著者
V・L カーペンター 四宮 俊之 神田 健策 黄 孝春
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

りんごを事例にして農産物の生産販売における知的財産の活用に不可欠な育成者権(特許)と商標権の管理運営・保護に関わる諸課題を考察し、その商標権に基づく商標使用ライセンス契約等による一貫した新しい生産と販売の試みを検討した。また、知的財産(商標権)活用の先駆者となったピンクレディー(品種名:クリプス・ピンク)管理・運営の「クラブ」システムの展開と実態を調査した。
著者
上條 信彦 宇田津 徹朗 高瀬 克範 田中 克典 田崎 博之 米田 穣 石川 隆二
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

東日本を中心とする遺跡出土イネ種子の形態・DNA分析、炭素窒素安定同位体比分析を通じて品種の歴史的展開の時期や内容を明らかにした。また、稲作の導入期にあたる岩木山麓の弥生時代前半期の遺跡発掘調査を実施した。その結果、東北で最古の水田跡が見つかっている砂沢遺跡において微細土壌分析による水田の形成過程および集落の南限が明らかになった。また清水森西遺跡において弥生時代前期の砂沢遺跡と中期中葉の垂柳遺跡の間の時期にあたる稲作集落が検出された。電子顕微鏡・X線CT観察による土器のイネ種子圧痕を検出した。以上よりこれまで不明瞭だった前期から中期の大規模水稲農耕への変遷モデルを作成可能となった。
著者
石橋 恭之 木村 由佳 佐々木 英嗣 千葉 大輔 石橋 恭太
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2022-04-01

本研究の目的は、再生誘導医薬(HMGB1ペプチド)を用いて関節内組織修復を促進する新たな治療戦略を開発することである。関節軟骨は一度損傷すると自然治癒困難と考えられているが、HMGB1ペプチドにより関節内に間葉系幹細胞誘導することで組織修復を促進することが可能となる。このような治療戦略は従来の再生医療とは異なるコンセプトであり、関節軟骨のみならず、半月板や靱帯修復に応用できる可能性を含んでいる。
著者
今井 民子 笹森 建英
出版者
弘前大学
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.29-53, 1991-10

ヴァイオリン音楽の発展を可能にした背景には,17世紀から18世紀の楽器製作の改良,演奏技術の確立があった。この論文では,先ず楽器製作の変遷を概観する。この時代の演奏技術の確立を把握する上で重要なのは,器楽形式の発展と,一連の技法書の出版,技巧を駆使して葵すカブリスの類の作品の出現である。レオボルト・モーツァルトMozart, Johann GeorgLeopoldやジェミニア一二Geminiani,FrancescoSverioの奏法に関する著書,ロカテッリLocatelli,PietroAntonioのカブリスは重要な役割をはたした。この論文では,彼らによって掲示された技法を具体的に考察する。20世紀,特に1945年以降は,音楽様式,演奏法が画期的な変貌を遂げた。その技法上の特質を明らかにする.これらを踏まえて,音楽文化が新芽し,形成され,さらに発展,変遷していく過程に教育書がどのような役割を果たすのかについても検証する。
著者
彌永 信美
出版者
弘前大学
雑誌
弘前大学國史研究 (ISSN:02874318)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.17-41, 1999-03
著者
関根 達人 榎森 進 菊池 勇夫 中村 和之 北野 信彦 深澤 百合子 谷川 章雄 藤澤 良祐 朽木 量 長谷川 成一 奈良 貴史
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

中世・近世の多様な考古資料と文献史料の両方から、津軽海峡・宗谷海峡を越えたヒトとモノの移動の実態を明らかにすることで、歴史上、「蝦夷地」と呼ばれた北海道・サハリン・千島地域へ和人がいつ、いかなる形で進出したかを解明した。その上で、「蝦夷地」が政治的・経済的に内国化されていくプロセスを詳らかにし、そうした和人や日本製品の蝦夷地進出が、アイヌ文化の形成と変容にどのような影響を与えたか考察を行った。
著者
山田 史生
出版者
弘前大学
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.11-37, 2001-03

『臨済録』中随一の崎人「普化」の行蔵に就いて若干の考察を試みる。
著者
高橋 晋一
出版者
弘前大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1993

函館の華僑社会は現在32世帯からなっているが、国内の他の華僑社会に比べると規模が小さい。華僑は多くの場合、移住地においてチャイナタウンを形成し、そこに集住する傾向にあるが(例えば横浜や長崎)、函館の場合、華僑はチャイナタウンを形成せず、市内全域に分散して居住している。これは華僑の人数が少なかったこと、函館華僑のほとんどが行商を主な業とする福建省福清県の出身者であったことなどによるものであろう。現在、函館華僑が出身地である中国本土からもたらした伝統的な文化は大きく変化している-すなわち日本化の一途をたどっている。現在、函館華僑社会において行われている主な中国の伝統行事としては、4月の清明節、関帝の誕生祭(6月)、8月の中元節がある。清明節および中元節には、中国人墓地に集まって祖先供養の儀礼を行い、その後みんなで会食をする。これらの行事は華僑一世を中心に行われており、二世・三世といった若い世代の人は関心が薄く、参加率はあまり高くない。また儀礼は僧侶を呼んで仏教式に行うなど、儀礼内容の日本化が著しい。かろうじて紙銭を焼く風習、参拝方法などに中国方式をとどめている。このように伝統文化を失いつつある函館華僑社会では、「中国人」としてのエスニック・アイデンティティは特に若い世代で急激に薄れている。一世の人達は、中国語を話し、大陸に里返りするなど、中国とのつながりを失っていないが、二世、三世になると大きく価値観が違う。例えば一世は、華僑同志結婚するのが望ましいと考えているが、二世、三世ではそのような意識は低い。伝統行事も次第に形式化しつつある。このような世代間のギャップを超えて自分達の文化を改めて見直し、継承・創造していく道を見いだすことが、今後の函館華僑社会の大きな課題となっていくるものと思われる。
著者
北原 啓司
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

前年度の先進事例の実態調査を受け、平成16年度には、大きく3つのアンケート調査を実施している。一つは東北地方に存在するすべての都市の都市計画担当者を対象とした、コンパクトシティ戦略および街なか居住施策に対するアンケートである。10万人以下の都市においては、依然として郊外拡大が継続されており、また、農業従事者による農地転用要求により、街なか居住施策の有効性が担保できない状況が明らかになった。また、10万人以上の都市においては、住宅マスタープランや中心市街地活性化基本計画と連動する形で、コンパクトな都市計画マスタープランが策定されてはいるものの、具体的な街なか居住施策がとられている自治体は非常に少なく、掲げる目標と実際の施策との整合性があまりとれていない現状がある。一方で、昭和40〜50年代に郊外に住宅地を求めた世帯の今後の住み替え需要と、街なか居住施策との関連性を探る目的で、現在、都市計画マスタープランにおいて、コンパクトなまちづくりを目指す八戸市郊外の住宅団地を対象とした住民アンケート調査を実施している。アンケートの冒頭では、特に将来的な危惧を抱いておらず住み替えをほとんど意識していない回答が大半であるものの、質問項目が進んで行くにつれて、将来に対する不安が増大していくこととなり、街なかの集合住宅居住を希望するものの、現在所有する住宅をどのような形で処分していくかが未知数であるために、現実的に住み替えを志向できない状況が明らかになった。また、郊外の市営住宅居住者に対して実施したアンケート調査に於いては、街なかの公営住宅の必要性と家賃との関連性についての意識を問うている。しかし、特に郊外の市営住宅階層は、長期的な居住を続ける高齢者層が多く、そのような郊外居住者の住み替え需要よりも、結婚や転勤等により新たに登場する若年層の需要に対応した公共住宅供給の必要性が明らかになった。
著者
鍵谷 昭文 齋藤 良治
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

性ホルモン投与における中枢神経系の形態の変化を主にゴナドトロピン分泌を調節するLH-RHニューロンのシナプス可塑性の変化から検討することを目的として、性機能の推移や性差に伴う視床下部、特に視索前野と弓状核領域のLH-RHニューロンおよびグリア数とその分布状況、軸索樹状突起シナプス数、軸索細胞体シナプス数やその変化などについて電子顕微鏡を用いて超微形態学的研究をおこなった。今回の補助金により、電顕材料を計画的に作成するとともに、免疫組織学的検索をおこなうことができた。各性周期のラットおよび卵巣摘除後、さらにエストロゲン投与後に潅流固定を実施し、脳組織を摘出した。脳の検索部位についてLH-RH免疫組織化学的検討を実施した。透過型電子顕微鏡を用いてLH-RH免疫組織陽性細胞とLH-RHニューロンについての超微形態学的変化の検討をおこなった。双極性のLH-RH免疫組織陽性細胞はラット視索前野を含め視床下部に比較的広く分布していたが、視索前野および弓状核のLH-RHニューロンはドパミンニューロンやGABAニューロンなどともお互いにシナプス結合していることが判明し、この部位は生殖内分泌学的には極めて重要な中枢部位と考えられた。性周期の各時間では、弓状核および視索前野における軸索細胞体シナプス数には変動がみられ、PROSTRUSの時期が最も多く、次いでDIESTRUS,METESTRUS,ESTRUSの順であった。しかし、性周期に伴う変化は軸索樹状突起シナプスではみられなかった。一方、卵巣摘出後のラットでは軸索細胞体シナプス数は減少し、特にEstradiol投与後では平均28.8%の減少がみられたが、この減少は経時的に回復する傾向が認められた。このように、エストロゲンはラット視索前野および弓状核のLH-RH免疫陽性軸索細胞体シナプス数の変化に大きな影響を及ぼしていることが明らかとなった。
著者
山田 嚴子 小山 隆秀 渡辺 麻里子 小池 淳一 原 克昭 羽渕 一代
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究は東北の巫者が近代以降の新たな制度に対応してゆく過程で、在来の「知識」をどのように再配置し、地域住民とともに新たな宗教的実践を再構築してきたのか、そのプロセスを問うものである。一関市大乗寺については、映像資料を作成し、祭文、経典については、録音、翻字を行う。また恐山円通寺については、もと小川原湖民俗博物館旧蔵資料で、現在は青森県立郷土館に寄贈されている文書類の翻刻と、文書の収集の背景の聞き取りを行う。量的調査は青森県、岩手県と比較のために東京都で質問紙調査を行う。研究成果は報告書を作成し、弘前大学地域未来創生センターや青森県立郷土館のwebページなどでも発信してゆく。
著者
鳥飼 宏之
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

爆薬で形成された爆風を用いて消火を行う方法を爆風消火という.本研究では,爆風消火を地震後の同時多発火災や広域林野火災のような通常消防では消火困難な火災に対する強力な減災手段として利用することを考え,その消火特性を微小爆薬を用いた爆風消火実験から明らかにする.特に爆薬を空中起爆した場合,地上では反射衝撃波が形成されるため,地面直上で爆薬を起爆するより火炎の消火効果が高くなる可能性がある.更に,光学的な流れの可視化手法と高速度カメラを用いて空中起爆による爆風消火の消火機構を解明する.最終的には,空中起爆による爆風消火の消火範囲を予測可能とするスケール則を明らかにする.
著者
石山 晃子
出版者
弘前大学
巻号頁・発行日
pp.1-167, 2014-03-20

本論文は、現在の青森県域に相当する、弘前、八戸、盛岡の各藩領域、すなわち近世北奥地域における造船界の動向を明らかにし、その歴史的意義を論じるものである。序章では、造船史研究の諸問題と本研究の意義や視角を述べる。北奥地域における造船史研究が乏しいことから、本論文では、造船の数量的把握、造船にかかわる物資や人々の存在形態、造船ネットワークの様相など、きわめて重要な問題について追究する。おもな論点として、造船界の動向を顕著に反映する藩船の建造動向、一般商船を中心とする廻船建造の実態、船大工の存在形態、北奥アイヌを含めた一般領民による漁船製作の動向を取り上げる。以上について、筆者があらたに研究対象として提示する史料を含めた、豊富な史資料に依拠しながら多角的に検証し、系統立てて論じる。Ⅰ部では、北奥地域における廻船建造と船大工の動向について扱う。第1章では、とくに17世紀半ばの北奥地域を対象に、各領内諸湊の特長や海上交通との関係から諸廻船の船型や存在概況について分析し、近世廻船の主力である弁才船が普及していく状況などを指摘する。廻米や物資輸送に用いた各藩による藩船建造の事実から、相応の造船界が存在したことがみとめられる。第2章では、弘前藩領における一般商船の建造実態と造船資材の供給システムについて明らかにする。17世紀後半の領内では、全国各地の船頭などによる廻船建造が行なわれ、そのほとんどは1000石積級前後の弁才船べざいせんであり、当該期にはすでに地船としても普及したことを指摘した。領内では効率的な造船システムが確立され、同藩も困窮する日雇い層へ救済措置として他領船頭からの造船受注を進めつつ、同時に移入拡大を企図したことが判明する。第3章では、近世期を通じた弘前藩領における船大工の存在形態や造船技術力について論じる。十三に存在した船大工集団は、藩船のほかに領内外の一般商船の建造も数多く受注する領内最有力の造船技術者であった。ほか青森、小泊など、船大工棟梁もつとめるトップレベルの船大工が存在し、造船需要を支えたものといえる。第4章では、盛岡藩領田名部通(現在の下北半島一帯)および八戸藩領における船大工の動向を中心に、一般商船の建造実態を検証する。南部領における造船場は、八戸および田名部通の有力諸湊で、造船技術力の要は田名部通の有力諸湊や同藩領宮古など閉伊の船大工であり、他領の有力な船大工も参入した。北奥の太平洋沿岸地域に造船ネットワークが形成され、全国海運に供する造船需要の高まりを補ったといえる。Ⅱ部では、北奥地域における漁船製作とアイヌ民族による造船の問題を検討する。第5章では、北奥地域における漁船の製作動向を明らかにする。18世紀北奥地域における漁船の分野では、弘前藩領および八戸藩領では丸木船が主力で、盛岡藩領では地引網漁に用いる「図合船」「三羽船」が多い傾向であることから、それぞれの海況や漁獲対象に相応した漁船が普及したといえる。造船用材の供給、商品としての漁船の流通、修理を含めた受注製作など、その需要を満たすシステムが北奥地域に機能していたとみなすことができる。第6章では、北奥アイヌの造船について、「犾船」呼称についての整理、松前方面アイヌの縄綴船なわとじぶねとの比較検討、津軽領内アイヌの造船動向など、船体構造の面から検証した結果、津軽領内アイヌは、松前方面のアイヌの縄綴船を自らは製作せず、丸木船のほか一般和人領民同様の構造船を求めたことが明らかとなった。終章では、北奥地域造船界の歴史的特質を述べる。同地域には、17世紀中葉から全国各地の廻船商人などが蝟集し、廻船建造を発注していたことから、当該期、造船界の勃興をみることができるものの、領内海運界の興隆には直結しなかった。津軽領および盛岡藩田名部通の有力諸湊の船大工は、他領船大工と拮抗しつつ技術の練磨につとめ、大工集団や大工ネットワークも組織し、近世期を通じて、領内外の造船需要に応ずる基盤として存在し続けた。漁船の主力は、一般和人領民・アイヌともに近世を通じて単材刳船であったが、用材樹種の利用制限が、積載量の増大を実現する「合漁船」への発達を促した。丸木船から発展した「ムタマ造り」は、用材や造船技術の市場が北奥全体に展開されたことにより、同地域に特徴的な構造として定着したものとみなされる。津軽領内アイヌの場合、寛文期の蝦夷蜂起事件を一つの画期として、丸木船と舷側板とを縄で綴じ合わせる形式の縄綴船に拘泥せず、海運活動に資する廻船を指向した点に、その特質がみとめられる。以上の通り、北奥地域においては、領主権力、海商、船大工、一般和人領民、アイヌが、物資や情報、技術などさまざまな資源を相互に供給することにより藩領域を越えた複合的な造船界を形成し、海運や漁撈を支えたものと評価できる。
著者
加来 浩
出版者
弘前大学
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.39-48, 2003-10

ボヘミア・モラヴイア地方(現チェコ共和国)では,中世以来チェコ人とドイツ人が共存していたが,ハブスブルク家がボヘミア王権を掌握して以来, ドイツ人が支配民族としてチェコ人の上に君臨してきた。1867年のアウスグライヒ以後のオーストリアの民族政策はリベラルだったが, ドイツ人・チェコ人双方のナショナリストを満足させることはできず, ドイツ人とチェコ人の激しい言語戦争はオーストリアの議会政治を麻痔させた。第一次世界大戦の結果,ハブスブルク多民族帝国は解体し,チェコ人は独立を達成した。しかし新生チェコスロヴァキア国家に300万人以上のドイツ人が,その意志に反して編入されたことは,大きな問題を生んだ。