著者
土屋 伸夫
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.53, pp.171-171, 2006

<B>研究意義</B>_-_デザイン史においては、1953(昭和28)年における多くの建築家が創立に関わった国際デザインコミッティーの結成や1961(昭和36)年におけるグッドデザインコミッティーが「グッドデザイン」展開始というような日本デザインコミッティーの前身に関わる事象を取り上げている。しかし、デザインギャラリーそのものについては、その系譜となるものが充分研究されていない。つまり、先行研究がほとんど見あたらない。<B>研究目的</B>_-_デザインギャラリーを通じて、特にその企画展からデザイン史を俯瞰しようとするものである。<B>研究方法</B>_-_文献や企画展案内状などの資料などを活用して行う。<B>研究結果</B>_-_戦後期においては、デザインギャラリー銀座・松屋がデザインギャラリーとして位置づけることができる。<B>研究考察</B>_-_戦前は資生堂ギャラリー(昨年の第52回日本デザイン学会春季大会口頭発表)、戦後はデザインギャラリー銀座・松屋がデザインギャラリーの存在を公に認知させてきたということが言える。つまり、資生堂ギャラリーとデザインギャラリー銀座・松屋の企画展により、デザイン文化の形成およびデザイン文化の向上に大いに貢献してきた。特に、デザインギャラリー銀座・松屋は、デザイン啓蒙支援・デザイン流通支援をもとに展開されてきたことが明らかになった。
著者
寺澤 捷年
出版者
一般社団法人 日本東洋医学会
雑誌
日本東洋医学雑誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.331-339, 2016 (Released:2017-03-24)
参考文献数
10
被引用文献数
3 6

腹診における鼠径部の圧痛が当帰四逆加呉茱萸生姜湯証を指示することが知られている。この事実は1963年に大塚敬節により発見されたものである。そして彼はこれを足之厥陰肝経と関連する徴候と考えた。しかしこの徴候が発現する背景はいまだ明らかにされていない。最近,著者はこの鼠径部の徴候が痞根(ExB4)に置針することによって消失することを見いだした。この臨床的事実から,本方証が恒常性維持機構と関連するとの仮説を呈示した。すなわち,寒冷環境においては下肢からの放散熱を防ぐために総腸骨動脈に交感神経性促進信号がもたらされ,その結果,骨盤腔内臓器の血流が低下する。痞根に対する鍼施術の効果は腸腰肋筋の硬結と内腹斜筋の緊張を同時的に緩ませるものとのと推測される。当帰四逆加呉茱萸生姜湯は骨盤腔内臓器と交感神経節との間に形成されている悪循環を遮断し,骨盤腔の虚血に関連するさまざまな症状を改善するのである。
著者
杉田 孝夫
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2011, no.62, pp.57-71_L4, 2011 (Released:2011-12-09)
参考文献数
9

Zwischen 1780 bis 1820 standen die drei Elemente, die den modernen deutschen Familienbegriff konstituierten, zur Verfügung. Besonders in den drei Familientheorien Kants (1797), Fichtes (1797) und Hegels (1821) finden wir die theoretische Entwicklung des Konzepts der Familie als die moderner Kleinfamilie (engl. nuclear family). Einerseits lässt sich der Entstehungsprozess der Vorstellung der Familie begriffsgeschichtlich nachvollziehen. Andererseits lässt sie sich auch in Beziehung zwischen der Familie und der modernen individualistschen und liberalistischen Gesellschaft erklären. Die Vorstellung von der Familie symbolisierte die neue freie individualistsche Gesellschaft in Abgrenzung zur alten ständischen und häuslichen Gesellschaft (ancien régime). Die Eheschließung des freien Mannes und mit der freien Fau, die einander herzlich lieben, schafft eine Familie, und sie produzieren freien Menschen (Kinder), ziehen sie groß und pflegen sie. Wenn das Kind erwachsen wird, unabhängig und frei, kommt die Rolle der Familie an ihr Ende.Aber die neue Gesellschaft hat eine neue moderne Geschlechterdifferenz produziert und strukturiert. Der Mann repräsentiert seine Familie in der öffentlichen Sphäre, und die Frau wird die Zentralfigur der Liebe und des Glaubens in der Familie, also in der privaten Sphäre. Das ist die Geburt des Mythos der Mütterlichkeit. Gerade zu Beginn war Die Vorstellung von der Familie die Basis für die Menschenbildung, die Freiheit und die Gemeisamkeit der Geschlechter, aber mit der Vergrößerung der Entfaltungsmöglichkeiten für Frauen und der Verbesserung der Bedingungen für sie in Ausbildung, Arbeit und allen anderen Tätigkeitsfelder wurde die Familie in der Vorstellung so etwas wie ein Symbol für die Hinderniss, welche die Freiheit der Frauen einschränkten. Warum?Aus der Gender-Perspektive und im Dialog mit der feministischen Kritik werden die Möglichkeiten und Problematik der Familie als Basis der Bildung und Freiheit des Individuums in unserem Zeitalter diskutiert.
著者
山田 有希子
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.70, pp.106-122, 2019-04-01 (Released:2019-04-18)

In dem Deutschen Idealimus, besonders in dessen “Naturphilosophie”, wurden aktive Diskussionen über “Leben” oder “Organismus” entwickelt. Aber bis heute haben sie selten im Vordergrund gestanden. Denn vom Standpunkt der modernen Biologie oder der Biowissenschaften aus, werden sie wahrscheinlich für veraltet oder “spekulativ” gehalten. Es war Hegel, der im deutschen Idealismus den Begriff “Leben” unmittelbar und thematisch argumentierte. Bekanntlich ist es die Metapher mit Embryo (das organische Ganze), die das gesamte Hegels System erklärt. Und der Begriff “Leben” wird nicht nur in die “Naturphilosophie” sondern auch in die “Logik”, die scheinbar keine direkte Beziehug auf denselben Begriff hat, aufgenommen. Die Logik ist die Grundlage für Hegels System, und im letzten Kapitel “Idee” wird das Leben als eine Idee behandelt. Ferner versucht Hegel die Idee “Leben” mit dem Begriff des Widerspruchs positiv zu begreifen, obgleich Kant eben diesen Widerspruch zu vermeiden versuchte. Mit dem Widerspruch erhalt das Leben in Bezug auf den “(menschlichen) Geist” einen höheren Sinn als “Natur”. Einfach ausgedrückt, hat die Frage nach dem Leben eine widersprüchliche Struktur, dass die Frage selbst die Antwort (das Wesen des menschlichen Lebens) ist. Wir leben jetzt und hier gerade fragend, was unseres Leben ist. Hegel versuchte nicht nur das Leben zu verstehen und erklären, wie es ist, sondern auch es zu begreifen, was es ist, während er den Unterschied zwischen dem Leben von Tieren und Pflanzen (Organismus) und dem menschlichen “Geist”, und deren Beziehung (die Schwierigkeiten, beide zu teilen) betrachtete. In diesem Beitrag denken wir darüber nach, was Leben ist, hauptsächlich durch Hegelisches Denken gegen Kantisches. Damit können wir uns nach der Frage selbst, was das Leben ist, fragen. Die Inhaltsübersicht ist wie folgt. 1. Kants Theorie des Organismus (1)Analogon der Kunst (2)Analogon des Lebens (3) von Geist zu Leben - vom Geist gegen Materie zum Leben gegen Materie 2. Hegels Theorie des Lebens (1)A. lebendiges Individuum B. lebendiger Prozess (2) C. Gattung (3) der Tod des Individuums als das Leben des Geistes 3. Die Frage nach unserer Frage selbst: Was ist das Leben?
著者
髙阪 勇輔
出版者
日本結晶学会
雑誌
日本結晶学会誌 (ISSN:03694585)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.185-190, 2018-08-31 (Released:2018-08-31)
参考文献数
35

We report enantiopure crystal growth and chiral helimagnetic ordering in chiral inorganic compounds CsCuCl3 with a chiral space group of right-handed P6122 or left-handed P6522. Our 2-step crystallization process makes it possible to grow centimeter sized enantiopure single crystals. Polarized neutron diffraction experiments probed that crystallographic chirality of CsCuCl3 strongly combined with helimagnetic chirality via Dzyalloshinskii-Moriya interaction.
著者
水城 安尋 玉井 幹人 志田 義輝 花田 麻須大 久我 尚之 萩原 博嗣
出版者
西日本整形・災害外科学会
雑誌
整形外科と災害外科 (ISSN:00371033)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.63-66, 2012
被引用文献数
1

肩石灰性腱炎において下方への亜脱臼を認めることがある.我々は巨大な肩石灰性腱炎の保存治療経過中に下方への亜脱臼が進行した一例を経験したので報告する.【症例】58歳女性,美容師.H21年9月より右肩痛が出現した.前医で石灰性腱炎の診断をうけ加療を受けたが,徐々に石灰が増大し亜脱臼をきたしたためH22年4月に紹介初診した.上肢の挙上及び回旋が著明に制限されており,単純X線では骨頭上方の巨大な石灰と骨頭の下方への亜脱臼を認めた.保存療法を行い疼痛や可動域は著しい改善が得られたが,亜脱臼は進行し5月に手術を行った.鏡視下に腱板を一部切開し石灰を除去した.術後より下方亜脱臼は改善され,術後2カ月で症状も改善し現職に復帰した.【考察】本症例では疼痛に関係なく亜脱臼は進行し,石灰の除去で速やかに亜脱臼は改善した.肩石灰性腱炎において巨大な石灰の場合,その容積による物理的な要因で下方亜脱臼が生じる可能性がある.
著者
村上 英徳 村上 暎二 竹越 襄 松井 忍
出版者
Japan Heart Foundation
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.16, no.11, pp.1173-1180, 1984

砂時計型を呈する大動脈弁上狭窄症の2症例の臨床的特徴について報告する.第1症例は,約20年前より心雑音を指摘されている43歳女性,美容師で,今回,胸部圧迫感と失神発作を主訴に入院した.本症例では大動脈弁狭窄症の合併がみとめられた.第2症例は小学校入学時の健康診断時に心雑音を指摘されていた17歳女性,学生である.本例は本学胸部外科にて手術し良好な経過を示している.2症例共,左右冠状動脈起始部近くに動脈瘤を認めた.また第1例は本邦報告例中最も高齢であり,大動脈弁狭窄症の合併は本邦初例である.
著者
薄井 洋基 岸本 啓介 鈴木 洋
出版者
公益社団法人 化学工学会
雑誌
化学工学論文集 (ISSN:0386216X)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.423-430, 2000-05-10 (Released:2010-03-15)
参考文献数
16
被引用文献数
5 6

シリカサスペンションの粘度を予測するためのチキソトロピーモデルが提案された. 本モデルは粒径分布を有する凝集性スラリーの非ニュートン粘度を予測することが出来る. 本モデルでは球形粒子を仮定しているので, モデルの検証のために単分散の球形シリカ粒子を用いて粒子分布を有する濃厚サスペンションを調製した. 実験結果との比較より最小粒子間結合エネルギーF0に関しては更なる考察が必要ではあるが, 粒径分布を持つ凝集性スラリーの粘度予測を本モデルを用いて行えることが示された. 今後, 一般的な粒径分布を有する非球形粒子のスラリー系に対する本モデルの適用性を検証する必要がある.
著者
小島 泰雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.中国の辛い地域<br> 四川料理が辛いことを説明するのは、夏が暑いことを論じるようなある種の徒労を感じる作業である。「麻辣」が正しい辛さの表現である、四川料理にも辛くない料理がある、湖南人の方が「怕不辣」であるといったことも、耳を傾けるべき指摘であるが、ここでは中国のどこが辛い料理を好むのかについてなされた興味深い報告を紹介したい。藍勇(2001)は、シリーズとして刊行された中国12省市の料理書の調味記載を定量的に分析(「辣度」)し、辛さの地域分化を提示している(下表)。この表は、中国食文化の多様な地域的展開において、一つの特色ある地域文化として四川料理を捉えるべきことを示唆している。<br>2.とうがらしの伝播<br> 辛い四川料理はそれほど長い歴史をもつものではない。その辛さにはとうがらしが主たる貢献をなしていることから、新大陸原産のそれが四川に到達して以降であることは容易に思い至るだろう。<br> この方面の研究も近年、詳細さを深めている。丁暁蕾・胡乂尹(2015)は、明清期の地方誌に記載されたとうがらし関連の記載を全国にわたって丹念にたどり、とうがらしの中国国内での伝播を復原している。初期のとうがらしの呼称である「番椒」は、明朝末期から18世紀までは主に東南沿海地区と黄河中下流という離れた2つの地域で確認され、19世紀前半に東南沿海から北上および内陸に展開している。四川の方志にとうがらしの記載が見られるのは、19世紀になってからとする。方志が数十年間隔で編纂されたことを加味するならば、四川でのとうがらしの普及が18世紀に遡る可能性はあるが、それにしても清朝中期のことである。<br> 新大陸原産の作物が、現代中国の農業と食において欠くべからざる存在となっていることは、とうもろこしやさつまいも、じゃがいもといった主食となる作物、あるいはトマト、なす、かぼちゃといった野菜の名を挙げるだけで十分に理解されよう。これらの入っていない中国料理はなんとみすぼらしいことだろうか。こうした新大陸原産作物の伝播は、時間と空間において決して単純なものではなく、繰り返し様々なルートでもたらされたものとされる(李昕昇・王思明2016)。<br>3.自然地理と歴史地理<br> 熱帯で栽培される胡椒と異なり、とうがらしは温帯でも栽培できる香辛料であり、新大陸から運び出された種子は持ち込まれた世界各地に定着していった。食文化の地域性は、その素材となる動植物の分布・農牧業を媒介項として、気候や地形といった自然地理と結びつけられて解釈されることが一般的である。中国は季節風により夏季温暖多雨であり、とうがらしは農耕地域であればほとんどの地域で栽培しうる。したがって中国における辛さを好む地域性は異なる理路で説明されることが求められることとなる。<br> とうがらしは、寒冷や湿潤に伴う身体的反応と結びつけられてきたが、類似の気候条件で辛さを好まない地域を容易に提示できることから明らかなように、環境決定論的な単純な推論は説得力を持ち得ない。そこで考慮すべきなのが、社会経済的な、あるいは文化的な、言い換えれば歴史地理的な推論である。<br> 現在、中国では各地で四川料理が食べられているが、共通するのがその庶民性である。とうがらしの入った料理は素材の善し悪しをそれほど問わない。とうがらしが定着していった清朝中期、四川はまさにフロンティアであった。多くの移民を受け入れ、人口過剰な情況になった四川には普遍的な貧しさがあり、「開胃」(食欲増進)に顕著な効果のある(山本紀夫2016)とうがらしは、地域住民に歓迎されたと考えられる。<br> ただし前近代の農村の不安定性は、四川に特権的な貧しさを認めないであろう。そこで食文化の連続性が浮かび上がる。中国在来の香辛料である花椒が陝西から四川にかけて多く使われていたとする指摘は、さらに深く考究してゆくに値するであろう。<br> モンスーンアジアに視野を拡げると、胡椒産地であるインドが熱烈なとうがらし受容地域であるのに対して、食文化に関して多様な地域性をもつ中国がとうがらしの受容において選択的であることは、まさに食文化の連続性を物語る対照性と言えるのではないであろうか。

1 0 0 0 OA 救済制度要義

著者
井上友一 著
出版者
博文館
巻号頁・発行日
1909