著者
家永 遵嗣 水野 圭士 林 哲民 タトヤン ディミトリ 小口 康仁 野里 顕士郎 熊谷 すずみ 安達 悠奈
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.17, pp.157-189, 2019-03

標題の史料を翻刻・提示し、主な問題点三点について解説した。 第一に、清原良賢が足利将軍家に奉仕するようになる契機が、持明院統の皇位継承争いのなかで、義満が良賢を後円融上皇・後小松天皇の支持者として固定しようとしたことにあったこと。第二に、標題の史料から、永徳元年に義満が編成した家政機関の政所別当一五名・侍所別当一〇名を特定でき、弁官系諸家を糾合することで崇光上皇の院政を阻止する布石であったとみられること。第三に、成立期の「室町殿」に「障子上」「侍所」が設けられていたことから、室町殿における公卿の家礼と殿上人の家司との意思疎通と連繫が窺い知れること。以上、標題の史料の重要性について解説した。|These three documents are related to Ashikaga Yoshimitsu's "Ninnkai Daikyou," a celebration banquet for taking up the third ministe "NaiDaijinn," in Eitoku 1(A.D. 1381). From these three documents, we can know about Ashikaga Yoshimitsu's "Kugeka," becoming a ruler over the royal court. In those days, the "Hokucho" royal court was struggling for the royal throne. One was a descendant from Gokougonn Tennou, the other was Sukou Jyoukou, the elder brother of Gokougonn Tennou, and his son Yoshihito. Ashikaga Yoshimitsu was a nephew of Gokougonn Tennou. Therefore, Ashikaga Yoshimitsu supported Goennyuu Tennou, the son of Gokougonn Tennou, in cooperation with Nijyou Yoshimoto, a man of power in the "Hokucho" royal court. In preparing the "Ninnkai Daikyou" banquet, Yoshimitsu took talented court nobles as his manservants, such as Kiyohara Yoshikata, the original author of "Shoninndaikyouki". Therefore, Sukou Jyoukou lost his power in the royal court. Then Gokomatsu Tennou, son of Goennyuu Tennou, was able to take the throne in Eitoku 2(A.D. 1382). These three documents reveal 25 people who bacame Yoshimitsu's manservants. A transcriptor commented on each person's kinship and the relationship between each person and his masters. And these three Documents reveal the location of the "Shoujinoue" and "Samuraidokoro," the offices of the manservants, in "Muromachidono," the palace of Ashikaga Yoshimitsu. They suggest the way in which Yoshimitsu came to understandings with his retainers.
著者
ヤン ジョンソク 篠原 啓方
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』
巻号頁・発行日
pp.143-159, 2012-03-01

原著:ヤン ジョンソク翻訳:篠原啓方 東アジアにおける古代都城制の中でも、宮殿は中国の影響を強く受けてきたと言えるが、各地域によって新たにつくられる要素も存在する。その要素は宮殿が新たに造営されるたびに登場し、各地域の内部における独自の変遷も見られる。本稿では、このような認識に基づき、高句麗や渤海を中心に、東アジア宮殿の系譜を検討したい。 高句麗の国内城は、造営過程において、当時流行していた魏の宮殿に類似した宮殿が、宮殿の中央を基準に造営される配置構造を維持するいっぽう、宮殿の中央建築群の地表面を他のそれより高くするという、中国漢代の前殿と高台建築のアイディアも確認される。こうした特徴は、高句麗の平壌遷都(427)後にも維持されるが、安鶴宮においては、自然の地形を利用し、中央建築群が周辺より高い場所に配されている。 また安鶴宮には、魏晋南北朝期に流行した太極殿と東西堂制という宮殿の新たな配置構造が受容された。安鶴宮の中央建築群は、南宮、中宮、北宮に大別されるが、このうち南宮は中央に太極殿を、その左右に東堂と西堂を配置するという構造が採用されている。これにより南宮は、後方の中宮や北宮よりはるかに広い空間を持つようになった。さらに安鶴宮には、後方に行くにつれ空間全体が狭まっていくという配置構造が見られる。 安鶴宮のこうした特徴は、渤海上京城の宮殿においても確認されている。ただ上京城の宮殿は完全な平坦地に造営されたため、中央建築群の地表面を高める構造や、後方に行くにつれ地表面を高くする配置構造を持たなかった。また上京城においては、東西堂制が採用されなかった。これは隋唐代の宮殿が東西堂の造営を必要としない構造に変化したためと思われる。にもかかわらず、上京城の第1号宮殿と第2号宮殿には、安鶴宮南宮の太極殿(正殿)、中宮の太極殿(正殿)の建築構造がそのまま採用されている。特に第2号宮殿は、高句麗の独特の建築構造を持つもので、中国においては類例を探すのが困難である。 このように渤海は、高句麗の宮殿構造の中から系譜的に重要と思われる要素が採用しつつ、いっぽうで隋唐宮殿の新たな要素をも採用している。このような変化を経つつ、古代東アジアにおける宮殿の建築構造と配置様式は、発展を遂げていったのである。
著者
森田 逸郎 サンダー ヤンセン 高橋 英憲 アルアミン アブドゥッラー 田中 英明
出版者
一般社団法人 レーザー学会
雑誌
レーザー研究 (ISSN:03870200)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.182-187, 2009-03-15 (Released:2015-08-04)
参考文献数
14

Orthogonal frequency division multiplexing (OFDM) is an attractive modulation format that recently
著者
池内 有為 ドゥキッチ ダナ リウ ジン ルー ヤン シュウ ヤン 盧 敬之
巻号頁・発行日
2013-06

4か国5大学の図書館情報学修士課程の大学院生を対象として、進学に影響を与えた要因や図書館専門職を選択した理由に関する質問紙調査を実施した。全ての大学で、就職先として大学図書館の希望が最も多いことや「社会における図書館専門職への理解が低いが重要な職業である」という認識が共通していた。一方、進学の参考にした情報源やキャリア選択の要因には差が見られた。
著者
川又 憲 石上 忍 藤原 修 スローカ ヤン
出版者
The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers
雑誌
電子情報通信学会論文誌 B (ISSN:13444697)
巻号頁・発行日
vol.J106-B, no.10, pp.639-645, 2023-10-01

ESD(Electrostatic Discharge: 静電気放電)によりインパルス性の過渡電磁ノイズが発生する.このような広帯域かつ過渡的な電磁ノイズは,機器の誤動作や故障の原因となり,またその対策も簡単ではないためEMC(Electromagnetic Compatibility: 電磁両立性)の観点から重要な問題の一つとされている.そこで,ESDによる電磁ノイズの放射メカニズムを議論するため微小電気ダイポールによる放射モデルを想定して検討を進めている.本論文では,この放射モデル適用の妥当性を実験で確認するため,一対の球電極で発生するESDによる過渡電界波形を10 GHzの帯域を有する光電界プローブを用いて測定し,電界強度ピーク値の距離特性について考察を行った.その結果,電界強度のピーク値は,球電極対の極近傍では放電点からの距離dの1/d3に従って減衰し,近傍では1/d2,更に遠方では1/dに従って減衰した.この結果は電気微小ダイポールによる電磁波放射の距離特性と一致しており,ESDによって発生する過渡電界の放射モデルとして,微小電気ダイポールモデルの妥当性を確認した.
著者
グレッグ シモンズ ポール ヤング ジェフ マッキー ジョーン メアーズ 水野 哲男
出版者
獣医疫学会
雑誌
獣医疫学雑誌 (ISSN:13432583)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-9, 2011-07-20 (Released:2012-03-23)
参考文献数
35
被引用文献数
3 5

新奇なコアラレトロウィルス(KoRV)と呼ばれるガンマレトロウィルスが2000年にコアラより分離された。残念なことに引き続き行われた調査から,KoRVはオーストラリアのコアラの個体群に広く拡がっているようである。現在KoRVは,活発に内因性化する過程にある外因性レトロウィルスの唯一の知られている例であり,非常にユニークなウイルスである。現在KoRVが病気の原因となる直接的で明確な証拠はわずかであるが,KoRV感染がコアラの臨床上,通常よく診断される種々の新生物や,様々な免疫不全症の病因として重要な役割を果たしている可能性があるか,もしくはその確率が高い。KoRVは,近縁であるオーストラリア固有のげっ歯類であるバートンメロミス(Melomys burtoni)のレトロウィルスの異種間交差感染を介して出現した可能性がある。これら2種のウィルスは,第三番目のレトロウィルスであるテナガザル白血病ウィルス(GALV)に対しても近縁である。GALVは白血病を罹患していたタイの捕獲下のテナガザルから1960年代後半に最初に分離された。しかし,現在に至るまでGALVの感染源は不明である。
著者
ミヤン マルティン アルベルト Alberto Millan Martin
出版者
同志社大学グローバル地域文化学会
雑誌
GR-同志社大学グローバル地域文化学会紀要 = Doshisha Global and Regional Studies Review (ISSN:21879060)
巻号頁・発行日
no.3, pp.71-90, 2014-10-25

本稿では、カタルーニャ語文学の代表者ペラ・カルデースが1938年に著した戦争体験記『突撃隊』の中から、カタルーニャ民族に言及する部分を抜粋して、日本人専門家に紹介するために学術研究の目的で翻訳した。フランコの反乱軍から第二共和国政府を守る人民戦線軍の小銃兵隊に志願してスペイン内戦で戦った大部分のカタルーニャ人兵士の、カタルーニャ人としての意識や複雑な心境が窺える文献である。曖昧な用語の翻訳方針や文章の歴史的背景を明確にする凡例と訳注を加えた。
著者
ガンバト ジャミヤン
出版者
Japan Association for Comparative Economic Studies
雑誌
比較経済体制学会年報 (ISSN:13484060)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.72-84,100, 2004-06-30 (Released:2009-12-03)
参考文献数
21
被引用文献数
1

モンゴル市場経済移行期の初期10年間においては,農村地域県の経済水準が低下し,医療水準などの社会状況も悪化した。そして人口の都市地域県への移動が増加した。特に,首都ウラーンバートル市を中心とした一極集中の開発傾向が進行している。このような状況は地域間の格差を拡大し,首都ウラーンバートル市自体に悪影響を及ぼしている。農村地域県の牧畜業は国民経済の発展にとって重要な要因であることに変わりはないということを考慮に入れると,農村地域県の社会・経済状況の改善措置は緊急課題といえよう。