著者
鈴木 秀夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.5, pp.330-338, 1969
被引用文献数
3

毎日の気候資料から,エチオピアの気候像を組み立てた.エチオピアには大小2つの雨季があるといわれてきたが,小雨季は2回あって計3回の雨季に分かれることを明らかにした.大雨季は赤道西風によるものであり,小雨季は2回ともインド洋からの気流の流入による.ただし南西エチオピアで大雨季の長い所では,降水はほとんど1つの山になり,南東エチオピアでは風下のため大雨季がなく,降水の山は2つになる.これらのことを水平的および垂直的分布図で明らかにした.
著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b> <b>Ⅰ はじめに<br></b></b> 高度経済成長期以降、多くの島々では進学や就職を契機に島を離れる若年層が増加し、人口の再生産が困難となった。この結果、幼年人口が減少して小・中学校が統廃合され、産業の担い手がいなくなり、島の経済がしだいに脆弱化する、という道のりを歩んできた。<br> このような状況のなかで、いくつかの島々では児童・生徒の民泊受け入れや、地域住民と大学生との交流促進、若年層の国内移住(UIJターン)等の事業を積極的に推進し、島外から来た「若い力」を活かして活性化を図ろうとする動きがみられるようになった。こうした取り組みは、全国の農山漁村でも実施されており横並び感もあるが、島特有の地域性を活かした特色ある取り組みを進めた結果、島に来た若者たちが活性化に関与するようになった事例も見られる。本報告ではこうした事例の考察を交えながら、「若い力」を活かした島の活性化とその課題について論じる。<b> <br> <b>Ⅱ 体験交流型民泊による将来の「若い力」の養成<br></b> </b>山口県周防大島町では2008年に体験交流型観光推進協議会を立ち上げ、体験型修学旅行の受け入れを始めた。協議会では、瀬戸内海における漁業体験やみかん畑での農業体験等の体験交流プログラムを多数用意したが、主眼は体験よりも島民との交流に置き、体験者を「また島の人たちに会いたい」という気持ちにさせるよう気を配っている。<br> 実際、民泊体験者が後日、民泊先の家族を慕って再訪するケースが増えており、中学生のなかには、山口県立大島高校への進学を希望する者も現れた。体験交流型の民泊は高校生以下が対象であるため、体験者がすぐに地域再生の担い手にはならないが、短期的には体験者が再訪することで交流人口の拡大につながる。また、長期的にみれば、島に移住し島を支える人材が育つ可能性を秘めている。<br><b><b>Ⅲ 大学生・大学院生の学びの場としての島づくり<br></b> </b>長崎県対馬市では、韓国人観光客の増加とは裏腹に、少子高齢化や人口減少が加速し、集落機能や相互扶助による地域行事や作業等の継続が困難になってきた。こうした状況下で、対馬市は島外から住民とともに意欲的に活動してくれる人材を集めて、「人口の量」よりも「人口の質」を高める方向性を打ち出した。 <br> 2010年には総務省が制度化した「地域おこし協力隊制度」を利用して専門知識をもつ若者を募り、2013年までに8名の隊員が着任した。隊員はそれぞれの専門知識を活かして、ツシマヤマネコをはじめとする生物多様性の保全、デザイン力による島の魅力創出、ネットやイベントを通したファンづくり等の社会活動に従事している。<br> また、対馬は九学会連合や宮本常一の研究フィールドにもなり、多くの学問分野にとって学術的価値が高い島である。このため、学生や若い研究者に研究環境を提供すると同時に、島づくりにも参画してもらうことを目指している。2012年には「島おこし実践塾」が上県町志多留集落で開設され、全国から集まった学生や社会人が住民とともに地域再生活動に従事しはじめた。2013年からは「総務省域学連携地域活力創出モデル実証事業」の採択を受け、インターンシップや学術研究で滞在する学生や研究者の受け入れを行っている。<br><b><b>Ⅳ 島への移住者の役割と「定住」に向けた課題<br></b></b> 対馬の域学連携事業で学生たちのリーダー的役割を果たしている一般社団法人MITのメンバーは、移住してきた若手の生態学者や環境コンサルタント、国土交通省元職員等であり、島外からきた「若い力」が、さらに「若い力」を育てながら活性化に取り組むしくみが着実に根付きつつある。また、助重(2014)で報告した周防大島への移住者の多くも、前述の体験交流プログラムにも参画しており、ここでも「若い力」が「若い力」を育てる役割を果たしている。<br> ここにあげた移住者の多くはモラトリアム的な移住ではなく「定住」を目指している。島に来てから結婚した人や、安心・安全な環境下で子育てがしたくて家族ぐるみで移住した人も少なくない。また、島内で起業したり地域産業の再生に取り組んだりして、生計を立てようと努力している。<br> しかし、都市部から転入した若い移住者のほとんどは、都市での生活への未練もあり、極端に生活水準が低下すると島での生活にストレスを感じるようになる。 移住者が真の定住者として島の活性化の一翼を担うようになるためには、ここにあげた交流事業への参画を促すだけでなく、子どもの教育環境の整備や、物品購入のためのインターネット環境整備等、生活インフラの整備も進めて、ある程度の生活水準を確保することも重要といえよう。
著者
太田 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

地理学は古代ギリシャ時代以来「諸科学の母」であった。近代においても地理学は諸科学中で最も先進的な「実学」として重要視された。我が国の幕末・明治における近代化でも、世界の諸事情を知ることは国民教育上、必須とされ、福澤諭吉の著した「世界國盡」(1869年発行)がベストセラーともなった。地理学はそれぞれの時代に対応した世界の最新情報を学ぶの役割を担っていたと言える。グルーバル化した現代においては、より重要視されることがあっても軽視されることはない。しかし、この20年間に及び高校では選択科目となり学習の機会が失われ、地理学軽視とも取れる「失われた20年」を迎えた。これは地理学研究、地理教育を担っていた我々の責任であるところが多い。来る2022年度から導入される高校新科目「地理総合」(仮称)では、現代世界の社会的ニーズを汲み、学習者の興味・関心を引きつける科目として再生される必要がある。小学館から出版された「名探偵コナン推理ファイル 地図の謎」は進歩の目覚ましい現代の地図の分野をよりわかりやすく解説する読本として計画された。解説部分には人類の歴史上、地理的発見を反映する世界認識や世界観の表現である地図が紹介され、地図は地理の学習上不可欠の素材となる。天文学上の地球の形や大きさの認識は現代では、最新のGPSや準天頂衛星測位によるGNSSの理解は必須である。最先端の地図作成技術やGIS、Google Earth & Mpasに代表されるWeb地図やカーナビなど、身近になった数多のデジタル地図の利用や住宅地図を盛り込まれる。さらに自然災害を想定したハザードマップ、旧版の地形図や空中写真から、居住環境を地盤条件や過去の地形環境にを知る「地理院地図」の利活用は新科目「地理総合」での「地図リテラシー」の重要な要件となる。当初、「名探偵コナン推理ファイル 地図の謎」は小学館の担当者から企画ではなく、全く別のテーマ「名探偵コナン推理ファイル 農業と漁業の謎」(2012年発行)の監修から始まった。筆者にとっては専門外のテーマであった農業と漁業を監修する中で、地図教育の追加出版を提案し、実現したテーマで結果である。この学習漫画シリーズの狙いはシンポジウムのテーマである「アウトリーチ」の定義から見ると「専門的な学術成果を専門外の人に説明する(狭義の)アウトリーチ」と「科学への親しみやすさ・楽しさを一般の人に伝える科学コミュニケーション」とを共に目指したものと言える。地図学(Cartography)は我が国では世界的な先進性を持ちながらも、欧米のそれとは異なる大学等高等教育で専門教育として少ない講座となった。筆者の恩師でもある野村正七は地図学における稀有な研究者であった。野村正七の「指導のための地図の理解」(1980年発行)は、将来、教職に就く学生に向けた地図学の最適の教科書であった。これは小学校段階から大学教育までを見据えた地図学習のテキストと言うことができるだろう。今回の漫画本は遠く野村先生の書には及ばないが、現代の最新の地図利用を誰にでも読める読本として企画できたものである。しかし、漫画を学習テキストとして利用することに一抹の躊躇がなかったわけではない。本書の出版から3年を経過した現在、地図の世界はGoogle Earthに代表される地図はインターネットの普及による「第四の波」の真っ只中にある。表面的に紙地図となって出版されている様々な地図も全てデジタル化され作製されている。「多種類少量出版」として地図が印刷・出版可能となった。GPSと連携し、精密レーザー測量技術によってより詳細に地形表現が可能となった。もはや読み手に読図を強いる地図ばかりではなく地図表現を考慮した多様な地図が登場している。その点で本書は読者(学習者)への「地図の理解」と「新たな地図利用」を学ぶ良き読本であると思う。小学生でもわかる地図教育の読本を目指した理由もここにある。現在、二刷を経て多くの読者を得ることができた。さらに出版後の地図界の進展を受けて、改訂版を計画中である。さらに広い分野の読者を「コナン」の力を借りて地図の普及を図ろうとしていると言える。福澤諭吉は「世界國儘」で、敢えて七五調の言い回しで記述し歌も作り、多くの人々に当時の世界地理事情に関心を向させ、当時のベストセラーとなった。ある意味、福澤も明治期の「地理学のアウトリーチ」の先駆者と言えるのかも知れない。
著者
大塚 俊幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.2, 2003

_I_ 研究目的中心商業地縁辺部は、商業地と住宅地の双方を背後に擁することにより、多様な都市機能が複合した生活空間として再生する可能性を秘めている。従来、都市地理学では都市の内部構造について都市機能の地域的分化の観点から論じられることが多く、商業機能と居住機能が複合した生活空間という観点から中心商業地縁辺部について論じた研究は少ない。そこで本研究では、中心商業地縁辺部に焦点をあて、マンションの持つ多様な機能に着目し、店舗併用マンションの立地要因と周辺地域へのインパクトを明らかにするとともに、いかなる地域的要因が絡み合って中心商業地縁辺部の再生に結びついていくのか、そのプロセスを明らかにした。_II_ 対象地区本研究で対象とする四日市市諏訪新道地区(L=716m、会員数107店舗)は、かつては商業の中心であり、現在でも祭りや「市」の舞台にもなっているが、環境変化に伴い住宅地としての色彩が強まっている中心商業地と住宅地との境界地域に位置する地区である。_III_ 研究方法 マンション居住世帯および地区内商業者へのアンケート調査、新規出店者およびマンション供給業者等への聞き取り調査を実施し、その結果をもとに考察した。_IV_ 結果と考察(1)マンション立地と居住世帯当地区では1991年以降、現在建設中のものも含めて6棟の分譲マンションが建設されている。当地区は、本来民間によるマンション建設がなされにくい地域であるにもかかわらずマンション建設が行われた背景には、行政の積極的な誘導による再開発事業の実施がある。6棟中4棟が再開発事業によるものであるが、これらは当初商業系再開発として計画されていたが、厳しい経済情勢のもと計画が変更され、店舗併用マンションという形態になった。マンション居住世帯の家族構成は、30歳代_から_40歳代の夫婦のみおよび夫婦と子ども世帯が全体の約半数を占め、前住地は市内が約3分の2を占めている。居住地選定に際しては、価格、公共交通への依存度、都市的利便性、親との近接性、都心としてのまちのイメージなどの諸要素が絡み合っている。(2)マンション立地が商店街に与える影響マンション立地は個店経営にはすぐには結びつくとは限らないが、街並みが一新されたことにより商店街のイメージアップにつながったこと、そして1階部分に店舗空間が供給されたことにより新規店舗の立地を促す引き金になり、かつての中心商業地であるという街のイメージも作用して、商店街全体の機能集積の拡大に寄与している。具体的には、マンション1階への入居以外にも、商店街の空き店舗へ10店舗の新規出店があった。それらは従来の物販店ではなく、こだわりの店、ショールーム機能を付加した店、実験的性格を有した店、飲食店、サービス業などである。新規店舗の立地要因は、アクセス性、周辺環境、場所性、出店コスト、建物の新しさ、路面店であること、家主との関係、地域コミュニティの存在、マンション居住者への期待などであり、経営主体や経営方針により重視する要因が異なる。(3)中心商業地縁辺部の再生過程中心商業地のコンパクト化により住宅地化を余儀なくされた中心商業地縁辺部は、商業の核心部が駅前に移る以前の中心であり、都市のシンボル的空間であった。そのため、行政もその活性化に向けて積極的に取り組むこととなり、再開発事業により店舗併用マンションの供給を可能にした。それにより商業空間の機能更新を果たすとともに、地区の居住世帯構造に大きな変化をもたらした。当地区は、再開発事業が実施されなければ、居住機能に侵食される地区である。しかし、かつての商業中心としてのポテンシャルが作用し、低層部への商業機能の立地を促すこととなった。このように、中心商業地縁辺部は商業機能と居住機能の双方の影響を受け、それらの機能が複合した生活空間としての再生が期待できる地域である。
著者
大竹 あすか
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>1.先行研究の展望と研究目的</p><p> 書店を事例として扱った研究は,土屋ほか(2002)と秦(2015)があげられる.土屋ほか(2002)はGISを利用して愛知県を事例として,大型書店が持つ商圏の時空間変化を営業時間に着目して分析した.秦(2015)は,福岡県を事例として書店チェーンの立地展開を取次会社との垂直的企業間関係に着目して分析した.</p><p> 地理学において小売店の流通や店舗の立地を扱った研究は数多く行われてきたが,書店を題材とし店舗構造や書籍のジャンルなどを含む経営方針に焦点を当てた研究は管見の限りほとんどない.さらに上記の研究は2000年代後半から著しく増加したインターネット通信販売との競合が考慮できておらず,現代社会における書店経営に関して改めて分析する必要があると考えられる.</p><p> 今回の研究では,小売業でも特殊な流通制度を持つ出版制度を踏まえた上で,盛岡市の都市構造と都市システムが経営方針にどのように影響を与えているかを分析する.</p><p>2.研究方法</p><p> 調査対象地は岩手県盛岡市に設定した.盛岡市は新幹線や道路網整備により北東北の拠点として機能していること,盛岡市は総務省家計調査で世帯当たりの書籍購入額が全国の県庁所在地の中でも有数であることから,個人書店から全国チェーン展開を行う書店まで多様な経営形態が見られる.</p><p> 調査対象店舗は立地している地域や経営規模を基準に市内の書店を分類した上で抽出し,各店舗の経営者と関係者に対して,客層や経営方針,経営状況などの情報などについて聞取り調査を行なった.調査は2018年8月〜11月に行った.また,2019年5月〜9月に追加で調査を実施予定である.</p><p>3.調査結果と考察</p><p>1)都市構造が規定する経営方針</p><p> 以下2点により,盛岡市の都市構造が盛岡市内における経営方針を規定していることが示された.</p><p>①書店の郊外展開と店舗面積の拡大</p><p> 松原(2015)で指摘されている通り,モータリゼーションによる郊外化と中心商店街の衰退が,郊外への大型書店を中心とした店舗展開と中心商店街における廃業店舗数の増加に影響を与えている.盛岡市では2000年代以降郊外にショッピングモールが進出し,家族連れを含む若年層の購買活動の中心が移ったことが聞取り調査から明らかになった.</p><p>②客層に合わせた書籍ジャンルの選定と店舗構造の方針</p><p> 各書店は立地する地域の利用客に合わせ,販売する書籍のジャンルや,棚の配置などの店舗構造を決定していることが示された.聞取り調査からは次のことが明らかになった.観光客が多く訪れる駅前の書店では,郷土誌を店外から見やすい位置に設置している.また高齢者利用客の割合が高い中心商店街内に立地する書店では,時代小説を中心とした書籍ジャンルが選定されている.一方郊外のショッピングモールでは,児童書を充実させて家族層の集客を図るとともに,開放的な雰囲気を持つ店舗構造に設計することでモール内の回遊客を集めていることが明らかになった.</p><p>2)都市システムが規定する経営方針</p><p> 書店の経営戦略に関する聞取りから,日野(1996)同様,現在も盛岡市が北東北の中核市としての役割を持っていることが示された.盛岡市は道路網と鉄道網の観点から北東北全体の拠点としての機能を持っており,東北地方全体の中心地である仙台市,東京都内への利便性があるからである.同時に岩手県内においても,盛岡市が中心地として役割を強めている.そのため,盛岡市には同県内の他都市と比較しても大規模書店や専門書を取り扱った書店が集中している.</p><p> 以上より,都市構造と都市システム両方が,盛岡市に立地する書店の経営方針の多様性をもたらしていることが明らかになった.</p><p><参考文献></p><p>土屋純・伊藤健司・海野由理 2002.愛知県における書籍チェーンの発展と商圏の時空間変化.地理学評論 75: 595-616</p><p>秦洋二 2015.日本の出版物流通システム—取次と書店の関係から読み解く—.九州大学出版会</p><p>日野正輝 1996.『都市発展と商業立地—都市の拠点性—』古今書院</p><p>松原宏編 2015.『現代の立地論』古今書院</p>
著者
青木 賢人 林 紀代美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.29, 2007

<BR>1.はじめに<BR> 2007年能登半島地震は,2007年3月25日午前9時41分,能登半島西方の門前沖で発生した海底活断層による地震で,Mj6.9,最大震度6強(輪島市,七尾市,穴水町)を観測した.建築物の倒壊や生活インフラの寸断など,様々な被害が輪島市を中心に発生している(青木・林,2007a).気象庁は地震発生の2分後,9時43分に石川県に津波注意報を発令し,11時30分に解除している.実際には,津波は珠洲市長橋で22cmの津波を観測したのが最高で,幸いにも被害は生じなかった.また,第1波が最大波高では無かったとともに,押し波であったことは,本地域での津波対策を考える上で注意すべき点である.<BR> 本研究では,津波被害が生じなかった本地震に際して,地震発生直後に住民が津波に対してどのような意識を持ち,回避行動を取ったのか否かについて明らかにすると共に,その意識や行動を規定した既往教育歴や被災経験を検討するために,被災地である輪島市・志賀町の中学校の生徒およびその保護者を対象にアンケート調査を行った.<BR><BR>2.アンケート調査の概要<BR> 津波回避行動に関する調査を行うために,能登半島の震源地側(西岸)に位置する輪島市,志賀町の中学校の内,校区内に海岸線を持つ7校にアンケート調査への協力依頼を行い,志賀町立志賀中学校,輪島市立門前中学校,上野台中学校,南志見中学校,町野中学校の5校から協力を得た.志賀中学校については生徒に対する抽出調査となったが,他の4校では全校生徒およびその保護者に対する全数調査となった.予稿集投稿時には上野台中から回収できていないため4校の値となるが,回収数は生徒から330通,保護者から308通,合計638通である.<BR><BR>3.アンケート結果の主な内容<BR> 津波からの避難行動を行ったか否か:避難行動を取った生徒は12%(38/309),保護者は22%(62/280).避難を行わなかった被験者には,海から遠い,高台にいたなどの適切な理由から避難しなかったなどもあり,一概にこの値を低いと判断出来ない部分もある.<BR> 津波に関する情報を確認したか:生徒の72%(221/306),保護者の60%(169/280)が,テレビ,防災無線などで津波情報を確認している.また,旧門前町では,停電が発生したため「情報が確認できなかった」という回答もあった.一方で,生徒の54%(169/312),保護者の66%(193/293)が地震発生時に津波を想起している.<BR> 地震発生時の津波の想起,あるいはテレビなどでの情報確認を行った率はかなり高いと言えよう.しかし,その一方で想起や情報が必ずしも避難行動に結びついていない.避難行動を起こさなかった具体的な理由として,以下のような回答が得られていることから,必ずしも適切な判断が行われているわけではないことが推察される.<BR>・津波の心配はないと報じられたから<BR>・父が海に行って「大丈夫」と言っていたから<BR>・海を見ていて、津波が来るけはいがなかったから<BR>・津波の高さが50cmと聞いたので<BR> 現実には,地震発生後2時間近くも津波注意報は解除されていないし,第1波は押し波であった.対象地域内には漁業者も多く居住しており,海に関する経験や知識が豊富であるとも思われるが,その知識が逆に危険な方向に作用している場合もあることが確認された.<BR> このほか,詳細に関しては当日に報告する.
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p><b>【はじめに】</b>災害時の新型コロナウイルス感染症(以下,COVID-19)対策が必要な中,「猛烈な」強さに発達が予報された台風10号が2020年9月6~7日に鹿児島県に強い影響を及ぼし,県内市町村で避難所が多く開設された。本発表では,岩船(2020,2021)を踏まえ,鹿児島県「避難所管理運営マニュアルモデル〜新型コロナウイルス感染症対策指針」(以下「県避難所COVID-19対策指針」)と照合しつつ,市町村での避難所運営実態を再検証する。</p><p><b>【「県避難所新型コロナ対策指針」の概要】</b>2020年6月1日に策定され,①避難所となる施設や敷地を事前にレイアウトして事前に空間利用を計画し,定員数等を定める,②受付での水際対策を徹底する,③「感染疑い者」等を認識する目安として,検温や体調の自己申告の他に,行動歴の任意提示も参考とする,④「感染疑い者」には別室での自主的隔離を基本として,非「感染疑い者」と生活空間を別にする,⑤安全確認できれば自家用車も「自主隔離空間」として活用する, ⑥定員超過の場合でも,感染死亡・重症化リスクが高い高齢者等を除き,リスクが低い者から身体的距離2mを短縮する,⑦またその同意を事前に得ること等の特徴がある。</p><p><b>【避難場運営の実態と今後の課題】</b>鹿児島市では, 2020年10月1日現在での市人口598,481名の0.8%に相当する4,854名が避難所に入所し,205施設中13施設で定員超過した。以前から「避難所が定員超でも入所希望する全員を受け入れる」方針であったため,感染リスクを恐れて避難所以外に「分散避難」した市民が多かったが,洪水浸水想定区域や土砂災害警戒区域等に立地する住家が相対的に多く,避難所となる公的施設も人口比で少ないことから,既存の避難所運営計画では十分に対応できなかった。また,HP「避難所における新型コロナウイルス感染症対策」の「避難者の十分なスペースの確保」を定員超過の避難所で実現できず,「県避難所COVID-19対策指針」上記 ⑥と⑦の対応を行わなかった。</p><p> 暴風圏内の屋外では暴風で人が死傷する恐れがあるが,COVID-19「致死率」は80代以上12%等を踏まえると(厚生労働省2020『新型コロナウイルス感染症COVID-19診療の手引き第4.1版』),特に「ステージⅣ(感染者爆発的拡大)」等の感染拡大の警戒基準時や,居住域が広範囲で被災した場合を見越しての対策が講じられるべきである。</p><p> 一方,瀬戸内町では,台風10号避難所入所者総数は176名であり,2019年4末現在で全人口8,941名の2.0%に止まった。117名の避難者が集まった「きゅら島交流館」では,結果として定員数を上回らなかったこともあり,「県避難所COVID-19指針」を参考に町保健師が事前に計画した避難所レイアウト案に沿って,避難者の空間配置を適切に行えた。しかし,台風進路に近い喜界町では, 2020年10月1日現在での町人口6,606名の14.7%に相当する973名が避難所に避難し,17施設中3施設で定員を超過した。「県避難所COVID-19指針」を参考に喜界町では人口密集地域の避難所レイアウト案を事前に作成したものの,想定超の避難者が押し寄せた避難所では,適切な空間利用に至らなかった。</p><p><b>【課題解決の動き】</b>奄美大島では,日本の諸地域と同様に,標高5m以下の沖積平野に居住域が広がり,スーパー台風時に5m高の高潮が発生すれば,避難所も含めた居住域が広く被災する。演者は,COVID-19対策も含めてこの災害想定時の対策づくりとして,地域コミュニティの住民一人一人の避難手段・経路・場所をパーソナル・スケールで検討するワークショップを行っている。例えば,宇検村では,モデル地区での村民アンケート調査を行い,スーパー台風時の個々の避難計画づくりに着手した。来年度以降に全村に活動を広げて村民2,000人の避難台帳づくりを予定している。</p><p><b>【おわりに】</b>鹿児島県内市町村での台風10号避難所運営では,地域性に応じて多少の混乱があった。これらを踏まえて,「県避難所COVID-19対策指針」改訂や,避難所運営計画も含めたコミュティでの地区防災計画立案にかかわる研修等を市町村で行い,課題解決につなげたい。</p><p><b><参考文献></b>・岩船昌起2020.鹿児島県市町村での2020年台風10号避難所運営の実態−新型コロナウイルス感染症対策も含めて.季刊地理学,72(3),ページ未定.※東北地理学会2020年秋発表要旨.</p><p>・岩船昌起2021.新型コロナ下における自然災害への備え−大規模化する災害へ対処するために.生活協同組合研究,540,11-18.</p><p><b><謝辞></b>本研究は科研費基盤研究(C)(一般)「避難行動のパーソナル・スケールでの時空間情報の整理と防災教育教材の開発」(1 8 K 0 1 1 4 6)の一部である。</p>
著者
渡邊 瑛季
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p> Ⅰ はじめに</p><p></p><p> 非大都市や選手輩出地を対象としたスポーツイベント開催によるレガシー研究は日本では少ない状況である。本研究は,国際大会や国内上位大会の開催に伴うスピードスケート選手輩出地におけるレガシーを,北海道十勝地方を対象にして考察する。</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅱ 十勝におけるスピードスケート文化</p><p></p><p> 十勝では,1950年代から冬の体力づくりの一環として学校体育でスピードスケートが指導されてきた。現在でも小学生だけで約1,000人が競技に取り組むスピードスケート盛行地域である。冬季には学校の校庭や各市町村の運動公園などにスケートリンクが造成され,十勝関係者の競技結果は地元新聞紙面をにぎわすなど,スピードスケートは十勝の冬の風物詩である。中学,高校の全国大会では,十勝の学校が上位入賞の常連校であり,競技レベルは非常に高い。清水宏保氏や髙木菜那・美帆選手など五輪メダリストも輩出してきた。よって,十勝ではスピードスケートは世界に通用するスポーツとして認識されている。</p><p></p><p> 勝利志向に特徴づけられるスケート文化の存在の一方で,十勝でのワールドカップ(W杯)などの国際大会の回数は,2007年まで3回のみであった。高校卒業後は,ほとんどの選手がスケート部のある関東甲信の大学や実業団に進む。十勝での選手の引受先も少なかったため,十勝は有望選手の輩出地といえる。</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅲ 屋内スピードスケート場の建設による国際大会の増加</p><p></p><p> 十勝のスケート関係者は,夏季にも使用可能な屋内のスピードスケート場の設置を長く懇願していた。また,長野五輪で帯広市出身の清水宏保氏がスピードスケート競技では日本初となる金メダルを獲得した。こうした背景から,1999年に帯広市長を会長とする「北海道立屋内スピードスケート場十勝圏誘致促進期成会」が発足し,屋内スピードスケート場建設の機運が高まり始めた。しかし,北海道の財政難により2004年には帯広市が建設主体になった。2006年の帯広市長選では総事業費約60億円とされたスケート場の建設が争点になったものの,地元経済界の後押しもあり,推進派が再選された。その結果,2009年8月に日本で2例目の屋内スピードスケート場である「帯広の森屋内スピードスケート場(明治北海道十勝オーバル)」が帯広市郊外に開設された。地元選手の練習場所でもあるほか,W杯やアジア冬季競技大会などの国際大会が約2年に1度,全国規模の国内上位大会が毎年数回開催されるようになった。</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅳ 国際大会によるレガシーとしてのスケート文化の強化</p><p></p><p>帯広市での国際大会や国内上位大会を直接観戦する住民が増えている。十勝の小中高生選手は,世界や国内を転戦する自身の学校やチーム出身の一流選手のレースを観戦し,レース後に交流する機会も時折ある。これは,全国制覇を志向する選手が,十勝出身の一流選手を目標的存在として認識する契機となり,また競技力向上への意識を高めることにつながっている。</p><p></p><p>また,主に帯広市に本社を置く企業の経営者が,国際大会や国内上位大会で活躍する十勝や北海道出身選手の姿を見て,子どもの頃と比べた成長に感銘を受け,スポンサーになったり,スケート場内に企業広告を掲示したりするケースが多数みられる。個人競技であるがゆえ社名がメディアで報じられやすく企業の宣伝などに寄与すること,また経営者がスピードスケート経験者であって,競技への理解があることが主な背景にある。国際大会や国内上位大会に伴うこれらの変化は,十勝関係の選手の競技力を育成面・資金面で向上させることに寄与している。</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅴ おわりに</p><p></p><p>十勝はスピードスケート選手の輩出地と,国際大会や国内上位大会の開催地とが重なる場所である。出身地での一流選手の活躍が大会で住民に可視化されることは,勝利志向に特徴づけられるスケートの文化的価値の強化というレガシーを形成した。</p>
著者
高橋 春成
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.7, pp.513-537, 1989
被引用文献数
3

The feralization of livestock is one of the themes of geography, but few studies have been done aside from those of T. L. McKnight. The author studied feral pigs, with particularr emphasis on distribution, time of the feralization, background of feralization, and attitudes toward feral pigs, through analysis of reference works in geography and other academic fields and investigation in Australia and the Ogasawara Islands in Japan.<br> The author examined the distribution of feral pigs in comparison with that of Eurasian wild boars (from which pigs are domesticated). The distinction between feral pigs and Eurasian wild boars is not always clear, however. Domestic pigs roamed and had opportunities to become wild under traditional husbandry practices such as free ranging and mast feeding in Europe and Asia, and they are mostly regarded to have merged with Eurasian wild boars. Further, introduced Eurasian wild boars interbred with feral pigs in the United States, the Republic of South Africa, and parts of South America. Almost everywhere there is evidence of human modification of the indigenous fauna.<br> Regarding the time of feralization, the author examined data from North and South America, Australia, and some islands where the time was comparatively clear. According to this analysis, pigs were introduced to some islands in the Pacific Ocean by Melanesians and Polynesians, and feralization occurred even though their distribution was limited. From the 15th century to the 19th century, explorers, colonists, sealers, and whalers introduced or released pigs on many oceanic islands and new continents. In this period, pig feralization occurred frequently, and the main feral pig's areas were established. Deliberate release by landholders and hunters continues in some areas even today.<br> Extensive husbandry, deliberate release, and accidental escape are important factors in feralization. The spread of practices such as free ranging and mast, feeding contributed to pig feralization. Deliberate release by explorers, fishermen, landholders, and hunters is also a major factor. In these cases, we can point out the influence of humans who recognize the value of feral pigs as sources of food or game.<br> Regarding attitudes toward feral pigs, the author examined data from Australia and the United States. In general, feral livestock including feral pigs were useful to pioneers and early settlers as supplementary animals. But as time passed, feral pigs came to be legally classified as noxious or verminous in Australia because of the damage they caused wheat farmers and raisers of sheep and cattle. In the United States, where such severe damage did not occur, feral pigs are legally classified as game. However, in both countries there are conflicts of interest among farmers, hunters, and landholders who collect hunting fees; all these groups have different attitudes toward feral pigs, which make it difficult to control feral pigs effectively.<br> In the Ogasawara Islands, feral pigs were recorded as early as Commodore Perry's expedition in 1853. But it is difficult to collect clear evidence of these feral pigs today. In the period in which the islands under occupation by the U. S. Navy after World War II, pigs were brought from Tinian Island by the Navy, and a number of them were released. It is said that pigs were released for food supply and game on Ototo Island and Chichi Island, as a future source of food of fishermen on Muko Island and Nakodo Island. Their descendants are thought to have survived on Ototo Island.
著者
太田 慧 池田 真利子 飯塚 遼
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1</b><b>.</b><b>研究背景と目的</b><br><br> ナイトライフ観光は,ポスト工業都市における都市経済の発展や都市アメニティの充足と密接に関わり,都市変容を生み出す原動力としても機能し得るという側面から2000年代以降注目を浴びてきた(Hollands and Chatterton 2003).この世界的潮流は,創造産業や都市の創造性に係る都市間競争を背景に2010年代以降加速しつつあり,東京では,東京五輪開催(2020)やIR推進法の整備(2016),およびMICE観光振興を視野に,区の観光振興政策と協働する形で,ナイトライフ観光のもつ経済的潜在力に注目が向けられ始めている(池田 2017).このようなナイトライフ観光の経済的潜在能力は,近年ナイトタイムエコノミーと総称され,新たな夜間の観光市場として国内外で注目を集めている(木曽2017).本研究では,日本において最も観光市場が活発である東京を事例として,ナイトタイムエコノミー利用の事例(音楽・クルーズ・クラフトビール)を整理するとともに,東京湾に展開されるナイトクルーズの一つである東京湾納涼船の利用実態をもとにナイトライフ観光の若者の利用特性について検討することを目的とする.<br><br><b>2</b><b>.東京湾納涼船にみる若者のナイトライフ観光の利用特性</b><br><br>東京湾納涼船は,東京と伊豆諸島方面を結ぶ大型貨客船の竹芝埠頭への停泊時間を利用して東京湾を周遊する約2時間のナイトクルーズを展開している,いわばナイトタイムの「遊休利用」である.アンケート調査は2017年8月に実施し,無作為に抽出した回答者から117件の回答を得た.回答者の87.2%に該当する102人が18~35歳未満の若者となっており,東京湾納涼船が若者の支持を集めていることが示された.職業については,大学生が50.4%,大学院生が4.3%,専門学校生が0.9%,会社員が39.3%,無職が1.7%,無回答が2.6%となっており,大学生と大学院生で回答者の半数以上が占められていた.図1は東京湾納涼船の乗船客の居住地を職業別に示したものである。これによれば,会社員と比較して学生(大学生,大学院生,専門学校生も含む)の居住地は多摩地域を含むと東京西部から神奈川県の北部まで広がっている.また,18~34歳までの若者の83.9%(73件)がゆかたを着用して乗船すると乗船料が割引になる「ゆかた割引」を利用しており,これには18~34歳までの女性の回答者のうちの89.7%(52件)が該当した.つまり,若者の乗船客の多くはゆかたを着て「変身」することによる非日常の体験を重視しており,東京湾納涼船における「ゆかた割」はこうした若者の需要をとらえたものといえる.以上のように,東京湾納涼船は大学生を中心とした若者にとってナイトライフ観光の一つとして定着している.
著者
石川 和樹 中山 大地
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.&nbsp;&nbsp;&nbsp;</b><b>はじめに<br> </b> 地名とはその地域に付与された名称であるが,その由来は山や川などの自然由来のものから,方位に由来するもの,施設に由来するものなど様々である.また,漢字表記される地名であればその読み方が存在するが,時間経過に伴い読み方が変化する地名の存在や,難読地名の存在などから,地名を漢字のまま分析することでより地名の本質的な分析が可能となる.そこで本研究では,地形図に記述してある地名を漢字のままDPマッチングを行い地名間の類似性を求めたうえで,ある特定の漢字を含む地名の時間的変化を定量的に求めることを目的とした. DPマッチングとは,Dynamic Programming(動的計画法)を用いて2つの対象間の類似性を数値化できるアルゴリズムで,音声認識や画像認識において多用される手法である.<br>&nbsp;<b><br> 2.&nbsp; </b><b>研究手法<br></b> 1/50,000旧版地形図「菊池(隈府)」,「阿蘇山」,「御船」,「高森」の範囲を対象地域とし,地形図は1902年から1984年のうちなるべく同時期になるように選択した各図郭6枚,計24枚を用いた.同時期の地形図ごとに1枚のレイヤーにまとめ,時代の古いものからlayer1~6 とした.そしてこれらの地形図をデジタルデータ化し,座標(日本測地系・公共測量座標系)を付与した.次にlayer1~6に表記されている全ての文字列についてデジタイズし,そのうち居住地域名のみ(6680地名)を抽出した.これらの居住地域名の表記から,DPマッチングを用いて2つの地名間の類似性(不一致度)を求めた.この際,文字不一致のペナルティを50,1文字ずれのペナルティを1とした.これにより求まった類似性を2地名間の距離とし,全ての地名間の距離行列を作成した.この行列に対して,統計ソフトRを用いてWARD法によるクラスター分析を行った.得られたデンドログラムを非類似度5000で切り,22個のクラスターを得た.これにより,同一クラスターには同じ漢字を含む地名が分類されたことになる. 次に,河川と現在の小地域境界に対してコストを与えて地名の代表点からの加重コスト距離を計算し,これに基づいて空間分割を行って地名のかかる範囲を決定した.この際,河川または小地域境界のある部分をコスト10,それ以外を1とした.このようにして6時期分の地形図に対して地名のかかる範囲を決定し,22個のクラスターのうち減少傾向にあったクラスター3個についてその分布の変化を地図化した.そしてそれらの要素を確認し,減少している地名の特徴を探った.<br><br><b>3.&nbsp; </b><b>結果</b><br> 得られた22個のクラスターのうち,含まれる地名の傾向が明確なクラスターは17個あり,傾向が明確ではなかったクラスターは5個であった.17個のクラスターのうち時間経過とともに含まれる地名数が減少するクラスターは3個みられた.一方,地名数が増加するクラスターはみられなかった.以降,減少するクラスター3個の結果について述べる.減少するクラスターは「田」,「尾」,「古閑」のつく地名であった.「田」地名においては「無田」・「牟田」の付く地名の消滅がみられた.「尾」地名はデータの精度の問題から,減少した結果となった.「古閑」地名においては,特に対象地域西部の熊本市街地の拡大にともなう宅地開発による消滅がみられた.「無田」・「牟田」や「古閑」の付く地名は九州に多い地名であることから,本研究ではその地特有の地名の減少傾向が確認された.
著者
坪井 塑太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

集合住宅に付与される名称には,町名,近隣の駅名,公園名,名所・旧跡名を冠する「場所性」を持つもののほか,地形(丘・ヒルズなど)や自然構成要素(森林・河川名・山地名)の名称を冠することで良好な地域イメージを形成する事例がみられる.本研究では,既往の研究手法を援用しながら,河川や海などの物理的要素から,清新性や涼感など心理的要素を含む幅広い概念を有する「水」関連の名称を有する集合住宅(アパート・マンション)を対象として,東京都江戸川区を事例に,その立地特性を明らかにすることを目的とする.水関連の名称を冠する集合住宅は全332件確認され,このうち,親水公園の名称を冠する集合住宅(39件)の多くは,JR新小岩駅から徒歩15分圏域に位置する小松川境川親水公園においてみられた.これは,同地区が1970年代半ばより宅地開発が進められる中で1985年に竣工した同親水公園が,その空間的象徴として名称波及したものであると考えられる.また,河川に関連する名称を冠する集合住宅は,英語のほか,フランス語,ドイツ語,イタリア語,スペイン語で河川や河畔,小川を指す表現がみられ,区内ほぼ全域において分布していることが特徴となっている.また,最も多くの名称として用いられる「リバー」(163件)のうち,立地に起因する「リバーサイド」(76件)のほか,眺望・景観を想起させる「リバービュー」(3件)「リバースケイプ」(1件)「リバーウィンズ」(1件)などが特徴的な名称として用いられている.これは,地勢上,江戸川区が荒川,新中川,江戸川に隣接している地理的条件の他,「水」自体の持つ良好なイメージがその背景にあるものと考えられる.このほかにも東京湾に面した区南部地域を中心に,海の名称を冠する集合住宅が立地していることが明らかになった.今後は,マンション等の販売広告からイメージの表象に関する検討を行うほか,竣工年代や地形等を考慮し,定量的に立地や分布の特徴を把握することが課題である.
著者
関戸 明子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

本報告は,昭和初期に推進された群馬県の観光プロモーションの特徴について,当時の社会的・地域的文脈との関わりから考察するものである。群馬県では,1935(昭和10)年3月20日に群馬県勝地協会が創立された(昭和10年「商工雑事」群馬県立文書館)。会長には当時の群馬県知事・君島清吉,副会長には群馬県経済部長と県会議長など,理事には群馬県総務部長・学務部長・警察部長・土木課長・林務課長・商工課長・衛生課長といった行政職や前橋・高崎・桐生市長など,幹事には前橋・高崎の商工会議所会頭など,評議員には伊香保・水上・草津・四万といった温泉の組合長や各郡の町村長会支部長などが就任しており,官民挙げての組織だったことがわかる。群馬県勝地協会の解散に関する記録は確認できていないが,出版物の刊行状況からみると,1943(昭和18)年までは活動が続いていたことがわかる。1940年以降,不要不急の旅行が抑制され,鉄道輸送の旅客制限が強められていくが,勝地協会の事業はこうした時期にも行われていた。<br> 「設立趣意書並会則」(県史資料「群馬県勝地協会関係綴」群馬県立文書館)には次のようにある。「本県は三面秀嶺を繞らして坂東太郎の清流を養ひ(中略)山河襟帯到る処風光明媚の勝地である。加ふるに史蹟,伝説の人口に膾炙するもの極めて僥く,動植物の世に珍稀なるもの亦少くない。更に温泉は各所に湧出して,古来著しき霊験を伝へ,帝都に近く交通至便なるは真に本県独特の天恵と謂はねばならぬ。殊に上毛三山の一たる赤城山には,昨秋 畏くも 聖駕を枉げさせ給ひ次で奥利根一帯の地は国立公園に指定されて景勝群馬の名声は愈々揚り,正に錦上花を添うるの趣がある」。 このように群馬県は風光明媚の勝地であり,史蹟や温泉も多く,東京に近いことをうたっている。「聖駕を枉げ」とあるのは,1934年11月,群馬県庁に大本営を置いて陸軍特別大演習が行われて,さらに県内を昭和天皇が行幸したことによる。また1934年3月に初めて3か所の国立公園が指定されたのに続き,同年12月に指定を受けた日光国立公園に「奥利根一帯の地」である尾瀬が含まれた。こうしたことが協会設立の契機となったのであろう。<br> さらに「地元大衆の理解と用意とは未だ此の天資に添はず動もすれば其の勝景を傷け,或は適当の施設を誤り,却て造化の殊寵を暴殄するものさへあるは,夙に識者の憂ふる所である。(略)近時一般保健思想の向上は交通機関の発達と相俟て,野外趣味の勃興を促し,国策亦国立公園の開設を計つて以来,各地競うて其の助成策を講じ,天下靡然として観光施設に汲々たる状況である本県民たるもの,豈此の勝地を擁して拱手傍観するを得やうか。(略)是に於て関係者並に有志相諮り,官民合同の勝地協会を設立し,統制ある組織の下に県下の景勝霊地を江湖に紹介し,其の愛護開拓を図つて,来遊者に利便を与え,大いに内外の観光客を迎へ,以て益々国土の精粹を顕揚し,文化の進展に寄与すると共に,天与の恵沢を頒つに遺憾なきを期せんとするものである」と設立の趣意を述べている。保健思想の向上,野外趣味の勃興とは,この時期に健康への関心が高まり,スキー,スケート,ハイキングなどが人気となったことがある。このように群馬県勝地協会は,官民合同の組織のもとで景勝霊地を紹介し,内外から観光客を迎えることを目的として設立された。<br> 「昭和十年度歳入歳出決算並事業成績」には,1.国立公園映画作製,2.赤城公園座談会,3.温泉とスキー展覧会,4.スキー大会,5.「勝地群馬」刊行,6.勝地絵葉書刊行の六つの事業が記されている。「勝地群馬」の著作権兼版権所有者は吉田初三郎,この鳥瞰図の印刷費は3453円32銭で,同年度の歳出の53%を占めていた。図裏面の案内情報には,名所・温泉・スキー場・スケート場・神社・仏閣・史蹟・天然記念物・国宝・重要美術品・古社寺の188箇所を掲載する。さらに勝地協会は1941年に『群馬の史蹟めぐり』,1943年に『群馬健康路 史蹟と温泉巡り』を発行している。 昭和初期の群馬県では,どのような場所がツーリズムの対象となり,意味や価値を付与されたのか,当日報告を行う。<br> [文献] 関戸明子2008.吉田初三郎の鳥瞰図.中西僚太郎・関戸明子編『近代日本の視覚的経験-絵地図と古写真の世界-』119-124. ナカニシヤ出版.
著者
海津 正倫 JANJIRAWUTTIKUL Naruekamon 小野 映介 川瀬 久美子 大平 明夫 PRAMOJANEE Paiboon
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.1-11, 2022 (Released:2022-03-03)
参考文献数
12
被引用文献数
1

タイ国南部ナコンシタマラート海岸平野の砂州の形成と発達を,衛星画像,DEM,掘削調査,堆積物の年代測定結果などに基づいて明らかにした.砂州Iは長さ80 kmに及ぶ連続性の高い砂州で,砂州Iの背後にあたる砂州の西側には低湿地が広がり,泥炭層が形成されている.泥炭層基底付近の年代から砂州Iは7500年前頃形成されはじめたと考えられる.砂州Iの東側には砂州IIが発達し,最も新しい砂州IIIは現在の海岸線を縁取るように発達している.埋没砂州Yは海岸平野南部のフラバット山付近から南に向けて延びており,海岸平野の西縁付近には更新世に形成された砂州Xが顕著に発達している.これらのうち,砂州X,砂州I,砂州IIが北から南に向けて発達したと判断されるのに対し,砂州IIIは北のパクファナン入り江に向けて延びている.このような違いは1500年前頃以降の海況の変化を反映していると考えられる.
著者
古河 佳子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br><br>近年,日本における地域振興の手法の一つとして,観光産業が注目されている.そうした観光による地域振興手法は,今日,多くの地域で試みられる傾向にある.<br><br>1970年代から,観光キャンペーンや文化財保護法の施行を背景に,国内観光は日本らしさや伝統文化を新たな素材とするようになってきた.この結果,都市化の波から取り残された地域で,自地域の資源を活用して観光を誘致する取り組みがなされるようになった.<br><br>観光による地域振興については,住民意識や活動の影響など,地域内での展開に着目した研究が数多くあるが,本稿では,個別地域内での展開ではなく,実施地域間の関係に着目する.この関係を解明することは,類似の地域振興手法が広がっていく現象を理解し,その趨勢を把握する一つの糸口になると考える.本稿では,全国的に活用されている観光素材として,観光ひな祭りを取り上げ,地域同士の情報の伝播や広域的な関係が全国的展開をもたらした過程と,全国的展開へ向かう動きが収束した後における広域的な関係に焦点を当てる.<br><br>ここでは,観光ひな祭りの概要と地域間の関係を広く把握するために,全国的展開の核となった徳島県勝浦町,大分県日田市を中心とした12か所のひな祭り関係者に対する聞き取り調査(2017年3月~11月実施)に加え,69か所のひな祭り関係者に対するアンケート調査(同年10月実施,回収数40,回収率58.0%)を行った.<br><br><br><br>2.観光ひな祭りの概要<br><br>観光ひな祭りとは,家庭の習俗であったひな祭り・ひな人形を素材として,2~3月の特定の時期に,町内の軒先や公共施設に飾りつけをする観光イベントのことである.観光ひな祭りは,1990年代から2000年代にかけて全国的に広まり,筆者が把握しているだけでも130以上の地域で実施されている.特徴としては,2月の観光オフシーズンに合わせて開催される傾向にあるほか,ひな人形が地域内で調達可能であるため,必要な資金が少額で済むことや,住民を巻き込み,なかばボランティア的に開催できることが挙げられる.これらの特徴が,各地で類似のイベントが急速に広まることを後押ししたと考えられる.また,直接的には採算性に乏しいこともあり,観光振興だけでなく,地域内のコミュニティや住民のアイデンティティに対する効果も含めた目的をもって実施されている.<br><br><br><br>3.観光ひな祭りの全国的展開と交流形成<br><br>観光ひな祭りの広域的展開には,①形式の伝播,②開催手法の伝承,の二種類の過程が存在する.①形式の伝播は,他地域から「ひな人形を町に飾る」というアイデアを取り入れるが,自地域で開催する過程は手探りで行うというものである.②開催手法の伝承は,開催地域が先進地域とのネットワークやイベント成功への強い意識を持っている場合に,先進地域からイベントや組織の運営に関する助言を得た上で観光ひな祭りを始めるというものである.<br><br>これに加えて,送り手による働きかけが,観光ひな祭りの全国的展開に大きな役割を果たしたという面も見られる.九州のひなまつり広域振興協議会では,九州各地で,貴重なひな人形の一般公開を呼びかけるとともに,人形の鑑定やコーディネートを行っている.徳島県勝浦町では,ひな人形里親制度を通じて他地域にひな人形を提供することで,ひな祭りと強く結びついた背景を持たない地域での観光ひな祭りを実現させている.<br><br>全国的展開に向かう動きは,2010年以降飽和状態に達しており,その結果,地域間に競争が見られるようになっているが,観光ひな祭りを実施する各地域は,他地域を競合相手とは捉えておらず,ひな祭りサミットを開く等の手段を通じて,広域的な情報交換を行い,自らの独自性を出そうとしている.しかし,観光客のルートに即して連携しようとする動きはほとんどなく,年間のうちの同じ時期に行われている利点を活かしきれていないのが現状である.また,ひな祭りが同じ時期に行われることは,広域的連携の一つの障害となっており,これらの連携が持続的に深まっているとは言えない.<br><br> こうした結果を踏まえると,地域振興手法の全国的展開には,形式の伝播によるアイデアの入手と,開催手法の伝承があり,加えて送り手の働きかけが大きな役割を果たしていると言える.また,全国的展開が収束した後も,地域間関係は友好的であり,地域の独自性を出すために,さらなる情報交換が行われることになる.各イベントが地域の手探りで行われ,地域の特徴と深く結びついているために,他地域の模倣と認識されにくいことや,情報の送り手となる地域が,先進地域として認識されることを肯定的に捉える傾向にあることが背景にある.
著者
高橋 裕介 川久保 篤志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.66, 2007

<BR> I .はじめに<BR> 本発表でとりあげる神楽とは,能の影響を色濃く受けた演劇風の里神楽のことである.近世初頭に佐太神社(松江市)で成立した神能(演劇風神楽)は,徐々に伝播し現在では出雲はもちろん西日本全域で広く舞われている.1970年に行われた大阪万博,1975年の文化財保護法改正などを契機として,島根県では現在でも大きな盛り上がりを見せている.江戸時代における神楽は神職のものであったが,1871年(明治3年)に松江藩から神能演舞禁止令が出されると,担い手は農民へと移行し,その後今日まで農村を中心に伝承されてきた.しかし戦後,高度経済成長期を通じて農村社会は大きく変貌し,その影響は神楽社中にも及んだ.そこで今発表では,神楽社中の変化を農村社会の変化を関連付け分析を進めていく.<BR> II .対象地域と対象社中<BR> 研究対象地域は,島根県雲南市大東町である.大東町は松江市から南へ車で30分ほどの山間部に位置する.大東町ではかつて林業が盛んであったが,現在は兼業化が進み成人の多くがへ通勤している.<BR> 現在大東町には活動を行っている神楽社中5つある.神楽社中はおよそ10~20人で組織されており,平均年齢は50歳代である.主な活動としては,秋祭りで神楽奉納,各種イベントへの出演,また最近では神楽の演大会へのなども行っている.<BR> III .社中構成員の属性と神楽社中の変容<BR> 大内(2002)はイエ制度のもとにある戦後農村社会において,昭和ヒトケタ世代(世帯主),後継者,高齢者,女性という4つの社会層を確認し,昭和ヒトケタ世代はイエ制度のライフサイクルに従った最後の世代であり,後継者のライフコースはイエ制度から離れていったと述べた.筆者が,小河内社中の拠点とする下小河内集落において実施した神楽経験を中心としたライフヒストリー調査の分析によると,昭和ヒトケタ世代(第一世代),後継者世代(第二世代),さらにその次の第三世代という3つの異なるライフコースを確認することができた.神楽社中の活動のあり方は,どの世代を中心に社中が結成されているかに強い影響を受ける.小河内社中は,大正時代に結成された神楽社中で,その中心となっているのは,山上さん講に参加しているイエ出身のものである.しかし1980年代以降そのような枠組みは変化し,現在では集落外から社中に参加するものもいる.<BR> 本発表では小河内社中の社中員のライフヒストリー分析を中心に神楽社中の変容を述べていく.
著者
湯田 ミノリ
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.237, 2020 (Released:2020-03-30)

1.調査の目的フィンランドの小学校においては,地理は,生物,化学,物理,保健の内容が統合された科目「環境」(Ympäristöoppi)で,6年間学ぶ.この科目には,地理的な要素が多く含まれているが,どのような内容を教えているのか,そしてどのような地理的な教育の要素が含まれているのかを明らかにする.2.調査の概要 この研究を行うにあたり,フィンランドの学習指導要領に相当するナショナルコアカリキュラム,そしてこれまで刊行されている「環境」の教科書を調査するとともに,2019年11月に,フィンランド東部の都市ヨエンスーにある基礎教育学校において,授業内容に関して調査を行なった.3.「環境」の教育内容 2014年に新しくなったフィンランドのナショナルコアカリキュラム(OPH 2014)では,6年間で身につける教科横断的技能と,第1・2学年(以下,低学年)と第3—6学年(以下,中高学年)に分けて,その学年で身につけるべき価値観や態度,調査,作業スキル,そして知識と理解という面からの目的,そして,目的に関連する主な内容について説明がなされており,それぞれの項目の関係性がマトリックスで示される.特にコアカリキュラム内に書かれた主な内容の説明については,低・中高学年それぞれに大きく6つの内容があり,どれも様々な領域を含むものとなっている. フィンランドの学校教育の大きな特徴の一つに,内容は基本的に教科書に沿って行われているという点がある.そこで本研究では,「環境」の2種類の教科書を調査対象とし,授業内容の調査を行った.まず,低学年は,学校生活の中から,自分の行動や健康について考え,季節の移ろいから気候や動植物の種類,リサイクルのことや,人体については,部位の名称だけでなく,骨,脳や循環器,筋肉のこととあわせて健康についても学ぶ.地理に関連する内容としては,フィンランドの地形やこの国に住む人々について祝日から理解を深め,地図については部屋の見取り図や映画館の座席表から,上からの視点を身につけ,学校の周囲,地域そしてフィンランド全国の地図の読み方を学ぶ. 中高学年では,大気や水,火,摩擦,天体など,より物理や化学の分野の内容が多くなり,事象を学ぶだけでなく,安全や環境問題と結びつける単元がある.そして生物の進化や,人体の内臓や機能について継続的に学ぶ.そして地理関連の内容は,第3学年でフィンランド,第4学年で北欧諸国,バルト三国とバルト海について学ぶ.第5学年以降は,教科書により違いがあり,一つの教科書では,世界にある地域,主な山脈や緯度の違いによる気候や動植物の変化,ヨーロッパ地誌,そして第6学年でアジア,中東,アフリカ,南北アメリカとオーストラリア・オセアニアを扱う.他の教科書では,第5学年でヨーロッパとアメリカについて学び,さらに世界の時差と計算,緯度経度,GPSについて学ぶ.そして残りの世界の地域については,第6学年で学ぶ. 地図については,例えば第1学年の天気,第2学年の水や食糧,第3学年で植物の分布,低気圧,高気圧と風の発生,第4学年の渡り鳥の移動等の単元でも使われる.本研究は,JSPS科研費JP 17K01231の助成を受けたものです.文献Opetushallitus 2014. Perusopetuksen Opetussuunnitelman Perusteet 2014. Helsinki.
著者
三上 絢子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

<b>1、はじめに</b><br> 1946年2月2日、北緯30度線以南のトカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島は、日本政府から政治上・行政上、分離されて、アメリカ海軍軍政府の支配下に置かれた。鹿児島と奄美諸島との間の海上が境界線で閉ざされ、この「海上封鎖」で自由渡航も禁止、日本本土との交易は断絶した。海上封鎖が解禁され自由渡航が実現したのは、日本国とアメ リカ合衆国との間で、日本返還の締結が発効したことによって, 1953年12月25日に奄美諸島が1972年5月15日に沖縄が日本に返還されたことによる。<br>奄美において、1946年3月、軍政府は食糧問題について「食糧は、米食本位の考えは改めよ、補給はするが米の外に缶詰類、メリケン粉等を送る.」「一人一日2000カロリーは絶対に保障するであろう」と島民にメッセージを送った。放出食糧の配給価格も1946年6月当時から次第に値上りする。さらに配給基準量が半減し大人1人1日につき2000カロリーの基準は、実質的には1200カロリーから1400カロ リー となり、5月下旬には500カロリーと激減している。その結果、奄美においては食糧が不足することになった。<br> <b>2、研究目的</b><br> 食糧不足を補うために食糧生産を増加させる必要に迫られた。その1つの事例として、三方村大字有良集落は、農地は狭く三方が山に囲まれ耕地の少ない中で、条件の悪い山の耕地を使わなければならなかった。山の耕地での農産物は主食となる甘藷栽培で、大量の甘藷が生産されて名瀬の食糧不足を補っている。この事実から有良集落において、どのような生産過程であったか、どのようなルートによって、農産物が流通したかを明らかにしたい。<br> <b>3、結果</b><br> 有良集落の特徴は、藩政時代の黒糖生産に土地が狭いために集落を囲む東西の山は,背後から集落周辺まで砂糖黍耕作地であった。その土地の再活用に着手して、共同体のユイワクによって条件の悪い山の耕地において、大量の甘藷の生産を可能にしている。<br> その結果、名瀬の消費を目的に大量の農産物が生産され、カツギ屋や集落所有の板付け船によって、名瀬に運ばれ食料不足を補っている。<br>本研究によって、事実から有良集落において、食糧不足を補った農産物の生産過程と農産物が、有良集落と名瀬との間における流通の仕組みが明らかにされた。
著者
宮木 貞夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.9, pp.507-520, 1964
被引用文献数
7

軍事経済を支柱として発展した日本の資本主義体制では,土地利用の面でも軍事優先の原則は貫ぬかれ,工場用地に適した土地が軍用地として民間から隔離されていた.<br> 第2次大戦が終り,広大な軍事施設が解放され,これらは工場などに利用されつつある.日本では旧軍用地は国有財産として,大戦後の経済発展に寄与するように転換が行なわれた.関東地方における旧軍用地は約1,100口座, 430km<sup>2</sup>で,現在農地に44%, 公共施設に30%, 米軍に14%, 防衛庁に8%, 工場には4%が利用されている.<br> 首都防衛のため東京を中心に20~60kmの範囲内に軍用飛行場は38個所あり,これに演習場を加え,広範囲にわたり平担な地は大規模な工場の用地として最適で, 1950年以降転用が著しい.農地に転用された旧軍用地も工場化の傾向にあり,現在農地の33%が工場適地に指定されている.