著者
本多 健一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.93, 2009

京都上京の西陣は、旧平安京の北郊にあたり、中世以前のこれらの地域には、条坊制の道路区画に準じた格子状道路網があったと考えられている。一方、近世以降では、特に西陣の西部(大宮通以西)で南北の道路が条坊路(の延長)と大きく乖離し、現在の道路網は、一見、条坊制と無関係の様相を呈している。そこで本研究では、これまで明らかにされてこなかった、中近世移行期における道路網の変容過程を、古文書や古絵図などから解明する。<BR>文明9(1477)年の「主殿寮北畠図」(『壬生家文書』)などによれば、この地には櫛笥・壬生・坊城・朱雀といった条坊路と同じ名称を持つ南北路が、平安京大内裏域から延伸し、東西路と直交して格子状道路網が形成されていた。<BR>しかし、それらの名残と考えられる現在の智恵光院通・浄福寺通は、南にいくほど西に偏ってゆき、特に元誓願寺通以南では、対応するはずの櫛笥小路・壬生大路(の延長)と大きく乖離している。対してそれ以北では乖離が小さくなり、両者はほぼ重なり合う。それゆえ元誓願寺通以北の智恵光院通・浄福寺通は、櫛笥・壬生(の延長)と比定され、中世以前の旧状を保持していると考えられる。<BR>元誓願寺通の南側で智恵光院通・浄福寺通の偏りが著しくなる理由は、天正14(1586)年から文禄4(1595)年まで、その地以南に聚楽第が存在したからではないか。<BR>聚楽第の復原はきわめて難しいが、その外郭の北辺は、「北之御門町」の町名や等高線の乱れなどから、元誓願寺通付近と考えられている。それゆえ元誓願寺通以南の道路網、特に内郭と重なる道は、聚楽第の造営によって破壊されたと思われる。<BR>元和5年~寛永3年(1619~1626)頃の 『京都図屏風』には、聚楽第破却後、その跡地がどのように開発されていったのかが、次のように示されている。<BR>当時の大宮通以西、一条通以南、下長者町通以北には聚楽第跡が残存していたが、その周囲では市街地開発が進行していた。聚楽第跡の北側からは、従来の智恵光院通・浄福寺通が南伸する一方で、南側からも、既存道路とは関係なく南北路が造られ始めている。後になってこれら別々の道が延伸して結合したがゆえに、現在の智恵光院通・浄福寺通における偏りが生じたのであろう。
著者
西村 智博
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1.</b><b>はじめに</b><br><br> 筆者は大学3年生の巡検で初めて地形分類図を作り,その後二十数年間,コンサルタントとして毎年日本のどこかで地形分類図を作成するような業務に携わってきた.<br><br>研究機関と異なり,コンサルタントでは顧客のオーダーに応じて地形分類図を作成することが多く,その結果,山地・低地,寒冷地・温暖地を問わず,全国各地の様々な地形に出くわしてきたと思う.<br><br> ここでは,地形分類図について,製作者・利用者双方の立場から,作業上感じている課題や利活用の事例,将来の展望について述べたい.<br><br><b>2.</b><b>製作者の立場から</b><br><br> 市町村単位やそれより狭い地区単位であれば,地域の特性に応じた凡例を検討し,実情に即した地形分類図を作成しやすい.<br><br> しかし,土地条件図や治水地形分類図,土地分類基本調査など,全国や都道府県レベルで統一された基準で整備される地形分類図では,一定の範囲の地形を標準的な凡例に適合するように分類しなければならないため,地域特有の地形を表現するのに苦心することがある.<br><br> 治水地形分類図を例にすると,「氾濫平野」から1~2m程度の標高差ながらそれと識別される低い「段丘」や,それが徐々に低地に埋没していくエリアの表現,谷の出口に形成される「扇状地」と「山麓堆積地形」の使い分けにはいつも頭を悩ませる.作業時間の制約もあり,これらの区分を主に空中写真やDEMデータから瞬時に判断しようとするのであるから,悩みはなおさらである.<br><br>GISデータとして整備・表示すると,あたかもその境界がハッキリしているように見えてしまうが,実はかなり境界が不明確な場合も多いのである.<br><br>低い「段丘」の場合,「段丘崖」を描かずに直接他の地形面と接するようにしたり,土石流や洪水流によって形成された地形はなるべく「扇状地」として描いたり,製作者なりにはいろいろ工夫して凡例を適用しているつもりではあるが,うまく利用者にそれが伝わっているか・・・甚だ不安である.<br><br><b>3.</b><b>利用者の立場から</b><br><br> ある地区で豪雨災害が発生したとする.さて,どこが大きな被害を受けているか,報道などの部分的な情報だけではなかなか全体像が把握できない.そこで私たちは,すでに整備されている地形分類図を眺めて,点の情報を面に変換するような作業を行っている.「〇〇地区で浸水」という情報があれば,その地区の地形を見て,同様の地形種では同様の災害が起きているのではないかと推測し,そういった地区を重点的に調査するのである.<br><br> 2017年7月には,活発な梅雨前線の影響によって,秋田県雄物川流域で河川の氾濫や土砂災害等の被害が発生した.家屋の浸水が少なく,地方で発生したということもあり,首都圏ではあまり大きな報道はなされなかったが,数十枚の斜め写真が撮影され,すでに整備されている治水地形分類図から浸水範囲は旧河道部が中心であることが読み取れた.<br> このように,広域に整備されている地形分類図は,災害箇所と地形の関係を検討するのに役立ち,逆に,災害が起きる前でも,地域の災害特性を理解するのに大いに役立つのである. <br><b>4.</b><b>今後の地形分類図への期待と課題</b><br><br> これまでの地形分類図は,基本的には「印刷図」としての利用を念頭に作製され,製作目的に応じて凡例が取捨選択されてきた.しかし,近年,地形分類の成果はGISデータとして整備・利用されることがほとんどであることから,発想を変えて,使用者が使用目的に応じて凡例を切り替えられるような仕組みに転換できないであろうか? 例えば,地形分類の凡例を大分類・中分類・小分類・細分類・・・といった具合に階層化して属性を持たせ,使用目的や縮尺に応じて容易に表示を切り替えられるようにするのである.<br><br> また,近年,地形計測技術も格段に進化してきている.例えば,精細な航空レーザ測量では樹木に隠れた数十cmオーダーの微地形も表現できるようになってきており,このようなデータが我が国の国土の半分以上を占めるようになってきている.これに伴って,新たな次元での地形解析が可能となっているが,解析技術が未だ追いついていない.詳細な地形データを判読して詳細に区分することにより,防災や土地利用などに地形分類の成果が活かせる可能性があることから,これらの利活用も十分に検討する必要がある.<br><br> 最後に,地形分類図の作成に関する課題をいくつか挙げておく.地形分類図は,国土の開発に先駆けて整備されてきた面があり,1970年代に技術が広まった.その後,細々と整備が進められているが,熟練技術者の高齢化が進み,作業機会も減少していることから,経験伝承の機会が減少している.<br> 最近,AIを利用した地形評価の取り組みが行われつつあるが,熟練工の経験を次世代にうまく引き継げるような仕組みを早急に検討する必要がある.
著者
能代 透
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

I はじめに<br> 本研究はフランスのZUS(都市優先対策地区)空間の政策を批判的に論じるものである。 フランスの都市郊外での移民系若者と治安部隊との衝突とが「フランスのZUS政策」と深くかかわっている。 その底流に、ムスリム移民と向き合う「ポストコロニアリズム」と国民不可分性(単一性)を憲法に掲げる「共和制国民国家」と、それを揺るがせ多文化主義を促す「EU統合」の動きがあり、その狭間で「トリレンマ(矛盾)」を抱えるフランス共和国のリアリティを都市空間の側面から研究した。<br><br>II フランス郊外(バンリュー)<br> 郊外(バンリュー)はその特徴により言葉以上に特別の意味をもつ。 かつての城壁都市の周辺地帯に位置しており、フランス特有の経緯による都市構造を形成している。第二次大戦後の復興期の労働者用に1950年代後半から、グラン・アンサンブル計画で郊外に低家賃社会住宅(HLM)の高層住宅団地(通称シテ)群が均衡都市郊外に政策で大量建設された。しかし、交通網、商店街、企業誘致などの街づくりが伴わなかったため都心部(旧城壁内)から隔離され、シテは低所得者層が集住するようになった。 さらに1980年代から脱工業化で、工場閉鎖、大量失業者、産業空洞化が始まり、次第にマグレブ系労働移民者階級が集住する空間となり、年を経て多様性を失い、ホスト社会の差別とセグリゲーションを受けるマグレブ移民二世が集住し、イスラム教義に基づくコングリゲーション(防衛・互助・文化維持・抵抗)が進行し、ジハード(ムスリムの防衛戦)に向かうマグマが増殖する空間となった。 ヨーロッパ最大のムスリム居住国である現在のフランスにおいて、それは「共和制理念とイスラム教義」の観念の対立となり、都市の「危険な均衡」をもたらせている。<br><br>III 監視・防諜の装置としてのZUS<br> 1995年、アルジェリア系「武装イスラム集団」が関与したとされる爆弾テロが、リヨンやパリで続発していた。 フランスに「同化」していたはずの移民二世が、この組織に加わっていたことが分かり、フランス社会に大きな衝撃を与えた。 マグレブ移民が集住する「郊外」は、イスラム過激派の温床とされ、フランス政府は1996年に都市再活性化協定法で国家権力が自治体との契約統治を超えて、各都市で直接介入できる特定区(ZUS)を郊外(バンリュー)のシテを重点的に指定した。ZUSは表向きには貧困地区対策であるが、監視・防諜装置として誕生し機能した。 そのことは入手したにフランス諜報研究センター(CF2R)の2005年9月付報告書で明らかにされた。<sup>1)&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </sup>それによると、「フランス国内の630カ所の郊外地区(ZUS)の180万人の住民が、移民としての出自の文化や社会と強く結び付き、イスラム過激派が郊外の若者たちの組織化が進み、フランス社会に分裂の危機をもたらす危険性が高まっている」との報告がフランスの防諜機関である中央情報局(RG)から内務省に上がっていた。 これはZUSをムスリムの監視と防諜の装置としていた「証拠」である。 2005年10月、パリ郊外のクリシー・ス・ボアの団地で移民系少年と警官に衝突事件が発生した。 その後にボスケ地区のモスクで抗議集会中のムスリムたちに治安部隊が催涙弾を打ち込んだため、衝突が一気に拡大した。 彼らの精神と結束の拠り所であるモスクへの攻撃を彼らが許すことはなく、権力の治安部隊との衝突がフランス全土に広がった。 <br><br>IV おわりに<br> 現在のフランスは、約500万人のムスリムが暮らしているが、彼らの「外に見える行為」を実践するイスラム信仰は、フランス共和国の世俗主義の観念になじまない。 移民二世・三世の重層的な空間への帰属意識がアイデンティティの不安定化を招き、フランスで生まれた移民子孫たちが差別を受ける中でイスラムに覚醒していく。 政府がその実態を把握しようとしてもフランスの国民不可分性の理念から一部集団への表立った調査ができず、中央情報局による防諜活動を必要とした。取り上げたZUSは日本でも差別・貧困・荒廃の社会問題として注目されることが多く研究も多いが、本研究ではそのZUSに関する政策・制度をフランス均衡都市の地理学的構造に着目して研究した。 &nbsp;<br><br>注<br>1)&nbsp;&nbsp; Centre Francais de Recherche sur le Renseignment、Eric Den&eacute;c&eacute; <i>LE D&Eacute;VELOPPEMENT DE L</i><i>&rsquo;ISALAM FONDAMENTALISTE EN FRANCE, ASPECT S&Eacute;CURITAIRES, &Eacute;CONOMIQUES ET SOCIAUX &nbsp;</i>Rapport de recherch&eacute; No.1 Septembre 2005, P7-9 「LA MONT&Eacute;E EN PUISSANCE DE L&rsquo;ISLAM RADICAL DANS LES BANLIEUES FRANCAISES、<br>
著者
由井 義通
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.28, 2004

1.インドにおける大都市の急成長インドではデリー,ムンバイ,チェンナイ,バンガロールなどの大都市がますます大都市化している。この原因として,1990年代以降の経済開放政策により,大都市圏に外国資本の投資が集中することがあげられているが,なかでも首都デリーには外国資本による投資が集中し,それによって雇用機会が増加し,都市人口の急増を引き起こしている。デリーは近年,製造業やサービス業,さらにオフィスなどが増加することによって,政治都市から経済都市・工業都市へと変貌しつつある。本発表の目的は,デリー大都市圏の都市化と都市計画を紹介し,インドの大都市開発の実態を報告することである。2.デリー大都市圏の都市計画_丸1_DDA(デリー開発公社)デリー市やインド政府はデリーの過大化防止策,デリー市内からの機能分散を目的として,1950年代の早い段階から法的根拠を持ったマスタープランの作成に着手した。それにより1957年にデリー開発法が制定され,デリー開発公社(DDA)が設立された。DDAは1962年にデリー・マスタープランを策定し,デリー大都市圏の都市計画に着手した。_丸2_NCRPB(首都地域計画局)デリー大都市圏のあまりにも急激な成長により,デリー大都市圏の整備をDDAにより行うことは困難となった。そこで,法令による首都地域計画局(National Capital Region Planning Board)が1985年に設立され,地域間のバランスがとれた開発をめざすこととなった。これは,デリーの拡大が近隣の三つの州にも及んでいるために,隣接州をも含めた首都圏地域の整備をはかるとともに,国家的計画として首都の都市計画と首都周辺地域の開発を図るものであった。3.デリー大都市圏における都市開発デリーの機能分散のために,近郊にノイダやグルガオンなどのDMAタウンを核として人口と産業の分散化が図られた。_丸1_ノイダデリーの東側に隣接するUP州ノイダは,NOIDA(New Okhla Development Authority)により1980年代から急速に開発が進んだ郊外ニュータウンである。マスタープランではデリーの旧市街地の中小工場と人口の郊外移転先として計画が立てられたが,外国資本との合弁による大規模工場が多数進出し,デリーから転入してきた郊外指向の中間層の受け皿となっているなど,自立的な都市開発とは異なった様相を呈している。_丸2_グルガオンハリヤナ州に属するグルガオンはデリーの南側に隣接し,デリー中心部からグルガオンへはNH8号線により結ばれ,その途中には国際空港があり,外国資本の立地には好条件となっている。グルガオンの開発はHUDA (Haryana Urban Development Authority) が主体となって行われている。HUDAは都市開発を目的として設立されたが,近年, HUDAがライセンスを与えた民間ディベロッパーに開発を委ねることによって,エージェンシー的な役割に変化している。一方,多数の村々が開発地域内には残されており,村は都市インフラ整備などから取り残されたものの,商業やサービス業などが発達し,アーバン・ビレッジへと変化している。4.大都市開発の問題点グルガオンとノイダの事例を通して,デリー大都市圏における都市開発はアーバンマネージャーとしての開発主体によって都市発展の様相の違いが大きいことが明らかとなった。公団が主体となって開発が進められているノイダは,資金不足から都市開発が遅れがちになり,インフラの維持管理が問題となっている。グルガオンでは,民間ディベロッパーの開発をコントロールすることができず,乱開発の一面もあることや個々の民間ディベロッパーが個別にインフラ整備を行うため,非効率であるなどの問題点もある。また,ノイダとグルガオンのいずれにも共通するが,経済のグローバリゼーションの影響を受けて経済格差が拡大し,開発地域内の居住者はデリーへの通勤者である富裕層や中間層に特化していることである。さらに,開発地域内に形成されたアーバン・ビレッジの整備が課題となっている。
著者
佐藤 大祐
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.8, pp.452-469, 2001-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
26
被引用文献数
1 5

海岸の観光地では,海浜別荘地や民宿地域などが大都市からの距離や利用者の社会階層などに応じて発達し,観光産業を基軸とした地域が形成された.その中にあって,近年マリーナの増大が顕著で,漁業などとの海域利用の競合が発生している.本研究では,東京を中心としたマリーナの立地と,マリーナ利用者の属性とレクリエーション行動を解明することを目的とした.1960年代に三浦半島の相模湾岸において別荘地帯の延長線上に開設されたマリーナは,充実した施設を併設している.この利用者は,東京都区部の西部に居住する高額所得者層から成り,夏季を中心にリゾートマンションなどに滞在して,沖合海域において大型のクルーザーヨットでのセーリングとモーターボートでのトローリングを,沿岸海域に密集する漁業活動とすみわけっっ行っている.一方,1973年の第1次オイルショック以降,東京湾において産業施設から転用されたマリーナは簡易な施設で構成されている.中産階級にも広がる利用者は,週末に日帰りし,波浪の静穏な東京湾内湾の中でも沿岸寄りの海域を小型モーターボートを使って行動することで,沖合の大型船の航路とすみわけている.,このようなマリーナとその海域利用の実態が明らかとなった.
著者
水谷 光太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

神城断層は糸魚川-静岡構造線断層帯北部区間を構成する,主に東側隆起の活断層である.2014年11月に神城断層北部を震源とするMw6.2の地震が発生し,地表地震断層を出現させ,多くの被害をもたらした.地表地震断層が現れた北部を中心に変位量調査やトレンチ調査が行われ,断層の性状が解明されてきており(石村,2015;廣内,2015;2017;2018;Katsube et al,2017など),池田(2016)では過去に異なる規模のイベントが繰り返し発生していることを指摘している.一方2014年には活動していない神城断層南部(三日市場-借馬)については,活動履歴や変動地形の変位量に関する調査がいくつか行われているが(松多ほか,2006;澤ほか,2006;丸山ほか,2010;Katsube et al,2015,原口ほか,2016),断層の性状評価において地形面のデータは不十分である.<br><br> そこで本研究では,神城断層南部において変動地形から変位量を求め,変位量分布に基づいて神城断層南部の活動特性を明らかにする. <br><br> 本研究では次のことが明らかとなった.<br><br>1,神城断層南部地域において過去5000年間に3-4回の活動履歴があり,そのうち最新の活動である2750年前以降のイベントにより最大でL3面の約3mの変動崖が形成された可能性がある.<br><br>2,神城断層南部地域においてL2面形成期(4-7ka)以降よりもL1面形成期(10-20ka)以後- L2面形成期(4-7ka)以前において一回ごとの活動規模が大きいか,6回以上のイベントが想定される.<br><br>一方で神城断層南部地域内だけでも局所的な変位量の違いが想定され,変位量分布のデータを高精度かつ高密度に収集し,性状の特性を解明することが求められている.
著者
和田 崇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

映画制作業は文化・コンテンツ産業あるいは創造産業の一つであり,都市への集積が顕著にみられる。その一方で近年,芸術的および経済的な理由から撮影工程がハリウッドから離れた国内外の他都市で行われるケースが増加しており,映画産業の空洞化をもたらす「逃げる生産問題(Runaway production)」として認識されている。撮影工程の空間的分離は,撮影隊の滞在に伴う経済的効果に加え,映画公開を通じた知名度および地域イメージの向上,住民らによる地域魅力の再発見とまちづくり機運の高まり,撮影地を訪れる観光客数の増加など,撮影地に多面的な効果をもたらす可能性がある。そのため近年,自治体や経済団体はフィルム・コミッションを組織し,映画撮影の誘致および支援,映画公開に乗じた観光振興に積極的に取り組むようになっている(Beeton 2005ほか)。 以上を踏まえ本報告は,映画制作業にみられる撮影工程の空間的分離とそれへの地域的対応の実態を報告することを目的とする。具体的に,制作本数(2010年)が世界最多で,近年は「バージン・ロケーション」を求めて海外での撮影が急増しているといわれるインド映画をとりあげ,2013年から新たな撮影地の一つとして注目されつつある日本における撮影実態を日本のフィルム・コミッションによる誘致・支援活動とあわせて報告する。<br> 富山県では2013年4月,タミル語映画の撮影が行われた。富山で撮影が行われることになったきっかけは,2012年9月に駐日インド大使が富山県知事を表敬訪問した際に,同大使が知事にインド映画の富山ロケ誘致を提案したことにある。知事がその提案に関心を示すと,インド大使館は東京でICT関連事業と日印交流事業などを営むMJ社を富山ロケーション・オフィスに紹介した。MJ社がインド人社員N氏の知人であるチェンナイ在住の映画監督を通じてタミル映画界に富山ロケを働きかけたところ,U社が上記映画のダンスシーンを富山で撮影することを決定した。2013年3月に事前調整のために監督などが富山に滞在したのに続き,同年4月に27名の撮影チームが富山を訪問し,9日間にわたり富山市内のほか立山や五箇山合掌造り集落などで撮影を行った。この映画は2014年6月からタミル・ナードゥ州はもとより隣接3州,海外の映画館でも2か月以上にわたって上映され,公開後3週間はタミル語映画売上ランキング1位を記録するなど,興行的に成功した。一方,富山ロケによる地域波及効果は,撮影チームの滞在に伴う経済効果として約360万円が推計されるほか,日本とインドのメディアによる紹介,俳優らによるFacebook記事,映画および宣伝映像を通じた風景の露出などを通じて,相当のPR効果があったとみられている。映画鑑賞を動機とした観光行動については,インド本国からの観光客は確認できないものの,在日インド人による富山訪問件数が若干増加しているという。<br> 大阪府では2013年8月にタミル語映画,同年11月にヒンディー語映画の撮影が行われた。大阪とインド映画の関わりは,大阪府と大阪市などが共同で運営する大阪フィルム・カウンシルがインドの市場規模と映画が娯楽の中心であることに着目し,2012年度からインド映画の撮影誘致活動を展開するようになったのが始まりである。具体的には2013年2月にムンバイを訪問し,映画関係者に大阪ロケを働きかけたが,そこでは十分な成果を挙げることができなかった。一方で同じ頃,神戸で日印交流事業などを営むJI社のインド人経営者S氏が大阪フィルム・カウンシルにインド映画の撮影受入の可能性を打診しており,2013年5月にはいよいよタミル語映画の撮影受入を提案した。大阪フィルム・カウンシルはこの提案を受け入れ,撮影チームとの調整業務についてJI社と契約を締結した。2013年8月に25名の撮影チームが大阪と神戸を訪れ,水族館や高層ビル,植物園などで撮影を行った。その後,JI社からヒンディー語映画の撮影受入が提案され,同年11月に約40名の撮影チームが大阪城公園などで撮影を行った。<br> 大阪ロケによる地域波及効果については,富山ロケと同様に,撮影チームの滞在に伴う経済効果と各種メディアを通じたPR効果があったとみられるが,映画鑑賞を動機としたインド人観光客数の増加は確認されていない。<br> 2つの事例に共通する点として,①フィルム・コミッションがインドからの観光客増加を目指して撮影受入・支援に取り組んでいること,②実際の撮影受入・支援には在日インド人が重要な役割を果たしていること,③現段階ではインド人観光客数の増加は確認できないこと,が挙げられる。この他,両フィルム・コミッションとも撮影支援を通じて日本とインドのビジネス慣行や文化の違いが浮き彫りになったと指摘している。&nbsp;<br>
著者
高柳 長直
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018-06-27

1.はじめに<br> フードシステムのグローバル化への対抗として,あるいは成熟化した食生活の反映として,農産物や食品の地域ブランドが日本では多数みられるようになった。2006年に地域団体商標の制度が始まり,さらに2015年から地理的表示保護制度による登録も開始された。こうした変化に対し,報告者をはじめとして生産や流通の側面からの調査・研究は蓄積されてきたが,消費の側面からの地理学的研究はほとんどみられない。そこで,本報告では,地域ブランド農産物を消費者がどのように認知しているのかを居住地域の相違から明らかにすることを目的とする。<br> 今回は,とくに牛肉を対象とした。日本国内の牛肉市場は,輸入自由化以降,大きく変化した。輸入品と競合する乳用種に代わり,比較的低コストで生産できる交雑種と黒毛和種などの肉用種が市場をリードするようになった。このことは,国産牛肉が品質志向を強めることを意味し,肉用種のなかでも黒毛和種の牛肉がほとんどを占めるようになった。しかし,一方で褐毛和種など,黒毛の牛肉とは外観も肉質も異なるブランド品もある。そこで,このような品種の牛肉も含めて20種のブランド牛肉を対象とした。<br>2.調査方法<br> 消費者のブランドの認知,牛肉の消費経験,嗜好,購入の際の重視点などについて明らかにするため,インターネット調査を利用して,314件の回答を収集した。ただし,登録されているモニターは偏りがあるので,消費者の代表性を確保するために,性別・年齢・居住地域を考慮して予め割付を行い,アンケートの対象を設定した。被調査者の居住地域については,首都圏,関西圏,地方圏に大まかに区分し,地方圏については非黒毛和種の牛肉産地がみられる岩手県,高知県,熊本県と,新興の黒毛和種産地の一つがみられる石川県とした。<br>3.結果<br> 全国19の牛肉ブランド(および比較として「オージービーフ」)の認知度は,日本三大和牛とよばれる牛肉が高く,いずれも約9割の消費者が知っていた。日本三大和牛は,松阪牛,神戸ビーフおよび近江牛または米沢牛を指すことが多く,四大和牛ともよばれる。これらに次いでいるのが,飛騨牛である。また,前沢牛と佐賀牛も多いが,前沢牛は関東,佐賀牛は関西でやや認知度が高い。<br> それに対して,いわて短角牛,くまもとあか牛,土佐あかうしといった非黒毛和種の牛肉の認知度は1~2割の低い水準に留まった。ただし,それぞれの県内の消費者に限定すると認知度は約9割と非常に高い水準であることがわかった。また,それぞれの県内消費者で,当該牛肉を食べたことのある人の割合は約8割,購入したことのある人の割合でも約5割であり,ナショナルブランドではないが,ローカルブランドとして一定の地位を確立していることが判明した。これらの牛肉は,そもそも生産量が少ないので,産地以外ではほとんど流通していないが,それぞれの地域では,県などの行政を中心としたプロモーションが行われているので,このような結果につながったと考えられる。<br> 消費者が各ブランド牛肉に対してどのような価格イメージをもっているか,ここでは5段階評価で質問した。認知度が60%くらいまでは,消費者の価格イメージは緩やかに上昇し,それ以降,急激に上昇している。とくに価格が高いと思われているのは松阪牛であり,他ブランドから群を抜いている。それに神戸ビーフ,近江牛,米沢牛といった三大和牛が続いている。このように認知度と価格イメージの関係は,概ね指数近似していると言える。<br> 牛肉の料理ごとの消費者嗜好では,年齢による相違をある程度確認することができた。しかしながら,地域による牛肉料理の嗜好に相違は見られなかった。一般に,東の豚肉,西の牛肉と言われ,実際その消費量の地域差もみられる。今回の調査で,関西の方が関東よりも,わずかに牛肉の頻度が高いことがわかったが,特筆すべき相違とは言えなかった。むしろ,地方圏が大都市圏よりも,牛肉の消費頻度が低いことのほうが気になる結果であった。<br>4.まとめ<br> 牛肉の地域ブランドには全国的に知名度が高いナショナルブランドと産地の県内で認知されるローカルブランドに大別される。認知度が高いほど高価格が期待できるが,それは一部のものに限定されることが判明した。
著者
村山 良之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.241, 2006

地形改変地における地震災害 日本では、都市の郊外住宅地が丘陵地等に地形改変をともなって広く展開し、近年では大きな地震のたびに、これらの地域で特徴的な被害が発生する。すなわち、切土部では住宅等の被害がほとんど発生しないのに対して、盛土部や切盛境界部で、不等沈下や崩壊といった地盤破壊にともなう住宅等の激しい被害が発生する(1978宮城県沖地震、1993釧路沖地震、1995阪神淡路大震災、2004新潟県中越地震等)。またこのような地盤破壊までは至らなくとも、切土部と盛土部・切盛境界部で瓦屋根等の被害発生率に大きな差が生じる場合がある(2001芸予地震、2003三陸沖の地震、2005福岡県西方沖の地震)。 発表者はこれまで、宮城県沖地震、釧路沖地震、阪神淡路大震災、福岡県西方沖の地震について、地形改変前後のDEMを作成し、GISを用いて、地形とその改変に関わる土地条件指標群と建物被害発生との関係について統計学的検討を行ってきた。その結果、これら土地条件群は建物被害発生についてある程度有効な説明力を持つことを明らかにした。「総合的な宅地防災対策」への期待 2005年12月、国交省は、宅地の地震防災対策として、「大地震時に相当数の人家及び公共施設等に甚大は影響を及ぼすおそれのある…大規模谷埋め盛土」の「滑動崩落」対策を主とする「総合的な宅地防災宅策に関する検討報告(案)」を提示するに至った。より具体的には、「宅地安全性に係る技術基準の明確化」、「宅地ハザードマップの作成」、既存の「宅地造成等規制法の改正」等を行い、新規造成宅地だけを対象とするのではなく、既存の宅地についても、地方公共団体が「特に危険な大規模盛土造成地」を「造成宅地防災区域(仮称)」に指定する等して、減災対策実施を関係者(土地所有者等)が連携して実施するものとしている。これまで宅地盛土には(一部を除いて)技術基準すら存在しなかった状況からすると、大きく踏み込んだ内容を有する本政策は、地震防災におおいに寄与することが期待できる。発表者は、この政策の基本方針を強く支持するものであるが、さらに有効なものにするために課題について以下に記す。_丸1_ 対象範囲のスクリーニング方法 本学会災害対応MLで既に名古屋大の鈴木康弘先生指摘のとおり、スクリーニング作業方法について十分に検討すべきである。発表者の経験からも、提案されている地形改変前後のDEMに基づく盛土分布の把握にはかなり丁寧な作業必要である。この作業に加えて、新規造成宅地の場合は施工図面の提出義務化、既存造成宅地についても可能な限り収集作業を行うのが、精度と費用の点で有効と思われる。_丸2_ 本政策の対象範囲 対策実施に対して公的支援を想定しており、対象が限定されるのは、やむを得ないが、近年の地震災害では、この対象外のところでも(盛土全体の滑動がなくとも切盛境界で不等沈下発生、小規模盛土で滑動崩落等)宅地や住宅で大きな被害を受けている事例も数多くあると思われる。_丸3_ 宅地ハザードマップの公表と利用 スクリーニングから漏れた盛土部を含むできるだけ広い範囲について、宅地ハザードマップ(切土盛土分布図)公表を義務化すべきである。このことが対象外(滑動しないと予測されたものや小規模)の盛土部での個人的対策実施を促し、_丸2_の課題に応えると考えられる。さらに、不動産売買時の提示義務化や、建築確認申請時の参照義務化、地震保険の保険料算定基準への採用など、マップの利用方法についても踏み込むことが、さらに自助努力のインセンティブになると考えられる。
著者
秋山 吉則
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

通信制高校は勤労青年の教育機関として、あるいは生涯学習機関として発足したが、現在では様々な事情から全日制高校への就学が困難になった子どもたちのオルタナティブな高校教育として姿を変えている。現在、通信制高校に入学する子どもたちの6割以上は高校中退後の編入学であったり、年度途中の転入学であったりしている。従来であれば高校中退で社会に出ていたのが、通信制に転編入学することにより高校への就学・高卒資格を保障することができるようになった。これを可能にしたのは、1980年代後半からの単位制高校や定通制の3年卒業などの高校教育への規制緩和と都市内部に開設された学習センターの存在である。通信制高校の本来の学習スタイルは自宅での自学自習である。学習習慣が身についていない生徒が卒業までこぎつけることはむつかしい。1990年代以降に日常的な登校を生徒に求める通学型の通信制高校が出現するようになっていった。この新しい通信制高校では今まで行えなかった日常的な生活・学習指導が可能となった。この日常的な指導を行う場が学習センターと呼ばれている都市内部に開設された施設である。学習センターは1990年前半以降に多数開設されるようになった。学習センターは都市内部の商業・雑居ビルを活用して開設されている。学校が土地・建物を所自己有する場合は少なく、ビル1棟や数フロアーから1室を借用して開設される場合が多い都市内部の新たな土地利用。通信制高校が多数開設され始めた時期はいわゆる平成不況の時期と一致する。多数生まれた空きビル・空室の存在が学習センターの開設を可能にした。放課後の予備校・塾としてではなく正規の高校教育を受けるために都市内部のビルに登校するという子どもたちを生み出している。<br>学習センターは県庁所在都市や地域中心都市の市街地に立地している。県内外から広く子どもたちが通学するので交通ターミナル近くに立地する。大阪市では梅田から難波にいたる地下鉄御堂筋線、東京では池袋から渋谷にいたる山手線西側と秋葉原から新宿にいたる中央総武線沿線に集中している。この分布は一般的なオフィスの分布とは異なり、若者が多く集まる場所を指向した立地となっている。学習センター開設は大阪市内で始まった。これは教育行政が主導したものではなく、通信制高校を経営する学校法人の試行であった。教育環境としてふさわしくない商業・雑居ビルへの公教育としての高校の進出を教育行政は規制することができず、逆にこれが全国に広がった。皮肉にも最初に入学した高校で不適応を起こした子どもたちに高校への就学機会を提供し、高卒資格の付与につながるようになっていった。しかし、弊害や課題も多い。発表では、都市内部での学習センターの開設の経緯、現在の分布と立地条件、学校地理学としての調査研究の意義などについて報告したい。
著者
黒坂 裕之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.55, no.11, pp.779-788, 1982
被引用文献数
1

Meteorological satellite pictures show the cloud lines which appear around the Japan Islands under a winter monsoon situation. The cloud lines can be classified into four types. The first type is the cloud lines from the open sea surrounded by cold land or sea ice areas. The second type is the cloud lines over the Pacific Ocean, starting from the cloud area over the Japan Sea, and going through the lowlands between the mountain ranges of the Japan Islands. The third type is the cloud lines which start i n the Japan Sea and continue to the western coast of the Japan Islands. From there no cloud lines are seen until reaching the eastern coast to the lee of the gaps in the mountain ranges of the Japan Islands, and continue out over the Pacific Ocean. The fourth type is the cloud lines to the lee of the mountains.<br> The purposes of the present study are to describe the forms of the cloud lines and also to compare the atmospheric condition in relation to the appearance of the cloud lines. The satellite data used in this study are visible photographs taken from the polar-orbit satellite, NOAA-5. The visible information was used to determine the existence and location of cloud lines. The periods of this study are December, 1976 to March, 1977 and December, 1977 to March, 1978.<br> From the visible information, we can determine eight major areas of cloud line appearance. Most of the cloud lines appear under the winter monsoon situation. A circle with its center at a point on the cloud line and with radius of 400 km can be drawn. If a center of low pressure or a center of high pressure appears within the circle, a cloud line does not appear.<br> The cloud lines to the east of Sendai, in northern part of Japan for example, are described by the relationship between the directions of the lower wind and the cloud line direction. The cloud line to the east of Sendai belongs to the third type of cloud line. The reason why these cloud lines were selected is that the aerological station is located at Sendai, upward of the cloud lines. It is easy to compare the cloud line direction with the wind direction at a lower level. The mean value and standard deviation of cloud line direction is 295&deg; and 15&deg;, ranging from 280&deg; to 320&deg;. On the other hand, the mean values and standard deviations of wind direction at the 900, 850 and 800 mb levels are 295&deg;, 295&deg; and 290&deg;, and 10&deg;, 10&deg; and 10&deg;, respectively. The mean values of the cloud line direction are equal to those of the wind direction, but the coefficients of correlation for each case are very low. However, the scatter diagrams showing the relationship between the cloud line direction and the wind directions show close correlations, except for the cases having 280&deg; of cloud line direction. The regression equations are shown as follows:<br> D<sub>90</sub>-290=1.2 (Dir-290)-10.0 (r=0.73)<br> D<sub>85</sub>-290=1.0 (Dir-290)-5.0 (r=0.69)<br> D<sub>80</sub>-290=0.8 (Dir-290)-5.0 (r=0.59) where D<sub>90</sub>, D<sub>85</sub> and D<sub>80</sub> represent the wind directions at the 900, 850 and 800mb levels, respectively. &ldquo;Dir&rdquo; represents the cloud line direction. The coefficient of correlation is shown by the &ldquo;r&rdquo; in parenthesis.<br> The cloud free distance means the distance from the coastal line to the upward appearance point of the cloud line along the cloud line direction. It is considered that the longer the cloud free distance is, the stabler the atmosphere around the cloud line is. The mean value of the cloud free distance to the east of Sendai and its standard deviation are 75km and 50km, ranging mainly from 50km to 100km. As an index of atmospheric stability, the temperature difference between the 850mb level and the mean sea surface temperature is used. Cloud lines do not appear under conditions when the temperature difference is lower than 21&deg;C.
著者
島津 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

関東平野北部の荒川,利根川によって形成された河川地形分布域はきわめて複雑な構造をしている.一方,この地域は近世以前の河川災害や社会状況を念頭に教訓に水塚をはじめとした防災システムがつくられてきた.これらは,日本一の川幅を誇る荒川堤外地に象徴される近代治水システムの整備とともに顧みられないどころか邪魔者扱いされるようになった.しかし,ひとたび破堤すると,自然に近い河川の姿が現れるとともに,現在の強固な治水システムが災害を拡大させる可能性がある.本発表では荒川扇状地,妻沼低地,荒川低地の範囲を中心に,河川地形の特徴と自然の洪水時の水の流れを総括し,伝統的な防災施設の現状について述べる. 本発表の範囲には荒川扇状地,妻沼・加須低地,荒川低地,大宮台地がある.低地には河道跡,自然堤防,後背湿地という地形が見られる.一般的には台地は本川の低地から高いところにあるが,大宮台地の北西部(上流側の行田,熊谷寄り)は低地に埋没し,低地との比高がほとんどない.荒川,利根川ともに現在の河道の様子はそれぞれ熊谷,妻沼で大きく変化する.上流側は流路が分岐・合流をくり返す網状流路を呈するのに対し,下流側の流路は1本となり自然状態では激しく蛇行している.この変化は流下する川の流れ,氾濫の形態,流下する土砂の性質の違いとなってあらわれる.荒川と利根川は別の河川として認識されているが,これは,完新世後期から中世までの自然による地形形成と河道変遷に加え,近世における河川の付け替え工事,さらには大正期の大規模河川改修の結果である.大矢ほか(1996)が指摘し,小暮(2011)が明らかにしたように,8世紀頃まで利根川は妻沼低地から南下し,荒川低地で荒川と合流ししていた.その痕跡は自然堤防の分布,配列方向に見ることができる.また,大宮台地北西端は継続して埋積する環境にあった.一方,荒川の主流路が扇状地を北東流し,妻沼低地で利根川と合流していた時期もあったと考えられる.以上のように本地域は2つの大河川の動きとさまざまな地形が複雑に絡み合った構造をしている. 以上の地形的特徴は河川災害にもあらわれる.上流側網状流区間,扇状地地域では,分流,強い流れ,礫の流下で特徴付けられ,下流側の蛇行区間,低地地域では,平面的な流れ,湛水,砂や泥の流下・堆積で特徴付けられる.また,近世以前の自然状態の水の流れが再現されることにもなる.これら河川災害を被る地域は破堤の位置と密接に関係している.荒川の扇状地地域で破堤した場合は,扇状地上の河道跡を勢いの強い水が幾筋にも分かれて流下し,扇端部の広い地域で湛水する.河道跡にある建物は破壊されることもある.利根川の妻沼低地で破堤した場合は,氾濫水は以前の利根川に沿って南流し,元荒川など東西方向の自然堤防や現在の荒川本堤防で堰上げが生じ,行田地域では「石田三成による忍城の水攻め」のときの風景が再現される可能性がある. 低地では現代の治水システムの影響を考慮する必要もある.堤内地へ氾濫した水は自然状態であれば下流で河川に戻る可能性があるが,高く強固な堤防で川と隔絶された堤内地では,堤防で堰き止められて長期間湛水する可能性もある. 荒川低地の吉見,川島地域には近世につくられた「大囲堤」などの輪中堤がある.また,個々の家では災害に備えるためにつくられた敷地内に高く盛土した場所に貴重品や食料などの備蓄を行う蔵「水塚」があった.堤防は残存または強化されているところが多いが,水塚は現在でも見ることができるものの,その数は最近でも減少し続けている.利根川沿いに位置し,かつて水塚が多数存在していた日向集落で2009年に行った調査では,強固な堤防があるので伝統的な水塚は必要を感じず壊したと回答した家も多かった.実際に被災する可能性は低くなっているとはいえ,河川災害に備える意識までも低くなっているとすれば問題である.
著者
河野 忠 鈴木 康久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1780(安永9)年に出版された『都名所図会』は,日本で最初の名所図会といわれている。その中には当時の京都が文字による情報だけでなく,挿絵や鳥瞰図として写実的に描かれており,現在の観光ガイドブック的な存在として製本が間に合わないほどの売れ行きとなった。また,1787(天明7)年には,その続編となる『拾遺名所図会』が出版された。その中には名水の記述も多く,全部で150程度を数えることが出来る。1985年当時の環境庁が日本名水百選を発表したが,『都名所図会』に登場する名水は,さながら18世紀京都における名水百選といっても過言ではないだろう。これらの名水は現在どの様な状況に於かれているのだろう,という素朴な疑問から本研究を開始し,京都中の名水を対象に人文科学的および自然科学的な調査を実施した。『都名所図会』に登場する名水の分布は主に京都市街地に集中しているが,北は鞍馬山以北,南は奈良との境にまで及んでいる。多くの名水でその場所は特定できるものの,正確な場所が不明な名水も少なくない。しかし,それはほぼ市街地中央部から南西部に限られている。また,この地域の名水は,石碑のみのものや,新しく掘られたものが少なくないことが分かった。水質および同位体の分析結果から,京都盆地の地下水の水質は,井戸深度に依存するというよりも,地域によって特徴付けられていることが示された。盆地一帯の地下水は概ねCa-HCO3型を示しているが,地域によって(Na+Ca)-HCO3型やNa-Cl型,Na-HCO3型の水質組成を示す地点も見られた。京都盆地には複数の帯水層があることが確認されているが,盆地の地質は砂礫層が厚く堆積しているため,涵養された水は比較的速く浸透する。鴨川近辺の地下水は河川水が混合し,その影響が現れていると考えられる。また,北部山地の湧水では,石灰岩地域の影響を受けてCa-HCO3型の水質組成を示していた。一方,堀川周辺の地下水は井戸深度が比較的浅く,相対的にNO3-濃度が高くなっている箇所もあり,人間活動の影響を受けていると考えられる。名水の現状は,都市化や地下鉄開業などの影響もあって,鴨川以西,地下鉄東西線以南の地域はほぼ涸渇状態となっている。当時の地下水位が数m程度と推定されるものの,現在は50m前後,深いもので100mにも低下している。酒造メーカーの集中する伏見や宇治でも同様で,すべての井戸は新たに再掘削したものであり,宇治の八名水と言われた湧水群は,宇治上神社の「桐原水」のみが細々と湧出を見る程度である。東山以東や京都市街地以外の名水は,比較的当時の状態を保っていると考えられ,水質汚染もほとんど見られない。それに対して市街地にある名水は,西陣や伏見御香宮神社の「御香水」で,硝酸イオンが各々27.6,17.5mg/l検出された。また,近年の都市化や地下鉄開業による地下水環境への影響が名水の存在に大きな影を落としていることも判明した。その一方で,現存する多くの名水は,様々な伝説伝承を語り継ぎ,京都の水文化を物語る重要な文化財となっていることも明らかとなった。本研究は,平成21-23年度科研費補助金(基盤研究C)「『名所図会』を用いた京都盆地における水環境の復元」(研究代表者:河野 忠)の一部を使用した。
著者
河原 大 矢野 桂司 中谷 友樹 磯田 弦 河角 龍典 高瀬 裕 井上 学 岩切 賢 塚本 章宏
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.118, 2004

<b>_I_ 研究目的</b><br>本研究の最終的な目的は、2・3次元GISとVR(Virtual Reality)技術を活用して、歴史都市京都のバーチャル時・空間を構築することにある。そのためには、過去における京都の町並みの景観を構成するコンテンツを特定し、それらの精確な位置情報を収集する必要がある。本発表では、現在から過去にさかのぼる形で、現在、戦後、大正の3時期を設定し、各時期の京都のバーチャル時・空間を構築する。<br><b>_II_ 京都の景観コンテンツ -京町家を中心として-</b><br> 京都では第二次大戦の被害が少なかったこともあり、神社・寺院や近世末から戦前に建てられた京町家や近代建築などが多数現存している。したがって、現在の京都バーチャル・シティーを構築したのちに新しく建てられた建物を京町家に置き換えていくことで、過去の町並みの景観復原をおこなうことが可能になる。 以下では、現代、戦後、大正の順に、京都の町並みの中で主要な景観コンテンツである京町家の特定をしていく。<br><b>1)現代</b> 現在における京都市のバーチャル・シティーのベースとして、本研究では、現在もっとも精度が高い3次元都市モデルであるMAP CUBE<sup>TM</sup>を用いることにする。MAP CUBE<sup>TM</sup>は、2次元都市地図(縮尺は2500分の1精度)上のポリゴンの建物形状を2次元GISのベース((株)インクリメントP)として、各建物の高さをレーザー・プロファイラーにより計測し((株)パスコ)、建物の3次元形状を作成したもの((株)CAD CENTER)である(そのレーザーの計測間隔は約2mで、高さ精度は±15cmである)。また、各各建物の3次元VRモデルは、MAP CUBE<sup>TM</sup>の3次元形状モデルに、現地でのデジタル撮影により取得された画像を、テクスチャ・マッピングしたものである。なお、建物以外の地表面に関しては、空中写真などをテクスチャ・マッピングすることができる(専用の3次元GISソフトUrban Viewerによって、操作することができる)。<br> 京都市は、平成10年に『京町家まちづくり調査』として、都心4区を中心とする範域の京町家の悉皆外観調査を実施し、約28,000件もの京町家を特定した。本研究では、この調査データを効率よく2次元GIS化するとともに、1998年以降の変化を補足する追跡調査を実施している。この調査によって、現時点での京町家の建物形状(ポリゴン)、建物類型、建物状態などが2次元GISとしてデータベース化されている。<br> 本研究ではさらに、2次元GISとして特定された現在の京町家データベースを、Urban Viewerを用いて、3次元表示させていく。<br><b>2)戦後</b> 戦後の京町家の分布状態を明らかにするために、空中写真から京町家を特定し2次元GIS化した。具体的には、1948年の米軍撮影空中写真、1961年の国土地理院撮影空中写真、1974年の国土地理院撮影空中写真、1987年国土地理院撮影空中写真、2000年中日本航空撮影空中写真の53 年間13 年ごと5期の空中写真について判読を実施した。<br> 都心地域(北は御池通、南は四条通一筋南の綾小路通、東は河原町通、西は烏丸通の3 筋西の西洞院通に囲まれる東西約1100m 南北約800m の範域)において、1948年時点で約6,250件、1961年時点で約5,900件、1974年時点で約4,550件、1987年時点で約2,900件、2000年時点で約1,800件と、京町家が減少していることが判明した。また、その場合、大通りに面する京町家から内側へと次第に減少していく傾向が明らかになった。<br><b>3)大正</b> 大正期の京町家の空間的分布を明らかにするために、『大正元年京都地籍図』(立命館大学附属図書館所蔵)をデジタル化し、さらに2次元GISを用いて、当時の地割をベクタ化した。この地籍図は約1200_から_2000分の1の縮尺で、現在の都心とその周辺地域の範囲を合計375枚でカバーしている。<br>各地割ごとに京町家が建てられていたと想定し、すでに竣工された近代建築についても特定した上で、地割の大きさにあわせて、3次元のバーチャル・シティー上に京町家を配置し、町並みの景観を復原していくことができる。<br><b>_III_ 京都のバーチャル時・空間</b><br> 本研究では、京都の町並みの景観を構成する重要なコンテンツとして京町家をとりあげ、悉皆外観調査、過去の空中写真、過去の地籍図を最大限に活用して、現在、戦後、大正の京町家の2次元GISをデータベース化するとともに、3次元都市モデルにそれら京町家を統合し、京都バーチャル時・空間を構築した。<br>その結果、歴史都市京都の町並みの変遷を3次元的に視覚化させ、時・空間上での景観復原を可能とした。
著者
大和田 道雄 秋山 祐佳里 畔柳 洋子 中川 由雅 石川 由紀 櫻井 麻理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.216, 2005

_I_ 研究目的<BR> 近年,我が国の大都市では,夏季の夏型気圧配置時において異常高温が出現する傾向がみられるようになってきた。これは,都市域の拡大や排熱量の増加,および地表面の透水層や緑地の減少等によるヒートアイランド強度が強まったことも考えられるが,夏型気圧配置のパターンや出現頻度が変わってきたことも事実である。特に,名古屋と大阪では,1990年以降,東京に比較して異常高温の出現率が高まる傾向にある。そこで,本研究はその要因を夏型気圧配置の出現傾向と大気大循環場から探ろうとするものである。<BR>_II_ 資料および解析方法<BR> まず,異常高温の出現頻度が増加傾向を示す1980年以降の夏型気圧配置分類を行った。夏型気圧配置は,北太平洋高気圧の張り出し方によって出現頻度が最も多い南高北低型と東高西低型,全面高気圧型,およびオホーツク海高気圧型に分類した。さらに,北太平洋高気圧の張り出しが亜熱帯ジェット気流の緯度的・経度的位置,およびトラフ・リッジに対応することから,チベット高原を中心にしたユーラシア大陸に形成される南アジア高気圧の関係を把握するため,NCEP/NCARの再解析データから200hPa面における南アジア高気圧の盛衰との関係を求めた。<BR>_III_ 結 果<BR> 名古屋・東京・大阪の過去約45年間における35℃以上の出現日数を時系列で表し,移動平均に直した結果,2000年以降は東京が4_から_5日であるのに対し,名古屋と大阪は15日以上出現するようになった。これは,1970年当時に比較して約3倍である。これらの異常高温日数は,年による変動が大きくほぼ6年周期で現れる。その原因は明らかではないが,1994年から1995年にかけての名古屋では37℃以上の異常高温が5日近くも現れた。この時の気圧配置は1994年が全面高気圧型,1995年は南港北低型が多く支配した年である。したがって,1994年は全国的に猛暑となったが,1995年に関しては名古屋特有の暑さであった。これは,名古屋が南高北低型の気圧配置時において北太平洋高気圧の西縁部にあたるため,南西の風が鈴鹿山脈を越えてフェーン現象をもたらすからである。南高北低型が現れる時の上層気圧場は,200hPa面における南アジア高気圧の中心がイランモードになっていて,東アジアがわずかに北東シフトしている。その結果,日本付近は亜熱帯ジェット気流がリッジを形成しており,西日本に高気圧が張り出しやすい状態になっていた。これに対し,全面高気圧が多く現れた1994年は,南アジア高気圧の中心がイランとチベットの両方にあって,日本列島が広く大陸からの高気圧に覆われている。このため,北太平洋高気圧の西への張り出しが容易となるだけであなく,上層は大陸からの高気圧に覆われて猛暑年となったものと思われる。したがって,名古屋の猛暑傾向は,イランを中心とする南アジア高気圧の盛衰に左右されていることが判明した。
著者
野上 道男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.5, 2006

研究の目的と問題の所在:<BR> 未来の地形を予測することは地形学の最終目標である.過去を調べるのも現在を知り、未来を予知するためであろう.地球気候モデルが50年後、100年後の気候をシミュレーションによって予測しようとしているように、ここでは10万年後の地形を予知するという目標を立てた.これまでに蓄積された地形学の知識は数式あるいはロジックで表現されているというわけではないので、いろいろ困難は多いが、比較的知識の蓄積が多い過去10万年を目標とした.さらに単なる形態模写ではなく、物質の移動に基礎をおくシミュレーションを目指すことにした.シミュレーションに必要なのは地形変化現象の数値モデル化、モデルとは独立な初期条件・境界条件、およびモデルの中で使われるパラメータの値である.このパラメータは位置が持つ属性やその時間変化として具体的に、その値が与えられる必要がある.<BR><BR>初期条件:<BR> 筑波山および周辺地区の10m-DEM(北海道地図作成)から一辺10mの正六角形DEMを作って使用した.筑波山を200m水没させて架空の島とし、初期条件とした.海面低下時に陸上と同じ詳細な地形データが必要なためである. <BR><BR>境界条件:<BR> 海面変化(気候変化)、地殻運動、火山灰降下を境界条件とした.いうまでもなく海面変化および気候変化は局地的な地形発達とは独立であり、過去10万年の変化がもう一度繰り返されるとした.これはかなり蓋然性の高い仮定であると考えている.一般に地殻運動は段丘形成・分布に大きな影響があることが知られているので、その効果を見るために、間欠的ではあるが長期的には定速な傾動運動を与えてみた.火山灰の降下はこのシミュレーションには必須ではないが、地形面の年代確定のために、間欠的に起こるとした.<BR> 地形変化現象のモデリングとパラメータ: 斜面では拡散モデルで表現される従順化と間欠的かつ確率的な斜面崩壊があるとした.河川では河床礫の摩耗を伴う拡散現象としての砂礫セディメント移動と間欠的に起こる洪水による移動があるとした.海岸付近では波の方向と離岸流の方向、波食限界深などを仮定した.また海食崖の後退については、受食される海食崖の高さ・崖前面の水深の限界などに仮値を与えた.離岸流による物質移動については深さに反比例する拡散係数を持つ拡散現象であるとした.<BR> なお陸上の拡散現象にかかわる拡散係数は岩相と気候で変わるものとした.岩相は基盤岩と軟弱層堆積物に2分し、気候は氷期と間氷期の2時期に分けそれぞれ異なる値を与えた.斜面および河川の堆積物については、現実地形についての計測値を取り入れた.間欠的に起こる現象については台風や梅雨の集中豪雨の頻度を参考に妥当な値を与えた.<BR><BR>シミュレーションの実施:<BR> このシミュレーションでは質量保存則は厳重に守っているので、物質移動によってのみ地形変化(高度変化)が起こるという地形学の大原則は満たされている.そこで、斜面から河川・海へ領域を越えて移動する砂礫フラックス、および河川から海に移動するフラックスを集計してモニタリングした.これらの量は陸地の平均浸食深(速度)そのものである.また拡散係数が基盤岩と堆積物で大幅に変わることから、斜面および河床における基盤岩露出率もモニタリングした. <BR> 斜面および河川における拡散現象については計算を毎年行うことにし、それに先立ち落水線の探査と流域面積の計算を行い、斜面・河川・海岸の3領域を設定した.隔年発生現象については該当年に達したとき、その現象を記述する関数を呼び、それによる地形変化を計算し、500年ごとにそのときの地形、陰影図などを出力させた.<BR><BR>結果:<BR> 陰影図は201枚となるので、これを動画化して10万年間の地形変化を観察した.時間を短縮して、普段は「動かざる大地」を変化するものとして観察するメリットは大きい.もちろん、シミュレーションプログラム開発の過程で、この観察に基づいて、地形学的に許せない変化が起きていないかなどを観察しながら、試行錯誤的にアルゴリズムやパラメータを修正してきた.最終的には不自然なフラックス調整は必要なかった.
著者
菊池 慶之 手島 健治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

<b>1</b><b>.はじめに<br></b>オフィスビルの取壊と建替を空間的に扱った研究は非常に少ない.これは,オフィスビルの取壊に関して公表されているデータが非常に少ないことや,オフィスビルの耐用年数は長く,取壊自体が少なかったことに起因するものと考えられる.しかし東京においては,大型オフィスビルの大量供給と企業のオフィススペース再編の動きを背景に,2003年頃から老朽化した狭小なオフィスビルの取壊と建替の動きが顕在化してきた.このようなオフィスビルの取壊と建替は,CBDをより高密で集約された業務地域に再編成する可能性がある.そこで本稿では東京都心3区におけるオフィスビルの取壊と取壊後の建替動向を検討し,オフィスビル建替の空間的特徴を明らかにする. 分析にあたっては,日本不動産研究所が実施している全国オフィスビル調査の詳細資料を用いる.全国オフィスビル調査では,2006年から全国のオフィスビルストックに関するデータを公表し,取壊ビルについても集計結果を公表している.調査対象は建物用途が主に事務所機能のビルであり,東京都心3区においては床面積5,000㎡以上のすべてのオフィスビルについて,毎年12月末時点の状況が分かる.このうち本稿では,オフィスストックの全数を把握できる2004年から2010年にかけての取壊を分析対象とした.<br><b>2</b><b>.オフィスビルの取壊<br></b>東京都心3区においては,2004年~2010年にかけて182棟(257万㎡)の取壊があり,2003年末時点のオフィスビルの11.2%(床面積:8.3%)にあたる.取壊オフィスビルの平均築後年数は38年となっている.区別にみると千代田区55棟(123万㎡),中央区66棟(66万㎡),港区61棟(68万㎡)となる.2003年末時点のオフィス床面積に対する取壊比率を町丁別にみると,JR山手線沿線などの利便性に優れたエリアで高くなる傾向にある.<br><b>3</b><b>.オフィスビルの建替<br></b>取壊後の建替の動向を見ると,取壊182棟のうち167棟は建替が完了しているか計画・建設中で建替後の用途が判明している.建替後の用途はオフィスが138棟(83%)と最も多く,続いて住宅が15棟(9%),商業店舗9棟(5%)の順となる.建替後の用途を区別にみると,千代田区では92%がオフィスであるのに対して,中央区,港区では2割強がオフィス以外に用途転換されている.<br><b>4</b><b>.おわりに<br></b>東日本大震災を受けて,オフィスビルの耐震性が改めて注目されているほか,省エネ性能やエネルギー効率などの環境対応も重視されつつあることから,今後性能の劣る築古ビルの取壊が増えていくことが予想される.一方で,立地に劣るオフィスビルでは取壊後の用途転換が進む傾向にあり,東京都心3区では業務地域の再編成が進行しつつあるものと言えよう.
著者
舒 梦雨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.はじめに <br>&nbsp; &nbsp; ジャイアントパンダは世界で最も絶滅に瀕している動物で、中国の西南地区に広く分布している。最近の200年以来、気候の変化と人為的な原因でジャイアントパンダの生息地域どんどん破壊されている。ジャイアントパンダの生息地域面積も減少し続いている。この研究は中国四川省の臥龍自然保護区内のジャイアントパンダの生息地の状況を分析します。 &nbsp;<br><br> 2.目的 <br>&nbsp; &nbsp; この研究はパンダ生存に関するいくつの影響因子を選んで、パンダの生息地を評価する。実際の野生パンダの分布に比べて、パンダにとってどんなかん環境はいいのか、パンダ生存にとって有益なのか、その 生息地の状況を簡単的に分析する。その分析の結果に基づいて、生息地に適当な保護手段を探し出す。 &nbsp; <br><br>3.方法 <br>&nbsp; &nbsp; まずはパンダ生存に関する比較的に重要な影響因子を七つ選択します。その七つの因子は竹の種類、水源からの距離、道路からの距離、人間聚落からの距離、標高そして地形の傾斜です。各因子を3つあるいは4つのレベルを分けて、従来の研究結果に基づいて各レベルに値Rを設定する。 Rはパンダ生存の抵抗力、Rの値は大きくなるほどパンダの生存にとって不利になります。 &nbsp; <br><br> 4.結果 <br>&nbsp; &nbsp; 実際のパンダ分布地域の50%はRが2から31の範囲内にいます。45%のR値が31から53の範囲内にいます。Rが53以上の分布地域は僅か5%。評価の結果と実際のパンダ分布が基本的に一致しています。
著者
増野 高司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本報告では,宴席を設けた花見客を対象として,宴席の場所取りの実態を把握するとともに,花見客へのインタビューをもとに,その活動実態を明らかにする.そして,筆者がおこなった全国各地の事例と比較することから,弘前公園の花見の特徴について考察を試みる.<br><br> 調査地は青森県弘前市の中心部に位置する弘前公園(別名:鷹揚公園)である.弘前公園(総面積約49万2千㎡)は,弘前藩を治めた津軽家代々の居城だった弘前城を基に設立された公園である.1918年に第1回の観桜会が開催され,その後弘前さくらまつりに名称を変更し,毎年祭りが開催されている.<br><br> 弘前さくらまつりでは,青森県内のみならず全国から花見客が訪れサクラを楽しむ.弘前市の発表によると,2013年のさくらまつり期間(4月23日~5月6日)には,約202万人が弘前公園を訪れたという.弘前さくらまつりは,全国で開催されるさまざまな祭りと比べても,屈指の規模を誇る祭りといえる.<br><br> さくらまつり期間中には,弘前公園内の各地で,花見客がブルーシートなどを敷き宴席を設ける.本報告では,弘前城本丸地域に宴席を設けた花見客を調査対象とし,直接観察およびインタビューによる調査を実施した.弘前城本丸地域への入場は有料だが,ここからは弘前城に加え岩木山を展望することができ,人気の場所取りスポットのひとつとなっている.現地調査は2013年4月末から5月半ばにかけて,さくらまつり期間を中心に実施した. <br><br> 弘前公園の花見客は,大学生を含めた弘前市の地元の方,日帰り可能な地域の方,そして遠方からの観光客など多様だが,その花見活動は,サクラの咲き具合や天候に加えて,花見の予定日の設定方法,そして花見をするグループの規模などにより,多様であることが示唆された.<br>
著者
横内 颯太 橋本 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1.研究の目的と方法 地理学分野において,日本のスキー観光の動向は呉羽(2009)などで明らかにされており,バブル経済崩壊以降におけるスキー客の減少や観光産業の衰退が述べられている。しかし,この時期に北海道ニセコ地域は,外国人観光客を取り込むことで活性化を図り,近年ではICTを活用して国際的観光地としてのブランド化を進めている。そこで本研究は,ニセコ町におけるスキーリゾート開発におけるICT活用の実態を明らかにし,その課題を検討する。そのために,まずニセコ町におけるICT導入の経緯,次にスキーリゾートに関する具体的なICT活用を明らかにし,最後に,当該地域のICT活用の課題について述べる。 2.ニセコ町国際ICTリゾートタウン化構想 近年のニセコ町では,年間140万人を超える観光客があるが,北海道経済産業局(2009年)「北海道経済産業局北海道の観光産業のグローバル化促進調査事業報告書」で指摘されたように,情報入手に関する満足度が低い。そこで,2012年から「ニセコ町国際ICTリゾートタウン化構想」として,情報入手を容易にし,地域を活性化のための共通基盤となるICT整備が進められた。なお,この事業の一環である「冬季Wi-Fi実証実験」は,ビッグデータをスキーリゾート開発に活用しようという稀な実験である。 3.冬季Wi-Fi実証実験 「冬季Wi-Fi実証実験」(2013年1月~3月)では,道の駅や観光案内所,またスキー場周辺の宿泊施設など,観光の拠点となる場所の公衆無線LANに加え,スキー場を中心としたWi-Fi が整備された。さらに,スキー場利用客のためのスマートフォン用アプリも試験的に導入され,これによってスキー場利用のルール,施設位置,走行ログ,雪崩情報などを確認できるようになった。なお,このアプリは情報をサーバに蓄積してビッグデータを作成するため,これを解析することで,国・地域別利用者の嗜好を考慮した高度なサービスを行えるようにする狙いがあった。 4.ニセコ町におけるICT活用の課題 ニセコ町における上記取り組みには,システム間情報連携に関する技術面での課題や,無料公衆無線LAN設置に関する制度面での課題が確認された。 今後,このICT活用の取り組みは,リゾート開発だけではなく,ニセコ町が2014年から進めている「ICT街づくり推進事業」において続けられる予定である。特に,ビックデータ活用については行政保有データと複合的に連携させて「ニセコスマートコミュニティ共通ICT基盤」を構築することで,除排雪や防災などでの活用が期待されている。これらの動きを含めて,観光関係だけでなく,まちづくり全体での自治体によるICT活用を明らかにすることが,本研究の課題である。