著者
小野 昌彦 小林 重雄
出版者
一般社団法人 日本特殊教育学会
雑誌
特殊教育学研究 (ISSN:03873374)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.355-362, 2002
被引用文献数
3

中学3年生女子不登校S(14歳)へ再登校行動の形成・維持を目的として介入を実施した。Sは、不登校発現前の不登校に至る要因として主張的スキルの欠如が考えられた。Sの対人関係困難場面からの回避行動へ正の強化刺激が随伴してしまったことにより、不登校が誘発されたと考えられた。Sへの再登校のための介入として、学習指導、体力訓練、登校行動の再形成、再登校行動維持のために主張的スキル訓練を実施した。また、家庭指導、学級担任への助言も実施した。6期(7か月間)、51セッションの介入の結果、再登校した。予後も良好であった。Sおよび家庭への総合的アプローチの有効性が示唆された。本研究において登校行動を維持する目的で体力、学力、再登校状況に関する情報を収集する必要性が示唆された。
著者
鈴木 実
出版者
日本動物分類学会
雑誌
動物分類学会誌 (ISSN:02870223)
巻号頁・発行日
no.13, pp.1-4b, 1977-10-31

付着生物における相組成の特時空的変遷過程を調べる目的で日本大学能獣医学部所属下田セミナーハウス(爪木崎)前の海水中,筑波大学付属研究センター内と東京港湾内人工凪さにスライドグラスを10枚一組として上・中・下三層に分け懸吊させ1〜3カ月後に回収・検鏡を行なうという作業を毎月1回ずつ行なってみた。その間,昭和51年12月14日に懸吊し2月14日に回収した爪木崎中層からのスライドグラスと5月9日に懸吊し6月中旬に回収した爪木崎中層からのスライドグラス各1枚にTrichoplaxをそれぞれ1個体と3個体見出すことができた。この動物はGRELL(1973)により形態・発生・系統などが詳細に調べられ,その結果クラゲの幼生ではなくPlacozoaに所属する唯一の実在種で,しかも後生物共通の祖先とみなしうることなどが明かにされた。Trichoplax(センモウアメーバヒラムシ:新称)は世界的な珍奇種で飼育用水槽中以外から発見されたのは下田爪木崎が世界では2番目の記録である。
著者
田中 康仁
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.53, pp.57-58, 1996-09-04
被引用文献数
2

機械翻訳の基礎的知識(Basic Knowledge)としては単語、複合語、専門用語、概念、概念と概念の関係、慣用表現等が考えられる。個々に研究を進めなければならないが、私の考えでは複合語と慣用表現の対訳付データの大量の収集と研究、体系化がなかなか進んでいないと考える。これは機械翻訳の応用分野がある特殊な分野に限られているためで、広くて一般的な分野に移れば、この分野は重要な問題になると考えている。数量としても数万から数十万の慣用表現データが必要である。また高級な知識とは:「水は摂氏℃0度で凍る」とか「アメリカは原爆を日本の広島と長崎に落とした。」「その結果、数十万の人々を殺した。」というようなものである。高級な知識、又は基礎的な知識の中間に位置するようなものも考えてゆかねばならない。例えば諺等がそれである。
著者
川口 悠子
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.227-242, 2006-03

本論文では、広島の原爆被害について、戦後日本ではどのような記憶が構築され浸透していったのかという問いを検討するため、1945年から1947年夏までの間の広島の状況と全国的な状況について、広島の地方紙と全国紙の記事の比較分析をおこなった。//第一節では、敗戦から占領軍の駐留開始までのあいだに、多くの日本人が原爆による被害の状況を知る機会があったことを示した。これは、敗戦によって日本政府の情報統制が緩み、原爆被害についての生々しい報道が数多くなされたためである。その後、占領軍(GHQ/SCAP)が到着し検閲を開始したため、原爆報道は急減していった。//第二節では広島の地方紙の記事とし当局者の発言の中で繰り返されたナラティヴの特徴を分析した。このナラティヴは、原爆投下によって軍事都市としての広島が消滅し、また世界平和が訪れたとして、広島はローカル・トランスナショナル双方の意味において「平和のシンボル」となったと主張するものだった。しかし、このような主張は必ずしも本心からなされたものではなく、むしろGHQ/SCAPの検閲の影響や復興資金獲得への動きなど、実際的な理由に基づくものだったと考えられる。//第三節では、前節で見た「平和のシンボル」論は、広島では報道はされたもののナショナルな文脈には位置づけられず、また全国紙は敗戦直後には原爆被害に多くの誌面を割いたにも関わらず、このような主張を報道することもほとんどなかったこと、すなわち原爆被害に対する関心にはローカルとナショナルなレベルでギャップがあったことを明らかにした。
著者
末永 昌美 新田 由美子
出版者
鈴峯女子短期大学
雑誌
鈴峯女子短大研究集報. 自然科学篇 (ISSN:03895025)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-11, 2007-12

原爆被爆者における平均余命と放射線影響の研究を行うために広島大学原爆放射線医科学研究所に登録されている被爆者を用い,1975,1980,1985,1990,1995年における生命表を作成した。1975〜1995年において,原爆被爆者の平均余命は年々延びており,50-54歳の平均余命の延びは,男性2.45年,女性4.32年であった。被爆状況別では,入市被爆者およびその他の被爆者と比べて,爆心地より2km以内で被爆した直接被爆者(直爆者)で平均余命は短い傾向にあった。(1)がん死亡確率は,直爆者で有意に高い傾向にあり,男性では有意に上昇した。(2)がんを除去した場合の余命の延びは直爆者で大きく,特に男性の直爆者で延びは大きかった。以上のことから,入市およびその他の被爆者と比べて直爆者におけるがん死亡に対する放射線の強い影響が確認された。
著者
古川 裕佳
出版者
都留文科大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

日本近代文学において、志賀直哉をはじめとする若い男性作家の作品に、家の女中と性的関係をもったことに苦悩する主人公像が描かれていることに注目し、罪意識と逸脱者意識の混交の果てに超越的な自己を見出そうとするような、共通した機構があることについて考察した。女中と関係してしまう「不良」のような、<家庭>イデオロギーからの逸脱者を描くことが、当時の文学にとって重要な課題であったことを明らかにし、家庭において家族と他人の中間的な存在であった「女中」の表象がどのように変容するのかを、当時の女中をめぐる言説および具体的な小説の表象に即して検討した。家庭にとっての異物であり、悪役とされる「妾」がお家騒動においてどのように機能したかを検討した。
著者
松尾 尊兌
出版者
岩波書店
雑誌
思想 (ISSN:03862755)
巻号頁・発行日
no.790, pp.p4-27, 1990-04
著者
五十嵐 沙千子
巻号頁・発行日
2013

科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書:基盤研究(C)2011-2012
著者
木村 範子
巻号頁・発行日
2013

科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書:基盤研究(C)2009-2012

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著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1898年10月05日, 1898-10-05
著者
阿閉 吉男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.11, no.3-4, pp.2-21,184, 1961-05-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
6
著者
若松 直樹 清水 洋子 玉木 裕二 小尾 俊之
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.53, pp.223-224, 1996-09-04

形式的仕様記述を用いて動作仕様を定義することにより、ソースコードの自動生成や仕様検証等の支援を可能にする研究が盛んに行われている。しかし、それら高度な支援を実現するために人間にとっての理解性を犠牲にして計算機にとって解釈が容易なものにする場合が多い。一つのシステムを複数に分割して記述した時、各仕様からソースコートを生成する際に、仕様上で同じ名前のものをソースコート上でも同じ名前にしなければならない。そのためにはネーミングに規則を設ける必要がある。また、検証を行うために、名前の意味を解析できることは重要である。ソースコードへの変換を考慮したり、記号に意味を持たせて、仕様上の名前に付加し、それにより解析を可能にするという規則は、人間にとっての理解性を低下させる。これを改善するために、我々日本人にとって最も理解しやすい日本語の文章で仕様を記述するネーミング手法を提案する。本報告では仕様上に記述された日本語の名前をソースコート上の名前に変換するためのネーミング規則、およびその解析アルゴリズム、また本提案による効果について、ATM (現金自動取引装置)向けCASEツールへの適用における、特にメッセージ名を例にとって述べる。
著者
中西 雄二
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.649-665, 2004
被引用文献数
2 1

More than two million Russian refugees resulted from the Russian Revolution in 1917. These refugees were termed "White Russians" ("Hakkei-Roshiajin" in Japanese) and did not accept the Soviet regime. For this reason, they escaped from their motherland and spread to many countries similar to a diaspora.The purpose of this paper is to discuss the way of life and the functions of White Russian society who chose Kobe, a former central city of White Russians living in Japan, as their domicile. This study is based on documents from the Diplomatic Record Office of the Japanese Ministry of Foreign Affairs and oral data gained through fact-finding visits and interviews in the area.Most White Russians in Japan lived in Tokyo and Yokohama before the Great Kanto Earthquake in 1923. However, a large number of them migrated from the Tokyo area to Kobe, which provided shelter from the disaster. Thereafter, Kobe became one of the central settlements of White Russians in Japan, along with the Tokyo metropolitan area. In those days, many White Russians, more than 400 people at its highest point, settled in Kobe, particularly in the former Fukiai and Ikuta wards.The term "White Russians" refers to all people from the territory of the Russian Empire, including Christians, Jews, and Muslim Tatars. Therefore, White Russians are a group that is diverse in terms of culture, ethnicity and religion. Consequently, their organizations were based on their religious affiliations in Kobe.In the period after 1925, White Russians were categorized as stateless in Japan. They had the right to obtain a "Nansen Passport", issued by the League of Nations as identification cards, but their status was very uncertain. Moreover, many White Russians were peddlers and frequently travelled around. As a result, the Japanese authorities watched them closely as they were suspicious that White Russians were spies sent from foreign countries, especially from the Soviet Union. In fact, some White Russians were expelled from Japan in the 1920s. However, in the 1930s, chauvinistic nationalism arose among White Russians themselves, and some of them even provided donations to the Japanese government and army. This indicates that the White Russian society was subsumed within Japanese society in those days. In addition, there was some conflict over the attitude toward the Soviet Union in White Russian society.After W. W. II, the number of White Russians in Japan suddenly decreased. This is because many people went abroad in order to avoid chaos after the war. In Kobe, there was also a rapid decrease in the population of White Russians, and their organizations gradually declined and eventually dissolved. Today, only "The Kobe Eastern Orthodox Church Assumption of the Blessed Virgin", "The Kobe Muslim Mosque", and "The Kobe Foreign Cemetery" remain in Kobe as remnants of former White Russian society.These cases illustrate the disappearance of the ethnicity of White Russians in Kobe. There is a tendency for refugees to remigrate or for their families to disperse. Many White Russians were no exception, and this tendency is one of the reasons why White Russians disappeared from Kobe. In addition, the negative attitude of the Japanese state towards the inflow and settlement of foreigners is one of the major factors explaining their disappearance.
著者
藤岡 純一
出版者
国立社会保障・人口問題研究所
雑誌
海外社会保障研究 (ISSN:13443062)
巻号頁・発行日
no.184, pp.4-15, 2013-09

スウェーデンにおいて家族などのインフォーマル介護が見直されてきたのは1990年代であった。1998年、コミューン(市)の介護者支援を奨励する規程が社会サービス法に追加された。介護者協会などのボランティア組織と協働しながら、国の補助金によって介護者支援が促進されてきた。ホーム(家庭における)レスパイトやショートステイ、介護者出会いセンターやグループ活動などである。2009年7月に、社会サービス法のその条項は、奨励からコミューンの義務に変わった。しかし、問題点も残されている。障害または長期疾病の子どもを介護する者への支援でコミューンの取り組みが遅れている。週11時間以上介護・援助・支援をしている「非常に濃密な介護者」は、健康、就労、生活の質において問題が残っている。介護者支援について知らない介護者がまだ多い。これらの問題点を解決するとともに、非常に濃密な介護者には、要介護者への社会サービスをさらに充実することが、負担の軽減に繋がる。
著者
鉄矢 博子
出版者
和洋女子大学
雑誌
大學紀要. 第2分冊, 家政系編 (ISSN:02893193)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.47-65, 1983-03-31

市販各種甘味料(蜂蜜, 低カロリー甘味料4種 : A-商品名シュガット・B-商品名シュガーカット・C-商品名マービー・D-商品名マイホームシュガー, 虫歯予防用甘味料 : 商品名デンタルシュガー)を砂糖の代りに使用した時, これらの甘味料は砂糖と同様の調理性を示すかを, 卵白の起泡性に対する影響を取り上げ考察した。特にスポンジケーキにおける調理効果について砂糖との比較において検討したところ次の様な結果が得られた。1. 各種甘味料は砂糖と同様, 卵白の起泡に安定性を与えた。更に低カロリー甘味料A・低カロリー甘味料B・低カロリー甘味料Dは砂糖より卵白の起泡性を高める効果がみられた。2. 低カロリー甘味料Dは共立て法の場合は起泡性を著しく低下させた。脂肪による消泡作用を受けやすい様に思われる。3. 共立て法によりスポンジケーキを作成した時, 蜂蜜・虫歯予防用甘味料を用いたスポンジケーキは砂糖のものより表面の焼き色がつきやすく, 仕上り形態はあまり良くない。しか, 味・香は砂糖同様よいものであった。4. 低カロリー甘味料A・低カロリー甘味料B・低カロリー甘味料Cを用いたスポンジケーキは砂糖のものより表面の焼き色がうすいが, 整った形をしており, 外観はよい。味・香はあまり好まれない。5. 低カロリーDを用いたスポンジケーキは他と同様の方法で作成した場合, 良い外観のものは得られなかった。甘味料を小麦粉に混ぜる方法で作成した場合は他の低カロリー甘味料と同様の外観を得ることが出来た。しかし, いずれにしても味・香はあまり好まれない。6. 甘味料を用いずに作成したスポンジケーキは官能的に最も好まれなかった。このことから, 各種甘味料は砂糖と同様スポンジケーキの品質向上に何らかの効果を与えていることが明らかとなった。7. 低カロリー甘味料を用いたスポンジケーキは, 砂糖と同程度の甘味になるように各甘味料を使用する場合は, 保存性の低いことが観察された。