著者
池澤 優
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:2896400)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.103-128, 2004-03-31
著者
山田 幸一 黒田 龍二
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系 (ISSN:13456652)
巻号頁・発行日
no.20, pp.393-396, 1980-06-01

当社は滋賀県野州郡野州町三上に鎮座し、湖東の名山三上山を神体山と仰ぐ古社である。古記録の類は戦国の争乱で散逸したとされ、中世以前の来歴は詳かでないが、社構としては、本殿〔建武4年(1337)、〓東礎石銘〕、拝殿〔様式上平安時代とされる〕、桜門〔「かうあん三年きのとみのとし」、上層斗東墨書〕の3棟及びその他摂末社があり、中世以前の遺構をまとまって残す貴重な例である。この地方は有史以前早くから開け、殊に社地と指呼の間にある小篠原は銅鐸の出土地として著名である。『古事記』中巻開花天皇の条に、「近淡海之御上祝以伊都玖天之御影之神之女」とあり、御上氏の古さがうかがえる。続いて『日本霊異記』下巻第廿四に、宝亀年中(770〜780)既に社とそれに附随して堂の有ったことが記されている。社伝では、養老2年(718)現社地に本宮を造営したとするが、『源平盛衰記』巻四十五にも同趣旨の記事が見え、これは相当に古い伝承であることがわかる。『霊異記』の記述は、社の位置がはっきりしないけれども、社伝を否定する積極的な根拠はないので、奈良時代には現社地に何らかの神祭施設があったとしてよいであろう。降って平安時代には、月次新嘗に与る式内名神大社に列した。現在残るものでは先ず現拝殿が造られ、遅くとも南北朝初期には今の社構えが整う。中世、法華経三十番神の1つとされ、末期、社地東寄りに西面して神宮寺が建てられたが、明治初期に破却されたらしい。御上神社本殿は、形式上入母屋造本殿であり、その中でも最古の遺構である。当社独自の特異性についても、一般には所謂入母屋造本殿の成立に関しても、従来しばしば注目されてきたが、いまだに不明確な点が多い。これらは、神社建築そのものの濫觴にもかかわる大きな課題であり、ここでは特に触れない。本稿は、現本殿より古い時代の当社本殿形式を復原的に考察することによって、上のより大きな課題の基礎を固めようとするものである。つまり、現拝殿は方3間吹き放しであるが、その柱には板壁の取付痕と思われる溝掘りが残り、もとは本殿であったと伝えられていて、諸先学も一応この伝承を認めておられる。そうすると、当社の中心的本殿が2棟同時に存在したとは考えにくいので、先ず現拝殿の前身建物としての旧本殿があり、現本殿が建立されるに及んで、旧本殿は板壁を取りはらわれて、現拝殿となった、と考えられるだろう。拝殿前身建物の復原的考察を通じて、上の伝承を吟味するとともに、それが旧本殿と考えられるならば、現本殿との比較によって、当社本殿形式の特異性を浮び上がらせてみたいと思う。
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.61-78, 1967-06

The spectra of tsunamis observed on a continental shelf are closely related to the spectra of water level fluctuations in ordinary days with the period of 10 to 100 minutes, the so-called back-ground spectra. Therefore, the nature of back-ground oscillations on the shelf in the vicinity of Enoshima Island, Miyagi Prefecture, where a tsunami observatory is located, has been investigated. Theoretical trapped and leaky modes of oscillations were computed for the shelf near Miyagi-Enoshima and also the records of the back-ground oscillations sampled from the data through the year in 1965 were examined by means of the Fourier analysis. The Fourier spectrum averaged through a year coincided fairly well with the theoretical spectrum of the leaky mode for the constant spectral input offshore, particularly in the period band shorter than about 40 minutes. In the periods longer than about 50 minutes, the spectral intensity of the back-ground is much larger than the theoretical spectrum. There is a possibility that the incoming waves which excite back-ground oscillations may be more intensive in the longer period band. Another possibility is the contribution of the trapped waves for this period band. Very often the phase delay time obtained from the phase angle of the Fourier spectrum coincides fairly well with the one derived from the calculated dispersion curve on the assumption that waves start from a localized source with the same phase for all frequency. This suggests the existence of edge waves. However, the coherency analysis of water level variations observed simultaneously at Enoshima and Ofunato, contains an obscurity on the existence of waves propagating along the shelf.陸棚上で観測された津波のスペクトルは,特別な擾乱源のない平常時の海面振動,所謂back groundのスペクトルと密接な関係がある.それ放ここでは,このback ground の海面振動について,計算と実記録の解析の両面より考察を行った.
著者
平間 充子
出版者
The Society for Research in Asiatic Music (Toyo Ongaku Gakkai, TOG)
雑誌
東洋音楽研究 (ISSN:00393851)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.71, pp.39-63, 2006

踏歌節会の原型は天武・持統朝 (六七二~九七) に遡り、また中国の元宵観燈という行事に起源が求められるとの指摘があるが、その根拠となる『朝野僉載』は元宵観燈を先天二 (七一三) 年と記し、天武・持統朝に及ばない。一方、隋の煬帝 (在位六〇四~一八) は、正月中旬洛陽にて百戯と呼ばれる見世物を諸蕃の前で挙行し、それを恒例とした。本稿では、日本の踏歌節会及びその前身と考えられる正月中旬の饗宴儀礼について、その構造と政治的重要性を中心に煬帝の百戯と比較検討を行うこと、その上で洛陽以外にて行われた煬帝の百戯と奈良次代以前の日本で見られる芸能奏上の場とを比較し、踏歌節会と密接なつながりを持つ射の儀礼を媒介に、古代日本における音楽・芸能の奏上について政治的視点から考察することを目的とする。<br>第一章では、平安初期の儀式書『内裏式』および正史に見える天武朝から桓武朝 (六七二~八〇六) の踏歌節会の構造から、踏歌芸能の有無は踏歌節会の起源特定の根拠となり得ず、それを前提としていた先行研究の結論は再検討を要することを明らかにした。第二章では、『隋書』に見られる都城での百戯の記事を分析し、日本の踏歌節会の原型となった正月中旬の饗宴儀礼のモデル足り得るとの結論に到った。根拠は、元宵観燈と違い諸蕃の参加が不可欠であること、国家的行事としての組織的関与が窺われることの二点が日本の儀礼と共通するからである。第三章では、日本の正月中旬の饗宴儀礼と煬帝の百戯とにおける蕃客・諸蕃の位置づけの差異に関し、射の儀礼との比較から音楽・芸能の奏上が日本独自の礼秩序を体現していた可能性を示した。第四章では、『日本書紀』『続日本紀』に記される奏楽・芸能の奏上のほぼ全てが、蕃客・客徒のいる場か行幸先のどちらかであることについて考察を行い、当時の日本の奏楽・芸能奏上が中国の影響を受けつつも独自の発達を遂げた可能性を指摘した。<br>古代日本の儀礼における音楽・芸能奏上と中国のそれとを比較することは、音楽史的問題に留まらず、礼の移入や日本独自の礼秩序の樹立・表象といった政治史・文化史的側面を解明する手がかりともなり得るであろう。
著者
尾島 碩心 佐藤 泰正
出版者
公益社団法人 日本心理学会
雑誌
心理学研究 (ISSN:00215236)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.134-137, 1956 (Released:2010-07-16)
参考文献数
10
著者
鳥翠台 北巠
出版者
京都 : 唐本屋新右衛門[ほか]
巻号頁・発行日
1807 (Released:2016-02-17)

江戸時代後期、文化4年(1807)刊。5巻5冊。金沢の俳人である著者が加賀、越中、能登、越後、佐渡、若狭、越前の名所旧跡をたずね、見聞した奇談(平家伝説など)を集めたもの。 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn)の旧蔵書。ヘルン文庫配架番号2207-2211

2 0 0 0 天災と国防

著者
寺田寅彦 [著]
出版者
講談社
巻号頁・発行日
2011
著者
山下 東子
出版者
明海大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、缶詰用にも刺身用にも持続的に利用できる海洋資源の一つとしてキハダマグロを挙げ、そのフードシステムの解明を試みたものである。キハダマグロは、まだ資源が危機的状況には至っておらず、管理方法によっては十分に持続的利用が可能なものである。そのためには、稚魚と成魚の漁獲量を相対的に管理し、稚魚の段階で獲り控える漁業に対して何らかのメリットを与えるような資源管理の仕組みが必要である。