著者
安冨 歩 深尾 葉子 脇田 晴子 長崎 暢子 中村 尚司 生田 美智子 千葉 泉 西川 英彦 中山 俊秀 葛城 政明 苅部 直 渡辺 己 星 泉 小寺 敦 上田 貴子 椎野 若菜 與那覇 潤 黒田 明伸
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009

人間を含む生命の生きる力を「神秘」として捉え、その発揮を阻害する要因たる「暴力」を合理的に解明する研究戦略を「合理的な神秘主義」として見出した。こうして発揮される神秘的な力こそが秩序形成の原動力であり、それは個々人の魂の脱植民地化を通じて実現される。この側面を無視した秩序論は必然的に暴力を正当化することになる。
著者
生田 美智子 Икута Митико イクタ ミチコ
出版者
大阪大学大学院言語文化研究科
雑誌
言語文化研究 (ISSN:03874478)
巻号頁・発行日
no.37, pp.265-290, 2011-03-31

言語社会専攻В 1806 -1813 гг. в русско-японских отношениях создалось настолько кризисное положение, что в Японии их называли даже «войной». Однако благодаря деятельности Такадая Кахэй и П. И. Рикорда японцы и русские смогли урегулировать эту ситуацию. В настоящей статье будет рассмотрен секрет успеха этой дипломатии с четырех сторон: а) где проходили переговоры и кто был на них посредником, б) кто работал переводчиком, в) каковы были дипломатические ритуалы, г) какова была логика разрешения конфликта. Анализ этих аспектов позволяет проследить, как японская система изоляции страны уже в то время дала трещину и как с помощью России готовилась «мягкая посадка» для открытия страны.
著者
武田 佐知子 池田 忍 脇田 晴子 太田 妙子 堤 一昭 井本 恭子 千葉 泉 福岡 まどか 三好 恵真子 宮原 暁 住村 欣範 深尾 葉子 生田 美智子 松村 耕光 藤元 優子 宮本 マラシー 竹村 景子 中本 香 藤原 克美 古谷 大輔 村澤 博人 鷲田 清一
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

本研究の成果は大きく分けて二つある。一つは、従来のカタログ的な着衣研究ではなく、個別地域の具体的な文脈から引き離さず、着衣、身体、女性の関係を読み解くための共通の枠組を構築し、ローカルな視点とグローバルな視点の接合によって開ける多様性のなかの着衣研究の可能性を提示したことである。男性身体の周縁に位置づけられた女性身体の可変性、着衣による身体のイコン化と増殖現象、共同体による着衣身体の共有と変換、ジェンダー秩序のなかで受容される女性身体の意味とその操作、そして既存の共同体の集合的に実践や意識/無意識が、視覚表象と深く関わり相互交渉がなされていることを明らかにした。二つめは、日本では「着衣する身体の政治学」と題し、タイでは「着衣する身体と異性装-日・タイの比較-」と題した国際シンポジウムを開催し、単に抽象的、モデル的に着衣研究の事例を理解するのではなく、現場に即した肌に触れる知を通して、実践知と暗黙知を提示したことである。
著者
A Dybovski 生田 美智子 ヨコタ 孝之 藤本 和貴夫 モルグン Z.F. ヒサムットディノフ A.A.
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本科研は、国立極東大学(1920-1939)及び当時の極東ロシアの日本学を考察し、アーカイブス資料に基づき、同時代の極東ロシアの実践的東洋学の意義と役割を改めて位置づけるように努めた。1930年代のロシアにおける大テロルの時代に粛清されたロシアの日本学者についての歪曲された事実を発掘し、ロシアの日本学史に大きな功績と持つ代表的な学者を始め、民間の研究者に至るまで、極東ロシアの日本学の知られざるページを究明した。本研究の成果は、2014年9月25日、大阪大学大学院言語文化研究科と極東連邦大学の地域国際研究スクール共催の国際シンポジウム「極東ロシアの東洋学:歴史・現代・将来」で公表された。
著者
生田 美智子
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.73-96, 1999-03-31

The purpose of this paper is to analyze the relationship between the Russian song, introduced to Japan by Daikokuya Kodayu, and its translation by him. Daikokuya Kodayu was a Japanese sailor who was cast ashore in Russia during the period of Japanese political isolation from the rest of the world. After a decade of wandering around Russia, he and his two compatriots returned to their homeland aboard a Russian embassy ship to Japan. Upon his return, he informed Japan about things he had seen and heard in Russia. Astonished by the abundance of his information, the Japanese government sent to him Katsuragawa Hoshu, a Rangakusha (that is, the representative of the so-called "Dutch Sciences"), in order to obtain more information about Russia. As a result, Hoshu's report "Short news about wandering in the North Seas" (Hokusa Bunryaku) was compiled. Hoshu inserted in this famous report one of the popular Russian songs of those days and the Japanese translation of it by Kodayu. In previous research about this song, scholars' attention usually focused on its authorship, but Kodayu's translation which accompanied it, up to now remained beyond any observation. In this paper we first tried to restore the original Russian text based on Kodayu's transcription, then analyzed divergences between the translation and original text. As a result, we came to the conclusion that in the divergences Kodayu hid asecret message. We also think that the Russian song of Kodayu is a hybrid of individual work and folklore, and the Japanese translation is also a mixture of translation and adaptation. In Russian history this song in turn became lyric, then a soldier's tune, and later on a revolutionary one. For some short period of its rich history, it also happened to become a connecting link between Russian and Japanese cultures.
著者
生田 美智子
出版者
大阪外国語大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

平成14年度は、国外ではモスクワの外交史料館、ペテルブルグの海軍文書館、ナショナル図書館、国内では、神戸市立博物館、長崎県立図書館、長崎市立博物館で関連史料を調査・閲覧した。平成15年度は、国外ではロシア海軍文書館、ナショナル図書館、国立歴史文書館、東洋学研究所、国内では、戸田郷土資料館、下田開国資料館、根室郷土資料保存センターで関連史料の調査・分析を行った。ペテルブルグ国際会議では「強いられた旅行者:日本人の見たペテルブルグ」、ヨーロッパ日本研究協会(於ワルシャワ)では「江戸時代の日露相互イメージ」、モスクワの第7回日露フォーラムでは「17-19世紀にロシアに渡った日本人漂流民」と、題して報告し、各国の学者と意見・情報を交換した平成16年度は、モスクワの国立図書館、エストニアの国立文書館で史料の調査・分析を行い、タルトゥ学派の文化記号論者と知見を交換した。国内では長崎県立図書館、シーボルト記念館で関連史料の調査・分析をおこなった。ウラジオストクの日露国際シンポジウムで「江戸時代における日露相互観-ステレオタイプとその変遷」と題して報告した。平成17年度は、国外ではペテルブルグの海軍文書館、ナショナル図書館、東洋学研究所、クラスノヤルスク国立文書館で、国内では、赤間本陣伊藤家で史料を調査・分析した。上海で開催された第四回アジア研究者国際大会で「江戸期の日露関係の鏡としての外交儀礼」、ウラジオストクで開催された第21回日露極東シンポジウムでは「外交儀礼から見た江戸時代の日露交渉(第一回と第二回遣日使節の比較)」と題して報告した。国内では、京都大学で開催されたロシア・東欧学会で「外交儀礼から見た幕末の日露交渉(第三回遣日使節を中心に)」と題し報告した。外交関係をみるだけでは分らない変化が儀礼をみることにより分かるとの結論に達し、成果報告集『身体から読み直す幕末日露交渉史-外交儀礼を中心に』にまとめた。