著者
新田 和央
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学歴史資料館館報
巻号頁・発行日
vol.14, pp.22-23, 2011

調査・研究報告本稿は同志社大学歴史資料館が購入した滝本坊関連書状の紹介を行うものである。本書状は安芸広島藩の家督相続に際し、相続を祝って滝本坊から広島藩の支藩であった備後三次藩の当主浅野長照へと送られた書状であることが明らかとなった。滝本坊は石清水八幡宮に属した男山四十八坊のひとつで、松花堂昭乗の出身坊として著名であるが、当該期の「瀧本坊」が誰であったのかは判然としない。しかし、大名家と石清水坊院との関係を捉える上で貴重な史料であると言える。
著者
伊狩 裕
出版者
同志社大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2003

数世紀にわたって国家を持つことのできなかったウクライナ人は、18世紀末のポーランド分割以降は、ハプスブルク帝国、ロシア帝国に分断され、それぞれの地域において、支配者の側から、「ルテニア人」、「小ロシア人」と呼ばれ、被抑圧者の立場におかれ、自らのアイデンティティを主張することも困難であった。19世紀を通じて、西欧諸国においても、ウクライナ民族の認知度は低かったのであるが、ガリツィア出身のユダヤ系ドイツ語作家カール・エーミール・フランツォースは、19世紀の後半、先駆的にウクライナの民族文化を高く評価し、ウクライナの民謡、文学を西側に向けて紹介している。しかし、20世紀を通じてもウクライナの民族と文化に対する西側の関心は低く、そのため、ウクライナ民族の歴史と文学とを紹介した『小ロシア人の文学』、今日でもウクライナの国民的詩人であるシェフチェンコについての評伝『タラース・シェフチェンコ』といったフランツォースの著作も、ウクライナ民族と運命をともにし、今日まで評価されることはなく、フランツォースは、もっぱら、東方ユダヤ人の世界を描いたゲットー作家とみなされている。今年度の研究においては、フランツォースの「ウクライナ」をとりあげ、ユダヤ系ゲットー作家という従来のフランツォース像を正すと同時に、ユダヤ人によるウクライナ文化のドイツ語圏への紹介という多文化間の交渉が、19世紀ガリツィアという空間を俟って初めて可能であったということを明らかにした。
著者
石井 久雄
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学留学生別科紀要 (ISSN:13469789)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-16, 2004-12

刑法は,1995平成7年に「表記の平易化」として改正されるまで,文語であり,歴史的仮名遣い,カタカナ表記であった。その改正前刑法の条文について,カタカナがどのような語・形態を書き表しているか,しらべた。カタカナは,異なりが51,延べが7744で全文字の39.28%である。その全部を整理し,出現頻度がおおきい15字を中心として,つかわれかたを報告する。この15字で,カタカナの延べの90%にいたる。1位「ノ」は97.4%が格助詞「の」をしるしたものである。以下,2位「ハ」は,係助詞「は」45.0%,接続詞「又は」40.9%,「若しくは」12.6%,3位「ヲ」にすべてが格助詞「を」,4位「ニ」は,95.4%が格助詞「に」,5位「ル」は,動詞「あり」およびそこから派生した形容動詞・助動詞などの連体形語尾73.2%,動詞・助動詞連体形摩き19.6%,6位「シ」は,動詞「す」連用形66.5%,動詞四段活用連用形語尾20.0%,7位「タ」は,97.8%が助動詞完了「たり」,8位「ス」は, 92.6%が動詞「す」活用形をしるし,カタカナそれぞれに,おおむねひとつの語・形態に集中している。こうした大要は改正後刑法と同様である。しかし,改正後のひらがな「る」がやはり出現順位5位でありながら,靡き85.8%という集中をみせていたのと,改正前の「ル」はことなる,といった内容のちがいがみられる。
著者
高木 繁光
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.43-68, 2011-08

論文(Article)ナボコフの小説『絶望』の主人公の私=他者の二重性は、無数の仮面による偽装を促す「死の欲動」の下で、たえず新たな役を演じながらコピーとしてスクリーン上に遍在する「映画俳優」的主体である。一方、ファスビンダーはこの映画化にあたって、撮影時の70年代ドイツ社会を、画一化された人間が増殖するファシズム時代に重ね合わせ、絶望の光のうちに残されるヘルマンの狂気に、均質化を免れる差異に基づく分身の可能性を見ていた。Das Doppelwesen Hermanns im Despair von Nabokov steht unter der Wirkung des Todestriebs und konstituiert sich als maskenhaftes Wesen, das sich immer wieder verstellt wie „Filmschauspieler", der als Kopie auf Leinwänden anwesend ist. Fassbinder hat bei der Verfilmung von Despair mit der Zeit des Nazismus auf die politische Situation Deutschlands in 70er Jahren angespielt. Hermann bleibt im Licht der Verzweiflung, aber damit entkommt er auch dem Einebnungsprozeß des Faschismus. Er bleibt immer auf der Suche nach dem Doppelgänger, der nicht auf „sameness", sondern auf Differenz beruht.
著者
石井 久雄
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学留学生別科紀要 (ISSN:13469789)
巻号頁・発行日
pp.3-16, 2001-12

現代の統制がとれた表記のもとでは,ひらがなは,表音文字であるにもかかわらず,特別の語・形態と関係することもあると予想される。それを確認すべく,2000年1年間の朝日新聞社説の全文にあたった。出現頻度がおおきいひらがな14字は,累積でひらがな延べ約398千字の73%,文字全体延べ約776千字の32%をしめる。その1/100を抽出して整理し,次の結果をえた。出現順位1位のひらがな「の」は82.4%が格助詞「の」を表し,以下,4位「に」は80.4%が格助詞「に」,5位「を」はすべてが格助詞「を」,7位「は」は95.9%が副助詞「は」,8位「た」は72.6%が助動詞「た」,10位「が」は90.1%が格助詞「が」,12位「て」は88.4%が接続助詞「て」を,それぞれ表している。文法的要素との関係がこいのが特徴的である。語・形態は,どのように設定するのが適切であるか,かなの観点からかんがえる必要もある。すなわち,語・形態の設定によって,次の結果もえられる。3位「る」はほとんどが動詞・助動詞活用語尾,その2/3は靡き,9位「と」は2/3が助詞,11位「し」は2/3以上が動詞の活用語尾,13位「で」ははとんどが文法的部分,その1/2は格助詞「で」を表す。特別の語・形態とはむすびつきがよわいものがある。2位「い」は1/5が補助動詞「いる」,2/5が形容詞系統活用語尾,6位「な」は1/3が形容詞・助動詞「ない」,1/4が形容動詞・助動詞「だ」活用語尾,14位「か」は1/4が助詞「から」,1/5が助詞「か」を,それぞれ表すが,他の語・形態はさらにすくない。
著者
植木 朝子
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

中世前期の今様、および中世後期の小歌を取り上げて、同時代の絵画・意匠と比較検討し、それぞれの歌謡の持つ特質を明らかにした。また、意匠・文様の背景にある歌謡の詞章を丁寧に読み解くことで、当該の意匠・文様にどのような意味が込められているのかを考察した。
著者
廣安 知之 三木 光範
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

インタラクティブGA(interactive Genetic Algorithm : iGA)は,GAの評価部分を人間が評価することにより,人間の感性や嗜好といった数量化できない問題に対応することが可能である.本研究では,これまで単一目的のモデルとして定式化されてきたiGAに対して多目的モデルを提案し,多目的モデルに拡張する際の問題点の整理,検討,システム構築を行うことを目的とした.これにより,よりユーザーの嗜好に沿った解選択が可能となる.
著者
伊狩 裕
出版者
同志社大学
雑誌
萌芽的研究
巻号頁・発行日
1999

今年度も、昨年度に引き続き、ガリツィアに生まれた同化ユダヤ人作家カール、エーミール、フランツォース(Karl Emil Franzos 1848-1904)を対象としたが、今年度は特に19世紀後半のドイツの法学者イェーリング(Rudolf von Jhering 1818-1892)とフランツォースとの関わりを、論文「権利のための闘争カール、エーミール、フランツォース試論(2)」において明らかにすることができた。フランツォースは、1867年ウィーン大学に入学し法律学を専攻するが、その翌年、ギーセンのローマ法教授イェーリングが、オーストリア帝国法務大臣アントン・ヒュエによって招聘されウィーンへやって来る。19世紀後半のドイツにおける法思想の主流はサヴィニーの歴史法学であったが、イェーリングはそれに対して異を唱えた人物であった。すなわち、サヴィニーの歴史法学が民族性に法の根拠を見出していたのに対してイェーリングは、ローマ法の研究を通じて普遍性に法の根拠を見定めていたのであった。同化ユダヤ人として幼い頃から啓蒙主義の中で育てられてきたフランツォースがイェーリングに傾倒していったのは当然の成り行きであった。1872年3月イェーリングはウィーンの法律家協会における講演「権利のための闘争」を置き土産にゲッティンゲンへ去る。方フランツォースは同じ年、あれほど心酔し、生涯を捧げる決意していた法学を断念し大学を去り、作家活動に入ってゆく。フランツォースが法学を断念したのは、彼がユダヤ人であったことと、おまけにブルシェンシャフトでの活動が公職に就くことが困難としたからであった。この年の秋イェーリングの講演は『権利のための闘争』として刊行され、この書によってフランツォースは「権利/法の神聖」を強く確信し、10年後、小説『権利のための闘争』(1882年)を書かせるきっかけとなったのであった。
著者
高木 繁光 諫早 勇一 松本 賢一 メーリニコワ イリーナ 銭 〓 大平 陽一 宮崎 克裕
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、文学作品ではナボコフの小説『絶望』、ドストエフスキイの小説『おかしな男の夢』、マラルメの『イジチュール』、中国の『紅楼夢』を、映像関係ではアレクセイ・ゲルマンなど50年代のソ連社会を舞台とした近年のロシア映画、エイゼンシュテインの映画理論、30年代から50年代のドイツ映画と親近性をもつ近いマキノ雅弘作品などを主たる分析対象として、各研究者がそれぞれの分野で、「二重世界」、「二重文化性」、「二重の知覚」といった二重性を生きる分身的主体のあり方について考察したものである。ここで分身的主体とは、ジギルとハイドのような<病的>現象としてではなく、あれでもありこれでもあるという複数的存在様態を肯定してゆく創造的エネルギーを備えたものとして捉えられている。あれかこれかという単一的世界像の見直しを促すこのような分身テーマは、複製技術時代における文学と思想と映像の相互関係を理解する上できわめて有効な手掛かりとなりうるものである。
著者
空閑 浩人
出版者
同志社大学
雑誌
評論・社会科学 (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.19-47, 2006-11

論文(Article)今日、人口の高齢化が進行するなか、一人暮らしの高齢者や夫婦のみの高齢者世帯が、地域のなかで近隣との接触も薄く、また周囲にうまく助けを求められないなど、社会的に孤立化しているという実態がある。筆者は二〇〇六年九月にオランダ・レオワルデン(Leeuwarden)市を訪れる機会を与えられ、そこで高齢者の社会的孤立の防止に力を入れているSWOL(Stichting Welzijn Ouderen Leeuwarden)という法人を訪問した。SWOLによる様々な社会的孤立防止プロジェクトは、ソーシャルワーカーやボランティアによる孤立しがちな高齢者への訪問やかかわり、また住民同士の社会的なつながりやネットワークの形成のために、地域住民が集まって話し合う場や機会づくりの活動である。すなわち、それらは高齢者の「自立支援」のために、多様なかたちでの「社会的接触」の機会を保障する活動として具体化されている。また、このような個々人の自立を支援する取り組みは、「地域の自立」や「コミュニティの自立」とでもいうような、住民主体の地域やコミュニティの形成にもつながっている。「自立すること」は「孤立すること」とは異なる。そして、「自立させる」ことは「孤立させる」ことではないのである。日本における高齢者の社会的孤立の背景には、地域における人間関係の希薄化が挙げられる。そして、日本のソーシャルワークには、高齢者に社会的接触の機会を保障し、住民同士のつながりと、それを通して人々の「居場所」を社会的にどう作るのかということを、見出していかなければならない。そのためには、ソーシャルワーカーが自ら地域に出向き、訪問する「アウトリーチ」と「問題・ニーズの発見」という役割が重要であり、日々の地道な活動が求められる。Today, while the aging of the population progresses, elderly people of living by oneself and married couple's elderly household are in danger of being isolated socially. They have rarely contact with the neighborhood and can't ask someone for help. In September, 2006, I visited the SWOL (Stichting Welzijn Ouderen Leeuwarden), which is grappling with the problem of social isolation of elderly people in Leeuwarden City, Netherlands. SWOL has various projects to prevent the social isolation of elderly people. SWOL does activities to give various opportunities for "social contact" to elderly people, for the purpose of "support for independent of them". And, the activities to support for independence of individuals is connected with, so to speak, "the independence of the area" and "the independence of the community". "That someone should become independent" is different from "that person is isolated". Then, "making someone to become independent" is not "making the person to become isolated." Weakening of the human relations in the area, is shown as the background of the social isolation of elderly people in Japan. Then, any opportunities for social contact must be prepared for the elderly people. We must find how make the inhabitants' connection in the area by the inhabitants' power and activities, that is for example volunteer activities. For this purpose, the role of "reaching out for elderly people", "the discovery of the problem and needs", and "making inhabitants active", become very important roles for a social worker. Therefore, social workers must keep going to the area, keep visiting to elderly people, and keep being concerned.
著者
平 弥悠紀
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学留学生別科紀要 (ISSN:13469789)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.17-29, 2004-12

天沼寧編『擬音語・擬態語辞典』(1974〔昭和49〕年,東京堂出版)に収録されている音象徴語を,A型,AB型,AR型の三つに分けて,擬態語がどのようなタイプの語に多く用いられているのかを擬音語と比較した。型別に見ると,A型は音象徴語全体の中でも少数である上に,特に擬態語は少ない。A型の中では,擬態語では「Aッ」,擬音語では「AーAー」タイプが最も多かった。AB型では,「ABAB」タイプは,擬態語,擬音語ともに最も多く用いられている。特徴的であるのは「AッBリ,AンBリ」タイプの語で,擬態語としての用法がほとんどであった。AR型においても,擬態語,擬音語ともに。「ARAR」タイプが一番多かった。AR型で特徴的なのは,「リ」の添加されたタイプはほとんどが擬態語として用いられており,擬音語としてはあまり見られないことである。全ての擬態語,擬音語について見ると,擬態語としても擬音語としても1位は「ABAB」タイプで,4位に「ARAR」タイプが入っている。2拍語基の重複型は,擬態語,擬音語を問わず,全ての音象徴語の代表的なタイプであると言える。擬態語の上位にA型のタイプは少なく,一方,擬音語では6位から10位はすべてA型である。擬態語の第3位の「AッBリ」,8位の「ARリ」は,擬音語としてはほとんど用いられていなかった。また,語末の音については,「リ」は擬態語に多く,撥音は擬音語に多く見られた。用例数は少ないが,引き音節についても,擬態語に少なく,擬音語に多かった。
著者
鈴木 智也
出版者
同志社大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2006

自然界には多数の要素が相互作用し,複雑な現象を生み出す力学系が多く存在する.近年,観測技術の向上により,メカニズムに関与する要素の振る舞いを同時に観測することが可能になってきた.しかし,膨大な情報から有用な情報を引き出すには,効率の良い解析手法を考える必要がある。本研究において,観測データのみから,元のシステムを構成するネットワーク構造を捉える解析手法を提案してきた.提案手法の性能を評価する実験では,数理モデルを用いて多面的に分析を行った.例えば,結合写像力学系や神経回路網モデルなどを構成し,時間発展させることにより時系列データを観測する.その観測データのみを用いて,元のネットワークの構造を推定し,その推定精度をもって提案手法の性能を評価した.また,実験に用いたネットワークのトポロジーとして,近年注目を浴びているSmall-WorldネットワークやScale-freeネットワークを生成し,複雑ネッ.トワーク科学により得られた知見を本研究に積極的に取り入れた.さらに応用研究として,ネットワーク構造を活かしたシステムの振舞いの予測法や,ブートストラップ法を予測法と組み合わせることにより,少数データでも高い予測精度を維持する手法などの検討も行っている.
著者
脇田 里子
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学留学生別科紀要 (ISSN:13469789)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.117-129, 2005-12

同志社大学では多岐にわたる留学生支援策を講じている。2004年度秋学期より留学生別科の今出川キャンパスヘの移転を機に,「留学生別科生と日本人学生の交流会」を催し始めた。交流会を開くことにした経緯と意義を示し,開催の手続き,会の実施について述べる。交流会の内容は,前半が有志学生によるスピーチやプレゼンテーションなどの発表,後半が参加者全員の交流である。各回とも交流会は盛況であったが,改善すべき点も残る。交流会の課題のひとつは,別科生の参加者数が伸び悩んでいることである。交流会に参加して楽しかった,また,交流会に参加したいと思われるように,交流内容については検討の余地がある。例えば,発表と全体交流の時間配分は,全体交流の時間をもっと確保するよう努めたい。そこで,発表内容はより気楽に楽しめるものへと変更を試みている。また,発表の機会を日本人学生にも与えて,別科生にメッセージを発信してもらうことを続けたい。さらに,国際センターラウンジの積極的な活用による日常的な交流の促進と,将来,学生主体による交流会の実施を期待したい。今後も交流会が日本人学生と別科生の交流のきっかけの一つになってほしい。
著者
小林 耕太 飛龍 志津子 宮坂 知宏 古山 貴文 玉井 湧太
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究の目的は近赤外光刺激を利用した次世代人工内耳を開発することである。従来型の人工内耳は電気的に聴神経を刺激するため、聴覚末梢器官である蝸牛に電極アレイを挿入する外科手術を必要とする。本計画では非接触で神経活動を引き起こさせる手法である、赤外光により熱的に細胞を刺激する手法を人工内耳に応用し、神経活動を非接触で誘発し、聴力を再建(または補助)する手法の開発を目指す。具体的には、動物実験により光刺激が再建可能な知覚内容を検討するとともに、装置を長期装用した場合の生体への影響(安全性)を評価する。また、主にヒトを対象として装着方法および言語知覚を再建するための刺激アルゴリズムを検討する。
著者
竹内 幸絵
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

テレビCM放映は1953(昭和28)年に始まったが、「昭和30年代」に入った当初は戦前からの技術的・人的蓄積があったグラフィック広告界が隆盛し、テレビCM界の地位は低かった。しかし当該10年の後半に至って広告メディアとしての両者の社会的地位は転倒する。この現象は、テレビCMを中心に起きた「見て理解する」から「感覚的に受け入れる」への視覚性の画期であったと思われる。本研究は今日の視覚メディアの原点としても重要な本現象を、大量の実広告資料、関係者の聞き取り、雑誌などの周辺資料をもとに多角的な視座から検証し解明を目指す。同時に成果をもとに、メディアの視覚性を歴史認識に取り込む方法論の構築を検討する。
著者
堤 浩之 松四 雄騎
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

実体視可能な衛星画像や地形陰影図の判読により,ヒマラヤ衝突帯西縁に位置するアフガニスタンの活断層分布図とカタログを作成した.それと既存の地質・地球物理データを組み合わせて,アフガニスタンの地体構造区を提案した.さらに,断層変位した河成段丘面の宇宙線生成核種年代測定から,長大な左横ずれ断層であるチャマン断層のカブール盆地西縁での変位速度を4-5mm/yrと算出した.また最後の大地震から500年以上が経過しているカブール近傍の活断層が,M7以上の大地震を発生させる可能性が高いことを明らかにした.
著者
木谷 佳楠
出版者
同志社大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2011

本研究はアメリカの映画史を宗教の観点から研究調査するものである。日本においては様々なアメリカ文化が流入しており、我々の目から見れば、アメリカは諸外国の中でも最も親しみを感じる国かもしれない。しかしながら、我々は知っているようで実はアメリカの核心は知り得ていない。その核心とは、人種と宗教との関係性を考慮に入れない限り知り得ないものである。ビュー・リサーチ・サンターによって2010年に行われた世論調査によると、アメリカ人の41%は2050年までにイエスが再臨し、終末が訪れると信じているのである。しかも、同調査では白人の福音派の人々の58%が差し迫った終末の訪れを信じているという結果が出ている。この終末思想は世俗の文化であると見なされているアメリカ映画にも影響を及ぼし、これまで数々の終末を描いたディザスター映画の制作に寄与している。他にもアメリカン・ヒーロー像をよく観察すると、その特徴はイエス・キリストをモデルとしていることが分かる。例えばヒーローは、ひとりで戦い、彼は人間でありつつも超人であり、映画の後半で一度は痛めつけられるが再び復活して敵を倒す、などの特徴が挙げられる。アメリカ映画の中にキリスト教的要素を見つけることができるのは、そもそもハリウッド映画業界がユダヤ人によって形成されたところに端を発している。キリスト教徒たちから不道徳な文化を社会に発信していると非難を受けたユダヤ人映画製作者たちは、やがて1930年代よりキリスト教を映画という文化を守るための盾として用いるようになるのである。このように、映画は単なる娯楽文化のようであって、その実は宗教と人種の問題と密接に関わっているものなのである。本研究はその関係性を明らかにするものであり、特に本年度はキリスト教福音派の人々が持つ終末観がいかにアメリカの映画表象に影響を及ぼしているのかということを明らかにするため、1970年以降から2010年までの映画についての調査を行った。