著者
中辻 享
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.449-469, 2004
被引用文献数
3 4

Though subsistence-oriented slash-and-burn rice production is still the major land use in the hilly areas of Northern Laos, it is now increasingly problematic, especially in areas adjacent to main roads. Due principally to increased population pressure, the period of fallow has declined and labor requirements for weeding have dramatically increased. In addition, the Lao government considers shifting cultivation to be a major cause of deforestation and has recently initiated a series of policies to restrict it. The main policy now being implemented is the 'land allocation program' which aims to stabilize shifting cultivation and to promote permanent agriculture by allocating a limited area of agricultural land to each household.On the other hand, market-oriented agricultural activities of shifting cultivators, such as cash crop cultivation, collection of forest products, animal husbandry and teak plantation forestry, are now becoming increasingly important since the Lao government adopted a policy to revitalize the market from 1986. As a result, a cash income has become very important in rural and urban areas. Among these activities, cash crop cultivation is now widely adopted in some areas of Northern Laos, influencing local land use and livelihood. This is due in part to the policy of the Lao government; the government is now promoting intensive agriculture with cash crops as an alternative to slash-and-burn rice production.The present study aims to reveal the influence of the introduction of cash crop cultivation on land use in the hilly areas of Laos, with a focus on Number 10 Village, which is located 25km to the south of Luang Prabang, the largest town in Northern Laos. The main ethnic group is the Khmu. In this village, the upland fields planted with both upland rice and cash crops (Job's tears and paper mulberry) were mapped by means of GPS to describe today's land use. Interviews were also conducted with every household to investigate the household economy and land use history of each field.The conclusions are as follows.In Number 10 Village, the land allocation program was conducted in 1996 and afterwards intensive cultivation of cash crops was promoted by the local government and international organizations as an alternative to slash-and-burn rice production. Due in part to this policy, many households have started cultivating Job's tears and paper mulberry, but it has never been an alternative to slash-and-burn rice production. Job's tears is a cereal crop which is exported to Thailand and Taiwan, and is then processed into beer, sweets and health foods. Although cultivation is usually highly profitable, households cannot rely permanently on it due to large price fluctuations. Paper mulberry is a tree crop, the inner bark of which is exported mainly to Thailand and is processed into paper. It has a rather stable price and is easy to cultivate, but is rarely cultivated intensively because of its low profitability.On the other hand, upland rice cultivation is still the most important land use practice in the village, engaging 88% of households at the scale of 1.13 ha per household. Most households continue production without observing the rules established by the land allocation program. Today, they practice it under the rotation of shorter fallow and an increased cultivation period, which has caused a very significant increase in the labor requirements for weed control. If the rotation is intensified by limiting agricultural land, it cannot be continued. Therefore, many households still continue on land where cultivation is prohibited according to the rules established by the program.Most households combine subsistence-oriented rice production and market-oriented cash crop cultivation. This combination has important merit for them in that they can mitigate the risks associated with cash crop failure or a fall in the market price due to this subsistence production.
著者
齋藤 鮎子
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2012年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.96-97, 2012 (Released:2013-12-17)

B級グルメとしての浜松餃子がいかに発祥し、定着・普及したかを地域社会との関わりから考察する。
著者
河角 龍典
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2003年 人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
pp.12, 2003 (Released:2003-12-24)

本研究の目的は、平城京の地形環境を復原し、その復原成果と平城京内部の土地利用との関係から、平城京の土地利用規定要因を解明することにある。本研究では、ジオアーケオロジー(geoarchaeology)の方法を適用し、考古学や歴史学の研究成果に対応する精度の地形環境復原を行い、平城京の土地利用との対比を行った。平城京を流下する佐保川流域の地形環境は、奈良時代以降も著しく変化しており、奈良時代の地形環境は現在と異なる地形環境であることが判明した。佐保川流域平野における歴史時代の地形環境変化は、奈良時代以降4つの地形環境ステージに区分できた。表層地質調査からみた奈良時代の平城京は、洪水氾濫の少ない地形環境であった。また、史料からみても奈良時代の水害は、728(神亀5)年の1回にとどまっている。平城京の地形環境復原図と土地利用復原図とを対比した結果、平城京内部の土地利用は、地形環境と密接に関係することが明らかになった。平城京内部の土地利用は、地形の配列に対して決して無秩序ではなく、土地条件を考慮した上で配置されていたと推測できる。平城京の土地利用規定要因の中には、社会環境に加えて、地形環境も含まれていたのである。平城京における市街地や貴族の邸宅は、地下水位が高く、かつ洪水の危険性もある、現在の土地条件評価基準では宅地として不適当な地形に立地する傾向が認められた。これは水を得やすい土地を選択した結果であり、井戸による地下水の取水が容易である土地を選択した結果であると考えられる。こうした土地利用パターンの背景には、集水域面積が狭小で、洪水に対しての安全性は高いが、その一方で水資源に乏しいという平城京固有の立地特性がある。こうしたなかで、平城京内部の土地利用は洪水発生区域には左右されず、生活用水の取水条件あるいは地盤条件が、土地利用を規定する要因となったと考えられる。
著者
井上 孝
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.308, 2008

一般に,社会的地位,収入,学歴等のステイタスがより高い者と結婚することを上方婚または上昇婚,その逆を下方婚または下降婚という。周知のとおり,先進国,途上国を問わず,女子のほうがより強く上方婚を志向する傾向がある。また,この傾向は国内どうしの結婚,国際間の結婚のいずれにも現れるが,とくに後者の場合は,結婚しようとする2人の個人的なステイタスの違いに加えて,その2人が属する国の経済水準の違いが大きく関わる。すなわち,経済水準のより高い国の相手との結婚を志向する傾向は,女子の方が相対的に強いといえる。本研究では,国際結婚におけるこうした傾向を論じるにあたって,経済水準のより高い国の国籍をもつ者との結婚を上方婚,その逆を下方婚と定義する。<BR> 本研究で定義した,国際結婚における上方婚と下方婚については,多くの研究において言及がなされている。しかし,管見ではそのような国際結婚に注目しその動向を定量的に示した研究はほとんどない。そこで本研究は,任意の二国間の国際結婚において,上方婚と下方婚の量的差異またはその変化にどのような法則性があるかを,近年の日韓間の国際結婚を事例にして検証することを目的とする。この検証にあたっては次のような3つの仮説を設けて議論を進める。<BR> 以下では,任意の2か国(A国とB国)の間の国際結婚を考える。このとき,A国におけるB国人との結婚またはB国におけるA国人との結婚に関して,妻からみた上方婚の件数の,夫からみた上方婚の件数に対する比率をWH比と呼ぶこととする。ここで,<BR><B>仮説1</B>:A国におけるB国人との国際結婚に関するWH比とB国におけるA国人との国際結婚に関するWH比は等しい,<BR><B>仮説2</B>:仮説1で示した2つのWH比は,いずれも,A国とB国の経済格差の短期的変動の影響を受けない,<BR><B>仮説3</B>:A国におけるB国人との国際結婚件数の,B国におけるA国人との国際結婚件数に対する比率は,過去のある時点におけるA国とB国の経済格差に連動する,<BR>という3つの仮説を設ける。<BR> 上述の仮説を近年の日韓間の国際結婚に適用した結果は以下のとおりである。2000~2006年における両国間の国際結婚件数については,日本における対韓の件数にはあまり変化がないが,韓国における対日の件数は2002年以降上昇傾向にある。この期間におけるWH比を日韓のそれぞれについて算出すると,これらのWH比はいずれの年も近似しており,また2.5前後の比較的安定した値をとっていることがわかった。これにより仮説1と仮説2は日韓の国際結婚に関して支持された。また,日本における対韓の国際結婚件数と韓国における対日の国際結婚件数の比率を2000~2006年について算出し,1995年以降の日韓の1人あたりGDPの比率と比較すると,4年間のタイムラグをおいてこれらの比率が連動していることが示された。すなわち,ある年の日韓の1人あたりGDPの比率が4年後の国際結婚件数の比率をよく説明している。したがって,日韓の国際結婚に関しては仮説3も支持される形となった。
著者
宮本 真二 安藤 和雄 内田 晴夫 バガバティ アバニィ・クマール セリム ムハマッド
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.5, 2009

ブラマプトラ川流域における高所と低所の土地開発過程の検討を行った.低所では,バングラデシュ中部における沖積低地の開発は,1.3千年前以降に定住化が開始した.一方,高所であるインド北東部山岳地域の土地開発の集中化は,1千年前以降であることが明らかとなった.
著者
福本 拓
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.11, 2003

昨今の世界的な移民の急増は,諸外国の,特に非合法な手段による入国者(=「密入国者」)・滞在者に対して,右翼勢力の台頭といった人種主義や移民排斥等の社会問題を顕在化させた。日本でも,いわゆる「ニューカマー」の増加に伴い,同種の事態が見られるようになってきた。しかし日本の場合,「密入国者」を巡る問題は,近年の来日者のみならず,戦前の植民地期から戦後に至る動向の影響を多大に受けている。それゆえ,戦前・戦後を通じた「密入国者」に対する政策・認識の変遷を,政治・経済・社会情勢を踏まえて歴史的な観点から分析する視点は不可欠といえる。 戦前の「密入国者」は,朝鮮の所轄警察署が発行する「渡航証明書」なしの入国者を指す。彼らを管理したのは内務省で,その「密入国者」に対する認識は,国内の失業問題といった経済的問題の悪化を憂慮するものと,治安維持上の問題を懸念するものとに大別される。これに対し,占領期には正規帰還を除く全ての渡航者が「密入国者」とみなされた。この時期の国内の朝鮮人は法的地位が定まっておらず,「密入国者」に関しても,その対応にはかなりの紆余曲折があった。ただし戦前と異なり,「密入国者」を経済的問題と関連させる認識は見られなかった。 この占領期の混乱状況における政策決定過程を明瞭化することが,「密入国者」への認識や政策の変遷を辿る上で重要である。その際,地方における「密入国者」をめぐる議論に着目したい。というのも,彼らを含む在日朝鮮人関連の諸問題への関心は地域的に偏ったものであったからである。そこで,地方の動向と日本政府・占領政府の「密入国者」管理政策の関連に特に焦点を当てて,その背景にあった政治・社会情勢を踏まえながら「密入国者」に対する政策・認識の変化を考察する。
著者
宮本 真二
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2013年人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.58-59, 2013 (Released:2014-02-24)

日本における環境考古学は地理学研究者によって提示され,その後、日本考古学を含めてひろく認知されている.しかし,その成立過程について言及した研究は限定的である.本研究では,歴史地理学史における地形環境研究の展開と,環境考古学の成立が深く関与したことを明示する.その上で,近年注目されている,環境史,ジオ・アーケオロジー研究の可能性について検討する.
著者
IMAZATO Satoshi
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.59, no.6, pp.38-62, 2007-12-28

This paper critically reevaluated the history of humanistic geography in Japan and English-speaking countries. Japanese applications to case studies have been mainly developed in rural and historical geography, maintaining its own humanistic perspectives nurtured in traditional Japanese academics. The essences of humanistic geography as positive science, however, have often been misunderstood, both inside and outside of Japan. The author accordingly reexamined the basic concepts and perspectives in the original approaches of Tuan, Relph, and Ley, as well as in the phenomenology of Husserl and Schutz, to more rigidly redefine humanistic geography: focusing on intersubjective order in human existential space or its representations; seeking universality of human reason and the senses; utilization of humanities or fieldwork materials considering inside humans' views; and philosophical reflections on the methodology of human sciences. From the viewpoint of this redefinition, we recognize that methodological cahllenges have accumulated within Japanese geography: semiotics of folk classifications of settlement spaces, quantitative textual analysis, epistemological reconsideration of space and landscape, and radical rethinking of the Western dualism betweeen 'human' and 'nature'.本稿では、日本と英語圏における人文主義(人間中心主義)地理学の歴史を、批判的に再検討した。日本での事例研究は、主に村落地理学と歴史地理学で展開され、国内で伝統的に培われてきた独自の人文主義的視点も保持されていた。しかしながら、実証科学としての人文主義地理学の核心は、国内外においてしばしば誤解されてきた。 そのため著者は、トゥアン、レイフ、レイそれぞれの元来のアプローチ、およびフッサールとシュッツの現象学に立ち戻って、基本的な概念と視点を再考し、人文主義地理学をより厳密に再定義した。すなわち、人間の実存空間やその表象にみる共同主観的秩序への注目、人間の理性と感性における普遍性の探究、内部の人間の視点に立った人文学的資料や現場調査資料の利用、人間科学の方法論の哲学的反省である。 この再定義からみた場合、日本の地理学においても、集落空間の民俗分類の記号論、計量的なテクスト分析、空間や景観に対する認識論の再検討、「人間」対「自然」という西洋流二元論の根本的再考といった形で、方法論上の挑戦が積み重ねられてきたといえる。
著者
安藤 哲郎
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.19, 2005

本発表では、平安京における「成長」の概念について、日記や物語などの歴史的資料(史料)を基に、都のモチーフや動静を理解して考察を試みた。<BR> 都市の場合には人口や経済から成長の探求が行われるが、都は生産性と別次元にある。そこで、都と必要十分の関係にある天皇家や官人がどう考えていたか、という面から考えることとした。都が「宮処」である観点も大きく、また彼らの考え方を知る術もあるからである。<BR> 都は天皇が常に位置していることが求められたが、時折京外へ出かけた。その行幸(上皇の場合は御幸)から理解を試みるため、「京外空間」を糸口として考えた。まず、平安遷都前後における天皇遊猟の目的地から、遷都行動(遊猟)が平城・長岡・平安3京を相互に結び付けた可能性がみられた。また、白河上皇時代の行幸・御幸状況から、前期は成人天皇と共に鳥羽を王家の地として人々に認識させ、後期は幼主のために摂関家に由緒のある白河を王家の地になすことで王権伸張に役立てたとみられた。<BR> 天皇は次第に遠出をしなくなり、京周辺の神社などから日帰りするようになった。一方で王家の地となった鳥羽や白河などは日帰りしなくてもとくに指摘されない。そういう意味では、都人は自由になる京外空間が広がっている。<BR> ただし、平安京が外を好まない傾向は残っていた。比べてみれば、「都会」と表現されていた太(大)宰府は御笠下流の博多に鴻臚館を設け、そこと一体となったまちであった。一方平安京は交流施設を近くに持たなかった。京に近いところが都とは違うことも表現されている。<BR> 平安京は限られた空間の中で完結する都であり、他との接触を好まない都であることは続いていたが、その周辺部が平安京の意味付けのために使われ、自由に訪問できる空間として整備されることがあった。都人の活動空間が広がったと意識される意味では「成長」と言える可能性がある。<BR>
著者
小田 匡保
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.52-53, 2013

小田(2002)に引き続き、『地理学文献目録』第11~12集を利用して、2000年代の宗教地理学の動向を検討する。
著者
山下 清海 尹 秀一 松村 公明 杜 国慶
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.503, 2008

1.問題の所在<BR> 1970年代末以降の改革開放政策の進展に伴い,中国では,海外への留学や出稼ぎなどの出国ブームが起こり,これは現在でも継続している。今日,世界の華人社会は,ダイナミックに膨張と拡散を続けており,従来の伝統的な「華僑像」ではとらえきれない新しい局面を迎えている。日本においても,1980年に52,896人であった在留中国人(中国籍保有者)は,2007年には606,889人となり,韓国・朝鮮人(593,489人)を抜いて,国籍別で初めて第1位となった。<BR> 本報告は,中国の改革開放政策実施後,日本において急増した華人ニューカマー(いわゆる「新華僑」)の日本への送出プロセスの解明を目的に進めている研究プロジェクトの中間報告である。今回の発表では,中国東北地方,特に吉林省延辺朝鮮族自治州での現地調査の成果を中心に発表する。現地調査は,遼寧省の瀋陽・大連,黒龍江省のハルビン,吉林省の長春・延辺朝鮮族自治州(州都は延吉)で,2006~2008年の毎年夏に実施し,特に延辺朝鮮族自治州での調査に重点を置いた。各調査地では,日本語学校,大学の日本語教育機関,海外留学・労務斡旋会社,日本渡航経験者,日本在留者の留守家族,日系企業などを対象に聞き取り調査,資料収集を行った。また,並行して,日本国内の華人ニューカマーからの聞き取り調査も実施した。<BR><BR>2.日本における東北出身者の増加<BR> 在留外国人統計に基づいて,日本在留中国人人口の推移をみると,華人ニューカマーが増加したのは,1978年末の中国の改革開放政策実施後,とりわけ1980年代後半以降である。在日中国人人口が増加する過程で,非常に興味深い特色は,出身地(本籍地)の変化である。<BR> 日本政府は1983年に「留学生10万人計画」を打ち出し,就学生の入国手続きを簡素化した。一方,中国政府は1986年,公民出境管理法を施行し,私的理由による出国も認めるようになった。このような日中両国の規制緩和により,中国から就学ビザや留学ビザで来日する者が急増した。<BR> 当時の中国人就学・留学生の多くは,上海市と福建省の出身であった。しかし,2007年には在日中国人(606,889人)のうち,_丸1_遼寧省16.1%,_丸2_黒龍江省10.3%,_丸3_上海市9.5%,_丸4_吉林省8.5%の順となり,遼寧・黒龍江・吉林の東北3省(東北地方)を合計すると全体の34.9%(211,951人)を占めるまでになった。<BR><BR>3.東北地方出身ニューカマーの中国における送出プロセス<BR> 2000年の中国の人口センサスによれば,中国の55の少数民族のうち,朝鮮族は人口順で13位(1,923,842人)であり,その大多数は東北地方に居住している。朝鮮語は文法や発音などで日本語と類似しており,朝鮮族にとって日本語は,外国語の中で最も学び易く,大学入学の外国語科目の試験では得点が取り易い外国語であった。1980年代後半から,就学ビザを取得して日本へ渡航できるようになると,東北地方では,特に日本語能力の高い朝鮮族の間で,日本への留学ブームが起こった。朝鮮族にとっては,最も身近な外国は韓国であるが,韓国より多くの収入が得られ,子どもの時から学校では,英語でなく日本語を外国語として学んできた朝鮮族にとって,日本は渡航希望先として第1の国であった。先に日本へ行った親類や友人を頼り,チェーン・マイグレーションにより日本へ渡航する朝鮮族が増加していった。東京の池袋駅や新大久保駅周辺には,朝鮮族が開業した中国東北料理店や中国朝鮮料理店などが集中している。延辺朝鮮族自治州の延吉郊外の朝鮮族の村では,若者の多く(男女とも)が,日本や韓国に渡航したまま帰国せず,海外からの送金によって高齢者ばかりが生活している村がみられる。<BR> 東北地方における外国企業では,韓国企業の進出が最も目覚ましいが,日本企業も韓国に次いで重要な地位を占めている。特に大連には日本企業のコールセンターやソフト関連施設が多数設けられ,日本語能力が高い人材が求められている。東北地方は,中国国内でも日本語学習者や日本留学希望者が多い地域である。日本語を習得して大連,さらには上海,深圳などの沿海地域の大都市に進出した日系企業への就職を志望する者が多い。<BR> 近年の中国国内の留学ブームを反映して,大連,瀋陽,ハルビン,長春,延吉など東北地方の主要な都市には多数の外国語学校・留学斡旋会社がある。2003年に発生した福岡一家4人殺害事件(犯人の3人の中国人留学生のうち2名は吉林省出身)以後,日本留学のビザ申請に対する日本側の審査が厳格化したため,外国語学校や留学斡旋会社では,主要な渡航先であった日本から,重点を韓国への留学や出稼ぎに切り替えている
著者
熊谷 圭知
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2010年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.56, 2010 (Released:2011-02-01)

社会文化地理学: 本報告では、日本の男性と男性性の変容を、地理的想像力とナショナリズムの問題に関連させて論じる。近年の日本の急速な社会経済変化は、日本の若い世代、とりわけ若い男性に大き打撃を与え、稼ぎ手としての男性という戦後家族モデルにもはや依拠できない若い男たちのジェンダー・アイデンティティに影響を及ぼしている。本報告では、新たな男性性のタイプとして「草食系男子」「オタク」「ネオ(プチ)ナショナリスト」を取り上げ、それが今後の日本の社会的・経済的・政治的変化といかに関連するかについて試論を提示したい。
著者
小林 茂 山近 久美子 渡辺 理絵
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2008年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.110, 2008 (Released:2008-12-25)

2008年3月、ワシントンのアメリカ議会図書館で外邦図の調査をおこなったところ、1880年代に中国大陸・朝鮮半島・台湾で、日本軍将校がおこなった簡易測量にによる手書き原図を発見した。まだ調査は完了していないが、彼らの調査旅行と測量、手書き原図を集成した地図作製、さらにその利用について一定の成果がえられたので報告する。この測量と地図作製は、日清戦争以後の臨時測図部による外邦図作製の前段階と位置付けられるが、記録がすくなく、手書き原図のさらなる調査は、その全貌の解明に大きな意義をもつと予想される。
著者
相澤 亮太郎
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2003年 人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
pp.20, 2003 (Released:2003-12-24)

かつて人文主義地理学が扱ってきた主体の内面性や情緒性は_丸1_場所本質主義的である_丸2_場所のダイナミズムを捉えられない_丸3_主体の知覚を超えた範囲からの影響を扱いきれない、などの批判を受けてきた。だが、たとえば地域対立やナショナリズム、またはまちづくりにおける住民参加の問題などを考えれば、主体と場所の情緒的な関係であっても無視することはできない。それらの問題を乗り越えるために、本研究では地蔵を事例としながら、記憶を媒介として場所が再生産される過程を描き出すことを目的とする。 1995年の阪神大震災以後は、地蔵が震災復興における象徴的な存在としてメディアにしばしば取り上げられてきた。都市インフラや住環境などの物的環境の復興ではなく、文化的・精神的なものの復興を象徴する存在として、地蔵は震災後に「再発見」された。地域住民にとって地蔵の意味は極めて多様であるが、地蔵の由緒が不明なものが多いにも関わらず祭祀が継続されているのは、特筆すべき点である。震災犠牲者の慰霊や現代的な御利益など、新たな意味や記憶が付与されながら、地蔵祭祀は継続されている。地蔵祭祀は廃れゆく伝統習俗であるとは一概に言えない。ただし当初の祭祀者を失った地蔵は、像そのものが残存しても、固有の記憶は残らない。地蔵をめぐる祭祀組織や所有形態、設置場所等が柔軟に変化しながらも、地蔵祭祀は継続されている。 地蔵は、場所と記憶の再生産装置として機能する側面を有しているが、地蔵そのものだけを取り上げて、安易に場所や記憶の再生産装置であると位置づけることはできない。地蔵祭祀は、場所の変化や社会状況に合わせて変化していく。場所が社会的構築物であるならば、地蔵も社会的に構築/再構築される存在であると考えられる。