著者
陸軍被服廠 著
出版者
陸軍被服廠
巻号頁・発行日
vol.追録 第2回, 1945
著者
Hyun-Ung OH Hye-In KIM Jeong-Ki KIM Jae-Seop CHOI Su-Hyeon KIM
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR AERONAUTICAL AND SPACE SCIENCES
雑誌
TRANSACTIONS OF THE JAPAN SOCIETY FOR AERONAUTICAL AND SPACE SCIENCES (ISSN:05493811)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.256-264, 2019 (Released:2019-09-04)
参考文献数
29
被引用文献数
3

This paper reports the Smart Call from the Sky (SCSky) Can Satellite (CanSat) platform developed by Chosun University, South Korea, with a focus on a smart material of shape memory alloy actuator applications. The primary objective of this study is to verify the effectiveness of a remote screen touch system using shape memory alloy wires. The system is currently being utilized to operate the on-board smartphone of a CanSat by telecommands from a ground station. It provides real-time streaming video showing the internal and external states of CanSat through video calls during actual flight. The secondary objective of the mission is to acquire a wide-scan image from the on-board USB cameras, whose elevation angles are actuated using shape memory alloy springs. The effectiveness of the design proposed was validated experimentally through actual flight tests using model rockets.
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.1-24, 2013-03-08

近世期の延岡藩領宮崎郡村々に関する庄屋日記は、管見の限り現在二冊しか残されていない。このうち跡江組浮田村庄屋を勤めた湯地栄四郎が残した「諸品控帳」は、安政二年末から明治三年八月まで記された御用日記である。内容としては郡内の村役人関係や年貢諸役、寺社祭礼、往来、失業・生活、事件・騒動など多彩である。この御用日記から幕末期の宮崎郡村々がどのような状況にあったのか、村人たちはどのように生きていたのかを明らかにするために、四章に分けて考察した。 第一章では宮崎郡支配の仕組みについて、宮崎役所と組・村との関係、代官と村役人、大庄屋元詰を通して明らかにした。第二章では宮崎郡の年貢と諸役について、太田組を対象に年貢上納米と運上銀、郡中勘定および献納賦課銀について考察した。 第三章街道と村では、宮崎郡を往来する諸階層の実相と長州出兵時の出役状況を明らかにした。第四章では、災害とその対策のあり方を示すとともに、郡中の灌漑用水(溜池)の造成状況について明らかにした。
著者
水上 直紀 鶴岡 慶雅
雑誌
ゲームプログラミングワークショップ2016論文集
巻号頁・発行日
vol.2016, pp.81-88, 2016-10-28

本論文では強化学習を用いた麻雀プレイヤを構築する方法について述べる.初めに手牌から和了点数を予測するモデルを生成した牌譜から学習する.このモデルの結果と期待最終順位を用いて効率的な和了を行う手をプログラムは選択する.このモデルの結果と期待最終順位を用いて効率的な和了を行う手をプログラムは選択する.得られたプログラムは高い点数を和了する技術を獲得したものの,自己対戦の結果は元のプログラムに勝ち越すことはできなかった.
著者
Michael J. GROSSMAN 財城 真寿美 三上 岳彦 Cary MOCK
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.457-470, 2018-08-25 (Released:2018-10-05)
参考文献数
34
被引用文献数
2

歴史文書は,気象官署による測器を用いた公式気象観測が開始される以前の台風復元において,貴重な情報源となる。本稿では,1877年の日本(北海道,本州,四国,九州)に影響をおよぼした台風について,詳細な情報を含む5つの資料(1:日本で出版された英字新聞,2:歴史天候データベース,3:日本の灯台気象観測記録,4:イギリスおよびアメリカ合衆国の船舶の航海日誌,5:中央気象台の気象観測表)の検証を行った。そしてこれらすべての資料から,1877年において日本に上陸もしくは接近した4つの台風事例(6月11日,7月26-27日,8月25-27日,10月11日)が明らかとなり,歴史文書は,日本における暴風雨の位置,移動経路,風速,気圧,被害などに関する詳細な情報を含んでいることが裏づけられた。歴史文書に記録された台風に関する情報は,台風の襲来頻度や強度,挙動に関する理解を,気象観測や台風観測の詳細な数値データが十分に得られない過去の時代にまで,さかのぼる可能性を有しているといえる。
著者
今野 真二 Shinji KONNO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-20, 2019-03-31

いわゆる古本節用集は室町時代中頃に成り、『日葡辞書』は一六〇三年に成立している。ちかい時期に成ったこれら二つの辞書体資料は、室町時代の日本語の観察に使われることが少なくない。特に『日葡辞書』は見出しとして採用した日本語をアルファベットで書いているために、漢字や仮名で書いた場合にはわからない発音がわかる文献として重視されてきた。 標準語形の周囲を(場合によっては)複数の非標準語形がとりまいているというモデルを考えた場合に、非標準語形をどの程度辞書体資料が見出しとするかは、当該辞書体資料の編纂者、編纂目的等によって異なることが推測できる。そうであれば、『日葡辞書』がつねに「万能」ということにならないことはいうまでもない。『節用集』は(必須ではないにしても)見出しとして採用している漢字列に振仮名を施すことが多い。その振仮名は、書写原本のそれを踏襲することももちろんあろうが、書写者が自らの発音に基づいて施すこともあったと推測できる。『節用集』の振仮名は多様で、当該時期の非標準語形が振仮名として施されていることが少なくないことを具体的に指摘し、『日葡辞書』と『節用集』とを併せて観察することが室町時代の日本語研究には必要なことを指摘した。"Setsuyo-shu" is a Japanese dictionary that was completed in mid-Muromachi period, and "Nippo-jisho" is a Japanese dictionary completed in 1603. The two dictionaries have been used frequently to analyze the Japanese language of the Muromachi period. The word entries of "Setsuyo-shu" were written in kanji (Chinese characters) that are often attached with Japanese syllabaries. The word entries of "Nippo-jisho" were written in alphabetical order, interpreted in medieval Portuguese. Since the entries of "Nippo-jisho" were written in alphabet letters, it was possible to know the pronunciation of the Japanese words, unlike words written in Chinese characters or Japanese syllabaries. For example, if the Chinese character「洗濯」is written, the pronunciation of the word is unknown. However, if the word is written in the Jesuit form of alphabet " xendacu," then the pronunciation "sentaku" would be clear. Because of this, in the analysis of the Japanese language during the Muromachi period, there is a possibility that the "Nippo-jisho" was the best well-grounded choice. There are standard kinds of word forms and nonstandard kinds of word forms. In this paper, a model in which some nonstandard kinds of word forms surround the standard kinds of word forms was approached. The fact that not all of these nonstandard kinds of word forms were used as entry words in the "Nippo-jisho" is specifically indicated by comparing the entry words in the "Setsuyo-shu." Several nonstandard kinds of words often appear in the "Setsuyo-shu." The observation of the Japanese language during the Muromachi period will be made more precise with the use of "Nippo-jisho" and by placing the complete "Setsuyo-shu" as a document that reflects the "sway" of a language.
著者
坂口 安紀
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
ラテンアメリカ・レポート (ISSN:09103317)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.44-58, 2019 (Released:2019-07-31)
参考文献数
29

ベネズエラは現在、政治、経済、社会的に国家破綻の状況に陥っている。2019年1月、反政府派が過半数を支配する国会のグアイド議長が憲法の規定に基づき暫定大統領に就任して以降、ベネズエラは「ふたりの大統領」が並び立ち、政治的緊張が極度に高まっている。マドゥロ政権は軍の支持を背景に、反政府派政治リーダーや一般市民、そして離反が疑われる軍人などへの弾圧を強めている。国内ではいまだマドゥロ政権の実行支配が続いているが、マドゥロ政権による人権侵害は国際社会から厳しく糾弾されている。本稿では、ふたりの大統領がたつことになった背景、厳しい経済社会的状況にも限らずマドゥロ政権が継続している理由、ベネズエラ危機に対する国際社会の対応などについて、1月以降の情勢に関して情報を整理し、解説する。
著者
職業指導研究会 編
出版者
良国民社
巻号頁・発行日
1935
著者
田伏 久之 当麻 美樹 佐野 秀
出版者
一般社団法人 日本臨床救急医学会
雑誌
日本臨床救急医学会雑誌 (ISSN:13450581)
巻号頁・発行日
vol.21, no.5, pp.654-663, 2018-10-31 (Released:2018-10-31)
参考文献数
27

これまで報告された医学論文を基に,病院外心停止に対する気管挿管(救急救命士による)の効果を検討した。その結果,気管挿管の効果は否定的とする報告が圧倒的に多く,気管挿管がマスク換気に比し病院外心停止の予後を悪化させることが示されていた。その理由として,気管挿管の技量にかかわる問題点,挿管操作に伴う胸骨圧迫中断時間の延長,気管挿管後の過換気による冠・脳灌流障害,搬送時間の遅延,などが指摘されていた。また,気管挿管と声門上器具使用の優劣については,一定の見解が得られていなかった。今後の対策として,異なる3つの意見を列挙すれば,①マスク換気を優先しこれを継続する意見,②気管挿管の技量向上のため,抜本的な救急救命士教育の見直しを図る意見,③現行の気管挿管や声門上器具を効率的に組み合わせる意見,があげられる。救急医療関係者は病院外心停止に対する気道管理について,今後さらなる議論を行う必要がある。
著者
福岡 安則 黒坂 愛衣
出版者
埼玉大学大学院文化科学研究科
雑誌
日本アジア研究 : 埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要 (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.191-209, 2013

ハンセン病療養所のなかで60年ちかくを過ごしてきた,ある女性のライフストーリー。 山口トキさんは,1922(大正11)年,鹿児島県生まれ。1953(昭和28)年,星塚敬愛園に強制収容された。1955(昭和30)年に園内で結婚。その年の大晦日に,舞い上がった火鉢の灰を浴びてしまい,失明。違憲国賠訴訟では第1次原告の一人となって闘った。2010年8月の聞き取り時点で88 歳。聞き手は,福岡安則,黒坂愛衣,金沙織(キム・サジク),北田有希。2011年1月,お部屋をお訪ねして,原稿の確認をさせていただいた。そのときの補充の語りは,注に記載するほか,本文中には〈 〉で示す。 山口トキさんは,19歳のときに症状が出始めた。戦後のある時期から,保健所職員が自宅を訪ねて来るようになる。入所勧奨は,当初は穏やかであったが,執拗で,だんだん威圧的になった。収容を逃れるため,父親に懇願して山の中に小屋をつくってもらい,隠れ住んだ。そこにも巡査がやってきて「療養所に行かないなら,手錠をかけてでも引っ張っていくぞ」と脅した。トキさんはさらに山奥の小屋へと逃げるが,そこにもまた,入所勧奨の追手がやってきて,精神的に追い詰められていったという。それにしても,家族が食べ物を運んでくれたとはいえ,3年もの期間,山小屋でひとり隠れ住んだという彼女の苦労はすさまじい。 トキさんは,入所から2年後,目の見えない夫と結婚。その後,夫は耳も聞こえなくなり,まわりとのコミュニケーションが断たれてしまった。トキさんは,病棟で毎日の世話をするうちに,夫の手で夫の頭にカタカナの文字をなぞることで,言葉を伝える方法を編み出す。会話が成り立つようになったことで,夫が生きる希望をとりもどす物語は,感動的だ。 トキさんは,裁判の第1次原告になったのは,まわりから勧められたからにすぎないと言うけれども,その気持ちの背後には,以上のような体験があったからこそであろう。