著者
風間 規男
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.1-20, 2008-12

論説(Article)本稿は、政策の定義に考察を加えつつ、定義に適合した政策分析のアプローチを模索するものである。政策を参照コード(プログラム)と考え、その形成・実施過程を研究するアプローチを「ミクロレベルの政策分析」と名づけ、その可能性と限界について検討を加えた。次に、環境政策・福祉政策といった政策領域やその下位領域を政策ととらえて分析する「メゾレベルの政策分析」の可能性を探った。この分析アプローチを、プログラムの集合(政策レジーム)の観点から研究する立場と、ある政策問題をめぐる行為・相互作用が集積する場(政策空間)の観点から研究する立場に分けて、それぞれの困難性を指摘した。その上で、政策レジームと政策空間を橋渡しする役割を果たすアプローチとして、政策を関係が概念でとらえる必要性を主張し、政策ネットワーク論の有効性を論じた。
著者
松本 茂章
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.203-218, 2005-12

研究(Note)80 年代から90 年代初めにかけて、全国の自治体は競うように文化会館や文化ホールを建設した。政府による内需拡大の要求やバブル経済にともなう好景気などを背景に、「ハコモノ行政」が展開された。しかし、これらの施設は、海外や東京でつくられた芸術文化を紹介することにとどまりがちで、地域の芸術文化を創造し広めるという役割は、きわめて弱かった。東京の芸術文化を「上意下達」のスタイルで地域に伝えていく配給的機能は果たしたものの、地域文化育成にどれほど役立ったのかという疑問は、すでに多くの先行研究が指摘してきたところである。 上記の反省に加えて、依然として続く東京の経済文化両面の一極集中に対する強い危機感から、いくつかの自治体は近年、創造型の文化施設を設ける試みを始めた。地域アイデンティティの形成、回復を目指すことにより地域活性化を図る動きである。そのひとつの事例である京都芸術センターに注目してみた。 京都芸術センターは、京都市が2004 年4月に中京区内に開設した文化施設である。地方自治法上の「公の施設」ながら、特色ある運営システムを採用しているところが興味深い。その活動ぶりや運営実態を詳述することで、21 世紀の自治体文化政策を考える一助になると考えた。 本稿では、まず筆者の問題意識を明確にしたうえで、次に京都芸術センターの5年にわたる活動状況を振り返り、運営システムを解明していく。最後に、課題を整理して総括し、新時代の自治体文化政策のありようを浮かび上がらせる。
著者
浅野 健一
出版者
同志社大学
雑誌
評論・社会科学 (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.37-146, 2006-08

研究ノート(Note)
著者
松野 光範 横山 勝彦
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.49-62, 2011-03

論説(Article)2009年の本誌に、「昭和新山国際雪合戦大会」が、その実施の過程を通じて、まちづくりの中枢を担う人々の育成に寄与していること、およびその過程が、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)形成への寄与と、ソーシャル・イノベーションへのレディネスの強化につながっていることを報告した。今回は、コミュニティ・ガバナンスが、実際のまちづくりにどのように活かされているかの視点に立ち、2010年4月末に有珠郡壮瞥町を訪問し、ヒアリング調査を実施し、2009年12月に発表された「第4次壮瞥町まちづくり総合計画」を概観し、ソーシャル・キャピタルの形成につながるまちづくりとスポーツの関係性について検討を行った。そこで得られた知見は次の2点である。1点は、分析にあたっては、雪合戦大会実行委員会のリーダー層のみに注目するのではなく、これを支える多くの人たちについての検討が必要なことである。2点目は、健康政策においては、運動・栄養・休養という健康の3要素が政策として必ずしも統合されていないことである。これらについては、まちづくりとスポーツの関係性を検討する観点に包含して、研究を継続していきたい。2009, We reported that"Showa Shin-zan international Yukigassen" was the process to connect for reinforcement of the readiness to contribution to the social capital and the social innovation through a process of the enforcement. The end of April, 2010, We visited Sobetsuchou for a second time. We examined about community governance and "the 4th Total Town Planning in Sobetsu" in December, 2009 and the relationship of the making of Town Planning and sports to be connected for the formation of the social capital. Therefore the provided knowledge is two points of the next. One point does not pay attention to only the class of leaders of the Yukigassen executive committee in analysis, and examination about many people supporting this is that it is necessary. The second point is that 3 elements of the health called exercise / nourishment / the rest are not always unified as the healthy policy.
著者
松野 光範 横山 勝彦
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.49-60, 2009-07

論説(Article)本小論は、昭和新山国際雪合戦大会を事例にまちづくり政策について概観するとともに、マージナルスポーツの可能性について検討し、その上でソーシャル・キャピタルの形成につながるコミュニティ・ガバナンスによるまちづくりについて考察する。昭和新山国際雪合戦大会の取り組みは、農業・観光・商工業者・行政など様々な人たちが知恵を出し、汗をかいて感動という無形の価値を生み出す、地域固有のスポーツ創造の過程であり、住民総ぐるみによるスポーツイベントづくりといえる。このようなコミュニティ・ガバナンスによるまちづくりは、多様な価値観を持った町民間による新たな価値の創造の過程といってよく、従来のまちづくり政策を打開するソーシャルイノベーションへのレディネスの強化が見られるのである。This report takes examines the possibility of the community dvelopment by marginal sport like the Showashinzan International Yukigassen. The approach of the Showashinzan International Yukigassen shows wisdom by various people like agriculture, sightseeing, the commerce and industry person, and the administration, etc. , and is a process of a peculiar sports creation to the region. Moreover, it is a course when intangible value of impression is invented. The community governance is a process of the creation of new value between townsmen who have various sense of values.
著者
岡本 真希子
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.95-131, 2010-11

本稿では,日本の植民地統治下におかれた台湾在住者の政治参加要求をめぐる,植民地社会および本国における相剋の過程を検討する。対象は,1914〜1915年の間に台湾人の権利獲得を目的とした「台湾同化会」成立から壊滅までで,台湾人・内地人双方の動向を視野に入れ,とりわけ在台湾内地人(総督府および民間内地人)の動向を明らかにしながら,政治参加と民族問題,植民地統治体制の相関関係について考察する。
著者
西村 卓
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.668-650, 2012-03

論説(Article)鉄道は人が行き来する道をいくつも寸断し敷設されることから、当然そこには踏切施設が設置された。そのうちでも、往来の頻繁な箇所ではその踏切のそばに官舎を建て、番人を住まわせ、家族総出で踏切業務にあたらせた。明治9(1875)年7月に開通した大阪向日町間(のちに京都まで延伸)に設置された踏切のいくつかも有人の踏切であった。そのうちの1つ、京都府乙訓郡上植野村にある踏切番の官舎で、明治17(1884)年8月に強盗事件が発生した。この強盗事件は未解決のままであったが、この事件を通して、我々は村に鉄道という形で入り込んだ近代の1つの姿を垣間見ることができ、さらには、鉄道番官舎のあらまし、種々の盗品の内容から、その生活ぶりをうかがい知ることができた。また、日本に鉄道が敷設された当初、踏切は鉄道側にあったが、所収の見取り図によれば、踏切は道路側に設置されている様子である。この変化は、日本の近代化が、その急速な進行のなかで、生活に即した近代化から、近代化に即した生活への転換を象徴する1つの姿かもしれない。When the railways were built in the modern society, railway crossings were built on many points where tracks intersected roads. In particular, crossings with heavy traffic were manned by flagmen, who resided near the crossings. In 1875, the railway between Osaka city and Mukoumati town opened to traffic; it had many railway crossings, some of which were manned. In August 1884, there was a robbery at one of the crossings located in Kamiueno village, Otokuni country, Kyoto prefecture. We seek to identify the actual scene involving the flagman's house, his family, and the railway crossing through a sketch of the scene.
著者
小田切 明徳
出版者
同志社大学
雑誌
キリスト教社会問題研究 (ISSN:04503139)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.227-236, 2013-12

エッセイ(Essay)『北郷談』とは明治初期に岡山県出身の神官・葵川信近が著わしたものであり、江戸末から明治期の動乱にあってキリスト教を始めとする西洋文化の到来によりどう対応すべきかを述べたものである。私は70年代後半、このテーマに取り組んだが、その論文を振り返ると、葵川信近の奈良時代の経歴調べにおいて重大な誤認があることがわかり、驚き、再調査するため、奈良と岡山に出かけ、再考した。"Hokukyodan"is a work written in the early Meiji period by Aoigawa Nobuchika, a Shinto priest from Okayama Prefecture. It tells how to deal with the Western cultures like Christianity, introduced during the upheavals from the late Edo to the early Meiji era. Once I was engaged in this study in the late seventies. Having reexamined such papers, now I find my misunderstanding of his career in Nara. My surprise was so great and it led me to visit Nara and Okayama; to reconsider this theme.
著者
櫻井 利江
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.981-1027, 2009-07

論説Article国際法は集団が所属国家から分離独立する権利―分離権を明確には禁止せず、また認めてもいない。国際社会の実行からすれば、集団が一定の基準を満たしている場合に、最終的手段として分離権(救済的分離)が認められる可能性がある。コソボは独立宣言後、60カ国および1地域から国家として承認された。第三国によるコソボへの国家承認付与は国家主権平等原則に違反する。コソボ承認の適法性を主張する議論としては、実効性原則によるものと、分離権によるものがある。国際機構および諸国家のコソボへの対応が「獲得された主権」理論を参照したとするならば、それらの行為の法的根拠は分離権にあるとみることができる。なお、コソボ独立宣言の合法性に関しては、国際司法裁判所の勧告的意見が要請された。
著者
和田 応樹
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.635-690, 2011-03

研究ノート(Note)20世紀初頭に、イギリス軍最大の植民地インドにおいて、インド軍総司令官キッチナーにより大規模な軍制改革が行われた。彼はエジプト、スーダンや南アフリカなどの海外植民地で豊富な経験を積み、広い視野を持った歴戦の軍人であった。改革により、参謀制度などの新しいシステムが導入され、インド軍は近代的な軍隊へと変化した。その過程では、インド総督ミントーも重要な役割を果たし、改革は本国政府とインド政庁間のインド支配と密接に関わるものであり、そこからは帝国主義期イギリスの実相を垣間見ることができる。Lord Kitchener was one of the most famous national heroes during British Empire's era of imperialism. Kitchener's long experience of being "colonial officer" abroad gave him a much wider frame of reference. As an administrator, soldier, or reformer, in Egypt, Sudan, and South Africa, he approached his tasks in a unique fashion. After the Bore war, in particular, as the Commander-in-Chief in India, he proposed to reorganize the Army in India in order to answer the larger needs of the Empire. Moreover, he improved the Indian staff system to increase the efficiency of the army. The then Viceroy of India, Lord Minto, supported Kitchener's reforms. As a result of Kitchener–Minto Reform, the Indian army became a more efficient unit in the British Army, serving the Empire to the extent that it did during the Great War.
著者
藤原 享和
出版者
同志社大学
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.1-14, 2010-12

『万葉集』巻一五・三六八八番歌は、新羅への往路壱岐島で病死した遣新羅使(736年発遣)の一人雪連宅満を、「天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背」と詠う。白村江敗戦から70年以上を経、新羅が日本への朝貢外交を忌避しつつあった局面で、遣新羅使が敢えて「遠の朝廷」を使用した意識を考察。対新羅劣勢の中で逆に高まった新羅に対する強烈な支配意識の下に「都から遠方の天皇の支配地」の意で使用したと結論づけた。
著者
リクトマン アラン
出版者
同志社大学
雑誌
同志社アメリカ研究 (ISSN:04200918)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.27-33, 2001-03

アメリカ研究所・アメリカ研究科公開講演会, Lecture(In Conjunction with the Graduate School of American Studies)2000年12月18日、アメリカ研究所は、アメリカ研究科との共催でアメリカン大学のアラン・リクトマン教授の公開講演会を明徳館21番教室で開催した。リクトマン教授は、アメリカ大統領制やアメリカ政治史に関する多くの著書や論文があるが、代表的な著書や共著は、一番最近の著書であるThe Key to the White Houseのほか、The Thirteen Keys to the Presidency, Prejudice and the Old Politics: The Presidential Election of 1928, Historians and the Living Pastなどがある。同教授は、また、ABC、CBS、NBC、BBC、CNN、FOXなど、米国や諸外国のメディアでゲストとして発言を数多く行っている。クリントン大統領の弾劾裁判の最中は、CBSの顧問を勤めていた。下記の英文原稿が示すように、同教授の講演は、大接戦となったゴア - ブッシュ大統領選に関する大変示唆にとんだ内容となっている。
著者
肥前 洋一
出版者
同志社大学
雑誌
同志社商学 (ISSN:03872858)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.48-63, 2014-07

本論分では,投票率があらかじめ定められた水準を下回ると投票自体が無効になるというルール(いわゆる最低投票率)の影響に関して,経済学の分野でこれまで行われてきた理論研究を概観する。どの研究でも,最低投票率を課すことに否定的な結果が得られていることが明らかにされる。

2 0 0 0 OA ある満州体験

著者
大原 信一
出版者
同志社大学
雑誌
同志社外国文学研究 (ISSN:02862832)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.19-34, 1982-09-25
著者
北垣 宗治
出版者
同志社大学
雑誌
キリスト教社会問題研究 (ISSN:04503139)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.103-125, 2008-02

論説アメリカン・ボードの宣教師オーティス・ケーリ(Otis Cary,1851-1932)が自分の子供たちのために書いた自伝的手記を重点的に紹介する。故郷Foxboroにおける家庭環境、高校、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校、岡山と京都における宣教師時代を概観し、特に南北戦争の影響、新島襄との関係に着目しつつ、この手記の意義を論述した。