著者
梶田 真
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.191-214, 2017-05-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
95
被引用文献数
1

英語圏人文地理学における高齢者研究は1980年代後半以降,停滞している.その理由は,高齢者に対する関心を持った地理学者が,その主たる成果の公刊や議論の場を社会老年学,特に環境老年学の分野に移していったことにある.本稿は,人文地理学と社会老年学,特に環境老年学の関係に焦点を当て,その理由を考察した.本稿の知見は,研究環境の違いに加えて,現在の英語圏地理学が抱えている,応用研究を志向する研究者にとっての「居心地の悪さ」にも原因があることを示唆する.
著者
松本 太 中村 圭三
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.215-229, 2017-05-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
20

ネパール南部における住宅の温熱環境の季節的な特徴を明らかにすることを目的として,屋根素材が異なる3住宅で気象観測を行なった.その結果,以下の知見を得た.①非モンスーン季には,日の出以降気温が急激に上昇し,モンスーン季よりも日較差が大きい.晴天日の日中においては,屋根素材のタイプによって屋根面温度の違いが明確に現れた.室温は,日中にはトタン屋根,夜間にはコンクリート屋根の住宅で最も高い.以上の結果から,室温形成に屋根素材の熱的性質が関与していることが検証された.②モンスーン季では,降水や高湿度の影響により,気温の日較差が小さい.日中においては,保水による昇温抑制効果が強いカワラ屋根と保水不可能なトタン屋根との温度差を反映し,室温は,トタン屋根の住宅で最も高く,カワラ屋根の住宅で最も低くなったと考察された.以上のことから,降水が室温に対し強く影響を及ぼしていることが明らかになった.
著者
平林 裕規
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.230-240, 2017-05-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
9

本研究では,手描き地図における描画の詳しさの部分的な違いに着目した新たな分析手法であるバッファ重心法を提案する.実際に,愛知県名古屋市東区に位置する東海中学・高校の在校生(中学3年生~高校3年生)を調査対象とした手描き地図調査を通してその有効性を検討する.手描き地図の分析手法の一つにバッファ法がある.一般に手描き地図では,詳しく描いてある部分とそうでない部分がある.バッファ法にはこの局所的差異をとらえられないという課題があった.空間認知における認知度の局所的差異は重要なテーマであり,その中でもアンカーポイント仮説などの理論が提唱されてきた.そこで,バッファ重心法を提案し,これを実際に適用することで認知地図の局所的差異の客観的な分析において一定の成果を得た.ここで提案するバッファ重心法は空間認知の局所的差異に関わる,今後の空間認知研究に貢献することができる.
著者
茗荷 傑 橋本 恵祐 亀井 宏行 渡邊 眞紀子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.257-270, 2017-05-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
22

諏訪之瀬島における今日の農業土地利用を支える土壌の特性を明らかにすることを目的として,農耕地,放牧地,林地および1813年噴出のスコリア層下の埋没土層の土壌分析を行った.対象とした土壌は「火山放出物未熟土」と一部「未熟黒ボク土」に分類された.土壌分析の結果,農業にとって不適な土地ではないことが明らかとなったが,現在も噴火活動による降灰が続くため,諏訪之瀬島の土壌が黒ボク土へと成熟していくことは期待しにくい.露頭の埋没A層の特性は,土つくり実験地,ミカン栽培地,および斜面の崖下にある竹林の土壌特性に類似していた.緑肥の投入など人間による積極的な干渉が強い土壌ほど地力が高いことが示された.埋没A層は1813年の無人島化以前の農業生産活動を支えた土壌であり,諏訪之瀬島の資源であるといえる.今日の農業基盤拡大にあたり,過去の土壌資源を活用することが効果的であると考えられる.
著者
山本 晴奈
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.86-104, 2017-03-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
47
被引用文献数
2

鉢植えの緑は都市の路地空間の緑化に貢献するが,規模が小さくその分布を広域的にとらえることは難しい.本稿では,名古屋市那古野地区において敷地外に置かれた「あふれ出し」の鉢植えの分布を調査し,道路幅員との関係,および住民による鉢植えの管理や住民間の交流との関係を明らかにした.その結果,(1)幅員4m以下の路地では敷地の内と外のいずれかに設置場所が二極化するのに対し,幅員4~8mではその両方に並置するケースが増加し,幅員10m以上では地先への設置が多く見られた.(2)街路へのあふれ出しには交通に用いられない空間(デッドスペース)を利用していた.(3)設置者は,周辺住民との交流や各自の生活習慣に合わせて鉢植えの可動性を活かした柔軟な管理を行っていた.以上から,特に広幅員街路では,狭幅員の路地と同等かそれ以上の規模のあふれ出しが見られると同時に,多様な住民間の交流を通じて管理されていることが明らかとなった.
著者
石井 祐次
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.105-124, 2017-03-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
72
被引用文献数
1

河成層のみならず泥炭層が厚く形成された石狩低地において,湾頭デルタの陸化の過程とデルタプレインの発達過程を明らかにした.湾頭デルタの前進に伴う潟湖の埋積と陸化は,海水準上昇速度の低下した約8,000年前に始まり,上流側から下流側へ向けて進行した.陸化直後には河成層の形成が活発ではなく,泥炭層が形成される場合が多かった.約5,600~3,600年前以前にはクレバススプレイの形成やアバルションが生じており,上流側のデルタプレインでは,陸化直後から約200~600年間以上にわたって形成された泥炭層を覆って,河成層が形成された.約5,600~3,600年前以降には東アジア夏季モンスーンの弱化に伴う降水量の低下により河川流量が減少し,低地全体で河成層の形成が不活発となることで,泥炭地が広域的に発達するようになった.その結果,約6,500~6,000年前に陸化した下流側のデルタプレインでは陸化以降,流路付近を除いて泥炭のみが堆積し続けた.
著者
石川 和樹 中山 大地
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.125-136, 2017-03-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
14

近年,地理情報システムを用いた歴史地理学研究が活発化しており,歴史的な地理情報の整備が進んでいる.しかし整備には多くの時間を費やし,また大量の歴史的な地理情報の取得や作成に適したシステムの整備は不十分である.住所を位置座標に変換する手法であるアドレスジオコーディングを用いたシステムは存在しているが,どれも現在の住所を対象とするものであり,明治・大正期の住所は扱うことができない.そこで本研究では旧東京市15区の住所を位置座標に変換するシステムを構築し,歴史的な住所を位置座標に変換する作業の効率化を図った.処理時間について計測を行った結果,十分実用的な速度で動作することを確認した.また,時期の異なる住所による認識率の比較を行った結果,1890年代から1920年代の住所において高い認識率を示すことが明らかとなった.構築したシステムは「近代東京ジオコーディングシステム」という名称で公開した.
著者
前田 洋介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1, pp.1-24, 2017-01-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
53

従来,日本の「地域」は町内会などの地縁組織を中心に編成されていた.しかし,今日では,ボランタリー組織など,地縁組織とは地理的・社会的に特徴を異にする新たな組織もまた,「地域」を構成するようになっている.本稿は,名古屋市緑区で活動する災害ボランティア団体を事例に,活動の展開の詳述を通じ,ボランタリー組織が地縁組織を中心とした既存の「地域」にどのように織り重なっていくのか検討した.同団体は設立当初,「地域」と接点を有していなかったが,公的機関とスムーズに連携できたことや,さまざまな動機で集まったメンバーのネットワークにより,地縁組織やほかのボランタリー組織と接点を築きながら,「地域」での防災活動の場を増やしていった.同団体の活動は,既存の「地域」を補完する一方で,既存の「地域」を前提としながら,地縁を越えたネットワークによる新たな「地域」の担い方を実践していると特徴づけられる.
著者
熊野 貴文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1, pp.25-46, 2017-01-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
60
被引用文献数
1 1

本稿では,大阪大都市圏を対象に,バブル経済崩壊後の戸建住宅供給の動向を分析し,社会経済的状況の変化が戸建住宅開発にどのように影響しているのか検討した.その結果,バブル経済崩壊後,インナーシティやスプロール郊外としての背景をもつ1975年時点での既成市街地における再開発的な戸建住宅供給の比重が増してきたことが明らかとなった.しかし,それは人口減少や住宅の老朽化の進む地域における小規模で断片的な再開発であり,地域人口の増加には必ずしもつながっていなかった.こうした既成市街地での戸建住宅開発には,バブル経済の崩壊や産業構造の変化などの経済的要因のほか,住民の高齢化や住宅の老朽化という人口と住宅のライフサイクルの影響が大きいことが確認された.以上の知見は,都市圏の構造変化と住宅供給の関係について,既成市街地における再開発的な戸建住宅供給の重要性を示すものである.
著者
根田 克彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.319-337, 2022 (Released:2022-09-17)
参考文献数
75
被引用文献数
3

本稿は,新型コロナウイルス感染初期の2020年初頭から新型コロナウイルス対策がほぼ終了した2022年初頭までの,イギリス政府による飲食店に対する感染対策と支援措置を時系列的に整理し,最後に,新型コロナウイルス対策が,イギリスのタウンセンター政策に及ぼした影響を論じる.感染症の拡大初期に,イギリスはロックダウンのような規制に消極的で,飲食店に対する経済的支援対策を充実した.しかし,まもなく政府は,ロックダウンを実施し,感染を抑制する多くの規制を設定した.また,都市計画の一時的な規制緩和による飲食店の支援措置を実施したが,そのなかには公式な都市計画としたものがある.それにより,タウンセンターにおける事業所の交代を容易にして,ポストコロナにおけるタウンセンターの再生を意図した.すなわち,イギリスは新型コロナウイルスを,タウンセンター政策を根本的に変更するきっかけとして利用したといえる.
著者
椿 真智子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.11, pp.879-891, 1996-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43

The purpose of this paper is to examine the distribution patterns and characteristics of the development of reclaimed land in the modern period based on the cases recorded in the Kaikonchi Ijyu Keiei Jirei (The Management Cases of Reclaimed Land), government documents published by the Japanese Ministry of Agriculture and Forestry in 1922 and 1927. These official documents contain information concerning the location of reclaimed land, land uses, types of farming conducted on reclaimed land, major crops and supplemental employment taken up by settlers. Because of the lack of data, reclamation projects in Hokkaido are not included in my analysis of the development of reclaimed land. During the 1920s, rural villages throughout the country suffered from an economic slump and population increase. The Ministry of Agriculture and Forestry carried out a policy which called for the development of land under cultivation. The Kaikonchi Ijyu Keiei Jirei served as the basic guidelines for the enforcement of the ministry's land development policy. An examination of data included in the above-mentioned documents reveals the following: 1. The scale of reclamation projects in the Tohoku and northern Kanto and Chubu regions was larger than in the western region. The number of reclamation projects in the western region was also small in comparison to those recorded for eastern and northeastern Japan. The relative scarcity of reclaimable land and scarcity of government-owned land for reclamation purposes, contributed to this uneven development. In Aomori, Tochigi and Okayama prefectures, large farms were developed by nobles and wealthy merchants with large funds. 2. There were three periods when reclamation projects were actively conducted: early Meiji era, midMeiji era, and former Taisho era. During the early Meiji era, former samurai (shizoku) who received money from the Meiji government conducted reclamation projects. During the mid-Meiji era, privatization of government-owned land promoted the development of land under cultivation. The acquisition of reclaimable land by noble families (kazoku) also fostered the expansion of reclaimed land in the Tohoku region. During the Taisho era, the adoption of the Land Arrangement Law of 1909 permitted the opening of marginal areas adjacent to existing agricultural land. 3. Reclamation and settlement projects in the modern period were initiated by many individuals and groups, including former daimyo (kazoku), former samurai (shizoku), cooperatives and corporations. Many reclamation projects by shizoku were promoted during the first two decades of the Meiji era. Most of these enterprises, however, failed. As a result, individuals lost ownership of land they had reclaimed. The farms developed by kazoku were mostly located in Tochigi prefecture in the 1880s. 4. The management of reclaimed land centered around field farming, combined with sericulture, handicrafts, and livestock breeding. The main crops were wheat, barley, sweet potatoes, potatoes and other staple crops. In addition, settlers grew vegetables, fruits, tobacco, jute and other cash crops to supplement their meager income. More importantly, they engaged in sericulture in many regions. Because of the low productivity of reclaimed land, most settlers had to produce some cash crops and earned additional income by engaging in supplemental employment. 5. People who settled on reclaimed land not only came from nearby villages but also from other distant places. The opening of new settlements promoted intervillage migration, and constituted one of the major characteristics of modern Japan.
著者
鹿島 薫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.58, no.11, pp.734-743, 1985-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
11

River Maruyama and River Wada are located in southern part of Boso Peninsula, Along both rivers, One Pleistocene terrace and three Holocene terrace series can be observed. Upper Holocene terrace (Maruyama I terrace) is distributed widely from the upper to lower course. By field observations of terrace deposits, Maruyama I terrace is thought to be the fluvial fill-top terrace. Only in the lower course, drowned valley had been formed and marine silt and clay with shell fragements had been deposited from about 10, 000 y. B. P. till 0, 000y. B. P., But, before the emergence of Maruyama I terrace, this drowned valley had been filled by fluvial materials from both rivers. Mid and Lower Holocene terraces (Maruyama IT and Maruyama III terraces) are distributed from the upper to lower courses. But distribution area of each terrace is smaller than that of Maruyama I terrace. From theupp er to middle course Maruyama II and III terraces are thought to be fluvial strath terraces because terrace deposits are composed of granule and sand whose thickness is less than 2m. But in the lower course those terrace are thought to be fluvial fill-top terrace because thickness of those terrace deposits is more than 5m. Those evidences show that the terrace topography of this area had been formed by three cyclic changes of depositional and erosional processes of both rivers in the Holocene. And those changes were persumed to be caused by rapid sea level rise in early Holocene and seismo-tectonical movement during the Holocene.
著者
佐藤 洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.303-318, 2022 (Released:2022-08-06)
参考文献数
27
被引用文献数
2

本稿では2020年6月に第32次地方制度調査会が公表した「2040年頃から逆算し顕在化する諸課題に対応するために必要な地方行政体制のあり方等に関する答申」で提案された「地域の未来予測」を手がかりに,東京大都市圏の市町村へ財政運営に関するアンケート調査を実施し,数量化III類を用いた分析により,財政状況への認識と将来予測,広域連携の関係を検討した.本稿の主な知見は次の3点である.①財政状況を健全であると認識し,長期の将来予測を実施している市町村は広域連携に消極的な傾向がある.②2040年頃の将来予測の必要性を感じながらも将来予測をしていない,または短期の将来予測に留まる市町村が多い傾向がある.③財政関係の広域連携では構成市町村間で温度差がある.以上の知見により,財政の将来予測では国や都道府県が市町村へ支援を行う必要があること,地域の未来予測においても市町村同士の水平的連携による情報交換が重要になることが示唆される.
著者
松多 信尚 陳 侃
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2022年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.189, 2022 (Released:2022-03-28)

はじめに 大規模な自然災害の発生を契機に,防災対策は防災・減災対策へと変化し,公助から自助・共助が重視され,それに合わせて防災教育も防災訓練などを通して命を守る教育から教科横断的に社会全体の脆弱性を減らすことが求められるようになった。 日本,台湾,中国大陸ではそれぞれ阪神淡路大震災,東日本大震災,集集地震,四川地震といった同じような大規模災害を経験したことで,防災・減災に対する考え方が変化した。防災教育もそれに合わせて大きく変化しつつある。一方,学校での防災教育は近年重視されているが,十分に伝達できないという事が指摘されている(一般社団法人防災教育推進協会, 2018)。そこで,本研究では防災教育の変化を分析し,十分に伝達できていない要因について,日本,台湾,中国大陸における防災教育を比較しながら考える。 研究方法 研究方法は,日本は平成元年から平成29年まで(合わせて四回の時期)の学習指導要領,現行の学習指導要領解説書および教科書(東京書籍),台湾においては,最新の日本の学習指導要領にあたる「十二年國民基本教育課程綱要」(2019),中国大陸では指導要領にあたる「課程標準」(2011)および関連する最新の教科書(人民教育出版社,2016または2018)に現れる防災教育の記述の変化を検討した。残念ながら台湾の現行の教科書は入手できなかった。検討方法は,それぞれのテキストの内容を「ChaSen」(日本語),「Stanford POS Tagger」(中国語)を用い使用単語などを分析し,KH Coder を用いてその関連性を明らかにした。次に日本地域(岡山市などの被災未経験地,神戸市など被災経験地)の小・中学校教員に対し,Web形式のアンケートを行い,教育現場の教員の防災や防災教育に対する意識を把握した。 結果と考察 学習指導要領や教科書の分析の結果,日本の第一時期(平成元年度の学習指導要領とその時期の教科書)では理科と防災訓練しかなかった防災訓練の記述が,阪神淡路大震災以降は社会科,家庭科,保健体育にまで広がっただけでなく,教科書で使用される語彙数や防災教育を主題とする単元の増加が見られた。また指導の際も,発達段階に合わせながらも,生徒たちが考えることや,状況に応じて自分の取るべき行動を判断する能力の育成が求められるようになり,主体的な判断力を育む防災教育への変化がみられ,東日本大震災以降その傾向が強まっていることがわかった。 現行の学習指導要領にみられる中国大陸と台湾の防災教育では,日本の過去第三時期(平成20年公示した学習指導要領)と似ており,その変化は大きな災害からの経過時間と関連していると推測された。一方で中国の教科書は,課程標準の内容が反映されていない部分がある。これは,教科書は学習指導要領の改正(防災教育の考え方の変化)に追いついていない可能性を示唆する。また,日本の教科書と比べて,共助に関する記述が少ないことや,知識を中心とする学びであることも特徴である。 アンケート調査結果は総数65の回答が得られた(その中被災経験のある地域24名,被災経験のない地域38名,地域不明3名)。数は少ないものの,現場の教員が防災訓練から教科横断型の防災教育への変化を実感しつつも,適切な判断能力に必要と思われる、現代社会の実態把握や,身近な地域の学習などを授業に反映している教員はまだ少なく,教員自身が防災教育に関する研修が必要だと考えていることなど,模索中である実態が示唆された。 以上から,防災教育は社会の変化に合わせて指導要領で求められることが変化しているものの,その変化に対して教科書や現場の先生の理解には時間遅れが生じており,現場の先生の理解を深めるための教材作成などが必要であることがわかった。 また,中国での防災教育が日本と比較して共助の記述が少ない背景には,土地と人間(社会やコミュニティー)との関係性の違いなども推察され,防災教育には普遍的な側面や場所に依存した局所的な側面があるだけでなく,民族的な考え方や国の状況などローカル(地域的region?)な側面も作用していることが考えられ,検討する必要がある。 今回の調査では,教科書の出版社数は限られていて,教科書自体も出版年により修正されることもあるなど検討が十分でないことや,アンケートの総数も限られてるなど,補足する必要がある。