著者
豊田 哲也
出版者
公立大学法人 国際教養大学 アジア地域研究連携機構
雑誌
国際教養大学 アジア地域研究連携機構研究紀要 (ISSN:21895554)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.9-16, 2018 (Released:2018-09-27)

国境を超える移住と国内での移住は法的には異なっているけれども、既存の共同体に新たな構成員が加わるという点では共通している。皮肉にも、日本政府による外国人学生の受け入れの方が、地方自治体による他県学生の受け入れよりも積極的である。日本では国家のレベルでも地方のレベルでも人口動態が大きな変化の時代を迎えつつあり、既存の共同体が新たな構成員を真の仲間として受け入れることができるかは、今後、共同体のアイデンティティの問題として重要になっていくであろう。
著者
豊田 哲也
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.29, 2002

<B>1.研究の目的</B><BR> 約40種類にのぼると言われる日本の香酸柑橘(酢みかん)のうち、徳島県特産のすだちは大分県のかぼすと並ぶ代表的なもので、年間生産量7千tと全国の97%を独占している。最大の柑橘である温州みかんの生産は1960年代に西日本各地で急拡大を遂げたが、生産過剰や輸入自由化による価格低下に直面し産地の大幅な再編を迫られた。もともと温州みかんに不適な気候条件の中山間地域で始まったすだちの栽培は、技術革新による周年出荷の実現で安定した収益の確保に成功し、1980年代にはみかんからの有力な転換作物として生産量の増加を見た。本研究では徳島市の南西に隣接する神山町と佐那河内村を事例地域に取り上げ、産地形成の過程を跡づけながらその生産構造を明らかにする。<BR><B>2.産地形成の過程</B><BR> すだち生産の開始から拡大、成熟に至る経過はおおむね10年ごとに以下の4つの時期に区分され、栽培面積の推移は典型的なロジスティック曲線を描く。<BR> <U>第1期</U> 徳島県におけるすだち栽培の歴史は江戸時代に遡るが、1956年に神山町鬼籠野地区で養蚕業や甘藷栽培の行き詰まりを打開すべく農家有志が栽培に取り組んだのが、商業的生産の始まりである。1960年代には消費宣伝と販路拡大を図りながら、同町におけるすだち生産は徐々に増加した。<BR> <U>第2期</U> 1970年代に入り、低温貯蔵技術の開発やハウス栽培の導入によってすだちの周年出荷体制が確立される。9月に出荷される露地すだちのkg単価が100円前後であった当時、長期貯蔵ものや加温ハウスものは1500-2000円の高値で取り引きされ、生産農家の収益性を大幅に高めた。<BR> <U>第3期</U> 温州みかんの価格低迷と生産調整が本格化する中で、1979年に県はすだちへの転換支援政策に乗り出す。1981年2月の大寒波でみかんの木が大量に枯死するなど大打撃を被ったのを契機に、佐那河内村など周辺産地ですだちへの転換が進んだ結果、栽培面積は10年間で2.5倍に急拡大した。<BR> <U>第4期</U> 1990年代なると、新興産地の成長にともなう競争の激化、長期不況による業務向け需要の伸び悩みなどのため市場は飽和気味となり、すだち栽培面積は約600haで頭打ちとなった。<BR><B>3.事例地域の生産構造</B><BR> 2000年におけるすだちの栽培面積は、神山町126ha(徳島県全体の21.2%)、佐那河内村109ha(同18.3%)で、県内で1位と2位を占める。また、販売農家のそれぞれ60%と75%がすだちを栽培している。<BR> 神山町鬼籠野地区はすだち栽培の先進地で、長い経験を持つ栽培農家の技術水準は高い。1戸あたり栽培面積は零細だが、密植による集約的な経営で補っている。貯蔵用冷蔵庫の設置は早かったが、気候が冷涼なためハウス栽培はふるわない。中心集落である東分・中分・西分では米や野菜との複合経営が多いのに対して、山間部には一の坂集落のようにすだち栽培に特化した集落も見られる。<BR> 後発産地である佐那河内村では、温州みかんからの改植や高接による転換園が多く、1戸あたり経営面積が大きい。1970年代はハウスすだちの産地として成長したが、1983年以降は採算上の理由から貯蔵の方が多くなっている。鬼籠野地区に近い北山集落は、みかんからすだちへの転換がドラスティックに進んだ例で、情報や人の交流がこうした動きを促進する役割を果たしたと考えられる。<BR> このように、神山町と佐那河内村はすだち産地として対照的な性格を示しながらも、出荷時期などで機能的な補完関係を有している。また両者に共通する産地形成要因として、行政や農協による支援体制のほかに徳島市への近接性を指摘できる。すなわち、意欲ある生産農家は機動的な個人出荷で利益を追求しうる一方、通勤兼業を選んだ農家が加工向けの粗放な露地栽培を続けることも可能なためである。しかし、近年はいずれのケースでも就業者の高齢化が進んでおり、後継者の不足とあいまって今後の展開は楽観を許さない状況にある。
著者
豊田 哲也
出版者
公立大学法人 国際教養大学 アジア地域研究連携機構
雑誌
国際教養大学 アジア地域研究連携機構研究紀要 (ISSN:21895554)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.63-72, 2018 (Released:2018-10-29)

8 世紀に秋田城は大和朝廷の実効支配の及ばない辺境地域に孤城として構築・維持された。その背景には、北方から来航する渤海使をそこで受け入れ、時には送還する必要性があったとの事情がある。渤海使の来航は不規則かつ予測不可能であったために、770 年にいったんは秋田城の廃止を決めたにもかかわらず10 年後に決定が撤回されるということも起きた。秋田城の存続が渤海使の来航に依存する状況は、大型船の建造技術の習得によって渤海使が訪日航路を北方迂回ルートから日本海横断ルートに変更する8 世紀末まで続く。それ以後、秋田城は外交使節の応接施設として性格を失い、外観すらも変えることになった。
著者
藤井 正 伊東 理 伊藤 悟 谷 謙二 堤 純 富田 和昭 豊田 哲也 松原 光也 山下 博樹 山下 宗利 浅川 達人 高木 恒一 谷口 守 山下 潤
出版者
鳥取大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

まず、多核的都市圏構造の研究を整理・展望し、空間的構造の変化に関して社会的メカニズムを含め、地理学と社会学からの分析を行い、同心円的なパターンから地区の社会的特性によるモザイク化、生活空間の縮小の傾向を明らかにした。これは都市整備面では、多核の個性を生かし、公共交通で結合する多核的コンパクトシティ整備を指向するものとなる。こうした整備についても、中心地群の再編等の動向について国際比較研究を展開した。
著者
日野 正輝 富田 和暁 伊東 理 西原 純 村山 祐司 津川 康雄 山崎 健 伊藤 悟 藤井 正 松田 隆典 根田 克彦 千葉 昭彦 寺谷 亮司 山下 宗利 由井 義通 石丸 哲史 香川 貴志 大塚 俊幸 古賀 慎二 豊田 哲也 橋本 雄一 松井 圭介 山田 浩久 山下 博樹 藤塚 吉浩 山下 潤 芳賀 博文 杜 国慶 須田 昌弥 朴 チョン玄 堤 純 伊藤 健司 宮澤 仁 兼子 純 土屋 純 磯田 弦 山神 達也 稲垣 稜 小原 直人 矢部 直人 久保 倫子 小泉 諒 阿部 隆 阿部 和俊 谷 謙二
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-04-01

1990年代後半が日本の都市化において時代を画する時期と位置づけられる。これを「ポスト成長都市」の到来と捉えて、持続可能な都市空間の形成に向けた都市地理学の課題を検討した。その結果、 大都市圏における人口の都心回帰、通勤圏の縮小、ライフサイクルからライフスタイルに対応した居住地移動へのシフト、空き家の増大と都心周辺部でのジェントリフィケーションの併進、中心市街地における住環境整備の在り方、市町村合併と地域自治の在り方、今後の都市研究の方向性などが取組むべき課題として特定された。
著者
豊田 哲也
巻号頁・発行日
2012

筑波大学博士 (工学) 学位論文・平成24年11月30日授与 (甲第6342号)