著者
松本 博之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.184, 2009

ジュゴンは熱帯・亜熱帯の浅海域に生息する草食性の哺乳類である。潮の満ち干にともなって、アマモ類を索餌するために満ち潮で浅瀬に接近し、引き潮で沖合へと移動する。肺呼吸をおこなう生き物であるから、索餌中も2,3分に1度は海面に浮上し呼吸する。その瞬間がハンターたちの銛を打つ唯一の機会である。<br>オーストラリア、トレス海峡諸島は太平洋およびインド洋の沿岸域に生息するジュゴンの分布域の中でも最も周密に生息する海域である。トレス海峡の先住民は、考古学的な史料によると、少なくとも2000年前からこの生き物を狩猟してきたようであり、今日でも単なる食料としてのタンパク源・脂肪源の意味をこえてトレス海峡諸島民の文化の核に位置している。<br>狩猟行動によって意識化される海底地形と植生、潮、風、それにジュゴンの生態行動など、今日「文化遺産」ともよばれる生きた自然に関する知識は膨大なものである。たとえば、その他の漁労活動や海上交通の理由にもよるが、サンゴ礁地形の発達する海域において、 日常的な行動海域に120以上もの海底地名を付けており、それ以上に、その地名の意味内容をこえて、周辺の海底に関する知識は詳細をきわめている。アマモ類の藻場の分布はいうまでもなく、ジュゴンの行動をとらえた「ジュゴンが背中を掻く岩」の所在や潮の満ち干にともなった移動路となるサンゴ礁内の澪筋ないし入り江にもその観察はおよんでいる。<br>また、ジュゴンは内耳神経の発達した生き物であり、音にきわめて敏感である。先住民たちもそのことを熟知しており、もう1つの狩猟対象であるウミガメのプルカライグ(目の良い奴)に対比して、カウラライグ(耳の良い奴)というニックネームを与えており、そのことが彼らの狩猟行動の多くを説明する。つまり、1970年代から導入された船外機のついたアルミニウム合金製の小型ボートで狩猟場の風上まで疾走するが、そこからはエンジンを止め、海面の乱反射を避けるために太陽を背後に受け、話し声もふくめ一切物音を立てず、風向と潮流にまかせて、船を風下・潮下に流すのである。その際、船体はかならず潮流と平行に保つように舵を操作しなければならない。わずかでも潮流が船体に当たり、波音を立てることさえ避けようとするのである。いわば、自分たちの存在を風の音と波の音にかき消すのである。しかし、彼らは単に風と波に身をまかせているわけではない。水面下で索餌するジュゴンの行動も考慮のうちに入っている。ジュゴンは潮上にむけて直線的に索餌し、かつ呼吸のために浮上する際も潮上にむかって泳ぐのである。したがって、ハンターたちの行動はジュゴンとの遭遇の機会を増大させているのである。<br>しかしながら、こうした先住民のジュゴン猟も現代世界にあっては、さまざまな問題を抱えている。ジュゴンは言うまでもなく国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定されている生物だからである。目下オーストラリアという国民国家の中の先住民として暮らす彼らには、少数民族として多数(主流)派社会の法や世論を無視しえない。彼らのジュゴン猟も、その伝統的な食料資源としてのみならず、肉の分配にともなった社会的凝集力や彼らのアイデンティティにつながる墓碑建立祭の折の不可欠の食べ物、さらにはハンターに与えられる社会的威信などに配慮して、自給目的の狩猟のみを認められているにすぎない。しかし、主流派の規範となっている「生物多様性」、「環境保全」、「持続しうる開発」は動物保護団体による全面狩猟禁止や船外機付きボートという狩猟手段の問題視を引き起こしている。政府から派遣された「持続しうる開発」のために基礎調査を行う海洋生物学者たちも、ジュゴンの再生産率の低さゆえに、目下の捕獲頭数を政府への答申や学術雑誌の中で危険視している。一方先住民の間では、ジュゴン猟がみずからの民族性を示す特徴の一つとしてシンボル化し、民族自治を願う彼らにとって、ジュゴン猟への干渉は政治問題に展開する可能性を秘めている。こうした問題はトレス海峡諸島民のみならず、たとえば、カナダ極北のイヌイットの人々の生存捕鯨、カナダ北西部海岸先住民のサケ漁、カナダ北東部クリーの人々のシロイルカ猟など、現代の海と関わる先住民の社会が共通して抱える問題なのである。
著者
井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

地理教育の観点からみた防災教育の課題<br>この課題の一つとして、災害から身を守るべくハザードマップが十分活用されていない、もしくは活用できないことがある。ハザードマップは、自分自身の身を守る「助かる」だけでなく、他の人を「助ける」ためにも有用であり、さらには地域全体としての防災をどうすべきかを考えるうえでも重要である。しかし、そのハザードマップが活用できていないことが多々あるのである。その要因は、地図を読むスキルが不足しているという読み手の問題と、ハザードマップをみてもどう活用できるのかわかりにくという地図作成側の問題とがある。いずれも、地図を読む、意図のはっきりした読みやすい地図を作成するといった地図活用のスキルの不十分さが指摘できる。学校教育としての地理教育だけでなく、社会教育としての地理教育を考えていかなければならない。<br>地域の観察と防災教育<b><br> </b>矢守氏の「防災といわない教育」、この視点は地理教育でも極めて重要と思われる。津波や地震などに襲われたとき、ハザードマップを見ながら逃げるわけにはいかない。つまり、ハザードマップが頭にはいっていなければならないことになる。その際、ハザードマップだけでなく日頃の地域に関する自分の認知と地図が一体化し、瞬時に判断していかなくてはならない。自分の家の周りを散歩するだけでも、どこが坂となっていて、どちらのほうにいけば高台にいけるかはわかる。さらには、土地の起伏や住宅の密集度などを観察して散歩していれば、日頃から様々な地域の情報がはいってくる。このようにして得られた情報と、自分があまり意識しない近隣地域も範囲となっているハザードマップを見慣れていると、何か起こった時、瞬時の判断の最適な判断材料となろう。 ハザードマップが適切な情報を提供していない場合もなくはない。その場合も、住民の経験による地域認識とハザードマップが一致しているのか、一致していないとすればどこに問題があるのか、考えながら地域を歩くことで地域の見直しができる。それにより、より適切なハザードマップができ、新たな見方を習得することができるようになろう。このようなことは、学校教育の社会科、地理の学習活動としても可能である。防災を目的とした地域調査であろうと、異なった目的の地域調査でも、防災に関する情報を、実地で収集することができる。このような地域調査に基づき、既存のハザードマップを修正したり、行政機関に修正を依頼したりすることもできよう。このような学習は、社会参画にかかわる学習となり、市民として何ができるか、何をしなくてはいけないかといった市民教育ともつながっていく。さらには、持続可能な社会を構築していくことにもつながる。<br>国際協力と防災教育<br> 防災教育をめぐる国際協力の在り方を指摘した桜井氏は、今後の地理教育を考えるうえで新しい示唆を与えてくれた。高等学校までの防災教育は、「自助・共助・公助」という観点があるが、国内での防災教育が前提となっている。特に教科教育の国際発信は、理数教育が注目され、海外から需要も高い。しかし、防災教育のカリキュラムを国際的に発信すれば、国際協力にもつながっていくように思われる。高等学校までの防災教育、とくに地理で行われる教育は国内を対象としている。一方で、世界各地での災害をみれば、地震による都市での災害、津波による災害、噴火による災害など日本との共通点も多く見出すことができる。日本では、多くの災害を経験し、教育にも国内を中心とした防災教育をとりいれてきた。こうした教科としての防災教育は、共通性の高い災害の起こりやすい他国でも参考になるし、情報を共有することで、一層質の高い防災教育をすることにつながる。日本の大学や大学院で、国内外の学生が地理教育を通しての防災教育学び、その成果を海外発信することは、世界が日本の地理教育、防災教育に期待することの一つとなろう。<br>地理教育における防災教育<br> 次期学習指導要領(小学校2020年、中学校2021年、高等学校2022年実施予定)では、高等学校では地理が必履修化される可能性が高い「地理総合(仮称)」では、防災が一つの主要な柱となっている。また、中学校、小学校でも防災教育は行われるだろう。地理教育における防災教育は、地域調査などを通して地域の特性を深く学び、防災に関する課題を見出し、主体的にその解決策を見出そうとし、お互いの考えなどを討論して、不足している知識を習得し、実現可能な解決策に近づけることがもとめられる。こうした学びは、習得、活用、探究といった学びのプロセスを踏むだけでなく、アクティブラーニングンの概念も踏襲している。さらにこのような防災教育にかかわる地理教育は、そのカリキュラムを海外へ発信することで、国際協力にも貢献できる可能性を秘めている。
著者
渡久地 健
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

サンゴ礁地形を中心に、漁師の漁場知識と漁撈活動の関係について話題提供し、地域社会とサンゴ礁生態系の繋がり考えるきっかけとしたい。
著者
中林 一樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.209, 2007

<BR>(1)復興対策の事前準備の重要性<BR> 阪神・淡路大震災(1995)では、全壊全焼家屋11万棟(195千戸)に及ぶ被害からの復興を、住宅戸数では概ね5年間で、基盤整備事業による都市復興は18地区300haで10年を超える長期の都市復興を進めている。阪神・淡路大震災の多くの教訓の一つが、「復興準備対策」あるいは「事前復興対策」である。防災基本計画の改定(97)では復興対策の充実が示されたが、進展していない。<BR> 復興対策は起きてから考えるのでは遅い。震災前に街づくりを進めていた街では復興が早い。これらは、阪神・淡路大震災の教訓である。阪神大震災を遙かに上回る被害が想定される首都圏では、復興の迅速性は首都機能被害(間接被害)の規模を規定する。復興が長引けば、東京の地域社会・地域経済がもたらす間接被害が増大する。<BR><BR>(2)「災害からの復興」の理念<BR> 阪神・淡路大震災・新潟県中越地震や台湾921大震災などから学ぶ地域復興対策の理念は、次の4つである。<BR>1)連続復興<BR> 避難生活から応急仮設住宅・仮設作業所などの応急復旧へ、そして本格復興までを連続的に進める。第1は「地域社会(生活・暮らし)」、第2は「地域空間」、第3は「地域経済」の連続性である。<BR>2)複線復興<BR> 被災家族、被災事業所の復興需要は多様である。その多様な復興需要にどのように対応するか。その鍵は、「復興基金」制度の活用である。<BR>3)地域こだわり復興<BR> 被災した地域社会と地域経済を支えてきた地域の仕組み」にこだわる復興である。やはり、第1は「地域社会」、第2は「地域空間」、第3は「地域経済」への『こだわり』である。とくに、高齢社会における災害復興では、地域社会へのこだわりが被災者の多くにとって、重要な要素となる。<BR>4)総合復興<BR> 都市-街-住まい-生活-しごと(暮らし)-文化・教育などの復興を如何に連続的に地域で展開できるか。「地域の復興」は総合的な街づくり・都市づくりとしての取り組みが重要である。<BR><BR>(3)東京直下地震の被害想定<BR> 内閣府中央防災会議による東京湾北部地震の被害想定によると、東京を中心に南関東で全壊全焼85万棟、死者11千人、被害金額112兆円(うち間接被害46兆円)に達する。自宅喪失世帯160万世帯と想定され、住宅再建あるいは都市的復興に係る被害は阪神・淡路大震災7~8倍に達する。<BR><BR>(4)東京都における事前復興対策<BR>1)都市復興マニュアル・生活復興マニュアル<BR> 東京都は、阪神・淡路大震災の教訓を受け、阪神・淡路大震災を遙かに上回る被害が想定される東京の地震災害では、復興が重要な課題となるとして、1997年に「都市復興マニュアル」を策定公表した。復興へのプロセスでは、都市計画的に被災市街地の復興の取り組みが最も早い取り組みとなる。震災から2週間で復興事業区域を選定し、2か月で都市計画決定するためのマニュアルを策定した。翌98年に、復興体制・住まい・生活・暮らし・教育文化・経済雇用の復興のための行政対応をとりまとめた「生活復興マニュアル」をとりまとめた。<BR>2)震災復興グランドデザイン<BR> マニュアルは手続きに過ぎず、東京の都市復興はどんな都市像・街像を目指すのか。「復興とは、その地域のトレンドに戻すことが基本」であるから、都市のトレンドを踏まえて、震災復興で目指すべき都市像を検討し、2001年に「震災復興グランドデザイン」を公表した。<BR>3)震災復興マニュアル(プロセス編・施策編)<BR> 2003年都市復興と生活復興のマニュアルを改定し、都民向け「プロセス編」と行政職員向け「施策編」とした。<BR><BR>(5)震災復興を規定する事前の街づくり<BR>1)東京都「復興市民組織育成事業」<BR> 膨大な被害からの復興には、地域や個人による自助・共助と公助との「協働」による取り組みが不可欠と『地域協働復興』を震災復興の基本概念に設置し、その事前推進として、地域に復興時に主体となるべき「市民組織」を育成していこうと復興市民組織育成事業(2004~06年度)を実践してきた。「復興まちづくり模擬訓練」である。<BR>2)「防災都市づくり推進計画」と防災生活圏整備<BR> しかし、究極の『事前復興対策』とは、震災復興時の苦労と原資を集中して事前に被害軽減を実現することではないか。2003年防災都市づくり推進計画を改定し、密集市街地で6,500haの整備地域、うち2,400haを特別整備市域に指定し、防災街づくりを推進しつつある。<BR><BR>(6)間接被害の軽減と企業BCP(事前復興対策)<BR> 首都中枢機能も連続復興が重要である。とくに国家の政治・行政機能、世界経済の一翼を担う経済中枢機能は、大震災時でも「機能継続」が不可欠の部門がある。その業務継続計画(BCP)は事前復興対策でもあり、災害からの緊急復旧そして迅速な本格復興を可能とする。
著者
上野 由希子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100263, 2016 (Released:2016-04-08)

はじめに 本研究の目的は、鯨と地域との関わり方の変容を文化地理学的な視点により明らかにする事である。本発表では、産業的には衰退しているが、文化的には現在も利用が続いている鯨を取り上げ、山口県の長門市と下関市の鯨に関する文化の利用の違いを比較考察する。長門市通地区の事例 鯨に関する文化を観光に利用している事例が山口県長門市の通(かよい)地区である。ここは江戸時代古式捕鯨を行っていた島の漁村である。捕獲した鯨に戒名を与え、解体の際に母鯨から出てきた胎児には墓を設けて供養した事が通地区の特徴としてあげられる。さらに鯨を供養するための法要が現在も続けられている。鯨墓建立300年を記念して1992年から通くじら祭りが行われるようになった。この祭りでは海で鯨の模型を捕獲する古式捕鯨の再現が行われている。翌年には、水産庁の沿岸漁業改善事業の一環でくじら資料館という博物館が設置され、旧鯨組主の早川家に伝わる捕鯨具などを収蔵展示している。通地区の小学生は古式捕鯨時代から伝わる鯨唄を習う時間がある。このように通地区では鯨に関する文化を地域文化資源として利用しているが、捕鯨自体すでに廃絶しているためその文化を継承することが目的となっている。下関市の事例 下関は交通要衝の都市に位置し、大洋漁業(現マルハニチロ)の捕鯨部門とともに発展してきた町である。下関市は現在調査捕鯨のキャッチャーボートの母港となっているが、今後規模を拡大することを目指し、それに向けて行政主導で鯨を利用した地域づくりが進められている。鯨に関する研究機関として水族館の海響館、下関市立大学には鯨資料室があり、鯨に関する情報を収集している。そして食を通した住民への普及活動を実施している。大きなイベントでは鯨を食べられる場を設け、「鯨を食べる習慣がある地域」であることを舌で覚えてもらう。特に鯨料理教室や、学校給食に鯨を使ったメニューを復活させるなど日常的に鯨を食べる機会を増やし、下関の人々に対して、鯨に愛着を持ってもらう事を期待していると考察した。これらの鯨に対して親しみを持つよう働きかける活動は、調査捕鯨船団を受け入れやすい地域を形成することを目的としていると考えた。調査捕鯨母船の新船建造誘致を目指し、捕鯨がもたらす経済効果を狙って下関市は行政主導で鯨に関する文化を地域づくりに利用している。考察 両地域の共通点は3点ある。時代が異なるが捕鯨基地として栄えたこと、鯨を食べる習慣があること、鯨に関する博物館施設が設置されていることである。しかし両地域には地域資源としての鯨の利用の仕方に違いがある。通地区では鯨墓や鯨唄などの鯨に関する文化の伝承を目的としている。一方下関では調査捕鯨船団を受け入れやすい地域を形成するため、行政主導で鯨に関する文化を地域づくりに利用しているという違いがある。つまり、通地区の鯨に関する文化の基盤は生業的な古式捕鯨で、捕鯨が廃絶した島嶼の村落に立地している。それに対し、下関の鯨に関する文化の基盤は企業的な近代捕鯨で、現在も調査捕鯨の基地である交通要衝の都市に立地している。これが両地域の違いが表れる原因であると考える。
著者
遠藤 尚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br> 1980年代以降,多様な分野において,発展途上諸国農村におけるグローバリゼーションや市場主義経済化による影響に関する研究が蓄積されてきた。しかし,発展の先発地域では,非農業部門における開発と経済成長が数10年間継続し,農業経営や自然資源の利用状況についても発展当初とは変化しているものと推察される。このような地域における農業と自然資源利用状況との関係を解明することは,今後の発展途上国における経済開発と環境保全との関係を検討するためにも不可欠である。インドネシア,ジャワ島では,近年都市部を中心に食の多様化が進み,生鮮野菜の需要も拡大している。ジャワ島西部の中南部に位置するプリアンガン高地は,ジャカルタやバンドゥンなどの大都市に近く,比較的冷涼な気候のため,大都市向けの生鮮野菜の生産地となっている。しかし,西ジャワ高地地域の野菜栽培については,藤本・三浦(1997)など経済成長前半の1990年代に行われた研究以降,実証的な研究がほとんど行われていない。そこで,本研究では,都市向け温帯野菜産地の一つであるレンバン郡の一農村を事例として,近年の西ジャワ高地地域における野菜生産の現状とそれによる自然資源への影響について明らかにすることを目的とした。<br><br>2.対象地域の概要と研究方法<br>本研究の調査対象地域は,西バンドゥン県レンバン郡スンテンジャヤ村である。当村は,州都バンドゥン市中心部の北約8kmに位置している。また,当村を含むレンバン郡は,標高1,000m以上の高地に位置し,都市向けの野菜生産や酪農が盛んな地域となっている。しかし,当村を含むチタルム川上流部では,1990年以降,畑地面積と年間土砂流出量の増大が指摘されている(Noda et al. 2014)。<br> スンテンジャヤ村においては,2013年9月に,120世帯を対象とした調査票を用いた聞き取り調査を実施した。調査項目は,世帯構成員の属性,就業状況,世帯の動産・不動産所有状況,農地経営状況等である。また,2017年9月に,60世帯の農家を対象とした農業経営状況および自然資源利用状況に関する調査票用いた聞き取り調査を行った。加えて,同時期に,農民グループ長に対する村周辺の土地利用に関する聞き取り調査を実施した。<br><br>3.スンテンジャヤ村における野菜生産と自然資源への影響<br> 2013年の調査において,スンテンジャヤ村では,2000年代以降,野菜作が拡大したことが明らかとなっている。また,西ジャワ州の水稲生産地域と比較して,比較的若い世代が農業に就業していた。2017年現在の主な作物はブロッコリー,キャベツ,トマトなどであり,これらの野菜が資本的にも労働的にもかなり集約的に生産されていた。これらの野菜作では,水源として主に湧水が利用されているが,一部の農家では湧水の減少による水不足がみられた。また,当村には,野菜生産に関する農業技術指導がほとんど実施されておらず,傾斜地における適切な野菜栽培が必ずしも行われていなかった。例えば,畑地の畝が,斜面の傾斜と平行に作られている場合も多く,多くの農地で土壌浸食が発生していた。このような状況は農家自身も認識しており,2009年には,一部の農家により水資源保護と収入確保の両立を目指したグループが結成され,2017年現在までこのグループによる活動は継続していた。<br><br><付記>本研究は,JSPS科研費(15K21207)による成果の一部である。<br>参考文献<br>藤本彰三・三浦理恵 1997.西部ジャワ高地におけるトゥンパンサリ野菜栽培の経営評価-チパナス地域における1年間の農家継続調査結果-.東京農業大学農学集報 41(4):211-228.<br>Noda, D., Shirakawa, H., Yoshida, K. and Oki, K. 2014. Evaluation of ecosystem services regarding soil conservation in Citarum River Basin. International Symposium on Agricultural Meteorology 2014, 18 March 2014, Hokkaido University, Sapporo, Japan.
著者
渡邊 三津子 古澤 文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<B>1. はじめに</B><BR><br> ソ連崩壊後のカザフスタン農業については、マクロな視点からのすぐれた研究蓄積がある一方で、個別地域における市場経済化がミクロな市場(バザール)や地域の農業にどのような影響を与えたのか、といった点については実態的な調査が行われていないのが現状である。本研究では、人々の生活に最も身近な市場と地域農業との関係に焦点を当てる。ソ連崩壊後20年を経て、地域の市場が市場化やグローバル経済をどのように受容してきたか、また市場の変容が地域農業や土地利用にどのような影響を与えたかを明らかにすることを目的とする。 本発表では、市場の小売店や農業生産者へのインタビューを通じて、近年の青果物の輸入増加に目を付けた農業生産者たちによる新たな取り組みとしての施設栽培の導入について紹介する。 <BR><br><B>2. 青果物輸入量増加と施設栽培の導入</B><BR><br> カザフスタンにおいて、1991年のソ連崩壊後、計画経済から市場経済へと移行する過程で農業生産の大幅な縮小が生じた事はよく知られている(錦見、2004など)。その後、1999年ごろまで農業生産は停滞していたが、その後穀物生産に牽引されて回復過程に入ったとされている(野部、2008)。 しかし、野菜や果物に関しては季節的な変動が大きく、夏場には大量に市場に出回るものの冬場には不足する。アルマトゥ市内の市場やジャルケントの市場での聞き取りでは、冬季に市場に出回るものの多くは、海外(特に中国)からの輸入品である。近年、当該地域では、こうした現状に目を付けて施設栽培を導入する農業生産者も現れた。以下、アルマトゥ市近郊、パンフィロフ地区ジャルケント周辺の2か所における聞き取りの内容を紹介する。<BR><br>1) パンフィロフ地区の農業者の事例<BR><br> アルマトゥ州パンフィロフ地区は、中国と国境を直接接する辺境である。2012年末、中国の青島からカザフスタン共和国のアルマトゥを結ぶ大陸横断鉄道が開通したことにより、現在では経済活動の結節点としての重要性が高まっている。 Sさんは、ソ連時代にはジャルケントの銀行に勤めていたが、2005年に農業企業(有限会社)を設立した。Sさんの農場では、現在25棟の温室を所有し、9月以降冬場にかけてキュウリやトマトを栽培している。 ジャルケントのコーク・バザールで青果物の小売店を営むZさんによれば、現在ジャルケントにはSさんを含む3軒の農家が施設栽培を行っているが、冬場の需要を満たすには至らず中国産のものを仕入れている。<BR><br>2) カスケレン地区の農業者の事例<BR><br> &nbsp; アルマトゥは、1997年にアスタナに遷都されるまでの首都であり、現在でも国内最大人口を抱えるカザフスタンの経済活動の中心地である。アルマトゥから西方約25㎞のカスケレンにおいて農業企業を営むAさんは、もともとエコノミストであり農業経験はなかったが、中国産の野菜の輸入量や品目、価格について調査し、2012年に企業に踏み切った。現在2棟の温室を有し、キュウリとトマトを栽培している。温室自体は韓国製で、その他の栽培技術や種、土などはオランダのものを使っている。Aさんの農場では、農薬は使わず有機栽培を行っている。露地栽培に比べてコストは割高になるが、カザフスタンではまだ有機野菜などの付加価値が認められていないので、他の露地物と同じ価格で販売している。 <BR><br><B>3. まとめ</B><BR><br> &nbsp; ソ連時代以降の食生活の変化に伴って、冬場にも青果物の需要がある一方で、カザフスタンにおける冬場の生産は少ない。ソ連崩壊後、特にカザフスタン南東部においては中国から輸入青果物が大量に出回るようになった。それに目を付けた、農業者が独自に施設栽培を導入し始めたが、技術面やコスト面での課題が多い。 &nbsp; <BR> &nbsp;<br>錦見浩司(2004):農業改革-市場システム形成の実際-.岩﨑一郎・宇山智彦・小松久男編著『現代中央アジア論-変貌する政治・経済の深層-』201-226./野部公一(2008):再編途上のカザフスタン農業:1999~2007年-「連邦」の食料基地からの脱却.「専修経済学論集」43(1)、73-91。
著者
内海 真希 春山 成子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.72, 2003

1.はじめに(背景) わが国の環境問題を解決するためには、廃棄物投棄・処理による汚染をいかに抑制するかが大きな問題である。産業廃棄物は都市部で大量に排出される一方で、周辺地域の近郊農村あるいは遠隔地農村へと運ばれながら処理・処分される過程で、大気・土壌汚染など自然・生活環境に多大な悪影響を及ぼしている。とりわけ、首都圏近郊において、所沢周辺(「埼玉県西部地域」)には、最も多くの産業廃棄物処理業者が長期にわたって集中してきたため、ダイオキシン問題が発生した。 局地的で大きな環境汚染を引き起こす産業廃棄物の集中を抑制し、問題の早期解決を図るために、こうした立地・集中の空間要因を分析し、把握することが不可欠であると考える。2.研究目的 産業廃棄物集中の要因を、都市近郊農村地域における農業的土地利用変化と、「土地」に帰属する社会的な要因を軸に評価する。具体的には、_丸1_立地要因として、産業廃棄物の集中・分布形態と土地環境(土地利用・市街化調整区域ほかゾーニング)との関係 _丸2_社会要因として、産業廃棄物業者の集中に大きな影響を与えた、地域内の土地税制などの個別農家の土地問題および、共有地としての入会林野についての問題等を明らかにする。3・対象地 首都圏30km圏にある所沢市と隣接市町村(川越市・狭山市・三芳町など)。産業廃棄物処理業者が日本で最も多く密集して集中している地域である、三富地域と関越道所沢IC周辺を対象とした。4.研究方法 社会問題を生じさせることになった、産業廃棄物処理施設・不法投棄の分布調査を行い、最近20年間を時間軸として分布域を特定する。得られた分布データと周辺の細密数値情報(10mメッシュ土地利用)との関係をGISにより分析し、ヒアリングや統計資料とあわせて、土地環境から立地(集中)要因を明らかにする。 さらに、埼玉県庁・所沢市役所などの自治体や所沢の農業従事者・周辺住民へのヒアリングや行政資料調査から、立地のプロセスと要因を総合的に把握し、その中で特に土地問題に焦点を当てて、社会要因を分析する。5.考察 産業廃棄物処理施設の立地には、「排出地からのアクセス」と「業者による用地取得」が容易であることが前提となる。まず、所沢地域は「関越自動車道」や「川越街道」に隣接し、排出地・東京から大量の産廃を大型のトラックやダンプカーで運搬してくるには都合がよい環境にある。また、高速道路のインター(所沢IC)の存在は、東京からの産廃の出口の機能としてだけでなく、一度中間処理や保管積み替えを経て、北関東や東北地方の最終処分場へと送り出すルートの「入口」としても機能してきた。さらに、地元住民(農家)による土地所有の維持困難から、「業者による用地取得」の容易性が確保される。そのような土地所有に関する問題として、農業形態の変化による平地林の管理放棄と荒廃化、入会形態の消失による個人所有形態の卓越、さらに相続税問題・農業外収入確保の必要性、といった問題が複雑に絡み合い、それらによって平地林や一部農地の売却・賃貸を余儀なくされる。それらに加え、業者による土地取得と操業を容易にするのが、「市街化調整区域」のゾーニングである。「市街化を抑制すべき区域」である調整区域内では、商業施設や宅地開発が法制度上難しく、地主にとっても宅地開発に面倒な手続きがかかる」が、例外的に建設できる「第一種工作物」や大規模な開発を伴わない小規模な焼却炉は許可を必要としなかったことが業者にとって、産廃施設誘致に好都合であったといえる。
著者
小口 高 早川 裕弌 佐藤 英人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.57, 2010

<B>I.東京大学空間情報科学研究センターの概要</B><BR> 東京大学情報科学研究センター(Center for Spatial Information Science;以下,CSISと記す)は,1998年に発足したGISの研究組織であり,地理学,都市工学,経済学,土木工学,電子工学,情報工学といったGISに関連した多分野の研究者で構成されている.CSISは,1988年に日本学術会議が議決した「国立地図学博物館」(仮称)設立の勧告に対応し,地図学博物館の研究部門を具現するものとして設立された.同時に,大学に所属する機関として,大学院生や学部生の教育にも積極的に関与してきた.<BR> 現在CSISは,文部科学省が認定した共同利用・共同研究拠点になっており,全国のGIS関連の研究者に共同研究の仕組みを提供している.具体的には,GISのデータをCSISが多数収集して「研究用空間データ基盤」を構築し,その利用を,研究者による申請と共同研究審査委員会による承認を経た後に可能としている.CSISがデータを収集・購入する際には,データの提供元と覚え書きを交わすことによって,全国の研究者がデータを利用する可能性を確保している.この仕組みにより,個人がデータを入手する際の経済的な負担や手間を軽減できる.<BR> 上記のような利点のために,CSISの研究用空間データ基盤は全国の多数の研究者によって利用されてきた.研究用空間データ基盤は,デジタル地図情報の集積ともみなされ,ある意味ではCSISが地図学博物館の所蔵部門としての役割も果たしていることを意味している.<BR><BR><B>II.研究用空間データ基盤の概要</B><BR> 2010年1月現在,CSISの研究用空間データ基盤には次のデータが収録されている.<BR>・数値地図(各種),細密数値情報[国土地理院提供]<BR>・工業統計[経済統計情報センター]<BR>・国勢調査(各種),事業所・企業統計,住宅・土地統計調査など[(財)統計情報研究開発センター]<BR>・気象庁天気図,アメダス観測年報,1 km メッシュ気候値,世界気象資料など[(財)気象業務支援センター]<BR>・パーソントリップデータ[複数の都市交通計画協議会と札幌市]<BR>・Zmap-TownII[(株)ゼンリン]<BR>・国勢調査地図データ[(株)パスコ]<BR>・GISMAP(各種)[北海道地図(株)]<BR>・CityScope首都圏データ[(株)インフォマティクス]<BR>・ライフマップル[(株)昭文社]<BR>・東京23区中古マンションデータ[(株)リクルート]<BR>・地価公示・地価評価データ[(有)RITS総合研究所]<BR>・東京都都心部標高データ,東京地名データ,東京市大字界ポリゴンデータ ,天保14年天保御江戸絵図データ [研究者による独自作成]<BR><BR><B>III.研究用空間データ基盤の活用状況と今後の展望</B><BR> CSISの研究用空間データ基盤を利用して共同研究を行った人の数は,平成16年度には37機関の87名(延161名)であったが,平成20年度には86機関の291名(延325名)に増加した.利用者の多くは大学の研究者で,シニア,中堅,大学院生を含む若手を含んでいる.このことは,研究用空間データ基盤が,日本のGIS研究の発展に重要な役割を果たしていることを意味している.<BR> CSISでは今後,道路に関するデータや高解像度の地形データなどを研究用空間データ基盤に追加し,その利用を一層促進していく予定である.また,データの更新を通じて,異なる時期のデータが蓄積されていけば,地域における新旧の状況を比較するような研究の発展にも寄与するであろう.<BR>
著者
鎌倉 夏来
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

Ⅰ はじめに<BR> 経済地理学においては,製造業大企業を分析対象とする「企業の地理学」が見直され(近藤2007),企業の動態を捉えるにあたっては,組織の慣性などを分析に取り入れる進化経済地理学が注目されている(外枦保 2012).日本の製造業では1980年代後半以降,生産機能の海外移転が急速に進展する一方で,研究開発機能は,国内に集中してきたといわれてきた.しかしながら2000年以降は,海外の進出先に現地対応の開発拠点を新設する企業が増え,研究開発機能におけるグローバルな空間分業が徐々に進展しつつあるといえる.また研究開発活動においては,知識のフローが重視されるため,組織部門間の知識フローに影響を与える,部門間の地理的な配置も重要とされる(太田2008).<BR> そこで本研究では,専ら国内の生産体制における製品間・工程間分業に焦点を当ててきた従来の空間的分業論に対して,新たな分析視点として「新空間分業」の考え方を導入した.具体的な観点は,①国内外の拠点を一体的に取り上げ,②組織や立地の慣性,経路依存などを重視し,③知識フローに注目することである.<BR><BR> Ⅱ 対象企業の概要と分析方法<BR> 本研究では,海外顧客への対応やM&Aによってグローバル化を進める日本の化学企業9社を対象とし,(a)財閥系,(b)繊維出身,(c)スペシャリティの3グループに分類して分析を行った(表1).具体的には,主に社史,新聞記事,IR資料を用いて研究開発機能の立地履歴を明らかにし,聞き取り調査と拠点ごとの特許の出願状況から,現在の研究開発活動における中核拠点を摘出し,拠点間の関係について考察した.<BR><BR>Ⅲ 分析結果<BR>まず「新空間分業」の①国内外の分業関係に関して,現地生産子会社の機能変化やM&Aなど,地域間において進出形態が異なっており,国内拠点との知識フローの方向性に相違が見られた.<BR> 次に②の慣性や経路依存に着目すると,特に立地形態において経路依存的な変遷をたどる企業と,組織や周辺環境の変化によって経路を転換する企業があった.前者のタイプの企業の多くは創業地を研究開発機能の中核拠点としている傾向があり,後者の企業は合併や都市化によって分業形態を大きく変化させていた.<BR> 最後に③の知識フローに関して,特許の出願状況を分析すると,企業外の組織との関係について企業間で差がみられたほか,企業内の拠点間において,一拠点内部で大半が完結している企業と,複数の拠点間での共願関係が多くみられる企業があった.<BR><BR> Ⅳ 議論<BR> 以上にみた企業間の差異をいかに解釈するかが問題となるが,事業戦略や企業文化の違い,合併や子会社化などの組織変更の有無などの点から検討を試みることにしたい.<BR><BR>参考文献<BR>太田理恵子2008.研究開発組織の地理的統合とコミュニケーション・パターンに関する既存研究の検討.一橋研究32(4): 1-18.<BR>近藤章夫2007.『立地戦略と空間的分業―エレクトロニクス企業の地理学』古今書院.<BR>外枦保大介2012.進化経済地理学の発展経路と可能性.地理学評論85(1): 40-57.
著者
古屋 辰郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<b>問題の所在</b> <b> </b>2011年に発生した東日本大震災やタイ・チャオプラヤ川における大洪水の発生により,製造業の生産活動において緊急時を想定したリスク管理の重要性が高まっている.特に,JITシステムをはじめとした在庫削減を指向した取り組みは脆弱性を露呈した.生命関連性を有する特性上,いかなる欠品も許されない医薬品においても,供給・在庫に関して効率化が進められていた. そこで,本研究では,大手製薬企業3社を事例として製薬企業における工場と物流センターの立地変遷に着目し,有事に対する製薬企業の意識との関連性と非常時における医薬品備蓄に関する優先度の意思決定を検討したうえで,医薬品流通構造における非常時の代替流通経路を明らかにすることを目的とする. <b>対象企業と分析方法</b> <b> </b>研究対象企業として選定したA社(同族経営企業)・B社(経営統合により発足)・C社(外資系企業)の3社はいずれも売上高が国内10位以内に入る大手製薬企業であり,それぞれ企業の性格・企業体質が異なった企業である.分析方法は対象企業の社史,新聞記事,有価証券報告書,IR資料を用いて工場・物流センターの立地変遷や分業体制を明らかにし,聞き取り調査で非常時に対する対象企業の意識と非常時における代替流通経路についての考察をおこなった. <b>分析結果</b> 対象企業3社それぞれの工場・物流センターの立地変遷を考察した結果,それぞれの企業で集約・分散などに異なる傾向が生じた.具体的には,(A社):工場・物流センターともに諸施設の閉鎖移転を伴う効率化が行われていない,(B社):生産量拡大のために工場の積極的な設置と近接工場間で間接部門(工場の管理部門)の統合による工場の集約化・1990年代における物流センターの東京・大阪2拠点への集約,(C社):特定の生産品目に関する設備の増強・一般医薬品(ドリンク剤,医療機関・処方せんを介さず流通する商品)を生産する工場の閉鎖である. 非常時における医薬品備蓄に関する優先度の意思決定に関して,3社それぞれ異なる傾向がみられた.聞き取り調査から明らかになったことは,3社とも非常時の際は医薬品卸との連携を図っていることである.近年,製薬業界においても「物流業の外部委託」,「医薬品の直販」が注目されているが,東日本大震災において「輸送手段の奪い合い」や「情報の混乱」が生じたため,対象企業3社に関しては医薬品供給において安全性を最重視しているといえる.非常時における医薬品代替流通経路の構築に関しては,生産ラインの切替えなど水平的な連携が最も重視されているといえる.
著者
山田 功 木村 富士男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.151, 2003

<U>はじめに</U><BR>雲の存在は日射の遮蔽や放射を通して大気に影響を与えるため、雲量に関する研究は気象学、気候学にとって非常に重要である。水平スケールの小さな雲であっても大気放射への影響は大きい.しかし,陸上に出現する小さな雲は,大規模な雲に比べ衛星による観測が難しく十分な解析が行われていない。また下層にできる積雲は、地形の影響を強く受けると考えられるが、空間分解能の制限から数値モデルでの取り扱いも難しい.このため観測データを用いて小さな雲の雲量について明らかにすることが重要である。<BR>これまで、晴天日の山岳域を対象とした日照率(一時間のうち日照があった時間の割合)の研究がなされており、日照率は山では午後に急激に低下すること、盆地では一日を通して高いことが指摘されている(木村、1994)。しかしながら平地を対象とした日照率の研究は行われていない。そこで本研究では夏季晴天日の関東平野における日照率について明らかにすることを目的とする。<BR><U>解析方法</U><BR>データはアメダス日照時間の一時間値を用いた。解析に用いた晴天日は、対象領域内のアメダス観測点における一日の日照時間の平均が6時間を超える日とした。また観測点を地形によって沿岸、内陸(平地)、山、及び盆地の4種類に分類し、日照率を比較した。さらにゾンデ観測のデータから相対湿度の鉛直プロファイルと日照率との関係について考察した。<BR><U>結果</U><BR>各観測点における晴天日の平均的な日照率を地形別に平均した(図1)。以前から指摘されていたような山岳域における地形依存性に加え、平坦な地形であっても日照率に有意な差のあることが明らかになった。平坦な地形である沿岸(COAST)と内陸(INLAND)の日照率を比較すると沿岸のほうが一日を通して高い。特に銚子のような岬で高い傾向にあった。<BR> ゾンデ観測データにより輪島と館野の相対湿度について比較したところ、より内陸に位置する館野では下層で相対湿度のピークを持つことが多かった。このことから日照率の差と混合層の発達との関係が推測される。<BR>しかし、沿岸と内陸の日照率の差は山と盆地の日照率の差より小さい。また夕方以降は山沿いで日照率の低下が強く見られた。<BR><U>参考文献</U><BR>木村富士男 1994. 局地風による水蒸気の水平輸送-晴天日における日照時間の地形依存性-. 天気 41:313-320.
著者
児玉 恵理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.はじめに</b><br><br>人口の減少や高齢化が進む中、市街化区域における都市農業への住民の評価が高まっている。市民農園では農業との触れ合いが求められ、農業ボランティアでは農家との交流を求める都市住民のニーズがある。それと同時に、都市農地の保全と都市農業の維持の機能が期待されている。埼玉県志木市では、小規模な都市農業が行われている。本研究の目的は、都市農業における生産者の役割に着目することで、持続可能な農産物供給機能の向上、担い手の育成・確保の仕組みを明らかにすることである。<br><br><b>2.志木市における都市農業の展開</b><br><br>JAあさか野によると、志木市は、もともと水稲が盛んな地域であった。稲作中心の宗岡地区では、荒川沿いの水田を中心にコシヒカリの早場米の生産を行っている。約20戸の米農家が「宗岡はるか舞」というブランド米を有機栽培し、出荷している。露地野菜中心の志木地区は、ホウレンソウ、にんじん、大根、キャベツ、里芋などの生産が盛んである。<br><br>農家の高齢化や後継者不足の問題から志木市役所が市民農園を整備し、市民が農業と関わりをもつようになっている。また、志木市役所で毎月第4土曜日に「しきの土曜市」が開催され、地元の農産物を販売する取り組みがある。<br><br><b>3.ボラバイトを活用した労働力確保</b><br><br>志木市のA農園は、ボラバイトを活用した労働者の確保をしている。ボラバイトとはボランティアとアルバイ<br><br>トの中間形態とした造語であり、今回は張り合いのあるボランティアの意味とする。ボラバイトを行う人々をボラバイターと呼び、ボラバイターは外国人実習生の代わりとなる重要な農業労働力である。<br><br>志木市のA農園は、無農薬野菜を近隣のスーパーや志木市役所で開催される「しきの土曜市」で地産地消を行い、あわせて有機野菜専門の宅配業者に出荷している。特に近隣のスーパーではA農園専用コーナーが設置されており、生産者が直接出荷・陳列することから「顔の見える」農業を自ら実践する。収穫・出荷・スーパー等での陳列を分担し、携帯電話で随時連絡を取り合うことで無駄の出ないように柔軟に農作業をしている。<br><br>家族経営だけでは、約20種類の無農薬野菜の栽培が困難になり、人手が必要になる。融通が利く都市住民をボラバイターとして農業に巻き込むことができる。A農園は、埼玉県か東京都在住で日帰りのボラバイターに手伝ってもらうことで、高品質で無農薬野菜を栽培することで農産物ブランド化を進めている。<br><br><b>4.おわりに</b><br><br>志木市は、宅地化が進む地域でありながら、行政が主体となり、生産者の販路拡大の手助けを行っている。地産地消を促すために、「しきの土曜市」という朝市や「アグリシップしき」という、年に2回開催の農産物直売所が志木市によって企画・運営されている。また、ボラバイトやシルバー人材を活用して、非農家出身者が農業に携わる機会がある。志木市における都市農業生産者は、新鮮な農産物の供給と農業体験の場の提供の役割を果たしているといえる。
著者
齋藤 万里恵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

近年日本では、人口急減・超高齢化の課題に直面しており、特に仕事や生活の利便性を求めて都市部への人口流出が多い地方部で深刻になっている。一方で地方移住といった田園回帰の動きもみられるようになってきた。中には、地域のコミュニティの再生や交流人口の拡大といった地域の課題解決に積極的に取り組む者も現れ、地方移住者による地域振興への寄与が期待されている。本研究では、地方移住者の視点から、移住者が地域振興に関わる動機・プロセスを調査し、移住者による地域振興を推進する方策について明らかにすることを目的とする。宮城県内で地方移住者にヒアリング調査を行った結果、移住者は移住当初は地域との交流は少ないが、仕事などを通じて徐々に地域住民との交流が生まれ、地域への高い関心から、地域振興に関わるようになることが分かった。また地域振興に関わることにより、地元住民との交流が深まり地域愛着が増すことにより、定住意識にも影響を与えていることが分かった。これらの結果から、「移住者と地元住民の交流」が移住者による地域振興を推進する方策として重要であることが明らかになった。特に移住者側は地域の風習や伝統を意識すること、地元住民は移住者の意見や企画を受け入れ協力する姿勢が必要であると考えられる。 また、地元の自治体や企業などの第三者のサポートも大切であることが分かった。具体的には、移住者と地元住民の交流の機会を提供したり、移住者が活動しやすい支援体制を整えたりするなどの役割があると考えられる。以上のことから、移住者と地元住民の交流を軸に、移住者と地元住民、自治体・地元企業が連携することで、移住者による地域振興を推進し、地方の活性化を行うことが可能であると考える。
著者
清水 克志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100069, 2015 (Released:2015-10-05)

1.はじめに 近代日本における馬鈴薯(ジャガイモ)の生産地域としては,開拓と西洋農法・作物の推進が図られた北海道が圧倒的な地位にあることは周知の事実である.実際,馬鈴薯の全国生産量における北海道のシェアは,明治30年代(1897~)に過半数を超えて以来,高率を維持し,近年では約80%を占めている. ところが,明治20(1887)年における北海道の同割合は23%に過ぎず,中央高地や東北各県の地位が相対的に高かった.例えば山梨県(旧甲斐国)では,天明の飢饉(1782~88年)を契機に救荒作物として導入され,生産が拡大していった伝承が残っている.また,高野長英が天保7(1836)年に著した『救荒二物考』には,「甲斐国に於て明和年間,代官中井清太夫の奨励によりて早く該地に藩殖し,今に至るまで清太夫薯の名あり,是より信州,飛騨,上野,武蔵等にも伝わりしにや,信州にては甲州薯と呼び,飛騨にては信州薯と唱う」という記述があり,甲斐を起点として周辺地域に伝播していったことが知られている. 本報告では,明治初期に編纂された官庁統計類のうち,郡ごとに集計されている「全国農産表」(明治9~12年)や「共武政表」(明治12年)の分析を中心に,近代初頭時点における馬鈴薯の普及の実態を把握した上で,普及の地域差とその要因について検討する.2.馬鈴薯の郡別収穫量-「全国農産表」の分析- 明治9(1876)年から明治15(1882)年にかけて編纂された「全国農産表」(明治11年以降は「農産表」)には,馬鈴薯が米麦をはじめとする穀類や甘藷(サツマイモ)などとともに,「普通農産」14品目に含まれている.このうち明治9~12年の4年分が郡別に集計されている. 図1は,4年次分の馬鈴薯の収穫量について,明らかに誤記とみられる数値を適宜補正した上で平均値を割り出し,さらに「共武政表」(明治12年)の郡別の人口で除した値を,階級区分したものである.このうち,第1ランク(20斤=12kg以上)に該当する郡は7(図中A~G)であり,阿波郡の160斤が最大である.第2ランク以上の郡の多くが,北関東甲信越から東北地方にかけて集中していることや,東北日本・西南日本ともに,山間部が卓越する地域に属していることが読み取れる. その一方で,約700郡の3分の1にあたる231郡では,4年次ともに馬鈴薯の項目が記載されていないことから,明治前期の時点では,馬鈴薯が導入すらされていない地域が,広範に存在していたことも確認できる.このほか,4年間で収穫量が急増している郡も相当に確認できるが,これらの郡では,この時期が馬鈴薯の本格的な導入期に該当していたとみられる.3.馬鈴薯の大字別生産状況-「共武政表」の分析- 同時期の「共武政表」には,将来の徴用が見込める主要な産物が,郡別はもとより,「人口百人以上の輻輳地」については,大字(旧村)別に記録されている.この記載をもとに,馬鈴薯の生産地の分布をみると,東北日本を中心に山間部の村落に多い特徴が読み取れる.これは,甘藷の生産地が西南日本の沿岸部や島嶼に多く分布していることとは対照的であり,両者は相補分布の関係にあるといえる. 当日の発表では,近世から馬鈴薯の生産が盛んであった地域に焦点をあて,そこでの作物複合や伝統的加工法,在来品種の残存状況などについても報告する.
著者
淡野 寧彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1.はじめに</b><br> 海外農産物産地との競合が続くなか,日本においては様々な食料のブランド化が図られ,産地の存続を目指す手段の1つとして展開されている。報告者はこれまで,食肉のなかでも豚肉を対象とし,そのブランド化を図る動きである銘柄豚事業の進展を通じて,豚肉価格の維持や流通企業・消費者らとの新たな連携構築などによって産地の存続が図られていることを示した。ところで,何らかのかたちで消費者から好評を得てブランドとしての地位を確立するためには,「おいしい」などの満足感やイメージをもたらす必要があろう。この際,どのような生産・流通手法や情報発信をもとにおいしさや品質の良さを実現,アピールする傾向にあるのか,またこうした手法に産地の特色や何らかの地域的な差異が生じているのかといった点も,産地の存続策を検討するうえで注目すべき内容と考えられる。そこで本報告では,全国の銘柄豚事業を対象として,生産サイドの情報発信のあり方をブランド名および事業の特徴に関する記述に注目して分析し,差別化の特色と空間性について検討する。<br><br><b>2.銘柄豚事業における表現方法の特色</b><br> 1999年から2016年までに計7冊が発行された『銘柄豚肉ハンドブック』をもとに,まず掲載事業数の推移をみると,1999年:179件&rarr;2003年:208件&rarr;2005年:255件&rarr;2009年:312件&rarr;2012年:380件&rarr;2014年:398件&rarr;2016年:415件と年を経るごとに銘柄豚事業は増加している。このうち本報告では分析の都合上,2014年までの事業を対象とする。2014年のハンドブックに掲載された全事業を合わせた銘柄豚の年間出荷頭数はおよそ720万頭に上り,単純換算すれば国産豚の2頭に1頭は何らかの銘柄豚として出荷されたことになる。ブランド名には,牛肉と同様に地名が用いられることが多い傾向にある。一方で,銘柄豚とする根拠については,実施主体が独自に改良した飼料の使用を挙げる事業が多く,必ずしも産地が存在する地域との関係性が重視されているとはいい難い。<br> 次に,各実施主体が銘柄豚の特徴として記した説明文の用語に注目する。豚肉のおいしさを示す表現として,「コク」ないし「ジューシー」の用語を銘柄豚の特徴に含めた事業は1999年の10.6%から2014年には14.8%と微増したが,「甘い」を用いた事業は同12.8%から31.9%と大幅に増加した。このことから,肉の旨味よりも甘味を重視すること,あるいは「甘い」ことが肉のおいしさの判断材料になっていることが推測される。一方,「やわらかい」を用いた表現は,1999年には40.8%の事業でみられたが,2014年には28.9%に減少した。このほか,肉の「脂」身について言及した記述は同33.0%から43.0%に増加したが,このなかでも脂が「甘い」ことを強調した記述が同13.6%から42.1%に急増した。また「赤身」に関する記述も同1.1%から4.0%に若干増加しており,これらから肉のおいしさ自体を端的にアピールする方法が増えているものと思われる。他方で,「安心」や「安全」を用いた説明文は,同27.9%から16.1%に減少した。報告当日は,上記に関連してテキストマイニングによる分析も含めて,銘柄豚のアピール方法の特色や産地との関係性について,より詳しく検討する。<br><br><b>3.おわりに</b><br> 食肉を生産する畜産の現場と消費者との間には,社会的・空間的な距離や乖離が存在しており,これらは容易には解消できないことから,食肉を購入する際などの選択要因にはそのイメージが大きく影響すると推察される。食肉供給の仕組みや需給量の大小にのみ注目するのではなく,食肉のイメージの形成要因となるアピール方法や,そのなかの語句や文章全体の記され方などの分析を通じて,今後はとくに中小規模畜産業産地の存続や革新に結びつく要素を考察していきたい。
著者
李 彬彬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめに1990年代から、政策上の整備とともに農村女性による起業数は伸びている。特に近年、社会的に都市と農村との交流が重視されている中、農村女性が活躍する場はますます増えており、地域の活性化と農業振興へと期待される。従来の研究では、農村女性起業の半数以上を占めている「食品加工」と「流通・販売」活動をしている女性及びそのグループが研究されていることが多い。本稿では、熊本県南小国町を事例とし、農村女性グループ「農花の会」が農家民宿の経営主体となる展開過程を考察する。2.研究対象地域の概要 南小国町は熊本県阿蘇郡の北部に位置する農山村である。人口は4,429人(2010年)で、年々減少しており、少子高齢化が進んでいる。第一次産業は主に農業で、その特徴は肉用牛の生産を中心とした畜産を基調に、野菜、米と花き生産の組合せである。黒川温泉を中心とした観光サービス業の成長とともに、町全体の農業生産規模が減少しており、産業の中心が農業からサービス業へと移った。2010年の産業構造において、第一次産業の生産額は4.9%を占めているのに対して、第三次産業の割合は85%であった。3.農村女性グループによる農家民宿経営の展開 南小国町の「農花の会」は、50~60代の地元女性7人により、2003年に結成された。結成する前に、メンバーの女性たちは自主的に始めた農業簿記講座に参加していた。講座終了時、経済意識が高まった女性たちはグループを結成し、農家の暮らしをベースにした都市住民との交流や経済効果がもたらされる活動を模索した。最初に試みたのは、自宅を開放した「立ち寄り農家」であり、都市住民を対象にして芋煮会や稲刈り体験などを行った。そして、1ヶ月1回のグループ勉強会で時々調理の経験を交換しているメンバーたちは、自家産の野菜で作った郷土料理を黒川温泉の女将たちにすすめた。それらの料理に対して女将たちから好評を博し、メンバーの女性は自分の調理の技術に自信をつけた。2004年に、自宅で農家レストランをしているメンバーが先に農家民宿を開業した。それは牛舎を改造した建物全体を客に提供するものであった。(本稿では貸別荘式農家民宿と呼ぶ。)2005年、熊本県における農家民宿開業の規制緩和を契機に、グループ内の他の5人も「農林漁業体験民宿業者」として登録し、農家民宿の経営を始めた。この5軒の場合は、住む家に空き部屋を客に提供する形をとった。(本稿では貸部屋式農家民宿と呼ぶ。)貸別荘式農家民宿は、南小国町の観光シーズンに合わせ、5月から11月まで一般の観光客に利用され、経営状況が安定しているといえる。一方、貸部屋式農家民宿では、部屋の利用形態から受入れ側と利用側の両方にとってプライバシー問題が発生するため、利用者のほとんどが農村体験をする研修旅行生になった。貸部屋式農家民宿の受入れはメンバー女性のいる農家家庭の都合で不定期となっている。4.おわりに 南小国町では、「農花の会」は農業簿記講座から始まり、調理技術を手段としてグループ内外で交流活動を行い、その延長として農家民宿を開業したという過程で、農村女性グループが農家民宿経営の主体となった。部屋の利用形態は農家民宿の経営安定性に影響した。そして、農家民宿の経営によってメンバー女性の家庭的・社会的地位が向上したことがうかがえる。
著者
池口 明子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.23, 2005 (Released:2005-11-30)

1.背景 自然と社会の関係を扱う地理学において、近年課題とされてきたのは、「自然」をいかにして分析枠組みに取り戻すか、ということであった。「自然」の社会構築論や、資本主義的農業による自然の搾取を描く政治生態学は、いずれも自然を受身で均一な存在として描いている。これに働きかける主体としての社会も、アプリオリに設定された社会集団の名の下に均一なものとして表象される。このような人間-自然の二元論が繰り返される限り、現実に存在する関係性をとらえることは難しい。では、自然あるいは社会に働きかける力:エージェンシーをどのように概念化すればよいのか。このような模索のなかに歓迎されたのがActor-network theory(アクター・ネットワーク理論:ANT)である。 ANTは、Michel Serresの思想に影響をうけつつ、Bruno Latour、Michel Callon、John Lawら人類学者・社会学者が科学技術研究(STS)を通して提示した一連の概念の集合である。それらの概念は、自然と社会のみならず、主体と客体、ローカルとグローバルなどの二元論をも超える可能性をもつとの期待から、地理学者を含む多くの論者により吟味されているが、食の地理学において具体的事例を扱ったものは未だ少ない。2.概念とその意義 ANTでは自然-社会関係とその変化をとらえるにあたって、人間だけではなく、人間以外の機械や動物、数式といった人間以外のものnonhumanも同様にアクターととらえる。これらのアクターが何であるのかは、アクター間の関係性によってのみ定義され、それは常に変化する可能性がある。アクター間の相互定義の過程を分析するときは、社会が自然を定義する、というように一方を主体とした非対称性を避け、互いが互いに定義するという対称性symmetryを原則とする。この人間と自然が入り混じった異種混合体Hybrid collectifが、社会関係を変えていくエージェントであり、その関係性は脱中心化され、偶発的なものである。人間以外のアクターは、時間・空間を超えて移動するものimmutable mobileでもあり、この循環・流通に着目することで、固定され均一化された空間と社会の相互の表象を揺るがせる。3.「食」の地理におけるアクター・ネットワーク 「食」とは動物あるいは植物であり、商品であり、人の身体の一部であり、これを取り巻く様々なアクターとの関係性の異種混合体である。このような観点からは、すべての食をめぐる関係性がANTによる分析の対象となりうるが、これまで比較的多くみられる分析対象は、科学者や科学の組織がアクターとなるような食の地理である。例えば、Fitzsimmons and Goodman(1998)は小麦の大量栽培種の開発、狂牛病、拒食症をアクター・ネットワークの部分として素描し、Whatmore(2002)も遺伝子組み換え食品が作られる過程を科学者や企業・NPOらを含むアクター・ネットワークとして描いている。 これらの分析はモノと人との関係としての食の地理が変化するプロセスを繊細に追うことを可能にしているが、モノとモノの関係や生態を組み込んだ詳細な分析は少ない。この点は、地理学の課題として考える必要があるだろう。主要文献Callon, M. 1986. Some elements of sociology of translation: Domestication of the scallops and the fishermen. In Power, Action, and Belief, ed. J. Law, 196-229. London: Routledge.Fitzsimmons, M. and Goodman, D. 1998. Incorporating nature: environmental narratives and the reproduction of food. In Remaking reality: Nature at the Millenium, eds. B. Brawn and N. Castree, 194-220. London: Routledge.Law, J. and Hassard, J. eds. 1999. Actor Network theory and after. Oxford: Blackwell. Latour, B. 1993. We have never been modern. Cambridge: Harvard University Press. Murdoch, J. 1997. Inhuman/nonhuman/human: actor-network theory and the prospects for a nondualistic and symmetrical perspective on nature and society. Environment and Planning D 15: 731-756.Whatmore, S. 2002. Hybrid Geographies. London: Sage Publications.
著者
嵩 大樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.59, 2013 (Released:2013-09-04)

今日の大都市圏における居住地移動は錯綜している。戦後からの東京大都市圏は、東京駅を中心とし、西部地域から時計回りに広がりを見せてきた。そして、バブル期には東京大都市圏は拡大し、千葉県の大都市圏外縁部までを飲み込んだ。しかし、バブル期が終わると、地価の下落に伴い、大都市圏内の住宅取得価格が大幅に下落した。加えて、マンションでの生活がこれまで以上に浸透し、都心部でのマンション開発が行われたことから、郊外住宅地の衰退が見られるようになった。特に、大都市圏外縁部では、郊外住宅地としての性格を弱めた。現在では、居住地移動は都心回帰および郊外住宅地の二分し、主に戸建住宅取得希望者には郊外住宅地への外向移動がはたらいているものの、それは限定的な地域であるとされる。人口減少時代を迎えた今日、郊外住宅地の研究としてはむしろ、衰退を懸念する研究が多い。東京大都市圏の郊外への需要においては、30㎞圏~40㎞圏が中心となると予測されている。 しかし、東京大都市圏周縁部である木更津市ではそのような居住地移動の中で、人口増加が起こっている。その動きは、これまで述べられてきた東京大都市圏の居住地移動の流れとは異なる。本稿は、その居住地移動を検討すべく、木更津市内の新興住宅地である請西南地区、ほたる野地区、羽鳥野地区の3地区を事例として取り上げ、居住者特性や通勤行動を通して人口増加が起こっている要因を明らかにしようとしたものである。本稿では研究対象地域を詳細に絞り、アンケート調査を用いることであえてミクロな研究として、統計上では知り得なかった細部にわたる居住者特性や通勤行動を知ることが可能となった。 木更津市はバブル期の終わりと土地神話の終焉から地価が暴落した。その影響で、現在では横浜市の約7分の1、東京都区部の約20分の1という地価となっているため、他の地域よりも広い戸建住宅が安価に取得できる。アンケート調査によれば、35歳~39歳で子どもが2人いる4人家族の核家族世帯が最も多かった。前住地は主に、木更津市内や隣接市など地域間移動が卓越していたが、対岸の東京都や神奈川県からの転入者や千葉市からの転入者も見られた。現住居居住理由は、「土地・住宅が安価」や「戸建住宅の希望」が2大要因であった。前住の住居が賃貸住宅の世帯が多かったことが要因であろう。3番目の理由として、木更津市内や隣接市の居住者は「生活環境の良さ」を選択したが、前住地が対岸地域の居住者は「通勤が便利」や「自然が多い」を選んでいた。また、この地域からは60歳以上の居住者が見られたことから、老後の最終ライフステージとして研究対象地域が選ばれている。通勤行動として、木更津市内や隣接市への通勤者が最も多かった。このことから、「郊外就業―郊外居住」の職住近接が中心であるといえる。このことから、これまで大都市圏郊外の衰退が地理学において多く議論されてきたが、それはあくまでも東京に通勤する人が多い郊外、即ちベットタウンにおける話であり、木更津市のような東京大都市圏周縁部では、その地域とは性格が異なり、元々郊外の就業を目的とした人が多いことから、一義的な郊外衰退の議論の中に位置づけることは難しいと考えられる。木更津市では職住近接が卓越していることから、大都市圏周縁部には雇用が多いことがわかり、その就業を目的とする居住者が多く存在している限り、大都市圏周縁部は郊外とは相対的な動きを見せると考えられる。他方で、東京都や神奈川県への通勤行動が全体の18.2%も見られた。それらの世帯は、通勤が便利という理由で木更津市へ転居した世帯が多く、アクアライン経由の高速バスを利用している。その高速バスや自動車において、1時間前後で東京都内や神奈川県内の通勤が可能なことで、アクアラインが公共交通として一般化されてきたといえるだろう。そのことが木更津市と東京都や神奈川県との近接性を高めたと考えられる。今や木更津市は千葉市、東京23区、川崎市、横浜市といった大都市圏中心市との近接性の高まりが見られ、そのことが人口増加につながった要因であるだろう。 近年、木更津市内における新たな区画整理と地価の減少に加え、アクアラインの社会実験や高速バスの増便が引き金となり、人口増加が見られるようになった。そして、その区画整理が行われた新興住宅地において、東京都や神奈川県への通勤者が増加している。従って木更津市は今や、東京のベットタウンとしての性格を持ち始めてきたといえる。言い換えれば、木更津市は東京大都市圏周縁部であったが、東京大都市圏内に含まれるようになったと考えられる。
著者
仁平 尊明 コジマ アナ 吉田 圭一郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.32, 2007

<BR> 熱帯湿原特有の豊かな動植物相を有することで知られるブラジル・パンタナールでは,1990年代からエコツーリズムが盛んになり,とくに欧米から多くの観光客が訪れるようになった.エコツーリズムのブームにともなって,ファゼンダの観光化や大規模なホテルの建設が進行し,生態系へのインパクトや住民生活の変化などの地域問題が顕在化した.本研究では,南パンタナールのエストラーダパルケ(パンタナール公園道路)を対象として,宿泊施設の立地展開に注目することから,パンタナールにおけるエコツーリズム発展の課題を考察する.調査を実施した時期は,2003年8月,2004年8月,2005年3月,2005年8月,2006年8月であり,調査の内容は,宿泊施設の経営者や管理者への聞き取りである.<BR> <b>研究対象地域</b> 南パンタナール(マトグロッソドスル州)のエストラーダパルケは,北パンタナール(マトグロッソ州)のトランスパンタネイラと並んで,ブラジル・パンタナールにおいて観光開発が最も進んでいる地域の一つである.エストラーダパルケは,ボリビアとの国境にある大都市・コルンバの南から湿原に入る未舗装の道路である(Fig.1).パラグアイ川の渡河点であるポルトダマンガからクルバドレイキまでは東西に走り,クルバドレイキから連邦道路262号線沿いのブラーコダスピラーニャスまでは南北に走る.総延長は120kmであり,ミランダ川,アボーブラル川,ネグロ川などの主要河川とその支流の上には87の木橋が架かる.<BR> <b>宿泊施設の分布</b> トランスパンタネイラ沿いとその近隣には,19の宿泊施設が立地する(Fig. 1).そのうち,スポーツフィッシング客を主な対象とする釣り宿は6軒(サンタカタリーナ,パッソドロントラ,タダシ,パルティクラ,カバーナドロントラ,ソネトゥール),エコツアーを提供する設備が整った大規模なホテルと民宿が3軒(パルケホテル,パンタナールパークホテル,クルピーラ),既存のファゼンダが観光化したエコロッジが5軒(ベーラビスタ,アララアズール,サンタクララ,シャランエス,リオベルメーリョ),キャンプ場または素泊まりの安い部屋を提供する民宿が3軒(エキスペディションズ,ボアソルテ,ナトゥレーザ),そのほかに,ホテルに付随した観光ファゼンダ(サンジョアオン)と大学の研修所(UFMS)がある.<BR> <b>宿泊施設の開業年</b> 1960年代と1980年代に開業した宿泊施設は,5軒が釣り宿であり,そのほか,民宿,研修所,キャンプ場が1軒づつある.1990年代に開業した宿泊施設は,ホテルが2軒,釣り宿が1軒,エコロッジが1軒である.2000年以降に開業した宿泊施設は,ファゼンダが4軒,キャンプ場などが2軒,ホテルの付随施設が1軒である.このように,エストラーダパルケの宿泊施設は,1980年代以前には大河川沿いの釣り宿,1990年代には大河川沿いの大規模なホテル,2000年以降には河川から離れたファゼンダとキャンプ場の開業に特色がある.<BR> <b>エコツーリズム発展の課題</b> 世界遺産にも登録されたパンタナールは,観光地として有名になり,観光によるバブル経済を引き起こしている.1990年代後半に宿泊施設を開業した経営者は,1haあたりの土地を230~300レアルで購入した.2001年に開業した宿泊施設の土地購入価格は,350~400レアル/haであり,2003年になると730レアル/haまで上昇した.近年では,東部海岸の大都市や外国出身の地主が増加している.また,観光客が家族から個人の若者になったことも問題である.彼らの多くは,ボリビア,ブラジル西部,パラグアイ,アルゼンチンと移動するムッシレイロ(バックパッカー)である.<BR>[本研究は,平成16・17・18年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の包括的環境保全戦略」(基盤研究B(2) 課題番号16401023 代表: 丸山浩明)の補助を受けた.]