著者
金子 純二 笠谷 貴史
出版者
日本情報地質学会
雑誌
情報地質 (ISSN:0388502X)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.87-94, 2022-12-25 (Released:2022-12-25)
参考文献数
15

伊豆-小笠原弧の東青ヶ島海丘カルデラの既知海底熱水活動域において,海底広域研究船「かいめい」に搭載した中深海用マルチビーム音響測深機(Multibeam echo sounders:MBES)を使用し,発振周波数を70~100 kHzに設定しプルーム調査を行い,高分解能の水柱部の音響散乱データを取得した.音響散乱を定量的に解釈するため逆距離加重(Inverse Distance Weighting:IDW)法により散乱強度を要素としたボクセルモデルを作成し,複数の音響散乱を発生要因ごとに識別した.本研究で着目した音響散乱は,基部がチムニーやマウンド周辺に位置し,形状は底辺が幅約80 m,高さ約190 mの円錐形状であり,散乱の消失水深は約560 mであった.また,散乱強度構造は基部が約20 dBとなり水塊との境界は約9 dBであった.これまで確認されている沖縄トラフの音響散乱との類似点から,今回検出した音響散乱は,海底熱水活動に由来したCO2 液滴によるものと判別した.伊豆-小笠原弧における高周波MBES による船舶プルーム調査手法とボクセルモデルによる解析手法の有効性を示した.
著者
河野 公一 織田 行雄 渡辺 美鈴 土手 友太郎 臼田 寛
出版者
大阪医科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

研究総括体内に吸収されたフッ物はそのほとんどが腎臓から排泄されるため、高濃度のフッ素暴露のみならず長期にわたる低濃度のフッ素暴露でも腎障害をきたすことが動物試験により確認された。健常者では尿中フッ素量は生体へのフッ素の負荷量をよく反映し、一般環境からの摂取やフッ化物作業者における暴露の指標として広く用いられている。地域住民を対象とした検診結果および動物試験に、より尿中へのフッ素の排泄は腎でのクリアランスに依存しており、もし腎機能の低下がある場合、例えば慢性腎炎や腎不全の患者のみならず健康な個体でも中高齢化とともにフッ素の排泄障害と体内への蓄積が示唆されることが確認された。腎フッ素クリアランス値はクレアチニンクリアランス値に比べて40歳台までは比較的穏やかな減少傾向にとどまるが50歳台以降では急激な低下を認めた。さらに動物を用いたフッ化ナトリウム負荷試験ではフッ素クリアランスが低下し血中フッ素濃度が高く維持されること成績を得た。体内に吸収されたフッ素はその大半が24時間以内に排泄されるが、この排泄率は腎機能の低下とともに減少し、もし腎フッ素クリアランス値が20%低下すればフッ素の24時間における排泄率も20%減少することが確認された。わが国でも増加しつつある腎透析患者では血中フッ素濃度が高く維持され、アルミニウムなどの他の元素とともに骨や脳の病変とのかかわりから問題とされてきた。最近では透析液の脱イオン化などによりこれらの疑問は解消されたとする報告がみられる。しかし本研究の成績より、現在一般に使用されている透析膜自体の性格などから血中フッ素は十分に除去しえず、これらの問題は解消されたとする根拠が得られなかった。近年、わが国の産業界では作業者の中高齢化が急速に進みつつある。このような状況においてフッ物などの有害物を長期にわたって取り扱う作業者が今後さらに増加することが予想される。したがってこれら作業者の健康管理の基準はそれぞれの作業環境において個々の作業者の加齢による腎機能の低下などの生理的状態を考慮した上で評価することが強く望まれる。
著者
松浦 正憲 齊藤 菜穂子 中村 純二
出版者
天然有機化合物討論会実行委員会
雑誌
天然有機化合物討論会講演要旨集 57 (ISSN:24331856)
巻号頁・発行日
pp.PosterP11, 2015 (Released:2018-10-01)

1.背景 幾つかの種類のヤドカリは、神奈川県三浦市や三重県志摩市周辺等の一部の地域で刺身や味噌汁として食されている。不思議なことに、ヤドカリの中でもオニヤドカリ(Aniculus miyakei)摂食後、水を飲むと甘味が誘導される現象が知られている。このように水を甘く感じる作用から、オニヤドカリは「あまがに」とも呼ばれている。この現象を引き起こす甘味誘導物質については、水や有機溶媒に可溶な低分子化合物であることが報告されていたが、詳細は未解明であった1)。そこで、この特異な味覚修飾作用に着目し、甘味誘導成分の解明を目的として研究に着手した2)。2.甘味誘導成分の同定 実験材料として三重県伊勢市にて採取したオニヤドカリを用いた。まず、ヤドカリを身と内臓部分に分けて、水飲用時の甘味誘導を検討したところ、内臓部分(中腸腺)に甘味誘導作用があることが確認できた。摂取直後はほとんど味を感じないが、10秒ほどして徐々に弱い甘味を感じるようになり、水を飲用すると甘味が明確に誘導される。そこで、この水飲用時の甘味誘導作用を指標に、関与成分の探索を行った。凍結乾燥した内臓部分をクロロホルム/メタノールで抽出後、ヘキサンと90%メタノールで分配した。続いて、90%メタノール層をブタノールと水にて再分配し、ブタノール層を得た。得られたブタノール層を、逆相クロマトグラフィーによる精製を繰り返すことで、甘味誘導画分を得た。得られた甘味誘導画分は、クロマトグラム上では複数のピークを示すものの、NMRスペクトル上では、ほぼ単一成分であったため、各種NMRスペクトル解析により、この画分の主成分はオクテニル硫酸エステル(1)であると決定した(Figure 1)。そこで別途合成品を調製し(Scheme 1)、スペクトルを比較したところ、良い一致を示し(Figure 2)、さらに官能評価の結果、甘味誘導画分と同様の水飲用による甘味誘導作用が確認できたことから、オニヤドカリ由来の甘味誘導成分は1であると決定した。なお1は新規化合物であった。 続いて、オニヤドカリ中の1の含有量を調べた。オニヤドカリの内臓部分の抽出液をLC-MS/MS MRMモードにて定量分析したところ、乾燥内臓部分1 gあたり(約1個体分)、50mg以上の1を含有していることがわかった。1はおおよそ数mgの摂取で水飲用時に甘味が誘導されるため、オニヤドカリ中には甘味誘導に十分な1が含まれていることがわかった。また、比較対象として甘味誘導作用を示さない別種のヤドカリ(未同定)についても、その含有量を調べたところ、1が若干量含まれているものの、オニヤドカリと比較してその含有量は1/10程度であった(Figure 3)。この結果から、オニヤドカリ特有の甘味誘導現象は、1の含有量の差が原因であると考えられた。 (View PDFfor the rest of the abstract.)
著者
中西 信人 小谷 穣治
出版者
日本外科代謝栄養学会
雑誌
外科と代謝・栄養 (ISSN:03895564)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.229-234, 2022-12-15 (Released:2023-01-15)
参考文献数
39

救急・集中治療領域では重症状態にある消化器外科手術患者の管理をすることが多い. 重症患者の栄養管理において, 早期経腸栄養,経静脈栄養 , 蛋白質 , カロリー , リフィーディング症候群 , 急性期後における栄養管理の重要点をまとめた. 早期経腸栄養は48時間以内に開始する必要がある. しかし, ノルアドレナリンを約0.2 μg/kg/min以上使用するような超重症な病態では非閉塞性腸管虚血をきたす可能性があり, 経腸栄養を遅らせるのが望ましい. 経静脈栄養は急いで投与する必要はなく, 約1週間以上経腸栄養が開始できない場合に検討が必要である. 蛋白質は筋萎縮を予防するためにも1.2‐2.0 g/kg/day程度必要であり, 透析を施行している患者などより蛋白質が必要な患者にはさらの高容量の蛋白質が必要である. カロリー投与は間接熱量計を使用して消費エネルギー量に基づいて投与するのが望ましいが, 間接熱量計を使用できない場合は25 kcal/kgなどの計算式を用いて過剰にならないように, Permissive underfeedingで投与する必要がある. 一方で, 栄養開始後のリフィーディング症候群に関しては常に注意する必要があり,リスクの高い患者では連日の血中のリンの値を測定することが望ましい. 急性期離脱後は十分量の蛋白質とともにカロリーもフルフィーディングに移行していく. これらの栄養管理は栄養士とともに多職種で行うことが望ましく, 多職種で重症患者の栄養状態向上して, 社会復帰を目指していく必要がある.
出版者
内務省地理局
巻号頁・発行日
vol.巻之56 荏原郡之18,巻之57 荏原郡之19,巻之58 橘樹郡之1,巻之59 橘樹郡之2,巻之60 橘樹郡之3,巻之61 橘樹, 1884

36 0 0 0 OA 日本紳士録

著者
交詢社 編
出版者
交詢社
巻号頁・発行日
vol.44版(昭和15年), 1940
著者
中西 雄二
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.649-665, 2004-12-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
81
被引用文献数
1 1

More than two million Russian refugees resulted from the Russian Revolution in 1917. These refugees were termed "White Russians" ("Hakkei-Roshiajin" in Japanese) and did not accept the Soviet regime. For this reason, they escaped from their motherland and spread to many countries similar to a diaspora.The purpose of this paper is to discuss the way of life and the functions of White Russian society who chose Kobe, a former central city of White Russians living in Japan, as their domicile. This study is based on documents from the Diplomatic Record Office of the Japanese Ministry of Foreign Affairs and oral data gained through fact-finding visits and interviews in the area.Most White Russians in Japan lived in Tokyo and Yokohama before the Great Kanto Earthquake in 1923. However, a large number of them migrated from the Tokyo area to Kobe, which provided shelter from the disaster. Thereafter, Kobe became one of the central settlements of White Russians in Japan, along with the Tokyo metropolitan area. In those days, many White Russians, more than 400 people at its highest point, settled in Kobe, particularly in the former Fukiai and Ikuta wards.The term "White Russians" refers to all people from the territory of the Russian Empire, including Christians, Jews, and Muslim Tatars. Therefore, White Russians are a group that is diverse in terms of culture, ethnicity and religion. Consequently, their organizations were based on their religious affiliations in Kobe.In the period after 1925, White Russians were categorized as stateless in Japan. They had the right to obtain a "Nansen Passport", issued by the League of Nations as identification cards, but their status was very uncertain. Moreover, many White Russians were peddlers and frequently travelled around. As a result, the Japanese authorities watched them closely as they were suspicious that White Russians were spies sent from foreign countries, especially from the Soviet Union. In fact, some White Russians were expelled from Japan in the 1920s. However, in the 1930s, chauvinistic nationalism arose among White Russians themselves, and some of them even provided donations to the Japanese government and army. This indicates that the White Russian society was subsumed within Japanese society in those days. In addition, there was some conflict over the attitude toward the Soviet Union in White Russian society.After W. W. II, the number of White Russians in Japan suddenly decreased. This is because many people went abroad in order to avoid chaos after the war. In Kobe, there was also a rapid decrease in the population of White Russians, and their organizations gradually declined and eventually dissolved. Today, only "The Kobe Eastern Orthodox Church Assumption of the Blessed Virgin", "The Kobe Muslim Mosque", and "The Kobe Foreign Cemetery" remain in Kobe as remnants of former White Russian society.These cases illustrate the disappearance of the ethnicity of White Russians in Kobe. There is a tendency for refugees to remigrate or for their families to disperse. Many White Russians were no exception, and this tendency is one of the reasons why White Russians disappeared from Kobe. In addition, the negative attitude of the Japanese state towards the inflow and settlement of foreigners is one of the major factors explaining their disappearance.
出版者
朝鮮総督府
巻号頁・発行日
vol.第25輯 民間信仰第一部 朝鮮の鬼神, 1935
著者
武藤 滉 日比野 友亮 星野 浩一 橋本 颯
出版者
一般社団法人 日本魚類学会
雑誌
魚類学雑誌 (ISSN:00215090)
巻号頁・発行日
pp.21-011, (Released:2021-07-08)
参考文献数
19

Two specimens [FRLM 60553, 737.0 mm of total length (TL); SNFR 21750, 619.1 mm TL] of the moray eel Gymnothorax reevesii (Richardson, 1845) (new standard Japanese name “Mame-utsubo”) are reported from Shimane Prefecture (southwestern coast of Sea of Japan) and the East China Sea, respectively. Although the species has been reported as distributed in the South China Sea to Japan, in addition to Samoa and the Marquesas Islands, verification of the locality and identity of the two records from Japanese waters known to date are problematic. Accordingly, the specimens reported here are the first reliable, voucher supported records of G. reevecii from Japan, that from Shimane Prefecture being the northernmost record for the species.

36 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1937年05月25日, 1937-05-25

36 0 0 0 OA 必勝国民読本

著者
蘇峰徳富猪一郎 著
出版者
毎日新聞社
巻号頁・発行日
1944
著者
嶌田 理佳 上野 範子
出版者
一般社団法人 日本看護研究学会
雑誌
日本看護研究学会雑誌 (ISSN:21883599)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.2_87-2_99, 2002-06-01 (Released:2016-03-31)
参考文献数
107

アメリカやイギリスでは1990年頃までにほとんどの施設でナースキャップが廃止された。 私服導入を含めたユニフォームの変遷と共に必然的に廃止に至ったと考えられるが,この背景にはナースキャップの表現する看護婦像が専門職のものとしてふさわしいかどうかを議論したフェミニズムの視点もあったと考える。 歴史的に欧米でも女性は主体的に生きることは許されず,一生を男性に捧げるものとされてきたが,看護が伝統的に女性の職業であったために,1960年代まで看護婦は医師や病院経営者ら男性による支配をうけてきた。 その後,女性のみに着用が求められるナースキャップは,差別的であるとの指摘や伝統的女性観を想起させ,新時代の看護婦のイメージとして不適切との主張がナースキャップ廃止に影響を与えたのではないかとみられる。 この論文では英米の文献を参考に看護史と女性史に基づき,ナースキャップの表現する女性性と看護婦像について考察した。
著者
奥田 圭 田村 宜格 關 義和 山尾 僚 小金澤 正昭
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
保全生態学研究 (ISSN:13424327)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.109-118, 2014-11-30 (Released:2017-08-01)

栃木県奥日光地域では、1984年以降シカの個体数が増加し、1990年代後半から植物種数が減少するなど、植生にさまざまな影響が生じた。そこで当地域では、1997年に大規模な防鹿柵を設置し、植生の回復を図った。その結果、防鹿柵設置4年後には、柵内の植物種数がシカの個体数が増加する以前と同等にまで回復した。本研究では、防鹿柵の設置がマルハナバチ群集の回復に寄与する効果を検討するため、当地域において防鹿柵が設置されてから14年が経過した2011年に、柵内外に生息するマルハナバチ類とそれが訪花した植物を調査した。また、当地域においてシカが増加する以前の1982年と防鹿柵が設置される直前の1997年に形成されていたマルハナバチ群集を過去の資料から抽出し、2011年の柵内外の群集とクラスター分析を用いて比較した。その結果、マルハナバチ群集は2分(グループIおよびII)され、グループIにはシカが増加する以前の1982年における群集が属し、シカの嗜好性植物への訪花割合が高いヒメマルハナバチが多く出現していた。一方、グループIIには防鹿柵設置直前の1997年と2011年の柵内外における群集が属し、シカの不嗜好性植物への訪花割合が高いミヤママルハナバチが多く出現していた。これらのことから、当地域におけるマルハナバチ群集は、防鹿柵が設置されてから14年が経過した現在も回復をしていないことが示唆された。当地域では、シカが増加し始めてから防鹿柵が設置されるまでの間、長期間にわたり持続的にシカの採食圧がかかっていた。そのため、柵設置時には既にシカの嗜好性植物の埋土種子および地下器官が減少していた可能性がある。また、シカの高密度化に伴うシカの嗜好性植物の減少により、これらの植物を利用するマルハナバチ類(ポリネーター)が減少したため、防鹿柵設置後もシカの嗜好性植物の繁殖力が向上しなかった可能性がある。これらのことから、当地域における防鹿柵内では、シカの嗜好性植物の回復が困難になっており、それに付随して、これらの植物を花資源とするマルハナバチ類も回復していない可能性が示唆された。
著者
小森 哲志 鍵村 達夫
出版者
一般社団法人 日本薬剤疫学会
雑誌
薬剤疫学 (ISSN:13420445)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.95-111, 2014-03-25 (Released:2014-04-30)
参考文献数
11
被引用文献数
1

薬剤疫学研究において,薬剤への曝露と有害事象発生との因果関係を検討するための代表的な手法として,コホート研究とケース・コントロール研究という2つの研究手法がある.いずれの研究の背景にも,疾病が発生してくる元となるリスク集団の存在を想定することができる.コホート研究では,リスク集団のなかに研究コホートを設定し,それを直接調べようとする.一方,ケース・コントロール研究では,同じ研究コホートからコントロールをサンプリングすることにより,その一部を調べようとする.このように考えることで,コホート研究とケース・コントロール研究を統一的な視点から理解することができる.ここでは,コントロールをサンプリングする方法の例をいくつか示し,そのサンプリング方法によって得られる曝露効果の指標について概観した.(薬剤疫学 2013; 18(2): 95-111)