ドンじょぶお (@urakkun26)

投稿一覧(最新100件)

RT @marxindo: ゴミ箱を設置するとゴミのポイ捨てが減る、というのをちゃんと調べた心理学の研究がある。https://t.co/SGWpnn41Q2
RT @IIMA_Hiroaki: 日本語史についての無理解から、研究者が著作で誤りを広め、強く批判されています。これに関し、以前日本語学会の学会誌に載った矢田勉氏の「日本語学会の社会的役割と『日本語学大辞典』」は多くの人にぜひ読んでほしい。誤った説を広める代表的な著作が批判さ…
RT @shoemaker_levy: 徳富蘇峰、あれだけの生産量の背景には有能な代筆者がいるんですよね。その忘れられた代筆者・川崎三郎との往復書簡を紹介した玄人好みの論文がありますよ https://t.co/zNiDqzd2Kf https://t.co/j9LliRGpfh
RT @shoemaker_levy: 徳富蘇峰、あれだけの生産量の背景には有能な代筆者がいるんですよね。その忘れられた代筆者・川崎三郎との往復書簡を紹介した玄人好みの論文がありますよ https://t.co/zNiDqzd2Kf https://t.co/j9LliRGpfh
剣道は入営前準備機関も兼ねた学校で武道として教育されており、士官の愛刀は威厳と統率の象徴として機能してたんですな。剣道なんか知らんという兵隊なんか居なかったでしょう。 https://t.co/3e3l8i8RHB https://t.co/ncNzLxQIoO
RT @nagaoka_sun: 形態と遺伝子から解明する近世アイヌ集団の起源と成立史 https://t.co/gfnRqvDb7r 「解析の結果は、北海道のアイヌ集団は在来の縄文人の集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成されたというシナリオを支持…
RT @tsunoryo124: 昨年度掲載された論文がWebで見れるようになりました! ご笑覧いただければ幸いです! 旧軍関係者団体における「歴史修正主義」の台頭と「政治化」による戦後派世代の参加 https://t.co/KQ9siqxmmd
RT @watch_dog_timer: 関東平野のような広大な沖積平野は一様に平坦な訳ではなく平野の発達過程で自然堤防や凹地が点在して凸凹になる。そうしてできた湿地帯が稲作適地となり大昔から開発されてきた。そもそも土地が低いので水をどこかに吐かないといけない。だから放水路が必…
RT @monkey_across: 冒頭の画像は稚内市役所HPからお借りしました。碑の場所は稚内市宗谷公園になります。 https://t.co/5XZsdyYGfL 参考文献 珈琲一杯の薬理 https://t.co/9b1CV9ggd3 天明の蝦夷地から幕末の宗谷 ht…
RT @ksk18681912: ↓ https://t.co/6emklh7A5j 江戸の薩摩藩邸や仙台藩邸からは鹿の骨が出土しており、鹿が食べられていたことがわかります 当然ながら、鹿の供給元は麹町のももんじ屋でしょう (続く) https://t.co/Uk0KVFC…
RT @carpe_diem0820: 新興感染症発生早期の臨床情報は極めて重要も、国内の臨床情報の迅速な収集/共有体制は不十分で下記が必要 感染症指定医療機関の研究能力強化 病院内情報システムの情報をレジストリと連結して運用する戦略的な知見の共有体制の構築等の環境改善 微生…
RT @oukaichimon: https://t.co/6Y5kGOy0Sh この論文の中で、「犯罪被害に対する不安からセキュリティタウンに移住するが、アンケートの結果、移住したところで不安は解決しない」(意訳) ってのもあった。不安は事象ではなく心象なんだろうな
RT @yuki_history: 『立教史学』5号に「御成敗式目の現代語訳はどうして難しいのか : 立法技術・語彙・本文に関する覚え書き」を書きました。以前、学部のゼミで扱って試訳をつくったのですが、どうにも難しくて、どうして難しいのか、自分なりに考えたことのメモです。リンク…

136 0 0 0 OA 異魚図賛

RT @NDLJP: 画像は、不思議な姿の魚を集めた江戸時代の書物『異魚図賛』に収録されている「四方谷五口魚」。 5つの口から見える歯は鋭く、角もあって強そうですが、「仔豚のようでかわいい」という声も。 皆さんはどんな印象を持たれたでしょうか。 https://t.co/CZS…
RT @Historian_nomad: https://t.co/T9Q6ZleOeg… 続きは質問箱へ #Peing #質問箱 https://t.co/PB4HRGP3kg
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…
RT @lowkaku2928: お話の下地は馬部先生のこれかしら https://t.co/HKaWgbZZ00
RT @vr_murakamijo: 【メモ】木島 孝之「城郭研究『縄張り研究』の独自性を如何に構築するか」2012 https://t.co/5lZbAr3eAu
RT @Naga_Kyoto: 荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0N…
RT @twinrail_ut: クリスチャンは水子供養どうするんだと調べていたら、そもそも水子供養は仏教でも伝統習俗でもなく、「1970年代から寺院が商売として始めた」という衝撃の事実が明らかになってしまった https://t.co/49Kcpp0nuk https://t…
RT @parsifa18401874: 機先を制することを求められ、逐次投入になりやすい。一木支隊の研究では多くの考察が陣地攻撃の成否に焦点を当てられていたため、それに一石を投じるつもりで臨みました。拙稿は学術論文として取り上げられています。ご興味のある方は是非! https…
RT @moroshigeki: 「①現存する聖典に見られない理論でも、法性に叶えば仏説であり、②隠没した経の中に説かれていたかも知れず、③自分の建てる「法性」と矛盾した仏説があっても未了義であると主張することができるなら、極端に言えば、任意の説を仏説とすることができるのである…
RT @NahokoTokuyama: 絶対何かありそうだったけど、ミネラルも別に他のとこより高いわけでもなく、「誰かが食べたとこから食べたい」ということから「土はここから食べる」という習慣が始まったようでした。https://t.co/3UlPFnEsIo そういうこともある…
RT @Kominebunzo: 「戦後教育の特色は, 教職員組合との対立でもイデオロギー闘争でもなく何といっても教育の爆発的な拡大への懸命な対応であったという思いが強い」 中学高校の制服は「伝統」ではなく、それへの期待も反発も「新しい」とわかる。そして反対運動の時期が安保とは…
RT @holy_sengoku: 完全に乗り遅れてますが、朝倉氏が「名門」なのかどうかという話。まず、室町幕府創設期以来の大名の家格ではないのは周知の通りですが、英林孝景の下剋上で越前一国を支配する守護大名(戦国大名?)になったという認識も、たぶん誤り。こちらの論文が参考にな…
RT @rsuzutani: 首塚の偽史という点に関する最近の文献。https://t.co/mGslNFFyPB Twitterでの「批判者」に対する次の文章は近代史にも当てはまりそうだ。「時間・金銭・努力を費やして資料を解釈する専門的能力をまだ身に付けていないにも拘わらず、…

216 0 0 0 OA 守貞謾稿

RT @katukawa: 江戸時代の鰻飯 当時の価格が200文だから、現在の価値にして6400円ぐらいか。 https://t.co/klvTZ1Iqwc https://t.co/emH4ZNy23o
>「成化・弘治年間から嘉靖まで密貿易とそれに伴う弊害は拡大し続け、そのピークである北虜南倭の時代を迎えることになる。」 https://t.co/Md8ZxV1xaE
RT @merontomikan: 複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.c…
〜この対立は、唯物史観全盛だった戦後歴史学、特に日本史学で優勢となった流れによる他の流れへの批判として把握できる。」 https://t.co/wF1y3UMhP2
改めてヴェニス憲章の要点からお城の復元について考えると… https://t.co/luomVUABo2
RT @call_of_history: @urakkun26 この論文など参考になります。 ヴィオレ・ル・デュクの修復理論について https://t.co/wlr30QspnP
RT @merontomikan: 戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例にThe Domination of Mino Province by the Toki Clan and the Go-Saitoh Clan in the Sengoku Period :…
RT @merontomikan: なんかバズっている!300いいねを超えそう!Twitter始めて以来初めて
RT @washou3956: 引用は西谷功「『視覃雑記』著者「長典」と醍醐寺建久本『十巻抄』所持者「長典」」(『智山学報』64、2015年、PDF公開)88頁を参照のこと。また、同様の指摘として橋本初子「法会と法流からみた中世の僧数」(『日本史研究』388、1994年)123…
RT @holy_sengoku: 足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理…
狭義の「信玄堤」は治水システムの一部である様だ。 https://t.co/88u6WhEWBo
>後鳥羽院から見た藤原定家は後世の文学ファンが見る定家とはまた違う人物であった様だ。 https://t.co/DIRQjidixq
どうもアカン人っぽい。 https://t.co/BKMwyVRW8N
1997年のこの論文では豊臣政権内での源氏徳川将軍萌芽が見られる可能性が言及されているが同時に北条領平定の尖兵として豊臣政権が徳川に源氏を名乗らせた可能性についても触れられており、当方としては後者の意味しか無かった様に思う。 https://t.co/q5wqnI3vhy
RT @bafkm: @omikun_1603 呉座先生も歴史学の文献を読む場合は、文脈を読み解けと言ってますね。 くずし字が読めるレベルでは駄目だそうです。当たり前ですが。 https://t.co/UXByK7n2hf
だいたいの方角と相対的位置関係と適当な省略の地図って伊能忠敬以前の時代だよなぁ。 込めたつもりの無い意図を勘ぐられる結果をもたらしそうで恐いな。 https://t.co/WpSHoCzt2o

20 0 0 0 OA 列聖全集

RT @Signal9J: 三浦関造『心霊の飛躍』(昭7)に、"光格天皇御製"の「神様の国に生まれて 神様の道がいやなら 外国へゆけ」という歌が引用されていた。 本書だけでなく、この"光格天皇御製"の歌はたまに見かけるのだが、『列聖全集 御製集』(列聖全集編纂会 1917)には…
甲冑は奈良紀伊辺りの産が人気だったのか… https://t.co/vjhQTEdJJV
刀剣というモノに対する審美眼も興味も無いんだが、由緒についての史料分析は面白いな…遡って付与された属性の批判とそれが必要とされた背景の考察は人物から伝説を剥がす作業にも似ている。 https://t.co/IVwbfU4RtT
鉄砲手は特殊部隊としてまとまった兵団を構成しつつ、身分的には士分扱いされない兵隊であった様だ。 長篠の時も各家臣の軍から鉄砲手を織田が掻き集めた事例からして、天正年間で鉄砲は各備の中でまとまって運用する手法が採られていたのだろう。 https://t.co/kwsv2m9mG0
RT @hms_ulysses: 米騒動期の日本人のコメ喫食事情についての論文。とにかく日本人が白米を食べたがることが書いてある。面白い。 https://t.co/sqcfUySx1G
RT @sumersan_1560: 宝暦治水の偽史性に関する論文は下記の通り。(ソース大事w) https://t.co/M04SfM0AQW … https://t.co/jzmSS9pfNy https://t.co/24zaSc9A55
大大名の改易については、強権を発動して有無を言わさずというのではなく、他の大名に政権見解を披露して世情不穏の発生を抑制するプロセスがある、と。 https://t.co/4fGrBtmTPV

16 0 0 0 OA 防長近世史談

RT @busyo3: 昨今、桐野作人さんや町田明広さんが使用されている「廃幕」という用語であるが、1927年刊行の村田峯次郎『防長近世史談』に「排幕」が使用されていることを確認(大小社、261頁)。以下➡https://t.co/9kaiO3OciR
RT @KusodaYoroi: https://t.co/dM7EEzFwVf 山岸素夫「中世大袖の規格化と甲冑用鷹バカリについて」。甲冑製作時の基準尺度と実遺例の寸法から大袖生産の規格化を探る。
二次史料であっても、創作意図を丁寧により分ければ史実の一部が出て来るし、史料が無いというのも何らかの傍証になり得るんでないかと考えます。 https://t.co/FO2pg7Cl3Z
RT @washou3956: PDF公開。小谷量子「上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯」『日本女子大学大学院文学研究科紀要』23(2017年3月)「足利―近衛体制」の重要人物である慶寿院。上杉本洛中洛外図屏風注文者でもあり、上杉本理解のためにその生涯を考察。https:…
RT @holy_sengoku: また、松永弾正邸の賑やかな左義長の様子に何らかの意図が込められているとすれば、単純に三好・松永を対抗勢力と捉える将軍義輝が上杉謙信に彼らの排除を要請したと見るのも早計ではないかと。幕臣として久秀を義輝に近い志向とする評価もありますし。http…
RT @kotosakikotoko: 白峰旬センセは『慶長庚子の大乱』『慶長庚子の大兵乱』を提案してるのね。 関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈 : なぜ大谷吉継だけが戦死したのか https://t.co/aKNL5KKzXs
RT @a_ri_no_ri: 論文メモ 徳川家康の駿府外交体制:https://t.co/zgmICeDrPf 豊臣政権の関東・奥羽仕置:https://t.co/nA4tA4eCny

お気に入り一覧(最新100件)

@urakkun26 @shirowanko7 https://t.co/J9CrycTtZz う馬の文化叢書というのが出てるみたいですね。そこならもしかしたらあるかもですね。
@urakkun26 https://t.co/rgXOkLwF7o https://t.co/oOZG1cMevJ https://t.co/kVJwvUyhtrちゃんと調べて、諸外国のように関数電卓を使い数学嫌いを減らすなら、よかったのですが、まともに調べず元の党首と同じことを言うという。
@urakkun26 @yoshikun2009 ここにアクセスしてもらえばわかるのですが、大阪城の経緯に関しては別途の論文があるそうです。近世と戦国期の城郭に対しての考察はかなり面白いですね。 https://t.co/AVwQKY666z
@yoshikun2009 @urakkun26 戦前の模擬天守もさまざまあるみたいですが住民はそこまで興味がなく、観光目的とか顕彰という意味があるようですね。 https://t.co/U2FxEg9aw1
これですね https://t.co/YSiY1NZxBx https://t.co/3pYJnsHtej
@urakkun26 https://t.co/Lj1FRWNsRq あと船田先生が研究史をまとめてくださってるらしき論文があったんですが、これその辺に所蔵されてるやつかなぁ
大友氏と種子島氏の関係を見るにつれて、島津氏が天正6年に大友氏と戦う選択をしたのは三州の回復や、義昭の指示はもちろんありながらも、貿易の統制や強化を目指していたのだろうなあという風に思えてきた https://t.co/PBwf3SANZj
@urakkun26 この論文など参考になります。 ヴィオレ・ル・デュクの修復理論について https://t.co/wlr30QspnP
CiNii 論文 -  甲斐武田の治水策の問題点とその限界:―御勅使川分流の終焉― https://t.co/U4degtsDhj #CiNii
竹井英文氏の新刊『戦国武士の履歴書―「戦功覚書」の世界』(戎光祥選書ソレイユ006)が自分の中で話題ですが、「里見吉政戦功覚書」については、同氏の論文がリポジトリでも公開されてますね↓ 館山市立博物館所蔵「里見吉政戦功覚書」の紹介と検討 https://t.co/VzlYl3OdyJ https://t.co/0LGtypnFKl

5 0 0 0 OA 大坂御城図

@urakkun26 https://t.co/y5MOR8CHFH こちらの大坂城絵図には多数の大砲が設置されている様が見て取れます。
奈倉哲三「史料蒐集の醍醐味-戊辰戦争期の江戸民衆意識解明を目指して-」(『跡見学園女子大学人文学フォーラム』15、2017年)は、慶応4年閏4月に大村益次郎が江戸府民の「民心朝廷離叛」を把握したことや、民心掌握に天皇の東幸が有効とした大久保利通らの考えを分析。 https://t.co/dq6PZxISfu
CiNii 論文 -  「会津領主加藤明成改易をめぐる諸認識」 会津加藤家改易は明成の自発的な領地返上申し出によるものとの見解 https://t.co/XVEEYkyjST #CiNii
序盤スナック感覚の軽い書き口だなぁと思ったら、急にきな臭くなり、いつも通りのアレだったアレ。 https://t.co/aziOGf841d
最近、室町後期と戦国時代の畿内史が自分の中でようやく繋がってきた実感がありますが、こちらの論文も面白かったです。摂津西成郡、中島城といえば典厩家ですが、嘉吉の乱で分郡守護が赤松家から没収され御料所となり、細川持賢が代官に任命されたのが始まりだったという話。 https://t.co/tjQbCbU2WM
それが史実か否かは問わず、政長の遺品としての由緒を持つ「宗三左文字」が存在した可能性を指摘。その上で、豊臣秀吉は信長が愛用したことで知られる「義元左文字」の由緒を加えて、後継者としての正統性を担保したのではないかと推測。由緒を鵜呑みにする現状への問題提起。 https://t.co/zFCF1JlinH
CiNii 論文 -  「伊勢国津城合戦手負討死注文」に関する考察(その1)津城合戦(慶長5年8月)における吉川家の軍事力編成についての検討 https://t.co/Q4VNcE8MJk #CiNii

16 0 0 0 OA 防長近世史談

昨今、桐野作人さんや町田明広さんが使用されている「廃幕」という用語であるが、1927年刊行の村田峯次郎『防長近世史談』に「排幕」が使用されていることを確認(大小社、261頁)。以下➡https://t.co/9kaiO3OciR

16 0 0 0 OA 防長近世史談

村田峯次郎『防長近世史談』(大小社、1927年、9頁)にあります。31年前、梅溪昇先生に教えてもらいました。以下で見れます。https://t.co/9kaiO3OciR https://t.co/yowlaV9YT3

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

この続再夢紀事(枢密備忘からの孫引き)の記述は新選組を考える上でも重要です。守護職松平容保は当初水戸の武田耕雲斎を頭目にして浪士を統轄させ攘夷を行おうと考えていた訳ですね。 https://t.co/euQ4yUlzCm
掘立柱物跡から復元した中世港湾都市十三湊の都市構造に関する研究 要旨 https://t.co/Yoruwdr5pK 『冬季間の都市機能の停止が推測できる』『十三湊が港湾都市としては例外的に狭い都市域しか持ち得なかった』辺りは衝撃だったんだよなぁ。
掘立柱物跡から復元した中世港湾都市十三湊の都市構造に関する研究 要旨 https://t.co/Yoruwdr5pK 『冬季間の都市機能の停止が推測できる』『十三湊が港湾都市としては例外的に狭い都市域しか持ち得なかった』辺りは衝撃だったんだよなぁ。

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