著者
木庭 康樹 上田 丈晴 沖原 謙 田井 健太郎 高根 信吾
出版者
日本体育・スポーツ哲学会
雑誌
体育・スポーツ哲学研究
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.101-120, 2013

This study aims to identify the structure of sports games in order to analyze soccer games. In the paper before last, we focused on the structure of "competition" as "play" to clarify the concept of "competition" which is the basis for the meaning of "bodily movement competitions (sports)". In doing this, we were able to formulate the function for this structure through the following comparative function.<br>On a condition of r, A = cf (a, b) = a > b, a = b, a < b<br>(where, r : rule, A : agōn, cf : comparative function, <br>a : contestant, b : opponent, > : win, = : draw, < : loss)<br>In the last paper, we clarified that "bodily movement related to competition" is provided for by four characteristics: usability, expression, acquisition, and reciprocity.<br>Our next topic is to consider the development and the optimization of human movement in sport. The human movement in sport has a certain relation with other elements such as rule, tactics, sense of values and others, while keeping the independence as the movement form. It has an original role and function under the relationship with other elements. When an element in the structure of sports builds the new relations with other elements, the sports accomplish a change and development in a true meaning. The creation of a new movement form to enable such the translation of the structure of sports is the development of human movement in sport.<br>In the using process and the learning process of the movement form, sports players come to cannot but acquire and use the form of the technique developed and made an object by an individual. However, they are promoted development of a new form of the technique by the decline of the value of the form of the technique occurring as a result of competition in the game and the decline of the value of players using it. But a form of the technique developed newly also cannot avoid the "alienation" in the using process and the learning process of such the movement form.<br>The concept of "Pareto optimum" clarifies that any movement form has the limit of the geometrical ambiguity (relation between both merits and demerits), as long as they have a definite form, a certain decided figure. However, this means a new movement form and other movement forms connect a new relation between both merits and demerits, and they have the possibility of further optimizing for more purposes.<br>Our future topic is the last aim of this study, to clarify the entirety of "bodily movement competitions (sports)" based on the results considered in our earlier papers.
著者
リツ テイ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-14, 2016-12-15

哲学史には多くの善と美の緊密な観点がある。それらは異なる前提をおい ているにもかかわらず,どの観点においても善と美は緊密な関係があるとい う結論が得られる。 当時の理論の核を構成した概念の対象は,現代ではいささか単純に見える けれども説得力がある理由の影響を受ける。われわれは理念と神の存在を信 じず,また理性自身の強さがすべての道徳と審美に干渉できるということを 信じない。現代では,形而上学的な概念が含まれた理論は「独断論」として 否定される。以前の重要な概念の連結作用の欠如がある場合に,善と美の関 係をどう処理すればよいかは熟考に値する問題である。善と美が密接に繫 がっているという観点は認識方面の錯覚や他の形で説明できるのか。あるい は,善と美は別の二つの概念であるのか,それともその中身に密接な関係が 含まれているのか。「独断」的に作られた統括的な概念が失敗に終わっている のなら,われわれはこの問題に新たな視野と研究方法を求めなければならな い。そこで,以下では主に認識論(主にピアジェの認識論の主張について) と言語哲学の視点から,善と美との間に不可分の関係があるという立場を論 証する。
著者
森 功次
出版者
青土社
雑誌
現代思想
巻号頁・発行日
vol.45, no.21, pp.154-168, 2017-12
著者
山口 誠一
出版者
法政大学文学部
雑誌
法政大学文学部紀要 = Bulletin of Faculty of Letters, Hosei University (ISSN:04412486)
巻号頁・発行日
no.69, pp.13-24, 2014

本論考は,『精神現象学』序説の「Ⅰ 現代哲学の課題」の「〔3〕原理は完成ではないこと,形式主義に対する反対」の後半部を扱う。ここでは,ヴォルフ学派から『精神現象学』の前に到るまでの体系哲学への道について語られている。とりわけ哲学の体系化を形式化と表現し,シェリングとその学派が形式主義に陥った理由を説明している。
著者
バリタ マシリアー Balita Masyri’ah
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.15, pp.317-335, 2016-03

昔話というのは地域の人々に流行している話ということである。昔話の始めは、「昔むかし、あるところに・・」という文言が一般に書いてある。筆者にとっては、この文言に強い感想を持っている。インドネシアでも同じように言い、子供のころを思い出すからだ。各国でも面白い昔話があると思う。昔話から学べることが多くあることに気がついた。例えば精神のこと、仕来りのこと、哲学などである。その昔話の意味を深く理解しようとする場合は、言葉だけではなく、昔話を生み出した文化の影響を考えることが必要である。言葉と文化の両方を視野に入れるとき、両者の深い関係の領域には、どのようなことが関わってくることになるだろうか。言葉の意味から文化までを学問分野とすることが可能である。まれには多く話が類似点を持っているが、多くは別の方面に成長している。一般的に昔話は、深い意味を持っているので、そこから、生活様式、感情、人生、自然環境などを簡単に学ぶことができると思う。日本では、昔話に関して柳田国男の著作が非常に人気である。例えば『遠野物語』、『日本の昔話』などである。昔話の主人公には、一般的に良い性格と悪い性格がある。主人公は、必ずしも人間ではなく、動物とか魂の場合もある。動物なら、狐とサルはよく出てくる。その二つの動物は、悪い性格を持っている。いつも他の動物を化かしていて、狡い。インドネシアの昔話にも、そのような動物がいる。カンチルとサルは、一般的に悪い性格を持っている動物である。カンチルという動物はネズミ鹿である。頭が良いが、友だちをよくバカにしている。さらに、インドネシアと日本は遠く離れていても、いくつかの類似点を持っているので、インドネシアと日本昔話を比較研究することができる。実際に、インドネシアと日本の昔話の比較研究がいくつか行われている。例えば、セマラン・ディポネゴロ大学のユリアニ・ラフマーの修士論文、‘Timun Emas (Indonesian Folktale) and Sanmai no Ofuda(Japan Folktale) (Comparative Study of Narrative Structure and Cultural Background)’ である。その先行研究は、インドネシア昔話「ティムン・マス」と日本昔話「三枚のお札」を比較する研究であった。ユリアニ・ラフマーは日本の伝説に関して、非常に興味を持っており、特に日本の昔話を研究していた。様々な日本の昔話を読んだり聞いたりするためには、関連知識として古代の言語の多様性だけでなく、日本社会、日本文化に関する知識を増やすことも必要だと言われている。その上で、日本の昔話にインドネシアの昔話と同じようなテーマがいくつかあることを見つけている。その様々な類似の話の中から、日本昔話『三枚のお札』という話とインドネシア昔話『ティムン・マス』という話を選択している。この研究の中で、三つの課題が指摘されていた。すなわち、1)両国の昔話中の物語構造を明らかにすること、2)両国の昔話中の文化的要素を明らかにすること、3)両国の昔話中では類似点と相違点があることを明らかにすることであった。両国の文化作品は異なる言語なので、その三つ課題を解決するため、比較文学アプローチ、文化的アプローチ、A.J.グレマスのモデルによる構造主義アプローチが使われていた。研究結果においては、物語の構成と文化的要素のいくつかの部分が同じことが見出されたが、両国の昔話の筋書きの特徴と話の生まれた社会生活の違いを見ると、互いに影響を与えてはいないと結論されている。本研究においても、日本昔話とインドネシア昔話を対照研究することを目的としている。ユリアニ・ラフマーと同じように、筆者も昔話に関して強い興味を持っている。しかし、筆者が様々な話を読んだり学んだりするときに、昔話の主人公として様々な動物があることが気になっている。やはり昔話は、読者に影響を与えることができると思うので、主人公の動物がどのように読者に想像されているのかを一つ目の課題とする。そして、異なる文化作品なので、どのような比較分析ができるかを二つ目の課題とする。その上で、その主人公の行動は、分析表の中で良い行動と悪い行動の二つに分けて分類し、その分布から分析して結論を導く。併せて、この研究は、インドネシアの日本語学習者が両国文化の違いを理解する実践的学習に役に立つと筆者は考える。インドネシアと日本は遠く離れていても、いくつかの類似点のある昔話をもっている。研究課題を整理すると、以下の通りである。①昔話の中で、悪い性格と良い性格は、どのように想像されているか。②インドネシアの昔話と日本の昔話の類似点と相違点は、どのような比較分析できるだろうか。具体的な研究方法として、まず日本昔話とインドネシア昔話の情報源を探す。次に、様々な両国の昔話を整理する。そして、両国の昔話から、動物の主人公として人気の高い、カンチル、狐、田螺、猿を取り上げ、主人公の行動を分析表で良い行動と悪い行動に分類・分析し、結論を導く。本研究では、様々なメディアソース(日本昔話の図書、インターネット)等を使っているが、重要なソースは柳田国男の著作、東京外国語大学のウェブサイト、世界神話伝説大系第15巻である。
著者
岡部 光明
巻号頁・発行日
(Released:2018-07-10)

主流派経済学において前提される人間は、利己主義的かつ合理的に行動するという単純な人間像であるが、人間の本性はもっと多面的である。このため、人間の一面だけに焦点を当てつつ社会を理解しようとする主流派経済学は、社会科学として本質的な問題を抱えている。経済学のこうした状況を手厳しく批判するとともに、新しい研究方向を提示したのが経済学者・哲学者アマルティア・センである(1998 年にノーベル経済学賞を受賞)。本稿では、人間の幸福と社会のあり方を理解するために彼が提示した潜在能力論(capabilities approach)という枠組みを概観した。次いで、その人間観を発展的に応用したものとして位置づけることが可能な一つの人間論ないし実践哲学を紹介するとともに、それが持つ社会的含意を論じた。主な論点は次のとおり:(1)人間の幸福あるいは善い生活(well-being)を捉える方法として従来、効用(utility)を基礎とする主観的アプローチ、財産(resource)を基礎とする客観的アプローチが標準的なものとして存在した、(2)それらの欠陥を補正するためにセンが開発したのが潜在能力アプローチでありそれは主観的要素と客観的要素の両方を含む、(3)人間の潜在能力の開放を重視するその思想は自己実現を重視する現代の一つの実践哲学と重なる面がある、(4)その実践哲学は、普遍性、現代性、社会性、そして実証性を備えているので今後の展開が注目される。
著者
萬屋 博喜
出版者
日本哲学会 ; 1952-
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
no.68, pp.231-245, 2017-04
著者
廣岡 義之
出版者
神戸親和女子大学児童教育学会
雑誌
神戸親和女子大学児童教育学研究 = Studies in childhood education (ISSN:13420305)
巻号頁・発行日
no.35, pp.83-99, 2016-03-21

フランクル著『死と愛』は解放された年の1945年から執筆され始め1946年に完成した。それが完成すると次に『夜と霧』が同年の1946年1月には完成した。そしてこの思想劇『ビルケンヴァルトの共時空間』は,『夜と霧』が完成してから9か月後の10月から書き始められその月の内に脱稿され,1948年に完成している。この三つの作品は成立時期からみても思想家フランクルの出発点とも言える「三部作」とみなすべきであろう。本稿では,この思想劇でフランクルが読者に語りたかった宗教的・哲学的思想を解明することを試みる。

1 0 0 0 OA 哲学道中記

著者
井上円了 著
出版者
哲学書院
巻号頁・発行日
vol.巻1, 1887
著者
中村 哲也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.8, pp.66-73, 2003

あらゆるスポーツや勝負事と同様、文学を価値付け、これを文化的営為として成り立たせている大きな要因に、「倫理」がある。それは、サルトルがカント哲学に基づき提起した「自由」と「呼びかけとしての文学」の問題系にかかわっている。本稿は、この問題系を踏まえながら、これまでの主要な文学教育論議を検討し、文学と教育との関係を、とりわけ「倫理」の観点から取り上げ、論じている。
著者
金山 弥平 KANAYAMA Yasuhira(Yahei)
出版者
名古屋大学高等研究教育センター
雑誌
名古屋高等教育研究 (ISSN:13482459)
巻号頁・発行日
no.11, pp.5-22, 2011-03

本稿は、哲学、とくに哲学史の教育が、共同生活を営む人間の生きがい、幸福の源泉となりうること、またその点に関して初等哲学教育と専門哲学教育の間に本質的相違はないことを論じる。哲学は、単に何らかの問題を立てて自由に議論することではない。自由な主体的思考と思われるものが実際には、無意識の願望から結果する既成の判断であることはしばしばある。哲学は自らの思考を反省的に振り返ることによって真実へと接近し、より善き生き方をするところに成立する。大学での哲学教育は、プラトン的「魂の向け変え」を通して、消費者にすぎなかった学生を主体的生産者に変える最適の方法である。哲学史の学習は、現代の限られたパースペクティブとは別の見方に立つことを可能にする訓練として特に有効である。教師と学生の協力のもとになされる原典理解の試みは、チャレンジングな問題の克服の仕方の訓練として、現代の複雑な社会において刻々と移り行く情勢の変化に対応しうる知的能力を養い育てる。心の深い思考と感情を筆記しようとする哲学の訓練は、優れたゼネラリスト-この世界におけるwin-winゲームの勝利者-を生み出すまたとない方法である。This paper argues that the study of philosophy, especially that of the history of philosophy, helps students to lead a happy and satisfying life. In this respect, there is no essential difference between the introductory and the higher courses of philosophy. Philosophy is different from simple free discussion. It often occurs that the so-called "independent thought" is nothing but prejudged opinion arising from unconscious desires. Philosophy is an enterprise where reflective thinking works to facilitate the search for truth and the pursuit of a better life. The best way to transform students as consumers of knowledge into its producers is philosophy education at the university level, carried out through a Platonic turning of the mind. Journeying through the history of philosophy is especially effective for this purpose as it enables students to stand on different and unfamiliar perspectives. Through joint attempt with their teacher, students can learn to understand original texts, overcome challenging problems, and develop their intellectual abilities to cope with changing situations of the present complex world. Writing about one's deepest thoughts and feelings about some philosophical topic is the best way to train excellent generalists, who can in turn become real winners of the Win-Win games in this world.