著者
長岡 一朗 三浦 清之 上原 泰樹 笹原 英樹 清水 博之 太田 久稔 後藤 明俊 重宗 明子 小牧 有三 大槻 寛
出版者
北陸作物・育種学会
雑誌
北陸作物学会報 (ISSN:03888061)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.6-9, 2015-05-30 (Released:2017-03-27)
参考文献数
1

水稲新品種「夢の舞」は,北陸では早生に属する粳種で,同熟期の「ひとめぼれ」に対して多肥条件で1割程多収であり,いもち病圃場抵抗性は葉いもち,穂いもちともに「やや強」,障害型耐冷性が「極強」である.
著者
住谷 裕文
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第I部門 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.27-47, 2012-02-29

第4回は1867年刊行の英文ガイド("The Treaty Ports of China and Japan")の横浜篇を扱う。横浜は開国後,江戸にもっとも近い港として,日本の発展に大きな役割を果たしてきた。横浜は開港にあわせて建設された居住地であり,1636年鎖国令下,ポルトガルとの交易のために築造された長崎の出島に似ていたため,外国人の中にはその二の舞になるのではと不安を覚える者も多かった。そうした中で外国人居留民と幕府,さらには明治政府とのねばりづよい交渉を通して,今日の横浜は形成されていった。横浜の発展は,日本の発展そのものを象徴し,また長崎とは違って,新しい日本を切り開く力はここからあふれ出た。 それと同時に,ガイドブックに記載はないが,つぎの事実にも我々は目を向けておかなければならない。横浜に真っ先に乗り込んできた商社の中に,ジャーディン・マセソン商会がある。これは中国のアヘン戦争を策動し,デント商会とともに中国のアヘン市場を独占した。日本の開港とともに長崎・横浜に進出し,横浜では居留地の一番館(英1番館)を占め,長崎では支店のグラヴァー商会が,薩摩・長州と深い関係を結ぶにいたっている。ハリスによって結ばれた修好通商条約によって,日本へのアヘンの輸入は封じられたが,こうしたことも頭に入れて,ガイドブックの中身を考えていかなければならない。ところで,町としての横浜には歴史がなく,ガイドブックの記述は生彩を欠く。それを補うように付け加えられているのが,鎌倉である。古都の京都・奈良の解説はサトウの1881年版の「中部北部日本案内」まで待たなければならないが,ヨーロッパ人旅行者が江戸に近いかつての首都鎌倉に見ていたものは,本ガイドブックにもよく感じられる。しかも横浜とセットになることで,不思議な魅力を醸し出している。構成から見ても,江戸篇の直前に鎌倉を置いているのは悪くない。 ところで「横浜篇」でもっとも我々の関心をひくのは,遊郭「岩亀楼」にかかわってフォーチューンが述べた,その言葉の引用であろう。日本についての本ガイドブックは,西欧文明が日本にそそぐまなざしそのものであり,その後のガイドブックとくらべて,学術的な厳密さを欠くとしても,観察者の率直な視線がつよく感じられる。なおこの遊郭と風呂の習慣についての指摘は,次回以降に考察を加えたい。The second chapter of this guidebook treats the most promising port of Japan, which finds itself within easy reach of Edo (the ancient Tokyo). There was no interesting historical monument here, except the ancient temples of Kamakura, a former political capital in its suburb. However, there was much trade. Many famous companies and banks in Asia rivaled one another to do business in this city, including Jardine Matheson & Co., Dent & Co., Walsh Hall & Co., etc. We will look at the development of exchange of the new occidental partner of East Asia through the growth of this newly built settlement.
著者
小西 達夫
出版者
国立科学博物館
雑誌
筑波実験植物園研究報告 (ISSN:02893568)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-51, 1999-12

最近,野生植物の生存が脅かされ,その繁殖と保存が望まれている。しかしながら,現状は生殖様式など基本的な問題すら不明なものが多く,その解明や保存法の確立が急務である。ヒスイカズラStrongylodon macrobotrys A. Gray (2n=28)はフィリピン諸島の限られた熱帯降雨林にしか自生しないマメ科の蔓性木本植物で,自生地では環境の悪化により絶滅が危惧されている。わが国には1964年頃より植物園などに導入されている。しかし,温室内での自然結莢は皆無であったことから,生殖様式を解明し,人工受粉ならびに組織培養技術による繁殖と保存法を進めた。主な結果は下記の通りである。1.本研究に供試したヒスイカズラは,シンガポールから東京大学理学部附属小石川植物園に導入された苗を母本とする挿し木苗の分譲を受け,筑波実験植物園熱帯降雨林温室内に植栽された株(TGB. ace. no. 33040)である。これまで,毎年開花するが,全く不結莢であった。2.花器構造ならびに花粉稔性などについて詳細に観察した結果,不結莢の原因は生殖器官の形態的異常によるものでは無いことを明らかにした。3.人工受粉を行って,受粉前と後の柱頭について詳細な組織・形態学的調査を行い,その結果結莢に成功した。特筆する点は,(a)開花時の柱頭周辺部には花粉が到達しているが,(b)柱頭先端部にはパピラ間より浸出したと思われるドーム状構造をしたクチクラ層が存在し,花粉のパピラへの接触を妨げている。この観察結果より,(c)柱頭先端部を指で突くことによりドーム状構造のクチクラ層を破壊し,花粉をパピラに到達させたことである。4.受粉が成立するためには,柱頭先端部のドーム状構造の破壊が不可欠であると考え,パピラに損傷を与えずにドーム状構造層を破壊し,花粉をパピラに到達させるトリッピングによる人工受粉法を考案した。この人工受粉法により結莢を得た。5.以上の結果,ヒスイカズラの自然条件下での結莢には,送粉動物が深く関与していると推察された。そこで,比較的自然に近い生態系を再現したミニ生態系モデル施設である長崎バイオパーク園内の熱帯館に,ヒスイカズラを植栽したところ,送粉動物による自然結莢が起こり,莢内の種子は発芽し次代植物が得られた。送粉動物として,同施設内に放飼されているヒインコが関与した可能性が高いと推察された。このことはヒスイカズラの種子繁殖にとって生態系を維持することの重要性を示唆する。さらに,これらの事実は,ヒスイカズラの受粉生態学に員献するものと考えた。6.ヒスイカズラの早期落莢は,胚珠内の胚の発育過程が正常に進んでいたことから不受精による結果ではないことが判明した。7.人工受粉で得られた種子は,採り播きですべて発芽したが,実生個体には約28%の高頻度でアルビノ個体が出現した。このことから,ヒスイカズラが自然にあってヘテロ個体として適応性を高めていたと推察された。したがって,ヘテロ性を維持させるために他家受精を可能とする自然環境下での送粉動物の必要性が強く示唆された。8.人工受粉により得られた個体は播種後4年目に開花し,これまで15株が開花した。花色を調査したところ,親より濃い個体が3,親と同色の個体が8,親より淡い個体が4に分離した。この結果,本実験に供したヒスイカズラが次代で遺伝的変異を生じ得るへテロ個体であることを示した。このことから,種子繁殖により,園芸的にも価値のある個体の選抜育成が可能であることが示された。9.組織培養はヒスイカズラの苗の生産にとって有効な手段であることを明らかにした。胚珠・胚培養では,落莢胚珠内の接合期,球状胚および若い子葉胚を含む胚珠の培養をMS培地(Murashige and Skoog 1962)で培養し,胚珠の発育には成功したものの発芽種子を得るには至らなかったが,落莢胚の救済の可能性を見出した。10.裂開前の莢より得た種子を無菌水のみで培養したところ,すべて発芽し,幼苗を得た。この幼苗は継代培養をしないでも子葉が肥大成長し,蔓も著しく伸長し,2年間以上生存し続けた。このことから継代培養を繰り返すことにより,さらに長期保存が可能であることを示した。以上の方法は短命種子であるヒスイカズラの繁殖と保存にとって,極めて有効であると考えた。また,種子からの幼苗育成法は自生地への復元作業を行う上で,極めて効率的であると考察した。以上,本研究におけるこれらの結果は,ヒスイカズラのみならず,他の絶滅危惧植物の繁殖と保存にとっても多くの情報を与えるものと確信した。
著者
加藤 裕治
出版者
関東社会学会
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.13, pp.97-108, 2000-06-05 (Released:2010-04-21)
参考文献数
33

This paper deals with the development of the modern mode of news reporting by newspapers in the early Meiji era. It has been said that modern news can be characterized by its “actuality”, which means that news should report “facts” themselves on the spot. Complete pursuit of “actuality”, however, would render the news itself impossible, because “facts themselves” cannot be defined in principle. How did new-born modern newspapers in the Meiji era break this bottleneck? To explore this question, I analyze several newspaper articles on two murders in this period that indicate different attitudes towards “facts”. In conclusion, I point out that an actual resolution of the impossibility of news at that time was to appropriate texts written by “others”, such as testimonies in the court, as “facts”.
著者
小山 清男
出版者
日本図学会
雑誌
図学研究 (ISSN:03875512)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.51-54, 1999-03-01
参考文献数
6
著者
忍岡, やつかれ
出版者
泉長兵衛
巻号頁・発行日
1708

忍岡やつかれ作、奥村政信画。浮世草子。宝永5年(1708)江戸泉長兵衛刊。宝永5年2月に没した元禄歌舞伎の名優中村七三郎の死を追善して、各巻3話計15話の七三郎の艶福的逸話を集めたもの。死後一月後の出版で即席的感はあるが演劇資料としての資料的価値は高い。複製本に『大東急記念文庫善本叢刊 近世篇2(浮世草子集)』(1976)がある。(岡雅彦)

2 0 0 0 OA 群書類従

出版者
巻号頁・発行日
vol.第331-332,
著者
大清水 岳史 井龍 康文
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.108, no.5, pp.318-335, 2002-05-15 (Released:2008-04-11)
参考文献数
34
被引用文献数
11 11

沖縄本島中部の勝連半島沖の島々には,主に第四紀更新世のサンゴ礁性堆積物よりなる琉球層群が分布する.本層群は,砂質石灰岩・石灰質砂岩よりなる上部鮮新統~下部更新統の知念層を整合関係で覆う.調査地域の琉球層群はその主体を占める与勝層と,それを不整合で覆う港川層より構成される.与勝層は5つのユニットの累重体であり,個々のユニットは低海水準期の浅海相であるサンゴ石灰岩から高海水準期の沖合相である石灰藻球・Cycloclypeus-Operculina・砕屑性石灰岩へと上方深海化する整合一連のシーケンスよりなる.本層の分布高度は125mに及び,層厚は30mに達する.港川層は主に淘汰のよい砕屑性石灰岩より構成され,サンゴ石灰岩を伴う浅礁湖の堆積物である.港川層は伊計島と津堅島に広く分布し,その層厚は約30mであるが,分布標高は40mを超えない.現時点では両層の地質年代は不明である.
著者
桐山 信一 Nobukazu KIRIYAMA
出版者
創価大学教育学会
雑誌
創大教育研究 (ISSN:21851395)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-14, 2013-03-20

要約\n\n 福島における子どもの甲状腺検査結果(平成23・24年度)が報道され,ガン患者が一人見つかった。甲状腺異常のデータ(結節・嚢胞などの症状)を統計的に比較すると,平成24年度が23年度に比べて有意に増加していた(p<.001)。また,質的には5mm 以上の結節の出方で,過去に実施された長崎のデータに比べ,福島のデータには次の違いが見られた。\n(長崎:0,福島(H23):0.93,福島(H24):1.14;N=250換算)\n\n\n したがって,原発事故直後に福島の子どもたちが放射性ヨウ素による甲状腺被爆を受けた可能性が強く疑われる。また,甲状腺異常(特に大きな結節)が増加していることから,今後その中から悪性の甲状腺癌が発生する確率が高まるだろう。したがって,事故後4年以内では,甲状腺異常の出方に注目する必要がある。甲状腺検査データは,今まさにリアルタイムで起こっている危機的事象を示す貴重な資料であり,科学教育の題材としても重要なものである。\n\n\n The thyroidal inspection data (2011, 2012) of the child in Fukushima were reported in nets.One cancer patient was found in that. As a result of our analysis, the thyroidal abnormal cases(nodule, cyst) of 2012 were significantly increased statistically in comparison with those of 2011 (p<.001). For the nodule (5millimeters and further), a difference was seen in data of Nagasaki\ncarried out in the past and data of Fukushima. Therefore, children of Fukushima were more likely to expose to radiation in thyroid gland with the radioactive iodine just after the Fukushima nuclear plant accident. And because thyroidal abnormality continues increasing, it is thought the probability that thyroid cancer produces will rise in future from the abnormality\nincreased. Therefore, it will be necessary to pay more attention to thyroidal abnormal increase after an accident within four years. The thyroidal inspection data are right valuable documents indicating a critical phenomenon caused in real time now. It is important to use data of Fukushima for science education.
著者
清水 政明 Le Thi Lien 桃木 至朗
出版者
京都大学東南アジア研究センター
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.149-177, 1998-09

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。