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参考日本歴史
RT @tonmanaangler: 「子義元更に西三河の松平氏を攻めて参河を取り、将に三箇国を領せんとし、海道一の弓取と称せらる」(『参考日本歴史』(長沼賢海 大正8) https://t.co/STLc1Z6YnG
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光秀 : 戯曲
RT @noimago: @Toshirou_m 明智氏が書いた戯曲『光秀』の序に「煕子」という名前が出てきますね。https://t.co/VoEivplYlx
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9350 小倉城天守の一階に関する復元的考察
@yukii_ziro 気になっているのですが、まだ読めていません。 CiNii 論文 - 9350 小倉城天守の一階に関する復元的考察 https://t.co/nvbDoTjTCp #CiNii
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加藤忠広による熊本城の改修と熊本城小天守について : 加藤氏時代の熊本城に関する研究(その3)
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9003 熊本城天守小天守および古天守の造営移築について
むしろ、小天守こそが宇土城天守(清正時代の)移築だとする説(宮上茂隆氏)があります。 CiNii 論文 - 9003 熊本城天守小天守および古天守の造営移築について https://t.co/E739Ve3KB9 #CiNii https://t.co/4X6kodsbtK
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言継卿記
RT @tonmanaangler: @Toshirou_m というか一次史料に4~5人にてって書いてますね。 https://t.co/ogjynDJnvr
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明智光秀
>信長の夫人齋藤氏の侍女に光秀の従妹あり 光秀の妹「妻木」のことか? https://t.co/8vdCq9uajz
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明智光秀
ここには、(若狭出身の)光秀が近江の六角(佐々木)氏に仕えていたと。 #明智光秀近江出身説 https://t.co/8vdCq9uajz
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『明智軍記』の光秀没年
どうも、光秀の生まれが子年だというのには素材となる占夢譚があり、それに合わせて享禄元年生まれ(『当代記』の67歳も?)が設定された可能性もありそうですね。 野口 隆「『明智軍記』の光秀没年」 https://t.co/84Z4FMs1n3 #明智光秀 https://t.co/l66si5B6iV
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史籍集覧
@vRCIFNgXKcGhJaG こちらで見られるようですね。 https://t.co/S8pyLKkoUR
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名古屋城大天守宝暦大修理における本体上げ起し修理について
宝暦の大修理{宝暦5年・1755)ではまさにそれをやっており、今それを再現すれば海外にも話題を呼び、多くの観光客を呼べるのではないでしょうか? 当然、内部には入れませんから、件の問題も.....
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幻の信長上洛作戦 : 出せなかった書状/新出「米田文書」の紹介をかねて
@sengoku_walker これって何も新発見ではなく、2014年に発見されていたんですよね。 古文書研究 (78) 2014-12 「木戸・田中推詰め、御取(出)仰付けられ、明智十兵衛・中川八郎右衛門・丹羽五郎左衛門、両三人取出にをかせられ。」 『信長(公)記』元亀三年三月十一日の条 https://t.co/JH7L6rbRDL
お気に入り一覧(最新100件)
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二条城二の丸御殿白書院の復原研究 : 建築と障壁画の総合的検討
二条城二ノ丸御殿、寛永期に大改修をしているが、現在の白書院(御殿配置上は黒書院が適当)は現在の南面でなく東面だったと見られ、其の場合には現存する表の南庭とは別に、奥向の庭が北東側に存在したとある https://t.co/8mydQxKSK2
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伊達政宗の絶縁状
なお、最近になって堀越祐一氏により伊達政宗の絶縁状は浅野長政に送られていないのではないかという見解も提示されています。→ https://t.co/wnkVztSA9P https://t.co/knzqOo8Xre
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清須会議後の政治過程 豊臣政権の始期をめぐって
@Tdr_moeguti4065 一瞬、信雄だったと思います。 https://t.co/VtaSA0umU4
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織田信秀岡崎攻落考証
TLに流れている「竹千代は最初から織田信秀のもとに人質として送られたのではないか」という説については、典拠論文がネットで読めるので、URL貼っときますね #どうする家康 村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」 https://t.co/tM5UWNcvrQ
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本邦・朝鮮国にとって倭城とは
「倭城石垣の矢穴技法について」『倭城研究シンポジウムⅡ 倭城―本邦・朝鮮国にとって倭城とは』(堀口健弐 2011) https://t.co/yqgqQ8hLY1 #一日一矢穴論文
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陰徳太平記
何のことはない。『帝国地名大辞典』の記事の出典は『陰徳太平記』だった。天正8年に秀吉が鳥取城を攻めたというのは「通説」ではなかったかもしれないけれど、普通にあった説であったといえるでしょう。 https://t.co/UMqEkQIT11
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敢えて実名を記す : 「二字書」という書札礼
これに関しては、こんな論文が出てたりしますね 丸島和洋「敢えて実名を記す ー「二字書」という書札礼」 (『古文書研究』88号 2019年) https://t.co/S55xpyZK8T https://t.co/uv1gWYMWzM
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道三・信長が語る楽市楽座・天下布武(岐阜の歴史)
土山公仁氏が河野島の戦いを記した斎藤氏家臣の連判状について「この文書を実際に書いたのは武井夕庵なんです」と語っているけど、どうしてそんなことがわかるのだろうか?筆跡? https://t.co/6qMCMkOuAs
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諏訪史料
@toshizou25 『諏訪史料』が出典のようですが、ご子孫が書かれている戒名とは異なる戒名なので少々眉唾ですね。https://t.co/72z1HruqXD
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武州豊嶋郡江戸〔庄〕図
慶長江戸図「駿河大納言」=徳川忠長の破格の扱いが目立つ https://t.co/yCVP8Z6YPI https://t.co/UvP40COfjI
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戦国期城郭の城址に建設された模擬天守閣の建設経緯と意義 -戦前の地方都市における模擬天守閣の建設に関する研究 その1-
https://t.co/8MccVQ7G95 「戦国期城郭の城址に建設された模擬天守閣の建設経緯と意義」 #後で読む
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築城記
適当に作ってても埒があかないので「築城記」で説明が付くように作り直した。ただし、築城記が成立したのは永禄年間なので、その後の鉄砲の普及に伴う形状変更を多少加味した。とはいえ、現物が残らない以上、実態は不明というほかない。https://t.co/lE6ZcpqNBZ https://t.co/6EbK1ks0xW
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築城記
国会図書館のデジタルアーカイブで「築城記」が見られるんだが、「サク木」の記述を踏まえて立体化すると右側のような感じになる。縦材の密度は「瀬波郡絵図」を参考に作ってるのと同じでいいみたいだが、横材は4本渡すとある。 https://t.co/lE6ZcpqNBZ https://t.co/iKvNNGlY1n
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寛政重脩諸家譜
と、ググっていたら、うほっ!となった。https://t.co/2Sm54eQ1X8
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近代日本のRC造建築における修復技術と理論に関する研究 ~ヴェニス憲章にみる構造補強の区別について~
@Toshirou_m どういう経年劣化が進むかはまだ分からないところもあるので、その時々で技術を開発していくしかないのではないかと思います。 ちゃんと表面処理をすれば持つみたいです。 https://t.co/8Qo3xb4RCy https://t.co/nCMJ8Pm1QG
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歴史的建築物の保存修復からみた鉄筋コンクリート
@Toshirou_m どういう経年劣化が進むかはまだ分からないところもあるので、その時々で技術を開発していくしかないのではないかと思います。 ちゃんと表面処理をすれば持つみたいです。 https://t.co/8Qo3xb4RCy https://t.co/nCMJ8Pm1QG
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岡崎市史
岡崎城天守の初重外壁に線がたくさん入っとる… 模写・翻刻の類ですけど、元の絵図が見つからんのです。 画像の出典はこちら 岡崎市史 第二巻 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/wCuwKCEdju https://t.co/7hnbpscjGp
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織田信秀岡崎攻落考証 (森下純昭教授御退職記念)
家康が直接織田家に人質に送られたかどうか、というのが話題になっているので、とりあえず出典論文置いておくなどします ネットで読めるものなので、とりあえず読んだ方が早い 村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」(『中京大学文学会論叢』1号 2015年) https://t.co/fGkkftd1vV
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波多野氏の丹波国支配をめぐって : 天文・永禄年間を中心に
波多野氏といえば、友人から教えてもらったこの論文が大変分かりやすくて勉強になりました。 ネットで閲覧できるのがありがたい 渡邊大門「波多野氏の丹波国支配をめぐって」(『鷹陵史学』37号 2011年) https://t.co/E08satYd59
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足利義昭・織田信長による若狭武田氏への政策について : 武藤友益討伐などから (70周年特別企画)
@koueorihotaru 長文失礼致します
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妻木戦記
さらに「妻木傳兵衛頼忠後傳入ト號ス」とある頼忠の肖像画まである。 https://t.co/q1F81QNQDM
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妻木戦記
これか「日東家其始め妻木藤右エ門尉源廣忠舎弟妻木長兵衛頼知(石伯)天正十午年六月二日京都にて戦死す其嫡男久右エ門惟知姓を日東と改め妻木傳兵衛尉頼忠臣と相成」 https://t.co/wtBRUJsBtu
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光秀 : 戯曲
@Toshirou_m 明智氏が書いた戯曲『光秀』の序に「煕子」という名前が出てきますね。https://t.co/VoEivplYlx
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築石の形状・寸法などからみた城郭石垣の分類と変遷
@horiguchikenji 使われた石材の加工の難易、財政状況、緊急性などから、必ずしも時代背景を反映したものであるとは限らないため、年代の判定は困難である、という前提があるのではないのですか? 熊本城の二様の石垣が未だに年代が定まらないのはなぜでしょうか。 https://t.co/yoMHxiAWAT
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中世後期守護権力の構造に関する比較史料学的研究
詳しくはこちらの科研の報告書「越前朝倉氏」の項目で論じましたので、最寄りの図書館等でご覧になってください▼ https://t.co/VxjLBehLNg
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土岐頼康と斯波義将ー尾張・三河からみた室町幕府ー
PDF公開。松島周一「土岐頼康と斯波義将」(『歴史研究』65、愛知教育大学歴史学会、2019年3月)土岐頼康と尾張国大成庄ならびに斯波義将と三河国山中郷という、室町幕府の有力者と庄園領主である東寺の所領との関係を示す2つの事例から、その特徴を探る。https://t.co/9Q8A5VDLrj
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室町幕府最末期の奉公衆三淵藤英
三淵藤英の動画。こちらの制作では金子拓先生の論文に助けられました。 藤英の立ち位置について知りたいという方にはオススメです。 (動画は4/3に投稿します) https://t.co/EmdVp1614y https://t.co/YqEB2oxkNN
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大坂城誌 : 一名・浪華誌
薄中納言は存在した!?(本文一番右をご覧ください)https://t.co/5PRWsdIEaJ
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光秀 : 戯曲
於鶴丸が先祖であると最初に書かれたのは、おそらくこれ。https://t.co/8ZO3iLryRr
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大衆人事録
大人げないので、資料をひとつ挙げておきます。https://t.co/PdAlCWN0xz
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韡村遺稿
「其外祖中瀬氏為惟任氏外姻幼時養於我秀林夫人所故助三郎仕於我冒外氏」(『韡村遺稿. 乾』)「外祖=母方の祖父」「外姻=妻の実家」か?ちょっと意味がわからない。 https://t.co/y06X7rHGoP
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に
訂正 明智氏研究というより斎藤氏研究の模様 CiNii 論文 - 戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に https://t.co/hxZXcbstkt #CiNii 用水争論という題材を見たときに、「鑁阿寺文書」のあのえげつないやつを思い出す(震え声
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真正日本の創建とその使命
「天海(此人は明智光秀の後身といふ説がある。或はさうかも知れない。家康はかういふ政治的手腕を有つてゐる)」『真正日本の創建とその使命』(田代倫 1947) https://t.co/SrOMC0OEzC
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中世史部会 戦国期美濃後斎藤氏の外交と家臣団編成
石川美咲先生については、「戦国期美濃後斎藤氏の外交と家臣団編成」における、義龍死後の家臣団編成の報告も、斎藤・三好同盟の部分や長井隼人佐の登場経緯などものすごく気になるところも多いので、こちらもそのうち論文化されて読めればいいですね https://t.co/KaHn8e0fKP
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戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に
石川美咲「戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に」。真桑用水の相論への土岐氏と後斎藤氏の対処の違いを通して権力体としての支配の違いについて述べられた論考https://t.co/NTqJ2jThRD
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戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開
@D28PWUN6TZFOHpi @Dkt990305Di @1059kanri @shima_126 はい、私の論文で論じています。「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」『年報中世史研究』39号、2014年です。 https://t.co/egN2tfa1yL
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偏類六書通 7巻
「辞書にない文字」で「秀吉への想い」との解説が入る。 気になって『偏類六書通』https://t.co/Vuk3mN5Uzr を見ると、「豊」の「古文奇字」として同じ字があった。 https://t.co/p3VJCUQouE
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古文書時代鑑
『古文書時代鑑. 続編 下』(大正14-昭和2)に「細川忠興夫人明智氏自筆消息」。「署名のたは、たまを略せるなり」 https://t.co/p9ferHslUC
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西教史談
『西教史談』(大正15)に「玉子夫人」とあった。『国史教授に必要なる日本女性史』(昭和6)は単に知らなかっただけか。ただ当時はあまり周知されてなかった感じはする。 https://t.co/d3Dq7i6beo
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細川忠興夫人隠棲地由来記
『細川忠興夫人隠棲地由来記』(昭和11)に「玉子の方」とあった。 https://t.co/OLF8YvupYl
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歴史的に観たる日本女性
『歴史的に観たる日本女性』(昭和10)「細川忠興の妻は名を藤波といひ、明智光秀の三女であつた」これは何だ? https://t.co/eLyJEN31ZQ
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国史教授に必要なる日本女性史
『国史教授に必要なる日本女性史』(昭和6)には「日本名は知られてゐないので」って書いてあるんだけど、当時はわからなかったのか、この著者が知らなかっただけなのか? https://t.co/o2qHgaBA4v
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年報中世史研究
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史籍集覧
「新公方ヲ討申スヘキ企アリト風聞区々ナリケレハ此以後江州ノ御住居叶カタク君臣危キヲ踏テ如何有ント日ヲ送ラル」(『続応仁後記』) https://t.co/rKaS3INur7
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史籍集覧
『朝倉始末記』「佐々木左京大夫義賢入道承禎ヲ御頼アリケレトモ(中略)剰ヘ心替ノ旨仄聞エケル間義昭公力ヲ及ハセ給ハス若狭守護(略)」二次史料だけど六角が心替したという噂を聞いたから若狭に脱出したのであって六角が公然と裏切行為をしたとはなってない。 https://t.co/xqPrf9Koxw
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史籍集覧
『足利季世記』「先若狭国エ御下リ有リケル。人々ハ過半矢島ニ被留北国御安座ヲ被定ハ可召寄由仰ラル」二次史料だけど過半は矢島に留めたと書いてあった。 https://t.co/QH14nr3T95
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『越州軍記』にみる越前一向一揆
PDF公開。神田千里「『越州軍記』にみる越前一向一揆」(『東洋大学文学部紀要.史学科篇』44、2019年3月)不明な点が少なくない越前一向一揆について、天正五年の奥書を持つ軍記物「越州軍記」を慎重に扱いつつ、北陸諸勢力との「外交」や政治史に即して実態考察を試みる。https://t.co/0tPCKv6iAD
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大坂御城図
@urakkun26 https://t.co/y5MOR8CHFH こちらの大坂城絵図には多数の大砲が設置されている様が見て取れます。
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史籍雑纂
八切止夫の時代は史料を確認するのも一苦労だったと思うが、現代ではデジタルで公開されているので、簡単に確認できる。「本多平八郎聞書」https://t.co/XUYEr4uQsb 左ページの上段参照。比較すると、八切止夫がどれだけ話を盛っているかが分かる。
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狩野宗秀に就いて
「狩野宗秀に就いて」(持丸一夫1948)。絵画史の基礎知識ほぼ無い状態で読んでるから難しいけど、この論文が宗秀=元秀の学説の嚆矢なのかな?それ以前に「四季花鳥図屏風と筆者元秀に就いて(秋山光夫)」で論じられてるそうだが詳細不明。 https://t.co/cXzctrFO8q
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愛知県案内
あと「織田信長が其の臣の余語正勝に命じて再建せしめたと謂う」との説明が複数あって史実か否かはわからんけど、こっちは伝承があったと思われる。焼いたのは信長かもしれんが再建したのも信長(と語られてきたと思われ)。 https://t.co/slizQLo1hJ
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日本国宝全集
長興寺(豊田市)の織田信長像が話題になってたので国デジで調べてたら戦前の解説があった。「併し、實を言へば本像にはいくつかの疑問がある」云々と書いてある。 https://t.co/o3uxnYVutp
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中世祇園社安居会の実態
「太郎五郎男」は最所「太郎五郎の息子」という意味じゃないかと思ったんだけど、他の用例みると違うのかとも思う。ただ、石清水八幡宮の「安居会の頭役は年少の祠官が就いており、安居会の頭役を務めることが一種の通過儀礼であった」という指摘がある。 https://t.co/t4HK6sui0i
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武将感状記
『武将感状記』 (日本名著文庫) / 淡庵子 編 (聚栄堂, 1921) のp142-143 https://t.co/lV1MYbK3sr
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慶安元年の丹波福知山城主稲葉紀通自決事件(謀反疑惑事件)に関する一考察
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寛政重脩諸家譜
大窪藤五郎については『寛政譜』のこの情報が全てなのかな? https://t.co/eBkR6ML6vp
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斑鳩寺と峰相記
@1059kanri 『峰相記』という史料に「山コシ」と表記されて、説明されているようです。https://t.co/ZJsgxSWQMm の最後の行。
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将軍記
林道春が将軍家光の命で編纂した「将軍家譜」を和訳した「将軍記」。源頼朝から信長秀吉まで、一切の価値評価をせず淡々と(当時の段階で理解されていた)事実を述べているの、道春の学者としての凄みも感じる。 https://t.co/ut8W98PAr0
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織田信長の美濃侵攻・統一と足利義秋の上洛
久野雅司氏の論文の注に参考文献として加藤彰彦氏の論文「織田信長の美濃侵攻・統一と足利義秋の上洛」が詳しいとある。ところが同論文では「信長の違約行為」としている。よくわからん。 https://t.co/uvds0bkgem
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太田牛一「信長公記」成立考 (昭和二十二年九月十二日報告)
かなり古いが、こういう研究もある。 J-STAGE Articles - 太田牛一「信長公記」成立考 (昭和二十二年九月十二日報告) https://t.co/5xjXCJGHoB
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柏原織田家臣系譜
そもそも今の織田廟宗家は柏原藩士の田中家の子孫ですからねぇ。https://t.co/hirJ7P7sf7
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本能寺の変直後までの吉田兼和の生き方と交友関係 -特に明智光秀、細川藤孝とのつながりを軸に-
メモ:兼見卿記とその紙背文書https://t.co/V2RaEi5zJZ(pdf注意) CiNii 論文 - 本能寺の変直後までの吉田兼和の生き方と交友関係 -特に明智光秀、細川藤孝とのつながりを軸に- https://t.co/4HyClhnQif #CiNii
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大久保忠教自筆釈教和歌釈義 : 用語と表記について(人文社会科学編)
@noimago なんか、わざとみたいなんですが、それで論文書いてる人も CiNii 論文 - 大久保忠教自筆釈教和歌釈義 : 用語と表記について(人文社会科学編) https://t.co/M1finMxkcK #CiNii
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細川幽斎の出自について
で、この矛盾を「元常の養子」に変えることで世代的には矛盾を無くしたのが18世紀成立の「御家譜」だったようなのだけど、それで思い出したのがこの藤孝の出自の移り変わり詳細に示してるこの論文 CiNii 論文 - 細川幽斎の出自について https://t.co/nma6aCXcCY #CiNii
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室町後期における二条家の停滞
PDF公開。石原比伊呂「室町後期における二条家の停滞」(『聖心女子大学論叢』130、2018年1月)15紀末期から16世紀初頭における二条家の実態復元を試みる。「なぜ室町期の二条家は栄華を誇り、戦国期には状況が変わったのか。当該期における二条家の実態を素描しよう」https://t.co/zRRWF4knwY
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マノエル・アキマサと賀茂在昌
@chika_kiseki @Toshirou_m すいません。『歴名土代』を直接見たのでなくて https://t.co/UiouCSpPmE を見ました。よく見れば「故在富卿子 実□」とありますね。
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江戸時代初期の越前に現れた「領」 -結城秀康・松平忠直の領国支配機構-
CiNii 論文 - 江戸時代初期の越前に現れた「領」 -結城秀康・松平忠直の領国支配機構- https://t.co/fGX05gUKPe #CiNii ciniiから飛ぶと該当論文に辿り着けないので、こちら↓からどうぞ。 https://t.co/yowSfCAqaT
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室町後期の近衛家と他の摂家~近衛政家を中心に
PDF公開。石原比伊呂「室町後期の近衛家と他の摂家:近衛政家を中心に」(『聖心女子大学論叢』129、2017年6月)「九条流」と「近衛流」の二分類の有効性を検証するために、本稿では近衛政家期の近衛家と一条・九条・鷹司家の関係を復元。https://t.co/XBQG3gpajg
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光秀 : 戯曲
光秀 : 戯曲 https://t.co/jwzDqk6Skf 明智太鬼郎とは、つまり子孫氏の祖父、明智滝朗氏だよな。こんなのを書いていたのか…。
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戦国期における愛宕山五坊・山伏の諸国勧進
PDF公開。工藤克洋「戦国期における愛宕山五坊・山伏の諸国勧進」『同朋大学佛教文化研究所紀要』35(2016年3月)先行研究にて手つかずの戦国期愛宕山五坊の活動実態を明らかにしたうえで勧進活動を復元。中世後期勧進研究の課題にも言及。https://t.co/Cge5bLwVry
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井伊年譜 10巻
「井伊年譜」は国会図書館デジタルコレクションにありますので、ここで読めます。https://t.co/Sf69hCO9YU 写しなのですが、くずし字な上に書き込みや付箋による注釈があって頁によっては読みづらいです。ただ、その付箋に直之の娘が六左の妻などの情報があったりします。
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山形経済志料
『山形経済志料. 第2集』山形の鰻屋の証言。丑の日に鰻を食べる習慣はなかったが天保年間(1830-1844)から急に売れはじめ弘化・嘉永がピークだったという。ちなみに源内は1780年没。 https://t.co/1xi6y1CwLv
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太田牛一自筆 『太田和泉守記』 について ―― 蓬左文庫所蔵本の成立過程の一端 ――
@kusunoki030513 こちらの論文を参照すると分かりますが、大まかに関ヶ原のみを扱ったものと、それ以降の出来事を記した二つの系統があり、更にその中でも相違点があります。 https://t.co/hfOeG0aM1A
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いわゆる小山評定についての諸問題―本多隆成氏の御批判を受けての所見、及び、家康宇都宮在陣説の提示―
CiNii 論文 - いわゆる小山評定についての諸問題―本多隆成氏の御批判を受けての所見、及び、家康宇都宮在陣説の提示― https://t.co/JxZ3R4TCPZ #CiNii 小山評定についての新しい論文のようだ
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太田牛一自筆 『太田和泉守記』 について ―― 蓬左文庫所蔵本の成立過程の一端 ――
@tyuusyo @ut_ken https://t.co/wtWgtqV7bZ こちらの記述によれば関ヶ原合戦に関する記述は、翌慶長六年のものとされるので直後となります。なお、白峰氏は下記の論文で『太田和泉守記』に触れています。 https://t.co/1lA3uF1LmI
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戦国軍記『武功夜話』における偽書説について : 語彙による年代確定の危うさ
CiNii 論文 - 戦国軍記『武功夜話』における偽書説について : 語彙による年代確定の危うさ https://t.co/JFPMlDOp4X #CiNii ちょっと興味深い論文
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上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯
PDF公開。小谷量子「上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯」『日本女子大学大学院文学研究科紀要』23(2017年3月)「足利―近衛体制」の重要人物である慶寿院。上杉本洛中洛外図屏風注文者でもあり、上杉本理解のためにその生涯を考察。https://t.co/HUokUdrVQi
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戦国大名分国における領主層の編成原理をめぐって
中世における主君押込の一例については、村井良介氏の論文を参照→https://t.co/MMZR7vWpcF
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十六世紀における堺商人の動向 : 天王寺屋をめぐって
53年前の論文なので、研究史的に更新されている指摘もありますが、個人的に面白く拝読した論文→速水佐恵子「十六世紀における堺商人の動向ー天王寺屋をめぐってー」(『史論』第12号、1964年)。PDFはこちら→https://t.co/EcJ8H4pxx6
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天正年間における家康への近江在京賄料について
CiNii 論文 - 天正年間における家康への近江在京賄料について https://t.co/5jrqc1jCvB #CiNii 先ほどRTした本はこの方のですね。読みたかった「長丸=秀忠」についての論文も入っている。
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豊臣期宇喜多氏の構造的特質
@nknatane 最近提出された豊臣期の博士論文としては、森脇崇文氏の『豊臣期宇喜多氏の構造的特質』(2012)https://t.co/cAVfpMIdddや林晃弘氏の『近世前期寺社政策の研究』(2016)https://t.co/yT46f0JIeMがある。
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近世前期寺社政策の研究
@nknatane 最近提出された豊臣期の博士論文としては、森脇崇文氏の『豊臣期宇喜多氏の構造的特質』(2012)https://t.co/cAVfpMIdddや林晃弘氏の『近世前期寺社政策の研究』(2016)https://t.co/yT46f0JIeMがある。
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前田玄以発給文書集成(1)
伊藤真昭「前田玄以発給文書集成(1)」(『歴史文化研究』5号、2016年3月)https://t.co/PuBczIU3HT この史料集成は未読だが、伊藤氏は著書『京都の寺社と豊臣政権』(法蔵館、2003年)において玄以発給文書を集成されている旨を述べていたはず。
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戦国期における城誘 : 城誘に関する一分析その2
「城誘」の読み方、初めて知った。検索してみると、すでに論文があるようだ。三重野誠「城誘に関する一分析」(『大分県地方史』143、1991年)、同「戦国期における城誘」(『大分県地方史』183、2002年)。後者はPDF公開していた。https://t.co/3GdYX6eAEH
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戦国期大和国における松永久秀の正当性─ 興福寺との関係を中心に─
高橋遼「戦国期大和国における松永久秀の正当性」(『目白大学短期大学部研究紀要』52、2016)小沢長政や松永久秀といった外部勢力の大和国侵入によって、戦国期大和国内の権力関係がどのように変動したのか、特に興福寺との関係から検討。https://t.co/z7HwT35we8
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小山評定は歴史的事実なのか(その2)拙論に対する本多隆成氏の御批判に接して
@1059kanri )続き)駿州ゟ上之御人数ハ、何も国々へ御返しニ候、猶珍敷儀候 ハヽ可申入候、恐々謹言 浅左京 七月廿九日幸長(花押) 大関左衛門督殿 御宿所」 という書状です。なお、これに関する白峰氏の見解は下記のリンクを。https://t.co/GqECowcSHH
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系図を綴る中世武士(<特集><偽書>の中世)
【資料】CiNiiに、佐藤晃氏の論考「系図を綴る中世武士」(日本文学 47(7) 1998/7/10)がpdfで公開されています。安東(秋田)実季を取り上げ、正史の歴史叙述の行間に自家の存在を滑り込ませ方法。興味のある方はぜひ https://t.co/OsO1kkv2GS
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〈博士論文の要旨および博士論文審査結果の要旨〉千利休切腹の原因およびその後の千利休の死をめぐる言説に関する研究
【資料】先につぶやいた、千利休の死について、CiNiiに福井幸男氏の論考「千利休切腹の原因およびその後の千利休の死をめぐる言説に関する研究」(人間文化研究1 2014/11/28)がpdfで公開されています。参考までに https://t.co/s77IDjFPyK
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藤堂藩の成立と伊賀 : 藤堂高虎・高次・高久を素材にして
【資料】甲南大学機関リポジトリに、東谷智氏の論文「藤堂藩の成立と伊賀 : 藤堂高虎・高次・高久を素材にして」(甲南大學紀要.文学編162 2012/3/30)がpdfで公開されています。興味のある方はぜひ https://t.co/NcV0IEu0Jz
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