の上, 採取法を決定した. 凍結側の脳については, 割面を含む肉眼所見を正確に写真に残し, 代表部位6箇所を採取, 神経病理学的診断を行った. 凍結については, ドライアイスパウダー法を採用した. 反対脳については, 既報通り (Saito Y, et al: 2004) 検討した. 現在までの蓄積は, 脳パラフィンブロック6,500例以上, 凍結脳 (部分) 1,500例以上, 凍結半脳450例以上で, 30件以上の共同研究を実行中である. 欧米のブレインバンクとはシステムは異なるが, その哲学である,「篤志によるものは公共のドメインに属し, 公共の福祉に貢献しなければならない」を共有する点で, ブレインバンクの名称を用いることとした. 依然として, 大多数の日本の研究者が, 欧米のブレインバンクに依存している事態の打開のためには, このシステムが市民権を得るよう, 努力していく必要がある. そのためには, 同様の哲学を有するもので, ネットワーク構築を行うことにより, 公的研究費を得る環境作りが必要である. ブレインバンクの重要性が人口に膾炙された上で, 患者団体との提携をめざすことが, 現実的と思われる.
著者
大林 信治
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集 社会科学篇 = THE NAGOYA GAKUIN DAIGAKU RONSHU; Journal of Nagoya Gakuin University; SOCIAL SCIENCES (ISSN:03850048)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.1-49, 2018-10-31

フーコーは若いときからニーチェを読み,戦後のフランスで支配的であった現象学や実存主義の意味付与的な主体の哲学の行き詰まりを打開するために,近代的主体の成立の出発点に遡り,ニーチェやハイデガーの目で「カントの人間学」を解読した。そこから「知の考古学」が展開されたが,1968年の「五月革命」を機に権力と直面したことから,改めてニーチェの系譜学を読み,「知と権力」の系譜学を展開した。さらに1978年フランス哲学協会で「批判とは何か」という講演を行ったとき,カントの「啓蒙とは何か」を取り上げ,ヨーロッパにおける「批判的態度」の成立を「統治」と「司牧的権力」の系譜の中に位置づけた。カントにおける「啓蒙」と「批判」の「ずれ」の問題は,フランクフルト学派によって「啓蒙批判」とか「理性批判」という形で展開されたが,フーコーはその問題を独自の仕方で「現在の存在論」ないし「われわれ自身の歴史的存在論」という形で「西欧近代の系譜学」を展開する。
著者
乙訓 稔
出版者
実践女子大学
雑誌
実践女子大学生活科学部紀要 (ISSN:13413244)
巻号頁・発行日
no.51, pp.27-34, 2014-03

J.H. ペスタロッチの81 年の生涯は、歴史上ヨーロッパの決定的な時期にあった。即ち、17 世紀より続く絶対主義の絶頂期から1789 年のフランス市民大革命と、革命の変質で台頭したナポレオン1 世覇権の戦いの時代であり、またナポレオン敗退の1815 年のウィーン会議を主導したオーストリアの宰相メッテルニヒに象徴される反動復古の時代であった。 一方、時代思潮は理性や悟性を至上とする啓蒙哲学の爛熟期にあり、青年ペスタロッチを捉えたのはロマン主義的啓蒙思想家J.J. ルソーであった。その後の彼の活動は、教会と癒着したチューリッヒの門閥貴族政治との対峙にあり、彼の諸著作もそうした現実との対峙から生まれた。 ペスタロッチの啓蒙思想は家父長主義に基づく理想的な立法者や教育家による法律や教育を通じて民衆を啓蒙するというスイスに典型なもので、その思想は彼の社会的な活動や数多くの著作において一貫している。特に、彼が論じた社会的・政治的問題は、すべて万人のために万人が平安に生きられる方策を論究することにあって、初期の代表作『隠者の夕暮』では「人間を卑しくするもの」としての政治社会と、「人間を高めるもの」としての教育が常にその対極として論究され、すべての人間を高める教育が貧富の差なく天賦の権利・人間の権利として把握されている。即ち、ペスタロッチにおける人間の権利・人権は、人間本性の気高い本質に淵源がある神聖な権利であり、それは神から永遠に与えられた現世における人間の幸福のためのものであって、その権利は市民的に陶冶された理性に従って要求されなければならず、社会的に自由で人間的に純化された啓蒙的意志に由来すべきものと考えられている。 ペスタロッチは、彼の教授論『ゲルトルートはどのようにその子どもたちを教えるか』において、「できることなら、すべての実際的な技能の基礎である自立の能力という点で、ヨーロッパの下層の市民を、南や北の未開人よりも劣らせている逆茂木に放火したい」と書き、「なぜなら、その逆茂木は……一人の人間の代わりに十人の人間を社会的な人間の権利である教育を受ける権利から、あるいは少なくともその権利を用いる可能性から締め出しているからである」と書いている。また、彼は憲法論『立法についての見解』で、「スイスのために国民教育を法律的に確かなものにすること」を論じ、後期の大著『純真者』では「ヨーロッパにおいては国民の教育が国家の福祉の第一の手段であると認識される」と述べ、「ヨーロッパが国民の能力を学校や居間において高めることを人類の権利として承認すべきである」と説いている。この国民教育を国家において法制化し、人類・人間の権利として承認すべきであるという思想は、人権としての教育理念として位置づけられるのである。
著者
五十嵐 靖博
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.27-31, 2008

本論文では第12回国際理論心理学会(ISTP)大会において発表された諸研究を紹介し、現在の理論心理学の動向を考察する。第12回大会では国境の壁や個別学問領域間の没交渉など、心に関する研究の発展を妨げるさまざまな「境界を越える」という公式標語のもとで、心理学史や心理学の哲学、批判心理学など、多様なアプローチからなされた心理学のメタサイエンス的研究が報告された。
著者
谷川 嘉浩
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.107-118, 2017

FD義務化を経て, 外来的なFDも日本国内に定着したように見える. しかし, 実際のFD実践・FD概念は多義的で錯綜しており, 交通整理を要する. 本稿では, FD概念を整理し, FDの根本目的を示した上で, それに適合的な思想を検討し, 効果的なFDの理論的条件を明らかにする. FDのミッションは「教育」であり, そこでは「柔軟な適応力」と呼べるような, 反省的探求を営む力の涵養が目指されている. 柔軟な適応力の内実を解明するために, 人間は現状に安定しない「未熟さ」があり, それが成長可能性を担保すると主張した, アメリカの哲学者ジョン・デューイの教育哲学を参照する. ここでは, 彼の「反省的注意」概念を検討し, その成果をアメリカの社会学者R. セネットのクラフツマンシップ論から捉え直すことで, FD活動それ自体が, 折り重なる反省的注意を大学全体に要求するような, 共同的な反省的探求の側面を持つことを示す. なお, 末尾では2017年度に義務化されたスタッフ・ディベロップメントにも一定の評価を行う.Faculty Development (FD) has become common in Japan. But it seems to be ineffective because the ideas of FD in Japan are lacking some holistic view. This paper aims at clarifying some theoretical conditions of the effective FD. The researchers have pointed out that its primary ends lie in education. I will define its educational ends in the light of the industrial world's need for FD. The capacity they need may be called the "power of the flexible adjustment", and this can be identified with the "reflexive attention" which John Dewey, an American psychologist, set up as the ends of his educational philosophy. According to his thoughts, I will elucidate some bases to develop reflexive attention which enables us to acquire the habits of reflexive inquiry. In The Craftsman, Richard Sennett, an American sociologist, insists that Dewey's philosophy has some practical implications. From his viewpoint, FD may be interpretedas the communal or cooperative craft of education that needs faculty members to have the reflexive regards for each. This view would imply the importance of having "a holistic view" by crafting the communities for FD.
著者
大町 公
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p1-10, 1991-03

かつて筆者は勤めから帰って、ぼんやりプロ野球の放送を聞いていた時、いまだ試合前であったろうか、元プロ野球選手であり、現解説者の坂東英二が何気なく、あるいはピッチャーとしての自らの過去を思い浮べながらであろうか、「男にとって実に辛いのは、自分の器を思い知らされる時だ。」といったようなことを言うのを聞いた。思わずドキッとし、くつろぎつつあった気持ちが一瞬にして冷えたことを覚えている。人の値打ちを批評する場合にはいとも簡単、面白おかしくやってのけるくせに、自分の本当の価値だけは人に知られたくない。いや、自分自身ではなおのこと知りたくない。人にはどうやらそんな心持ちがあるようだ。自分の器がいかなるものであるか。視点は異なるが、二十世紀スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセ(一八八三-一九五五)は『大衆の反逆』(一九三〇年刊)の中ですべての人間を「少数者」と「大衆」とに分類している。われわれはいずれに分類されているのか、自らを絶えず吟味しつつ、その論を辿ってみることにしよう。