2 0 0 0 OA 産業年鑑

著者
工業日日新聞社 編
出版者
工業日日新聞社
巻号頁・発行日
vol.昭和15年版, 1943

2 0 0 0 OA 農民の福音

著者
赤羽一 著
出版者
共学社
巻号頁・発行日
1929
著者
伊藤 美登里
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.62-76, 1995-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
25
被引用文献数
1

著書『イデオロギーとユートピア』に見られる K. マンハイムのペシミズムは, 彼が述べるような次の時代の真理としてのユートピアに導かれて社会を変革し, 形成するという, 「近代史の発展をつらぬく構造形式」が成立しなくなりつつあるという事態, ユートピアの消失という事態にたいする彼の危機感の表明であったが, それと同時にこのユートピアの創造者として, 近代社会において政治的・文化的に圧倒的な優位を誇っていた教養市民層が, 大衆社会の到来とともに没落の危機に瀕し, 「ユートピアの担い手」としての自己像すら危うくなりつつあることへの危機感の現れでもあったと考えられる。イギリス亡命後のマンハイムの理論の変化は, 上述の事態を解決しようとするなかで生じてきたものである. 彼は, 大衆社会において民主主義をうまく機能させる唯一の方法として「自由のための計画」を提唱した. 彼にとってそれは, 近代社会を形作ってきた「近代ユートピア」の存立が不可能となった時代において可能であるところの, 別の型の「ユートピア」であった.また, 「自由に浮動するインテリゲンツィア」にかわって, 「計画者としてのエリート」という役割を知識人に与えることで, 彼は知識人存在の新たな存在形式を創出しようとしたと見ることができよう。
著者
石村 広明 田里 千代
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.61-74, 2017-02-26 (Released:2017-03-09)

High school baseball has given us many dreams and inspirations in our country. However, it also holds many problems, and one is the issue of corporal punishment. The purpose of this research is to make comparisons with religious culture, which enforces corporal punishment and acceptance. An interview was held with 12 high school baseball related-persons with experience. 5 cultural elements were found as a result of the interview. They are the unsociable environment, the absolute pecking order, rational interpretation, the pursuit of victory and compromise and recognizing anew of the corporal punishment and the group mentality. These 5 elements are also functioning as a cultural device. In this composition, I would like to link these elements to a discovery of an educational way to eradicate the use of the cane.
著者
谷脇 良也 荒屋 真二
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.446-447, 1997-09-24

近年のインターネットブームにより, 多くの人たちが電子メールやWWWを利用するようになった。それにともない, 各大学ではキャンパスの案内をHTML化し, 情報の発信を行っている。しかし, 現存しているものはテキストベースのものが大部分である。また, 現在の高校生はテレビゲームなどのビジュアルな画面に慣れており, テキスト中心のキャンパスガイドではすぐに飽きてしまうであろう。ゆえに, 本システムでは, ビジュアル面を強化し, インタラクティブな3次元仮想キャンパスをVRML (Virtual Reality Modeling Language)を用いて作成し, それを補完する形でHTMLとCGIを用いて詳細説明やキャンパスの写真の公開などを行っている。
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンピュ-タ (ISSN:02854619)
巻号頁・発行日
no.578, pp.52-56, 2003-07-14

第三の波——Javaで大規模基幹系システム構築に挑むUFJ銀行、中部電力、日立H&Lの動きは、まさにこう呼ぶにふさわしい(図4)。 Javaが登場した1996〜97年は、クライアント側を中心とするごく小規模な利用にとどまっていた(第一の波)。
著者
松田 誠
出版者
東京慈恵会医科大学成医会
雑誌
東京慈恵会医科大学雑誌 (ISSN:03759172)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.169-174, 2012-07-15

2 0 0 0 OA 芸術資料

著者
金井紫雲 編
出版者
芸艸堂
巻号頁・発行日
vol.第一期 第三冊, 1941
著者
若松 美智子
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.107-119, 2008-09-16

作家石牟礼道子の名前は水俣病と結び付けられ,彼女の作品は告発文学として一般に受け入れられることが多い。しかし石牟礼文学の真骨頂はその高い叙情性,詩情性にあることを,『椿の海の記』の分析を通して示す。幼児期に幼女の目でとらえた人の世の悲しみの諸相の中心に,祖母である盲目の狂女の存在があり,彼女と幼女であった道子との魂の交感が石牟礼の美学の中心にあることを,この自伝的作品は示している。幼時のかなしみの原体験を美へと昇華せねばならない必要性が石牟礼の創作欲の源になっている。本論文では『椿の海の記』の音楽的構成,自然風景描写,演劇的想像力といった手法と,この作品のいくつかの主題,神話的世界観,差別されるものの世界,祖母おもかさま,生命のみなもとへの希求といったモチーフを例示しながら,石牟礼文学の美の世界の内実をしめす。それは他者のかなしみを自分の悲しみとして受け入れる彼女の共感能力に由来する,悲しみの美学である。不知火海沿岸に生きる無辜の民の苦しみかなしみや,狂女の不条理の世界を描く石牟礼は,背中あわせに人間社会の権力の支配構造の不条理をも照らし出す。社会から差別されるものが生きるもう一つの世界,それは海と空と大地に連なる根源的な魂の世界に通じる。その魂の世界に生きる弱者の逆転の生を,彼女はかなしみの中に咲く花として描くのである。
著者
黄 英
出版者
九州大学
雑誌
Comparatio (ISSN:13474286)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.34-43, 2008

賢治の作品において、みんなが幸福になる理想世界を実現するために、自己犠牲的な行動がよく表現されている。そして、自己犠牲は〈他者のため〉という基本要素が含まれるため、賢治に〈菩薩〉というレッテルが貼られ、聖人視される傾向が出てくる。また、それに反発する傾向もしばしば見られる。これでいいのかと疑問を感じる。本稿は賢治における自己犠牲の内実を問い直すための第一歩として、よく自己犠牲色の強い作品とされる「よだかの星」におけるよだかの死を再検討してみる。自己犠牲と言う場合、必ず二つの面が備わっている。ひとつは、自己の利益を無視し、さらに自己の命までも捨てること、もうひとつは、対他関係において、その行為は他者の為になること。しかも、二つの面が同時に揃わなければならない。自己の利益を考えず、さらに自己の命を捨てる行為が、他者の為になってはじめて、自己犠牲と呼ばれるのであろう。自分の命を捨てる行為は必ずしも常に〈他者のため〉を主な目的とするとは限らない。ある場合は、自分が直面する苦難からの脱出、いわゆる自己救済が主な目的ということもある。以下は「よだかの星」のよだかの死に対する位置づけを、テキスト読解並びに修羅意識との関連を通して、試みたものである。
著者
森本 晃司 桜井 進一 内藤 慶 青柳 壮志 奥井 友香 加藤 大悟 遠藤 康裕 中澤 理恵 坂本 雅昭
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.C3O1119-C3O1119, 2010

【目的】<BR>ラグビーやアメリカンフットボールなどのコンタクトスポーツにおいて,脳震盪などの頭・頚部の外傷は時として重大な事故を引き起こすことから,安全対策上重要な問題として取り扱われる.国際ラグビー評議会の定款では,未成年のラグビープレイヤーは脳震盪を生じた場合,3週間の練習・試合を禁止するとされており,頭・頚部の外傷は頚部筋力を向上させることで予防可能との報告もある.本研究の目的は,高校生ラグビープレイヤーにおける頚部筋力と周径の関連,脳震盪と頚部筋力の関連について検討し,脳震盪予防の一助とすることである.<BR>【方法】 <BR>対象は全国大会レベルの群馬県N高校の高校生ラグビープレイヤー69名(1年生30名,2年生18名,3年生21名)とした.評価項目は経験年数,過去8カ月間の脳震盪の有無(1年生を除く),頚部周径,頚部筋力とした.頚部周径はメジャーを使用し直立位にて第7頸椎棘突起と,喉頭隆起直下を通るように測定した.頚部筋力の測定にはアニマ社製ハンドヘルドダイナモメーターμTasMF-01を使用した.測定肢位は臥位とし,両肩と大腿部を固定した.センサーはベッドに固定用ベルトを装着した状態で額,後頭部,側頭部の各部分に当て,頚部屈曲,伸展,左右側屈の等尺性筋力を3秒間測定した.各方向3回ずつ測定し,最大値を採用した.<BR>統計学的処理にはSPSS ver.13を用い,頚部筋力と周径,経験年数の関係にはspearmanの順位相関係数を用い,各学年間の頚部筋力,周径との関係には一元配値の分散分析後,Tukeyの多重比較検定を行った.また脳震盪経験の有無と頚部筋力・周径の関係には対応のないt-検定を用い有意水準は5%とした.<BR>【説明と同意】<BR>チーム指導者並びに対象者に対し本研究の主旨及び個人情報保護についての説明を十分に行い,署名による同意を得て実施した.<BR>【結果】<BR>2,3年生計39名のうち,脳震盪経験者は28名であり非経験者は11名であった.脳震盪経験の有無で頚部筋力を比較した結果,頚部筋力,周径ともに有意差は認められなかった.<BR>頚部筋力と周径では有意な相関関係が認められた(P<0.05,R=0.52~0.65)が,経験年数と頚部筋力及び周径との間には相関関係は認められなかった.<BR>学年間の頚部筋力の比較では全項目において有意差が認められ,また,学年間の周径においても有意な差が認められた(P<0.05).多重比較検定では,頚部筋力では1年生に対して2,3年生の筋力が有意に高く(P<0.05),2年生と3年生との間に有意な差は認められなかった.頚部周径では1年生と3年生にのみ差が認められ、3年生の周径が有意に大きかった(P<0.05).<BR> 【考察】<BR>本研究における脳震盪の有無と頚部筋力の検討では,両群で有意差は認められなかった.タックル動作において,脳震盪となる場面ではタックル時に頭部が下がる,飛び込むなどのスキル的な要素や,瞬間的に頚部を安定させる筋収縮の反応などの要素も関連していると考えられる.今回の研究ではそれらの要素は検討できていないため,両群で差が見られなかったものと考える.<BR>また,各学年と頚部筋力の検討では1年生と他学年との間に有意な差が認められたが,経験年数と頚部筋力との間に相関関係は認められなかった.群馬県では中学校の部活動としてラグビー部はなく,経験者も週1回程度のクラブチームの練習に参加する程度である.このため,1年生では経験者であっても十分な頚部筋力トレーニングが行えていない可能性が考えられる.また,頚部筋力と周径ではすべての項目で相関関係が認められたことから,選手のコンディショニング管理の一つとして,筋力測定器などがない場合には,頚部周径を確認しておくことの意義が示唆された.頚部筋力は脳震盪予防のための重要な一要因であるが,今回は頚部筋力と脳震盪経験の有無とに関連は見られなかった.今後はタックル動作のスキルや,筋の反応時間なども検討することが課題である.<BR>【理学療法学研究としての意義】<BR>本研究の結果から,高校1年生と2・3年生の頚部筋力の違いが明らかとなり,新入生に対する早期からの筋力評価とトレーニングの重要性が示唆され,スポーツ障害予防のための基礎的資料となる.<BR>
著者
難波 恒雄 菊池 徹 御影 雅幸 門田 重利 小松 かつ子 清水 岑夫 富森 毅
出版者
日本生薬学会
雑誌
生薬学雑誌 (ISSN:00374377)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.35-42, 1987-03-20

Cinnamomum verum J. S. PRESL of family Lauraceae is one of the important cultivated medicinal plants in Democratic Socialist Republic of Sri-Lanka. The bark of the tree, "CINNAMOMI VERI CORTEX," KURUNDUPOTU in Singhalese, is known to be a famous spice under the name of Cinnamon. Besides, KURUNDUPOTU is also an Ayurvedic drug used for dyspepsia, flatulence, diarrhoea, dysentery, vomiting, etc. Nowadays, as a spice, Cinnamon is divided commercially into thirteen grades on the bases of differences of the diameter and quantity of Foxing of the Quillings. Among these, we got nine popular grades from the Bureau of Ceylon Standard.To know the qualitical differences of each grade, anatomical and chemical studies of all these were made. Our results showed that higher graded Cinnamon had less mechanical tissues anatomically and contained more essential oils chemically. Moreover, in essential oils, the percentage of cinnamyl acetate was found higher and that of cinnamaldehyde was lower in higher graded ones.スリランカ(Democratic Socialist Republic of Sri-Lanka)における民族医療はアーユルヴェーダ(インド医学)が主流である. スリランカにおいて栽培される代表的なアーユルヴェーダ薬物の一つにKURUNDUPOTU(cinnamon bark の意味のシンハリ名)があり, このものはLauraceaeのCinnamomum verum J. S. PRESL(=C zeylanicum NEES セイロンニッケイ)のコルク層を剥いだ樹皮である. アーユルヴェーダではKURUNDUPOTU は強壮, 健胃, 駆風薬などとして用いられ, また民間的にも頭痛や感冒, 鼻汁, 呼吸器疾患, 下痢などに利用されている2). その産出量は年々増加しており, 大半は香辛料として輸出され, 一部が薬用あるいは料理用に国内で消費されている2). セイロン桂皮についてはすでに太田らにより日本市場品の内部形態3), コロンボおよびスイス市場品とコロンボ近郊などでの栽培品との内部形態による比較研究4)がなされているが, 品質についてはいっさい触れられていない. 現在, セイロン桂皮には商取引上13の等級があり, それらの等級はBureau of Ceylon Standardで規格されている. 等級はAlba, Continental 5 special, Continenta1 5, 同4, 同3, 同2, 同1, Mexican5 special, 同5, 同4, Hamburg 1, 同2, 同3の名称で呼ばれ, これらはQuimng5)の大さやFoxing6)の量で規定されている2). Albaが最高級品とされ, Continentalグループ, Mexicanグループ, Hamburgグループと続くが, Continentalグループの低級品よりはMexicanグループの高級品の方が品質がよいといわれている. これらのグループ名はそれぞれ輸出先国の違いを示しており, Hamburgグループ以外は番号の大きいものが高級品とされている. 今回, 栽培地を調査するとともにこれらの13等級のうち, とくに流通量の多い9等級を入手し, 各等級間の内部形態および精油成分の差異を検討したので報告する. また生薬市場および製薬工場において入手したKURUNDUPOTU等級についても検討した.
著者
森田 伸子
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
no.10, pp.59-77, 2001-09-14

長い間オーラルの世界に生きていた圧倒的多数の民衆を、文学の世界に導きいれ、その正当な市民として位置付けること。これが近代教育が自らに課してきた課題であり、少なくとも先進諸国においては、この課題は19世紀末から20世紀初めの国民国家の体勢が整うと歩を同じくしてほぼ達成されたとされる。そのとき文字とは何を意味したのか、文字を読むこと,あるいは文字を書くことに何が求められたのか。さらに、こうしたことと、近代教育思想に通低する書物への断罪はどうかかわるのか。ヨーロッパの教育思想における文字の審級を、19世紀末のフランス公教育における作文教育をめぐる議論をとおして考察する。