- 著者
-
佐野 静代
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.133, pp.85-108, 2006-12-20
古代の御厨における漁撈活動の実態を解明するためには,「湖沼河海」の各々の御厨を取り巻く自然環境の分析が不可欠である。自然環境の分析には,地形・気候的条件とともに,その上に展開する「生態系」,特に魚類を中心とした生物相の考察が含まれる。魚類の生態と行動(生活史・食性・場所利用など)は,古代にも遡及しうるものであり,当時の地形と漁撈技術段階との照合によって,魚種ごとの捕獲原理や漁獲時期が推定可能となる。このようにして各御厨で行われた漁法が明らかになれば,「湖沼河海」の御厨ごとの漁撈活動と,贄人の生活形態の相違が浮かび上がってくるはずである。本稿では,古代の琵琶湖に設けられた筑摩御厨を対象として,当時の地形・生息魚種の生態・漁撈技術段階を照合し,その生活実態について検討した。筑摩御厨では,春の産卵期に接岸してくるフナと,春~初夏に琵琶湖から流入河川に遡上してくるアユを漁獲対象としており,贄人の漁撈活動は,地先水面での地引網漁+上り簗漁というきわめて定着的な漁法によっていたことがわかった。御厨現地での生活実態としては,水陸の移行帯において漁撈と農耕が分かちがたく結びついた「漁+農」複合型の生業形態であったと推定される。琵琶湖岸の古代の御厨においては,漁撈のみに尖鋭化した特権的専業漁民の姿は認めがたく,古代の贄人の生活実態は,網野善彦が提起した「船による移動・遍歴を生活の基本とする海民」像とは,異なるものといえる。生業を指標とする集団の考察には,現地の環境条件との照合が不可欠であり,網野の提起した「非農業民」概念もこのような視点から再検討されるべきと考える。