著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.38, pp.315-348, 2008-09-30

和辻哲郎(一八八九―一九六〇)の『ニイチェ研究』(一九一三)は、彼の哲学者としての出発点をなす書物であり、同時に、日本における初めてのまとまったフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Willhelm Nietzsche, 1844-1900)の研究書として知られている。また、そこに示された考え方は、その後の彼の歩みに、かなりの意味をもつものとなった。
著者
佐藤 嘉一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.35-44,129, 1986-06-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
12

日常経験、日常知、日常生活を改めて見直す動きが、近年社会学、哲学、言語学などの諸専門的学問分野で盛んである。社会学の分野では、とくにエスノメソドロジー、象徴的相互作用論、現象学的社会学などの<新しい>社会学が日常生活を問題にしている。本稿で問題にしている事柄は、次の三点である。一、 社会学の内部で日常経験の世界に関心をむけさせる刺激因はなにか。日常経験へと志向する社会学が<新しい>と呼ばれるのはなぜか。日常経験論とシステム理論とはどのような問題として相互に関連するのか。二、 一で明らかにした<科学の抽象的現実>と<生活世界の具体的現実>との<取り違え>の問題を、シュッツ=パーソンズ論争を例にして検討する。三、 ルーマンのシステム理論においても、<科学の自己実体化>の角度から二の問題が論じられている。ルーマンの論理を検討する。
著者
Taslaman Caner
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
no.22, pp.77-101, 2007-03-20

本稿では、「テロterror」と「ジハードjihad」という2つの言葉がいかに誤った用いられ方をしているかを示し、そこでのレトリックが、異なる立場の人々の間の意思疎通の形成を阻害している事実を明らかにする。ここでの「レトリック」の意味は、主に政治的な目的に資するために、言葉を恣意的に用いることをいう。そもそも「権力」は、言葉の使い方を規程することを通じて、その力を行使する。そのゆえ、ここでは、言葉の使い方に現れるこの現象を、哲学的な観点から考察する。戦争に対するコーランの考え方については、倫理的な観点から考察する。コーランからえられるいくつかの重要な原則を提示する。また、同じく、個人的利益、誤解、伝統の影響、政治的な必要性などが、コーランを誤解させ、誤った解釈に導く原因となってきたこと、また、ハディースやファタワーによって覆されてきたことを示す。加えて、世界平和のために哲学が果たすべき役割についても、言及する。
著者
中村 大介 Daisuke Nakamura
雑誌
関西学院哲学研究年報 (ISSN:02892928)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.41-59, 2008-03-10

3 0 0 0 OA 新情念論序説

著者
長谷川 三千子
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1973, no.23, pp.162-173, 1973-05-01 (Released:2009-07-23)
参考文献数
10
著者
加藤 篤子
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.43-63, 2009-03

本論考ではハイデッガーのDenken、つまり「存在を思索する思考」に対するハンナ・アーレントの批判的観点を、哲学的範囲で考察してみたい。アーレントは周知のように生涯にわたり大哲学者ハイデッガーの哲学的弟子であり続けた。事実、ハイデッガーの80 歳(1969 年)に寄せた文では、アーレントは、ハイデッガーの思考に称賛と敬意を捧げている。存在の思索こそをハイデッガーの生来の住処とみなし、20 世紀の精神的相貌を決定するに与ったのはハイデッガーの哲学ではなくて、その純粋な思考活動であるとする。したがってそこではアーレントの批判的観点は明らかではない。 しかしアーレントの没後、70 年代後半に刊行された『精神の生活』の「思考」の巻において、ハイデッガーの思考に対するアーレントの批判的観点が明確に浮上する。『精神の生活』はカントの批判哲学の新たな解釈なのだが、それに依拠してアーレントはハイデッガーの思考における「意味と真理の混同」を問題視する。そこに基本的仮象と誤謬があるとする。アーレントによればその根拠は精神と身体を持つ人間の逆説的な存在にある。In this paper, I try to clarify Hannah Arendt's criticism of Heidegger's "Thinking"(Denken), which is the elemental activity of his Philosophy. It is well known that she remained a student of Heidegger's all her life. She did honor to Heidegger and appreciated his "Being-Thinking"(Seins denken)on his 80th birthday in 1969. She doesn't seem to have been critical at that time. In fact, Arendt criticized Heidegger clearly in her final work, The Life of the Mind, in "One/Thinking", which was published posthumously in 1975. On the basis of Kant's Philosophy, she problematizes Heidegger's confusion of 'Meaning of Being' with 'Truth of Being'. She says "the need of thinking is not inspired by the quest for truth but by the quest for meaning." Therefore, from Arendt's point of view, there is a basic fallacy in Heidegger's "Thinking". As the ground of Heidegger's confusion, Arendt points out that the human being, itself, is conditioned by both the body and the mind, paradoxically.
著者
原田 真喜子 渡邉 英徳
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.244-251, 2014-09-12

本研究では、ブレインストーミングにおける情報の発散と収れんを円滑にすることを目的に、論文・哲学用語・プレスリリース・Twitter・書籍の横断検索が可能なコンテンツを制作する。本作品は、検索結果から特徴後を抽出し、検索リソースごとに分類して提示し、さらに、感情メタデータの反映と、ユーザによって検索結果を分類・削除する機能を持つ。ワークショップでこれらの手法の効果を検証するユーザアンケートを行った結果、新規情報の発見と議論の拡散に効果があることが示された。