著者
設樂 律司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.4, 2004

<b>1.はじめに</b><br>近年、中心商店街では停滞、衰退化が問題となり、様々な活性化策が講じられている。従来の中心商店街の活性化では、ハードが重視される傾向があったが、次第にソフトが重視されるようになり、地域イベントなどが広く行われるようになった。本研究は商店街の活性化を目的とする地域イベントを多面的な視点から評価し、また、地域イベントが効果を挙げるプロセスを明らかにする。<br>本研究は江戸期以来、西多摩地域の中心都市として栄えたが、現在は中心地機能が衰退している東京都青梅市のJR青梅駅周辺の商店街を対象とし、そこで行われている地域イベントを主とした商店街の活性化策を取り上げた。既存の統計や文献資料、現地調査結果を用いて商店街の特徴を把握した後、地域イベントの運営主体と商店会および市役所への聞き取り調査および現地での地域イベントと景観の観察の結果から、地域イベントとその主体および地域がどのように関わるのかを時間的に把握し、それら3者の関係の中から内発的な地域イベントによる商店街の活性化の構造を明らかにした。<br><br><b>2.青梅宿アートフェスティバルによる街おこし</b><br>商店街が衰退する中、青梅駅周辺の商店街では、各商店会が単独で、あるいは共同で独自の地域イベントなどの活性化策を講じてきたが、効果は上がらなかった。そのような中、商店街の経済的な活性化を目的として1991年に始められた青梅宿アートフェスティバルは商店街を観光地化させる大きな契機を生み出した。青梅宿アートフェスティバルは青梅宿アートフェスティバル実行委員会と各商店会によって運営され、毎年設定されるテーマに沿って市民参加的なアートが街全体を舞台にして行われている。テーマは1993年から大正・昭和をコンセプトとし、1998年頃からノスタルジィーをキーワードとするようになった。青梅宿アートフェスティバルが継続されていく中で、様々な地域資源が掘り起こされ、新たな地域資源が生み出されるなかで、街おこしが始まっていった。街おこしが始まっていくとマスコミによって青梅にいくつかの地域イメージが与えられた。それらの地域イメージに合わせて、掘り起こされた地域資源を活用した街づくりが展開された。それらの結果、青梅は映画の街、怪傑黒頭巾生誕の地、猫の街、雪女縁の地、昭和レトロな街として街づくりがされた。<br><br><b>3.青梅宿アートフェスティバルの効果</b><br>青梅宿アートフェスティバルの経済効果は当日も期間外もあまりない。しかし、青梅宿アートフェスティバルを通して形成された人的ネットワークが多様な効果をもたらした。青梅宿アートフェスティバル以前は、各商店街で閉じていたネットワークが、青梅宿アートフェスティバルの継続とともに、青梅宿アートフェスティバル実行委員会のネットワークと接続し、開かれた2段階のネットワークを形成するようになった。この結果、青梅宿アートフェスティバル実行委員会内のコミュニティが強化された。このネットワークは青梅駅周辺の商店街に共同の意識を持たせ、各商店会単独ではできないような事を実現した。開かれたネットワークは街おこしのきっかけとなった地域資源の掘り起こしを可能にした。開かれたネットワークはさらなる街おこしを可能にした。また、開かれたネットワークを通して、地域外交流が生まれた。ネットワークがさらに広がったところでは、マスコミによって地域イメージが創成された。
著者
武者 忠彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>なぜリノベーションが都市再生につながるのか</b><br>都市の再生という現象は,これまでもジェントリフィケーションやコンパクトシティの視点から大きな関心が寄せられてきた.国内では商業振興の事例を分析するアプローチが中心であったが,1998年の中心市街地活性化法の施行以降は,行政の活性化計画や開発規制などの制度面に着目した研究も蓄積されてきた.ところが,現実の都市をみると,商業振興中心のまちづくりや行政主導の計画的なまちづくりは,今や全国各地で機能不全に陥っている.これに対して,近年大きな注目を集めているのが,民間主導で中心市街地の既存ストックを次々と利活用して都市を再生する「リノベーションまちづくり」とよばれる取り組みである.こうした必ずしも計画的ではないまちづくりが全国で同時多発的に生じているという現象は,商業振興や制度の分析を中心に展開してきた従来の中心市街地研究とは全く異なるアプローチが必要であることを示唆している.実際,個別建築物のリノベーションという点の動きが,なぜ計画することなく連鎖的に展開し,場所全体の価値が高まる面的な都市の再生につながるのか,その機序については当事者の間でも十分に理解されていない.<br><br><b>創造的人材と都市再生</b><br>これに対して,報告者は長野市で実施した予備的な調査から,リノベーション建築の入居者にデザイナーなどの創造的職業やU・I・Jターン者の比率が高くなっているという事実に着目し,「リノベーションは単なる建築的価値の再生ではなく,建築を媒介とした創造性に富む外部人材の定着であり,それが都市の再生にもつながる」という仮説的な知見を得ている.こうした創造的人材が都市の再生要因となるという議論は,1960年代に始まるジェントリフィケーション研究のほか,近年ではフロリダらによる創造都市論でも展開されているが,創造都市論は,あくまで創造階級とよばれる人材の数と都市の経済的成長を表す指標との統計的相関に関心があり,そうした人材がなぜ,どのように集積し,都市の成長につながるのかというプロセスは十分に理解されていない.<br><br><b>「創造都市化」仮説と「都市の文脈化」仮説</b><br>本研究では,リノベーションによる都市再生のプロセスについて,下の表1に整理した2つの仮説をもとに分析を進めている.「創造都市化」仮説とは,空洞化した中心市街地では都市的アメニティが充実している割に低コストで経営・居住可能な建築物が潜在的に多く立地しているため,リノベーションを通じてそれらの空間資源が可視化されることで,都市的環境を好む創造的な職種の人材が連鎖的に流入するというものである.一方,「都市の文脈化」仮説とは,特定の産業集積や歴史的地区など空間的文脈が共有された範囲において,建築のリノベーションによって空間がリデザイン(再創造)されることで空間的文脈が継承・強化され,その価値を共有する地域コミュニティが再構築されるというものである.報告では,アンケート調査で得られたデータをもとに,仮説を検証する.
著者
鷹取 泰子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

■研究の背景・目的 <br>農林水産省の農産物地産地消等実態調査によれば、2010年世界農林業センサスで把握された全国16,816の産地直売所の92.9%が常設施設利用型であり、朝市等の常設施設非利用型は7.1%に過ぎない。後者の場合、初期投資が少ない等の利点があるほか、近年では軽トラックを活用した市場(軽トラ市)などの直売形態が全国各地で認められる。また同調査では地場農産物販売にあたり「高付加価値品(有機・特別栽培品)の販売」への取組状況が相対的に低いと報告されている一方、大西(2012)のような、有機・特別栽培品を中心に取り扱う直売活動の事例は全国各地で観察・注目される。そこで本研究では常設施設非利用型の直売所、および高付加価値品を取り扱う直売所の活動について、その存在意義を明らかにしながら、直売所がローカル・フードシステムに果たす役割や展開について明らかにすることを目的とする。<br><br>■事例地域概観 <br>本研究では北海道十勝(総合振興局)管内の屋外型の有機直売市場を事例として取り上げる。同管内は日本で有数の大規模農業経営が展開され、食料供給の重要な拠点として機能している。北海道の大規模畑作農業地域は、井形ほか(2004)が指摘するように加工原料などを主たる生産物とする産地形成の中で、直売や契約栽培などによる環境保全型農業の推進が難しい地域の一つでもある。<br><br>■帯広市の直売市場(マルシェ)の概要 <br>今回事例としてとりあげる直売市場(マルシェ)は商業施設(パン販売店)の店舗入口付近に設置される屋外型市場である。5月から10月までの約半年間、毎日2時間限定の営業である。創業60年以上のパン販売店は新しく旗艦となる店舗の開店に合わせ、有機農産物等を販売する直売市場の設置を模索し、帯広市内の有機農家Y氏に相談を持ちかける形で始まった。2013年に4シーズン目を迎えた市場は、有機農業や自然農法で生産された農産物やその加工品を販売する14軒の農家・農場からなる産直会によって運営され、シーズン中毎日2-4軒の農家が当番制で生産物の販売をおこなっている。<br><br>■常設施設非利用型の有機直売市場の存在意義 <br>十勝管内の直売所は2012年時点で45個所が確認されている中にあって、分散する有機農家が本市場に参集し、有機や特別栽培品を志向する消費者の来店を促し、両者の出会いや交流の場としての役割を果たしている。またとくに本事例の場合、パン販売店の強力なバックアップと協力体制が直売市場を支える大きな基盤である。限られた季節・短時間の営業、当番制の販売形態では各農家の販売金額に占める割合はさほど大きいものではない。しかし既存の商業施設との協力しながら常設施設を利用しないことによる経済的負担の軽減等の効果は大きく、農産物の量り売り販売等とあわせコスト削減が実現できている。結果として慣行品よりは割高な値段設定をした場合でも、他所で販売される高付加価値品(有機・特別栽培品)に比較した場合の低価格を実現できている。これらが一部の購買層に評価され、少量多品目で珍しい品目の販売も生かしつつ直売市場の魅力や強みを生んでいた。<br><br>■今後のローカル・フードシステムの展開の可能性 <br>地産地消をめざし地元農家と協力しながら地場産農産物の積極的な活用を実現してきたパン販売店と有機農家のネットワークにより支えられる直売市場の存在は、国の農業政策の中に位置づけられる十勝管内にあって、経済的な意義は大きいものではない。しかしながら近年、直売所の競合や需要の飽和状態という課題が諸分野から指摘されている状況で、例えば直売所の差別化を探る方策の一つとして、あるいは2011年の東日本大震災の発生に際し、直売所によって支えられるローカル・フードシステムが非常時の食料供給に重要な役割を果たしてきたという報告(大浦ほか(2012))なども踏まえながら、ローカル・フードシステムの中に積極的に位置づけること等でさらなる展開の可能性が見込まれるだろう。<br><br>■文献<br>井形雅代・新沼勝利 2004. 北海道大規模畑作地帯における環境保全型農業の展開--津別町の有機,減農薬・減化学肥料タマネギ生産を事例として.農村研究 99: 82-90.大浦裕二・中嶋晋作・佐藤和憲・唐崎卓也・山本淳子 2012. 災害時における農産物直売所の機能―東日本大震災被災地のH市直売所を事例として―. 農業経営研究 50(2): 72-77.大西暢夫 2012. この地で生きる(6)にぎわいを創り出す支え合いの朝市: オアシス21オーガニックファーマーズ朝市村(名古屋市・栄).ガバナンス 137: 1-4.<br>
著者
土`谷 敏治 高原 純 平林 航
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

Ⅰ.はじめに<br> 本来鉄道は,通勤・通学,買い物,通院,観光,用務などの諸目的を実現するため,その目的地に到達する移動手段の1つであり,鉄道に乗車すること自体が目的ではない.しかし,諸目的のうち観光については,鉄道が単なる移動手段だけではない場合が考えられ,鉄道そのもの,あるいは鉄道に乗車することが観光の目的となりうる.新納(2013)によると,鉄道をはじめとする乗り物は,①観光地への移動手段,②観光資源をみるための移動手段,③それ自体が観光資源となるものの3つの位置づけが可能であるとしている.すなわち,①は他の目的達成のための派生需要に過ぎないが,②と③は鉄道自体が目的の本源的需要であるとする.<br> 静岡県の大井川鐵道は,旧国鉄の蒸気機関車が全廃された後,SL列車の運行を最初に復活させ,さらに定期的に運行していることで知られる.収支面や技術面などさまざまな側面からの検討がなされた結果,1976年にSL列車の大井川本線での運行が開始され(白井,2013),明らかにSL列車自体を観光資源と位置づけた経営をしている.しかし,これまで利用者に対して,その属性や観光利用の特色について調査したことがないという.これを踏まえて,本研究では大井川鐵道のSL列車利用者について,その諸属性,旅行目的とその特色を調査・分析し,利用者の側面から大井川鐵道の観光利用の特色と今後の課題について検討することを目的とする. <br><br> Ⅱ.調査方法<br> 今回の調査は,大井川鐵道のSL列車利用者,すなわち,観光目的での大井川鐵道利用者を対象としている.このため,調査は2013年10月19日(土)と20日(日)の2日間にわたって実施した.両日は,いわゆる秋の観光シーズンの週末,土曜日と日曜日に相当する.また,大井川鐵道でもこの日から11月末までを観光シーズンの重点期間と位置づけており,19日に観光シーズンに向けての列車ダイヤ改正を実施した.<br> アンケート調査は,2日間3往復6列車の車内で,利用者に調査票を配布し,利用者自身が記入する方式で回答を求めた.主な質問項目は,年齢・性別・居住地等の利用者の属性,個人・家族・団体等の同行者構成,旅行日数,大井川鐵道乗車回数,観光の目的などである.また,SL列車の利用パターンを明らかにするため,SL列車の停車駅間で,乗車中の旅客数を数え,輸送断面を作成した.<br><br> Ⅲ.調査結果の概要<br> 2日間の調査によって,SL列車の旅客輸送断面とその特色が明らかになるとともに,アンケート調査の結果,503人から有効回答がえられた.<br> 1.SL列車の利用は,往路の下り千頭行きが中心で,上り新金谷行きは往路の半分程度以下の利用である.また,ツアー客を中心に,新金谷・家山間の区間利用がみられ,上り列車利用促進,全区間乗車促進策が求められる.<br> 2.SL列車の利用者は,いわゆる中高年の女性中心という観光客の一般的特色に比べ,広い年齢層にわたっていることが明らかになった.また,鉄道が対象ということもあり,比較的男性の利用者が多い.その居住地は,愛知県,三重県,岐阜県など中部地方が多く,距離的に大きな差がない東京都,神奈川県など南関東からの誘客が課題である.<br> 3.SL列車利用者の旅行目的は,SL列車に乗車することに集中しており,SL列車以外の観光目的への誘導が必要である.<br> 4.SL列車利用者は,一人旅をはじめ,夫婦旅行・家族旅行・友人同士などの個人旅行と,旅行会社のツアーやグループ旅行などの団体旅行に2分される.前者は,大井川鐵道までの交通手段として,家族旅行を中心に自家用車の利用が多い.ただし,夫婦旅行や一人旅のように同行者人数が少ないとJR線利用が増加する.後者は,ツアーバス利用が基本である.また,団体旅行に比べ個人旅行では,SL列車乗車以外の旅行目的の割合が高まる.<br> 5.SL列車利用者は約1/4が再訪者で,比較的リピーター率が高い.さらに,再訪者ほどSL列車乗車以外の旅行目的をもつ場合が多い.<br> 以上の結果から考えられる今後の課題としては,区間利用の対策として,蒸気機関車はもちろん,旧型客車,駅や検修設備を含めた大井川鐵道全体の特色・魅力をこれまで以上に利用者に伝え,車内・駅での見学の機会を増やすことが求められる.SL列車乗車に偏重した旅行目的,片道乗車への対策として,沿線・沿線以外の静岡県内の観光地・観光施設の活用・連携と広報,ツアーを企画する旅行会社への働きかけ,JR各社との協調,各種マスメディアの活用も重要である. 参考文献<br>白井昭 2013.保存鉄道とは技術と文化の継承である。(インタビュー).みんてつ44:20-23.<br>丁野朗 2013.観光資源としての地域鉄道.運輸と経済73(1):10-17.<br>新納克広 2013.鉄道経営と観光 ―派生需要と本源需要―.運輸と経済73(1):4-9.&nbsp;
著者
中澤 高志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.50, 2004

1.目的<br>ある地域における女性労働のあり方は,その地域が持つジェンダー文化を如実に反映し,その地域の空間分業への組み込まれ方と密接に関連する(マッシー,2000).また,ある人が辿るライフコースは,どのようなジェンダー文化を持つ地域に生まれ,育ったかによって異なってくるだろう.膨大な蓄積を持つ女性労働の研究の中で,その地域差に目を向けた研究は必ずしも多くないが,戦後についてはKamiya and Ikeya(1994)や禾(1997)などがある.本研究では,大正期の日本における女性労働がどのような地域差を持って展開していたのかを明らかにするとともに,そうした地域差をもたらす要因を探ることを目的とする.本研究の成果は,現代日本の女性労働の地域的パターンが歴史的にみて連続性を持つものか否かを検討する基礎ともなるものでもある.<br><br>2.資料と時代背景<br>本発表では,第一回国勢調査をもとに女性労働の地域差を把握し,いくつかの資料を使いながらそれを説明してゆく.第一回国勢調査が行われた大正9年は,第一次世界大戦の終結直後に当たる.当時日本では,第一次大戦時のドイツやイギリスにおいて,男性が戦場に赴くことによる労働市場の逼迫を,女性労働力の動員によって対処したことに国家的な関心が向けられていた.もとより大正期は,近代化の進展による新しい職業の誕生と,大正デモクラシーを背景に,「職業婦人」が登場し始めた時代である.その一方で紡績工場などにおける「女工哀史」的な状況は,いっこうに改善していなかった.第一回国勢調査の結果概要を記した『国勢調査記述編』でも女性労働に関する記述は多く,当時の女性労働に対する関心の高さが伺える.<br><br>3.分析<br>女性の年齢5歳階級別の本業者割合をもとに,クラスター分析によって都道府県をグルーピングすると,都道府県は3_から_7つのグループに分けられる.ただし労働力化率のカーブは,大都市に位置する都道府県を除くと基本的にどれも台形で,台の高さがグループの違いとなっている感が強い. <br>女性労働力化率を規定すると思われる変数を説明変数とし,年齢5歳階級別の労働力化率を被説明変数とする重回帰分析を行ったところ,全年齢層について農家世帯率の高い地域ほど労働力化率が高かった.労働力化率が大都市とその周辺で低く,農村部で高い傾向は,戦後の研究の知見と一致する.20歳未満の若年層については,大規模工場に勤める者が多く,女学校卒業者割合が小さく,染織工場出荷額が高い地域で労働力化率が高くなっており,若年女性労働力と繊維工業地域との関係が示唆される.<br>当時,大都市における職業婦人の登場が社会現象となっていたにもかかわらず,大都市における女性労働力化率はどの年齢層でもきわめて低い.大都市の労働力化率の示すカーブは,丈の低いM字型か,現代の高学歴女性にみられる「きりん型」に近いものといえる.東京市について,年齢階級別の労働力化率を配偶関係別に分けてみたのが図1である.これをみると,30歳代以降では,女性労働力のかなりの部分が離別・死別者によって担われていたことがわかる.東京市では,死別・離別の女性の実数も多く,こうした女性達が生活の糧を得る為に他地域から流入していた可能性もある.当時は結婚規範および結婚適齢期規範が強く,30歳代以上で未婚の女性者は少ない.しかしこうした女性の労働力化率は高く,公務・自由業を職業とする者が多い点が特徴的である.労働力化率の高いグループに入る茨城県では,既婚者の労働力化率も15-19歳から50-54歳までのすべての年齢階級で60%を上回っている.ところが東京市における有配偶女性の労働力化率は,最も高い40-44歳でも10.2%でしかなかった.当時の大都市圏における女性労働は,生活の為にやむを得ず働くという性格が強かったと考えられる. <br>〈文献〉<br>禾 佳典1997.東京の世界都市化に伴う性別職種分業の変化.人文地理49:63-78.<br>マッシー,D.著,富樫幸一・松橋公治訳2000.『空間的分業』古今書院.<br>Kamiya, H., Ikeya, 1994. Women's participation in the labour force in Japan: trends and regional patterns. Geographical Review of Japan Ser.B 67: 15-35.<br>
著者
西井 稜子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.253, 2006

高山帯の稜線付近には等高線と平行するように伸びる小崖(凹地)がしばしば認められ,重力性の変形地形として認識されている.近年では大規模地すべり・大規模崩壊といったマスムーブメントとの関係が指摘されている.山地斜面における複雑な斜面変動の実態を明らかにするためには,個々の小崖地形の成因に対して詳細な検討が必要である.そこで本研究では複数の小崖が存在し,その成因が清水ほか(1980)により検討されている飛騨山脈三ッ岳周辺において,その分布と形態的特性を詳細に調査し,その成因を考察する. 2.調査地域調査地域は,飛騨山脈の中央部に位置する烏帽子岳から野口五郎岳にかけての,南北に伸びる主稜線周辺の斜面である.主稜線の標高は,約2,500 mから2,920 mである.主稜線の東斜面は,南北に走る高瀬川断層により基盤岩が脆弱化し崩壊が多く土石流が発生しやすい。最終氷期後半には野口五郎岳南西側斜面,南東側斜面,および三ッ岳北東側斜面に氷河が存在していたと考えられている(五百沢 1979).この地域の地質は,野口五郎岳と三ッ岳のほぼ中間部を境に北は奥黒部花崗岩,南は有明花崗岩からなる.この付近の更新世中期以降の隆起速度は約2.9_から_4.0 mm/年と推定されている(原山ほか 1991)。3.調査方法空中写真判読より小崖地形,崩壊地,氷河地形,周氷河性平滑斜面を認定し,地形学図を作成した.特に,小崖地形の位置は,現地調査により確認した.小崖が谷によって分断,あるいは凹地が埋積されている場合でも,両端の小崖の山向き斜面の走向傾斜がほぼ同じと考えられるものは連続する1つの小崖地形とした.また,1 m以下の崖において連続性に乏しく更に崖長が5 m以下の極端に短いものについては小崖地形とみなしていない.現地では地形の特徴を把握するため,小崖地形の横断形と縦断形の測量を行った.地質構造に関して,稜線付近の基盤の節理の走向傾斜を計測し,電研式岩盤分類法に基づいて,連続的に稜線付近の基盤の岩盤性状の分類を行った.また,数ヵ所の凹地においてピット掘削を行い,凹地内堆積物の分析を行った.4.小崖地形の配列パターンによるタイプ分け調査地域の小崖地形は,ほぼ南北に伸びる主稜線と大略平行に標高約2,350_から_2,920 mにかけて分布する.小崖地形の分布の配列パターンから大きく3つのグループに分けられる.稜線を挟む両側の斜面が急傾斜で稜線直下まで表層崩壊により谷頭侵食が進んでいる場所では,小崖地形が稜線付近に集中して分布する(タイプA),対称性を持つ稜線では,小崖地形は稜線を挟んで斜面中腹に対になって分布する(タイプB),斜面勾配が非対称の稜線では,小崖地形は緩傾斜の斜面に偏って分布する(タイプC),以上のタイプとは異なる,カールを切る小崖地形も存在する(タイプD).5.各タイプの形成メカニズムタイプAの範囲は,調査範囲の中で,最も岩盤の風化が進んでいる場所である.そのため,風化に伴う表層崩壊が稜線付近まで及び,稜線近くに40°以上の急勾配斜面が存在している.このような山稜上部の形態のため,稜線付近には引っ張り応力がはたらいていることが推測される.ここでの卓越する節理の方向は,凹地の方向とほぼ一致している.そのため,稜線に平行な節理に沿って,開口性の凹地が形成されたと考えられる.このタイプAの凹地の1箇所で,ピット調査を行い,堆積物中に含まれる有機物の年代測定を行った.その結果,1140±20 yrBP(パレオ・ラボ(株), PLD-5149)という値が得られた.この値は,タイプAの凹地のいくつかが,現在進行している崩壊作用に関連して形成されているものであることを示唆する.タイプBでは,山体の横断形と,小崖地形の位置が対称性をもつことから,山体上部の陥没によって小崖地形が形成されたことが推測される. タイプCでは,山体の横断形は非対称である.ここでは,急斜面側の侵食の進行により,稜線付近の不安定化が進んだと考えられる.節理の走向が凹地の伸びの方向と一致し,傾斜が高角度であるため,小崖に対して山側の斜面が相対的に落ちる正断層によって形成されたと考えられる.タイプDの小崖地形は,最終氷期後半に形成されたと考えられるカール内に分布する.この小崖地形は,他のものに比べ崖長,崖高が大きいが,周囲の起伏は小さい.最終氷期後半以降の氷河の後退に伴う応力解放により形成された可能性が考えられる.6.まとめ約8 kmにわたる稜線に沿って,小崖地形の分布と形態的特徴を調べ,形成メカニズムを推定した結果,地質の風化程度と,山稜の形状,氷河地形の有無により,山体変形のタイプが異なることが考えられる.
著者
藤岡 英之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

近年、葬儀には2つの大きな変化が起きたといわれている。1つは喪家近隣の人々の手伝いによって担われてきた葬儀の役務が葬祭業者によって代替されるようになったこと、そしてもう1つは、葬儀の場所が自宅から葬儀会館へ移行するという会場の変化である。この2つの変化によってもたらされる葬儀の地理学的な変化をみていくことが、本発表の目的である。<br><br> 地域共同体が担ってきた葬儀の役務は葬祭業者に代替されるようになったが、その進み方は一様ではなかった。東日本(甲信越から北関東、南東北)では比較的最近まで地域共同体の関与が大きく、これが現在でも葬儀費用における参列者や親族への「接待費用」の金額の高さ、さらには葬儀費用「総額」の高さとなって現れている。<br><br> こうした地域の性格を典型的に表している栃木県宇都宮市でも90年代半ば以降、それまでの自宅に代わって葬儀会館での葬儀が普及している。会館内でも受付は組内の仕事とされるなど、助力の習慣は一定程度維持され、手伝いへの返礼として通夜振る舞いや精進落としの会食も、告別式と火葬を済ませた後、再び葬儀会館に戻って行うのが習慣となっている。市内の葬儀会館は集積することなく、互いに一定の距離を保って設置される傾向にある。とくに2000年以降は、人口集中地域の縁辺に沿った立地が目立つ。<br><br> 葬儀の会館への移行によって葬儀の場所は自宅を離れることになった。この実態を明らかにするため、栃木県の地方新聞「下野新聞」のお悔やみ欄を使い、故人の自宅から葬儀の場所までの距離と、死亡日から告別式までの日数(間隔)を調べた。1995年1月に57%あった自宅葬は、2000年1月には25%、05年1月3%、10年1月は1件(0%)に減少、代わって民営の葬儀会館と市営火葬場に併設された式場(市営斎場)を合わせた利用割合は、40%から、74%、94%、98%へと増加した。<br><br> これによって、故人の自宅から葬儀の場所までの距離は当然ながら離れていくが、そのなかで民営の葬儀会館での葬儀の場合、自宅からの距離は3.4kmで経年的な変化はほとんどなかった。各会館の集客のパターンを調べても、多くが会館の周囲から集客しており、利用者側からみて最近接の会館とまでは言えないものの、自宅近くの会館が利用されていた。<br><br> 一方、これと異なる傾向を示したのが農協系葬祭業者の葬儀会館と市営斎場での葬儀である。農協系葬儀会館は、自宅からの距離が一貫して拡大する傾向にあるとはいえないが、自ら出資して組合員として参加する「農協」というブランド力により、他の葬儀会館に比べて利用者の範囲は広い。他方、市営斎場は、火葬場(「悠久の丘」)が2009年に郊外に移転したため併設式場も中心部からの距離は遠くなったものの、式場が2つに増設されて利用件数が大きく伸びた。2010年1月の利用割合は10%で、故人の自宅からの距離も平均5.5 kmと民営葬儀会館の1.6倍になっている。これには「安価さ」をアピールする「公営式場専門」の葬祭業者が新聞広告を掲載していることからも推測されるように、葬儀費用が影響していると考えられる。<br><br> ただし悠久の丘には、宇都宮市の葬儀習慣である火葬後の会食(精進落とし)のための場所がなく、火葬中の待合室で弁当を食べることをもって精進落としとすることが多い。火葬中の簡略化された会食でも問題のない、地域(共同体)との関係が希薄化した利用者が利用できる施設とみることができる。こうした利用者であれば、自宅やその周辺(地域)との距離は大きな問題にならず、遠方からでも利用が可能になる。<br><br> 死亡日から告別式までの日数は、とくに民営葬儀会館や市営斎場での葬儀においてその間隔が長くなっている。1993~2000年の間、自宅葬でもっとも多い間隔は各年とも2日だったが、民営葬儀会館では93年の2日から2000年までに3日が最多となってピークが1日分ずれた。2010年には4日以上が半数を占めている。利用が伸びている悠久の丘の式場でも、平均の間隔が4日に達した。こうした間隔の伸びは会館の空き具合によるものである。<br><br> このように、宇都宮市では自宅近くの葬儀会館の利用が続く一方で、より簡略化され費用も安価ながら、自宅から離れ、告別式までの待ち時間の長い葬儀が増えている。<br> <br>
著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

南米北部では、19世紀初め頃フンボルトがクロノメーターと天文観測で経緯度を定め学術目的で独立に地図を作成したが、アグスチン・コダッシは1826-1859年に南米北部に滞在し、独立後間もない地元政府の委託を受けてフンボルトの成果を活用し補測して全国的な地誌資料と小縮尺地図作成を行った。<br> 彼は1793年7月イタリア北部ルゴで生まれた。1810年7月イタリア王国軍に志願、パヴィアの砲兵理論実習学校で学んだ。この学校は1803年設立、砲兵術工兵術及びその基礎科目、数学、測量学、設計製図を教育訓練した。<br> 1826年南米北部グラン・コロンビアにわたり、マラカイボの州の砲兵隊長として海岸防衛のため地図を作成提出した。<br> 1830年グラン・コロンビアはベネズエラ、ヌエバグラナダ、エクアドルに分裂。ベネズエラ政府は全国地図作成を決定、その作業をコダッシに委託。1839年コダッシによる『ベネズエラ共和国自然政治アトラス』完成、説明文に人口94.5万と記載。翌年パリで印刷。パリ地理学協会、フランス科学アカデミーで好評。<br> 1849年ヌエバグラナダ大統領からの招きありボゴタに亡命。政府は全国の州ごとの地誌地図作成をコダッシに委託。1850年政府はこの作業の支援のため地誌委員会設置。地誌委員会はコダッシ委員長の下に1850年から1859年まで10回の測量調査遠征を実施。コダッシの地誌図が残されているが、10回目の遠征中、1859年2月未完のまま病没した。地誌委員会はコダッシの作業を継承編集し『コロンビア合衆国アトラス1865』にまとめた。<br> 人口、居住高度ほか自然人文条件が大いに異なるが、彼の活動は政府機関による全国的な地形図作成に先立つ個人指導によるものとして伊能忠敬と役割が似ているところがある。
著者
米家 泰作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

文化史や教育史,文学史,そして地理学から,近代日本のコロニアル・ツーリズムに関する研究が進んでいる。報告者は,植民地となった朝鮮半島や,それに準じる中国東北部(満洲)への旅行記の検討を踏まえて,前者が「過去の日本」として,そして後者が「帝国の前線」として体験されたことに,関心を寄せてきた。本報告では後者の点を検討すべく,20世紀前半の哈爾浜(哈爾賓)を取り上げる。<br> 日露戦争後,鮮満旅行が実業家や教育者の間で次第に盛んになったが,哈爾浜がその主要な訪問地となるのは1920年代半ば以降である。特に,「満洲国」が1932年に成立し,1935年に新京(長春)以北の北満鉄路(東清鉄道)をソ連から買収すると,多くの日本人旅行者にとって,哈爾浜は鮮満周遊の北端となった。1937年には哈爾浜観光協会が設立され,日本人旅行者への観光案内を主導した。<br> 日本人旅行者は,一方ではロシアの近代的な計画都市・哈爾浜を高く評価しつつも,ロシア(ソ連)への対抗を意識し,伊藤博文暗殺や日露戦争(諜報員銃殺)に関わる場所を積極的に訪問した。ロシアの影響力が失われた後も,ロシアが築いた教会や墓地,百貨店,レストランなどは,ヨーロッパ的な風景や情緒を体験できる場所として,観光コースに組み込まれた。さらに男性旅行者にとっては,歓楽街で接客するロシア人女性が,ヨーロッパへの憧憬をかきたてると同時に,ヨーロッパに対する優越感を与えてくれるアンビバレントな存在となっていった。<br> 近代日本の旅行者にとって,哈爾浜とは,ロシアとの帝国主義的な争いと、そこでの勝利を象徴する都市であり,「夜のハルピン」は歪んだオクシデンタリズムを掻き立てる場所となった。中国東北部の他の都市や地域の検討については,今後の課題としたい。
著者
北村 繁 エルナンデス ウォルテル プリンジャー カルロス マティアス オトニエル
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.100, 2007

<BR> コアテペケカルデラ(Lat. 13.87N, Long. 89.55W; 11.5 x 6.5 km)は中米北部にみられる5つの大規模カルデラ火山のひとつで、エルサルバドル共和国の首都・サンサルバドル市の西南西約40kmに位置している。これまで、3回の大規模噴火により、Bellavista, Arce, Congoとよばれる降下軽石および軽石流を、それぞれ77ka、72ka、および、56.9kaに生じたことが知られてきた(Pullinger, 1998; Rose, et al., 1999)。<BR> これらのうち、Bellavista降下軽石および軽石流は、カルデラ周辺にのみ分布が知られている。一方、Arce降下軽石は、エルサルバドル西部地域で見出される最も顕著な降下軽石層で、黒雲母と角閃石に富むため野外での認定が容易で、カルデラ周辺から西方一帯に広く堆積することが知られてきた。また、その下位には、グァテマラ南部~エルサルバドル西部に分布するHテフラ(84ka)が見出されている。Congo軽石流は、カルデラ周辺に厚く堆積しており、Congo降下軽石もカルデラから西方への分布が知られている。<BR> これに加えて、近年、Congo降下軽石より上位に、Atiqui- zaya降下軽石(kitamura, 2006)、および、Conacaste軽石流堆積物(Hernandez & Pullinger, 未公表資料)が見出された。従来、これらは、それぞれ、Congo降下軽石および軽石流堆積物の一部とみなされてきたが、Congo 降下軽石あるいは軽石流堆積物の上位に、明瞭なロームをはさんで堆積していること、最下部に桃白色の細粒火山灰(Turin火山灰)を伴っていることから、Congo降下軽石および軽石流堆積物と異なる噴火による堆積物であることが野外で認定できる。また、Atiquizaya降下軽石とConacaste軽石流堆積物は、それぞれ独立に見出されたが、上述したような層位的特徴からみて、両者は同じ噴火の産物であると考えられる。Congo降下軽石および軽石流堆積物、ならびに、Atiquizaya降下軽石およびConacaste軽石流堆積物は、いずれも角閃石と斜方輝石に富む。<BR> 一方、コアテペケカルデラの西北西150kmに位置するグァテマラ市周辺では、従来よりA1、および、A2テフラと呼ばれる火山灰が知られてきた(Koch & McLean、1975)。いずれも数cm程度までの厚さの白色細粒火山灰であるが、A1テフラは、黒雲母と角閃石に富み、A2テフラは、角閃石と斜方輝石に富む。A1テフラは、上述のHテフラの上位に、Cテフラをはさんで堆積しており、A2テフラは、A1テフラの上位に堆積している。また、A2テフラは、23kaとされるBテフラの下位に、Eテフラをはさんで堆積している。したがって、A1およびA2テフラは、コアテペケカルデラ起源のテフラと対比を検討すべき層位にある。<BR> 本研究では、コアテペケカルデラから20km程度までの地域、ならびに、グァテマラ市付近の数地点の露頭から試料を採取し、各テフラの火山ガラスの化学組成を比較することにより、対比を検討した。分析には、弘前大学理工学部地球環境学講座の波長分散型X線マイクロアナライザーを用い(加速電圧15kv、ビーム電流3x10<SUP>-9</SUP>A、ビーム径10μm)、ガラス片を10~30個程度分析して、平均と標準偏差をもとめた。<BR> 化学組成分析の結果、Congo降下軽石および軽石流堆積物と、Atiquizaya降下軽石およびConacaste軽石流堆積物については、互いに火山ガラスの化学組成が類似していることが判明した。一方、これらのテフラと、Arce降下軽石、Bellavista降下軽石および軽石流堆積物の火山ガラスの化学組成は、Harker図上で、互いに異なった分布を示すことから、明瞭に判別される。グァテマラ市周辺で知られてきたA1、A2テフラの火山ガラスの化学組成の分析結果をHarker図上で、これらと比較すると、A1テフラはArceテフラと、A2テフラは、Congo降下軽石・軽石流堆積物と、Atiquizaya降下軽石・Conacaste軽石流堆積物と類似した化学組成をもつことが判明した。<BR> 本研究で得られた化学組成、ならびに、従来より知られていた層位、鉱物組成からみて、A1テフラとArceテフラ、A2テフラとCongoテフラまたはAtiquizayaテフラは対比される可能性が極めて高い。すなわち、Arceテフラ、および、CongoまたはAtiquizayaテフラのいずれかは、約150km離れたGuatemala市まで到達していたとみられる。また、グァテマラのCテフラの年代は、約72ka以前で、Eテフラは、およそ57ka以降であるとみることができる。
著者
日野 正輝 丹羽 孝仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.47, 2010

1.研究の背景と目的<br> 東南アジアの都市化の様相は1980年代後半に大きく変化した(田坂,1998).小長谷(1997)は,その変化を過剰都市化から「FDI型新中間層都市」への移行と概念化した.McGee & Robinson(1995)は急速に膨張した首都圏域を指してMega Urban Regionと呼んだ.また,労働力移動に関しても,新規学卒者などのフォーマルセクターへの就業を内容とする人口流入が人口移動モデルのなかで大きく描かれてきた(松薗,1998).この傾向は,急増した外資系企業を含めた大都市のフォーマルセクターが求める人材は中等教育以上の学歴を持った若年層であって,農村部の既就業者でないことを示唆するものであった.<br>本研究は,タイの都市化の構造変化に関する上記した状況認識から,タイ北部の中心都市チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関を対象に新規学卒者の進路先調査を実施したものである.<br><br>2.調査地域および調査対象の概要<br>調査地域:チェンマイはタイ北部の中心都市である.2000年現在のチェンマイ郡の人口は238千人(2009年)である.同地域では卓越した規模を誇る.チェンマイの主要な都市機能は行政・教育,商業,観光業である.製造業の集積は小さい(遠藤,1991).調査方法:チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関として,中学・高校一体の中等教育機関3校,職業専門学校3校,大学5校を選び,訪問調査により入学者および新規卒業者の就職先等について聞取り調査を実施した.<br> 調査対象:中高校3校,職業教育学校3校(国立2校,私立1校),大学5校(国立4校,私立1校)<br><br>3.調査結果<br>_丸1_高校卒業生の大半が大学および職業専門学校への進学者であった.進学先は地元大学を強く指向している. <br>_丸2_タイでは,普通教育とともに職業教育ははやくから実施され,現在も中卒段階で5年制の職業専門学校に進学する生徒が多い.専門学校への入学者は一部に全国から生徒を集める私立学校があるが,国立の専門学校の場合は自県内からの進学者がほとんどである.専門学校の後期課程修了者の半数が主に地元の大学に編入学している._丸3_大学入試は基本的にはクォーター入試と一般入試からなる.前者は受験生を北部地域に限定して行われる.全入学者に占めるクォーター入試合格者の比率は大学によって異なる.卒業後の就業先地も,チェンマイ地域に就業する者が卓越する.ただし,大学評価の相対的に高いチェンマイ大学やメーチョ大学ではバンコク都市圏に就職する卒業生は相対的に多く,その点では部分的ではあるが卒業生をバンコク都市圏に送り出す働きをしていると言ってよい.外資系企業が立地する東部臨海地域にあるチョンブリ,ラヨン県にも就職している.<br><br>4. 調査結果の含意<br> バンコク大都市圏への人口集中に関連して,地方都市から進学目的による流入者が描かれてきたが,北タイの場合には,大学進学者の多くは地元の大学に進学し,バンコク都市圏に転出する比率は低い.大卒者の場合も,地元に留まる者が多かった点は,タイの若年人口の地域間移動を理解する上で留意しておく必要がある.加えて,現在タイは「産業構造の高度化に先行する高学歴社会の到来」の状況にあると言ってよい.そのためタイ社会にとっては今後高学歴者の雇用創出が課題になると同時に,低賃金労働部門での外国人労働力への依存が高まることが予想される.他方,日系企業を含めた外資企業においては,安価な若年労働力を大量に確保することは大都市圏のみならず地方においても困難になると予想される.<br><br>参考文献<br>遠藤 元(1991):北タイ,チェンマイ市の人口成長とその要因.経済地理学年報,37,201-224頁.<br>小長谷一之(1997):アジア都市経済と都市構造.季刊経済研究,20,61-89頁.<br>田坂敏雄編(1998):『アジアの大都市 1:バンコク』日本評論社,335頁.<br>松薗祐子(1998):就業構造と住民生活.田坂敏雄編『アジアの大都市 1:バンコク』日本評論社,191-209頁.<br>McGee, T. G. & Robinson, I. M. eds. (1995): The Mega Urban Regions of Southeast Asia, UBC Press.
著者
後藤 寛
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100176, 2012 (Released:2013-03-08)

喫茶店も他の多くの飲食店業と同様に,時代の変化に対応しつつ変化し生き残りを図っている.近年ではフランチャイズチェーンの台頭によりどこの街でも同じ看板の店である割合が高まっており,またファーストフード等の隣接他業態との垣根が低くなっている感があるが,人々の日々の休息に役立っている存在と考えられる.このような喫茶店がどこにどのように立地しているのか,本報告では大都市圏とその都心部分として,首都圏全域,東京23区内,山手線内エリアの3スケールで比較しながら,喫茶店・カフェ業態の立地分布と密度,そしてとくにチェーン店間の競合の現状についての分析を行う.
著者
田邉 裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1 地名問題の現状<br><br>1967年以来、国連は国連地名標準化会議(UNCSGN)を開催し、国境領土の変動、少数民族文化の尊重、旧植民地の解放に伴って内生地名の外来地名に優先する原則を主導し、各国に地名標準化の行政機関の設置を勧告し、国連地名専門家会合(UNGEGN)を設置し、研究・勧告を続けている。世界の主要国は地名標準化委員会を持っているものの、日本には地名標準化の行政機関は存在しないため、日本学術会議ではその設置の提案を検討している。<br><br>国内の地名は国土地理院および海上保安庁が現地調査あるいは地方公共団体の申請を受けて、調整決定し、地図・海図に記載するものもあるが、事実上各地方自治体が歴史的地名として継承し、住居表示に関する法律、行政区画の変動、地域計画・開発によって、変更し決定する。各省庁は地名問題に独自に対応し、国家的な標準化を図る機関は存在しない。地名は国民全体の文化的歴史的共有財産であるにもかかわらず、地方自治体や私企業がその所有者のように振る舞い、命名権を行使する場合の地名表記に関わるガイドラインはない。<br><br>地名表記には漢字・ひらがな・カタカナ・Romajiなど、方式は多様であり、表記の標準化を図る機関の存在が欠如して、教育現場や観光への影響も大きい。加えて確立した唯一の呼称に別称を国際的に要求されることもあり、地名呼称の総合的管理が必要である。<br><br>外国の地名は慣例を除き現地読みが原則であるが、英語読みもあり、現語が当該国の公用語と異なる少数民族への対応は標準化されていない。漢字使用国以外はカタカナあるいはラテン文字表記であるが、中国地名は漢字・英語読みや広東語読みやピンインの仮名書きが不統一である。外国地名は、外務省の読みを多くの部局が採用しているが、標準化されているわけではなく、諸外国との交易に携わる私企業・出版界や教育界などが用いるものも統一されているとは言い難い。<br><br>2 具体的提案<br><br>(1)地名委員会(Japan Committee on Geographical Names)の設置<br><br>地名委員会を行政府内に設置することを提言する。同委員会は、国内地名と日本で用いる外国地名を統合管理(命名・改名・呼名・表記を含む)し、諸省庁・地方公共団体・民間などで地名を使用するガイドラインを作成し、地名表記と呼称とを標準化する行政の責任機関とする。また外国に対して日本の地名を周知し、外国語表記の標準化を進め、外国語を用いた国内地名の評価・指導、場合によっては廃止などの許認可を行い、対外的には地名ブランドの保護、日本海呼称問題など外国との地名呼称問題などに総合的に対応する。<br><br>(2) 地名専門家会議の設置<br><br>地名委員会の下に地名専門家会議を設置し、地理学・地図学・言語学・歴史学などの専門家や総務省(統計局を含む)・外務省・国土交通省(国土地理院・海上保安庁を含む)・文部科学省・防衛省などの関係省庁の協力を得て、ガイドラインの作成、国内外における地名収集を進め、その呼称と表記を研究し、学術的技術的分野を支援して、地名の教育・使用・標準化に関して国家として地名の最終的承認・廃止・改正を地名委員会に勧告する。<br><br>(3) 国際的対応の強化<br><br>国連地名標準化会議関連の諸会議及びIGU/ICA共同地名研究委員会など地名に関わる国際的諸会議に、関係機関と協力して多くの国々と同程度の数名の地名専門家を派遣し、世界の地名問題に対応する。特にUNGEGNへの専門家の派遣は必須である。<br><br>(4) 地名集(Gazetteer)の作成<br><br>諸外国ですでに出版されている地名集や歴史地名を含めたデータベースを日本でも作成し、国内では教育やジャーナリズムの分野で使用する地名を標準化し、国外には日本の地名の呼称・表記のガイドラインを提示して、地名の統合管理を行う。<br><br>(5) 地名委員会並びに地名専門家会議設置のための研究会の設置<br><br>以上の(1)〜(4)の実現のための準備作業を行う地名問題研究会を行政府内に設置し、喫緊の課題を処理する。
著者
平田 航 日下 博幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.119, 2011

<B>1.はじめに</B><BR> 「二つ玉低気圧型」は日本の代表的な気圧配置の一つで、日本各地に悪天をもたらし、大雨や強風などのシビア現象が起こりやすいことが知られている。<BR> 北畑(2010)は過去20年間の二つ玉低気圧事例を4つのタイプ(並進タイプ・日本海低気圧メインタイプ・南岸低気圧メインタイプ・分裂したように見えるタイプ)に分類し、形成過程における日本列島の影響を調査した。<BR> 他にも二つ玉低気圧に関する統計的研究や事例紹介はいくつか行われているが(Miller, 1946; 櫃間, 2006)、本格的な研究はほとんど行われておらず、二つ玉低気圧とシビア現象の関係は未だ明らかになっていない。<BR><BR><B>2.目的</B><BR> 二つ玉低気圧通過時における降水量・降水強度・風速・降雪の地域的特性について統計解析を行う。また、二つ玉低気圧のタイプ別や日本海低気圧・南岸低気圧との比較を行い、降水の実態を解明する。<BR><BR><B>3.使用データ</B><BR>・気象庁アジア太平洋地上天気図(ASAS)<BR>・AMeDASデータ(降水量の1時間値)<BR>・気象官署データ(風速・降雪の深さの1時間値)<BR><BR><B>4.解析手法</B><BR><B>4.1.二つ玉低気圧の統計解析</B><BR> 北畑(2010)が抽出した二つ玉低気圧解析対象事例10年分の並進タイプ・日本海低気圧メイン(以下、日本海Lメイン)タイプ・南岸低気圧メイン(以下、南岸Lメイン)タイプを使用した。また、比較のために、日本海低気圧事例・南岸低気圧事例を抽出した。<BR><B>4.1.1.事例毎の降水観測期間の設定</B><BR> 「降水観測期間」を定義し、地上天気図で判定。<BR><B>4.1.2.降水・最大風速・降雪の地域的特性の調査</B><BR> 総降水量、1時間・3時間降水量の極値、総降雪量、最大風速を地点毎に算出。<BR><B>4.1.3.全国の降水規模調査</B><BR> 事例毎の全国総降水量・降水観測地点数の調査。<BR><B>4.2.シビア現象を引き起こす環境場の考察</B><BR> 二つ玉低気圧の間隔・気圧下降量などに着目。<BR><BR><B>5.結論</B><BR> 二つ玉低気圧通過に伴う降水は日本の南岸や北陸で強いが、日本海Lメインタイプの降水は全国的に弱い傾向がある。二つ玉低気圧と日本海低気圧・南岸低気圧で全国総降水量の差は小さい。並進タイプは降水観測地点割合が全国で90%近く、次いで、南岸Lメインタイプが広範囲に降水をもたらす。日本海Lメインタイプは東日本で降水観測地点割合が大きい。<BR> 最大降水強度の強い事例は、二つ玉低気圧の3タイプともに南岸低気圧が日本列島により近いところを移動する傾向がある。日本海低気圧の経路には明白な差がみられない。<BR> 最大風速の平均は日本海Lメインタイプが沿岸部を中心に強く、南岸Lメインタイプは全国的に10m/sを下回る。<BR> 二つ玉低気圧は日本海低気圧・南岸低気圧よりも全国で降雪が起こりやすくなる。二つ玉低気圧3タイプの中では並進タイプや日本海Lメインタイプは東北や北海道で比較的ふぶきとなりやすい。南岸Lメインタイプは関東南部まで降雪の可能性があり、全国的に穏やかな降雪をもたらすことがわかった。
著者
金 延景
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100032, 2013 (Released:2014-03-14)

新宿区大久保には,韓国人ニューカマーの集中居住地区であると同時に,商業業務中心地区としての性格を強く帯びたコリアタウンが形成されており,エスニック景観が顕著にあらわれている.本研究では,大久保コリアタウンの形成過程とその変容を明らかにすることを目的としている. 韓国系施設は1990年代から2000年代初頭にかけて主に職安通りを中心に分布し,段階的に裏通りから表通りへ,2階以上から1階へ拡散しながら,ハングルの看板や広告を中心としたエスニック景観を形成し始めた.当時のコリアタウンでは,韓国食料品店,韓国料理店,ビデオレンタル店,不動産,美容室,教会や寺など韓国人ニューカマーに向けた韓国現地の商品や情報,そして日本の生活に必要なサービスやコミュニティを提供する場として機能していた. そして,2003年ドラマを中心とした第1次韓流ブームにより,日本人観光客が急増したことで,コリアタウンは大久保通りへ拡散し,2005年頃にはコリアタウンのメイン通りとされた職安通りよりも大久保通りの方に多くの韓国料理店や韓流グッズ店が出店されるようになった.2009年のK-POPを中心とした第2次韓流ブームにより,大久保コリアタウンは一層拡大し,裏通りや2階以上へ再び拡散する一方,「イケメン通り」への出店が顕著にみられた.エスニック景観は,ハングルから日本語に変わり,韓流スターのサインやポスターを飾り,スクリーンやスピーカーを設置して映像や音楽を流すなど韓流スターを媒介としたエスニック景観へ変化した. こうしたコリアタウンの変化には,第2次韓流ブームの他,2008年のリーマンショック以降,円安・ウォン高により日本人の間でブームとなった韓国旅行が影響している.2008年から2009年にかけては,一時期,大久保では比較的売り上げや客数減っていたことから,韓国の観光名所である明洞で日本人顧客が求めていた商品やメニューが積極的に投入されたとみられる.
著者
武田 祐子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.222, 2004

<b>1.背景と研究目的</b><br><br> GISユーザー層の社会的な増加に伴い、空間データクリアリングハウスには、一次データのみならず、様々なデジタル・マップを整備し公開する役割が期待される。本研究は、センサス統計を利用したデジタル・アトラスを作成し、WEBコンテンツとして公開することを目的とする。<br><br>これまで作成されたデジタルアトラスでは、3大都市圏を対象とした社会地図がWEB上で公開された例があるが、ここでは、WEBマップとして視覚的なインパクトを与えることに成功した(矢野・武田、2001)。本研究では、これにならい、「女性」に関するデジタル・アトラスを作成する。<br><br><b>2.利用データと方法</b><br><br> 利用した統計は、平成12年の国勢調査の都道府県別集計の第1_から_3次集計である。ここでは、関東地方1都3県を対象に、空間単位は、市区町村ベースとした。女性に関する指標として、未婚率、学歴、親との同居の有無、職業・産業別従事者比率、母子家庭率、保育園・幼稚園の児童数を取り上げ、これらの主題図を作成した。それぞれに関して、どのような地域においてどの程度の男女差が生じているのか、その傾向を明らかにする。また、年齢階級別の比較が可能な変数の場合、年齢別に生じる差異も検討していく。<br><br><b>3 ジェンダー・マップ</b><br><br>本アトラスでは、1)未婚率、2)単独世帯率、3)パラサイトシングル率、4)学歴、 5)女性労働力比率、6)パートタイム比率、7)専業主婦比率、8)失業率、 9)職業別人口比率、10)産業別人口比率、11)母子家庭比率、12)保育園・幼稚園児童率、についてのセンサス・マップを作成した。<br><br><br>以下では、このうち、23区内での30代前半の男女の未婚率をとりあげ比較していく。女性では大半の区で30%以上となるが、とりわけ、杉並、中野、目黒、渋谷の各区では50%を越え、地区による未婚率の高低が明瞭で分布に偏りがみられる。一方男性は、おおよそ50%以上となる。とりわけ高い60%以上を示すエリアは、女性と同じ区以外にも、千代田、新宿、豊島、台東と都心部を含む範囲に広がり、かつその地域差は小さい(図1)。女性の就業地は、先の未婚率の顕著な区とは必ずしも一致しないことから、職住近接志向の男性に対し、女性は居住環境に強いこだわりをもって特定の区に集中していることが推測される。<br><br><b>4.まとめ</b><br><br><br>本研究では、関東1都3県を対象としたジェンダー・アトラスを作成し、WEB上のコンテンツとして公開した。未婚率を論ずる場合でも、分布の男女差を説明するためには、複数の地理的な指標を考慮することが必要となる。このため、WEBアトラスとは、地理的な視点の重要性を非GISユーザーに対して発信できる貴重な第一歩といえるのではないか。<br><b><br>謝 辞</b><br><br><br>本研究は、文部省科研費基盤研究B(1)(課題番号(14380026)、研究代表者、由井義道「女性の就業と生活からみた都市空間のジェンダー化に関する研究」)の一部を使用した。その成果は、http://www.sci.metro-u.ac.jp/geog/gis/Gatlas/にて公表予定である。<br><b>文 献</b><br><br><br>矢野桂司・武田祐子、2001、GISによる全国デジタル・メッシュ社会地図、京都地域研究15、264-286.</br><br><br>
著者
田中 耕市
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.271, 2010

<B>I. 研究目的</B><br> 2010年は,東京国際空港(以下,羽田空港とする)の再国際化などによって,首都圏における空港を取り巻く状況の激変が見込まれている.羽田空港の再国際化は,東京都心から海外都市へのアクセシビリティを飛躍的に向上させると期待されているが,運航される路線や便数は未だに正式決定していない.本研究では,東京大都市圏における国際空港へのアクセシビリティの変化を測定して,海外主要都市へ訪れる国際線利用者が享受しうる利便性の変化を定量的に明らかにする.そして,利用者の利便性の側面からみた羽田空港に就航すべき国際線の配分について検討する.<br><br><B>II. 首都圏空港が抱える問題</B><br> 1978年に新東京国際空港(現・成田国際空港;以下,成田空港とする)が開業して以降,国際定期便は成田空港に移転して,羽田空港は国内線用(一部の国際チャーター便を除く)として運用されてきた.しかし,滑走路の問題から成田空港の離発着数に著しい制限があるため,東京という大都市を背景にした大きな需要を賄うことができていなかった.そのようなボトルネックの状態が続いた結果,近年では香港(Chek Lap Kok)やソウル(Incheon)といった近隣海外都市に東アジアのハブ空港の地位を奪われつつある.加えて,羽田空港においても国内線の需要の増加に対応できていないため,首都圏第三空港の建設がたびたび議論されている.<br><br><B>III.国際空港へのアクセシビリティを変化させる要因</B><br> 2010年の首都圏においては,空港へのアクセシビリティを変化させる以下のようなイベントが予定されている.<br>1) 羽田空港の再拡張に伴う再国際化(10月予定)<br>4本目となるD滑走路および国際線ターミナルの建設される.<br> 2) 新ルート経由の京成電鉄の新特急による成田空港へのアクセス改善(7月予定)<br>日暮里駅から成田空港駅への最短移動時間が36分に短縮される.<br>3) 茨城空港の開業(3月予定)<br>自衛隊百里基地を民間運用する.<br><br> <B>IV.羽田空港の増分スロット(離発着枠)の配分</B><br> D滑走路の運用開始によって新たに増加する年間約10万回のスロットのうち,約3万本が国際線へと割り当てられる.その内容については未だに正式には決定していないが,比較的近距離の国際線への割り振りが予定されている.しかし,2009年12月には,アメリカ合衆国とのオープンスカイ協定の締結によって,一日あたり8往復が同国への便に優先的に割り振られた.<br>
著者
谷川 尚哉 相原 正義
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.109, 2005

現在の千葉県柏市と我孫子市にかかる、利根川河川敷の地域は、田中遊水地と呼ばれている。第2次世界大戦後、この遊水地を農地化して食料難と外地からの引揚者の入植地に使用という計画ができた。1946年4月、北太平洋のパラオからの引揚者22戸が入植した。利根川の堤防工事に従事しながらの入植であった。おりからの、キャサリン、アイオン、キティなどの台風により、度重なる洪水との戦いの中での入植であった。パラオからの入植者で、現在も農業に従事しているのは10軒である。
著者
菅野 洋光 西森 基貴 遠藤 洋和 吉田 龍平 ヌグロホ バユ ドゥイ アプリ
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

北日本における4月と8月の月平均気温は、季節が異なっているにもかかわらず、1998年以降、強い負の相関関係を示している(Kanno,2013)。前回の大会では、これがIPOにより判別される気候ステージ(-IPO)で発現しており、ラニーニャモードによるSSTの応力の弱さと偏西風循環に内在された独自の変動に影響されている可能性があることを指摘した。また、インドネシア付近の対流活動の重要性についても明らかにした。今回は、対流活動の中心に位置するインドネシアの農作物生産性の変動について、IPOに基づく気候ステージを考慮した解析を行った。<br>北日本の月平均気温偏差は気象庁HPよりダウンロードした。客観解析データはJRA55を、多変量解析は気象庁のiTacs (Interactive Tool for Analysis of the Climate System)を用いて行った。インドネシア農作物収量データは、イネ、トウモロコシ、ダイズの3種類で、1993年~2015年の期間、34の州のデータをインドネシア農業省より入手した。このうち、26の州についてはデータの欠落がなく、以下の解析にはそれらのデータを用いている。一般に途上国での農作物生産性は、栽培技術の進歩により時間の経過とともに増加する。そこで本研究では、全期間のデータに一次回帰計算を行い、回帰式からの偏差を解析対象データとした。また、近年の気候ステージについては、England et al.(2014)によるIPOのステージ区分を用い、また生産性と海洋変動との比較には、標準的なPDOインデックスを用いた。<br>図1にはインドネシアにおけるイネの生産性の一次回帰式からの偏差と年平均PDOインデックスの時間変化を示す。全期間(1993-2015年)を通すと相関係数は0.34となり、統計的に有意ではない。そこで、IPOによる気候ステージを考慮して、2001年以前(概ね+IPO)と2002~2013年(概ね-IPO)とで分けると、前者はR=+0.78、後者はR=-0.70で、ともに危険率5%以下で統計的に有意となった。また、エルニーニョが発生した2014年以降は、一転して同時的な変動に移行したようにみえる。トウモロコシでは、イネと同様に、全期間を通すとR=0.22となり、統計的に有意ではないが、IPOステージを考慮すると、2001年までがR=0.84、2002~2013年までがR=0.71となり危険率1%以下で統計的に有意となる(図略)。図2にはダイズの例を示す。こちらはIPOステージとの関係は明瞭ではなく、全期間を通して有意な正の相関を示す(R=0.57)。このような作物ごとの差異についてその原因を考察するため、JRA55を用いたインドネシア域(10S-5N, &nbsp;95E-140Eの矩形領域)における年積算解析降水量を計算し、PDOと比較した(図3)。その結果、全期間を通して降水量とPDOは負の相関を示し(R=0.67)、特に1997年以降が明瞭でR=0.76となる。すなわち、イネ、トウモロコシの生産性については、-IPO期間は降水量の年々変動に強く影響されていることが分かる。また+IPO期間については数年の幅はあるが、PDOと降水量とが比例している時期と重なっており、こちらも概ね降水量に影響されていると言える。一方、ダイズについては解析期間を通してPDOと正の相関を持ち、イネ、トウモロコシとは異なった変動を示している。これは、インドネシアではダイズはmain cropではなくcatch cropであるため、特に-IPO期間ではイネ、トウモロコシが不作の際に補完的に作付けられ、それが降水量変動と負の関係を示す原因として考えられる。