著者
新崎 盛敏 徳田 広 藤山 和惠
出版者
The Botanical Society of Japan
雑誌
植物学雑誌 (ISSN:0006808X)
巻号頁・発行日
vol.69, no.811, pp.39-44, 1956
被引用文献数
18

1. 邦産のミルは初冬から現われ始め春夏に繁茂し, 夏から初冬に雌雄の配偶子嚢を作る。性分化は雌雄異株体が多く雌雄同数位であり, 同株体も少し混るが, それ等の出現状態は場所, 時期により相異がある。<br>2. 配偶子は雌雄で大小の差があり, 接合は運動中に行われる。接合子は発芽して隔壁のない管状枝からなるフサフサした叢生体に成る。この叢生体は海中のミル本体とは全く違った形態であるが, ミル体の緑叢根の構成枝またはミル体を実験室内で培養した時に出る新生枝と全く似ている。<br>3. ミル体が出来上るのは恐らく上記の様な叢生体の体枝がからみあつて, 初めはマツト状の緑叢根に拡がりやがてその一部で体枝が密にからみあい乍ら直上突出して本体を造るものであろう。その際からみあう体枝が1ケの接合子に由来したものだけからなる単元的個体, または複数の接合子に由来した枝からなる複元的個体もある筈である。ミル体の形成過程がこの様に種々な場合がある事が性分化の様相が区々である原因になるのではなかろうか。
著者
根路銘 安仁 西 順一郎 藤山 りか 武井 修治 吉永 正夫 河野 嘉文
出版者
The Japanese Association for Infectious Diseases
雑誌
感染症学雑誌 (ISSN:03875911)
巻号頁・発行日
vol.78, no.11, pp.967-974, 2004
被引用文献数
7

風疹の局地的流行は現在も続いており, 先天性風疹症候群 (CRS) の報告も増加しているが, 播した院内感染を経験した. 2003年3月から4月に計15名の院内感染者を認め, 院内感染対策として全病院関係者259名に風疹抗体検査 (赤血球凝集阻止反応;HI法) を病院全額負担で説明を行い, 同意を得て検査した. 発症者と拒否者2名を除いた251名が検査を受け, 感受性者が67名みられた. 発症者を除いた53名に風疹ワクチンを病院半額補助で勧奨接種した. その後速やかに終息し, 職員から患者への伝播は無かった. 発症者15名のうち9名は, 感染前の調査では, 既往歴または予防接種歴があると答えており問診だけでは信頼性に乏しいと考えられた. 感受性者・発症者は高年女性, 男性に多く, 全年齢層に対策が必要と考えられた. 抗体検査, ワクチン費用補助で約20万円を要した. 発症者の欠勤日数は平均6日, 平均賃金は約12,000円で, 今回の院内感染で総額約140万円が病院の損失になった. 女性の多い職場である病院では妊娠に伴う問題があり, 予防接種の時期やCRSの危険性等, 風疹感染対策は重要であると考えられる. 風疹の病院職員における流行は, 発症者の賃金の損失だけでなく病院運営に支障をきたし収入面での損失の可能性もあり, 事前の風疹感染対策は経営上充分に投資効果があると考えられる.
著者
藤山 千紘 小林 一郎 西本 伸志 西田 知史 麻生 英樹
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.31, 2017

我々は、常に次の状態を予測しながら日常生活を送っている。これは、我々がもつ脳の大脳皮質における予測符号化の機能が行っていることであり、近い将来を予測することによって生物としての個体を守っている。 本研究では、この機能を模倣した深層学習モデルに対して、画像刺激を受けている際の脳活動との相関関係を考察する。
著者
藤山 一樹
出版者
一般財団法人 日本国際政治学会
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.180, pp.180_30-180_42, 2015

This article explores how the British government agreed in the summer of 1922 to fund their debts owed to the American government during the First World War. Since the U.S. entered the war on the Allied side in April 1917 until June 1919, British debts to the U.S. subsequently swelled to approximately $4.3 billion. After the war, the American government firmly insisted on swift repayment by the Allies of their war debts; and they suggested that U.S. economic assistance for European reconstruction was not to come until the debtor countries settled their debt questions with the U.S.Nevertheless, the British government continued to avoid funding their debts since 1920. Claiming on a general cancellation of all the inter-Allied debts, the Lloyd George government declined even to acknowledge their financial obligations. Chief Cabinet members such as the Prime Minister David Lloyd George and the War Secretary Winston Churchill were concerned with the impact on the domestic economy (and public opinion) of expending a vast sum of money; they also wished the Americans to take a more lenient position over the war debts.A sea change in the British policy of the war debt question came in 1922, when European relations reached its nadir in regard to German reparations. The French sought to enforce on Germany the strict execution of the reparations obligations of the Treaty of Versailles; meanwhile, the Germans, undergoing hyperinflation, persistently demanded a moratorium due to its chaotic economic condition at home. Then, from May to June 1922, the Chancellor of the Exchequer Sir Robert Horne and the British Ambassador at Washington Sir Auckland Geddes convinced the Cabinet that such deadlock in the Continent did require some external assistance from the U.S., the largest creditor nation, and they pressed for an early Anglo-American war debt settlement in anticipation of some U.S. commitment to the European problem. Around the same time, the U.S. Ambassador at London George Harvey assured Lloyd George and Churchill that a debt settlement would lead to Anglo-American cooperation to tackle problems in Europe. In July 1922, the Lloyd George government finally consented to dispatch a British delegation to Washington for starting negotiations on conditions of repaying their debt to the U.S. After the British determined to fund their debts to the Americans, Anglo-American relations again stood on a sound footing, which could be a stimulus to their joint effort over German reparations toward the subsequent Dawes Plan of 1924.
著者
藤山 静雄
出版者
信州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

1999年度には塩尻市東部、鉢伏山一帯で成体が、すなわち霧ヶ峰から美ヶ原に至るヴィーナスライン沿いで成体の大発生が観察された。特に9-10月にかけて側溝、コンクリート製の切土斜面に多数の成体が観察された。鉢伏山の周辺では比較的密度が低く、森林内、道路周辺では成体が散見されたに過ぎなかった。これらの調査では、採集個体はすべて成体であり、幼虫は全く観察されなかった。一方、霧ケ峰から蓼科高原に至る一帯では、7齢幼虫が大発生した。観察された幼虫は大部分が白色の個体で成体のように黄赤褐色をした個体はごく少なかった。これらの個体も含めて観察されたものは全て7齢幼虫の個体で成体や6齢の個体は全く見られなかった。採集された成体については、交尾個体は全く見られず性成熟していないことは明らかである。染色体調査では、分裂像が観察できず、染色体数を確認することは出来なかった。これらの結果はこれまで交尾等の繁殖行動の1過程としての群遊行動であるとする説と、分布拡大を主体とする分散行動であるとする説があるが、後者の説を支持する有力な証拠である。また、成体、7齢幼虫の存在など8年周期は今回の調査でも厳密に維持されておりその周期性の厳密さは筆者がこれまで指摘してきた周期決定メカニズムが良く働いていることを示すものである。また、それらの分布域は24年前の分布域の境界線とほとんど変わっていない。このことは本種が土壌中に生息することを考えれば当然といえるが、近隣の個体群が他の個体群の発生経過に何らの影響も及ぼしてはいないことを示すと考えてよいだろう。次ぎに、岐阜県側での調査では6齢幼虫が見つかっているがヒダヤスデと考えられる。シ化し厳密な同定は出来ていない。その他、伊那地方では1齢幼虫が、山梨県塩山市では3齢幼虫が観察され、それぞれ8年周期の発生が予想される齢の個体群が生息していた。今後、地域の個体群間の関係、染色体数の決定等さらに詳しく解析する必要がある。
著者
渡部 裕子 難波 千佳 藤山 幹子 町野 博 橋本 公二
出版者
公益社団法人 日本皮膚科学会
雑誌
日本皮膚科学会雑誌 (ISSN:0021499X)
巻号頁・発行日
vol.121, no.5, pp.863-867, 2011-05-20 (Released:2014-11-13)

2009年8月から12月にかけて,愛媛県松山市周辺の皮膚科で,小児32名,成人7名の患者で爪変形,爪甲脱落の発生が確認され,そのうち4名を除く35名で発症の1~2カ月前に手足口病の既往があった.そのうち10名の患者で中和抗体価を測定したところ,全例でコクサッキーウイルスA6が8~128 倍の陽性所見を示した.これは爪変形,爪甲脱落を来す手足口病の本邦における最初の報告である.
著者
小林 昭雄 藤山 和仁 梶山 慎一郎 福崎 英一郎
出版者
大阪大学
雑誌
萌芽的研究
巻号頁・発行日
1997

本研究では、食虫植物の栄養獲得機構に関する予備的な知見を得るために、モデル植物としてウツボカズラ科の食虫植物を用い、捕虫袋内部に分泌される消化酵素や分泌液に関する基礎データの収集を行った。まず、捕虫袋分泌液に含まれる消化酵素の種類を明らかにすべく、各種加水分解酵素の活性測定を行った。予備実験において、蓋(ふた)が開く前の未成熟捕虫袋分泌液は無菌状態であった。一方、昆虫が捕らえられた捕虫袋分泌液は、外見上透明であり、腐敗臭は全く認められないが、数種類の微生物の存在が確認された。その中にはプロテアーゼを分泌するものも存在することが判明した。そこで、植物由来の酵素のみを分析するために、ほぼ無菌的な蓋が開いた直後の捕虫袋分泌液を酵素活性測定に使用した。その結果、プロテアーゼ、エステラーゼ、ホスファターゼ、RNase.DNase、ホスホリパーゼD、キチナーゼといった、少なくとも7種類の酵素活性が存在することが明らかになった。このうちプロテアーゼに関しては、プロテアーゼインヒビターを用いた阻害実験がら、アスパラギン酸プロテアーゼ(酸性プロテアーゼ)である事が判明した。一方で、捕虫袋分泌液のpHは蓋が開いた直後で4.0 4.8、獲物が捕らえられると3以下にまで低下することが予備実験で観察されていた。そこで、分泌液が強酸性を示す原因を探るために、分泌液に含まれる各種無機イオン濃度を測定した。その結果、プロトンの他にK^+とCl^-が高濃度(それぞれ、650 760ppm、530 600ppm)含まれることが明らかとなった。このことから、分泌液の酸性pHは、哺乳類の胃の内部と同じく塩酸の分泌によるものと推測された。以上の結果から、捕虫袋分泌液には昆蚤の消化に必要な消化酵素が一揃い存在し、これら消化酵素と分泌液のpHの低下が本植物の栄養獲得過程において重要な役割を果たしていることが示唆された。今後のさらなる研究により、根以外の部位からの低分子の吸収機構が明らがとなり、葉面がらの効率的物質吸収に関する新しい知識が集積されることが期待される。
著者
近沢 秀人 藤山 重俊 伊津野 清徳 川野 真一 村田 博司 柴田 淳治 佐藤 辰男
出版者
The Japan Society of Hepatology
雑誌
肝臓 (ISSN:04514203)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.44-48, 1992
被引用文献数
3 1

インターフェロン(IFN)治療中に精神症状を呈したC型慢性活動性肝炎の2例を報告した.症例1は44歳,男性.トランスアミナーゼの異常,HCV抗体陽性を認めたためHLBIを投与した.開始当初,発熱,食欲不振が出現,遅れて13日目より不眠,抑鬱症状が出現し,さらに自殺企図,被害妄想も認めた.それ故,投与を中止し,抗精神薬で徐々に改善した.症例2は34歳,女性.トランスアミナーゼの異常,HCV-RNA陽性を認めたため,IFN-α投与を関始した.当初,発熱,悪寒,倦怠感,食思不振が出現し,4日目から不眠,焦燥感も出現した.精神安定剤を併用したところ,症状は改善し,IFN投与を終了しえた.<BR>IFNは,慢性肝炎に対する通常量でも,稀ながら精神症状を呈する例もあるため,IFN治療中は充分な注意が必要である.
著者
小山 明 鈴木 明 藤山 哲朗 岡部 憲明 山﨑 均 大内 克哉 久冨 敏明 尹 智博 Akira KOYAMA Akira SUZUKI Tetsuro FUJIYAMA Noriaki OKABE Hitoshi YAMAZAKI Katsuya OUCHI Toshiaki HISATOMI Jibak YOON
出版者
神戸芸術工科大学
雑誌
芸術工学2013
巻号頁・発行日
2013-11-25

研究の目的は、インタラクションデザインに関するこれまでの学術的な交流や研究の基盤に立ち、日本における新しい教育領域・教育方法としてのインタラクションデザインの可能性もしくは問題点などを、実際の教育現場において確認し、導入のための基礎を構築することにある。本研究の中心となったのは、2012年12月17~21日に開催したスプツニ子!客員教授によるインタラクションデザインワークショップである。これは「Body Futures」をテーマとした、未来における身体の在り方を考えるワークショップであり、公開講評会をKIITOで行ない、提案された各グループのプロジェクトは2013年2月22~28日の期間、同じくKIITOにおいて開催された「Body Futures展」において展示された。このワークショップでは、大学院と学部の連携、大学と企業(アシックス)との連携が試みられた。異なる年齢層の参加者間の連携と、異なる組織領域間の連携が新たな発想を生み出し、「未来の身体」を様々な観点からとらえた科学的な提案が行なわれた。The objective of this study is to identify possibilities and problems related to interaction design within actual educational practice, and thus to construct a foundation for its introducation as a new field and methodology of study in Japan. The main part of this study derives from an interaction design workshop conducted 17-21 December 2012 by Visiting Professor Sputniko! (Hiromi Ozaki) entitled "Body Futures" that proposed to consider further dimensions of physicality. An open forum was subsequently held at KIITO and group projects developed from the workshop were exhibited 22-28 February 2013 under the same Body Futures title, again at KIITO. This workshop attempted to create linkages between the graduate school and university departments, as well as between the university and commercial enterprise (ASICS). It spawned connections between participants of different ages, fostered new thinking across diverse organisational sectors, and proposed various scientific ideas about the future of the body.
著者
竹之下 秀雄 山本 俊幸 藤山 幹子 橋本 公二
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.476-482, 2009-11-30 (Released:2010-04-12)
参考文献数
5
被引用文献数
1

59歳,女性。非定型精神病のためカルバマゼピンが処方され,約1か月後に発熱と皮疹が出現した。当科初診時,38°C台の発熱,全身性に浮腫性の播種性紅斑丘疹型の皮疹がみられ,紅皮症状態を呈し,頸部リンパ節が腫脹し,肝機能障害もみられた。初診の3日目には急性汎発性発疹性膿疱症様状態となった。プレドニゾロン50mg/日の全身投与を開始し,徐々に改善傾向を示した。経過中,軽度の膵炎を発症したが治療の必要はなかった。ヒトヘルペスウイルス6型DNAが,全血中より2期間にわたって検出され,この期間は,血清中のアミラーゼ値とリパーゼ値の上昇期間と一致していた。以上より本例を,経過中に急性汎発性発疹性膿疱症を呈し,膵炎を発症したカルバマゼピンによる薬剤性過敏症症候群と診断した。
著者
藤山 幹子 橋本 公二
出版者
日本ウイルス学会
雑誌
ウイルス (ISSN:00426857)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.23-30, 2009-06-25 (Released:2010-02-01)
参考文献数
31
被引用文献数
2 3

薬剤性過敏症症候群は,発熱と多臓器障害を伴い遷延する薬疹である.抗けいれん薬,アロプリノール,サラゾスルファピリジン,ジアフェニルスルフォン,メキシレチン,ミノサイクリンが原因となる.その大きな特徴は,発症後10日から30日の間のある時期に,HHV-6の再活性化を伴うことにある.HHV-6の再活性化は,血液,血清中のHHV-6 DNAの検出と著明なIgG抗体価の上昇で確認される.HHV-6の再活性化に際して,発熱と肝障害を認めることが多い.薬剤性過敏症症候群は,薬剤アレルギーとHHV-6感染症の複合した病態である.
著者
秋友 勝 本名 俊正 増永 二之 藤山 英保
出版者
一般社団法人日本土壌肥料学会
雑誌
日本土壌肥料學雜誌 (ISSN:00290610)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.269-274, 2007-06-05
被引用文献数
1

熔成微量要素複合肥料(FTE)の長期連用試験を実施し,その施肥効果や利用率,土壌への蓄積経過,ホウ素の残効,無施用で栽培を続けた場合のホウ素欠乏の発生程度などについて検討した.1)FTE区では作物が健全に生育し,ホウ素の過不足とみられる症状は発現しなかった.無施用区では,試験開始から2〜4年目以降,ほとんどの作物でホウ素欠乏症状が発生した.このためFTE区の収量は無施用区をつねに上回った.2)FTE区の熱水可溶性ホウ素含有率は,3種類の土壌ともに10年間は0.6mg kg^<-1>前後で推移し,その後やや上昇し,淡色黒ボク土と普通黒ボク土では1.0mg kg^<-1>前後,陸成未熟土では0.8mg kg^<-1>前後で推移した.土壌および作物中ホウ素含有率の推移より,施肥ホウ素が土壌中に過剰蓄積する傾向は認められなかった.3)土壌の熱水可溶性ホウ素含有率の推移は,雨量とそれに伴う溶脱量との関連性が示唆され,ホウ素肥料の施肥にあたっては当該地域の雨量を考慮する必要がある.4)FTEの連用を中止すると,土壌の熱水可溶性ホウ素含有率は,はじめ数年間は急速に低下し,その後は徐々に低下する傾向を示した.セルリー茎葉中ホウ素含有率は,FTEの連用中止から4〜5年後には無施用区とほぼ同じ濃度まで低下した.長期間ホウ素肥料を施用した場合でもそのホウ素の残効は数年間と考えられた.5)FTEを16年間連用した場合の施肥ホウ素利用率は,淡色黒ボク土で9.9%,普通黒ボク土で10.6%,陸成未熟土で8.2%であった.普通黒ボク土の20年間連用では13.5%であった.