著者
藤原 秀夫
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
no.92, pp.1-39, 2011

歴史的には信用創造・貨幣創造モデルは部分的なモデルとして確かに存在していたし、テキストにもしばしば現れるが、従来の信用創造および貨幣創造の説明の本質的な弱点は、この部分的モデルがマクロの同時決定モデル(一般均衡モデル)にどのように結合されるのかという点を、不均衡調整過程も含めて全面的に明らかにしていないということであった。部分的な信用創造・貨幣創造モデルをマクロ信用創造一般均衡モデルへと展開していく上で、歴史的にみて、重要な方法の1つは、フィッシャー=フリードマンの貨幣乗数の定式化であった。多くのモデルがこれを踏襲している。もう1つは、預金供給に関して、民間銀行部門の預金需要への受動的行動態度を仮定する方法である。いずれも、貨幣供給の構成要素である預金供給がマクロ経済でどのように決定されるのかが、核心的な論点である。本稿では、部分的な信用創造・貨幣創造モデルを一般均衡モデルへと展開していく上で、基本的には、上記の2つの方法を検討している。これらの方法によって、部分的な信用創造・貨幣創造モデルを一般均衡モデルへと整合的に展開することは十分に可能であったが、部分的な信用創造モデルが持つ本源的預金と派生預金の区別を重視した展開は、民間銀行部門の預金供給に関する受動的な行動態度を仮定するモデルであった。多くの論者が、一方では部分的な信用創造モデルでは本源的預金と派生預金を区別しながら、他方、一般均衡モデルでは、フィッシャー=フリードマンの定式化に従って、派生預金供給のみとして、その代替的な方法を試みないことは、整合的な議論であるとはいえない。
著者
工藤 陽子
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学留学生別科紀要 (ISSN:13469789)
巻号頁・発行日
pp.47-61, 2001-12

これまでに同志社大学留学生別科でメインテキストとして使用されたことのある日本語教科書を,初級,中級,上級とレベルごとに2種類ずつ選び,その中に見られる外来語について若干の考察を試みた。その結果,初級のテキストと中級のテキストとでは,そこに見られる外来語中の基本外来語の占める割合にはあまり差はなく,上級のテキストになると,基本外来語の占める割合がかなり低くなり,動詞慣用句や,動詞との共起の点て注意すべきものも多く見られることがわかった。その一方で,上級のテキストにおいても,実際の日常会話などでよく耳にする外来語系ナ形容詞についてはほとんど見られず,こうした語をどのような形で授業の中で取り上げていくかを考えることも,今後の課題の一つである。
著者
轡田 竜蔵 永田 夏来 阿部 真大 松村 淳
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

この共同研究のねらいは、拠点都市圏から離れた地域(=30万人以上の規模の都市雇用圏の圏外)に創出されている新しいライフスタイルや公共性について、これをオンラインや移動の広域化によって、都市を超えた社会が形成されているという観点を軸にして、社会学的に考察することである。京都府北部地域の20-40代を対象とし、当該課題に関する参与観察・インタビュー・質問紙調査を行う。
著者
吉田 優子
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.[599]-616, 2009-03

論文(article)八重山諸島の石垣島、石垣市街の中でも字ごとに発音の違いが細分化されることが古謡の伝承と現地調査によってわかった。石垣市四箇字の方言を中心に、今、消滅しつつあるといわれるこの方言から中舌高母音/ï/がなくなりつつあることと四箇字のうち字登野城においては他の字では観察された[p]音から[h]音への弱化が起こっていないことがわかったのを説明する。同時に、市内中心部でも字ごとに違う発音の細分化が保たれた文化的、社会的背景を辿るのが本稿の目的である。四箇字の古謡「ユンタ」の由来を検討してみると、集合的に四箇字の、ではなく、四つそれぞれの字を発祥の地とするユンタがある。畑仕事中に掛け合いで歌われたという性質上、地域性を強く反映するものとみなして調べた結果、この比較的小さな区域内での発音のヴァリエーションを垣間見ることができた。Reported here are some recent changes of the pronunciation in the Ishigaki dialect along with their social and cultural background. This study is based on the recently collected set of data from the author's fieldwork, and on the diversity found in the way old folk songs are recorded in the four main villages. In the dialect of Ishigaki city centre high central vowel /i/ is disappearing and lenition of /p/ is observed. The accent varieties are diversified and preserved in tandem with the religious, farming and singing community.
著者
Sterling Adam N.
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.167-182, 2014-03

研究ノート・資料(Note)2012年11月に政治資金収支報告書への虚偽記載をめぐって民主党元代表の小沢一郎の無罪が確定した。このことは、政治とカネの実態を象徴するものであり、利益誘導政治を抜本的に改善すべく1994年に成立した政治改革が未だに効果を発揮しておらず、政治資金に対する規制がザル法であることを改めて明らかにした。本論文では、政治資金をめぐって日本の抱える問題を如何に解決するか、その示唆を得んがために、まず政治資金規正法の諸規制を概観する。そして、政治資金パーティーによる企業献金の抜け道や個人寄附の遅れといった問題に焦点を当て、寄附制限と公開規定が腐敗防止策として機能していないことを明らかにする。筆者は、日本の文化や日本独自の問題を考慮した上で、1998年にエアーズによって提唱されたDonation Booth制度に基づいた新たな規制のあり方が必要であると考える。
著者
本多 幸子
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.61-73, 2006-12
被引用文献数
1

この論文の主たる目的は、いわゆる熟年期--本論では、「第3ステージ」と呼ぶ--にさしかかった女性の自己実現をもたらす有力な契機ないし活動として、「社会起業」(social enterprise)の可能性(potentialities)を論じることである。 私自身、第3ステージを迎えているが、第2ステージの中途から、約10年にわたって主婦や高齢者層の「デジタル・ディバイドの解消」をミッションとし、そのミッションを出版や講座等の事業によって遂行していく団体を立ち上げ、現在はNPO(特定非営利活動法人)として運営している。その理事長を務めてきた経験からも、第3ステージにおける女性の自己実現の手段としての社会起業に一種の自信と期待を持っている。その自信と期待が独りよがりのものではなく、ある程度の普遍性を持つものであることを、事例調査の結果を踏まえつつ、論証しようとしたのが本論である。
著者
森山 拓也 Takuya Moriyama
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2020-03-21

本研究は、トルコで40年以上にわたり続く反原発運動の特徴や戦略を分析するとともに、環境運動がトルコの民主化過程において果たした役割を考察したものである。社会運動研究の枠組みを採用し、運動参加者の用いる表現など文化的側面にも注目して、運動のフレーミング戦略を分析した。反原発運動は自らを「自由と民主主義を求める運動」としてフレーミングし、運動スタイルの祝祭性や創造性を通じて、運動過程においても民主的空間を予示的政治として実現させていることを明らかにした。
著者
鰺坂 学 浅野 慎一 岩崎 信彦 杉本 久未子 西田 芳正 西村 雄郎 文 貞實 魁生 由美子
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

日本の大都市では2000年を画期として、長らく続いた人口の郊外化がおわり、人口が都心部に向かう都心回帰といわれる状況がみられる。その原因は、不況により都心地域の地価が下がり、オフィス需要が減少し、余った土地に大型のマンションが建てられ、新しい住民の居住が促進されたためである。本研究では、これらの人口の都心回帰により大阪市における地域社会の構造変容について調査分析を行った。特に都心区における新しい住民と古くから住んでいた住民との関係について、大阪市特有の地域住民組織である「地域振興会」(振興町会や連合振興町会)に焦点をあて、その連合会長らに面接調査を行った。結果として、新住民の地域振興会への参加は少なく、旧住民中心に運営されてきた振興町会の側も新住民への対応に苦慮していること、新旧住民間の交流やコミュニティの形成が課題となっていることが判明した。
著者
クロス ロバート
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.209-233, 2012-01

1947年のインド独立後の数十年間、インドにおけるドキュメンタリー映画製作は、ジャワハルラール・ネルー首相の国家建設プロジェクトの代名詞となった。ドキュメンタリー製作者は、製鋼所やダムなど当たり障りのない映画を作り、カースト制度や不可触賤民など議論を呼ぶテーマを避けてきた。その結果、インドにおけるドキュメンタリーは厳しく批判される分野となった。しかしながら、1980年以降、アナンド・パトワルダンらの若い映画製作者が、現代のインド社会が直面する差し迫った社会問題に関心を持つようになった。最近では、新興世代の、その多くがパトワルダンに影響を受けている映画製作者が、カースト制度や不可触賤民などのインドの負の側面を観察することに乗り出した。ラジェシュ・S. ジャラ(1970年生まれ)は、経済大国、現代インドが抱える社会的・文化的問題を調査し報道しようとする、若手監督世代の一人である。ジャラの受賞作品「火葬場の子供たち(2008)」は、インドの最も混雑する火葬場である、マニカーニカガットで死体を火葬させられるヴァラナシのドムのコミュニティの不可触賤民の子供たちの生活を描いている。本稿では、ジャラがどのようにして映画を製作するに至ったのかを考察し、無力なコミュニティについて記録することによって生じる道徳的含意を検討する。
著者
武蔵 勝宏
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-13, 2013-09

論説(Article)2007年7月の参議院選挙の結果、当時の政府与党は参議院での多数を失い、ねじれ国会のもとで、野党が強く反対するテロ特措法の延長問題に直面していた。米国を中心とする国際社会が「テロとの闘い」への日本の協力継続を強く求める中で、政府与党は、支援対象を海上補給活動に限定し、有効期限を1年間とする補給支援特措法案を提出するに至った。その背景には、テロ特措法のもとで海上自衛隊が実施していた給油がイラク戦争に転用されたとの疑惑が争点化し、集団的自衛権の行使による憲法違反との野党各党からの批判をかわす狙いがあった。また、参議院での派遣承認が得られるめどが立たないことから、法案からは国会承認規定も削除された。これに対し、野党各党は、参議院での逆転を利用して、衆議院段階から国政調査権の発動による給油疑惑の解明を強く求め、政府側からは補給活動の内容についての具体的な情報開示が小出しながらも相当程度に行われた。その結果、国会での法案修正には至らなかったものの、政府側の答弁を通じて間接給油先の使用目的の確認の徹底など、法執行段階で合法性を担保する運用を政府に確約させることにつながった。ねじれ国会という政治状況は、本来、与野党が合意形成を図る契機となるものである。政権交代を経て、与野党が安全保障政策に関する政権担当の経験を経た現在、日米同盟や国際平和協力などの安全保障政策をめぐって与野党が国益実現の観点から合意点を探しだす努力をすべきである。そのうえで、制服組の行き過ぎや大臣・内局による文民統制の不備があった場合には、党派を超えて国会が監視機能を発揮することが民主的統制の観点から求められているといえよう。
著者
松村 葵 Aoi Matsumura
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2019-03-22

本論文の目的は,体表から無侵襲に肩甲骨運動を推定する方法を確立すること,肩甲骨運動を拡大する運動介入としての肩甲骨エクササイズを明らかにすること,そのエクササイズが投球動作中の肩甲骨運動に与える即時的な効果を検討することとした.その結果,本研究で考案した推定方法によって肩甲骨姿勢の推定精度は向上した.また体幹運動をともなった肩甲骨エクササイズによって投球動作中の肩甲骨後傾運動が増加した.
著者
李 元重 Wonjung Lee
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2016-03-20

日本基督教会は1904年、大韓帝国で植民活動をしていた日本人を対象に伝道を開始した。1915年朝鮮中会を建設し、1941年日本基督教団朝鮮教区として他の在朝鮮日本人教会と合同するまで16前後の教会、約2,000人の信徒を有した。一部の例外を除いて朝鮮人に対する伝道や隣人愛の活動はできず、主に植民者の教会としての限界を乗り越えることはできなかった。敗戦後、日本人キリスト者は引き揚げたが、残した礼拝堂などは韓国教会の再建の土台の一部にもなった。
著者
孫 昊 Hao Sun
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2018

https://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB13056382/?lang=0
著者
伊狩 裕
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-47, 2006-08

カール・エーミール・フランツォース(1848-1904)は、今日ではもっぱら、東方ユダヤ人の世界を描いた、いわゆる「ゲットー作家」としてのみ知られ、『小ロシア人の文学』、『タラース・シェフチェンコ』等によって、ウクライナ人の文化、特にその文学を、当時、ドイツ語圏にむけて精力的に紹介していたことは知られていない。本稿では、ウクライナ民族の歴史と文学に対するフランツォースの深い理解と関心とを示すものとして、『小ロシア人の文学』、『タラース・シェフチェンコ』、そしてまた、フランツォース自身によるシェフチェンコの詩のドイツ語への翻訳を取りあげ、従来、もっぱら「ユダヤ」によってのみ論じられることの多かったフランツォース像を補正し、フランツォースの全体像を明らかにする。同時に、「フランツォースのウクライナ」は、「ユダヤ」による、「スラヴ」の「ゲルマン」への仲介であったが、それを初めて可能としたものとして、ガリツィアという空間の特質を取りあげる。Karl Emil Franzos (1848-1904), geboren in einer assimilierten jüdischen Familie in Galizien, ist heute nur als ein Schriftsteller vom jüdischen Ghetto in Galizien bekannt. Er war jedoch auch einer der wenigen Deutschen, der sich damals für die ukrainische Kultur interessierte, und schätzte insbesondere ihre Volkslieder und Literatur hoch. Dies lag u.a. daran, dass die ukrainische Sprache seine erste Sprache war und ihm die ukrainische Kultur von Kind auf sehr vertraut war. Eine Untersuchung der "Ukraine von Franzos" ist nicht nur für seine ganzheitliche Würdingung notwendig, sie bietet auch einen Zugang zum Verständnis der Spezifität Galiziens im 19. Jahrhundert. Franzos behandelte die ukrainische Literatur in "Die Literatur der Kleinrussen" und "Taras Szewczenko". Beide sind in der Sammlung "Vom Don zur Donau"(1889) enthalten. Im ersten Werk behandelte Franzos vor dem geschichtlichen Hintergrund der Ukrainer und ihres unglücklichen Schicksals die ukrainische Literatur vom 11. Jahrhundert bis in die 1880er Jahre. Im zweiten konzentrierte sich Franzos auf eine einzige Person, den Dichter Taras Szewczenko (1814-1861, auf Deutsch: Schewtchenko), und beschrieb, wie sich in ihm das ganze nationale Schicksal der Ukraine spiegelt. Die beiden Werke ergänzen sich also gegenseitig.5 Jahre nach dem "Taras Szevczenko" übersetzte Franzos ein Gedichte von Szewczenko, in dem dieser kurz vor seinem Tod seine Enttäuschung und Hoffnungslosigkeit ausdrückt. Szewczenko hatte in jüngerern Jahren auch zahlreiche provokative und hoffnungsvollere Gedichte verfasst. Dass Franzos gerade dieses Gedicht auswählte, übersetzte und mit dem Titel "Erwarte nichts!" versah, zeigt, wie sehr Franzos seine eigenen Gefühle darin gespiegelt sah.
著者
岩野 英夫
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.89-104, 1974-03-31

資料
著者
入江 さやか
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2011

Doshisha University