著者
市川 康夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100018, 2017 (Released:2017-10-26)

1.インバウンド観光における歩くツーリズム インバウンド・ツーリストの増加と訪日観光の多様化を背景に、日本の非都市部の自然や文化を目的とするインバウンド旅行者が増加している。なかでも観光者が増加している熊野古道や富士山、そして本研究が取り上げる中山道では、「歩く」という行為を通じて景観美や自然、あるいは精神的な体験を得ることがインバウンド・ツーリストに注目されている。これら「歩くツーリズム」における大きな特徴は、ヨーロッパや北米・オーストラリアなど欧米系ツーリストがその多くを占めている点である。ハイキングやランドネなど農山村地域を歩くことが文化的に受容されてきた欧米諸国のツーリストは、訪日観光でも日本独自の自然や文化に触れられる歩くツーリズムを求めるようになってきている。 本研究は、日本のインバウンド観光における歩くツーリズムの先駆的事例ともいえる中山道の文化観光を事例に、欧米系ツーリストの意識に注目しその背景にある観光需要や彼らの動機を明らかにすることを目的とする。 2.中山道を歩くインバウンド・ツーリストの台頭 本研究の対象は、中山道の長野県と岐阜県にまたがる木曽路の峠にあたる馬籠宿〜妻籠宿間にある山間部の街道である。元々、この地域は1980年代前後から欧米ツーリストには知られた存在であったが、ガイドブック「ロンリープラネット日本版」に中山道が上位にランキングされたことを契機に、現在では世界中から訪日者を集めるインバウンド観光地となっている。 インバウンド・ツーリストは名古屋や松本方面から中津川駅へとアクセスし、そこから徒歩をメインに落合宿を経て約8km離れた妻籠宿へと向かう。彼らは宿場町で1〜2泊し、妻籠宿と馬籠宿の間にある約7.3kmの山間街道を歩き馬籠宿へと向かう。この道中では江戸期の石畳の佇まいや峠の集落の街並みのほか、番所跡の茶屋、滝や森林の風情などが見所となっている。 馬籠〜妻籠宿を歩くツーリストは2015年で年間約4万人であり、その約47%が外国人である。特にバカンスシーズンの7〜9月になると外国人の割合は60%を超える。このインバウンド・ツーリストのうち全体の約92%は欧米系、うち全体の60%はヨーロッパからの観光者であり、アジア系は全体の5%と非常に少ない(番所跡でのハイカー調査2013年より)。馬籠宿は島崎藤村の故郷として、妻籠宿は全国に先駆けた集落・街並み保存運動の地として1970年代以降国内を中心に観光者を集めてきたが、両者ともに2000年代以降はその数を大きく減少させてきた。一方、減少する国内観光者と比例して増加してきたのが歩くツーリズムを目的とする欧米系ツーリストであり、2009年に峠を歩く外国人が5848人であったのが2015年には16,371人まで急増している。 4. 欧米系ツーリストが求めるもの 本研究では、観光ホスト側として宿泊施設、中津川市役所観光課、観光協会、妻籠宿の町並み保存会、住民に聞き取り調査を行い、さらにメインの調査として観光ゲストである欧米系ツーリスト55組(80人)にアンケート及び聞き取り調査を行った。観光者に対しては、国籍や観光行動といった基本的情報だけではなく、彼らがこの場所に求める要素をなるべく細かく収集しデータを整理した。その結果、以下なようなことが明らかになってきた。 まず欧米系ツーリストの職業に特徴があり、全体(80人)のうち①弁護士や医師、研究者や教員といった知識的な階層(26人)、そして②デザイナーや建築家、IT技術者などクリエイティブクラスの観光者(16人)が多い。彼らの意識をみると「普通と違う観光」、「典型的なインバウンド・ツーリズムに無いもの」を旅に求めて中山道を来訪していた。また中山道を歩く欧米系ツーリストは「静けさ」や「穏やかさ」、「都会からの逃避(都会と違う場所)」を求めており、彼らが典型的なインバウンド地である日本の都市型観光の喧騒に疲弊し、静かな環境や自然に身を置きたいという欲求を山間部の街道を歩くことへと向けていることがわかる。彼らが街道を歩く観光で高く評価した点をみると、①「山並み」、「木々(森林)」、「川・滝」といった比較的日本人にはありふれた山間部の自然的要素、そして②「棚田(水田)」、「農村景観」、「農村の生活」、「本物の農村(とその体験)」といった日本の農村部で一般的に見られるようないわば「普通の」景観に魅力を見出していた。そしてこれらは移動手段を歩くことに限定することで得られる体験であると多くの観光者は評価をしていた。欧米系ツーリストが過度に観光地化しておらずかつ典型的な訪日観光には無い場所、そして都会に無い静けさや自然を歩くツーリズムに求めたか観光形態が中山道における歩くツーリズムといえる。
著者
何 晨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.364-377, 2019 (Released:2019-11-27)
参考文献数
33

本研究の目的は,北京市の什刹海歴史文化保護区を事例に,北京オリンピック開催後における観光空間の変容を,観光主体(観光客),観光客体(観光資源,観光施設),観光政策(観光に関連した政策),および外部環境(社会・経済環境)の視点から明らかにすることにある.什刹海は北京市の重要な水辺空間であり,かつ湖岸に伝統的な四合院や胡同が連なる風光明媚な地域である.当該地域は,2002年に「北京旧城25片歴史文化保護区」の一つに指定された.また, 国際オリンピック委員会が2008年夏季オリンピックの北京市での開催を決定した2001年以降,什刹海地区では地方出身の若年層によるバーなど店舗の開業が相次ぎ,北京を代表する観光空間の一つへと成長した.しかし,オリンピックが閉幕した2008年以降,地価の高騰や観光開発に対する規制の強化,競合地域の増加といった外部環境の影響により,什刹海の観光空間は大きく変容している.本研究では,2008年以降における什刹海の変化とその要因を実証的に明らかにした.

1 0 0 0 OA 書評等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.126-132,i_2, 2005-02-01 (Released:2008-12-25)

1 0 0 0 OA 書評等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.8, pp.544-552,iii, 2002-07-01 (Released:2008-12-25)
著者
小室 隆 赤松 良久 山口 皓平 プトゥ エディ ヤスティカ 清水 則一 二瓶 泰雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.271-287, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
29
被引用文献数
2

平成29年7月5日に発生した九州北部豪雨により,福岡県朝倉市に点在する溜池では決壊や一部決壊が生じた.それらの溜池を対象に災害後に国土地理院によって撮影された空中写真から15箇所の溜池を選び,現地調査を行った.また陸域観測技術衛星2号「だいち2号」(ALOS-2)に搭載されているLバンド合成開口レーダ(PALSAR-2)により観測された災害前後の地表面データを用いて,土砂堆積などにより地表面に変化が生じた溜池の抽出を行った.調査対象とした溜池のうち,5ヶ所の溜池で決壊・一部決壊を確認した.決壊・一部決壊が生じていた溜池以外では,決壊までは到達していないものの,溜池上流部において土砂の流入・堆積を確認した.PALSAR-2によって得られた地表面データを解析したところ,5,000 m2以上の面積の大きい溜池では土砂や流木の堆積による変化を捉えることが出来た.一方,山間地域に築造された小さな溜池では,周囲の斜面勾配による画像の歪みの影響により,必ずしも明確に抽出することができないことが明らかとなった.
著者
市川 康夫 中川 秀一 小川 G. フロランス
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.258-270, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
17

現在,西ヨーロッパ農村では,都市から農村への人口回帰が進展している.本研究は,フランスの人口増加農村を事例に,農村移住者の田園生活はどのようなものであり,その背景には何があるのかについて,彼らの意識に注目して論じた.カンティニ村の移住者増加は,通勤・通学地としての都市との結びつき,静かな環境,手頃な土地価格,古い農村家屋や景観の美しさが背景にあった.移住者の多くは自主リフォームを好むため,公務員など時間に余裕のある人々であった.彼らは,立地や環境だけではなく,村に活気があることを高く評価していた.カンティニ村は,住民同士の地域内でのコミュニケーションを重視する一方,それを必ずしも強制しない点が特徴といえる.

1 0 0 0 OA 書評・紹介等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.8, pp.563-567,574_1, 1995-08-01 (Released:2008-12-25)
著者
相馬 秀廣 田 然 魏 堅 伊藤 敏雄 森谷 一樹 井黒 忍 小方 登
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.65, 2009 (Released:2009-06-22)

1.はじめに 発表者らは,高解像度衛星画像などを利用して,中国乾燥地域における古灌漑水路・耕地跡の復元に取り組んでいる.内モンゴル西部の黒河下流域では, QuickBird衛星画像の判読により,Bj2008囲郭,蜂の巣パターン遺跡(仮称)などが抽出された.Bj2008囲郭については,本学会の2008年春季学術大会で相馬他によりその存在を指摘したものの,詳細は不明であった.発表では,2008年12月実施の現地調査結果を含めて,両遺跡について判明したことおよびそれらの意義について報告する. 2.Bj2008囲郭 この囲郭は,相馬他(2008)が最初の報告である.一辺の長さが約120~140mの方形に近い形状で,それらは漢代のK688囲郭およびK710囲郭とほぼ共通し.黒河下流域で最大級の遺跡である.K710囲郭と同様に,南門の痕跡が明瞭である.現地では,500mほど離れた付近に西夏・元代の陶片が存在するものの,囲郭付近には前漢代の陶片が散在する.これらの点から,Bj2008囲郭は前漢代のものと判断される.その存在が明らかになったことにより,以下のような新知見などが得られた. Bj2008囲郭周辺には,断片化した盛土型灌漑水路跡およびヤルダン化した農地跡が分布する.同様の農地跡はK710囲郭周辺でも確認されており,漢代に,Bj2008囲郭周辺で農耕が実施されていたことが判明する.QuickBird衛星画像では,ヤルダン化した農地跡は,水路沿いなどに比高3-4mの紅柳包などが発達することが多い西夏・元代の農地跡とは,明瞭に区別される.このような農地跡の現況の相違は,それぞれ放棄された時代の指標として有効であることが示唆される. 黒河下流域には,従来,3つの候官(A1遺跡:殄北候官,A8遺跡:甲渠候官,卅井遺跡:卅井候官)が知られている.それらの平面的配置は,大まかにはA1遺跡と卅井遺跡を結ぶ線を斜辺とする直角二等辺三角形を呈し,漢代の黒河はA8遺跡付近を経て北東の古居延澤へ注いでいた.Bj2008囲郭はほぼこの斜辺 上,卅井遺跡から25kmほどに位置し,漢代の黒河を挟んで反対側のK688囲郭はA1遺跡南方約27kmにある.これらの点から,Bj2008囲郭は,3つの候官やK688囲郭などとともに.前漢代の屯田に際して基準点の一つであったことが判明する.Bj2008囲郭抜きに行われてきた従来の居延オアシスに関する諸解釈は,再検討を迫られることになる. Bj2008囲郭の北西角と南東角を結ぶ対角線は,ヤルダンや囲壁破損などから示される,卓越する強風方向にほぼ並行する.これは,囲郭建設に際して,強風から囲壁の破壊を防ぐことが意識されていたことを示唆する.同様の状況はK710囲郭でも明瞭であり,著しく囲壁の破壊が進行したK688囲郭でも確認される.これらのことから,漢代の黒河下流域では,一辺が120m前後の方形に近い囲郭建設に際して,強風方向が配慮された可能性が強く示唆される. 漢代の120m前後の方形囲郭建設で,強風方向が配慮されたとすれば,同じ乾燥地域であるタリム盆地楼蘭地区のLE遺跡も漢代の建設である可能性が浮上する.このことは,LE遺跡が文書にある「伊循城」である可能性を否定するものではない. 3.蜂の巣パターン遺跡 緑城南方約1km付近の泥質の平坦地には,水路跡を挟み50mほど隔たった2件の西夏住居址東側に,東西約85m,南北約40mの範囲に蜂の巣状土地パターン(蜂の巣パターン遺跡)が認められる.そのパターンは,元代に積極的に推奨された王禎『農書』区田図の坎種法(井黒,2007)に類似し,区田法施行地の可能性が示唆される.しかし,「目」の規模が1-5mとやや大きく,凹凸が逆の部分も存在することから,この遺跡を「擬似区田法」施行地とする.「擬似区田法」であれ,「区田法」に関連する遺跡の報告は初めてである.また,当地では,元代に先立ち,既に西夏で区田法が実施されたことなども判明した. 本研究は,平成20年度科学研究費補助金基盤研究(A)(2)(海外)(19251009)「高解像度衛星データによる古灌漑水路・耕地跡の復元とその系譜の類型化」(代表:相馬秀廣)による研究成果の一部である.
著者
杉浦 直
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.71, no.12, pp.887-910, 1998-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
5

本稿では,ロサンゼルズの日系エスニック商業・業務地区,リトルトーキョーの再開発過程を事例としつつ,文化・社会空間の生成と変容の過程におけるシンボル化過程の性質と役割を考察する.最初に三つの重要な概念的前提である集団(エスニシティ),空間(エスニック文化・社会空間),過程(シンボル化過程)について考察し,とくにRowntree and Conkey (1980)によって提示された「ストレスーシンボル化過程」の連続体モデルを検討した後,リトルトーキョーにおける戦後の変容過程,とくに都市再開発過程の進行とその性質を概観した.その結果,リトルトーキョーの再開発過程は,Rowntree and Conkey (1980)の連続体モデルに大筋において適合していることが判明したが,文化的・歴史的コンテキストの違いから初期相が短かったこと,後期相の途中においてシンボル化の方向性が転換し,新たなストレスーシンボル化のサイクルが再生産されたと解釈できることなど,モデルとの重要な相違も観察された.
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.74, 2010 (Released:2010-06-10)

1.目的と方法 今日の食料供給体系は高度に複雑化しており,その全貌が明らかになることはない。本報告ではこうした供給体系の持つ食の安全上の問題点を,2008年秋に発生した事故米の不正転売事件(いわゆる三笠フーズ事件)を事例として検討する。具体的な手順としては,第1に農林水産省が発表した資料を手がかりとして,わが国の米及び米加工品の流通実態を明らかにする。すなわち,特定の業者から出荷された米がどのような経路をたどって,加工や小売業者に流れたのかを地図化し,事故米穀が拡散していく過程を空間的に再現する。次に,農林水産省が転売先として公表した業者を対象にしたアンケート調査から,今般の事件から教訓とすべき食の安全上の問題点について考察を加える。なお,アンケートは公表された391の業者(118の給食業者は同一経営体と見なしたため実質274業者)から所在の確認できた266業者に対して郵送し,48の業者から回答を得た(2009年11月実施)。 2. 事故米の不正規流通 三笠フーズによる不正規流通は残留農薬米(メタミドホス,中国産もち米)800トンと同(アセタミプリド,ベトナム産)598トン,カビ米(アフラトキシン,中国・ベトナム・米国産)9.5トンの3ルートがある。メタミドホスの場合はうち123トンが市場流通し近畿地方の23社,九州地方の20社を含む51社の中間流通業者を経て最終的に317社の製造・販売会社に流れ,消費者に渡った。317社のうち近畿地方が166社(118の給食業者を同一経営体と見なすと49社),九州地方が109社である。アセタミプリドは447トンが市場流通し,中間流通業者は,東京,大阪,福岡,鹿児島格1社の合計3社で,いずれも東京2社,福岡1社,熊本3社,鹿児島3社の酒造業者に出荷された。カビ米は2.8トンが市場流通し,2社の中間流通業者から鹿児島県の酒造業者3社に渡った。 3. 食の安全上の脆弱性 業者に対するアンケート結果からは,悲痛な叫びともいえる訴えが多く寄せられた。本来これらの業者は事故米と知らずに使用,販売していたにもかかわらず,農林水産省による公表によって,加害者扱いされかねない状況を被ったからでもある。回答を得られた48業者のうちわけは,菓子・和菓子の卸,製造,販売にかかわるものが34,食材・食品卸が5,米穀販売4,酒造2,食品製造1,給食1,飼料卸1であった。従業員数は1000人を越える2社(給食と酒造)を除くといずれもが100人以下であり,10人未満の零細な規模の業者が26社にのぼる。以下,10人台が8社,20人台が4社,30人台が3社,40,50,80,90人台が各1社であった(無回答1)。また,主たる販売先も29業者が自市町村やその周辺としており,販路を都道府県外としたものは5社であった。業者リスト公表以後の業績の落ち込みについては,半数の24業者が1年以上を経た今日でもなお,公表以前の水準を回復できていないとしている。 以上のようにわずか百トン余の原料米が,和菓子製造業者などの使用量の少ない小規模の業者に広範に流通したことがうかがえる。このような流通経路を持つ食品に関しては,風評被害の発生を避けるためにも,きめ細かな情報の開示と管理が必要であるとともに,損害補償ではなく開示措置に対する補償も十分に検討債いく必要がある。
著者
山下 昭洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.94, 2009 (Released:2009-12-11)

1895年清国と締結した下関条約により、台湾は大日本帝国の新たなる領土となった。 その結果、同年6月初代台湾総督樺山資紀率いる台湾総督府一行は、台北を台湾統治の駐剳地とし基隆に上陸し台北へ向かった。それを嚆矢に島都となった台北には日本内地から多くの内地人(日本人)が居住することとなり、戦前、最大で約11万7千人(『臺灣常住戸口統計』)の内地人が居住する台湾第一位の都市となった。 しかし、現在の台湾研究では日本統治下の内地人を対象とした研究は数が少なく、昭和期を題材にした先行研究が大半を占めているのが現状である。 報告者は2009年3月の日本地理学会で「日本統治初期の台北における内地人居住地の復原と社会空間の研究」とし図1のように、1900年の台湾統治初期の台北三市街(城内・艋舺・大稲埕)における業種別内地人の店舗の分布を明らかにすることができ、城内における多業種の分布、大稲埕における回漕業の比較的集中艋舺における接客業(貸座敷業等)の集中があったことを明らかにすることができた。また、この表とは別に1902年の台北三市街中の各街庄別の人口分布も明らかにし、さらにこの時期の艋舺における内地人女性の割合が高かったということも明らかにしたことで、芸娼妓が艋舺に集中していた事実も統計的に明らかにすることができた。 また、2009年5月に台湾で出版された『南榮技術學院人文學群2009年異文化交流國際學術研討會論文集』で「日本統治下台湾及び台北における1897~1902年の現住内地人の社会分析―『臺灣總督府統計書』「戸口」のデータ分析を中心に―」を発表した論文では、主に台北県庁の管轄範囲での年齢別人口、職業別の人口、出生地別人口を調査した。その結果、この時期の内地人は移動期にあたり、年齢的には男女とも青壮年層が突出して多く、性別的には圧倒的に男子が多かったことが確認された。また内地人を出生地別に見ると九州出身者と大都市出身者の割合が高く、女性は長崎、熊本の出身者の割合が高かった。それ以外にも、台湾の内地人居住地形成には官吏先行民間追随という形があったことも判明した。 これらの研究を踏まえた上で、本研究の対象時期は北白川宮能久親王率いる近衛師団が三貂湾に上陸した1895年5月から1902年頃までとするが、特に1895年から1900年を中心に台北の内地人居住地の形成過程を研究することとする。 主要な対象地域は、当時台北三市街と呼ばれていた城内・艋舺・大稲埕であるが、台北の内地人居住地の形成過程を明らかにするには、当時の交通移動手段を含めた調査を行うため、基隆及び淡水等をも含めた台湾北部一帯とする。 本研究の概要としては1895年の日本統治以前の本島人居住地と統治開始以降の内地人居住地形成過程を当時発行されていた「臺灣日日新報」や、戦前に記された回顧録や調査報告書等の文献を用い比較検証していくこととする。これらの資料を駆使し、台北の内地人居住地がどのようにして1900年当時の図1のように至ったかを、日本統治前からの台北三市街の発展や衰退、台北への運輸交通手段、台北を取り巻く社会情勢等を考慮しながら内地人居住地形成を多角度的に検証していくこととする。
著者
高橋 春成
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.11, pp.781-790, 1984-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
2 1

In recent years, wild boar farms have appeared in various areas in order to produce their flesh. Although wild boars have been treated mainly as vermin or game, such new domestication is also considered to be one of the biogeographical themes. The author made a preliminary study of these phenomena in Japan through questionnairing. New domestication of wild boars is divided into two forms such as raising of wild boars and raising of ino-buta (hybrid between wild boar and pig). The former has developed since around 1975 when hunting number of wild boars began to decrease in spite of increasing demand for their flesh. The latter has been introduced to improve fleshy substance in pig since around 1970 and to solve problematic factors on number of litter and fattening term in raising of wild boars. With regard to operation, there are three types such as individual operation, group operation and entrusting. Less than 50 head of wild boars are raised in individual operation, but there are some large scale raising in group operation and entrusting. Especially, entrusting is thought to be one of the effective systems that make security of labor and land for enlarging a scale. Generally, operators give assorted feed for pig keeping to wild boars from the view point of facility and reduction of labor. In raising of wild boars, potatoes, cereals, edible herbs, grass, nut, and bone and scraps of fish and chicken are often supplied in order to improve the quality of flesh. Excrementitious matter is utilized as manure almost all. The distribution of wild boars is as follows. There are two courses in the trade of wild boars. One is the trade of little wild boars to those who wish to keep them or want to keep more wild boars. The other is the trade of fattened one as flesh or mating. Main destinations of flesh are restaurants, hotels, and wholesale stores of flesh of wild boars. In the trade of ino-beta, fattened one is shipped for flesh, and little one is scarcely dealt with. Although new domestication of wild boars for flesh is an interesting attempt, there are some problems to be solved such as insufficiency of labor and land for enlarging a scale, techniques of raising, unbalanced connection between producer and consumer, and fluctuations of market prices.
著者
川又 基人 菅沼 悠介 土井 浩一郎 澤柿 教伸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.186, 2019 (Released:2019-03-30)

近年では, 航空レーザー測量を基にした高解像度の数値標高モデル(Digital Elevation Model: DEM)により微地形の特徴の抽出が容易になり,これまで以上に詳細な地形判読が可能となってきた。しかし,南極などの人為的アクセスが極めて厳しい地域では, 日本国内で用いられているような航空レーザー測量は難しく,衛星データによって得られるDEMは解像度約30−10 m程度のものである。このようなDEMは数kmスケールの地形は判読可能だが,それよりも小ス ケールの判読は難しい。 そこで本研究では,微細な氷河地形の判読を目的に,SfM 多視点ステレオ写真測量(SfM/MVS)技術を南極地域観測隊によって撮影された空中写真に適用することで,高解像度のDEM およびオルソ画像を作成した。 SfM/MVS処理の結果,1.4 m メッシュの DEM と地上画素寸法 70 cm のオルソ画像 の作成に成功した。新たに作成したDEMは,国土地理院作成の既存DEMで確認された急傾斜地点でのデータの抜けなども確認されず,詳細な起伏が表現されている。新たに作成したDEMの精度に関して,現地でのGNSS測量結果4点との較差(平均平方二乗誤差)を調べた結果,高さ方向に2.77 mとなった。しかし,今回作成したDEMの端では海水面に±10 m 程度の誤差が確認された。これは SfM/MVSに特徴的なドーム状の歪みに起因するものと考えられる。 今後は海岸線での高さの整合性の取り方といった絶対精度向上のための工夫する必要があるものの,今回作成したDEMは既存のDEM からは判読できなかった解像度 (数 10 m スケール)の氷河地形を読み取ることができ,地形判読や地形解析をはじめ,極域における地形発達史に関する教育・アウトリーチ面でも有効に活用できるだろう。
著者
中村 祐輔 重田 祥範 渡来 靖
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.213-222, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
10
被引用文献数
1 1

地上気温観測において,その観測値は周辺環境に大きく影響される.観測点周辺の土地利用は一般的に不均一であるために,その影響を受けた気温のばらつきを評価することは観測値の空間代表性を理解する上できわめて重要である.そこで本研究では,一つの気温観測所周辺域で発生する気温のばらつきを評価することを目的に地上気温の多地点観測を行なった.観測は,熊谷地方気象台の周辺域において2014年3月1日から2015年2月28日にかけて実施された.観測の結果,観測領域内の気温のばらつきは年平均で1°C程度であることが示された.さらに,熊谷地方気象台が位置する地点の気温は,観測領域内において恒常的に高い傾向を示した(平均+0.4°C).そして,領域内における気温のばらつきの要因としては都市が影響していることが示唆された.
著者
水野 一晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.127-153, 1990-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
28
被引用文献数
4

カール内の植物群落は,地形,微気象(消雪時期,受光量,風など),地表面構成物質の性状と安定性など多くの環境要因の相互作用を受けて成立している.群落の空間的分布に対し,地形はこれらの要因の中でもっとも主導的な役割りを果たしている.地形と植生の間には次のような関係がある.1)カール内では,多くの地形がある程度定まった位置に形成されている.このため,カール内では地形の形態(凹凸)とその地形が一般に形成される位置(斜面方向)によって,消雪時期が特定化され,消雪時期の差が植物の生育期間や嫌雪性などの要因を通して群落の分布に影響を及ぼす.したがって,地形によって分布する群落が限られる.2)ただし,崖錐のように,形成される場所が不定の地形の場合,その地形の斜面の向きや場所によって風の強さや受光量に差が生じ,その結果,消雪時期,ひいては植生が多様になる.3)地形が消雪時期-植生に及ぼす影響については,(a)その形態(凹凸)がとくに重要な場合と,(b)その地形の占める位置(斜面方向)がとくに重要な場合があるが,(a)の場合は凹型・凸型斜面,(b)の場合は平滑斜面であるのが一般的である.4)地形は地表面構成物質の分布と性状に影響を及ぼし,この違いが土壌水分や地表の安定度などの要因を通して,群落の分布に影響を及ぼす.
著者
箸本 健二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000249, 2018 (Released:2018-06-27)

調査目的と課題設定中心市街地における未利用不動産の増加は,主に中心市街地における事業用不動産の供給過多と,個人商店の住居化とが輻輳する形で引き起こされる都市問題であり,地方都市における都市再生の阻害要因となっている.その一方で,地方都市中心市街地の未利用不動産を定量的に把握できる公的資料は存在しない.そこで本シンポジウムのメンバーは,中心市街地における未利用不動産の現状と各自治体の政策的対応を把握するため,全国846市町(東京都区部,政令指定都市を除く1995年時点で人口2万人以上の都市,あるいはその合併市町)を対象とするアンケート調査を2014年に実施した.主な調査内容は,中心市街地における低利用不動産の概況と自治体の対応,ダウンサイジング政策の導入状況,まちづくり会社の有無と機能であり,最終的に553自治体(65.3%)から有効回答を得た.なお,本調査結果の一部は,日本地理学会2015年春季大会および経済地理学会金沢地方大会で報告している.地方都市における未利用不動産の増加中心市街地を代表する,事業用不動産,個人商店,公共施設という3タイプの不動産に関して,未利用不動産化の進行状況を10年前(2004年)との比較で質問した結果,「増加している」「やや増加している」と回答した自治体の比率は,個人商店(空き店舗)で80.8%,事業用不動産(大規模商業施設,オフィスビル,ホテル,病院等)で47.3%,公共施設(公的セクタが所有し,利活用が進んでいない施設)で22.1%に達した.一方で「(未利用不動産が)もともと存在しない」と回答した自治体の構成比は,事業用不動産で4.3%,公共施設でも14.6%に過ぎず,多くの自治体が中心市街地に未利用不動産を抱え,その増加に直面している現状が把握できる.またこの結果を人口規模別に見ると,人口規模が小さな自治体ほど個人商店(空き店舗)と公共施設に関して増加傾向を回答する比率が高まる.滞る政策的対応これに対して,地方自治体の多くが有効な対応策を採れてはいない.まず,民間の未利用不動産(空きビル・空き店舗)の利活用に向けた経済的支援に関しては,「特に支援していない」と回答した自治体が最も多く(37.7%),次いで「家賃補助や家賃減免」が36.8%で続いている.逆に,経済的負担や事業リスクが大きい「自治体による建物・底地の買い上げ」は1.3%に留まり,予算規模の限界から自治体が独自で取り得る対応には限界があることを示唆している.その一方で,中心市街地のダウンサイジングを政策目標に掲げた自治体は極めて少ない.中心市街地のダウンサイジングを「実施した」あるいは「具体的な計画を策定中」とする自治体は全体の6.1%にすぎず,80%近い自治体が「検討したことはない」と回答するなど,撤退戦略を政策目標とすることの難しさを示唆している.補助金を含む公的資金の調達が厳しい状況下において,事業の遂行に不可欠となるのがREITなど不動産投資主体による民間ベースの資金調達チャネルである.しかし,不動産投資主体による不動産取引を支援する部署・相談窓口を持つ自治体は1.3%に過ぎず,87.7%の自治体は民間ベースでの資金調達を支援する手段や情報収集を講じていない.結論と展望以上の結果は,日本の地方都市において,オフィスや小売商業を中心とする旧来型の経済活動が縮退し,事業用不動産や空き店舗の増加が未利用不動産を増加させる現状を示している.こうした状況の下で,経済拡大期の典型的な「活性化」手法であった再開発事業や公共事業を導入可能な中心市街地は事業採算性の点でおのずと限定される.地方都市がその持続を図るためには,無秩序な郊外開発に歯止めをかける一方で,中心市街地の未利用不動産を再利用する資金調達手段,中期的な採算性を確保できる事業計画,そして都市計画を含めた地方自治体の支援スキームが重要となる.【参考文献】箸本健二,2016.地方都市における中心市街地空洞化と低利用不動産問題,経済地理学年報62-2, 121-129.追記.本研究は,科研費基盤B(課題番号25284170, 代表者:箸本健二)の成果の一部である.
著者
箸本 健二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000247, 2018 (Released:2018-06-27)

問題の所在中心市街地における空洞化の進行は,今日,日本の地方都市が共通して直面する課題の一つである.地方都市の中心市街地で顕在化している事業用不動産の遊休化(未利用不動産化)と,その跡地・後施設をめぐる利活用の停滞は,こうした課題を象徴する事象といえる.2013年6月に,経済産業省産業構造審議会中心市街地活性化部会は「中心市街地の再活性化に向けて」という提言を取りまとめ,全国の地方都市の多くが中心市街地問題に直面していること, 問題の背景に人口減少と高齢化の悪循環が存在することを指摘した上で,地方都市の中心市街地が居住と経済の両面にわたる「まち」としての機能を今後も維持するためには喫緊の対応が必要であると指摘している.コンパクトシティ政策が内包する課題日本の地方都市では,高度経済成長以降,商業・サービス業や全国企業の支店に代表されるオフィス機能が中心市街地における経済活動の中核を担ってきた.しかし1990年代以降,これらの事業所は地方都市の中心市街地から着実に減少し続けている.一方で,この問題に対する国や地方自治体の政策は必ずしも奏功していない.コンパクトシティを政策理念に掲げ,中心市街地への都市機能の再集中を試みた改正まちづくり3法(2006年制定)や改正都市再生特措法に基づく立地適正化計画(2014年)も,高止まりする中心市街地の地価,郊外住民の反発,根強い大手商業資本の郊外志向,自治体間での利害相反など,ローカルな政治・経済の文脈に起因する阻害要因の前に足踏みを重ねることが多い.そもそも,現在のコンパクトシティ政策は,総じて国・地方自治体の財政難や人口減を前提とする機能の再配置論に留まっており,中心市街地にどのような社会や経済活動を構築するかというマネジメントの視点が欠落している場合が多い.このことが,とりわけ地方都市におけるコンパクトシティ政策の大きな停滞要因となっていると考えられる.地方都市の新たな中心市街地マネジメントの方向性 中心市街地における商業やオフィスの減少は,関連する事業所サービス業や飲食サービス業などの事業機会を縮小させ,事業用不動産の遊休化を加速させてきた.中心市街地で増加する未利用不動産は,地方都市の厳しい経済状況を表象していることは疑いない.その一方で,中心市街地に存在するまとまった規模の未利用不動産は,地方都市の新たなマネジメントを進める上で潜在的な資源とも評価できる.その理由の1つは,PPP/PFIあるいは不動産証券化を通じた介護施設,商業施設などの開発事例が示すように,中心市街地は,適切な投資スキームさえ選択できれば,立地特性を活かした収益事業を再生する余地が残されているからである.残る1つは,地価最高点に近い古い物件を利用することで,賑わいや新しい社会関係の構築など中心市街地が持つ潜在的資源の利用と,地代負担力の低い新規参入者の経営持続性との両立を図れるからである.本シンポジウムの構成以上の問題意識をふまえて,本シンポジウムでは,まず全国調査を通じて未利用不動産の現状分析を行い,その再事業化へ向けたスキームを,大きく①市場原理を導入した再生手法や政策対応(不動産証券化,PPPなど),②ボトムアップ型の再生手法(リノベーションなど)に大別する.その上で,おのおののスキームに関して具体的事例の紹介と評価を行い,各々の可能性と課題を議論したい.付記.本研究は,科研費基盤B(課題番号16H03526,代表者:箸本健二)の助成を受けたものである.
著者
石黒 直子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.7, pp.415-423, 2001-07-01
参考文献数
30

長野県中部に位置する諏訪湖で起こる御神渡りは宗教的に重要な現象であったため,その記録は550年以上にわたりほぼ途切れることなく継続する.そしてこの記録は冬季の気候復元のための貴重なデータとして注目されてきた.本研究では,この記録を使用するのに際し,重要な問題となるデータの均質性にっいて,・データソースの歴史的変遷の観点から検討を行った.その結果,諏訪大社管轄の記録の中でも,データソースの変化に伴い内容に相違がみられた.とくに,15~17世紀にかけての御神渡りの観測基準が現在と異なり,氷の割れる音を聞いて観測していた可能性が示唆された.さらに近年の気象観測データに基づいた解析から,諏訪大社と諏訪測候所による結氷日の観測基準が異なることに由来する,両者の結氷日の質的な違いを明らかにした.これらの違いに留意してこのデータを使用することによってより精度の高い気候復元が可能になるであろう.
著者
泉田 温人 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br> 氾濫原内の相対的な地形的高まりである「微高地」は,自然堤防だけではなく,様々な河川作用が形成する微地形の複合体である.自然あるいは人工堤防の破堤を形成要因とするクレバススプレーは,微高地を構成する微地形の一つである.平成27年9月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤洪水では茨城県常総市上三坂地区にクレバススプレーが形成され,微高地の発達過程におけるその重要性が再認識された.著者らはクレバススプレーが広く分布する(貞方 1971)とされる常総市域を含む鬼怒川下流域の氾濫原において,平成27年9月関東・東北豪雨を受けて形成されたクレバススプレー及び歴史時代に形成されたクレバススプレーに対し地形及び堆積物分析を行ってきた.本発表ではその二つの地形を比較し,調査地域ではクレバススプレーがどのように成長し,微高地発達に寄与してきたのかを検討した.<br><br>2.平成27年9月関東・東北豪雨によるクレバススプレー<br> 2015年9月10日に発生した鬼怒川の破堤洪水によって,破堤部付近で"おっぽり"の形成などの激しい侵食が生じた一方,その下流側では淘汰の良い中~粗粒砂層からなる最大層厚80 cm程度のサンドスプレーが堆積した(泉田ほか 2016b).破堤部を起点とする堤外地への洪水流向断面において,両者の分布領域の間に侵食・堆積作用がともに小さい長さ100 m程度の区間が存在した(泉田ほか2016b).この区間からサンドスプレーの堆積区間への移行は洪水流向断面内の遷緩点で生じた.サンドスプレー形成区間より下流では洪水堆積物層は薄く,地形変化量は微小だった.洪水前後の数値表層モデルから計算された,破堤部から約500 m以内の範囲における総堆積量及び総侵食量はそれぞれ約3.7万m<sup>3</sup>及び約8.0万m<sup>3</sup>であり,本破堤洪水では侵食作用が卓越した(Izumida et al. 2017).<br><br>3.歴史時代に形成されたクレバススプレー<br> 上三坂から約4.5 km上流に位置する常総市小保川地区は17世紀初期にクレバススプレーの上に拓かれた集落である.小保川のクレバススプレーは鬼怒川左岸に幅広な微高地が一度成立した後に形成を開始し,ある期間に鬼怒川の河床物質が繰り返し遠方に堆積したことで微高地を二次的に拡大したと考えられる(泉田ほか 2017).既存の微高地上では急勾配かつ直線的な長さ約1.5 kmのクレバスチャネルが掘り込まれ,クレバスチャネルの溢流氾濫による自然堤防状の地形であるクレバスレヴィーがその両岸に形成された一方で,チャネル末端では間欠的な大規模洪水によるイベント性砂層及び定常的に堆積する砂質シルト層の互層からなるマウスバーが形成された.両区間は,クレバススプレー形成以前の鬼怒川の微高地と後背湿地の境界域でクレバスチャネルの緩勾配化に伴い遷移したと推定され,マウスバー部分が後背湿地上に舌状に伸長したことで微高地が面的に拡大したと考えられる.小保川のクレバススプレーは厚い流路堆積物からなるクレバスチャネルを含め堆積環境が卓越し,侵食的な要素は鬼怒川本流とクレバスチャネルの分岐点に位置するおっぽり由来と考えられる常光寺沼のみである.<br><br>4.考察<br> 上三坂と小保川のクレバススプレーの形成時間スケールと地形の分布する空間スケールの差異から,両者の地形はクレバススプレーの発達段階の差を表すと考えられる.しかし,両調査地のクレバススプレーは,ともに破堤洪水により鬼怒川の河床物質が氾濫原地形の遷緩部分に堆積しサンドスプレーあるいはマウスバーが形成されたことで,鬼怒川の微高地発達に寄与したことが明らかになった.調査地域におけるクレバススプレーの発達は(1)クレバスチャネルの形成による河床物質の運搬経路の伸長,(2)その下流に位置する堆積領域の河川遠方への移動,そして(3)侵食環境から堆積環境への転換によって特徴づけられた.上三坂が位置する常総市石下地区の鬼怒川左岸の微高地及び地下地質が複数時期のクレバススプレー堆積物からなることが報告されている(佐藤 2017).クレバススプレーの形成は常総市付近の鬼怒川氾濫原において普遍的な営力である可能性があり,微高地の発達過程で激しい侵食作用を含む地形変動が繰り返されてきたことが示唆される.<br><br>参考文献:泉田温人ほか 2016a. 日本地理学会発表要旨集89, 165. 泉田温人ほか 2016b. 日本地理学会発表要旨集90, 181. 泉田温人ほか 2017. 日本地球惑星科学連合2017年大会, HQR05-P06. Izumida et al. (2017). Natural Hazards and Earth System Sciences, 17, 1505-1519. 貞方 昇 1971. 地理科学 18, 13-22. 佐藤善輝 2017. 日本地理学会講演要旨集 92, 150.