著者
関口 正之
雑誌
美術研究 = The bijutsu kenkiu : the journal of art studies
巻号頁・発行日
no.321, pp.15-24, 1982-09-30

Part I and Part II of this paper appear in Nos. 317 and 319 of the Bijutsu Kenkyu. In the present part the subjects of Scrolls 6, 7 and 8 are described. Scroll 6 is the scene of Suppression of Demons. At the center of the picture is the troop of the Demon King attacking Śākyamuni. The heads of the arrows shot toward Śākyamuni are trasformed into lotus flowers. The three daughters of the Demon King are depicted at the lower left of the picture ; the daughters transformed into old women by Śākyamuni are at the middle of the bottom; and Pṛthivi who has appeared to prove the righteousness of Śākyamuni is at the lower right. The depiction of Pșthivī whose upper half of the body is emerging from the earth like this is rare. Furthermore, the figure of Śākyamuni meditating for seven days after the demon-suppression is added at the right hand side of the picture in a small size. Scroll 7 is the scene of King Bimbisāra's Conversion to Śākyamuni's Teaching after hearing his sermon. In the upper part of the picture is depicted the audience in front of Śākyamuni, including the king and his ministers, and elephant carriages and attendants waiting the return of the king are in the lower half. Behind Śākyamuni is Gṛdhrakūta Mountain with its eagle-headed peak, suggesting that Śākyamuni is preaching. Also, the wheels of law painted between Śākyamuni and the kings symbolize his preaching. Scroll 8 is a visualization of three stories concerning the Nirvāṇa. The entire left half of the picture plane is devoted to a minute depiction of the Nirvāṇa scene which embodies details like Mahāmāyā with her attendants and the old women near Sākyamuni's feet. The lower right of the picture plane is the cremation of Śākyamuni. Here, as MahāKāśyapa, who could not come to see Śākyamuni upon his deathbed, worships the coffin placed on firewood, feet of Śākyamuni appear from the coffin. The upper right is the scene of distribution of Śākyamuni's relics in which a brāhmaṇa Droṇa divides the relics.
著者
関 鼎
出版者
社団法人 東洋音楽学会
雑誌
東洋音楽研究 (ISSN:00393851)
巻号頁・発行日
vol.1967, no.20, pp.29-48, 1967

本稿は印度の民謡の単なる紹介であるということを最初に断わっておかなければならない。<BR>印度は亜大陸である。その面積はソ連を除いた全ヨーロッパの面積にほぼ匹敵し、その人口は前記ヨーロッパのそれよりも約一五パーセントを上回る。そしてこの亜大陸は、北のカラコルムの氷河地帯、南の熱帯の波の打ち寄せるコモリン岬、東の深いジャングルに覆われたアッサムの丘陵地帯、西の荒涼としたバルチスタンの砂漠地帯、あるいはヒマラヤ山系の高い山々と深い谷間、まったく平坦なヒンダスタン平原等その自然においてまったく変化に富んでおり、その住民は、風貌を異にし皮膚の色を異にしたさまざまな人種で、それらがこの異なった自然環境の中で異なった神に帰依し、異なった言葉を話し、異なった風俗習慣を持ち、そしてもっとも原始的なジャングルの奥の生活からもっとも近代的な都市生活までのさまざまな生活を営なんでいる。印度の民謡はこれらをそのままに反映して、それぞれ特色を持ち、変化に富み、そしてそれらが互いに入り交り縺れ合ってまったく複雑である。<BR>この亜大陸の文化は「印度文化」あるいは「ヒンヅー文化」と呼ばれ、しばしば中国文化および西アジア文化と並べられてアジアの三大文化とされる。そして、印度文化の特徴は「 多様性の中の統一」 という言葉で説明される。しかし民謡の場省は、少なくとも私の聞いた限りにおいては、その多様性は容易に見出すことは出来るとして、一つの印度民印度の民謡 二九 (29 ) 印度の民謡 三〇謡としての統一をそこに見出すことは出来ないように思われる。今日、パキスタンの文化はしばしば西アジアの文化として考えられているので、民謡もまたインドとパキスタンに分けて考えなければならないかも知れない。しかし、このように二つに分けて考え、それぞれに統一を見出そうとしてもその結果は同じであるし、また、古典音楽にならって南北二つに大別して眺めて見てもその答はやはり同様である。<BR>しかしながら、今日まで私が耳にすることの出来た印度の民謡は、莫大な数にのぼるこの亜大陸の民謡のごく一部に過ぎない。したがって、私の聞くことの出来た民謡を基にこれ以上印度の民謡を論じることは、盲人が象の脚をなでて象を論じるとなんら変りはない、現在ここで私が印度の民謡について出来る唯一のことは、私の集めることの出来た民謡を楽譜にして、出来るだけ多く紹介することである。<BR>今日、印度の民謡の音楽の面はあまり研究されておらず、したがって、これに関する著書や論文、それに資料となる楽譜は非常にその数が少ないので、私がここに紹介する印度の民謡の楽譜が、この方面に興味を持っておられる方々にとってなんらかの役にたつことが出来ればまことに幸である。<BR>以下紹介する楽譜について一言述べておかなければならない。<BR>これらの楽譜はすべてインド放送局およびパキスタン放送局の作製した録音テープより採譜したもので、録音テープはすべて武蔵野音楽大学および私の所蔵するものであり、市販されているレコードよりのものは二切含まれていない。採譜は福田芳野および私が共同で行なったものである。<BR>これらの民謡の中には、放送のためにいくらか整備されているものもあるが、それらも将来現地採集の際の一つの手がかりとなると考えられるのでここに紹介することにした。<BR>半音よりさらに狭い微分音程の記譜に関しては、その楽譜のところで説明を加える。 (30 ) <BR>拍子記号および縦線は、ただ楽譜を読み易くするためのもので、したがって西洋音楽におけるように、縦線の次の音符は強拍となるとは限らない。<BR>一つの歌において、繰り返しごとに旋律の一部が多少異なっているものがあるが、その場合にはもっとも多く歌われている旋律を選んで採譜した。<BR>なお、ここでいう印度は地理的にみた印度である。この場合、セイロンやネパールも当然この中に含まれなければならないのであるが、紙面に限りがあるので、これらの国の民謡は省くことにした。また、チベット、アフガニスタン、イランなどの民謡を比較のためにここに紹介すべきであると考えたが、これらもまた同様の理由で省くことにした。これらの国の民謡は、機会があれば改めて紹介したいと思う。
著者
石澤 伸弘 横山 茜理 関 朋昭
出版者
日本生涯スポーツ学会
雑誌
生涯スポーツ学研究 (ISSN:13488619)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.55-62, 2016 (Released:2017-08-16)
被引用文献数
1

In Hokkaido have been carried out sports training camp of about 2,000 every year, also visited many top sports teams. The purpose of this study was to clarify the selection factors of the top sports teams that have done a sports training camp in Hokkaido. In this study, interviews were carried out two women's basketball teams and a women's softball team, a men's rugby team coaches and the managers to subject. Data obtained by interview, the visualization was conducted by Fish Bone Diagram which was devised by Ishikawa(1956).As a result, facility, support, meal, climate, and name recognition, were five factors of the extraction, the factors for being selected as sports training camp has been shown.
著者
内科系学会の男女共同参画に関する連絡協議会 橋本 悦子 瀧原 圭子 鈴木 眞理 成瀬 桂子 内田 啓子 金子 猛 三谷 絹子 村田 美穂 相良 博典 駒瀬 裕子 名越 澄子 村島 温子 吉田 正樹 安藤 富士子 梶波 康二 西川 典子 檜山 桂子 別役 智子 正木 崇生 山内 高弘 白鳥 敬子
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.107, no.5, pp.894-899, 2018
被引用文献数
4

<p> 2012年度及び2016年度に行われた日本内科学会と内科系13学会における男女共同参画の実態調査結果を比較した.女性理事のいる学会が5学会から9学会に増加し,女性評議員数も全学会で増加,男女共同参画推進組織のある学会は10学会から13学会となった.評議員,委員会委員,司会・座長の女性の比率がいずれも会員比と同等の学会は2016年度で1学会のみであったのに対し,専門医の女性比率は13学会で会員比とほぼ同等であった.</p>
著者
関根 正美
出版者
筑波大学
巻号頁・発行日
1996

identifier:http://hdl.handle.net/2241/3576
著者
関 儀久
出版者
日本産業教育学会
雑誌
産業教育学研究 (ISSN:13405926)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.9-16, 2015-07-31 (Released:2017-07-18)

修学行商は、近代商業学校の教育課程が摸索された明治期に限定して急激な普及・衰退を見た教育活動である。本稿では、修学行商の創始・隆盛から衰退に至る過程を考察し、当時の商業学校関係者による教育課程の摸索状況の一端を明らかにした。修学行商に対する商業学校関係者のニーズは、実地調査と商業実習を教育課程上補完することであった。しかし、明治30年代の商業学校内部における修学旅行の発達により、実地調査は主に修学旅行が担うようになると、修学行商はその取り組み中の弊害の側面がクローズアップされ、急速に衰退の途を辿ることになった。
著者
関山 和秀
出版者
特定非営利活動法人 日本口腔科学会
雑誌
日本口腔科学会雑誌 (ISSN:00290297)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.75, 2015

石油系合成高分子等の従来型素材は,その多くが原料を枯渇資源に頼り,生産工程でも膨大なエネルギーを必要とする。大量生産・大量消費・大量廃棄型経済から脱却し,持続可能な社会を実現するための切り札として注目されている素材が「クモの糸」をはじめとする「構造タンパク質」である。鋼鉄の340倍の強靱性(タフネス)を誇る「クモの糸」などの構造タンパク質は,環境性と超高機能性を両立する次世代基幹素材の本命として実用化が期待されているが,工業化に向けた技術的ハードルが極めて高く,産業的に未開拓である。メーカーが本素材を用いて開発を進めようにも,製品開発ができるレベルでのサンプル供給を行なえるサプライヤーが存在しなかったことが,その主な要因であった。私たちは,2004年より慶應義塾大学先端生命科学研究所にて本研究開発に取り組みはじめ,その研究成果をもとに2007年にスパイバー株式会社を設立,量産化のための基本となる要素技術を確立し,2013年11月NEDOからの支援を受け,世界で初めて製品開発ができるレベルでのサンプル供給が行なえる試作研究施設「PROTOTYPING STUDIO」を立ち上げた。また,2014年には,我が国成長戦略の要となる次期基幹産業創出を目指したハイリスク・ハイインパクトな研究開発課題を国家的に支援するための内閣府主導「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」において,「超高機能構造タンパク質による素材産業革命」として本研究課題が採択されたことで,今後鶴岡サイエンスパークを拠点とする研究開発体制が大幅に増強される見通しである。また,2期連続で採択を受けたNEDOプロジェクトにて,これまでの知見を総動員した次世代型パイロットラインを建造中であり,今春頃の竣工を目指している。これにより,本格的にメーカーとのアプリケーション開発のための試作検討を開始できる見込みである。今後,人類がタンパク質を工業的に素材として使いこなせる時代を切り拓き,本素材を一日も早く社会に普及させるべく,ImPACT等の活用によりさらなる研究開発の推進を図るとともに,戦略的にパートナー企業とのアライアンスを進め,構造タンパク質素材の世界初の工業化の実現を目指す。最終的には世界の合成高分子の20%程度を構造タンパク質素材に置き換えることができる可能性があると試算しており,関連産業を含めれば数十兆円規模の巨大なマーケットポテンシャルを秘める。本プロジェクトは,石油化学が中心であった工業材料に,「構造タンパク質素材」という新たなカテゴリーを創造し,枯渇資源に頼らない持続可能な社会の実現に大きく貢献するものである。本講演では,私たちのこれまでの取り組みや,組織としての特徴,今後の展望等について発表できる範囲で概説する。
著者
水関 博志 アンビガパシー スビータ ベンカタラマナン ナタラジャン・サシャムールシー 佐原 亮二 川添 良幸
出版者
一般社団法人日本機械学会
雑誌
計算力学講演会講演論文集 (ISSN:1348026X)
巻号頁・発行日
vol.2010, no.23, pp.647-648, 2010-09-23

エネルギー問題、環境問題の解決策の一つとして、安価に作製できる多結晶シリコンを用いた太陽電池に注目が集まっている。古典的アプローチと第一原理計算を組み合わせて、シリコン結晶粒界の原子構造と電子状態を調べ、粒界による太陽電池特性への影響について検討した。すなわち、<100>,<110>,<111>,<112>に方位を揃えた二結晶のエネルギーの回転角依存性、結合長・結合角分布を求め、粒界制御、方位制御の有用性を評価した。さらに、Σ3(111)シリコン粒界に関する密度汎関数理論に基づく計算を行ない、粒界近傍の侵入型、置換型サイトにおけるNi,Fe,Cu,Cr原子不純物の影響を調べた。不純物の偏析エネルギーは置換型サイトではCu,Ni,Crに比べてFeが大きく、侵入型サイトではCu,Fe,Niに比べてCrが大きいことが分かった。偏析エネルギーの計算結果は正の値であり、Σ3(111)粒界では析出が起こらないことを示している。置換型サイトに不純物原子を置いた系では、ギャップ内に新しい準位が見られ、かつ、バンドギャップは小さくなり、これは太陽電池性能に影響を及ぼすと考えられる。
著者
大関 達也
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.86, pp.1-16, 2002-11-10 (Released:2010-05-07)
参考文献数
32

Die Erfahrung der Differenz und der Heterogenität, die im philosophischen Postmodernismus zur epistemologischen Grundaussage vom “Ende der großen Erzählungen” komprimiert worden ist, zwingt zur kritischen Revision der humanistischen Bildung. Im 34. Salzburger Symposion (1999) ist die Frage aufgeworfen worden, wie unter der Voraussetzung von Pluralität und Relativität der Welten der Bildungsbegriff neu bestimmt werden kann. S. Hellekamps reformulierte anhand von H.-G. Gadamers >Wahrheit und Methode< den Bildungsbegriff als das Gespräch in pluralen Sinnwelten. Aber in dieser Bestimmung sollte die Frage nach der praktischen Vernunft und der Urteilskraft, die m.E. auch unter den Bedingungen der Postmoderne unvermeidbar ist, gestellt werden. In diesem Aufsatz werde ich versuchen, die von Hellekamps neu formulierte These über Bildung zu überprüfen. Dazu werde ich H.-G. Gadamers Kritik an der Aufklärung und seine Erorterungen über die humanistische Tradition rekonstruieren.Gadamers Kritik an der Aufklärung bedeutet, daß ihr unkritisches Vertrauen auf die Technik die menschliche Urteilskraft und die praktische Vernunft in unserer Zeit lähmt. Aber es kam ihm jedoch auf die Idee der Aufklärung an, auf das Selberdenken und die Bildung der Urteilskraft. Diese Idee ist als die Rhetorik, mit der Gadamer die Redekunst im sozial politischen Bereich meint, konkretisiert worden. Für Gadamer war es wichtig, etwas Abstand vom technischen Denken zu gewinnen, dem ein Vergessen der menschlichen Endlichkeit zugrunde lag, urn die rhetorische Tugend des Aufeinander-Horen-Konnens wieder zu Ehren zu bringen. Daraus kann geschlossen werden, daß das allgemein bereits bekannte Verständnis von Gadamer als dem Vertreter der Gegenaufklärung revidiert werden sollte und daß es sich bei der als Gespräch verstandenen Bildung urn die Idee der Aufklärung handelt.
著者
関 修
出版者
日本医学哲学・倫理学会
雑誌
医学哲学 医学倫理 (ISSN:02896427)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.33-47, 1997-09-20 (Released:2018-02-01)

1. Medical Philosophy, Ethics and Problems of Homosexuality. The various concepts of sexuality were invented by psychopathology in the late 19th Century. In the DSM-III-R of 1987, homosexuality suddenly became normal from abnormal. However transgender remains an illness, as it was before. It is only a political problem. Another important problem is about AIDS. In Japan, there is discrimination between AIDS caused by medicine and AIDS caused by other factors. 2. Homosexuality as Thought : Situation of modern French Thought. In France, The "May Revolution" of 1968 caused the foundation of a new university : Paris 8th (Vancennes). One of its founders, Rene Scherer began his first lecture on sexuality in the faculty of Philosophy. His partner, Guy Hocquenghem, founded FHAR. Recently, Red and Black-Homosexuals in France after 1968 by F.Martel was published. However, Prof. Scherer has told me it is a defective book. 3. Thought of G. Hocquenghem : concerning homosexual desire. The originality of Hocquenghem's thought seems to lie in his idea of forming "a group of subjects" through the anus. The creation of relations among others by anality stands against ideas of couples. Being homosexual is not a means to attain self-identification, but a means to be out of self, to become a foreigner. It is also an escape to an infinite drifting from a stiff identity. 4. The Voice of M. Foucault : Homosexuality as a form of existence. Foucault's thought about homosexuality summarizes two points. First, to be homosexual is not correct ; to become homosexual is correct. He takes "gay" to create a new form of existence. Therefore, he does not think coming-out to be inevitable. Secondly, his problem is to begin to love among individuals. It means that "I" is more essential than sexuality. Here there seems to be fascination for passivity. 5. Conclusion : In Japan, they say "gay" is already out of fashion : now "queer" replaces it. However, such nomenclature is only a matter of fashion. To my regret, regular studies on gayness or queerness are not carried out in Japan. Now, it is necessary to study homosexuality as thought. That means to meet various thoughts not only to introduce and imitate them but to get involved in them : to have a mind of "hospitality". That is a critically needed task in Japan.
著者
関谷 真
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.159-165, 1985-12-25 (Released:2010-01-20)
参考文献数
12

実証は自然科学の基礎となる。実証は経験を基にして, その経験のまとまりから, 法則を含んだ理論が形成される。その意味で, 実証主義は, 経験論の係累にある。その経験的事実から自然現象を説明するとき, 現象の予測が可能となる場合がある。理論の検証は, この予測可能性に負うところが大であり, かつ, 検証は誰でもが可能でなければならない。実証主義においては, 理論構成で用いられる概念は, 形而上的であってはならない上にそこで用いられる概念の定義は経験される事実に限定された定義でなければならない。実証主義の立場をとるか, とらないかは別にして, 経験の積み重ねがわれわれの日常生活に大事な働きをしている。しかし, 経験的事実の範囲を越えた価値にもわれわれはその生活基盤を置いている。未だ実現されていない目的遂行はその一つである。われわれは, 経験を自分の意識でまとめている。その経験はことばによって表わすことができる。しかし, 同時にイメージによる表現も用いている。例えば, 道順の説明に地図とことばの説明を併用すると自分にも他者にも解り易い。ごく一般的に, われわれの日常の相互理解と相互情報交換を通して社会的通念を形成している基礎に, 「ことば」と「イメージ」がある。「ことば」と「イメージ」の生理心理学的分析を試みるのではなく, この一組の事柄がわれわれの認識活動でどういう意味をもっているのかその働きの形式を再確認することをこの論議の主題としたい。生物諸科学が生命科学という総称にまとめられるには, それなりの理由があることであろう。そういう生命科学論がいういろいろな場面で登場する最近の傾向は何がそうさせているのか, それが案外に理解できるという期待もある。

1 0 0 0 OA 理解と能力

著者
関口 浩基
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.99-111, 1992-11-14 (Released:2009-05-29)
著者
関口 秀夫 大久保 修三
出版者
日本動物分類学会
雑誌
動物分類学会誌 (ISSN:02870223)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.19-26, 1986
被引用文献数
1

従来イセエビ科のリョウマエビとワグエビはめったに採捕されない稀種とされていた.しかし,これまでの知見と三重県和具でイセエビ刺網に採捕された結果を整理したところ,リョウマエビは10個体以上,ワグエビは数個体が毎年採捕されていることが明らかになった.これら2種類のエビは,日本近海ではさほど稀れではなく,おそらくは他の国でも同様であろう.