著者
森 敏 藤原 徹
出版者
東京大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1994

酵母の細胞膜に存在する3価鉄還元酵素の核遺伝子FRE1を含むplasmid(pC6L)ら制限酵素でORFにあたる配列を切り出し,2種類のT-DNAのコンストラクト,PYH6(pBI121由来)とPYH7(pUCΩE12GUS由来)に組み込み,タバコ(Nicotiana tabacum L.var SR1)に感染させた.カナマイシン耐性カルスを選抜し,植物体を再生させT2植物種子を採取し,カナマイシン耐性の7個体を得た.FRE1に特異的なプライマーでPCRを行ない,根からのRNAに対してノーザンハイブリダイゼーションを行なうと,0.9kbの転写物が確認された.この転写物は予想されるmRNAの長さよりも短かかったが,一応実験を続行した.これらの遺伝子導入植物の根の細胞膜が導入遺伝子の恒常的な発現によって,鉄が十分にある条件下でも3価鉄還元酵素活性を有しているかどうかを,根圏近傍のBPDS-Fe^<2+>の発色法を用いて検定した.ざんねんながら,発色は有意ではなかった.そこで鉄欠乏条件下での本酵素活性の持続性を水耕法によって検定したところ,2株が鉄欠乏耐性を示した.一方,本実験では,完全長のmRNAが得られていない.その原因を追究したところ,酵母ではポリAシグナルとは読まれない配列が,タバコでは読まれているために転写が途中で終了していることが判明した.現在,FRE1中のこの様な可能性のある5カ所のコドン領域をサイトスペシフィックミュータジュネシスにより改変した遺伝子を作成して,遺伝導入タバコを作成している.
著者
青島 麻子
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

今年度の学会発表をもとに執筆し、投稿受理された論文「平安朝物語の婚姻居住形態-『源氏物語』の「据ゑ」をめぐって-」は、国文学の分野においてあまり言及されてこなかった従来の婚姻居住形態に関する議論を、物語の方法として捉え直すことを目的としたものである。本論文では、当時の婚姻居住形態に関する議論について改めて整理を行い、これまで妻としての疵と捉えられるのみであった「据ゑ」の形態について、物語の描かれ方に即して検討を加えた上で、『源氏物語』の独自性とその先駆としての『蜻蛉日記』の存在を指摘した。また、今年度に発表した論文「『源氏物語』の初妻重視-葵の上の「添臥」をめぐって-」では、古記録等の調査により「添臥」についての通説に再検討を加え、さらに『源氏物語』における「添臥」の語の使用方法が、光源氏の両義性を照射する優れた方法となっていたことに着目し、それを手がかりに物語に語られる初妻重視の思想について考察した。さらに、今年度末に予定していた研究会発表(震災の影響により中止)は、物語に散見する婿選びの際の登場人物の発言を取り上げ、このような記述をもとに実際に平安朝の婚姻慣習を炙り出そうとするような方法を退け、その描かれ方をこそ問題にすべきであると主張するものであった。具体的には若菜下巻の蛍宮と真木柱の結婚記事を端緒として、当該場面直後に置かれる代替わり記事と女三の宮物語との繋がりや、光源氏の地位を揺さぶり物語を展開していく当該巻の手法について検討した上で、蛍宮と真木柱の結婚記事と上記のような若菜巻の論理との関連を指摘するものである。以の研究により、婚姻研究という視点を通して、平安朝の各作品相互の交渉や『源氏物語』の独自性の一端を浮かび上がらせることができたと考えている。
著者
高田 昌広 (2012) MORE Anupreeta
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2012-04-01

We successfully conducted two lens searches in Space Warps (SW, spacewarps.org) in FY2013. I led the first SW lens search and analysed the results. I made comparisons between the performance of humans vs robots and we find a fairly large number of lens candidates which were missed by previous robotic searches. Our work is summarized and presented in Paper I- http://arxiv.org/abs/1504.06148 and Paper II - http://arxiv.org/abs/1504.05587 (to be submitted to MNRAS).From the second lens search which was conducted live on BBC in FY2013, an intriguing lens candidate was discovered. We used several world class telescopes including Subaru (owned by Japan) to confirm that this truly a lens and studied the properties of the lensed galaxy such as the star-formation rate. I produced the lens mass model which calculates how magnified the lensed galaxy is in order to derive the true luminosity of the lensed galaxy and other such properties (http://arxiv.org/abs/1503.05824, MNRAS submitted).We also enabled mass modelling of the lens candidates for the citizens (Kueng et al. 2015) and found that citizens produce fairly similar results compared to experts in this task. This is encouraging because assistance from citizens on mass modelling will become crucial as we embark upon the discovery of thousands of lens candidates.The resources from SW have legacy value e.g. the simulated lens samples that we generate are useful for testing other lens finding algorithms as we did in Chan et al. (2014, http://arxiv.org/abs/1411.5398)
著者
千足 昇平
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

単層カーボンナノチューブ(SWNT)のデバイス応用に向けた,光学物性の解明を目的とし,レイリー散乱分光計測システムを設計し構築を行った.液中に分散したSWNT,スリット構造に架橋したSWNTなど様々な形態のSWNTサンプルに対し,レイリー散乱スペクトルの取得やレイリー散乱イメージング計測に成功した.SWNTはその直径が1nm程度しかないが,十分強いレイリー散乱光強度を得ることができ,今後のSWNTデバイスの評価・分析にレイリー分光計測が有効であることが明らかとなった.
著者
星加 良司
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究は、日本の実定法の体系に初めて明文化された「合理的配慮」の概念について、(a)その導入に当たっての理論的・実践的課題を明らかにするとともに、(b)企業等において合理的配慮が有効かつ円滑に運用されるための研修プログラムの内容開発を行った。この成果は、(a)について書籍『合理的配慮』(有斐閣)、(b)について研修教材『障害者と共に働く職場づくり(基礎知識編)』及び『同(ケーススタディ編)』(株式会社富士通ラーニングメディア編)として公表される。
著者
原田 昇 JIAO Pengpeng
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2005

1)居住地選択モデル世帯の嗜好の変動を表現するために、ミックスドロジットモデルを用いることとし、加えて、目的地間の空間的相関を表現するために、誤差項の定式化に工夫した。また、世帯の異質性を考慮するため、クラスター分析を用いた。次に、複雑な構造を持つモデルのパラメータを推定するため、MSLEアルゴリズムを用いることし、Gauss codeを用いてプログラムを実装した。具体的に、中国・大連のパーソントリップ調査データより抽出した11675世帯を対象にモデルを推定した。特定した五クラスター別にミックスドロジットモデルを推定し、統計的に有意な結果を得ることが出来た。この成果は、東アジア交通学会のジャーナルに掲載された。2)士地利用パターンと交通需要の関連分析交通需要の発生・集中と土地利用の関連性を明らかにするために、大連ならびに藩陽の二都市の土地利用データと交通需要データを整理し、比較分析を行った。統計的に有意な関係式を構築することが出来た。これらは、土地利用・交通統合モデルの基本的要素として重要である。3)居住地と就業地の同時選択モデル居住地と就業地の同時選択は、居住地を先に決定する世帯と就業地を先に決定する世帯が混雑していると考えられる。この問題をここでは、条件付選択モデルと順序選択モデルを組み合わせた潜在クラスモデルとして定式化することを提案し、具体的に推定することによって、その有用性を示した。条件付選択モデルはミックスドロジットモデルによって表現し、順序選択モデルは二者択-のロジットモデルにより表現した。モデル推定プログラムは、居住地選択モデルと同様に、MSLEアルゴリズムを用いて開発した。具体的に、中国・大連の11675世帯より、就業者が-名の3775世帯を選出し、モデルを構築した。ここで開発した手法は、居住地と買物先の同時選択モデル、就業地と買物先の同時選択モデルにも適用可能である。
著者
小島 渉
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2013-04-01

カブトムシの体サイズは一つの個体群において大きくばらつく。これまで幼虫の発育条件が成虫の体サイズを決める主要な要因であると考えられてきた。私は実際に幼虫の餌条件や飼育密度を操作し、高密度条件下や発酵のあまり進んでいない腐葉土を食べたときに、幼虫の成長速度が低下すること、体の小さな成虫が羽化することを確かめた。さらに、母親の産む卵サイズも幼虫の発育に影響を与えることが分かった。体の大きい母親は大きな卵を産む傾向があり、これが卵を通した母系効果として子に伝わっている可能性がある。カブトムシは個体群内だけでなく個体群間においても体サイズが大きくばらつく。それらの変異を定量的に調べるために、国内の5箇所において成虫を採集し、体サイズやオスの角の長さを比べた。その結果、只見(福島県)や屋久島で採集された個体の体サイズは、関東地方などに比べ、ずっと小さいことが分かった。一方、体の大きさに対するオスの角の長さは、只見の個体群は関東のものに比べ変わらないが、屋久島の個体群は短いことが分かった。それぞれの個体群のメス成虫から採卵し、それを同一の条件で育てたところ、只見と屋久島の個体群はやはり関東の個体群に比べ、やはり体サイズが小さかった。つまり、只見と屋久島では、幼虫の生育条件が悪いという理由のみで、野外で小さい成虫が現れるわけではないと考えられる。遺伝的な要因や卵サイズを通した母系効果が影響を与えている可能性が高い。現在、体サイズに対する角の長さの解析を行っている。
著者
丹下 健 益守 眞也 坂上 大翼 山本 福寿 本間 環
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

常緑樹の葉は、冬季であれば低温障害を受けることのない低温や降霜によって秋や春には甚大な被害を受けることが知られている。これは常緑樹が周囲の温度環境の変化に応じて樹体の低温耐性を変化させていることを示している。本研究では、暖温帯を主な生育地域とするスギを材料として、周囲の温度環境をどのように感知し、葉の低温耐性を高めたり低めたりしているのかを明らかにすることを目的に、実験的に地下部と地上部の温度環境を別々に制御して葉の水分特性がどのように変わるのかを調べた。葉の膨圧を失うときの水ポテンシャルは、秋から冬にかけて低下し、特に気温が5℃以下で急激に低下する季節変化を示す。この水分特性値の変化は、凍結温度の低下や細胞外凍結時の細胞内水の減少に対する耐性を高めるものである。このような季節変化が、地温を下げることによって早まり、暖めることによって遅れること、水分特性の変化には1週間程度の時間がかかることを明らかにした。この時、飽水時の浸透ポテンシャルの低下は明瞭でなかった。また、地温が5℃以下の時に葉を暖めても葉が低温耐性を失なわず、苗木全体を暖めることによって低温耐性を失う(可逆的な変化)ことを明らかにした。地温の低下に伴う葉の水分特性値や糖濃度の変化を検討し、膨圧を失うときの水ポテンシャルの低下に寄与しているのは、細胞内溶質の増加よりも、体積細胞弾性率(細胞壁の堅さ)の増大の方が大きいことを示した。以上の結果から、秋から冬にかけての地温の低下に応答して、スギの葉が低温に対する耐性を獲得することを明らかにした。季節はずれ降霜(晩霜、早霜)の害は、気温に比べて地温の季節変化が穏やかであり、急激な気温の低下に樹木が応答できないために発生すると考察した。
著者
加藤 照之
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

高頻度でサンプリングしたGPSデータの地震計への応用可能性を目的してシミュレーションと観測の両面から研究を行った.シミュレータを用いた検証を行った結果,数Hz程度よりも高い周波数の地面振動を受信する際には位相,振幅に有意なずれが生じることが明らかとなった.一方,実際の観測でどのような波形が取得できるかについて,3台のGPS受信機を用いた観測を実施した.いわき,鹿嶋,静岡の3か所に受信機を設置し,50Hzでの観測を実施した.この結果2013年9月20日に福島県浜通りで発生した震度5強の地震による振動波形を取得することにはじめて成功した.
著者
鈴木 誠
出版者
東京大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

建設的干渉現象を援用した同時送信型フラッディング技術を基礎として,様々なトラフィックを効率的に同一技術で収容可能とする無線センサネットワーク技術を開発した.また,開発した通信機構を利用して,橋梁モニタリングおよび農場モニタリングに適用し,消費電力,スループットなどの観点から,十分な性能を実現できることを確認した.要求の異なる2つのアプリケーションを同一技術で高効率に実現できることから,従来の無線センサネットワークで必須であった,アプリケーションごとの作り込み作業が不要となり,開発容易化が可能であることを示した.
著者
岩本 通弥 森 明子 重信 幸彦 法橋 量 山 泰幸 田村 和彦 門田 岳久 島村 恭則 松田 睦彦 及川 祥平 フェルトカンプ エルメル
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究は、日独の民俗学的実践のあり方の相違を、市民社会との関連から把捉することを目指し、大学・文化行政・市民活動の3者の社会的布置に関して、比較研究を行った。観光資源化や国家ブランド化に供しやすい日本の民俗学的実践に対し、市民本位のガバナビリティが構築されたドイツにおける地域住民運動には、その基盤に〈社会-文化〉という観念が根深く息づいており、住民主体の文化運動を推進している実態が明確となった。
著者
浅見 泰司
出版者
東京大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011-04-28

敷地形状の基本要素である敷地の奥行、間口の分布に関して分析した。敷地の平均奥行や間口の長さの分布関数に関する理論的・実証的分析を行った。また、住宅市場分析も行い、中国北京の住宅市場における床面積の選好度の違いや住戸プラン選考の分析、地域内の社会階層居住分化の分析、地域評判情報の分析、居住満足度の分析、居住階層と店舗空間分布の関係の分析も行った。
著者
寺崎 弘昭
出版者
東京大学
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.15-42, 1998-03-26

In this paper, the writer has attempted to reconsider a manslaughter case against a schoolmaster (Regina v. Hopley, 1860) by examining contemporary newspapers and educational journals. Through this research, he intends to clarify not only the incident itself but also public reactions and opinions for/against school corporal punishment. Regina v. Hopley had been regarded as an archetype of legal cases of school corporal punishment in commentaries on the laws of England, until the school corporal punishment was abolished in 1987. But, curiously enough, the incident itself and contemporary reactions have never been brought to light. Because of such absence of full investigative research, we often tended to consider Regina v. Hopley to have been only a trivial and minor matter for contemporary people. However, as the writer has provided a detailed picture on account of his investigation of local newspapers (The Sussex Advertiser, The Lews Times, The Sussex Express, and so on), the Hopley's incident was most sensational and caused the greatest excitement in England. Local newspapers enthusiastically reported the case in detail, and furthermore, submitted a profile of Hopley's career and their analyses of "The Eastbourne Tragedy" (The Brighton Observer, 11 May 1860). Furthermore, most of English and Scotch principal newspapers also reported the trial of Hopley (July 23,1860) and made comments on the incident; The Times, The Illustrated London News, Saturday Review, The Bristol Mercury, The Manchester Guardian, The Caledonian Mercury (Edingburgh), and so on. It is certain, as English legal textbooks told us, that Regina v. Hopley permitted a "moderate and reasonable" corporal punishment. But on the other hand, it is more certain that the "brutal affair" stimulated popular feelings averse to corporal punishment. For example, The Sussex Advertiser pointed out how Hopley's "miserable desire" to establish his educational system "converted correction into cruel and brutally aggravated punishment", and The Brighton Observer (May 11) demanded "the abolition of all corporal punishment in the schools of England" in order to prevent a recurrence of such tragedies. And, above all, not only Justice Cockburn and the prosecutor Parry but also the pleader Ballantine hoped for a school without corporal punishment in the court. On the other hand, it was only four of twelve educational periodicals published in 1860 that made comments on the Hopley case. Most of them, except Papers for the Schoolmaster, were averse to the "public opinion" expressed vigorously in the newspapers; especially their proposal of "the total abolition of corporal punishment" (The Brighton Examiner, 31 July 1860). But they were obliged to keep silence and left behind "public opinion". In order to relieve the educational discourses from such peril and establish a professional leadership in the debate on school corporal punishment, Joseph Payne attempted to formulate a new pedagogical paradigm of school corporal punishment from a point of view of "Science and Art of Education" in his lecture (The Educational Times, March 1861). He was "the first professor of education in Britain" (Richard Aldrich). He himself, however, did not argue against the use of physical punishment as a means of maintaining discipline. He denied only habitual use of corporal punishment. Rather, he asserted that "a vigilant administration", which corresponds to the "pouvoir pastoral" (Michel Foucault), was necessary for the discipline and it would become a basis for the effectiveness of corporal punishment. In Payne's lecture, Hopley's act was criticized merely for its "cool, conscientious barbarity". However, Hopley vindicated his act as a deliberate and educational one based upon John Locke's view of corporal punishment which Payne also referred to as one of his forerunners. Locke even approved corporal punishment against children's "Stubbornness" in his famous book Some Thoughts concerning Education (§ 78).
著者
寺崎 弘昭
出版者
東京大学
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.19-40, 1996-12-20

In this paper, the writer has attempted to reconsider a manslaughter case against a schoolmaster (Regina v.Hopley, 1860) by examining contemporary newspapers and educational journals. Through this research, he intends to clarify not only the incident itself but also public reactions and opinions for/against school corporal punishment. Regina v.Hopley had been regarded as an archtype of legal cases of school corporal punishment in commentaries on the laws of England, until school corporal punishment was abolished in 1987. But, curiously enough, the incident itself and contemporary reactions have never been brought to light even by D. P. Leinster-Mackay ( "Regina v Hopley : Some Historical Reflections on Corporal Punishment" Journal of Education Administration and History, vol. 9 , no.1 , 1977). Because of such absence of full investigative research, we often tended to consider Regina v. Hopley to have been only a trivial and minor matter for contemporary people. However, as the writer has provided a detailed picture on account of his investigation of local newspapers, the Hopley's incident was most sensational and caused a furor in England. Local newspapers enthusiastically reported the case in detail, and furthermore, submitted a profile of Hopley's career and their analyses of "The Eastbourne Tragedy". Now, we can list up The newspaper items the writer has referred to is as follows: 1 . The Lewes Times, Eastbourne Chronicle and Hailsham Observer. May 9 p. 1 & p.4 "Brutal Case of Manslaughter, by Beating" p.2 "A Schoolmaster Committed Manslaughter" May 16 p.1 "The Inquest on Mr. Hopley's Case. Mr. Hopley at the Inquest and before the Magistrates." May 23 p.1 "Mr.Thomas Hopley on the Wrongs which cry for Redress. Theory v. Practice" July 25 p.4 "Manslaughter Case, The Queen v. Hopley " 2 .The Sussex Advertiser, Surrey Gazette, and West Kent Courier. May 1 p.5 "Coroner's Inquest" May 8 p.4 "The Terrible Catastrophe at Eastbourne" p.7 "Committal of a Schoolmaster for Manslaughter, at Eastbourne" July 24 pp.3-5 "Trial of Mr. Hopley for Manslaughter" July 24 (Special Assize Edition) pp.2-3 "Trial of Mr.Hopley for Manslaughter" 3 . The Sussex Express, Surrey Standard, Herald of Kent Mail, and County Advertiser. April 28 pp.4-5 Article without captions begins: 'An inquest---'May 5 p.5 Article without captions begins: 'The greatest excitement---'May 5 p.6 "Alleged Death of a Pupil from Excessive Punishment at Eastbourne." July 24 pp.2-3 "The Eastbourne Tragedy. Trial of Thomas Hopley" July 28 p.6 "The Eastbourne Tragedy Concluded" 4 . The Brighton Observer, Fashionable Arrival List, and County Intelligencer. May 4 p.3 "A Brutal Affair" May 11 p.2 "The Eastbourne Tragedy" July 27 p.2 "The Eastbourne Tragedy" p.3 "Sussex Summer Assizes" 5 . Brighton Examiner, Fashionable Directory, Sussex County Journal, & Genaral Advertiser. May 8 p.3 "Charge of Manslaughter against a Schoolmaster" July 24 p.3 "The Eastbourne Manslaughter Case " July 31 p.2 "Corporal Punishment Furthermore, most of English and Scotch principal newspapers also reported the trial of Hopley (July 23, 1860) and made comments on the incident ; The Times, The Illustrated London News, Saturday Review, The Bristol Mercury, The Manchester Guardian, The Caledonian Mercury (Edingburgh), and so on. It is certain, as English legal textbooks state, that Regina v. Hopley permitted a "moderate and reasonable" corporal punishment. .But on the other hand, it is more certain that the "brutal affair" stimulated and gave an outlet to popular feelings averse to corporal punishment. For example, The Sussex Advertiser pointed out how "miserable desire" to establish an educational system "converted correction into cruel and brutally aggravated punishment", and The Brighton Observer demanded "the abolition of all corporal punishment in the schools of England" in order to prevent a recurrence of such tragedies.
著者
寺崎 弘昭
出版者
東京大学
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.1-15, 2001-03-15

In this paper, the writer has attempted to clarify the pedagogical stereotype that has hindered many historians of education from pointing out that corporal punishment was never abolished in the early modern history of educational thoughts. In fact, according to the writer's perusal of the texts, the early modern educationists permitted a rod or beating as a last resort of correction, while they denounced corporal punishment. For example, John Locke did admire the use of the "Whipping" for children's "Obstinacy" and "Stubbornness" in his famous book Some Thoughts concerning Education (1693,see §78), though he denounced corporal punishment as a "slavish" one in the same book (§52). Locke admitted the corporal punishment as a means of discipline, for it was not outside (corporal) punishment. The same fact can be pointed out in the educational thoughts of Quintilian, Augustine, Erasmus, Joseph Lancaster, Pestalozzi, Horace Mann, and so forth. Lancaster, while he condemned the corporal punishment, recommended the punishment of pillory, fetters, and "the birds in the cage". Similarly, Mann maintained the corporal punishment as a lesser evil that cured the grave evil. In spite of such undeniable facts, many historians of education have ignored the facts. Why? The writer maintains that the eyes of historians of education have been blurred by the pedagogical stereotype that emerged to obtain a professional authority of the educational science in the nineteenth century. For example, Joseph Payne, as "the first professor of education in England", established such a pedagogical stereotype in his lecture "On Corporal Punishment as a means of discipline in Schools" (The Educational Times, March 1861). He pretended to demonstrate that corporal punishment was denied as a means of discipline as well as a means of promoting learning in the history of orthodox educational thoughts including John Locke's.
著者
易 平
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

20年度において、申請時の研究計画通りに、東アジアにおける国際法受容過程をめぐり研究を進めていた。昨年度の研究実績を踏まえた上で、そのうち最も基礎に当たる部分--戦争観の受容過程に重点を据えて考察を展開していた。本研究は、幕末から明治末期にかけて日本に舶来した欧米国際法書物に示された戦争観を整理した上で、日本国際法学における戦争観の形成過程を辿り、十九世紀末頃から二十世紀初頭にかけての戦時国際法研究の概況を解明した。取り上げる人物は、東京大学、京都大学、早稲田大学、一橋大学などで国際法講座を担当する専門国際法学者-有賀長雄、高橋作衛、中村進午、寺尾亨、千賀鶴太郎の五人-を中心に据えた一方、大学や専門学校で国際法を教える専任教師ではないが、国際法を専攻したことがあり、かつ国際法的戦争観に関する研究書や学術論文を公刊した広義の国際法学者も視野に入れた。研究素材としては、当時の国際法教科書・専門研究書・講義録、そして国際法関連の学会誌や専門誌に掲載された学術論文・時論・講演などを網羅的に取り上げた。暫定的結論として、欧米からの戦時国際法知識の受容は、国家政策に奉仕し、緊迫した国際情勢に活用しなければならないという形而下なる目的に動機付けられることが多く、実用主義的な態度が顕著に現れた。他方、1890年代を境として、輸入された欧米国際法学的戦争観に大きな転換が見られる。それ以前に翻訳された国際法体系書は、戦争原因追究論に立脚する形で説いているものが多かったが、それ以降は、原因不問論や戦争法外視の主張が主流となった。しかし、欧米から受容した国際法知識は、日本の国際法学者の学説形成において重大な意義を有するにもかかわらず、彼等の法観念を完全に規定したものではなかった。専門国際法学者と広義の国際法学者は、自国の状況に応じて欧米学説を解釈し修正を施しながら自らの学説を練り上げていくことが多かったのである。
著者
永井 良三 MOHAMMED RAMADAN MOHAMMED Ramadan
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

本研究では、酸化修飾・変性の評価法を開発し、病態解明ならびに新算法の開発を行う計画である。生活習慣病に代表される経年的な変性病態において、蛋白質の酸化修飾・変性は中心的な役割を果たす。蛋白質は酸化修飾を受けると16Daの質量増加を示すが、微細な変化のため従来検出不可能であった。しかし、最近の質量分析技術により、酸化修飾をはじめとする翻訳後修飾による蛋白質の微量な質量変化の検出、測定が可能となった。本研究では、質量分析計を使用した蛋白質の酸化修飾・変性の測定法を開発する。さらに、その臨床的意義を検討し、さらに臨床応用が可能な診断法を確立することを目的とする。具体的なワークフローは、(1)患者から血液を採取し、(2)蛋白質の酸化修飾を質量分析計で検出し、(3)酸化蛋白質を包括的に解析するとともに、特定の疾患蛋白質(リボ蛋白質LDL,HDL等)の酸化修飾を.検討する。次に、(4)疾患病態発症のメカニズムを解析し、酸化修飾の臨床的意義を動脈硬化性心血管疾患患者(虚血性心疾患、心不全)で検討し、(5)病態における役割の解明ならびに診断測定系としての臨床応用を図る。平成21年度は、ELISA法を用いて血液中の酸化LDLの代表的な構造の一つであるMDA-LDL(マロンジアルデヒド修飾LDL)濃度の測定法を確立した。ELISA法によるLDLのMDA化の定量は、後にプロテオミクスによる酸化修飾・変性を解析する際の指標となる。ELISA法確立の後、実際の患者および健常人血清を用いた検討を行った。基本的には患者(心血管疾患)対健常人の差を疾患別に解析した。冠動脈形成術後の再狭窄、虚血性心疾患、心不全等の動脈硬化性心血管疾患患者とMDA-LDL値との相関解析を中心している。まだ、解析開始後数ヶ月程度であることから十分なサンプル数が得られていないが、次年度に継続することにより、疾患との相関関係が明らかになる。
著者
白石 三恵
出版者
東京大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2012-08-31

ヘルスビリーフモデルを活用した妊娠中期の栄養指導介入により、介入群ではたんぱく質、ビタミンB6、ビタミンB12のエネルギー調整栄養素摂取量が妊娠中期から妊娠末期に増加する傾向が見られ、n-6系多価不飽和脂肪酸は減少する傾向が見られた。しかしながら、妊娠中期から妊娠末期の栄養素摂取に有意な変化が見られた栄養素はなかった。一方で血中濃度については、アラキドン酸、エイコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸、葉酸、25-ヒドロキシビタミンDが、介入群では対照群に比べ、妊娠末期に有意な増加が見られた。今後は、栄養素摂取量・血中濃度の向上に最も効果的である介入時期、介入回数を検討する必要がある。
著者
松下 まりも 田原 秀晃
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

樹状細胞の分泌するサイトカインであり、申請者らがその抗腫瘍効果と機序について報告したinterlukin-23(IL-23)を中心に検討を進めた。IL-23-in vivo electroporation(IL-23-IVE:IL-23 plasmid vectorの全身投与)は、担癌マウスにおいて、有意な抑制効果が認められたものの完全治癒には至らないマウスもいる。そこで、本研究課題では、IL-23-IVEの抗腫瘍効果を増強させ、担癌マウスを完全治癒させる治療法の開発を目的とした。本研究課題では、近年明らかにされてきているがんに対する免疫応答を抑制する経路に着目し、IL-23-IVEの抗腫瘍効果を増強するために、がんに対する免疫応答を抑制する経路に対する活性化抗体あるいは阻害抗体を用いて(CTLA-4、PD-1、TIM-3)、IL-23-IVEのがんに対する免疫療法の抗腫瘍免疫応答が増強されるか否かについて検討した。手法としては、ワイルドタイプのマウスを用いて、皮下腫瘍モデル(腫瘍径:12~14mm(長径))を作製し、IL-23-IVE(コントロール群は、EGFP-IVE、plasmid vector: 100mg)を行い、CTLA-4、PD-1、TIM-3を、それぞれ単独もしくはコンビネーションで併用投与し、その抗腫瘍効果について検討した。本年度は、生存率の検討のみ行った。その結果、IL-23-IVEにPD-1を単独で併用した群、IL-23-IVEにPD-1とTIM-3をコンビネーションで投与した群で、累計生存率が上昇した。
著者
中尾 麻伊香
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2010

本年度は研究目的のなかでも原爆投下以前から以後にかけて言説がどのように引き継がれ変容していったかという点を考察し、原爆投下以降を扱った先行研究との議論の接続を試みた。具体的には以下のように検討をすすめた。(1)原爆投下以降の原爆/原子力に関する言説を検討した。新聞や雑誌から、原爆/原子力に関する記述を調査し、その変遷を捉えた。この内容を2011年12月に東工大の火曜ゼミで「核をめぐる言説と日本の科学者:戦時中から戦後にかけて」というタイトルで報告した。(2)原爆調査に関する先行研究を整理し、原爆調査の歴史研究における課題を検討した。この内容を2011年9月に生物学史研究会夏の学校で「放射線をめぐる言説:原爆調査からビキニ事件まで」というタイトルで報告し、『生物学史研究』に投稿した。また、長崎原爆資料館、永井隆記念館、長崎大学医学部などで資料調査を行った。(3)1940年代後半の全国紙と地方紙にあらわれた原爆症に関する言説を検討した。原爆被害をめぐる言説が全国紙と地方紙で異なることを確認し、その背景にある力学を分析した。この内容を2012年3月にAssociation for Asian Studiesの年会で"Radiation Sickness, Popular Medical Discourse, and Social Discrimination in Early Postwar Japan"というタイトルで報告した。(4)研究目的の一つに挙げていたアーカイブへの貢献については、故・西脇安(放射線防護)の資料整理を行い、資料のアーカイブ化に尽力した。国際シンポジウム「核時代の記憶と記録-原爆アーカイブズの保存と活用-」に参加し、日米のアーキビストとの交流をはじめた。以上の研究と平行して、これまでに得られた成果をまとめ博士論文の執筆を開始した。