著者
倉沢 愛子 内藤 耕
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

3年間に亘りジャカルタ市南郊の低所得者の集住地区であるレンテンアグン町において、露天商・行商人たち、ならびに同地区内にある伝統的市場で商いをする商人たち(商店主並びに行商人)からその個人史(パーソナルヒストリー)の聞き取りを行なった。また、北部の中国系住民が多く住む商業地区コタにおいて、中国系の商人たちからも同様なききとりを行なった。それを通じて、開発政策の中で烈しく変容する庶民の生活を描き出し、それが大きな歴史をどのように投影しているのかを考察した。
著者
倉沢 愛子
出版者
東京大学
巻号頁・発行日
2012

博士論文
著者
倉沢 愛子 内藤 耕
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

都市化のプロセスと住民のあいだの組織原理の変遷と過去における機能を探求することを目的とした。基本的には、南部ジャカルタ市レンテンアグン町内を主たる対象地域としてフィールド調査を行ってきた。主に、上からの住民動員システムの代表例である、PKKの活動の観察を通して、住民組織がどのように編成されているのか解明することを試みた。他方、行商や露天商を営んでいる住民に対して個人史を中心とした聞き取り調査を行ってきた。その結果、同郷の親族や知人を頼って農村から出てきて、当初はその知人と同一の業種の仕事をすることが多いことが確認され、都市=農村間のネットワークについて素描することができた。彼らの多くは定住性が高くなく、町内居住者が定住性の高い集団とそうでない集団とに分離していく傾向があることが確認された。また、都市生成を商品流通と人の移動の点から解明するために、レンテンアグン町内にある伝統的市場に焦点をあてて、その歴史、規模、運営方法、出店している商人や買い物客の属性等の調査を行った。商人の多様性、階層性を明らかにする一方で、市場が地域社会の核となっていることを明らかにした。買い物客の分析を通しては、再販売のための仕入れ目的の者が約三分の一ほどいることがわかり、市場が地域のインフォーマルセクターを支える役割をしていることが明らかとなった。調査ではほかに、都市の日常を住民自身の感覚に近いところで表象する大衆紙を中心とした新聞資料の収集、整理に相当時間を費やした。全体として、ジャカルタ南部の都市化においてはフォーマルで強固な組織化の力とインフォーマルでルースなネットワークというふたつの組織原理がせめぎあっており、開発の時代を通して地域社会の二重化が進行してきたと考えられる。

1 0 0 0 治官報

著者
ジャワ軍政監部 [編] 倉沢愛子編
出版者
龍渓書舎
巻号頁・発行日
1989
著者
庄司 一郎 倉沢 文夫 安立 清一
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
家政学雑誌 (ISSN:04499069)
巻号頁・発行日
vol.30, no.8, pp.666-671, 1979

米菓を製造するときの蒸煮条件および冷却条件と米菓の品質や生地の糊化, 老化との関係をおもにアミログラム, 焼き上げ生地容積, 硬度等で検討し, 次の結果を得た.<BR>1) 焼き上げ生地の品質を容積, 硬度から検討した結果では, 蒸煮条件においては110℃蒸煮は99℃蒸煮よりも容積が大で, 軟らかな焼き上げ生地が得られた.また110℃に蒸煮した生地を冷却した場合では凍結, 流水中冷却の品質がよく, 室温, 冷蔵庫冷却はよくなかった.そして冷却時間では15分冷却がよく, 24時間冷却すると品質が低下した.<BR>2) 蒸煮および冷却後脱水乾燥生地のアミログラムからは蒸煮条件においては110℃, 10分以上蒸煮すると初発粘度が高い値を示し, 粘度上昇はみられず, たんに温度変化とともに粘度が多少変化するのみで未糊化生地と考えられるピークはみられず糊化されていることが明らかとなった.99℃は20分蒸煮しても初発粘度が低く, 未糊化生地と考えられるピークがみられ糊化は完全には行われていなかった.<BR>蒸煮後冷却条件を検討した結果, いずれの冷却方法においても110℃蒸煮にみられたような一直線の曲線はみられなかったが, 凍結, 流水中冷却は初発粘度が高い値を示し, 室温冷却は低い値を示した.冷却時間では15分に比して24時間はいずれの冷却方法とも各特性値が低い値を示す傾向がみられた.<BR>3) 以上のように米菓の品質は蒸煮条件では糊化が完全に行われた110℃蒸煮のほうが糊化が不十分な99℃蒸煮よりも品質がすぐれており, アミログラムとの関係では品質の良い生地は初発粘度が高く, 未糊化生地と考えられるピークはみられないが, 品質の良くない生地は初発粘度低く, 未糊化生地と考えられるピークがみられた.一方冷却条件では凍結, 流水中冷却の品質が良く, 室温, 冷蔵庫冷却は品質がよくなかった.そして品質の良い生地は初発粘度が高く, 良くない生地は逆に低い値を示した.最高粘度, 冷却最終粘度においてもだいたい同様な傾向を示した.
著者
倉沢 一 Hajime KURASAWA
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
no.58, pp.204-234, 1977-03

南極の火山の分布は,後期新生代に関して,いわゆる造山帯の傾向あるいは歴史と同様な特徴をもっている.南極のマリー.バードランドとビクトリアランド地域はアルカリ岩系の岩石区の特徴をもって,さまざまな変化をみせている.南極半島地域の南シェトランド諸島は玄武岩~安山岩の組み合わせで,Na成分に富むとはいうものの,それらの性質からは,アルミナに富む高アルカリソレアイト系列に属すると考えられる.ストロンチウム同位体組成などから,ロス島火山岩類は,大陸に隣接していながら,ホット・スポットという意味をもって,海洋島のそれらによくにた性質をもっているという結論がえられた.同位体地質学的あるいは化学的性質から,南極地域の火山および火山岩類を検討した.
著者
倉沢 愛子
出版者
Japan Society for Southeast Asian Studies
雑誌
東南アジア -歴史と文化- (ISSN:03869040)
巻号頁・発行日
vol.1989, no.18, pp.41-69, 1989-05-30 (Released:2010-02-25)

During World War II Japan occupied most part of Southeast Asia, advocating for “liberation of Asia” from western colonialism. Her hidden aim was, however, to exploit natural resources as well as human power of those areas, which were to be mobilized for her continuous and ambitious fighting. In order to achieve those purposes, Japan had to acquire cooperation of the population in the occupied areas. Therefore, propaganda activities were one of the most important tasks of Japanese military administration in Southeast Asia. Among various propaganda media movies were particularly promoted, since they were effective in the society where illiteracy rate was high and written media had limited effects. This paper will analyse Japanese film propaganda during World War II, taking the case in Java.As soon as Japanese seized power in Java, they confiscated all Dutch facilities and materials for film making and ordered a Japanese movie production company, Nippon Eigasha, to engage in production of news, culture, and feature films in Jakarta. Many distinguished staff were sent from Japan for this purpose. The theme of those films were closely connected with policies of military government. Among the films were those designed to impress people with Japanese military power, to inspire people's consciousness in defense of fatherland, and to encourage production and other labor activities. There were also many “educational” films to teach certain practical technique, scientific knowledge, Japanese songs, and Japanese value concepts. Writer had chance to see some of those films and her impression was that the artistic quality of those films was not bad and the contents were quite attractive.Under the Japanese rule kind of films shown in Java entirely changed owing to the prohibition of western movies, which by then had occupied about 85% of the total number of movies shown in Indonesia. Consequently those vacancy was filled by Japanese films, both locally made ones and those imported from Japan. Japanese encouraged movie watching among Indonesian people by reducing fare. But since the number of movie theaters were very small and they were mostly located only in cities, Japanese propaganda bureau organized moving theater teams and frequently carried out outdoor projection in villages. Those movies were free and open to everybody, and usually enjoyed a big audience. Big audience, however, does not necessarily mean positive acceptance of Japanese ideas. People, in many cases, simply came because there was scarcely any other amusement in those days. For most of the audience it was their first experience of movie watching, and impacts of the films were quite strong. Although Japanese propaganda was not successful in making Indonesian people accept Japanese idea for Greater East Asian Co-prosperity Sphere and moulding them into Japanese way of thinking, at least it had certain effects in alleviating people's unsatisfaction and anger towards Japanese and in preventing them from going into large-scale anti-Japanese resistance even in the highest tension brought by harsh economic policies. In that sense Japanese propaganda policies can be considered effective.
著者
倉沢 一
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
no.58, pp.p204-234, 1977-03

南極の火山の分布は,後期新生代に関して,いわゆる造山帯の傾向あるいは歴史と同様な特徴をもっている.南極のマリー.バードランドとビクトリアランド地域はアルカリ岩系の岩石区の特徴をもって,さまざまな変化をみせている.南極半島地域の南シェトランド諸島は玄武岩〜安山岩の組み合わせで,Na成分に富むとはいうものの,それらの性質からは,アルミナに富む高アルカリソレアイト系列に属すると考えられる.ストロンチウム同位体組成などから,ロス島火山岩類は,大陸に隣接していながら,ホット・スポットという意味をもって,海洋島のそれらによくにた性質をもっているという結論がえられた.同位体地質学的あるいは化学的性質から,南極地域の火山および火山岩類を検討した.
著者
西村 かおる 倉沢 正樹
出版者
日経BP社
雑誌
日経ドラッグインフォメーションpremium
巻号頁・発行日
no.106, pp.24-26, 2006-08-10

——西村さんは看護師、保健師でありながら、「コンチネンスアドバイザー」という肩書で幅広く活動されています。この道に進もうと思われたきっかけからうかがえますか。西村 きっかけは、1986年からの2年半、訪問看護を勉強するために留学した英国で、コンチネンスアドバイザーというスペシャリストに出会ったことです。
著者
高橋 公海 草野 孔希 川崎 仁史 秦 崇洋 倉沢 央
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.2G4OS21b4i, 2014

<p>センサデータから行動や状況を理解する研究は行われているが,認識率や有用性向上には大規模に実データを収集する必要がある.我々は今回,データ収集のための仕掛けとしてリアル脱出ゲームをモチーフとしたイベントを実施した.参加意欲向上と,持ち歩く複数センサを気にさせないためにゲーム性を盛り込んだ.イベント後のヒアリングから,参加者のほぼ全員が楽しんでおり,センサ類も気にさせずにデータを収集することができた.</p>
著者
倉沢 行洋
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.20-43, 1988 (Released:2018-03-15)

Joãn Rodoriguez Tçuzu, der als Priester von der Gesellschaft Jesu 1577 Japan besuchte und 1610 dort verließ, notiert in seiner Schrift《Historia da Igreja du Japão》(Die Geschichte der Kirche in Japan) zwei Sorten von Chanoyu d. h. japanische Teezeremonie : nämlich einmal Higashiyamadono-chanoyu und zum anderen Suky-chanoyu. In der erstgenannten Sorte ist Higashiyamadono aus dem ersten Rufnamen von Yoshimasa Ashikaga hergekommen, d. h. dem achten Shōgun in der Muromachi Zeit übergenommen. Higashiyamadono-chanoyu bedeutet also vor allem die Teezeremonie, die unter Yoshimasas Anführung zusammen mit seinen Vasallen veranstaltet worden ist. Wenn er diese begann, scheint mir seine Absicht darin zu liegen, dadurch die verschiedenen kulturellen Spiele zu genießen. Daher darf man diese vornehmlich “Chanoyu zum spiel” nennen. Auf der anderen Seite hat sich Suky-chanoyu, zwar sich unter dem Einfluß des Ersteren ausbildend, aber, zu einem Höheren vollendet, indem sie die Gesinnung des Zen-Buddhismus in sich einführte. Wenn man sich besonders wahrhaftig mit Suky-chanoyu beschäftigt, könnte man darin sogar die religiöse Erlösung ausfinden. Kurz gesagt, bedeutet dies eigentlich, daß Chanoyu zugleich als Hinweis auf die Religion angesehen, und insofern im gleichen Sinne mit “einem Stil der Religion” wie Rodoriguez sagte, aufgefaßt wird. Solch eine Teezeremonie würde darin Sadō (den Weg von Chanoyu) im eigentlichen Sinne ermöglichen, daß sie auf seine Weise die Entsprechung zu der religiösen Tiefe haben kann.
著者
倉沢 新一 菅原 龍幸 林 淳三
出版者
Japanese Society for Food Science and Technology
雑誌
日本食品工業学会誌 (ISSN:00290394)
巻号頁・発行日
vol.29, no.7, pp.400-406, 1982-07-15 (Released:2011-02-17)
参考文献数
14
被引用文献数
10 15

栽培種および野生種のキノコ類の31種43試料について,その一般成分と26種27試料につきのDF量の分析を行った。その結果,タンパク質や脂質は一般に低い値であったが,炭水化物や灰分はかなり高い値を示した。DFを定量する際,試料を加熱乾燥すると加熱によりNDF量の増加が認められた。DFについては,NDF, ADF,リグニン,ペクチン様物質および粗繊維を定量した。キノコ類中のDFの平均の値は,乾燥重量あたりNDF 35.7%, ADF 14.3%,リグニン2.9%,ペツチン様物質3.7%であった。したがってセルロース量11.4% (ADFとリグニンとの平均値の差でも11.4%),ヘミセルロース量21.4%(NDFとADFとの平均値の差でも21.4%),総DF量39.4%ほどであった。NDFとペクチン様物質を合計し総DFとし,これと粗繊維との比を求めると5.8となり高い比率が得られた。
著者
倉沢 行洋
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.29, no.3, pp.65, 1978-12-30 (Released:2017-05-22)

Geido ist einerseits Do (道 : der Weg) von Gei (藝 : Kunst) zu Kokoro (心 : Geist), anderseits ist es auch Do von Kokoro zu Gei. Oder man darf sagen, Geido sei Do von Sugata (姿 : Form) zu Kokoro, und Do von Kokoro zu Sugata. Kokoro ist nicht nur der Inhalt sondern auch der Schopfer der Kunstwerke. Kokoro ist nicht nur Objekt sondern auch Subjekt. Dies Kokoro wurde Makoto (die Wahrheit) von Tamekane Kiogoku (京極為兼 1254-1332) und Basio Matsuo (松尾芭蕉 1644-94) gennannt. Subjekt-Objekt-Dimension durchzubrechen und Makoto-Kokoro unverborgen sein zu lassen, das ist Do von Sugata zu Kokoro. Makoto-Kokoro als Kunstweke erscheinen zu lassen, das ist Do von Kokoro zu Sugata.
著者
嘉山 孝正 倉沢 正樹
出版者
日経BP社
雑誌
日経ヘルスケア (ISSN:18815707)
巻号頁・発行日
no.242, pp.42-44, 2009-12

改選時期を迎えた日本医師会の役員3人がすべて外され、新たに3人の診療側委員が登用された。中でも就任早々、過激ともいえる発言を繰り出し"台風の目"となっているのが山形大学医学部長の嘉山孝正氏だ。その嘉山氏に、発言の真意と今後目指す方向について聞いた。
著者
倉沢 新一 菅原 龍幸 林 淳三
出版者
社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品工業学会誌 (ISSN:00290394)
巻号頁・発行日
vol.29, no.7, pp.400-406, 1982
被引用文献数
2 15

栽培種および野生種のキノコ類の31種43試料について,その一般成分と26種27試料につきのDF量の分析を行った。その結果,タンパク質や脂質は一般に低い値であったが,炭水化物や灰分はかなり高い値を示した。<BR>DFを定量する際,試料を加熱乾燥すると加熱によりNDF量の増加が認められた。<BR>DFについては,NDF, ADF,リグニン,ペクチン様物質および粗繊維を定量した。キノコ類中のDFの平均の値は,乾燥重量あたりNDF 35.7%, ADF 14.3%,リグニン2.9%,ペツチン様物質3.7%であった。したがってセルロース量11.4% (ADFとリグニンとの平均値の差でも11.4%),ヘミセルロース量21.4%(NDFとADFとの平均値の差でも21.4%),総DF量39.4%ほどであった。<BR>NDFとペクチン様物質を合計し総DFとし,これと粗繊維との比を求めると5.8となり高い比率が得られた。