出版者
弘隆社
巻号頁・発行日
1985
著者
森 伸宏
出版者
奈良教育大学
雑誌
奈良教育大学紀要. 人文・社会科学 (ISSN:05472393)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.23-32, 1998-11-10

Private banks are required to hold as the legal reserve a fixed portion of the deposit that they accepted from the private sector during a given month. This reserve must be held as the sum of the daily deposit at the central bank during the following month. This is called the lagged reserve requirement. The officials of the Bank of Japan insist that they can control the shorトterm interest rate by using this requirement, especially by adjusting the pace at which banks accumulate the reserve. There are some studies which aim to make clear this mechanism of controlling the short-term interest rate, but they do not seem to have succeeded. The aim of this paper is to examine whether the central bank can control the short-term interest rate by adjusting the speed at which banks accumulate the required reserve under the lagged reserve requirement system. We assume that the total amount of reserve during the two consecutive periods must be equal to the required one. The model can be constructed as a game played between the central bank and a private bank. The central bank supplies the reserve while a private bank demands that. In the first period, the central bank sets the target value of the interest rate of which a private bank is not informed, and decides how much reserve she supplies and declares it. After gaining that information, a private bank decides how much reserve she demands. Then the supply and demand of reserve determine the interest rate in the first period. In the second period, as a private bank must hold the remaining part of the reserve no matter how much it costs, she demands it at the rate that the central bank decides whenever she needs, so the interest rate is fixed at thatlevel. The results are the following. The central bank can control the short-term interest rate by adjusting the speed at which a private bank accumulates the required reserve during the period, but she can succeed only when the target value of the interest rate is within some range. The central bank cannot set the interest rate too low or high.
著者
坂岡末太郎 著
出版者
裳華房
巻号頁・発行日
vol.第4巻, 1915
著者
早稲田大学図書館
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
no.(84), 2013-10-21
著者
加藤 尚史
出版者
日本統計学会
雑誌
日本統計学会誌. シリーズJ (ISSN:03895602)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.131-161, 2005-03-01
参考文献数
62
被引用文献数
3
著者
長尾 倫章
出版者
新潟県立有恒高等学校
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2008

2003年の地教行法第50条の削除以降,2008年度までに20都県で全日制普通科高校の通学区域が廃止された。廃止の趣旨は,私立高校への流出に対する対抗策や,市町村合併による行政区と学区の線引きの不整合の是正であったりするのだが,表向きは一様に学校の特色化や生徒の主体的な学校選択の実現を謳っている。さて,新潟県では2008年度入試から通学区域が廃止された。それまでは全県を8学区に分割し,学区毎に15~25%の割合で指定された隣接学区からの生徒を受け入れる制度であった。全県一区型公立高校入試の現状と課題を明確にするため,全県一区型初年度である2008年度入試と旧ルールによる2003年度のそれとを比較検討した結果,得られた知見は以下の通りである。全県の動向をみると,他学区への流入・他学区からの流出を総計した流動率(全志願者数における割合)は,2003年度の8.5%(1487人)から2008年度は11.8%(1628人)へと3.3pt上昇した。この数値だけをみると,全県一区化が流動を促進したようにも捉えられるが,2008年度の流動のうち,11.6%(1600人)までが旧隣接学区内での志願であり,旧非隣接学区への志願は0.2%(28人)でしかない。つまり,全県一区化が,必ずしも旧学区にとらわれない全県的流動を必ずしも促進したわけではなかったことが確認された。上記事実から,以下のことが仮説的にいえる。学区撤廃によって非隣接学区への志願が制度的に可能となったことから,改めて旧ルールが再評価され,隣接学区へ志願する行為を相対的に低いハードルであると志願者に感じさせた。そのことが,結果的に隣接学区への志願者の流動を促進する触媒となった。このことは,全県一区化には人的流動を促す一定程度の効果があったと評価することも可能ではあるが,隣接学区さえも越えて志願する動きがほとんど見られなかったのは,そうしたいと思わせるための,県が推進している「学校の特色化」の進捗が遅々たることと,面積が広く公共の交通網がそれほど発達しているとは言い難い新潟県の地域的条件に起因している。ここに流動の詳細を記す余裕はないが,報告者は,全県一区化によって「行きたい学校」へというよりは,むしろ逆に「行ける学校」を選ぶ傾向を強化する結果となってしまったと分析する。新潟県が全県一区化導入のスローガンとして掲げた「行ける学校から行きたい学校へ」というパラダイムシフトを実効化するには,流動を促進するための更なる工夫と仕掛けが必要であるといえよう。
著者
岩谷 彩子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.213-232, 2017 (Released:2018-04-13)
参考文献数
37

本論文の目的は、グローバル化が進むインド、グジャラート州アフマダーバードの路上で取引される古着のフローから、インドの公共空間の生成的な側面について明らかにすることである。インドにおける公共空間の議論では、西欧社会における公私の概念とは異なる公共概念の存在やその公共性を担う主体をめぐる議論が中心であり、インドの公共空間は西洋的な公共概念を含みつつも多層的で、異なる主体の利害対立の場として描かれてきた。しかしグローバル化が進む現代インド社会において、そのような対抗的な公共空間の描き方は妥当なのだろうか。 この問いについて、本論文では2つの異なる空間とそこから派生している〈道〉を対比させることで検討した。まずとりあげたのは、アフマダーバード旧市街の再開発の一環で移設されたグジャリ・バザールという日曜市である。再開発の結果、スラムを含み混沌としていた日曜市は、整然と管理されたグローバルな空間に変貌し、目的と利用時間を制限された「ゲーテッド・マーケット」化しつつある。もう1つは、アフマダーバード市内外から持ち込まれる古着とそれを取引する人により占拠された、同じく旧市街のデリー門前の路上である。ゲーテッド・コミュニティや中上流階層から集められた古着は、路上市を介して日曜市をはじめとする市内外の路上市や国外市場に流入し、古着を加工する新たなコミュニティの空間も生み出していた。路上市の公共性は、異なる階層やコミュニティ間の差異を媒介し、古着が変形しフローする〈道〉を様々な場所に現出させている点にある。グローバル化により変貌する都市空間とは一見対照的な路上市だが、両者は相互に影響を与え合い同時に成立している。ある地点がグローバルな秩序に組み込まれることになろうとも、 別の地点に新たな〈道〉が用意される。こうした潜在力にこそインド的な公共空間とそこで生きる人々のあり方が見出せるのである。

1 0 0 0 OA 菊池病の 2 例

著者
吉福 孝介 松崎 勉 西元 謙吾 朝隈 真一郎 大野 文夫
出版者
耳鼻と臨床会
雑誌
耳鼻と臨床 (ISSN:04477227)
巻号頁・発行日
vol.62, no.6, pp.218-224, 2016-11-20 (Released:2017-11-01)
参考文献数
17

菊池病は、1972 年に菊池らにより報告された疾患で、組織球性壊死性リンパ節炎とも呼ばれている。数週間の頸部リンパ節腫脹と発熱を訴え、抗生剤が無効で、白血球数が低下し、LDH の上昇がみられれば、本疾患が強く疑われる。今回、われわれは、頸部腫瘤形成を主訴とした 27 歳女性と 17 歳男性の菊池病の 2 例を経験した。穿刺吸引細胞診にて確定診断後に、ステロイドを投与したところ、病変の速やかな改善を認め、現在のところ経過良好である。菊池病は約 4 %に再発がみられるものの発病後 1 − 2 カ月で治癒し、予後良好な病気とされている。しかしながら、高熱が持続し汎血球減少を呈し、不幸の転帰をとった症例などの重症例も存在することから、頸部リンパ節腫脹を来した症例に遭遇した際には、菊池病も念頭に置き、診療に携わる必要があるものと考えられた。

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1913年10月04日, 1913-10-04
著者
但馬 文昭
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.219-225, 1995-10-31

BASIC programs used as teaching materials at technical high schools in Kanagawa and Chiba Prefecture was analyzed from the point of view of complexity on the basis of the number of their lines and keywords. The results obtained were as follows: (1) programs under 20 lines or keywords occupy about 80% of all the programs; (2) there are more keywords which belong to partial categories, screen, graphic and arithmetic commamnds in graphic programs than in another functional programs; and (3) half of keywords in all the programs belong to categories of print, comment and arithmetic commands.