著者
岩田 重雄
出版者
日本計量史学会
雑誌
計量史研究
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.5-9, 1979
被引用文献数
9
著者
鎌田 さゆり
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1283, pp.172-175, 2005-03-14

2003年11月の衆院選で民主党候補として宮城2区から2度目の当選を果たしたのですが、その年の12月9日に共に選挙を戦った連合宮城会長代理(当時)の恵美須(浩司)さんらが公職選挙法違反容疑で逮捕されました。 選挙期間中に有権者に電話をかけて支持をお願いするのに、電話かけを請け負った会社に対して報酬を支払っていました。
著者
金子 順一 堀尾 健一郎
出版者
公益社団法人 精密工学会
雑誌
精密工学会学術講演会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.586, 2005

5軸制御加工における工具姿勢の決定に際しては,工具軸と被削物·把持具との干渉の回避が必須となる.従来,この対策として,切削工具が取りうる工具姿勢の範囲を幾何演算によって求めるC—Space法が提案されている.本研究では,この幾何演算を,近年高速化·多機能化が著しいグラフィックスハードウェアの機能を用いて行う手法を提案する.これにより,高速な工具姿勢の決定が可能になると期待される.
著者
岩井 茂樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.45-67, 2020-11

本稿は、明治末期から大正時代にかけて増加した笑った写真(本稿では「笑う写真」とした)の誕生と定着過程を明確にすることを目的としたものであり、そこで重要な役割を担った雑誌『ニコニコ』の特徴について論じたものである。 従来、「笑う写真」の定着過程については、石黒敬章などによって、おおよそ大正時代のことであったということが指摘されてきたが、その原因についてはほとんど考察されることがなかった。 しかしながら、本稿では1911(明治44)年に、ニコニコ倶楽部によって創刊された雑誌『ニコニコ』が「笑う写真」の定着過程に大きな役割を担ったことを証明した。この雑誌には、従来なかったような特徴があった。その一つが「笑う写真」の多用である。口絵はもとより、本文中にも「笑う写真」を多数配していたのである。また1916(大正5)年時点での発行部数は当時もっとも多く発行されていた『婦人世界』に次ぐものであり、また図書館における閲覧回数も上位10 位内に入るほど広く読まれた雑誌であった。 この雑誌の発刊に尽力した中心人物は当時、不動貯金銀行頭取をしていた牧野元次郎という人物であったが、彼は大黒天の笑顔にヒントを得て「ニコニコ主義」という主義を提唱し、それを形象化するために雑誌『ニコニコ』に「笑う写真」を多数掲載したのである。大黒天の笑顔を手本にし、皆が大黒様のような笑顔になることを、牧野は望んだ。国民全員がニコニコ主義を信奉し、実践することによって、国際的な平和と、身体の健康、事業の成功(商売繁盛)を実現しようとしたのである。『ニコニコ』は好評を博し、大衆に広く受け入れられた。その結果、「笑う写真」が誕生し、急増した結果、大正時代になって「笑う写真」が普及したのである。 本稿によって、雑誌『ニコニコ』の特徴が示され、その普及程度が具体的な数値や言説を用いて推定されたとともに、この雑誌が「笑う写真」に及ぼした影響が明確になった。
著者
加藤 泰紀
出版者
日本体育大学
雑誌
日本体育大学紀要 (ISSN:02850613)
巻号頁・発行日
no.51, pp.1023-1036, 2022

ネパールにおけるスポーツの開発の枠組みは,大きく3種類に区分できる。第1にスポーツ評議会によるもので,ナショナルチームの指導や一般への普及を目的としている。第2に警察を中心とした武道(柔道,空手)の普及,そして第3に学校での体育科教育である。そして,いずれも日本政府は,積極的に支援に介入してきた。ネパールの学校体育の普及は,1971年に始まった「国家教育体制(5カ年)計画」の中で重視されるようになった。しかしながら,体育を教科の中に位置づけても,実際に体育・スポーツを教えることのできる教師がいないというのが実情であった。そして,その対策の一環として,ビレンドラ・シールドがあった。ビレンドラ・シールドとは,中・高校生のスポーツの集い(日本の高校総体に相当)で,陸上競技とバレーボールが実施されていた。郡大会,地区大会,全国大会と続くこの競技会は,当時の青年海外協力隊の支援なしでは,実現が困難であったと言っても過言ではない。本稿は,1980年代,ビレンドラ国王の名のもとに開催されていた,ビレンドラ・シールドについて,スポーツの開発と国際協力の視点から考察するものである。この競技会は,もちろんネパールの国が主導ではあるものの,日本政府は青年海外協力隊の体育隊員による器具・用具の物質的な援助や,コートの作りかた,審判など大会運営の技術的な支援をも行い続けた。そして,体育隊員のチーム派遣,すなわち各開発地区(当時は5開発地区)教育事務所への配属や,広範囲にわたる地方の小中学校への理数科教師の大量同時派遣が大きく関係していた。本稿では,当時の情報を記述式インタビューによって収集し分析した。その結果,例えばスポーツのルールが勝つための言い争いの材料となっていること,カーストによる差別などが指摘された。その場合,日本人という外国人が関わることで仲裁となり,円滑な競技進行へとつながった。ゆえに,スポーツの開発は,政府レベルといったトップでは体育・スポーツの専門家が,学校現場といった草の根レベルでは,日本の学校やスポーツ教室などでのスポーツ経験者が積極的に関与することで効果的に実施できることが明らかとなった。したがって,スポーツの開発は,単にスポーツの専門家のみで実施するのではなく,日本においてスポーツを経験してきた人たちのサイドワーク的な協力を得ることが重要であると言える。ビレンドラ・シールドそのものは,ネパールの民主化により継続が困難となり消滅してしまった。しかし,当時,この競技会に出場した生徒の多くは,後にネパールスポーツ評議会の一員となり,今日のスポーツ界をリードする存在となっている。
著者
熊谷 敦史 大津留 晶 SERIK MEIRMANOV 伊東 正博 SAGADAT SAGANDIKOVA DANIYAL MUSSINOV MAIRA ESPENBETOVA
出版者
長崎大学
雑誌
長崎醫學會雜誌 : Nagasaki Igakkai zasshi (ISSN:03693228)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.363-366, 2006-09

旧ソビエト連邦カザフスタン共和国のセミパラチンスク核実験場では1949年から1989年まで(1965年以前は地上核実験)計470回ともいわれる核実験が行われた。この地域では約160万人を超える人々が今なお生活を営んでいるとされ,健康影響の調査や支援が必要とされている。さらに1991年の旧ソビエト連邦崩壊による社会基盤の瓦解により一般的なこの地域への医療支援の必要性が高まっていた。1997年の国連総会における同地域への支援決議(169号)を皮切りに日本政府も支援に乗り出し,長崎大学も広島大学などと共に2001年からJICA(国際協力機構)の事業として旧ソ連カザフスタン共和国のセミパラチンスク核実験場周辺地域で癌検診をはじめとして細胞診・病理診断指導などの医療協力を行ってきた。甲状腺はその組織の特性から,放射性ヨウ素の取り込みによる内部被曝の危険が高く,放射線被害による発癌の危険性が高い臓器の一つとされている。実際に,甲状腺癌は日本人被爆者において増加を示し,1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後には周辺地域で特に小児甲状腺癌が急増した。甲状腺乳頭癌(PTC)の成人例において,特異的かつ高頻度(3〜6割)の遺伝子異常として近年BRAF遺伝子点突然変異(BRAF T1799A)が報告され,遠隔転移や放射性ヨウ素内照射療法への抵抗性との相関性などから予後不良群の指標として注目されている。
著者
圓入 智仁
出版者
日本社会教育学会
雑誌
社会教育学研究 (ISSN:21883521)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.1-10, 2019

<p>  This research paper aims to elucidate the educational philosophy of Scouting posited by Goto Shinpei, the first Chief Scout of Japan. In particular, his understanding of the Scout Movement, his thinking about the difference between school and scout education, his self-government theory in scout education, and his idea of applying the theory to adult education are considered. </p><p>  Scout documents included in Goto Shinpei's documents are mainly used in this paper. These scout documents had been kept by a relative of Goto Shinpei before World War II, and were thought to be long missing until recently. Consequently, no prior research has referred to them. </p><p>  Goto Shinpei actively gained knowledge on the theory and practice of scouting, and he gave lectures on scouting across the whole country. He insisted on the need for scouting activities, distinct from school education; this was to be consistent with his cultivation of the autonomous spirit, a concept he had long advocated. Goto Shinpei's idea, "Ethics Movement of Politics" was the application of education on self-government in scouting to adults.</p>