著者
Junichi HARUYAMA Isao KAWANO Takashi KUBOTA Masatsugu OTSUKI Hiroki KATO Toshihiko NISHIBORI Takahiro IWATA Yukio YAMAMOTO Yoshiaki ISHIHARA Aiko NAGAMATSU Kazuhito SHIMADA Toshiaki HASENAKA Tomokatsu MOROTA Masaki N. NISHINO Ko HASHIZUME Kazuto SAIKI Motomaro SHIRA Goro KOMATSU Nobuyuki HASEBE Hisayoshi SHIMIZU Hideaki MIYAMOTO Kensei KOBAYASHI Shinichi YOKOBORI Tatsuhiro MICHIKAMI Satoru YAMAMOTO Yasuhiro YOKOTA Hitoshi ARISUMI Genya ISHIGAMI Katsushi FURUTANI Yuichi MICHIKAWA
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR AERONAUTICAL AND SPACE SCIENCES
雑誌
TRANSACTIONS OF THE JAPAN SOCIETY FOR AERONAUTICAL AND SPACE SCIENCES, AEROSPACE TECHNOLOGY JAPAN (ISSN:18840485)
巻号頁・発行日
vol.14, no.ists30, pp.Pk_147-Pk_150, 2016 (Released:2017-02-14)
被引用文献数
1 5

We are planning to explore the caverns through the skylight holes on the Moon and Mars. The holes and their associated subsurface caverns are among the most important future exploration targets. The importance of the lunar and Martian holes and their associated caverns is categorized from two aspects: (1) fresh materials are easily observed and sampled there, and (2) the subsurface caverns provide a safe, quiet environment. The expectation of lunar and Martian hole and cavern exploration is increasing in Japan. We name the project as UZUME (Unprecedented Zipangu (Japan) Underworld of the Moon Exploration) whose name is after a Japanese mythology. The ultimate purpose of the UZUME project is to investigate how to expand human activity and survival in space and on extraterrestrial bodies.

1 0 0 0 遠野物語

著者
柳田国男著
出版者
新潮社
巻号頁・発行日
2016
著者
御手洗 昭治
出版者
札幌大学
雑誌
比較文化論叢 : 札幌大学文化学部紀要 (ISSN:13466844)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A41-A54, 2000-09-30

小稿では国際交渉による紛争解決の視点から、(1)インドとパキスタンが世界の潮流に逆らってまでなぜ核実験を行ったのか、(2)また他の国際社会が両国の挑戦にいかに対応すべきなのか、(3)加えて他の米ロを含む五大核保有国がCTBT著名問題や不核拡にどう対応するのかについて、元米国国務長官であったヘンリー・キッシンジャーや他の外交交渉の専門家達の見解も含め、ナショナリズムにも照らし合わせながら若干の考察を加えてみたい。なお、2000年3月21日にニューデリーで行われた歴史的接近へのファースト・ステップといわれた「米印首脳会談」に関するインド・パキスタン戦略交渉史に関しては、昨年オランダの国際政治心理学会で発表した内容も含め、他の学会誌等で論陣を張ってみたい。

1 0 0 0 OA [五經白文]

巻号頁・発行日
vol.第1册, 1596
著者
Bhatte Pallavi
出版者
天理大学地域文化研究センター
雑誌
アゴラ (ISSN:13489631)
巻号頁・発行日
no.7, pp.81-94, 2010

インドとパキスタンの国境沿いのパンジャーブ州発祥のシク(Sikh)教は、カーストを否定する平等主義的な教理をもつ。インドとパキスタンの独立時、シク教徒はインド帰属を選んだが、独立国を求めるシク教徒過激派をインド政府軍が弾圧した1984年の黄金寺院事件など、その歴史的な背景から、シク教徒は「祖国を追われた民」(Diaspora)としてのアイデンティティを持つ。1938年、英国ではコベントリーに最初のシク教徒組織が設立されて以来、ロンドン、バーミンガムなどの大都市ばかりではなく、英国各地に300もの寺院を建築し、42万人以上の教徒が在住している。この発表では、寺院がシク教徒の子弟のための施設としても利用されるなど、宗教的アイデンティティが継承されていることが示された。今そのようなシク教徒勢力は、英国社会にとっても軽視できないほどとなっている。

1 0 0 0 宝島30

出版者
宝島社
巻号頁・発行日
1993
出版者
一般社団法人 日本数学会
雑誌
数学 (ISSN:0039470X)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.29-50, 1991-03-01 (Released:2010-03-16)
著者
滝口 昇
出版者
日本生物工学会
雑誌
生物工学会誌 : seibutsu-kogaku kaishi (ISSN:09193758)
巻号頁・発行日
vol.89, no.12, pp.732-738, 2011-12-25
参考文献数
42
著者
高橋 敏
出版者
スポーツ史学会
雑誌
スポーツ史研究 (ISSN:09151273)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.41-51, 2017

群馬県下には、今日なお上州(上野国)といわれた江戸時代の在村剣術から二五代にわたって受け継がれてきた古武道が確固として命脈を保っている。高崎市吉井町に現存する樋口家と馬庭念流である。兵農分離の刀狩りで剣術はおろか武器を根こそぎ取り上げられた筈の多胡郡馬庭村に、百姓身分でありながら道場を構えて根を下ろし、周辺農村から上州一円、北関東、江戸にまで門人を獲得し、最盛期には門人が数千と豪語された一大流派を築いた。更に明治維新以降の近代化のなかで前代の剣術諸流派が剣道に収斂・統一される趨勢のなか、脈々と今日まで継承されてきた。そこには江戸時代の上州という風土と社会が深くかかわっているように思われる。本講は、北関東上州の一農村の田舎剣法から門人数千の一大剣術流派に発展した馬庭念流を手がかりに二世紀半にも及ぶ未曾有の平和な江戸時代に、身分制度の厚い壁を破って展開していった武芸について考えてみたい。<BR> 上州、関東においては、兵農分離は身分制度として断行されたが、刀狩りは実施されず、武器の所持、剣術の継承は禁止されることはなく許容された。樋口家は中世以来の在地土豪の権益を失い、公的には百姓身分になったが、私的な領域においては姓を名乗り、帯刀し、念流を伝授することは黙認された。要は在地土豪の念流を継承する郷士と馬庭村百姓の二つの顔を持つことになった。<BR> 馬庭念流は、江戸時代初頭から四代に長命にして剣技・指導力に優れた当主に恵まれ、北関東を中心に多くの門弟を集め、江戸にまで進出して道場を経営し、一大流派の結社に発展する。門人は百姓町人のみならず、高家新田岩松氏、七日市藩前田氏、小幡藩織田氏、支配領主旗本長崎氏の主従にまで門下の列に加えている。<BR> なかでも流派念流の結社としての勢力を誇示したのが有名神社の社前において秘剣を披露し、師匠以下門人名を列記した大額を奉納する儀礼であった。上野四社から江戸神田明神・浅草寺、鎌倉八幡、伊勢外宮・内宮、遠く讃岐金刀比羅宮にまで足を運び、大枚を投じ奉額している。<BR> このような現象は念流だけではなかった。千葉・斎藤・桃井の江戸三大道場と謳われた民間剣術流派の盛業に顕著のように、幕藩領主に囲い込まれ、正統とされた剣術が衰退し、民間の剣術がこれに代わって勃興していったことと軌を一にしたものであった。いわば幕藩秩序そのままの武士が独占する伝統守旧の剣術から民間の活性化された在村剣術が掘り起こされて、身分制度の枠を打破して、武芸として百姓町人までが入門、習練する時代が到来したのである。まさに戦国乱世の殺人剣から幕藩領主の子飼いの指南の剣術を経て、新たに自衛のため、修行のための武芸に生まれ変わろうとしていた。もちろん武芸の大流行は、念流が江戸から勢力拡大を図る北辰一刀流千葉周作と伊香保神社掲額をめぐって一髪触発のところまでいったように、諸流派の競合・対立を引き起こすことも多々あった。しかし、大勢は総じて流派間の共存と連携を深めていったことの方が事実である。幕府法令からは民間の帯刀、剣術は厳禁されているが、時代の武芸熱は冷めるどころか高揚し、諸流派を渡り歩く武者修行の旅が一般化していく。これを可能にしたのが諸流派間を結び、連携する一種のネットワークの形成であったように思う。そこには支配秩序に直結する武士のみならず姓名、諱まで名乗る武士風体の百姓・町人が多く含まれ、身分制度の壁を越えた一大武芸の文化ネットワークが広がっていた。<BR> 剣術、武芸の歴史といえば、権力争奪に絡む殺伐とした合戦、暗殺、仇討ち、テロといった殺人剣を類推する向きが多いが、平和の時代を背景に自己鍛錬の武芸として定着していったことを見落としてはならない。近代剣道に転換する素地はつくられていたのである。
著者
大和田 俊之
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 英語英米文学 (ISSN:09117180)
巻号頁・発行日
no.46, pp.143-156, 2005

This essay explores the diverse aspects of literary nationalism inHerman Melville's renowned essay, "Hawthorne and His Mosses" (1850).Whereas Melville champions the American writers and anticipates theemergence of "American literature," -which means that he persistsin the particular rather than the universal— he himself writes this essayanonymously and pretends as if he were "a Virginian Spending July inVermont." This auctorial strategy can be explained by the theory proposedby Benedict Anderson in his monumental work Imagined Communities(1991). According to Anderson, what differentiates the medieval era fromthe modern time is its sense of time. As the religious communities ofmedieval mind decline, the simultaneous sense of time has come to takeplace where a person can share the same sense of time with a total strangerliving far away. Anderson concludes that this "idea of 'homogeneous, emptytime'," to borrow from Benjamin, enabled to form the idea of nationalism.Then Melville, by disguising himself in the essay as a Southerner who hasnever seen Hawthorne, can be said to be reinforcing the idea of nationalismbecause of his anonymity.Another significant aspect of Melville's essay is that he compares the"excellent books" to "foundlings." Here, he seems to be suggesting thatthe authority of a literary work should be carefully denied. This contradictswith the idea of "possessive individualism" proposed precedently by WaiChee Dimock. However, by referring to the arguments of Ellen Weinauer,where she uncovers the new idea of "literary brotherhood" implied inMelville's works, we conclude that the disappearance of the author's namein Melville's essay not only makes it possible to establish the idea of literarynationalism, but also suggests an alternative way of possessing art.

1 0 0 0 OA 東都名所漫画

著者
椿岳<淡島椿岳>//筆
出版者

画家淡島椿岳が江戸の名所を描く。縦37×横26.3cmの色紙13枚を貼り込んだ折帖。最初に伊藤博文の題字、書家山内香渓(1840-1923)の明治20年(1887)の題言がある。ともに保存されている板には、子息淡島寒月(1859-1916)の識語がある。淡島椿岳(1823-89)は武蔵川越の豪農に生まれ、江戸に出て軽焼屋淡島屋の養子となったが、まもなく去って小林姓を称した。絵は大西椿年の弟子で、川上冬崖に洋画も学んだ。独特の軽妙な戯画で名高く、種々の事業を手掛け奇人としても知られた。
著者
竹村 彰通 駒木 文保 清 智也
出版者
東京大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2006

Vladimir VovkとGlenn Shafer によるゲーム論的確率論は以下の著書でその基礎が与えられた.Glenn Shafer and Vladimir Vovk. Probability and Finance:It's Only a Game! Wiley, New York, 2001そこでは,Skepticとよばれる賭をする人と,Realityとよばれる賭の結果を定める人の,二人のプレーヤーの間のゲームを設定することにより,ゲームの結果として確率が定まることが示されている.注目すべきは,測度論無しに,大数の強法則,中心極限定理,重複対数の法則,さらに数理ファイナンスにおける価格付けの諸公式,などが証明される点にある.竹村は,竹内啓,公文雅之との共同研究を通じて,ゲーム論的確率論に関する新たな結果を得ている.これらはtechnical reportとして発表されていたが,研究発表に示すように国際雑誌に刊行の段階となっている.また竹村はShafer氏およびVovk氏とも共同研究を進めており,以下の研究成果を得た."The game-theoretic martingales behind the zero-one laws", by Akimichi Takemura, Vladimir Vovk and Glenn Shafer. Techinical Report METR 08-18, March 2008.この研究では,測度論の諸仮定をおくことなく,コルモゴロフの0-1法則などの0-1法則の一般的な形をゲーム論的枠組で示している.