著者
綾城 初穂
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.62-81, 2014

先行研究では,日本人キリスト教徒が「宗教」を語る際に,複数のポジション(ディスコース上の立ち位置)から「宗教」について矛盾した語りを行っていたことが見出されている。本研究では,この矛盾した語りに伴う葛藤に彼らがどのように対処しているのかを,ポジショニング理論によって検討することを目的とした。分析の結果,語りの時間的性質によってポジション間の矛盾を無化していることが見出された。また,個人的ポジショニングという「個人」を強調する発話行為によって,語り手が日本社会の「宗教」ディスコースのモラルオーダー(ポジションに付随するルール)に対処していることも見出された。個人的ポジショニングの検討から,この発話行為が語り手の固有性を指示することでモラルオーダーの効力の及ばない「聖域」を作り出すことが指摘された。現代社会において個人は,多様な文脈と単一の固有性とを同時に課せられている。それゆえ,多様なポジションが生じる語りの中で固有性を指示する発話行為として「個人」を捉えることは,現代社会の「個」の在り方を検討する上で有益と言えるだろう。
著者
舟木 紳介
出版者
一般社団法人 日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.33-42, 2005-03-31 (Released:2018-07-20)

1980年代後半以降,社会福祉専門職による「相談」は,社会福祉にかかわる実践のさまざまな分野においても,専門性を伴う行為として認識されるようになった.しかし,高齢者福祉政策における「相談」事業が拡大化する一方で,社会福祉専門職による「相談」は,専門職の公的制度化といった国家政策との関係性から論じられることはあまりなかった.本稿の目的は,社会福祉専門職による「相談」の言説が,高齢者福祉政策との関係において,どのような変遷をたどってきたかについて検討することである.とくに1980年代後半以降の在宅介護支援センターの政策展開における官僚行政を中心とした政策側と実践団体を中心とした実践側の「相談」の言説に注目した.これらの検討をとおして,社会福祉専門職の一機能にすぎなかった「相談」が社会福祉専門職の中心的業務としての「相談」に変化していく変遷を描くことを試みた.
著者
石川 雄章 吉沢 淑
出版者
公益社団法人 日本農芸化学会
雑誌
日本農芸化学会誌 (ISSN:00021407)
巻号頁・発行日
vol.48, no.6, pp.337-341, 1974 (Released:2008-11-21)
参考文献数
15
被引用文献数
1 5

清酒醸造における原料白米の洗米から蒸きょうに至る,いわゆる原料処理工程中の脂質の動きについて検討した. 脂質は洗米によって,SSに約1.1%含まれて流去されるが,これは白米中の粗脂肪の5.5%,結合脂質の0.4%に相当し,洗米用水によっても変動するが,ここでは無視できる量と考えた. 一方,蒸きょうすることにより,白米中の粗脂肪は45~75%に減少し,脂肪酸組成では,不飽和脂肪酸の比率が減少する.粗脂肪の減少は,加水分解により遊離した脂肪酸が一部揮発することによると推察される.
著者
藤原 勉 佐々 幸成 一色 泰
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.60-64, 1987-01-25 (Released:2010-11-26)
参考文献数
12

1. ホルスタイン種新生子牛5頭 (雌2頭雄3頭) を用い, 子牛の下痢に伴う電解質の損失を補うための経口補液投与の効果をみるため, シュークロース液投与による下痢を誘発した後経口補液を投与して血中電解質の濃度変化について調査し, 生理食塩水投与の場合と比較した.2. Ht値は下痢状態では有意に上昇したが, 経口補液の投与後は直ちに回復した. 血清中ナトリウム濃度は経口補液投与後有意に上昇したが, 生理食塩水投与後ではほとんど変化しなかった. 血清中カリウム濃度は経口補液投与後ほとんど変化せず, 生理食塩水投与時とほぼ同様であった. 血清中塩素濃度は生理食塩水投与後は変化しなかったが, 経口補液投与後では上昇する傾向にあった. 血清中マグネシウム濃度は経口補液投与後においても著しい変化はなかった.3. これらの結果から, シュークロース性下痢症では血中電解質の損失は少ないものの, 経口補液投与によって容易に補い得ることが明らかになった.
著者
千田 有紀
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.94, 2000

ジェンダーの意味にまつわる現代のフェミニズムの議論は、たいていの場合、何らかのトラブルの感覚に行きついてしまうと、著者はいう。しかしジェンダーの意味をひとつに決定できないことは、フェミニズムの失敗ではない。トラブルは、「女」という謎めいた事柄に関連させられたことであり、大切なのはトラブルを避けることではなく、トラブルに隠された秘密を暴き、うまくトラブルを起こすことである。このような意味が、本の題名には込められている。副題は、「フェミニズムとアイデンティティの撹乱」。セックス、ジェンダー、性的欲望と実践からなる一貫したアイデンティティや「女」という主体の存在に疑問を投げかけ、これらがいかに権力の法システムによって生産されるかを解き明かした、フーコー流社会構成主義の本である。<BR>構成は、第一章が「〈セックス/ジェンダー/欲望〉の主体」である。この章は『思想』にかつて翻訳された章で、本書の章のなかでもっとも有名な部分であり、基本的な分析の枠組みが述べられている。ここでは、生物学的なセックス、文化的に構築されるジェンダー、セックスとジェンダーとの双方の「表出」、つまり「結果」として表出される性的欲望のあいだに、因果関係を打ちたてようとする法システムに疑問が投げかけられる。その結果、法システムこそが、ジェンダー、そしてセクシュアリティ、さらにはセックスを生みだすのであって、セックスが、ジェンダーやセクシュアリティを生みだすのではないことがあきらかにされる。本書の主張は、この章に還元されるものではないが、やはりこの本の白眉であることは間違いない。<BR>第二章は、「禁止、精神分析、異性愛のマトリクスの生産」である。レヴィ=ストロースの構造主義にはじまって、フロイト、ラカンの主張が分析の俎上にのせられる。近親姦のタブーは、禁止することによって欲望を生み出す装置である。精神分析に関する分析がなされているぶん、家族社会学者には興味深い章だろう。<BR>最後に第三章、「攪乱的な身体行為」では、クリステヴァ、フーコー、ウィティッグまでもが、批判的に検討される。とくに男と女の対立を止揚するものとして「レズビアン」というカテゴリーをもちだすウィティッグに対する批判は、システムのなかで解放を語る難しさについて考えさせられる。
著者
戸田 康明
出版者
一般社団法人日本機械学会
雑誌
日本機械学會誌 (ISSN:00214728)
巻号頁・発行日
vol.61, no.468, pp.93-98, 1958-01
著者
抜山 四郎
出版者
一般社団法人日本機械学会
雑誌
機械學會誌
巻号頁・発行日
vol.37, no.206, pp.367-374, 1934-06-01
被引用文献数
4

金屬固體面より沸騰水に傳る熱量Qはそれ等の間の温度差ΔTが増加するに従つて漸次増加するが、或點に達するとΔTをこれ以上増せばQはかへつて減少する様になる。此點が表題に示すに云ふ傳達熱や極大値であつて本文に於ては實驗的に此の如き點の存在を證明し、1気圧のもとでは此點に相當するΔTは水温100℃に於て20℃乃至40℃に過ぎず、また此場合のQは30乃至50cal/cm^2 sec即ち1,080,000乃至1,800,000kcal/m^2 hrに達し之を100℃に於ける等値蒸發率で表はせば2,000乃至3,000kg/m^2 hrであつて從來考へられて居つたQの最大値より桁違ひに大なる事を示した。又極大値に對應して必ず存在するQの極小値(最小値に非ず)も求め且つ此等ΔTとQとの高温部に於ける關係曲線が金屬の燒入れ効果に關係ある事を述べた。
著者
鈴木 亘
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
巻号頁・発行日
no.257, pp.119-129, 1977-07-30
被引用文献数
1

1)康和2年(1100)および保元2年(1157)に再建された平安宮仁寿殿は, ともに母屋(桁行七間・梁行四間)の四面に庇を付けた東西九間, 南北六間の平面規模をもつ建物と推察される。このうち南・北両庇は孫庇の形式であり, 架構上, 仁寿殿は七間四面(桁行九間・梁行四間)の主屋に南・北両面孫庇を付けた形と考えられる。屋根は桧皮葺入母屋造りで, 特に四隅の庇は角庇の形式とし一段低い屋根をかけていたらしい。『大内裏図考証』に考定されている平安宮仁寿殿の規模, 形態は康和・保元両度の仁寿殿に大略認めることができるが, 母屋(桁行七間・梁行四間)部分の平面構成は後者と大分異なる。『大内裏図考証』には仁寿殿の母屋中央一間に南北行の馬道を考定している。しかし, 管見ではそれを裏付ける史料は認められなかった。むしろ平安後期の記録によると, 康和・保元両度の仁寿殿は母屋中央に桁行三間・梁行四間の広さをもつ大室がとられ, それを中心に母屋部分は東西に大きく三つの隔が構成されていたと考えられる。中央の大室は南面南庇との境に妻戸三戸, 東西両面に妻戸および連子窓(壁上連子), 北面に妻戸および壁をたてていた。また大室東側の母屋桁行二間・梁行四間部分は妻戸などをたて一室を構成していたと思われる。大室西側の母屋桁行二間・梁行四間部分は中央に方二間の室を設けていた。この室は南面に格子をたて, 北面を壁とする。方二間の室の南側二ケ間は観音供の本尊を安置した念誦堂と推定される。なお, 康和・保元両度の仁寿殿は母屋に天井を張っていた。また母屋の内部一間毎に柱をたてていた可能性がある。2)康和・保元両度の仁寿殿にみられる平面規模および形態は, 基本的に, 応和1年(961)再建の平安宮仁寿殿にも認めることができる。応和以後の平安中期に再建された平安宮仁寿殿の建築については資料を欠いている。ただし, 天徳以後の度重なる平安宮内裏の造営において殿舎の数または殿舎寸法の高大を減ずべきこと, あるいは造営の過差を制すべきことが議せられたのは長保3年(1001)罹災後の内裏造営の時である。平安宮内裏の建物には, その後の再建造営において規模の変更が伝えられるものがある。けれども, 仁寿殿については応和および康和・保元の各期の建物にほぼ同一の平面規模と形態が認められるので, 平安中期の仁寿殿は前期の規模, 形態をほぼ踏襲して再建されたと推測される。なお, 平安中期までの平安宮仁寿殿は母屋に天井が張られなかったらしい。