著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.171, 2004

_I_ カリブ海地域の島嶼<br> カリブ海には多数の島々があり,30ほどの国・地域が存在している。当該地域についてカリブ海沿岸国や南米ガイアナなどを含めることが多いが,以下では西インド諸島,すなわちカリブ海の島々を対象にする。大アンティル諸島は規模が比較的大きいだけでなく,小アンティル諸島にはない広い平野や丘陵が発達する。小アンティルでも風下諸島およびバハマ諸島,ケイマン諸島では,珊瑚礁が発達して山地も低い。一方風上諸島では,高度1000mに達する火山が連なっている。小アンティル諸島でも南米大陸沿岸は,著しく乾燥した気候である。こうした自然的基盤の差異にともない,サトウキビなどのプランテーション農園,カリブの海を中心とした観光,大陸から運ばれた原油の精製,バナナなどの熱帯果樹栽培,など各島の現在の産業構成に差異がみられる。またそれ以前より各島々への移住者の出身地域は異なり,現在も民族構成やそれにともなう宗教や文化的側面も,それぞれ特色あるものとなっている。<br>_II_ 近年の社会的変化<br> 一方現在ではこれらとは異なる地域的特色が,人々の流動などに表れている。カリブ海地域の住民は,15世紀よりほとんどが域外から流入したが,19世紀より大量に流出するようになった。現在も大半の島嶼から人口流出が続いているが,風下諸島など一部では人口が流入している(図1)。また1人あたりGDPも,35,000US$のケイマンから1,400US$のハイチまで,各島々で大きく異なっている。この格差には,一部の島では1990年代以降とくに発展が続いて主要産業になった観光をはじめ,オフショア金融や便宜置籍船などの果たす役割が大きい。ただし人口の流動との関係では,所得の高い島々に流入し,低い島々から流出しているわけではない。それにはカリブ海地域で従来からの宗主国との関係や現在大きな影響を受けている近隣諸国などとの関係がより大きくかかわると考えられる。<br>_III_ 地域内・地域外の移動<br> カリブ海地域内でもとくに旧・現英領の国・地域において,さまざまな経済連合などが結成されてきた。しかしそのほかにも仏蘭西米などと密接な関係を保つ,多くの非独立地域や半独立の地域がある。こうした宗主国が異なるのみならず,域外諸国との関係が島々で異なることは,貿易や援助受取の相手国などにも表れている。また域内や域外との地域的結びつきは,現在の交通にもみられる。多くの小島では島外との関係は重要で,交通や運送の手段は欠かせぬものの一つである。現在島嶼への人々の移動は主として航空路によるが,カリブ海地域内の主要空港間の路線数や便数は地域により異なる。大アンティル諸島では路線数・便数が少なく,小アンティル諸島では稠密な航空路線網がある。小アンティル諸島でも,風下諸島ではサンファンとの便数が多く,風上諸島ではトリニダードとの便数が多くなっている。カリブ海地域外の主要都市とでは,イスパニオラ島から西ではマイアミと,東ではニューヨークとのつながりが相対的に密接である。また大アンティル諸島ではアメリカとのつながりが強いのに対して,小アンティル諸島およびキューバではヨーロッパの比重が高くなっている(図2)。<br>_IV_ 交通変化の影響<br> カリブ海の各地域はハリケーンベルトにあたり,また地震および火山地帯であるため,近年も大きな自然災害があることで共通する。緩やかな弧状列島をなすもかかわらず多くの国・地域から構成されるのは,珊瑚礁地域を除いて多くの島々には火山があって各島は海峡で隔てられており,また海洋資源は豊かでなく,移民も大陸内部からきたため,陸上での農業が中心的に営まれて,各島間の交通が盛んでなかったことが大きい。しかし現在では食料の多くを輸入に頼る地域が多く,域外との交流は不可欠である。とくに航空路線の発達により,島嶼にも多くの観光客をよぶことが可能となると同時に,カリブ海観光のクルーズ船も多くの観光収入をもたらす。観光客のみならず住民の流動もまた盛んであるが,これらはカリブ海地域における諸島間の結びつきに変化をもたらしている。
著者
南宮 智娜
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100264, 2015 (Released:2015-04-13)

研究目的 本研究の目的は,日本,中国,韓国相互間のパッケージツアーを中心に,東アジアにおける三ヶ国の国際観光の特徴を明らかにすることである.   研究方法 研究方法は,まず,日本,中国,韓国の旅行会社(日本は,JTB,近畿日本ツーリスト,日本旅行,韓国はHana tour,Mode tour,Lotte tour,中国は,中国国旅,中青旅,中国旅行会社)のインターネットに掲載された三カ国相互間のパッケージツアーを抽出し,ツアーの情報(旅行会社,ルート,出発日,ツアーの名,食事の回数,料理の内容に関する記載の有無,料理の内容及び店名に関する記載の有無,ホテルの名前)をすべてデータベース化し,現在の日本,中国,韓国相互間のパッケージツアーの特徴を検討した.次に,1984年(初刊),1985年5月,1990年5月,1995年5月,2000年5月,2005年5月,2006年(最終刊)のエイビーロードに掲載されたJTB,近畿日本ツーリスト,日本旅行の韓国,中国向けのツアーを全て抽出し,催行されたツアーの年代,旅行会社,タイトル,価格,出発日,食事,添乗員,最少催行人員,出発地,利用予定航空会社,利用予定ホテル,詳細な日程,内容の詳細など)をすべてデータベース化し日本のツアーの時系列的変化を明らかにした.そして,現在の中国・韓国のツアーの特徴と過去の日本のツアーの特徴と比較した.なお,文化的違いによるツアーの特徴も考察に含めた. 現在日本,中国,韓国のパッケージツアーの特徴 日本発のパッケージツアーは,訪問先が特定の都市に偏っている.また,一都市のみに滞在する傾向がある.なお,一日に訪れる観光スポットは少なく,韓国から中国向けのパッケージツアーにはない観光内容もみられた.さらに,食事内容については,こだわりがある.一方,韓国発のパッケージツアーは,一日に多くの観光スポットを訪れる傾向がある.また,温泉と韓国料理にこだわりがある.行先については,韓国と歴史的に関係がある地域へのこだわりがある.中国発のパッケージツアーは,ツアー日数が長く,幅広く都市をまわる傾向がある.また,ショピングを重視する傾向が強い.逆に,食事の内容に関しては取扱いが弱く,食事有無だけ重視する.さらに,ホテルについては,ホテルの名前や利用可能な施設より,グレードにこだわりがある. 日本のパッケージツアーの時系列的変化 日本のツアーの場合は,1980年代は,食事の有無とホテルのグレードのみに注目した.1990年代からは,食事の内容の記載やホテルの名前の記載が見られるようになった.しかも,食事内容は日本料理ではなく,目的地の料理(韓国料理と中華料理)であることから,食事内容においても,現地の日常に対する関心が高まった.さらに,2005年からのツアーは,ホテルに対してのこだわりがあり,さらに多様な選択が可能となった.食事についてのこだわりはさらに強まり,食事内容にとどまらず,店名まで記載されるようになった.なお,観光内容についても,さらに目的地の日常生活に近づいた(たとえば,中国の「太極拳モーニングデビュー」,韓国の「韓国式エステ体験(汗蒸幕,よもぎ蒸し)」など).このように,日本のツアーは,時間の重ねるにつれて,食事とホテルについてのこだわりが生じ,観光内容と食事内容は目的地の日常に近づいていると考えられる.ツアーの日数,訪問地の多少,観光内容,食事とホテルについてのこだわりに注目すると,現在の中国発のツアーは日本の80年代のツアーの特徴に類似する.現在の韓国発ツアーは,日数,主な回り型,食事とホテルに関するこだわりを見ると,日本の90年代のツアーと類似する.しかし,観光内容と食事内容を見ると,韓国と歴史的に関わりがある観光地(たとえば,白頭山),韓国料理にこだわりがある(韓国の中国向けツアーのでは,食事内容と店名まで明記される場合が少ない中で.韓国料理の店名が最も多く記載されている).現在の韓国発のツアーの日数,訪問地の多少,食事とホテルについてのこだわりは,日本の90年代のツアーと類似するが,観光内容と食事内容は,日本の90年代のツアーと異なる傾向にある.
著者
北川 卓史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.115, 2005

_I_.はじめに.通信販売(以下通販)は,「距離の制約を越える」といわれ,19世紀アメリカで本格的に開始され,日本でも明治期にカタログ通販が展開するようになった.この通販には_丸1_宣伝広告,_丸2_受注,_丸3_商品配送,_丸4_代金決済の4つ機能が重要といわれている.これまで大規模な通販を行う事業者は,カタログやテレビといった広告媒体を使用した通販専門業者や,都市部の大型小売店などが目立った.また,郵政公社の「ふるさと小包」事業も見逃せない.しかし,消費者が実際に商品を手にとって選び,すぐに手に入れられないといった性質上,通販は商業全体から見ても傍流であるといわざるを得なかった._II_.インターネット通信販売の動向.インターネット通信販売は,広告媒体としてテレビやカタログを使用する場合と比較して,_丸1_検索機能による商品検索_丸2_商品の比較_丸3_在庫などの情報更新_丸4_24時間閲覧と注文,などが迅速かつ容易に行うことができ,事業者にも消費者にもその利便性が評価されている。『平成15年度電子商取引に関する実態・市場規模調査』によると,個人向け電子商取引(以下BtoC EC)の市場規模は4兆4240億円と推計されており,平成10年と比較して,約69倍に拡大している.これはドラッグストアやホームセンターなどの市場規模を越え,約7兆円規模のコンビニエンスストア市場に追いつく勢いである.この急成長に寄与したのは情報通信環境の整備が進行したためであろう。日本のインターネット世帯普及率は,50%以上であるといれており,都市部ほど普及率が高い.更にインターネット接続可能な携帯端末や常時接続サービスが広く普及している点も見逃せない.このように事業者も消費者も安価で手軽にインターネットを利用できるようになった.ただし,例えばインターネット上にホームページを作成する資本や能力に乏しかったり,作成できたとしても商品を並べただけでは集客にならない.実際BtoC ECを取り組む事業者数は約5万前後存在しており,そのうちで3万7千程度が従業員50名未満かEC売上高1億円未満の中小規模事業者であると推定されている.そのため,大多数を占める中小規模事業者は,インターネットショップ(以下ネットショップ)運営のシステムやノウハウをインターネットショッピングモールなどに出店することで,補完する事業者が多い.『インターネット白書2004』によるとネットショップを出店する事業者のうち約6割が,その第1店目を楽天市場のショッピングモールに出店している.楽天市場などでノウハウや顧客を掴んだ後,独立して自社独自のホームページを作成し,ネット通販を拡大する事業者も存在しており,インターネットショッピングモールが中小事業者のネット通販事業におけるインキュベーターの役割を果たしているという側面もみられる.また,商品配送機能や決済機能について言及すると,1980年代に全国津々浦々をカバーする個人向け宅配便ネットワークが完成した.さらに冷蔵・冷凍品への対応と航空機利用などにより配送時間の短縮が図られたため,生鮮食料品や花卉など劣化の早い商品も配送可能となり,通販取扱商品に幅が広がった.決済機能については,振込などだけでなく,運送会社による代金引換が重要である._III_.楽天市場について.1997年5月にインターネットショッピングモール事業を開始し,2005年6月時点で約11,000店が出店している.月平均注文件数は約150万件で,流通総額は月平均150ー200億円と言われている.
著者
山本 隆太 阪上 弘彬 泉 貴久 田中 岳人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1. 国際的な地理教育界におけるシステムアプローチ<br>国際地理学連合地理教育専門委員会(IGU-CGE)の地理教育国際憲章(IGU-CGE 1992)では,主題学習のカリキュラム編成原理としてシステマティックアプローチ(Systematic Approach)やシステムズアプローチ(Systems Approach)が示された。以後,地理教育にシステム論やシステム思考を導入するという考え方は世界に共通する地理教育論の一つとなっている。志村(2014)では,1970年にはすでに,IGU-CGEのローマ委員会が「空間システム的な環境&minus;人間関係」を地理教育として重視する方向性を示したことや,2000年頃の地理教育国際比較調査においてシステム思考が中等教育段階のカリキュラム編成原理の一つとなっていることが示されている。IGU-CGEのルツェルン宣言(大西2008)では,ESDを念頭に,自然,文化,社会,経済といった各圏・領域を包括的に扱う「人間-地球」エコシステム(Human-Earth ecosystem)の概念を地理教育として重視することを表明している。これに強く同調している国のひとつにドイツがある。ドイツでは地理教育スタンダードを2006年に公刊し,そこでシステムとしての空間を地理教育の中心的な目標として位置付けた(阪上2013)。また,この目標の下,地理教育システムコンピテンシーを開発し(山本2016),各州におけるカリキュラムに位置付ける動きがみられる(阪上・山本2017, 山本2016)。<br><br>2. 国内における地理教育システムアプローチの展開<br>ドイツの地理教育システムコンピテンシーは,「システム思考,ネットワーク思考ともいわれるシステム的な見方・考え方に基づき,ダイナミクス,複雑系,創発などのシステムの概念から地理的な事象や課題の構造と挙動を理解し,世界を観察・考察する教育/学習方法」と定義されている(山本2016)。この地理教育システムコンピテンシーに基づき,筆者らはシステムアプローチとしての授業実践を構想,実践した(実践一覧はhttps://geosysapp.jimdo.com/に記載)。なお,ドイツの定義に基づいて日本国内の教育実践を参照すると,例えば,鉄川(2013)では地理的事象を構造化するアプローチをとっている一方で,挙動については触れていない。システムアプローチの視座に立つと,地理授業においてすでに構造化については実践がなされている一方,挙動については課題があることが考えられる。<br><br>3. 授業実践事例 アラル海の縮小<br><br>アラル海の縮小を題材として,システムアプローチに基づく授業実践を行った。実践校は埼玉県内私立高校で,高校3年次の地理A(6時間)で実践を行った。授業は,(1)教科書や資料集を用いてアラル海の縮小に関する記述を理解する,(2)関係構造図(第1図)で問題の構造を解明する,(3)最悪シナリオ/持続可能な解決策を考えることで挙動を解明する,という展開で実践した。授業後,授業に関する生徒アンケートを実施した。<br><br>4.考察<br>システムアプローチを用いた実践では,持続可能な社会づくりを目指し,環境条件と人間の営みとの関わりに着目して現代の地理的な諸課題を考察する科目的特徴を具体化できることがわかった。また,関係構造図を用いることで,生徒自ら自分自身の思考を可視化できた。<br>
著者
政金 裕太 佐藤 佳穂 岡村 吉泰 岡部 篤行 木村 謙
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.背景と目的</b><BR><br> 文科省の公式見解では、首都圏でM7クラスの地震が発生する確率は30年以内に70%といわれている。副都心の一つである渋谷駅周辺は、建物密度も昼間人口密度も極めて高い地区であるので、その防災対策は重要であり、大きな課題である。本研究では、その過密地域を含んだ青山学院大学周辺約1kmを対象地とし、災害発生時の人間の道路から避難施設までの避難行動をシミュレーションする。本研究は、その避難行動シミュレーションによって、いつ起こるかわからない震災に対して、すべての時間帯における人間の混雑した危険な状態がどこに発生するのかをチェックする手法を提案する。以下にそのプロセスを示す。<BR><br>(1)人間が何月何日何時に避難経路(道路)上に何人いるのかを推定する手法を示す。<BR><br>(2)2011年3月11日14時の避難者数の推定結果をシミュレーションに適用する。<BR><br>(3)シミュレーション結果からどこに危険な混雑が生じるのかを示す。<BR><br><BR><br><b>2</b><b>.手法の概略</b><BR><br> 道路ごとの人口数の推定は、「流動人口統計データ」(ゼンリンデータコム提供)、渋谷区、港区の避難施設データ、道路データを用いて行った。「流動人口統計データ」は在宅人口、勤務地人口、流動人口のデータから構成されており、ここでは対象地内に自宅も勤務地もないとされる流動人口を扱う。これらのデータをArcGIS上の空間解析ソフトで分析することで道路上の流動人口数の推定結果が得られる。この推定結果を道路上にいる避難者数として、シミュレーションに適用する。「流動人口統計データ」は時間帯ごとの人口データを含んでいるため、時間帯ごとの避難者数が推定できる。<BR><br> 避難シミュレーションにはSimTreadを使用した。SimTreadはCADソフトVectorWorks上で動かす歩行者シミュレーションソフトである。ArcGISで使用したデータをCADデータとしてエクスポートして、VectorWorksへインポートする。分析から得た避難施設ごとの避難者数の推定結果をVectorWorks上の道路にエージェントとして配置する。エージェントは、目的地の避難施設まで最短距離で移動をし、衝突を回避するために減速すると青色で表示され、衝突を回避するために止まってしまうと赤色で表示される。この設定によって赤く表示された箇所が混雑な危険箇所であると判断できる。これを繰り返しすべてのエージェントを道路上に配置したらシミュレーションを実行する。<BR><br><BR><br><b>3</b><b>.シミュレーションの適用</b><BR><br> 以上の手法を震災があった2011年3月11日14時台に適用する。この時間帯では、青山学院大への避難者数は55,111人であるという推定結果が出た。シミュレーションの結果、目的地付近で大混雑が生じ、避難開始30分が経っても約5分の一の10,178人しか避難し終えないことがわかった。<BR><br><BR> <br><b>4</b><b>.考察</b><BR><br> シミュレーション結果から、避難開始数分後は交差点とコーナーに混雑が確認できる。その後、避難行動が進むにつれて、エージェントが通る道路が限定されていき、混雑する道路を特定できる。また、曜日、時間ごとの推定結果を蓄積することで、それぞれの日時の混雑の傾向を推定することが可能になる。時間帯別の危険箇所を指摘することは今後の防災対策として有効に活用できると思われる。この結果から考えられる対策として、避難施設の入り口の拡張、避難者を分散させるような経路の検討、曲がる回数を最小に抑えた直線的な避難誘導などが挙げられる。本研究で提案した手法は、他の地域にも適用可能な汎用的手法である。今後、他の地域にも適用することで、混雑が生じる危険箇所を確認できるシステムとして広範囲に利用できる。<BR><br> 本手法は、扱ったデータの正確性から考えて、あくまでひとつの推定手法に過ぎない。また、災害の被害状況によってはすべての道路が安全に通れるという保障はない。しかし、時間帯ごとの避難行動のシミュレーションによって、時間ごとにおおよその混雑箇所、混雑道路が把握できるという点では有効な推定手法と言えよう。今後、より実態に近い避難行動の推定を行うには、過去の避難行動の調査を参考に、各避難施設の収容数も考慮した、より適切な避難行動モデルを設定する必要がある。
著者
柴田 陽一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

Ⅰ はじめに<br> 2017年には3万人に達した越境通学児童(中国語では「跨境学童」)は,いついかなる要因で発生したのか.いかに通学しているのか.越境通学するメリットとデメリットは何か.越境通学という現象が意味するものは何か.本報告は,2017年8月に実施した現地調査に基づき,これらの問いに答えようとするものである.<br><br>Ⅱ 現地調査の概要<br> 中山大学大学院生の呉寅姗氏と共に,越境通学児童の母親たちに聞き取り調査を行った.インフォーマント探しは,深圳出身である呉氏の母親のネットワークを利用した.そのため,事例の代表性については問題なしとしないが,代わりに濃密な話を聞くことができた.聞き取りをした13人のうち,10人が越境通学児童の母親だ.子どもの数は2~4人.主婦も働いている人もいる.<br> 加えて,6つの口岸(羅湖=1887年建設,沙頭角=1985年,皇崗=1991年,文錦渡=2005年,深圳湾=2007年,福田=2007年)で越境通学児童のための専用施設の有無を観察したり,サポート機関であるNGOや学習塾を訪ねて話を聞いた.<br><br>Ⅲ 越境通学児童の発生要因<br> 越境通学児童が発生した要因は大きく三つある.一つ目は,一人っ子政策が第二子以降に課していた罰則(超過出産費の徴収,社会養育費の徴収など)の存在である.二つ目は,2001年7月19日に出た「荘豊源案」判決により,両親とも香港籍・香港居住権を持たず(「双非」と呼ばれる)とも,香港で産まれた子どもは香港居住権の資格を取得できるようになったことである.それ以降,第二子出産により罰則を受けるくらいなら,香港に越境して出産しようとする人々が急増した.2012年4月に公立病院が,翌年1月には私立病院も中国本土の妊婦の受け入れを中止したが,それまでの10数年間に生まれた子どもの数は約18万人に上る.<br> ところで,香港居住権を持つ子どもであっても,両親と深圳に居住しているのであれば,付近の学校に通うという選択肢もある.その場合,越境通学児童とはならない.しかし,越境通学児童数は,2007年度(中国は9月から新年度開始)は5,859人,2010年度は9,899人,2014年度は24,990人,2015年度は28,106人と増え続け,2017年度に3万人を突破した.今後は2018年度にピークを迎え,その後は減少すると予想されている.2012-13年の妊婦受け入れ中止がその理由である.<br> では,なぜ越境通学をするのか.香港居住権を持つ子どもには,香港永久住民と同じ権利と義務が付与されている.そのため,香港の義務教育を無償で受けることができる.逆に,居住地である深圳の公立学校に通うには,香港居住権が仇となり,手続きが厄介であったり,余計に教育費を徴収されたりしてしまう.しかも,中国本土と香港における教育内容には違いがある.聞き取りによると,前者が詰め込み式の教育,後者が自主性を尊び,自分で考える力を育てる教育だという意見が多かった.こうした点が三つ目の要因である.なお,実は深圳にも香港人学校が2校あるものの,教育費が高いため越境通学を選ぶ人が多いようだ.<br><br>Ⅳ 越境通学の方法とその問題点<br> 越境通学児童のいる家庭の朝は早い.深圳側で自宅から口岸まで,香港側で口岸から学校までの移動をせねばならないからだ.そのため6時半には家を出るという家庭も少なくない.移動手段は両側とも徒歩・公共交通機関・スクールバスという選択肢がある.深圳側ではそれに自家用車が加わる.<br> スクールバスの会社は数多くあるが,サービス内容から越境バスと当地バスに大別できる.越境バスは,バスから下車せずに越境できるもの(利用口岸は沙頭角・皇崗・文錦渡)とそうでないもの(深圳湾)にさらに分けられる.便数は,2014年度は170,2015年度は207,2016年度は223と増加傾向にある.<br> 当地バスは,あくまで深圳側の羅湖・福田口岸までの移動をサービス内容とする.口岸を越えた後は,また別の移動手段で学校を目指す.口岸の両側には,越境をサポートするスタッフを配置し,児童の安全を確保しているようだ.<br> 居住地区とサービス内容により料金は異なるが,いずれにせよスクールバスの費用は家計の大きな負担である.通学時間も通常より長くなる.さらに,香港の教育を受けるには,広東語・繁体字・英語も学ばねばならず,学習塾に通う例も珍しくない.<br><br>Ⅴ 越境通学が意味するもの<br> では,この越境通学という現象は,一体何を意味するのか.発表当日は,聞き取りで得た「生の声」と,本土側・香港側の両者から見た境界(border)の作用とに注目して,詳しく考察する.
著者
長谷川 直子 横山 俊一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100040, 2015 (Released:2015-04-13)

1. はじめに サイエンス・コミュニケーションとは一般的に、一般市民にわかりやすく科学の知識を伝えることとして認識されている。日本においては特に理科離れが叫ばれるようになって以降、理科教育の分野でサイエンス・コミュニケーターの重要性が叫ばれ,育成が活発化して来ている(例えばJSTによる科学コミュニケーションの推進など)。 ところで、最近日本史の必修化の検討の動きがあったり、社会の中で地理学の面白さや重要性が充分に認識されていないようにも思える。一方で一般市民に地理的な素養や視点が充分に備わっていないという問題が度々指摘される。それに対して、具体的な市民への啓蒙アプローチは充分に検討し尽くされているとは言いがたい。特に学校教育のみならず、社会人を含む一般人にも地理学者がアウトリーチ活動を積極的に行っていかないと、社会の地理に対する認識は変わっていかないと考える。 2. サブカルチャーの地理への地理学者のコミット 一般社会の中でヒットしている地理的視点を含んだコンテンツは多くある。テレビ番組で言えばブラタモリ、秘密のケンミンSHOW、世界の果てまでイッテQ、路線バスの旅等の旅番組など、挙げればきりがない。また、書籍においても坂道をテーマにした本は1万部、青春出版社の「世界で一番○○な地図帳」シリーズは1シリーズで15万部や40万部売り上げている*1。これら以外にもご当地もののブームも地理に関係する。これらは少なくとも何らかの地理的エッセンスを含んでいるが、地理以外の人たちが仕掛けている。専門家から見ると物足りないと感じる部分があるかもしれないが、これだけ多くのものが世で展開されているということは,一般の人がそれらの中にある「地域に関する発見」に面白さを感じているという証といえる。 一方で地理に限ったことではないが、アカデミックな分野においては、活動が専門的な研究中心となり、アウトリーチも学会誌への公表や専門的な書籍の執筆等が多く、一般への直接的な活動が余り行われない。コンビニペーパーバックを出している出版社の編集者の話では、歴史では専門家がこの手の普及本を書くことはあるが地理では聞いたことがないそうである。そのような活動を地理でも積極的に行う余地がありそうだ。 以上のことから,サブカルチャーの中で、「地理」との認識なく「地理っぽいもの」を盛り上げている地理でない人たちと、地理をある程度わかっている地理学者とがうまくコラボして行くことで、ご当地グルメの迷走*2を改善したり、一般への地理の普及を効果的に行えるのではないかと考える。演者らはこのような活動を行う地理学者を、サイエンス・コミュニケーターをもじってジオグラフィー・コミュニケーターと呼ぶ。サブカルチャーの中で一般人にウケている地理ネタのデータ集積と、地理を学ぶ大学生のジオコミュ育成を併せてジオコミュセンターを設立してはどうだろうか。 3. 様々なレベルに応じたアウトリーチの形 ジオパークや博物館、カルチャースクールに来る人、勉強する気のある人たちにアウトリーチするだけではパイが限られる。勉強する気はなく、娯楽として前出のようなサブカルチャーと接している人たちに対し、これら娯楽の中で少しでも地理の素養を身につけてもらう点が裾野を広げるには重要かつ未開であり、検討の余地がある。 ブラタモリの演出家林さんによると、ブラタモリの番組構成の際には「歴史」や「地理」といった単語は出さない。勉強的にしない。下世話な話から入る。色々説明したくなっちゃうけどぐっとこらえて、「説明は3分以内で」というルールを決めてそれを守った。とのことである(Gexpo2014日本地図学会シンポ「都市冒険と地図的好奇心」での講演より抜粋)。専門家がコミットすると専門色が強くなりお勉強的になってしまい娯楽志向の一般人から避けられる。一般ウケする娯楽感性は学者には乏しいので学者外とのコラボが重要となる。 演者らは“一般の人への地理的な素養の普及”を研究グループの第一目的として活動を行っている。本話題のコンセプトに近いものとしてはご当地グルメを用いた地域理解促進を考えている。ご当地グルメのご当地度を星付けした娯楽本(おもしろおかしくちょっとだけ地理:地理度10%)、前出地図帳シリーズのように小学校の先生がネタ本として使えるようなご当地グルメ本(地理度30%)、自ら学ぶ気のある人向けには雑学的な文庫(地理度70%)を出す等、様々な読者層に対応した普及手段を検討中である。これを図に示すと右のようになる。
著者
田部 俊充
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.280, 2011

本研究は,評価と地理教育について,教育政策の日米比較,とりわけ学力調査,州のテスト政策を中心に考察した.まず,近年の日本の教育政策の結果,国算(数)の2教科への偏重が起きているという問題提起を行った.一方アメリカ合衆国においては,NGS(全米地理学協会)による資金援助などにより,地理教育の活性化が順調に推移していたこと,2002年のNCLB(どの子も置き去りにしない)法の制定により国語,算数・数学の偏重が始まった. NAEP(全米学力調査)は,アメリカ連邦議会がその実施を決めて教育省の責任において行う全国的調査であり,1969年に始まった.実際には大手のテスト機関に委託して行われている.2000年には,主調査だけで10万6,000人,州別調査が60万人ほどの参加となっている.全米学力調査では,小・中・高校で実施される授業科目はすべて調査対象となっており,社会科テスト関連では,合衆国史,公民,地理などが調査対象となっている.毎年あるいは1年おきに1~3教科の科目を選んで調査が実施されている. マサチューセッツ州の教育政策は伝統的に地方分権主義に基づく教育行政システムだった.1990年代になり,知事と州教育行政機関が一体となった「強力な指導性」によって教育改革が推進された.1991年に知事に就任したウェルド(Weld, William F.)は,教育行政に対する強力な指導性を発揮しながら,教育改革のプラン作成に着手する.教育改革のポイントが,州のスタンダード・カリキュラムの策定と厳しいアセスメント行政といわれるテスト政策の実施であった.1993年には「マサチューセッツ州教育改革法」が制定された.同法は,州内の公立学校K-12(幼稚園から第12学年)における教育の質的改善を意図した包括的な法律である.第29節1D項は,州内の全ての公立学校における「州全体の教育目標」(statewide educational goals)を掲げ,数学,理科(科学とテクノロジー),歴史と社会科学,英語,外国語,芸術の中心科目における「学問的な基準」(academic standards)を開発することを求めた(北野2009).日本における「学力低下論争」の結果,国語と算数・数学教育のみに論議が収斂してしまう傾向に危機感を感じ,問題点を論じた.また,同様の問題はNCLB法以降のアメリカ合衆国においても顕著であることを指摘した.アメリカ合衆国においても中央集権的な学力向上政策の結果,テストに出題されない社会科の軽視がもたらされたのである.しかし,アメリカ合衆国の場合,NAEPや州レベルにおけるMCASにおける地理テストの実施,マサチューセッツ州スタンダードにおける幼稚園段階からの地理教育の導入など,多様な選択を模索している状況を確認することができた.
著者
高橋 学
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.98, 2005

視点 2004年中越地震を事例に、震災発生のメカニズムを検討するのが、本報告の目的である。中越地震は1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同じ直下型地震であった。しかし、そこ中越地震の震災は共通点を持ちながらも、いくつかの点で、阪神・淡路大震災と異なっていた。それについて検討をしたい。研究方法 1)気象庁・日本気象協会の震度1以上地震について、発生パターンを検討。 2)地震直後、ヘリコプターによって被災地の概要を把握。 3)現地踏査。 4)震災発生メカニズムの検討。結果 1)10月23日に発生した中越地震の本震以前に、中越地方では、9月7日19時43分に震源の深さ1km、M2.4をはじめ多くの前震と考えられる地震が発生していた。M4.0以上の地震については、しばしば同様の前震がみとめられ、今後、地震予測に利用できる可能性がある。 2)北米プレート周辺で発生する地震の場合、一定の地震発生がみとめられる。そのひとつとして、根室沖・釧路沖_-_十勝沖_-_岩手沖_-_宮城沖_-_福島沖_-_茨城沖_-_房総沖と地震が発生する。そして、もうひとつは、宮城沖までは同様であるが、そこから中越_-_秋田沖_-_北海道西方(もしくは西方沖)と展開する。 3)中越地震では、平野域において、比較的被災の程度が軽かった。これは、人口密度が低いために、集落の大半は自然堤防や段丘面に立地しており、旧河道や後背湿地に立地するものが少なかったことに起因すると考えられる。平野域の被害は、老朽化した住宅や悪い土地条件の場所に限定的であった。また、この地域は豪雪地帯であり、それに対応した家屋の構造となっていたことも、災害を小さくした原因であったと考えられる。 4)丘陵域では地すべりや斜面崩壊にともなう被害が顕著であった。丘陵域は、鮮新_-_更新統の砂岩や泥岩からなる魚沼層群から構成されている。このため、丘陵域は、典型的な地すべり地域となっており、棚田地域を形成していた。棚田の開発は、地すべり地域の特性をうまく利用したものであり、この段階では、人間は自然環境にうまく適応して生活を行なっていたということができる。 5)この状況を変更するのに大きなインパクトを持ったのが、1985年に開通した関越自動車道であった。たしかに、それ以前においても、水田漁業として鯉の養殖は行なわれていたけれども、その規模は大きなものとはいえなかった。ところが、関越自動車道路の開通によって、東京へ、関東へ、そして海外へと市場が広がることによって、棚田は爆発的に養鯉池へと姿を変えていったのである。養鯉池の掘削により、地下水環境は変化し、地すべりがより発生しやすい環境となったと考えられるのである。その背景には、バブル経済期に、より収入が多い生業を選択するという住民の考えが反映していた。 6)2004年秋に中越地方地方を襲った集中豪雨や台風23号の影響により、丘陵地域は、充分すぎるほど地下水により満たされており、仮に、中越地震が発生しなかったとしても、ある程度の地すべり被害は発生したであろうと考えられる。 7)魚沼丘陵域の地すべり地帯において、地域の復興策として養鯉業が復活するようなことになった場合、再び、大雨や地震をきっかけに地すべり被害が再発すると考えられ、注意が必要である。 8)阪神・淡路大震災の場合には、経済の高度成長期に都市に集中した過剰な人口を収容するために、土地の履歴を無視した一戸立て住宅の建設が、被害を深刻にした。それに対して、中越地震被害の場合は、バブル経済期を中心にして、土地の履歴を無視した養鯉池の掘削が、被害を大きくしたといえよう。
著者
加藤 政洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本研究は、昭和23(1948)年7月に公布され、その後、昭和34(1959)年2月に一部改正された「風俗営業(等)取締法」ならびに同法の各都道府県における施行条例を素材にして、「文化」を制度化する力学を明らかにし、その帰結である地理的変奏に関して文化地理学的な検討をくわえるものである。風俗営業あるいはそれを取り締まる法令については、これまで文化地理学の研究対象として取り上げられることがほとんどなかったものの、実のところそれらは地域の文化と密接に関わっている。というのも、そもそも「風俗」とは特定の時代の地域や集団に固有の慣習であり、仮にそれらが近代以降の国家スケールの法令によって一律に取り扱われるところとなるならば、自ずとスケール間・地域間の矛盾が発現し、実状に沿わぬ改変が強制されるなどして、文化の様態も(少なくとも表面的には)変化を余儀なくされるだろう。本発表では、風俗営業取締のなかでも花街に照準した条文とその解釈に焦点を絞り、法令制定の背後に潜む意図を踏まえつつ、都道府県レヴェルで地域の遊興文化に及ぼした影響を明らかにしてみたい。いくぶん結論を先取りして述べるならば、GHQの介入を受けた東京都の条例を、それと知らず他府県が雛形として援用したことで、花街における遊興文化――「お座敷あそび」――は奇妙なかたちで制度化/地域化されるのだった。
著者
齋藤 仁 松山 洋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100075, 2015 (Released:2015-10-05)

1.はじめに 解析雨量(レーダー・アメダス解析雨量、気象庁)は、日本列島における詳細な降水分布や豪雨による災害防止を目的に、1988年4月より運用されてきた。これまでに蓄積された解析雨量を用いることで、確率降水量の算出も可能となると言えるが、詳細な検討は少ない。本研究では、豪雨災害への応用を想定し、解析雨量を用いて、高解像度(5kmグリッド)の再現期間50年の1時間降水量と土壌雨量指数を算出した。 2.手法 1988年4月~2013年12月(26年間)の解析雨量(毎正時1時間降水量)を用いた。対象としたのは、23年以上のデータが得られる地域である(図1)。解析雨量の空間解像度は5kmから2.5km(2001年4月)、2.5kmから1km(2006年1月)と変化しているため、2005年までのデータを5kmへと再編集した(Urita et al., 2011, HRL)。次に、得られたデータに対して、均質性を検定した(Wijngaard et al., 2003, IJC)。そして、1時間降水量と土壌雨量指数の年最大値からL-moments(Hosking, 2015, R Package)を求め、再現期間50年の確率値を算出した。その際には、一般的なGumbel分布と一般化極値(GEV)分布を用い、Jackknife法により算出した。 3.結果と考察 日本列島における再現期間50年の1時間降水量は、17.0–158.0 (平均68.2)mm/h (Gumble分布、図1a)、16.8–186.4 (平均69.6)mm/h(GEV分布、図略)である。また再現期間50年の土壌雨量指数は、82.1–638.6(平均226.9、Gumbel分布、図1b)、68.6–705.0(平均221.8、GEV分布、図略)であった。これまでAMeDASデータを用いた確率降水量が産出されてきたが、解析雨量を用いることで、高解像度(5km)の確率降水量と土壌雨量指数の分布を検討可能と言える。特に、大雨の頻度が高い西南日本の太平洋岸において、その詳細な空間分布が明らかとなり、災害対策への応用が考えられる。本研究は予察的なものであり、今後より詳細な解析雨量データの検証と、結果の検証が必要である。
著者
塚田 友二 岡 秀一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.193, 2005

<B>1.はじめに</B><BR> 都市や農村に残存する森林は,人間による影響が大きいため,環境条件に加えてさまざまなスケールの人為攪乱を含む歴史的要因を考える必要がある(大住2003).<BR> そこで本研究では,北海道石狩平野を対象として,人為攪乱をはじめとする歴史的要因が,森林の分布や植生構造にどのように関わってきているのかを明らかにする.<BR><B>2.方法</B><BR> 平野内の85地点で毎木調査を実施し多様度指数(H´),胸高断面積合計(BA)などを算出した.その結果とGISを用いて明らかにされた自然環境条件ならびに人為攪乱とを比較した.人為攪乱の内容には土地利用変化,植栽,流路変更,森林利用,都市化などがある.なお解析は石狩低地帯南部,石狩低地帯中部,石狩低地帯北西部,空知低地帯南部に区分しておこなった.<BR><B>3.結果と考察</B><BR> 森林は平野の8.6%にみられ,農地の強風からの保護を目的に設定された林帯幅数10mの幹線防風林と一部の平地林に残存する.石狩低地帯南部はH´が高く,BAは中庸である.これは明治時代にカシワの選択的伐採があったもののその後の植栽がなかったこと,河川からやや離れた場所の土壌の乾燥化が関係する.石狩低地帯北西部はBA,H´の分散が大きい.古砂丘地形に規定された植栽の有無,土地利用変化パターンが及ぼす種構成の違い,原植生の植生構造を残す旧河川の自然堤防に位置する林分など地域におけるさまざまな植生のタイプの存在が分散を大きくさせている.石狩低地帯中部,空知低地帯南部はBAの分散が大きい.原植生の多くが荒地,湿地,疎林であったことを考慮すると,BAは植栽年数が規定している.しかし戦後に開拓されたため,現在でも湿性な環境が維持されている.そのため絶滅危機種であるクロミサンザシなどの生育地になり,林分はレフュージアとしての可能性を持つ.<BR>この他に住民の管理と強風による倒木の影響を受けている森林が住宅地域に残存している.<BR><B>4.まとめ</B><BR> 平野の森林は,開拓から約140年の間に大なり小なり自然環境条件に規定された人為攪乱を受け,地域ごとに異なる植生構造を形成してきたことが分かった.その結果,1)明治時代の人為攪乱による作用を強く受けた林分,2)樹種構成の変化が起きている林分,3)流路変更の影響を受けず原植生が残る河川近傍の林分,4)自然林と植栽がモザイク状に分布する林分,5)湿性な環境が維持されている林分,6)都市化の影響を受けた林分,の6タイプに区分された.残存する森林は地域特有の歴史性や自然環境の中で培われてきており,それぞれは人為攪乱の影響を受けつつも固有の価値と可能性を持つものとして評価できる.
著者
福本 拓
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.197, 2014 (Released:2014-10-01)

Ⅰ はじめに 一般的に,特定の地域におけるエスニック・コンフリクトの表出は,文化的に異なる集団の増加に伴って既存集団との間で生じる社会生活上の軋轢と理解されよう。しかし,そうした軋轢や対立は,必ずしも集団間という位相でのみ捉えられるわけではない。住民の社会属性のほか,エスニック集団内部の差異にも目を向けなければ,コンフリクトの持つ重層性を看過することになろう。また,分析・考察に際しては,それらと密接に関連する地域的要因への着目も求められる。 日本における「ニューカマー」の増加とともに,地域スケールでの既存住民(主に日本人)との軋轢が話題になってきたが,韓国系「ニューカマー」に関しては,「オールドカマー」である在日朝鮮人との関係形成にも注意する必要がある。実際,東京都新宿区の新大久保や大阪市生野区のコリアタウンでは,日本人よりもむしろコリアン内部での対立が表面化しつつあるといわれる。 本発表では,同様の研究では蓄積の乏しい大阪市生野区新今里地区を事例に,コンフリクトの背景にある地域の変化に焦点を当て,その過程で「オールドカマー」が果たした役割を特に土地取得の観点から明らかにする。その上で,エスニック資源が果たした機能についても検討したい。Ⅱ 対象地域の概要 新今里地区は,在日朝鮮人の多い大阪市生野区にあって「ニューカマー」の比率が高いことで知られる。なかでも,かつて「花街」として隆盛を誇った今里新地には,韓国クラブ等の飲食店が集中してエスニックな景観が見られる。 しかし,少なくとも1980年代前半までの新今里地区は,生野区において外国人数の僅少な「空白地帯」であり,『在日韓国人企業名鑑』(1974)から確認しても在日朝鮮人の事業所はあまり見当たらない。従って,コンフリクトの背景にある「ニューカマー」の増加を理解するためには,同地区が「花街」からエスニック空間へと変容した過程を検討する必要がある。 既に加藤(2008)が明らかにしているように,今里新地は1958年の売春防止法を契機に待合営業への転換を余儀なくされ,次第に斜陽化していった。その後,バブル期に待合の廃業と売却が相次ぎ,スナック・クラブの入居するビルや中層マンションが建設されたという。こうした経緯をふまえると,分析上,バブル期に相当する1990年前後に注目することが適当と考える。Ⅲ 用いるデータ 本研究では,1980年~現代に相当する時期に焦点を当て,新今里地区の変容を特に土地・建物所有に着目して分析する。住宅地図のほか,土地・建物登記データを用いてビル・マンションの増加過程と所有者のエスニシティを明らかにする。 登記データは,抵当に関する情報も含まれており,そこから民族金融機関の役割を看取することもできる。なお,その有用性については,拙稿(2013)を参照されたい。 これらのデータに加え,在日朝鮮人の事業所に関する名鑑や,地元関係者への聞き取り調査結果なども適宜用いる。Ⅳ エスニック空間への変容 待合営業に供された低層の住宅は,バブル期以前から減少傾向にあったものの,商業ビルが急速に増加したのは1990年以降である。その背景には「オールドカマー」による旺盛な土地取得があった点が指摘できるが,それ以外にも,かつて「花街」であったために都市計画法の用途地域規制に該当せず,風営法に基づくクラブ営業が可能だったことも影響している。また,韓国クラブの増加に伴い,訪れる客層がそれまでの「花街」のそれとは異なっており,このことが商業ビルやマンションへの転換がさらに進む一因にもなったと考えられる。もちろん,「ニューカマー」韓国人の急増は,韓国の海外渡航自由化に起因している点も見逃せない。 さらに,新今里地区では,ワンルームマンションの増加が果たした役割にも目を向ける必要がある。「ニューカマー」の住宅ニーズを満たしたほか,この地区で顕著な単身高齢者の増加とも関連している。このような住民構成の変化は,既存住民がコンフリクトと感じている状況を考察する上でも重要である。
著者
垂澤 悠史 松本 真弓 春山 成子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.115, 2010

1. はじめに<BR> 人間活動は自然環境と調和した文化景観を育み、生活・生業の在り方を表す景観地について、当該地域の風土により形成された景観地で日本国民の生活または生業の理解のために欠くことのできないものであり、これらを文化的景観と表現してきた(文化庁)。すでに、春山(2004)は中山間地域の星野村の棚田の文化的景観について、自然環境・人文環境の相互関係の中で成立していることを示し、当該地域の住民のアンケート調査から、「なじみの景観」の中に高い評価点を見出していることも示した。一方、域外からの来訪者の意識の中にはプロトタイプの日本の原風景としての棚田への強い意識の上に文化的景観の咀嚼が認められた。近年では、さらに広い空間を対象として、河川景観に着目して四万十川流域を重要文化的景観として評価されてきているが、必ずしも、河川流域の文化的景観に対しての評価手法が整えられてわけではない。<BR> そこで、今回、三重県、和歌山県、奈良県の県境を流れる一級河川である新宮川(熊野川)流域が世界遺産として登録されている中世以降の信仰地域としての景観を残していることに注目して、河川景観の中に残されている歴史文化的景観のフオトボイス分析手法によって文化的景観の分析を行おうとした。上流地域には林業地域としての景観、神社森を含めた歴史的信仰景観、水運景観が複雑に入り組んでおり、自然災害としての斜面崩壊地、土砂災害などの自然災害と防災に取り組む景観も含まれている。新宮川の美しい自然景観の中に人類の多様な営みの景観が独特に共存しているのである。<BR><BR>2. 景観をとらえる手法について<BR> 文化的景観は局地的な微気候・表層地質と地形・植生などの自然的な環境要素を基層として、この上に成り立っているさまざまな人間の社会的な活動を反映している。ここには、歴史的・民俗的・文化的な要素が複雑に関係生を均衡させている。それらの諸要素の解釈にむけて、将来に向けた河川景観についての評価を考えるために、景観評価を画一的な手法で分析を試みようとした。ここではフオトボイス分析を用いることにした。また、景観評価にかかわり当該地域の住民の心象風景についての聞き取り調査を行った。現地調査は2009年10月、2010年5月に行い、新宮市の教育委員会での資料探査、新宮川河口部から本宮までの河川景観の写真撮影とその解釈を行った。<BR><BR>3. 新宮川(熊野川)の河川流域の中に残る信仰景観<BR> 新宮川下流には速玉神社と神社森、本宮の神社森が重要な信仰空間として上下流に対置している。いずれの社寺地も河川に隣接している。また、日本有数の豪雨地帯を背後に抱えているために、本宮は新宮川の洪水に伴って河道変遷が生じたために、神社社寺地の空間的な立地は大きく変化を受けた。しかし、旧社寺地は神社森として河道近くに保存さており、河川流域の変化を記憶として残している。一方、河川・河道においては、かつての重要な参宮路としての水運のための航路の歴史的な痕跡が残されている。現在、防災施設の設置によって河川景観は大きく変動してはいるが、俯瞰しうる河川景観には信仰景観を大きく感じることのできる空間である。<BR><BR>文献<BR>春山成子編著(2004)棚田の自然景観・文化景観、農林統計協会出版
著者
中井 達郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.200, 2009

沖縄のサンゴ礁では、古来さまざまな人間活動が行われてきた。それは、サンゴ礁の中でも、外洋に面した礁斜面よりむしろ、陸側に位置するイノウ(礁池)を含む礁原(以下「イノウ」と記す)を中心的な活動の場としてきた。「イノウ」は干潮時に干出する部分も多くあり、その際は、徒歩で活動できる場が広がる。サンゴ礁地形がこのような浅場を用意し、人々が容易に集落からアプローチすることを可能とした。アプローチが容易な「イノウ」では、伝統的に、集落の女性、子供を含む一般の人々が活動の主体となってきた。例えば「浜下り」は、女性が主体の祭事的活動である。また、日常的に行われてきたマイナー・サブシスタンス的漁労活動では男性だけでなく女性が大きな役割を果たしてきた。このような漁労活動を通じて「イノウ」を「海の畑」と呼び、陸上の延長として捉えてきた。そこにはサンゴ礁に対する個々人の価値付けが見て取れる。社会的にも集落内の構成要素のひとつとする位置づけもなされてきた。<br> このような伝統的な活動は、特定のプロ集団ではなく、一般の人々が主体となる生活の一部としての祭事活動であり、生業活動である。その中で、これらの活動には、地域の人々にとっての「あそび」的要素、レクリエーション的要素も含まれていたと思われる。例えば、「浜下り」は、春の大潮時の採集活動も含んだ楽しみな年中行事として現代まで引き継がれている。この要素は時代が下るにしたがって増大してきているようにみえる。また同時に変質も感じる。かつては「あそび」的要素は祭事的要素や生業的要素と一体となって、「イノウ」という場の価値付けがなされ、その結果、一定の利用ルールが共有されていた。集落の前面の「イノウ」はそこにすむ集落の人々に限定されていた。しかし、時代が下るにつれて、「イノウ」の価値付けとその利用ルールが変化してきているように思われる。<br> 現代の沖縄社会で、海での「あそび」の中心はビーチ・パーティーのようである。おそらくアメリカ文化がもたらしたものであろう。そこには上記のような伝統的な「あそび」の流れをどこまで引き継いでいるのだろうか。少なくとも、バーベキューの主役は肉であり、「イノウ」とは無縁である。ダイビングも盛んとなり、沖縄の観光にとって大きな役割を果たすようになった。その中心はスキューバ・ダイビングである。スキューバ・ダイビングは、ある程度以上の水深がなければその醍醐味を味わうことは困難である。「イノウ」とは無縁である。また、地域住民が日常的に楽しむ方法とはなっていないようである。一方で、沖縄在住の人々個人のブログやホームページをみると、沖縄の醍醐味として、豊かな海の自然、特に魚介類の採集の楽しさが語られている文章を散見する。しかし、資源の枯渇は著しい。埋立によって集落前面の「イノウ」が失われ、残された健全な「イノウ」に人々は集中する。<br>豊かな沖縄のサンゴ礁を維持し、持続可能な利用の基盤には、地域住民によるサンゴ礁への適正な価値付けが必要である。このような議論を進めるにあたって、サンゴ礁における「イノウ」を再認識することの重要性と、「あそび」場という視点からの再整理が必要だと感じる。
著者
山内 洋美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに<br> アフリカとラテンアメリカは,高校地理の地誌分野で扱うに当たって,生徒の関心も薄く,誤った認識を持ちやすい地域であるように思われる。例えばメンタルマップにおいて,アフリカ大陸にブラジルを,あるいは南米大陸に喜望峰を記入したりする生徒もみられたりする。また白地図での作業において,アフリカ大陸と南米大陸を取り違える生徒もクラスに複数見られる。このように,この2つの地域は混同しやすい地域であることがうかがえる。<br> なぜ,このように混同しやすいのか。まずアフリカ大陸と南米大陸の形および位置する緯度が似ていること,また双方の地域に位置する国名や地名になじみが薄い,いずれも物理的にも心理的にも「遠い」地域であることが考えられる。したがって,この2つの地域を地誌分野で扱う際に,どうしても貧困や格差,紛争等,過剰に現代的な課題を用いて生徒の関心・意欲をかきたてることになりがちであり,その地域の地誌を適切に提示しているとは言いにくい。<br> 以上のような問題意識を踏まえて,2006年に南アフリカ,2008年にケニア・ウガンダ,2014年にパラグアイ・ブラジルを訪れた経験を活かしつつ,アフリカとラテンアメリカの地誌を比較する授業を立案し,実施の際の課題を提示したい。<br><br>2.無視されるアフリカとラテンアメリカの多様性と共通性<br> アフリカとラテンアメリカは,いずれも授業を組み立てるにあたって最も資料が手に入れにくい地域であり,さらに限られた時数で地誌を扱うためなのか,教科書や副教材等に記された情報にも偏りや強引な一般化がみられるため,それが生徒にとってアフリカとラテンアメリカをさらに「遠い」地域にしているように感じられる。<br> 例えば「アフリカの食事風景」と題してトウモロコシ・雑穀等の粥を食べる写真を紹介しておいて,ともに並ぶ食事風景の写真には「インド」「モンゴル」「フランス」と国名を冠しているなど,複数国が含まれる地域と国を同列に扱うような事例がみられる。「アフリカ」は多様だと述べておきながら,ブラック・アフリカの一部のみの情報が「アフリカ」の情報として与えられるのである。また,「ブラジル」を取り上げることで「ラテンアメリカ」を扱ったことになっている教科書もある。これらの例からも,生徒が触れる教科書や副教材から偏りのあるステレオタイプが植えつけられる恐れがあると感じる。<br> 一方で,これらの地域の日常的な暮らしはなかなか浮かび上がってこない。アフリカのスラムに暮らすアフリカ系黒人の中学生が,携帯電話を持ちナイキのシューズを履いてブレイクダンスに興じる姿はおそらくイメージできないであろうし,ラテンアメリカの内陸部で,明らかにヨーロッパ系白人の風貌を持つ人々が,小規模自給的・集約的な農業に汗水たらしている姿も想像できないであろう。それらもアフリカやラテンアメリカのある地域の一つの姿であるにもかかわらず。これまで地域の特性を表そうとするあまり,そのような例に象徴される多様性を無視して授業を行ってこなかったかと反省しきりである。<br> また,ラテンアメリカ原産のさまざまな作物は,今や世界中で栽培され,食料にそして飼料や工業原料として欠かせない存在となっており,特に生活文化において似たような特性を持つ一つの要因となっているように見える。その中でもトウモロコシとキャッサバを取り上げてみると,アマゾンの熱帯雨林原産のキャッサバはアフリカにおいても熱帯地域で食べられており,ラテンアメリカで食べるのと同じようにゆでて,何らかのソースをかけて食べることが多いという意味で共通性を持っている。一方で,中米原産と考えられるトウモロコシは比較的多様な地域に広がっており,粉にして焼いて食べるトルティーヤやタコスなどが有名であるが,パラグアイではソパ・パラグアーニャと呼ばれるケーキ状のものになる。またアフリカに渡れば粥や餅状になるという意味で多様性が生まれる。<br> このような,これまであまり取り上げることのなかったアフリカとラテンアメリカの共通性と多様性を扱うことで,ステレオタイプから脱却する形の地誌を提示すること,そして2つの地域に共通する事象と大きく異なる事象を比較することでそれぞれの地域について「誌」すことを試みたい。<br><br>3.比較地誌の授業を立案するにあたっての課題<br> 授業のキーワードとして考えているのは「気候」とかかわる「作物の伝播」・「移民」であるが,歴史的背景が重要であり,「多様性」と「共通性」についてわかりやすくシンプルな比較を行うことは難しい。どのような比較を行うか,また具体的にどのような課題が生まれたか等については,当日の発表において述べたい。<br>
著者
原 将也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1. </b><b>はじめに</b><br> アフリカの農耕民は生態環境の特性を認識し、その生態環境にあわせた農耕を営んでいる。アフリカでは微地形や標高、土壌の肥沃度などの生態環境のちがいを生かした農耕形態がみられる。たとえばザンビアのロジの人びとは、ザンベジ川の氾濫原の地形を高低差や土性のちがいによって区分し、それぞれの土地利用を変えている(岡本2002)。<br> ザンビアには、マメ科ジャケツイバラ亜科が優占する疎開林であるミオンボ林がひろがっている。そこでは、バントゥー系の農耕民が移動性の高い生活を営んできた。<br> 本発表で取りあげるザンビア北西部のS地区には、もともとカオンデの人びとが居住していた。カオンデの人びとは焼畑農耕を営み、その生活は自給指向性の強いものであった(大山2011)。1970年代以降、周辺の農村や都市からルンダやルバレ、チョークウェ、ルチャジという異なる民族がS地区に流入し、現在では5民族が混住している。<br> 本発表では、S地区に暮らす先住者のカオンデと移住者の人びとが選択する栽培作物を比較したうえで、人びとがもつ地域の生態環境に対する認識を示しながら、それぞれの土地利用のちがいについて明らかにする。<br><br><b>2. </b><b>研究の方法</b><b></b><br> 現地調査は2011年9月から2015年3月にかけて計6回、約18ヶ月にわたって実施した。S地区の住民に対して、農耕形態と生態環境の認識について聞き取り調査を実施した。2012年8月には、人びとが認識している生態環境ごとに土壌を採取し、日本においてpH(H<sub>2</sub>O)、電気伝導度、全窒素含量、全炭素含量、有効態リン酸含量を調べた。2014年1月から2月には、S地区に居住する89人が耕作する耕作地の位置を、GPSを用いて測定した。<br><br><b>3. </b><b>先住者と移住者が栽培する主食作物のちがい</b><b></b><br> S地区の人びとは焼畑において、モロコシとキャッサバを主食作物として栽培していた。各世帯が栽培する主食作物をみると、モロコシはカオンデの世帯のみ、キャッサバはカオンデ以外の移住者の世帯で栽培される傾向にあった。この傾向は居住者のあいだでも強く認識されており、カオンデはモロコシ、移住者であるルンダやルバレはキャッサバというように、それぞれが嗜好する「伝統的な作物」を選択し、栽培しつづけているといわれている。<br><br><b>4. </b><b>生態環境の区分と土壌の理化学性</b><b></b><br> S地区の人びとは民族にかかわらず、生態環境を季節湿地と季節湿地の周縁部、アップランドの3つに分けて認識していた。季節湿地は雨季に湛水するため、耕作地としては利用されない一方で、ミオンボ林がひろがるアップランドは、季節湿地よりも標高が数メートル高く、耕作地として利用されている。季節湿地の周縁部とは、季節湿地からアップランドにかけてなだらかな斜面になっているミオンボ林のことであり、耕作地に適していると認識されている。<br> 人びとは季節湿地の周縁部の土壌は柔らかく養分が多いため、アップランドの土壌よりも農地に優れていると説明する。土壌の理化学性を検討すると、季節湿地の周縁部の土壌のほうが有効態リン酸の含量が多く、電気伝導度も高いことから、相対的に土壌養分が多い可能性が示唆された。<br><br><b>5. </b><b>考察:農耕形態のちがいと人びとが利用する生態環境</b><b></b><br> 耕作地の分布をみると、先住者のカオンデの人びとは季節湿地の周縁部、移住者の人びとはアップランドを耕作していた。カオンデの人びとは相対的に作物の生産性が高く、耕作しやすい季節湿地の周縁部を耕作していた。<br> 移住者の人びとが栽培するキャッサバは、水分や土壌条件などで土地を選ばず、乾燥地や貧栄養の土地にも作付けできる作物である。そのためキャッサバは、相対的に貧栄養であるアップランドでも栽培することができる。先住者のカオンデと移住者の人びとのあいだでは農耕形態にちがいがあり、栽培作物と利用する土地が異なっていた。現在に至るまで両者のあいだで、耕作地の競合が生じることなく、それぞれが選択した作物を栽培していた。<br><br><b>参考文献</b><br>大山修一 2011. アフリカ農村の自給生活は貧しいのか?. E-journal GEO 5(2): 87-124.<br>岡本雅博 2002. ザンベジ川氾濫原におけるロジ社会の生業構造. アジア・アフリカ地域研究2: 193-242.
著者
植草 昭教
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

千葉市美浜区に形成された幕張新都心は、1970年代後半から東京湾を埋め立て、造成した土地に整備された都市である。1989年、国際会議場とイベントホールからなる幕張メッセがオープンしたところから幕張新都心の歴史は始まった。現在では、幕張新都心の建設は完了に近づき、幕張新都市の空間をどのように利用していくかの段階に移行してきている。今後も魅力ある都市であり続けるために、どのように維持、管理され、そして利用されて行くのかなど、幕張新都心が形成、利用されていく中で、幕張新都心の機能と景観に関して見てみることにする。<br> 幕張新都心は、「職・住・学・遊」が融合した未来型の国際都市を目指して展開している。JR京葉線海浜幕張駅を中心とし、ホテル、シネマコンプレックス、アウトレットモール、スーパーマーケットなどがある「タウンセンター」、幕張メッセとビジネスのエリアである「業務研究地区」、教育機関や研究機関が集まる「文教地区」、幕張ベイタウンなどの「住宅地区」、野球場(QVCマリンフィールド)などがある「公園緑地地区」イオンモール幕張新都心が開業した「拡大地区」、この6つの地区から構成されている。計画面積522.2ヘクタール、計画人口 就業人口約15万人 居住人口約3万6千人。街づくりの特徴は、先進的な都市システムの導入や環境デザインマニュアルによる都市環境の整備と、調和のとれた街づくりである。 <br> 埋立地に整備された幕張新都心は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の液状化現象によって、景観などに配慮して整備された街並みが損壊してしまった。しかし約1年6か月後には復旧した。復旧に当たっては、幕張新都心は景観に配慮されて建設されているため、元通りに復旧させた。2012年10月1日幕張新都市は、千葉市の景観形成推進地区の第一号として指定(2013年4月1日施行)された。景観形成推進地区は、地域の特性を活かし、先導的景観形成を図る必要がある特定の地区と位置づけられる景観形成推進地区に指定されると、その区域に建設される建築物は、すべて届け出の対象となる。<br> 幕張新都市は、「職・住・学・遊」の複合機能の集積む進み、就業者、就学者、居住者及び幕張新都心への来訪者を合わせ日々約14万7千人の人々が活動する街となっている。テレビショピングを行っているQVCが、QVCスクエアビル前の歩行者デッキに3Dアート(トリックアート)を期間限定で描いたことが、行き交う人々の話題となり、2013年度千葉市都市文化賞まちづくり部門の優秀賞を受賞している。このパフォーマンスは、遊び心のあるアート空間を演出した。また、幕張新都心を観光地として活用しようとの考えもある。成田空港に近く、ホテルがあり、幕張メッセでイベントも開催されている。2013年12月には、拡大地区にイオンモール幕張新都心が開業し、ショッピングが出来ることなど、幕張新都心の空間に国内外の観光客を呼び込もうとする。この他に、幕張新都心は、多くのテレビや映画、CMの撮影地として登場する。引き続き、マスメディアに取り上げられるような、都市の姿を表現し続けることが求められる。<br> 幕張新都心は、建設から25年が経過し、都市の姿が完成に近づき、様々な都市機能も有してきている。また空間は景観に配慮され、デザイン性の高い建築物が建ち並ぶ。幕張新都心が、成熟段階へと移行する時期になり、今後も魅力ある都市であり続けるためには、良好な都市環境、景観形成の継続が必要であり、加えて幕張新都心の都市文化とも言えるような、都市空間を創出していくことが必要であろう。
著者
堤 純 須賀 伸一 生澤 英之 原澤 亮太 鵜川 義弘 福地 彩 伊藤 悟 秋本 弘章 井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本研究では,iOSおよびAndroid OSのタブレット端末やスマートフォン用のアプリであるjunaio(ドイツのmetaio社が開発した無償ARビューア)を用い,群馬県立前橋商業高校における研究授業の実践などを通して,高等学校地理授業における位置情報型ARの利活用の可能性について検討した。このシステムを構築したことにより,群馬県高等学校教育研究会地理部会のメンバーならば誰でも情報を加除修正できるため,メンバー教員全員が授業用コンテンツづくりに積極的に関わることができるようになった。すなわち,GISのスキルに長けた一部の教員のみに多大な負担をかけてしまうことなく,「シェア型」,あるいは「情報共有型」ともいうべき授業用のARコンテンツが作成できるようになった。本研究のARシステムは,魅力的な地理教材作成において,今後の発展のポテンシャルが高いと思われる。<br>2015年1月に,群馬県立前橋商業高等学校2年生4クラス(160名)を対象とした地理Aの授業では,地域調査の単元(全6時間で計画した「前橋市の地域調査」)において,最初の1時間目をARシステムを援用した地域概観の把握とした。すなわち,高校最上階7階の教室窓から遠方に眺められる建物(高層ビル)について,その名称や用途・高さ・完成年等を,ARシステムを通じて確認しながら,前橋市の都市構造の理解に努めた。その結果,前橋駅南北での開発状況の比較や高崎市との都市機能の違いなどを,現地まで出かけなくても高校の校舎内に居ながら体感することができた。
著者
岩谷 宣行
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.108, 2004

1.はじめに私たちの生活において,「レンタル」という行為は広く認知されている.企業・個人問わず,そのモノを購入する場合と比較して費用節約に及ぼす効果は大きく,またその業態の社会経済における位置づけも上昇してきている.立地とその特性を追求した地理学的研究は,小売業に関するものが大部分を占めている.そしてそれらは都市の地域構造を考察する際に大きな役割を担っている.しかし,レンタル業というものに視点をおいて行われた研究はみられない.レンタル業はその特徴的な業態から,蓄積されてきた同種の研究と同様にこれから検討していくことの意義は大きいものと考える.その中で,地域的な背景が店舗展開に影響を及ぼしていると思われるレンタカー業を研究対象として設定した. 2.研究対象地域と研究方法 「旅客地域流動調査」における交通機関別旅客輸送分担率によると,自家用車分担率が高く,また全国で最もモータリゼーション化が進んでいるといえる群馬県を対象地域とした.そして,全国展開するレンタカー事業者8社48店舗を考察対象とした.協力が得られ,聞き取り調査を行うことができたのは6社40店舗である.2社8店舗については観察で調査の一部として扱った.3.立地特性 群馬県におけるレンタカー店舗の立地は14市町村にみられる.その半数は高崎市と前橋市に立地している.太田市・月夜野町が両市に続くものの,その他の10市町村には1ないしは2店舗の立地がみられるにすぎず,その格差は大きい.各店舗の立地特性から,駅前に近接する店舗を「駅前指向型」,幹線道路に面する店舗を「幹線道路指向型」として立地形態分類をすると,両者の立地がみられるのは高崎市・前橋市・太田市・桐生市である.また,各店舗を利用者のレンタカー利用目的から,「レジャー中心型店舗」・「ビジネス中心型店舗」・「代車中心型店舗」・「複合型店舗」の4パターンに分類した.レジャー中心型店舗は北毛地域と西毛地域に集中しており,そのいずれもが1990年以降開設されたものである.ビジネス中心型店舗はJR高崎駅前とJR前橋駅前に集中している.代車中心型店舗は1988年以降に開設された新しい形態で,県央地域と東毛地域に立地している.複合型店舗は県央地域と東毛地域に立地している.4.地域的展開群馬県内において,県央・北毛・西毛・東毛の各地域によってレンタカー店舗の立地・利用形態には大きな差異が認められた.その差異をもたらした要因は,それらの地域が都市機能をもつ地域か観光機能をもつ地域かにあるといえる. 群馬県内における都市地域は,県央地域と東毛地域に広がっている.これらの地域は人口が多いことから,自動車に対する需要が高い.自動車同士による交通事故の発生を成立条件とし,地元住民が利用者の大部分となる代車中心型店舗は,県央・東毛両地域にのみ立地している.また,主として新幹線が停車することで,交通の結節点となり拠点性を発揮しているJR高崎駅前には,群馬県外からのビジネス需要に応えるビジネス中心型店舗が立地している. 一方,北毛地域や西毛地域は,都市地域的な要素が少なく,観光地域的な色彩が強い.両地域に存在する観光地の多くは,鉄道駅からさらなるアクセス手段を必要としている.そのため,両地域ではレジャー利用が主体となるレンタカー店舗がほとんどを占めている. そのレジャー中心型店舗は,地元住民の需要を主たる成立条件としていない.都市的機能を有しないこれら両地域では,その機能が成立の基本となるビジネス中心型店舗・代車中心型店舗は立地しえないのである.