著者
河﨑 靖範 村上 賢治 古澤 良太 尾関 誠 松山 公三郎
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2014, 2015

【はじめに】蘇生後患者は低酸素脳症による高次脳機能障害や運動麻痺等の合併症のため,社会復帰に難渋する場合が多い。当院では蘇生後患者に対して,PT,OT,STや心理士が介入した多職種協働のリハビリテーション(リハ)を提供している。目的は蘇生後患者に対するリハの効果について検討した。【方法】2009年1月から2013年12月にリハを実施した蘇生後患者8例(年齢61±23歳,男/女=6/2,入院/外来=5/3)を対象として,基礎疾患,低酸素脳症身体障害の有無,ICDの植込み,リハ職種の介入,リハ期間,6分間歩行距離(6MD),高次脳機能障害,Barthel Index(BI),転帰について調査した。リハプログラムは,PTは通常の心大血管疾患リハに準じて,モニター監視下にウォーミングアップ,主運動にエルゴメータや歩行エクササイズ(EX),レジスタンストレーニングを実施し,高次脳機能障害(記憶・注意・遂行機能)に対して心理士,ST,OTが介入した。心理士は高次脳機能障害の評価とEX,STはコミュニケーション障害の評価とEX,OTはADL障害の評価とEXを実施した。各症例の心肺停止から心拍再開までの経過;症例1:自宅で前胸部痛あり,救急車要請し,救急隊到着時Cardiopulmonary arrest(CPA)状態,CardioPulmonary Resuscitation(CPR)実施,10分後心拍再開(発症から蘇生までの推定時間:約15分)。症例2:自宅で呼吸苦出現し,当院到着後CPA状態,外来でdirect current(DC)およびCPR施行,10分後に心拍再開(約10分)。症例3:自宅でCPA状態,家人救急車要請しCPR実施,約20分後救急隊到着Automated External Defibrillator(AED)施行,26分後車内で蘇生(約45分)。症例4:自宅でCPA状態Emergency Room(ER)搬送,CPRにて心拍再開(約60分)。症例5:自宅でCPA状態ER搬送,心拍再開(不明)。症例6:自宅で飲酒中に意識消失,10分後CPA状態で救急隊にてAEDとCPR施行,18分後心拍再開(約30分)。症例7:心室細動にてAED,心拍再開(不明)。症例8:フットサル休憩中に意識消失CPA状態,10分後救急隊到着AED施行,10分後救急車内で心拍再開(約20分)。【結果】基礎疾患は急性心筋梗塞5例,不整脈原性右室心筋症1例,原因不明2例であった。心室細動が確認された5例に電気的除細動が施行され,低酸素脳症後遺症は高次脳機能障害が8名中6名,右下肢の運動麻痺は1名に認めた。その後のICD植込みは4例(ICD3,CRTD1)であった。リハ職種の介入はPT8例,心理士5例,ST4例,OT3例であった。入院時6MD(m)が測定可能であった8名中4名は,リハ開始時233±196からリハ終了時425±96となった(n.s)。記憶は,高次脳機能障害を認めた6名中,検査を実施した4名の記憶を評価するリバーミード行動記憶検査は,リハ開始時は重度3名,中等度1名からリハ終了時は中等度が3名,軽度1名まで改善した。注意・遂行機能を評価するトレイルメイキング検査は,年齢を考慮しても改善傾向にあった。リハ期間は入院外来を含めて251±311(最短41~最長953)日で,リハ中の虚血性変化,不整脈等の心事故の出現はなかった。BI(点)はリハ開始時72±35からリハ終了後95±5であった(n.s)。外来2名を含む8名全例が自宅退院し,現職者4名中3名は現職復帰し,4名は退職後の高齢者であった。【考察】長期のリハ介入によって,運動能力は改善傾向を示し,高次脳機能障害は,記憶と注意の障害に改善を認めた。記憶や注意・遂行機能障害に対しては,代償手段としてのメモリーノートや携帯アラームなどの外的補助手段を活用した。また高次脳機能と脳血流量は関連があるとする報告も多くあるが,本研究においては運動能力やADLにおいて改善傾向を示したが,有意差はなかった。記憶や注意・遂行機能の改善は,自然治癒も含まれリハ効果と言うより主に障害を家族に理解して頂くための関わりが中心であり,必要に応じてカウンセリングや就労支援も実施した。【理学療法学研究としての意義】蘇生後患者の社会復帰のためには,高次脳機能障害等の合併症の観点からPTが介入する有酸素運動を中心とした運動療法のみならず,心理士,ST,OTや等の多職種協働のリハが必要と思われた。
著者
坂本 正 町田 延代 中窪 高子
雑誌
Proceedings of the conference on second language research in Japan
巻号頁・発行日
1995-03-01

近年日本語教育者による日本語習得研究が活発に行われるようになったが、現在発表されている、ほとんどの研究は初級から上級レベルの日本語学習者を対象としている。本発表は、「超上級者(near-native speakers)」と言われる外国人日本語話者とのインタビューから得られた発話資料を整理し、調査時点で安定化している(stabilized)と思われる文法項目を指摘して、日本語教育へのフィードバックを図ろうとするものである。被験者は、在日期間が20年以上と長く、日本語能力が非常に高い外国人(3名)である。全員成人になって日本語学習を始めており、小さい時に第二言語として日本語を習得した者はいない。彼らは、音声面で多少外国人アクセントは残すものの、日本語の母語話者に近い日本語能力をつけた外国人日本語話者である。約1時間のインタビュー調査で全員に同じ質問をし、全発話を録音するという方法で発話資料を収集した。調査者3人がそれぞれテープを聞き、発話に現れた文法上の誤用を分類、整理した。本稿において特に、日本語教育上大きな問題になっている、 1)コソアの指示詞、 2)テンス・アスペクト、 3)助詞(特に「は」「が」)を中心に習得状況を報告する。
著者
四日谷 敬子
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1987, no.37, pp.77-93, 1987-05-01 (Released:2009-07-23)
参考文献数
22
著者
小島 庸平
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.315-338, 2011-11-25 (Released:2017-05-19)

本稿は,長野県下伊那郡座光寺村で農村負債整理組合法に基づいて実施された無尽講整理事業の実施過程を分析することを課題とする。座光寺村では,1920年代の養蚕ブームを背景に,インフォーマルな金融組織である無尽講が「濫設」されていたが,大恐慌期にはその多くが行き詰まり,村内における階層間対立を激化させる一因となっていた。だが,戦間期の無尽講は,部落や行政村の範囲を超えた多様な共同性の中で組織されており,債権債務関係と保証被保証関係が複雑に折り重なっていたため,その整理は極めて困難なものであった。無尽講をターゲットとした同村の負債整理事業は,進捗自体は極めて遅々としていたものの,地縁的な関係を超えて集団的に取り結ばれた無尽講の貸借関係を,同一部落内における個人間での「区人貸」に再編し,その結果,30年代後半の経済好転に伴う余剰資金の預金先は,産業組合に代表される制度的な金融機関へとシフトしていった。無尽講の整理を1つの目的とした農村負債整理事業の歴史的意義は,「講」型組織の「村」型組織化(を通じた解体)にあったと言うことができる。
著者
古澤 良太 冨岡 勇貴 河﨑 靖範 槌田 義美 尾関 誠
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.48100532, 2013

【はじめに】中大脳動脈領域損傷の患者において、ADLに必要な動作能力を有していても高次脳機能障害の影響により、理学療法やADL動作獲得の阻害因子となることを臨床上多く経験する。その中でも運動維持困難(MI)が明らかな左片麻痺患者は長期のリハビリテーション期間を要し、ADL動作や歩行の達成度が低い傾向が指摘されている(石合2003)。今回、高次脳機能障害による麻痺側下肢への持続的な荷重困難のため、安定した立位保持・歩行困難が長期間改善しなかった症例に対し、心理士と共に阻害因子を分析してプログラムの見直しを行い、自己教示法を用いた運動維持課題を実施したところ顕著な改善が認められたので、その効果を報告する。【方法】59歳女性、右利き、病前ADLは自立、特筆すべき既往歴はなかった。2011年12月に心原性脳塞栓症、左片麻痺と診断され、脳浮腫に対して外減圧術施行後、翌年1月に当院入院となった。運動機能は左下肢BRSII、非麻痺側上下肢MMT4、著明なROM制限なし、感覚テストは表在・深部覚とも重度鈍麻であった。高次脳機能障害はMI、注意障害、抑制障害、USNが認められた。動作能力は起居・起立動作は監視、車椅子駆動は自立、歩行は平行棒内にてKAFO軽介助、ADLは全般的に声かけを要し、移乗・排泄動作は介助を要していた。本介入以前は入院後早期よりKAFOを用いた起立・歩行・階段昇降・荷重exを6ヶ月間継続し、注意喚起を行うことでAFOでの荷重は可能となった。しかし、麻痺側下肢への直接的な荷重exでは荷重時間の延長を図ることは困難であったことから、原因をMIと考え、より簡易な動作でMIを改善させてから持続的に立位を可能にすることを企図した。MI exとしてJointらの評価項目(1965)から閉眼・側方視維持・頭部回旋位保持の3項目を実施した。さらに注意の転導性を認めたため、動作を持続し易くさせることを目的に目標とする秒数まで自分で数える一種の自己教示法を併用した。目標時間は確実に可能な持続時間より開始し、3日間連続して可能となった際に目標時間を漸増させた。MI exの般化指標としてJointらの評価項目より開口・固視・発声の3項目を記録した。また身体機能面の般化指標として麻痺側下肢荷重率及び持続時間、非麻痺側上下肢荷重率を日立機電社製立位練習機「エチュードボー」を使用し、記録した。MI exは3週間継続し、般化指標の評価は介入前1週間のベースライン期を含む4週間、週に3回実施した。本介入以前に実施していたその他のexは継続した。【説明と同意】本症例に対し、研究に関する趣旨を説明して同意を得た。【結果】各般化指標のベースライン期3日間と介入3週目の平均値を比較したところ、MIの指標では左右の固視以外の項目において全般的に改善が認められ、身体機能面では平均麻痺側荷重持続時間は2秒から78秒へ大幅に向上し、麻痺側下肢荷重率は5%から10%への向上を認めた。MI exでは左側方視の維持は変化が認められなかったが、閉眼・頭部回旋位保持の向上が認められた。また、MI ex導入後1ヶ月で移乗・排泄動作は自立し、歩行はさらに2週間後にT字杖とプラスチックAFOにて連続120mの監視歩行が可能となり、歩行能力の改善が認められた。【考察】今回、MIのために麻痺側下肢の持続的荷重に対する直接的なアプローチが困難なため、立位・歩行が困難な症例に対して、自己教示法を用いたMI exを試みた。立位や荷重exよりも簡易な動作としてJointらのMI評価から目標とする秒数まで自己にて数える事が可能な項目を選択した。より簡易な課題から持続可能にすることで、間接的に麻痺側下肢の運動維持が可能となった。また、簡易な課題だけではなく、確実に持続可能な目標の秒数まで自分で数えることから実施し、少しずつ目標時間を漸増させたことにより目標が明確となったこと、可能な持続時間から開始し、徐々に目標を達成したことで意欲が向上し運動の維持が容易になったと考えられた。運動維持時間が延長されたことにより、麻痺側下肢の荷重が可能となり、理学療法介入時における動作の安定性が向上した。その結果として日中の排泄動作が自立し、歩行能力が向上したと考えられた。このことから動作可能な身体機能を有していてもMIにより持続的な荷重が困難な症例に対して、MIへのアプローチは動作獲得に有用であると思われた。【理学療法学研究としての意義】MIにより直接的な荷重アプローチが困難な症例に対して、MI exが運動維持に対して有用であり、姿勢の持続に有用である可能性が示唆された。

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出版者
巻号頁・発行日
vol.[20],
著者
新堀 晃史 古澤 良太 村上 賢治 松岡 達司 河崎 靖範 槌田 義美
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2014, 2015

【はじめに,目的】Honda歩行アシスト(歩行アシスト)は股関節の屈曲伸展運動にトルクを負荷して歩行を補助する装着型歩行補助装置である。先行研究では,歩行アシストの使用により脳卒中片麻痺患者の歩行速度向上,歩幅増加などが報告されている。しかし,歩行アシストを使用した前方ステップ練習が歩行能力にどのような効果を及ぼすか検討した報告はみられない。今回,回復期リハビリテーション病棟入院中の脳卒中片麻痺患者に対し,歩行アシストを使用した前方ステップ練習を行った結果,歩行能力の向上を認めたので報告する。【方法】対象は左被殻出血により右片麻痺を呈した60歳代の女性。発症からの期間は135日,BRSは上肢III,手指III,下肢IV,感覚は鈍麻,MASは2(下腿三頭筋),歩行能力はT-cane歩行軽介助(プラスチックAFO)で2動作揃え型歩行であり,イニシャルスイング(ISw)にトゥドラッグがみられた。研究デザインはABAB法によるシングルケーススタディを用いた。基礎水準期(A1,A2期)には通常の前方ステップ練習+歩行練習を実施し,介入期(B1,B2期)には歩行アシストを使用した前方ステップ練習+歩行練習を実施した。各期間は2週間(5日/週)とし,評価内容は通常歩行速度(m/sec),歩幅(m),歩行率(step/min),筋力(kgf/kg)とした。通常歩行速度,歩幅,歩行率は各期間に5回ずつ測定し,筋力は各期間の前後5回計測した。筋力測定にはハンドヘルドダイナモメーター(アニマ社製μTasF-1)を使用し股関節屈曲,膝関節屈曲,膝関節伸展,足関節底屈,足関節背屈の最大等尺性収縮を測定した。前方ステップ方法は,開始肢位として非麻痺側下肢を前方に出した立位とし,麻痺側下肢を振り出す動作と,連続して非麻痺側下肢を振り出す動作の2種類を行い,練習時間は20分とした。その他,通常の理学療法を実施した。統計学的手法として,通常歩行速度,歩幅,歩行率は2標準偏差帯法(2SD法)を用いて分析した。2連続以上のデータポイントが基礎水準期の平均値±2SDの値より大きいもしくは小さい場合は,統計学的な有意差があると判断した。有意水準は5%未満とした。【結果】通常歩行速度は,A1期からB1期,A2期からB2期で有意差が認められた(p<0.05)。B1期からA2期では有意差は認められなかった。歩幅は,A1期からB1期,A2期からB2期で有意差が認められた(p<0.05)。B1期からA2期では有意差は認められなかった。歩行率は,各期ともに有意差は認められなかった。筋力は非麻痺側の股関節屈曲,足関節底屈,麻痺側の足関節底屈が介入期に高い変化量を示した(非麻痺側股関節屈曲はA1期:0.18,B1期:0.25,A2期:0.26,B2期:0.26,非麻痺側足関節底屈はA1期:0.19,B1期:0.23,A1期:0.28,B2期:0.36,麻痺側足関節底屈はA1期:0.10,B1期:0.09,A1期:0.08,B2期:0.21)。最終評価時の歩行能力はT-cane歩行自立(プラスチックAFO)で2動作前型歩行となり,ISwにトゥドラッグはみられなかった。【考察】通常歩行速度と歩幅は,非介入期と比較し,介入期において有意に改善がみられた。筋力は非麻痺側の股関節屈曲,足関節底屈,麻痺側の足関節底屈が介入期に高い変化量を示した。歩行は最終評価時には2動作前型歩行となった。本症例は,麻痺側股関節屈曲筋力低下および足関節の筋緊張亢進により,麻痺側下肢筋の同時収縮がみられ遊脚期における膝関節屈曲角度が不足し,ISwにトゥドラッグが出現していた。大畑らによると,歩行アシスト装着による歩行で,片麻痺患者の遊脚期に生じる最大膝関節角度がアシスト強度に伴って有意に増加したとしている。今回,介入期に歩行アシストを使用した前方ステップ練習を行ったことで,遊脚期の膝関節屈曲角度の増加がみられ,トゥドラッグが改善し,歩幅の増加による歩行速度の向上につながったものと考えられた。また,非麻痺側の股関節屈曲,足関節底屈,麻痺側の足関節底屈筋力が向上したことで,歩幅や麻痺側単脚立脚期の増加につながり,最終評価時において2動作前型歩行となったものと考えられた。【理学療法学研究としての意義】歩行アシストを使用した前方ステップ練習が,回復期脳卒中片麻痺患者における歩行能力向上の効果を示唆するものであり,脳卒中片麻痺患者の歩行トレーニングに有効な介入手段になるものと考える。
著者
大村 晴雄
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1965, no.15, pp.142-156, 1965-03-31 (Released:2010-01-20)
参考文献数
38

J. Böhmes Theosophie ist der sehr charakteristische, christliche Mystizismus und ist ganz anderes als die Philosophie. In der Tat trat sie nicht in die deutsche Philosophie seit Leibniz hinein. Aber, was den deutschen Idealismus betrifft, so hatte sie grossen Einfluss auf Hegel und Schelling. Wenn sie auch hier unverändert, charakteristisch war, so wurde sie doch in geeigneter logischer Form systematisiert und in dem bestimmten Bereich der deutschen Philosophie verallgemeinert. Hegels Konzeption über die “Wissenschaft der Logik” ist insbesondere bemerkenswert. Die spekulative Seite der Böhmeschen Theosophie wurde erst von ihm klar gemacht und erweitert. Schelling war dagegen vielmehr der Nachfolger ihrer mythologischen Hauptseite.
著者
芝田 進午
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1973, no.23, pp.192-200, 1973-05-01 (Released:2009-07-23)
参考文献数
9
著者
高田 純
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1977, no.27, pp.149-159, 1977-05-01 (Released:2009-07-23)

ドイツ観念論倫理学の基本性格は、経験的なものから純化されたアプリオリな理性意志=自由意志をその原理とする点にあるといえよう。カントは、このような理性意志にこそ、万人を結合する道徳法則の根拠、万人の自由な倫理的共同存在にとっての根本原理が求められると考えた。しかし、倫理的共同存在の実現の問題が具体的に問われるためには、カントにおいて捨象されるのに急であった意志主体(人格)相互のあいだの経験的諸規定があらためてとりあげられ、理性意志がどのようにしてこれらをつうじて内在的かつ具体的に確立されるかが把握しかえされなければならないであろう。そしてまた、このような過程をへることによって、理性意志の原理は、経験的なものを外的に規定する形式的原理であることをこえて、経験的なもののなかで作用する生きた内在的形式、活動原理にまで高められることになるであろう。フィヒテを経てヘーゲルに到るドイッ観念論倫理学の歩みは、これらの問題の自覚的追求の過程でもあった。この過程においては、意志相互の具体的な関係と働きかけ(交通)およびその現実的な場としての社会のなかでの意志の理性的形成(理性意志の社会的、間主観的基礎づけ)の問題が論究されるとともに、逆にまた、現実社会がこのような理性意志の実現として理性化、倫理化 (社会の理性的基礎づけ) される方向へと進んでいく。本稿では、ドイツ観念論におけるこのような推移を、とくに、そのさいの考察の結節点としての位置にあると思われる「相互承認Gegenseitiges Anerkennen」概念に着目しつつ、またこの概念を自覚的にとりあげた初期フィヒテとヘーゲルを重点に、概観してみたいと思う。
著者
小野寺 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.74, 2008 (Released:2008-07-19)

1.生態移民による新しい農村空間 生態移民とは、生態系を保全するために行われる移住行為やその行為に参加した人々(移民)のことを指す。寧夏回族自治区においては、“吊庄”と呼ばれる移民がよく知られており、人口圧が高く自然環境が悪化しつつある南部山間地帯から、黄河揚水灌漑事業が進展する北部平原地帯への移民を指している。南部の転出地の貧困や環境の問題についてはこれまでよく研究されてきたが、本研究では北部の転入地に焦点を当てて新しい農村空間の形成について考察したい。 2.自治区内の地域性と移民の歴史 南部が自然環境に恵まれず、大量の余剰労働力を抱えているのに対して、北部は土壌が肥沃で地勢が平坦で日照が十分であり、水利が整備されれば土地資源が豊富であると言えよう。図は南部と北部の経済水準の違いを端的に表している。こうした地域性の中で、1983年以来40万人を越える南部の貧困農民が北部へ移住した。 図 寧夏各市県の農民一人当たり純収入(2004年) (寧夏統計年鑑2006より作成). それ以前も、寧夏は中国の辺境かつ少数民族集住地区であり戦略的に重要な位置にあると認識されて、国営農場による開墾が行われていた。生態移民においても、まず政府が投資・建設をして水利施設や居住条件を整備した。そして、転出県が移民村の建設と管理を行い、それが軌道に乗ってからはじめて行政全般を転入地の地元政府に移行するという手順を踏んだ。 3.移民村の事例 永寧県閩寧鎮は銀川市の南に位置し、東は黄河の西部幹線用水路に面する。南部の西吉県や海原県からの移民4,300戸、2.2万人が相前後して定住し、うち回族は70%を占める。元は西吉県玉泉営経済開発区として始まり、1997年に先進地域である福建省の支援を得て閩寧村が成立し、2000年に閩寧村は永寧県に引き渡され、翌年に閩寧鎮となった。小麦やトウモロコシの他、菌類、果物、薬材などの生産が近年増加しつつある。隣接する国営農場の土地が請負契約に開放されたことも含めて、土地使用権の流動化が見られ、農業の大規模経営が始められている。 銀川市興泾鎮は銀川市南郊に位置し、1983年に泾源県政府が興した芦草洼移民開発区として建設が始まった。無人の荒地が今では総人口2.5万人となり、回族は99%を占める。2000年には泾源県から銀川市郊外区へ引き渡され、翌年に興泾鎮が成立した。鎮中心市街地の開発が、イスラム圏のサウジアラビアやクウェートなどからも資金が流入して進められている。羊や牛などの交易が活発であり、小麦やトウモロコシの他、施設園芸などの積極的な取り組みが見られる。 4.農村空間の形成と変容のメカニズム 本研究では、上記2つの移民村における特に土地の所有・使用関係を中心とした農家経済の分析から、農村空間の形成と変容のメカニズムを検討する。 政府の灌漑開墾事業から始まるため、土地の所有権は国にある。その上で土地の使用権がどのように移民たちに請け負われ新しい農村空間が形成されていったかを明らかにする。他方、南部の転出地の土地の所有権・使用権も移民たちの手に残されている。 また、人の流動性が高く、同時に土地の権利の流動性も高い。土地が集団所有され実際の権利関係がしばしば曖昧な中国の一般的な農村に比較して、農業経営の大規模化や多角化、さらには非農業への産業構造の転換もダイナミックに進行する可能性がある。
著者
熊地 需 佐藤 圭吾 斎藤 孝 武田 篤 KUMACHI Motomu SATO Keigo SAITO Takashi TAKEDA Atsushi
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学 (ISSN:13485288)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.9-22, 2012-03-01

The research paper herein investigated into the current conditions and issues related to children without mental retardation but enrolled in special support schools for intellectually disabled persons across Japan. The objectives of the research are three: (1) how many such children with developmental disorders but without mental retardation are enrolled in special support schools for intellectually disabled persons; (2) the reasons why such children have been transferred to or enrolled in these schools; (3) the issues at special support schools where such children are enrolled. The research findings showed that such children were enrolled in nearly half of the schools, specifically, 141 of 313 schools. Also, the number of such children was 689 (1.7%) out of 39,813 children in 313 schools. Regarding the reasons for enrollment/transfer, the majority of the reasons are associated with secondary emotional difficulties triggered by developmental disorders, such as poor academic performance and learning difficulties, inability to adapt and deal with other people, and school refusal or hikikomori. The special support schools examined are facing problems in supporting and dealing with such children with developmental disorders and a large number of issues regarding expertise of their school faculty members and school support system for such children.
著者
シュルーター 智子
出版者
北海道基督教学会
雑誌
基督教学 (ISSN:02871580)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.1-20, 2018-07-13

ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ(Johann Valentin Andreae 一五八六-一六五四)は、『化学の結婚』と『クリスティアノポリス』という二つの作品によってその名を後世に残している。前者は、十七世紀前半のヨーロッパにおいて一大ムーブメントを巻き起こした「薔薇十字団(Rosenkreuzer)」の基本文書に位置づけられており、日本でも種村季弘の翻訳一によって知られている。それに対して後者は、日本においては一般に知られていないが、トマス・モアの『ユートピア』、カンパネッラの『太陽の都』にならぶユートピア文学の古典の座を占める作品である。アンドレーエ自身はルター派の神学者であり、彼の『クリスティアノポリス』についても、モアとカンパネッラの作品に比べて、とくにキリスト教的、ルター派的な性格が強いということがしばしば指摘される。こうして、アンドレーエの代表作である二つの著作からは、一見したところ全く異なる作者像が引き出されることになる。すなわち、一方には、錬金術やヘルメス思想、フリーメーソンやオカルト・グループの一種と見なされる薔薇十字団三の仕掛け人としてのアンドレーエ像があり、他方ではキリスト教的、ルター派的なユートピストとしてのアンドレーエ像が存在しているのである。このような相反するイメージから、いかにして一人の作者像を描き出すことができるのだろうか。この問いに取り組むために本論文では、アンドレーエに関する研究の現状をふまえて、アンドレーエが『化学の結婚』の執筆に至るまでの状況に焦点を当て、伝記的な資料に基づいて手がかりを探っていくことにしたい。