著者
青木 美香 桑村 充 小谷 猛夫 片本 宏 久保 喜平 野村 紘一 佐々木 伸雄 大橋 文人
出版者
社団法人日本獣医学会
雑誌
The journal of veterinary medical science (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
vol.60, no.10, pp.1087-1091, s・vii, 1998-10
参考文献数
30
被引用文献数
5

イヌの正常および腫瘍細胞に対するリコンビナントヒト腫瘍壊死因子α(rh-TNF-α)とアクチノマイシンD(ACT-D)による細胞障害性を調べた.rh-TNF-αは, 継代培養細胞であるイヌ腎癌細胞に対して濃度依存的に細胞障害性と細胞増殖抑制効果を示した.初代培養されたイヌの正常細胞に対する, rh-TNF-αのみによる細胞障害性はわずかであった.しかし, ACT-Dとの併用により, 正常な腎髄質, 脾臓, 心筋, 肺の細胞で細胞障害性が認められた.自然発生のイヌの腫瘍細胞に対するrh-TNF-αとACT-Dのin vitroにおける細胞障害性を調べたところ, 60%に感受性が認められた.特に, 乳腺の混合腫瘍と肛門周囲腺腫では, 実験に用いたすべての腫瘍で細胞障害性が認められた.今回の実験では, rh-TNF-αとACT-Dはイヌのある種の自然発生の腫瘍細胞に対してin vitroで細胞障害性活性を有することが示された.
著者
植松 正 UEMATSU Tadashi
出版者
京都女子大学史学会
雑誌
史窓 (ISSN:03868931)
巻号頁・発行日
no.64, pp.75-81,中扉1枚, 2007-02

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著者
杉本 卓洲
出版者
金沢大学
雑誌
金沢大学文学部論集. 行動科学科篇 (ISSN:02856514)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.77-93, 1985-01-30
著者
仲田 公輔
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.125, no.7, pp.40-63, 2016

ビザンツ皇帝レオン6世(在位886-912)は、帝国東方のアルメニア人有力者に対して交渉を持ち、彼らを利用して新たな軍管区の設置も行ったとされる。この政策はJenkinsらの従来の研究においては、9-10世紀にかけてのビザンツ帝国の積極的東方進出政策の文脈に位置づけられ、後の大規模な拡大の土台だと解釈されてきた。しかし本稿は、近年のHolmesやShepardが10世紀以降の「再征服」本格化の時期について行った、ビザンツ帝国の東方に対する一貫した戦略の想定を見直す研究に鑑み、その始点とされるレオン6世の政策の意義についても再考を試みる。その際に、従来は十分に議論されてこなかったアルメニア人勢力側の主体性にも着目し、彼らの動向のビザンツの政策への影響についても考察することで、新たに境域での両者の双方向的な関係性の実態の一端を明らかにすることを目指す。<br>そのため本稿では第一に、イスラーム勢力の動向や、アルメニア人有力者間の関係も視野に入れ、レオン6世期のアルメニアの状況・政治構造について整理して考察し、その中でのアルメニアの諸勢力の動向とその背景について議論する。その過程で、アルメニア人勢力側にも主体的にビザンツに働きかけうる状況が存在することも確認できる。第二に編纂物を中心とするギリシア語史料に目を向け、ビザンツ帝国がそのようなアルメニアをどのように位置づけていたのかを再検討する。そして最後にそれらを踏まえた上で、レオン6世期のアルメニア境域政策の個別事例の詳細について再検討し、ビザンツ=アルメニア境域における政治秩序の再編の実態を明らかにする。<br>こうした考察を経ることで、レオン6世の政策からは、ビザンツ帝国側が一貫して主導権を握っていたわけではなく、アルメニアの諸勢力が彼らの側の事情に基づいて帝国側に対して行う様々な働きかけを行い、それに対する反応として帝国側が対策措置を講じていくという、相互交渉の実態が明らかになるのである。
著者
森田哲至
出版者
日本橋学館大学
雑誌
日本橋学研究 (ISSN:18829147)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.5-32, 2011-03-31

昭和歌謡のヒット第1号となった『波浮の港』は、新民謡の1曲であった。新民謡とは、野口雨情、中山晋平等によって大正末期から昭和13年(1938年)頃までに起こされた文化運動による大衆歌謡のー形態である。西洋から入った民俗学的な気運を受けて、日本の土俗的な民衆の心持ちを民謡詩に表現した野口雨情、北原白秋等の詩人たちが、西洋音楽を学んだ中山晋平、 藤井清水等の作曲家たちに大きな影響を与えた。晋平や清水たちは、その影響を受けて民謡に興味を抱き、江戸時代からの伝統邦楽の三味線音楽やユリ歌唱の特色を五線譜に反映する作曲法を開発した。これらの詩人・作曲家によって、新民謡という日本歌謡に新たなジャンルが形成されたのである。当初、新民謡運動の歌手は、西洋音楽の教育を受けた佐藤千夜子や四家文子等の声楽家出身者であったが、日本の伝統音楽である邦楽や民謡を江戸時代から継承してきた日本橋葭町等の芸者たちが、次第に新民謡のレコード歌手として起用されるようになり、「鶯芸者」と呼ばれた。 日本橋葭町の芸者である二三吉や勝太郎たちは、民衆の力強い支持を得て「新民謡の歌手」および「流行歌の歌手」となって、古賀メロディーに代表される流行歌と大衆との聞の橋渡しと下支えの役割を担い、昭和歌謡の大きな礎石となった。彼女たちは、昭和歌謡の六十余年の長い歴史の中で、その礎を構築する時期に多大な貢献をしていたのである。
著者
矢向 正人
出版者
九州大学大学院芸術工学研究院
雑誌
芸術工学研究 : 九州大学大学院芸術工学研究院紀要 (ISSN:13490915)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.21-41, 2016

The aim of this paper is to examine the origins of hand clapping mainly in Western ancient history. Firstly, whether human hand clapping is instinctive or acquired a posteriori is argued with several examples by infant and primate. Secondly, the relationship between hand clapping and music observed in the archaeological remains of the ancient Near East is surveyed. Thirdly, applause in the documents written in the ancient Greece is examined. In addition to the judgment of the right or wrong for applause by Plato's aesthetics and Epictetus philosophy, the Spartan election with acclamation is surveyed. Fourthly, based on these results, variety and organization of applause in the documents written in the ancient Roman age are discussed. Especially, custom of the applause in the audience with dictator or emperor, applauders in theater or courtroom, Cicero's view on the relationship between eloquence and applause, and the professional applauders with three cheerleading sections organized by Nero are chiefly examined. Finally, the examples of hand clapping described in the Old Testament are surveyed.
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.43-48, 1992-03-31
被引用文献数
1

江戸時代後期に越後柏崎で行なわれた茸狩を例に,近世地方都市の行楽のありようを考察する。近世の中小の都市ではわらび取りや鮎すくいといった採取形態の行楽が広く行なわれたが,茸狩もその一つである。茸狩の場所は町周辺の丘陵地帯で春の野遊びの場であることが多い。茸の季節には家族や友人が連れだって茸狩に出かけ,子供も参加した。とった茸は食料であるばかりでなく,贈答品となり,またゲームの戦利品ともみなされた。このゲームとしてのおもしろさが人々を茸狩にかりたてたと考えられる。また茸狩は時として遊宴をともない,都市と農村との交流の機会になることもあった。
著者
高木 宏 遠山 三樹夫
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育学部理科教育実習施設研究報告
巻号頁・発行日
vol.4, pp.11-20, 1987-03-25

伊豆半島の天城山において,34の調査区を設定し,植物社会学的な調査を行なった。それらの種類組成を比較検討した結果,天城山のブナ群落は,(1)ブナースズタケ群集,(2)ブナーコアジサイ群集,(3)ブナーモミ群落の2群集1群落にまとめられた。(1)ブナースズタケ群集は,種類組成が単純で,天城山の戸塚峠以西の海抜900〜1200mに多く見られる。この群集は,アマギザサを識別種とするアマギザサ亜群集とそれを持たない典型亜群集に下位区分された。(2)ブナーコアジサイ群集は,アセビ,コアジサイ,コミネカエデ,イトスゲなどをもつことによって,ブナースズタケ群集とは区分できる。本群集は,天城山の主峰,万三郎岳を中心とする海抜1200m以上に分布し,トウゴクミツバツツジ,アズマシャクナゲをそれぞれ識別種とする,トウゴクミツバツツジ亜群集とアズマシャクナゲ亜群集及び,それらをもたない典型亜群集に区分された。(3)ブナーモミ群落は,林床にモミ,オシダ,フジシダが出現するブナ林で,カワゴ平の軽石地帯のみに見られた。この群落は,ブナーコアジサイ群集とその下部に位置するモミーシキミ群集との移行帯に見られる群落と推定される。天城山のブナ林は,アセビ,ヒメシャラ,イトスゲなどが多く,丹沢山地のヤマボウシーブナ群集とは,その標徴値とされているヤマボウシ,サンショウ,イヌシデ,ヨグソミネバリ,ハリギリなどがほとんど出現しないので,別に区分した方がよいと考える。また筆者は,林床にササが密生することによって,その組成が著しく単純化したブナ群落に対して,ブナースズタケ群団の典型群集としてブナースズタケ群集を認めた。この群集は,天竜川上流において最初に報告された鈴木時夫(1949)のブナースズタケ群集の中核をなす部分に相当するので,この鈴木の命名を尊重した。さらに,ブナーコアジサイ群集については,箱根のアセビーリョウブ群落及び,イトスゲーリョウブ群集に,立地,種類組成的にも類似していることから,この群集は,丹沢山地のヤマボウシーブナ群集より一歩環境のきびしい条件下に成立する群集ではないかと考えられる。ブナースズタケ群集,ブナーコアジサイ群集は,ブナースズタケ群団,ブナーササオーダー,ブナクラスにまとめられる。ブナーモミ群落についても,その組成から同様の上級単位に属するものと考えられる。