著者
塩崎 大輔 橋本 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.研究目的</b><b></b> <br>日本の積雪寒冷地における代表的な地域開発としてスキーリゾート開発があげられるが、バブル期以降のスキー観光の停滞、衰退が著しいことが指摘されている(呉羽,2009)。こうした状況の中、北海道ニセコ地域では外国人観光客の取り込みを図り、特に北海道ニセコひらふ地区においては外国人向けコンドミニアムの建築など開発が盛んな地域として注目され、小澤ほか(2011)や呉羽(2014)など多くの知見が得られてきた。しかし、これまでのニセコ地域を対象とする研究では、特に開発が盛んであるひらふ地区に着目した研究が多く、ニセコ地域全体の開発に関する蓄積は少ない。そこで本研究は建築計画概要書データを用いてニセコ地域における開発の変化を明らかにすることを目的とする。 <br> <b>2</b><b>.研究方法及び資料</b><b></b> <br>本研究の対象地域は北海道虻田郡倶知安町及びニセコ町である。本研究を行うにあたって、倶知安町及びニセコ町の建築確認申請概要書に記載されている新規建築計画680件の建築確認申請概要書をデータベース化する。このデータベースを用いて新規建築の件数及び面積から開発行動の経年変化を分析し、ニセコ地域全域の開発の実態を明らかにする。次にニセコ地域における新規建築の分布変化をみることにより、ニセコ地域における開発の動向を分析する。最後にこれらの分析結果を総合し、本研究は積雪寒冷地におけるリゾート地域における開発の時系列変化を考察する。 <br> <b>3</b><b>.研究結果</b><b></b> <br>(1)ニセコ地域の新規建築の件数及び面積の時系列変化をみることにより、地方地域の開発行動が景気の影響を受けて変化していることが明らかとなった。2006年以降、ニセコ地域全域の新規建築確認申請件数は119件から174件まで増加した。しかし2009年には107件と2006年の件数を下回った。これはリーマンショック後の世界的な金融危機の影響が表れていると考えられる。 <br>(2)2006年から2010年までのニセコ地域の新規建築物の分布変化をみると、2006年には倶知安町ひらふ地区に開発が集中しており、2008年には樺山地区が新たに開発されるなど開発エリアの拡大がみられた(図1)。また2009年にニセコ町字曽我に大規模な開発計画が存在したが、未だ着工はされていない。ニセコ町アンヌプリスキー場周辺では温泉資源が有効活用されており、より高付加価値を求めた企業がニセコ町において開発計画を立てたが、景気の悪化に伴い計画が中断したと考えられる。 <br>(3)新規建築の建築主に着目してみると、日本以外では特にオーストラリアと中国香港の建築主が多く、そのほとんどがひらふ地区で開発を行うという動向が明らかとなった。またひらふ地区では企業と個人の双方が開発を進めていたが、樺山地区やニセコ町では企業による開発が目立った。これはヒラフ地区がすでに開発され土地も細分化されており、企業がより大きい開発地の一括取得を目指した結果であると考えられる。
著者
呉羽 正昭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100065, 2017 (Released:2017-10-26)

日本では,1990年代初頭までバブル期にスキー観光が著しく発展した。その時期,さらには高度経済成長期前後にも多くのスキー場開発がなされたが,1995年前後以降はスキー観光自体が著しく衰退している。その結果,スキー場や宿泊施設など,スキーリゾートの諸施設の経営は大きく悪化した。それゆえ,スキー場索道経営会社の変更が頻繁に生じたり,スキー場自体が休業や閉鎖に追い込まれる事例が多く発生している(呉羽 2017)。 こうした日本におけるスキーリゾート問題解決の救世主となったのは外国人スキーヤーの訪問である。スキーをめぐるインバウンド・ツーリズム発展の契機は,2000年前後に生じたニセコ地域でのオーストラリア人スキーヤーの増加である。その増加要因には雪質の良さや「9.11」以降の北米スキーリゾート滞在離れがあると言われている。その後,山形蔵王,妙高赤倉,野沢温泉,八方尾根などのスキーリゾートにもこの現象が派生した。宿泊施設の経営不振・廃業などが続いていたスキーリゾートでは,インバウンド・ツーリズムの発展にともなってさまざまな変化が生じている。本研究では,インバウンド・クラスターとしてのスキーリゾートにおける諸変化について複数事例の比較分析を通じて明確にする。さらには,インバウンド・ツーリズム発展による問題点について整理する。付記:本研究はJSPS科研費15H03274の助成を受けたものである。 文献 呉羽正昭 2017.『スキーリゾートの発展プロセス:日本とオーストリアの比較研究』二宮書店.
著者
水谷 知生
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 = Geographical review of Japan (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.300-322, 2009-07-01
参考文献数
90

現在,九州と台湾の間の島々を示す地域名称として「南西諸島」,「琉球諸島」,「薩南諸島」などが重層的に用いられている.本稿ではこの地域の地域名称の使用,浸透の経過を政治的な背景とともに明らかにした.「南西諸島」をはじめこの地域の島々の地域名称の多くは,明治期に海軍省水路部により付与されたが,「薩南諸島」は民間で用いられ,広く使われるようになった.地域名称は教科書類によって一般に浸透し,名称の整理には教科書検定制度が役割を果たした.奄美諸島は,江戸期には,薩摩藩の直轄領でありながら対外的には琉球領として扱われたが,明治初期の日清間での琉球領有を巡る論争の際,日本政府は「琉球諸島」を沖縄諸島以南と整理し,奄美諸島を含めないこととした.一方,第二次世界大戦後,米国は軍事上の必要性から奄美諸島以南を日本本土と切り離す意図を持ってこの地域をRyukyu Islandsとした.「琉球諸島」の名称の使用には特に政治的な意図が多く働いた.
著者
鎌田 高造
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.54, 2010 (Released:2010-06-10)

国土地理院と測量法 我が国における測量、とりわけ公費を投入して行われる測量は、その正確さを確保すること及び測量の重複を排除する観点から、測量法に基づいて実施しなければならないこととなっている。 国土地理院は、全ての測量の基礎となる測量―これを測量法では「基本測量」と定義している―を実施している国家機関である。国土(領土領海の境界を含む)の正確な形状を示し、また、日本国内で測量を行う全ての者のために測量の基準(とりわけ位置の基準)を決定することが、基本測量の権能である。 測量の結果として得られる成果は、大別して基準点の成果(正確な経緯度、高さなどの数値)、1/25,000地形図に代表される地図及びに分類される。これらの測量成果は、誰でも安価に成果を入手することができる。 測量成果の保管及び供覧 得られた測量成果は、大切に保管しておかねばならない。国土地理院では、測量法制定以降の成果はもちろん、旧陸地測量部時代の測量成果についても保管している。例えば地図は、明治や大正期に作成されたものも「旧版地図」として保管しており、それらをつくば市の本院及び各地の地方測量部で閲覧に供している。特につくば市の本院では、「情報サービス館」を設けて、全国の空中写真約110万枚、国土地理院が刊行した過去から現在に至る全ての地図、基準点の成果表及び点の記等について、閲覧に供するとともに、希望者には謄抄本の交付も行っている。 国土変遷アーカイブ 社会のIT化が進んでいることを受けて、測量成果もウェブ上で閲覧に供している。1/25,000地形図などは10年以上前に試験公開を開始したが、空中写真や旧版地図は平成16年度に「国土変遷アーカイブ」と銘打ってウェブ上での公開を開始した。 国土変遷アーカイブでは、さまざまな撮影時期の空中写真及び明治期以来の地形図(旧版地図)をデジタル化し、DBに格納している。空中写真はウェブ上に簡易検索システムが用意されており、撮影コース、撮影場所、撮影時期などをキーとして検索可能となっている。空中写真は、ファイルサイズと精細度を勘案して、200dpi でフィルムを読み取ったものを閲覧に供している。一方、空中写真はファイルサイズが巨大でウェブ公開には適さないため、つくば市の本院にある情報サービス館のパソコンで自由に見られるようサービスしている。 国土変遷アーカイブの意義 国土変遷アーカイブは、国土地理院が保有する膨大な地図と空中写真をデジタルでアーカイブいるので、地域の時系列的な変化を容易に追うことができる。 また、過去の地形、地貌を確認できるため、工事などによる土地改変が行われる前の現地の状況を知ることも容易である。 空中写真については、更に高い解像度の画像を必要とする利用者も多いが、それらの利用者のために、最大2540dpiまでの画像を別途販売しており、販売サイトへも簡単に画面を遷移することができる。 地図と測量の科学館 平成8年、国土地理院の敷地内に「地図と測量の科学館」がオープンした。この施設は、地図及び測量全体の博物館的な役割を持っており、陸地測量標条例施行以前の古地図についてもその一部が展示されている。 この地図と測量の科学館は土曜日及び日曜日も開館しており(定休日は月曜日)、市街地中心部から無料バスが運行されているなど、つくば市の観光スポットの1つに数えられている。特に、昨年秋には開場以来の累計入場者数が50万人を突破した。 地図と測量の科学館と情報サービス館とは棟続きになっており、利用者の便を図っている。 公共測量成果の保管委託 公共測量の成果は、当該公共測量を実施した計画機関が保管すべきところであるが、一般の行政文書には保存年限は数年程度にしか定められておらず、行政機関が過去の測量成果を全て保管するのは容易ではない。 国土地理院では、地方公共団体等が実施した測量の成果についても、その保管及び供覧を受託している。この施策はまだ十分に知られていないため、今後の普及活動が重要である。
著者
斉藤 由香
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.10, pp.541-566, 2001-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
31
被引用文献数
4

本研究では,買収によってスペインに進出した日産自動車の現地子会社・日産モトールイベリカ社(NMISA)を事例企業として,その物流システムの構築プロセスを明らかにした.さらに,サブ.ライヤーとの部品調達関係を詳細に分析することで,近年NMISAが現実的な諸条件の中で物流システムをどのように発展させているのかを考察した. NMISAでは,そのサプライヤーが広域的に分散立地しているため,ミルクラン方式や調節倉庫利用方式といったさまざまな部品調達方法を導入し,「修正ジャスト・イン・タイム」というかたちでJIT納入を実現している・スペイ.ンでこうした多様な調達方法が発展した背景には, NMISAがサプライヤーの地域的分布に対応した側面だけではなく,英国日産との部品の共同購入の進展や,サプライヤーとの取引量や力関係,部品の特性など,部品調達をめぐるさまざまな条件に適応している側面も認められた.こうした現地における物流システムの構築プロセスには,既存企業の買収という進出形態や生産の小規模性が大きな影響を与えていた.
著者
渡辺 満久 中田 高 後藤 秀昭 鈴木 康弘 西澤 あずさ 堀内 大嗣 木戸 ゆかり
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

海底活断層の位置・形状は、巨大地震の発生域や地震規模を推定する上で欠くことのできない基礎的資料である。本報告では、地震と津波が繰り返し発生している日本海東縁部において、海底地形の解析を行った。海底DEMデータと陸上地形(いずれも250 mグリッド)とを重ね合わせ、立体視可能なアナグリフ画像を作成し、陸上における地形解析と同世の作業を行った。 日本海東縁は新生のプレート境界として注目され、これまでにも海底地形や地質構造の特徴をもとに活断層が多数認定されてきた。また、歴史地震の震源モデルなどについても、いくつかの詳しい検討が報告されている。本研究によって、これまでの活断層トレースと比較して、その位置・形状や連続性に対する精度・信頼性が高い結果が得られたと考えられる。 松前海台の南西部(松前半島の西約100 km)~男鹿半島北部付近を境に、活断層の密度が異なる。北部では、活断層の数はやや少なく、南北あるいは北北西-南南東走向の活断層が多い。奥尻島の東西にある活断層をはじめとして、長大な活断層が目立つ。1993年北海道南西沖地震(M7.8)の震源断層モデルとして、奥尻島の西方で西傾斜の逆断層が想定されているが、海底にはこれに対応する活断層は認定できない。この地震の震源断層に関しては、詳細な海底活断層の分布との関係で再検討が必要であろう。後志トラフの西縁は、奥尻島東縁から連続する活断層に限られている。その東方には北北西-南南東走向の複数の活断層があり、積丹半島の西方沖には半島を隆起させる活断層が確認できる。 松前海台の南端から南方へ、約120 km連続する活断層トレースが認められる。これは、余震分布などと調和的であることから、1983年日本海中部地震(M7.7)の震源断層に相当すると考えられる。久六島西方では活断層のトレースが一旦途切れるようにも見えるが、これは、データの精度の問題かもしれない。これより南部では、北北東-南南西走向の活断層が密に分布している。粟島の北方の深海平坦面を、南から北へ延びる最上海底谷は、深海平坦面を変位させる(北北西側が隆起)の活断層を横切って、先行性の流路を形成している。このような変動地形は、極めて活動的な活断層が存在することを示している。なお、1964年新潟地震の起震断層に関しては、浅部の解像度が悪いため、十分には検討できない。 アナグリフ画像を用いて海底地形の立体視解析を行うことにより、日本海東縁部の海底活断層の位置・形状を精度よく示すことができた。その結果、歴史地震の震源域との比較が可能となった。また、海底活断層の位置・形状に加えて、周辺の変動地形の特徴を明らかにすることによって、地震発生域や津波の発生源の特定や減災になどに関して、より具体的な検証や提案が可能になると考えられる。今後は、歴史地震と海底活断層との関係をさらに詳細に検討してゆく予定である。
著者
藤村 健一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

百舌鳥・古市古墳群は大阪府堺市・藤井寺市・羽曳野市に位置する。2017年、これに含まれる45件49基の古墳が文化審議会によって世界文化遺産の推薦候補に選ばれた。早ければ2019年にも正式に登録される可能性がある。<br> 推薦候補に選ばれた古墳には、仁徳、履中、反正、応神、仲哀、允恭の各天皇陵古墳が含まれる。このうち、堺市の仁徳天皇陵古墳は国内最大、羽曳野市の応神天皇陵古墳は国内2番目の規模の古墳である。天皇陵は皇室祭祀の場所であり、現在でも宮内庁が管理している。<br> 発表者は2016年、京都の拝観寺院(観光寺院)の意味や性格について報告した。これらの寺院に対しては、主に宗教空間、観光施設、文化財(文化遺産)という3種類の意味が付与されている。これらは互いに異なる立場から意味づけられており、対立する可能性をはらむ。1980年代の古都税紛争は、このことが一因であったと考えられる。<br> 天皇陵古墳に対しても、様々な立場から異なる意味づけがなされ、そのことが摩擦を生んでいる。本研究では百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳を事例として、そこに付与された様々な意味を整理・分析するとともに、意味づけを行っている人々についても調査し、摩擦の要因を解明する。<br> 百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳に付与された意味は、①聖域、②文化財、③観光地・観光資源、④世界文化遺産の4つに集約できる。①の見方をとるのは主に宮内庁と皇室、神道界の人々や、皇室崇敬者・皇陵巡拝者である。②の見方をとるのは、主に古墳を研究する歴史(考古)学者である。③は地元の経済界や観光業者・観光客を中心とした見方である。④は、主に世界遺産登録運動の推進役である地元自治体や文化庁の見方である。<br> ①~④の意味には重複する部分もあるが、これらは一致しておらず齟齬もある。とりわけ、①の見方をとる立場と②の見方をとる立場の間では対立が顕著である。天皇陵古墳を②とみなす歴史学者は、宮内庁を批判してきた。<br> ①の立場をとるのは宮内庁・皇室関係者だけでない。神道界や皇室崇敬者、皇陵巡拝者には、天皇や皇室に対する尊崇の念をもって天皇陵を聖域視する人々が少なくない。<br> こうした人々の中には、天皇陵古墳をもっぱら文化財とみなす歴史学界や、世界遺産登録を推進する行政、観光資源としての利用を図る業者を非難する人もいる。ただし、現代の皇陵巡拝者は必ずしも皇室崇敬者に限らない。彼らは「陵印」収集など多様な動機をもって巡拝している。
著者
山田 周二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.11, pp.643-657, 2001-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
7
被引用文献数
1

人工的に改変された山地・丘陵地の地形の自然さを定量的に評価するために,大都市(東京,大阪,名古屋)近郊の宅地およびゴルフ場として改変された山地・丘陵地を対象として地形計測を行った.まず,地形改変前および後に作成された2万5千分の1地形図を用いて,起伏E(比高と面積の平方根との比),相対起伏R (垂直方向の凹凸の程度を表す指標),輪郭の等高線のフラクタル次元D (水平方向の凹凸の程度を表す指標)を計測した.地形改変前の,三つの地形量の間には有意な相関があり (r=0.79,n=69, p<0.0001), LogE=-0.31D-0.58LogR-0.56で回帰平面が表された.この回帰式および実際のRおよびDの値から, LogEの計算値を求め,これと実際のLogEとの差を地形自然度と定義した.改変前の山地の地形自然度はゼロに近い値をとり,平均値はゼロ,標準偏差が0.15になった.一方,改変後の山地では,マイナスの値が多くなり,宅地およびゴルフ場では,平均値がそれぞれ-0.20および-0.05になった.このような結果は,地形自然度という尺度が人工的に改変された地形を有効に評価し得ることを示す.
著者
吉田 国光 形田 夏実
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.研究課題</b><br> 本研究では,石川県金沢市において「伝統野菜」として生産される15品目の「加賀野菜」を事例に,それらの作物の生産および出荷の動態を分析することで,小規模な都市近郊産地の存続に向けて農産物のブランド化が果たす経済的・非経済役割を明らかにすることを目的とする. <b><br>2.研究手順と対象地域</b><br> 研究手順としては,まず統計資料などをもとに対象地域の農業的特徴とその変遷を検討し,「加賀野菜」としてブランド化される品目の概況を示す.次に,金沢市農産物ブランド協会への聞き取り調査で得たデータをもとに,農産物のブランド化をめぐる組織体制や制度について整理する.さらに,対象地域における各品目の生産部会への聞き取り調査をもとに,15品目の生産と流通の動態を,慣行栽培と「加賀野菜」栽培との差異に着目して分析することから,各品目のブランド化が産地の存続に果たしてきた役割を明らかにする. 研究対象地域に選定した石川県金沢市は近世より城下町として発展してきた.市街地周辺部では自然条件の微細な差異に応じて様々な農業生産が展開している.気候条件として,夏期は高温で降雨が少なく,冬期には降雨・雪が多く日照時間は少ない.地形条件としては金沢市中心部の東西部を犀川と浅野川が流れ,南東部は山地となっている.中心部から周辺部へと広がる金沢平野では金沢市の水田が卓越している.海沿いには砂丘地が広がり,サツマイモやダイコン,スイカ,ブドウなどの畑作・果樹作が盛んである,2010年国勢調査によると,産業別就業者の割合は第1次産業で1.5%,第2次産業で22.0%,第3次産業で76.5%となっている.このうち農業就業者は減少傾向にある.<br><b>3.「加賀野菜」をめぐるブランド化の諸相</b><br> F1種の登場以降,「加賀野菜」を含む在来品種の生産農家は減少傾向にあった.こうしたなかで種の保存・継承の気運が高まり,1990年に金沢市地場農産物生産安定懇話会が組織され,在来品種の保存に向けた取り組みが開始された.1992年には加賀野菜保存懇話会が新たに組織され,保存対象となる在来品種を「加賀野菜」と命名した.1997年には,金沢市特産農産物の生産振興と消費拡大の推進を目的とする金沢市農産物ブランド協会が設立され,「加賀野菜」を通じた農業振興が取り組まれるようになった.「加賀野菜」は「昭和20年以前から栽培され,現在も主として金沢で栽培されている野菜」と定義され,「金時草」,「ヘタ紫なす」,「加賀太きゅうり」,「せり」,「加賀れんこん」,「さつまいも」,「たけのこ」,「源助だいこん」,「打木赤皮甘栗かぼちゃ」,「金沢一本太ねぎ」,「加賀つるまめ」,「二塚からしな」,「くわい」,「赤ずいき」,「金沢春菊」の15品目が認定されている. これら15品目の生産・流通の動態を分析した結果,15品目は3つに類型化できた.まず1つ目として,「さつまいも」,「れんこん」,「加賀太きゅうり」,「源助だいこん」では生産量が多く,県外流通の割合も高かったことから,ブランド化が生産者へ経済的メリットを与えているといえる.これらの生産者の多くは専業農家であり,これらの品目から得られる農業収入の割合も高かった.これらの品目の生産者は金沢市という小規模産地の中核的存在といえ,ブランド化が産地の存続に一定の経済的役割を果たしていると考えられる.2つ目の「ヘタ紫なす」,「加賀つるまめ」,「金沢一本太ねぎ」,「くわい」,「赤ずいき」,「金沢春菊」,「せり」,「二塚からしな」では生産量が少なく,流通も県内を中心としていた.ブランド化が生産者へ与える経済的メリットは小さいといえる.しかし,これらの品目の生産農家数は僅かとなっており,ブランド化が在来品種の保存に一定の役割を果たしていると考えられる.在来品種の保存自体に経済的メリットは見出しにくいものの,「加賀野菜」に必須の要素となる「歴史性」を担保する非経済的役割を果たしていると考えられる.3つ目の「たけのこ」,「金時草」,「打木赤皮甘栗かぼちゃ」については,先の2類型の中間的な性格を有していた.以上のことから,「加賀野菜」として統一されたブランドが構築される一方で,作物の特徴によってブランド化の意義は異なる様相を呈し,金沢市という都市近郊の小規模な農業産地の存続に様々な役割を果たしていた.
著者
福岡 義隆 松本 太 白敷 幸子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.15, 2005

1.はじめに都市の温暖化を緩和することは昨今の温暖化対策上でも火急の課題となっている。温暖化対策の一つである緑化として公園や街路樹などがあるが、それらを合計してもわが国の都市の緑地率は、欧米にくらべて極めて低い。緑地がどのくらい必要なのか、都市の発展を維持しながらの最適規模の緑化率を求め、それを目標に対策を講じねばならない。 通常の緑化空間の急速な拡充・改善が望めない現状においては、「屋上緑化」や「壁面緑化」という特殊空間緑化政策が国や自治体で推進されつつあるが、その実態と効果についての基礎的な研究は国内外ともに極めて少ない。都市内緑地の多い欧米でも殆どない。そこで、本研究では「さいたま新都心」駅前に建設された屋上緑地「けやきひろば」(欅広場)を屋上緑化施設とみなして、その温暖化への緩和効果を微気象学的に把握することを一つの目的としている。けやきの森が有するであろう気象緩和効果と、それに伴う階下の温熱環境への影響などについて、気温・湿度の分布状態や、樹冠部での熱収支・水収支のメカニズムなどから定量的に把握する。2.研究方法「けやきひろば」は埼玉県さいたま市の「さいたま新都心」JR駅わきサッカー場さいたまアリーナ前に、2000年に造られた大規な屋上緑化施設(植栽は2001年2月完成)の一種である。面積約10,200_m2_(おおよそ100mx100m)で、樹高約10mのケヤキが220本植栽されている。直下の1階は商店飲食店街および室内的ガーデンなどが混在し、地下1階は駐車場となっている。「けやきひろば」における屋上緑化効果の研究については、2001年から2004年にかけて、3年間、夏秋冬春の各季節に1昼夜(24時間)、気温・湿度・風などの微気象の予備観測を行ってきた。2005年から2007年にかけて本調査を実施し、併せてサーモトレーサによる熱画像撮影(NEC三栄)も始めている。予備調査では「けやきひろば」における30箇所での気温・湿度の分布状態に加え、周辺の気温分布、夏季においては1階(この「けやきひろば」直下)における7箇所での気温・湿度などとの関係を比較考察し、おおよその緑化効果が予測できた.3.研究結果(1)これまでの傾向では、特に夏季は屋上の芝生の広場にくらべ樹下が低温で、階下は更に低くなり、早朝は丁度逆になることも分かった。(2)けやき広場と周辺の気温差については2005年夏秋冬の観測結果の一部から、図1及び図2のように明らかに屋上緑化である「けやき広場」は周辺より0.1_から_1.7℃低温であることが示された。(3)サーモトレーサによる熱画像でみると、真夏(8月)の例では、けやき林の樹下で約35℃、樹間で37_から_38℃、樹幹部で約40℃、ビル屋上のコンクリート表面は40_から_44℃であった。
著者
香川 雄一 岡島 早希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1.はじめに<b> </b>航空輸送は迅速性に優れた輸送手段であるが、航空機が発着する空港周辺地域においては、航空機による騒音問題が発生している。我が国では、大阪国際空港や米軍基地に関する騒音訴訟が周辺住民によって提起されてきた。こうした地域を対象とした研究は数多くみられる一方で、航空機騒音が発生しながら、これまであまり注目されてこなかった地域も存在している。 現在、航空機の低騒音化が進み、発生源対策は大きな改善がみられる。そのため、今後は住宅防音工事をはじめとした空港周辺対策の重要性が増していくと考えられる。そこで本研究では、名古屋飛行場周辺住民による航空機騒音に対する意識を明らかにし、今後の空港周辺対策における課題を明らかにしていく。本研究の意義は、空港周辺自治体の参考となることと航空機騒音問題の解決に寄与することである。<br>2.研究方法 まず、予備調査により把握した全国の空港周辺自治体に対し、空港周辺対策の実態等に関するアンケート調査を実施した。次に、名古屋飛行場の周辺住民を対象としたアンケート調査を行った。調査票は、騒音対策区域に含まれる区域内の地域と、それ以外の区域外の地域に分けて配布した。この調査結果をもとに、クロス集計やGISを用いた分析を行った。その結果から、名古屋飛行場に関する空港周辺対策の改善策を提案する。<br>3.結果及び考察 全国の空港周辺自治体を対象としたアンケート調査では、航空機騒音に係る環境基準の達成状況は改善傾向であることがわかった。しかし、航空自衛隊基地の周辺など、一部の地域では騒音に対する苦情も寄せられており、地域差がうかがえた。名古屋飛行場の周辺住民を対象に行ったアンケート調査結果をクロス集計したところ、区域内外とも、航空機騒音に対してうるさいと感じる住民が多く存在することを把握した。中部国際空港開設に伴う、2005年の県営化によって民間機の発着数が減少した後も、主に自衛隊機による騒音被害が発生していることがうかがえた。また、航空機騒音への問題意識に関してGISを用いて地図化したところ、飛行ルート直下の地域では区域内だけでなく区域外においても騒音への被害意識が高いことがわかった。住宅防音工事等の助成を受けるには、対象区域や築年数などの条件を満たさなければならないため、施工を断念する住民も存在する。さらに、施工後の修理に困っている住民もおり、継続的な対応の充実が望まれる。空港周辺対策に関する認知度は、全体的にかなり高い結果となったが、若い世代や居住年数が短い住民を中心にやや低い傾向をみせた。本調査の結果により、名古屋飛行場の空港周辺対策の改善策として、防音工事等の助成を受けられる条件の緩和と工事後も補助の充実が望まれる。県営化によって対象区域が縮小されたが、現在においても住宅防音工事をはじめとする空港周辺対策の必要は高いと推測される。また、空港周辺対策に関して周知を行い、住民の関心を高めることも必要である。空港周辺地域においては経済的な利点も存在するが、航空機騒音に悩む住民が存在することを忘れてはならない。今後も、地域住民と空港が共生していくための対策が必要である。
著者
安達 常将
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.81, 2004

本発表は,今まであまり注目されてこなかった「深夜バス」に焦点を当てたものである.社会経済的視点からバスを分析した地理学的研究には,従来から過疎地域のバスや高速バスを扱った研究があり,最近ではコミュニティバスに関する研究も増えている.しかし,大都市圏郊外の路線バスを対象とした研究は比較的少なく,特に本発表が対象とした「深夜バス」に関するものはほとんど存在しないといえる.<br><br> ここでは「深夜バス」という語を,深夜路線バスと深夜急行バスを合わせたものと定義する.前者は,23時以降に郊外の主要駅と住宅地を結ぶ運賃倍額のバスで,鉄道からの乗り換え客が利用の大半を占める.後者は,終電後に都心のターミナル駅と郊外を結ぶバスで,終電に乗れなかった人達が輸送の対象となる.したがって,深夜において一定以上の交通需要が発生する区間で運行される点で両者は共通するものの,バスとしての性格には相違が見られる.この点に注意しつつ,「深夜バス」の発達過程を追い,深夜における交通需要の変化とその社会背景を明らかにしていきたい.<br><br> 対象地域は「深夜バス」が最も発達している南関東1都3県とした.国土交通省関東運輸局に「深夜バス」運行事業者を問い合わせの上,各事業者に対し,各系統の起終点・キロ程・ダイヤ・運行開始年月日・利用者層に関するアンケートを行った.さらに,一部の事業者に対しては聞き取りも実施した.その結果,以下のことが明らかとなった.<br><br> 実質的な「深夜バス」の誕生は,1971年に東武が運行を開始した上尾駅から西上尾第一団地までの路線である.ここには行政からの強い要請があった.23時以降の運賃倍額徴収制度もこのとき設けられたものである.大規模住宅団地が郊外で造営され,通勤が長距離化する一方で,深夜における郊外駅からの公共交通の確保が課題となっていたことが背景にある.<br><br> 本格的に「深夜バス」が発達するのは,1980年代後半からである.これは社会の夜型化を反映するものと推測され,バブル期に系統数が急増した.ピークの1989年には,最多の44系統が新設されるとともに,深夜急行バスが初めて登場した.バブル期は,深夜における郊外からの公共交通だけでなく,郊外への公共交通も不足していたのである.<br><br> しかし,バブル崩壊に伴い,「深夜バス」も縮小に転じる.深夜急行バスでは路線の統合や廃止が相次ぎ,深夜路線バスでは運行本数の減少や終車時刻の繰上げが行われた.バブル崩壊以降の1990年代を通し,深夜急行バスの新設はほとんどなく,深夜路線バスも開設ペースが鈍化し,東京都心から近距離の補完的な開設が目立った.<br><br> 再びこの状況が変化するのは2000年以降である.2003年に開設された深夜路線バスの系統数は20に達し,バブル期以来の数字を記録した.つまり,現在再び「深夜バス」に対する需要が高まっていることを指摘できる.運行事業者の話によると,「深夜バス」は,残業帰りの足としての安価な交通機関として人気があり,長引く不景気が「深夜バス」の発達を助長している.バブル期に比べ深夜時間帯における全体の交通需要は少ないものの,安価な交通機関としてシェアを拡大していることが,近年の発達につながっていると考えることができる.<br><br> 本発表は,主にマクロな視点に立ったものであったが,「深夜バス」の発達過程を明らかにする上で,今後はミクロな視点に立った分析も必要であろう.<br> <br>
著者
安田 正次 沖津 進
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.12, pp.709-719, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
1 4

上越山地平ヶ岳頂上部の湿原において乾燥化に伴う非湿原植物の侵入を明らかにするため,湿原とその周囲の植生分布を調査した.湿原の境界域にはハイマッとチシマザサが分布し,それらは湿原に侵入していた.まずハイマッが湿原内に侵入し,それがその後にチシマザサが侵入可能な環境を形成すると推察された.チシマザサは湿原の乾燥化を助長させていると考えられた.以上から,湿原に侵入したハイマッは後にチシマザサなどの植物に生育場所を奪われる先駆的植物と推定された.同時にチシマザサの侵入により非湿原植物の侵入がさらに進むと推測された.
著者
中澤 高志 川口 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.12, pp.685-708, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
61
被引用文献数
2 4

本稿では長野県出身の東京大都市圏居住世帯に対して行ったアンケート調査に基づき,ライフコース概念を取り入れて,地方出身者世帯の大都市圏内での住居経歴を分析する.住居経歴は40歳世代, 50歳世代, 60歳世代の三つの世代について収集し,住居経歴の終点が特定の地域に収敏することのない発地分散的データであるという特徴を持つ.大都市圏内の住居移動に関する一般的特徴の多くは世代を超えて安定しており,結婚後の住居移動回数はおおむね1~2回で, 20歳代後半から30歳代前半の時期に住居移動の頻度がピークに達する.世帯が持家の取得を目標とすることは世代を通じて揺るぎないが,持家を取得する時期は住宅市場の動向に左右され,取得する持家の形態も戸建住宅から集合住宅へと世代を追って急速に変化した.住居移動の空間的特徴は,短距離移動,セクター移動,外向移動が卓越していることであり,これらは郊外に向かう跳躍的移動と従前の居住地の周辺で行われる短距離の移動に大別される.世帯の持家取得欲求は大都市圏の同心円的な地価水準の下で実現されるため,外向移動はとりわけ持家を取得する移動に典型的にみられ,結果として居住の郊外化が大きく進展する.すなわち家族段階の発達とそれに伴う住居形態の変化という住居経歴の時間的軌跡は,住宅市場の動向に代表される社会経済的背景と大都市圏の同心円構造を反映した空間的軌跡として現出するのであり,それ自身が大都市圏を外延化させる原動力となっていた.
著者
斎藤 功 仁平 尊明 二村 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.12, pp.661-684, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43

本稿は,アメリカ合衆国の冬小麦地帯の中央にあるカンザス州を事例として,エレベーター社の競合と系列化に注目しながら,グレインエレベーターの地域的展開の様相を時間・空間的に明らかにした.カンザス州では,鉄道の西進に伴って19世紀後半からグレインエレベーターが建設された.エレベーター社は穀物を購入するだけでなく,農業資材や日用品を販売することによって,農家との密接な関係を保った.しかし,農協や製粉会社など,郡域の農家から穀物を集荷する地方のエレベーター社は,吸収・合併を繰り返したたあ,現在に至るまで同じ社名で存続しているのはわずかである. 1950年代後半以降,フリントヒルズ西端の旧チザムトレイルに沿った,鉄道路線の集まる都市で,ターミナルエレベーターが建設された.これは,地方のカントリーエレベーターから穀物を集荷し,国内外に出荷するための巨大エレベーターである.コーリンウッド社やガーヴェイ社は,ターミナルエレベーターを建設したり,地方のエレベーターを購入したりすることで,広域的な集荷圏を持っエレベーター社に発展した.しかし, 1980年代以降,これらのターミナルエレベーターは,カーギル社やADM社などの穀物メジャーによって次々と買収された.このように,世界の穀物市場を支配している合衆国の穀物メジャーは,郡レベルで始まったエレベーター社の競合の結果,広域的に展開したエレベーター社を系列下に収めることによって,最終的に穀物の集荷地盤を垂直的に統合 したのである.
著者
水田 良幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.要旨<br>&nbsp; 国土地理院では ,これまで ,国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として ,地名を図 に表記することで多くの地名を扱ってきた に表記することで多くの地名を扱ってきた .また ,国際的な枠組みで ある国連地名標準化 会議 に 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するとも,地名のローマ字表記や 英語表記などの地名 の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる 基準 ,地 名集の作成など名表記の標準化に資する取り組みを行ってきた 表記の標準化に資する取り組みを行ってきた .本稿では ,これら の 地名に関する 国土理院の取り組みついて報告地名に関する 国土理院の取り組みついて報告する.<br><br> 2.国土地理院の取り組みの概要<br>2.1地名の図表<br>国土地理院では,2万5千分1地形図をはじめとした国の基本図を整備しており,基本図の重要な構成要素として行政名,居住地名,自然地名等の地名を地図に表記している.行政名,居住地名については,地方自治法や住居表示に関する法律などの法律に基づき定められた名称を地図に記載する.一方,多くの自然地名については,地名そのものを決定する仕組みや基づく法律が基本的にはないため,地元で呼び習わされている名称を地元自治体に調査・確認して地図に記載している.山名などで複数の地域,自治体に跨る場合には,関連する自治体に調査,確認をし,場合によっては自治体間での調整を経て地図に表記している.なお,複数の名称が存在する場合には,地図上で併記するなどの対応をとる.また,自然地名については,国土地理院が作成する地図(陸図)と海上保安庁が作成する地図(海図)で統一した地名表記を行うための協議会を昭和37年に設置し,両図の地名表記の統一を図っている.現在,国土地理院の地図において居住地名と自然地名をあわせて約42万件の地名が記載されている.<br><br> 2.2国連地名標準化会議<br>地名の標準化に関する国際的な枠組みとして,1967年から国連地名標準化会議が開催され,国土地理院は1971年の第2回会議から参加している.5年ごとに開催される国連地名標準化会議の他,2年に一度開催される国連地名専門家会合にも参加しており,日本の地名の現状や国土地理院の地名に関する取り組みを報告している.<br><br> 2.3 地図に記載する地名表記に関する基準の作成<br>国際化の進展や訪日外国人の増加に伴い,国土地理院では地図に記載する地名表記の基準の作成に取り組んでいる.具体的には,地名等のローマ字表記や英語表記ルールの作成である.地名の英語表記ルールは,2020年の東京オリンピック・パラリンピックの円滑な開催,観光先進国実現のため,訪日外国人にわかりやすい地図作成ルール化の一環として,有識者を交えて検討した結果を踏まえて作成したものであり,平成27年3月に公表している.地名等の英語表記ルールは,今後国土地理院が作成する英語版地図に適用するとともに,公共測量作業規程の準則に組み込み,地方公共団体,民間の地図会社等にも普及を図っている.また,ローマ字表記の原則,地名等の英語表記ルールについては,国連地名標準化会議において,地名表記の標準化に関する取り組みとして報告している.<br><br> 3.まとめ<br>国土地理院では,国の地図作成機関として,多くの地名を地図に表記している.特に自然地名については,地元で使われている地名,呼称を関係する地元自治体に調査・確認・調整を行い,地図に表記している.地図の表記に関しては,海上保安庁と連携し,地名表記の標準化にも取り組んできた.また,国際化の流れの中で,ローマ字表記,英語表記の基準の作成など,外国人や海外に向けた取り組みを行っている.特に近年急増する訪日外国人に対して,外国人にわかりやすい地名表記を普及させることは喫緊の課題である.<br><br><br><br>
著者
櫛引 素夫 西山 弘泰
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1.はじめに</b><br> 青森大学は2013年から、立地する青森市・幸畑地域を対象に、交流をベースとした教育・研究・地域貢献活動「幸畑プロジェクト」を展開してきた。特に幸畑団地(人口約4,500人、約2,300世帯)との協働に基づく住民ニーズに応じた空き家調査、住民主体の空き家活用の試行などが進展、転入の実態も明らかになった。成果の一部は2014~2018年の日本地理学会、東北地理学会で報告した。<br> 本研究では5年間の活動を総括し、幸畑団地の空き家発生から再利用・住宅新築に至るプロセスを分析するとともに、空き家をめぐる課題や調査活動について、①地域社会における位置づけ、②大学が果たすべき役割、③地域の将来像の検討と構築に大学や地理学はどう関わり得るか、といった観点から考察する。<br><br><b>2.幸畑プロジェクトの進展</b><br> 幸畑団地は、青森市がコンパクトシティ政策で脚光を浴びた2000年代に、高齢者の街なか居住や子育て世代との「住み替え」のモデル地域として各種施策が進められた。しかし、その結果、皮肉にも「衰退する郊外の象徴」という意識が青森市内や地元に浸透、2013年ごろには住民自身も人口減少や空き家増加に危機感と不安を抱いていた。<br> 発表者は、団地内で空き家の悉皆調査を初めて実施するとともに、住民への報告会を企画した。一連の過程で地域や大学と情報・認識の共有がなされ、さまざまな協働の起点ができた。2014年には青森大学を交えて幸畑団地地区まちづくり協議会が発足し、その後、空き家活用試行や「お試し移住」体験に取り組んだ。<br><br><b>3.経緯と成果</b><br> 空き家調査を端緒として、定期的に幸畑団地を調べ、結果を住民、市内の行政・不動産関係者らと検討する仕組みが整った。調査は常にまちづくり協議会と大学との共同作業として設計、実施し、信頼関係の深化や住民の主体性構築を重視した。2016年には地元町会と学生が合同で新規転入者の調査票調査を実施し、県内の多様な地域から住民が集まっている状況を把握できた。<br> 2018年に5年ぶり2回目の悉皆調査を実施した結果、過去の調査と併せて、①人口減少と高齢化は市平均を上回るペースで進行している、②にもかかわらず住宅の新築が進み、5年で120軒前後が新築された可能性がある、③空き家や空き地を再利用して住宅を新築した事例が多数存在する、④最大要因は安い地価と乗用車2台以上を置ける敷地の広さである、⑤新築を含め、地区によっては年に1割程度の住民が借家を中心に入れ替わっている、⑥子育て世代を中心に住宅新築を伴う転入が続いており、30年後を視野に入れた地域運営の検討が急務である、といった状況が明らかになった。<br> 空き家は、単身・夫婦の高齢者の入院や遠方の子どもによる引き取りなどによって発生するが、配偶者との死別後、空き家に戻り再居住を始めた住民も確認された。また、新築・リフォームに伴う転入者は①幸畑団地で育って転出後、親の近くへ転入、②市内の他地域出身者が転入、③市外出身者が転入、といったケースがあることが分かった。<br> 青森大学は地域との接点を持たず卒業する学生が少なくなかったが、近年は地域貢献演習などのカリキュラムが充実、地域が協働対象として定着している。<br><br><b>4.展望</b><br> 空き家問題は「地域住民がどこまで関与するか、できるか」が大きな焦点となる。危険空き家が発生してしまえば、法的・技術的には、一般住民の手が届きにくい。しかし、空き家発生につながる可能性が高い高齢者世帯などを対象に、事前に周囲と対応を相談する仕組みをつくるなどの対策を講じれば、発生抑止が期待できる。地域の見守り活動などと絡め、空き家やその前段階の家屋の活用・維持を考えていく上で、「空き家問題を地域として受け止め、考える」機運の醸成は重要である。<br>幸畑団地の空き家が減少しているとはいえ、幸畑プロジェクトそのものが「物件としての空き家の解消」「空き家の継続的活用」につながっているわけではない。コミュニティ衰退に伴う課題も山積している。それでも、空き家問題への取り組みは地域の実情把握や意識変革、協働の起点となった。幸畑地域は現在、青森市全体の将来像を考える人々の拠点となりつつあり、市域をカバーする「地域メディア」づくりが、幸畑を中心に始まっている。また、筆者らが2018年12月に青森大学で開催した「幸畑団地居住フォーラム」では、出席者から、空き家調査・対策にとどまらず、地域と大学の協働をベースに、学生も主役とした、創造的な〝攻め〟の地域づくりを期待する提案がなされた。<br>「物件としての空き家問題」を超えた持続可能な地域づくりに向けて大学の役割は重要である。また、時間・空間と「人の生き方」を軸に、地域に併走できる地理学には、大きな優位性と使命があると結論づけられよう。<br>(JSPS科研費15H03276・由井義通研究代表)
著者
佐野 誠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

近年、人口減少や高齢化に伴い高齢者の移動について問題になっている。「高齢者生活意識調査」(2014)によれば、高齢者の13%が「外出時」に困難を感じているとされる。特に大都市郊外では、免許保有率が低く買い物や通院をするためには公共交通機関を用いる必要性がある。<br><br>横浜市をはじめとする東京大都市圏郊外では、起伏の激しい地形を切り開き開発がすすめられた地域が多く、高齢化の進展とともに行動に関する問題が顕在化しており、適正な行政の負担による公共交通空白地の解消が課題となっている。<br><br>地域住民にとって移動コストの軽減をいかに図るかが、高齢化の進む地域における公共交通導入に向けた取り組みに結びついていると考えられる。<br><br>横浜市では2007年度末までに人口の88.4%が駅まで15分以内に到達できるようになったとされるものの、それ以降においてもバス路線の開設や改善を求める地域が存在している。そこで本研究では、横浜市の政策が転換した2007年時点の交通空白地分析を行い、交通問題を抱える地域を把握する。このことから、地方部とは異なる都市部の交通問題を明らかにすることを目的とする。<br><br>また、これら空白地域を含め地域交通が導入された地域において、どのような経緯で導入されたのか、またどのような主体によって開設されたのかについて明らかにする。<br><br>まず、交通空白地を選定するにあたり、GISを用いて交通不便地域を選定する。既存の交通空白地帯の研究ではバス停または駅からの直線距離を用いられているが、実際に歩行することを考慮し、総務省統計局が公開している「地図で見る統計」とフリーGISソフト「QGIS」を活用し、道路線データを用いたネットワーク分析を行う。徒歩で到達できるエリア(4㎞/hとし、駅から1㎞=15分、バス停から500m≒8分)に含まれない地域に居住する人口を、250mメッシュデータを用いて分析する。人口のメッシュデータは総務省統計局、駅とバス停情報は国土数値情報で公開されているものを用いる。また、明らかになった地域において路線バスなどの導入状況を、事業者やバスマップ、新聞記事や聞き取り調査などから明らかにする。<br><br><br>既存の方法では横浜市域の人口集中地域において、ほぼ交通不便地域は解消されているものと考えられていたが、金沢区や瀬谷区、緑区、旭区などにおいて線路や崖線によってアクセスが困難な地域が明らかになった。<br><br>これらの地域においては事業者による路線開設のほかにも、横浜市の「地域交通サポート事業」を受けて路線を開設したケースも見受けられた。<br><br>開設が確認できた地域のうち、調査が可能であった地域について導入経緯を調査した結果、地域住民からの要望を自治会・町内会がとりまとめ行政・事業者へ要望をしたことが明らかになった。中には、地域が誘致したもの利用がつかず、廃止議論が出てから利用が活性化するケースもあり、地域による議論の盛り上がりが路線開設に重要な役割があるものと考えられる。
著者
板垣 武尊
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

長期かつ経済的な旅行を志向するバックパッカー(以下BP)は,目的地に滞在する際には低廉な宿泊施設を利用する.その結果,観光地や交通の結節点となる大都市には,バックパッカー・エンクレーブと称される安宿街が形成されてきた.ところが,近年ではBP自体が大きく変わりつつあり,高級志向でインターネットの宿泊施設予約サイトやSNSを好むフラッシュパッカー(以下FP)が出現した(Molz and Paris 2015).また,新たな動向として中国人BPも存在感を増しており,その特徴には,旅行期間が短いこと,SNSで旅行の同行者を募り集団で行動して旅行費用を削減すること,旅の出会いを求めることなどが挙げられる(Luo et al 2015).<br> このように,時には高級志向で,インターネットを好むFPの出現に伴い,BP向け宿泊施設においても,対応する設備やサービスが求められるようになってきた.Musa and Thirumoorthi(2011)やHiransomboon(2012)によれば,BP向け宿泊施設の評価基準は,立地,設備,従業員の性格,清潔さ,オンライン予約の可否,情報(旅行ガイドブック,予約サイト,友人からの推薦),予算,割引の有無などが挙げられる.また,SIMフリー・Wi-Fiの普及,オンライン予約サイトの発達などによって,バンコクにおけるBP向け宿泊施設の立地傾向は,バックパッカー・エンクレーブであるカオサンロードへの一極集中から,地下鉄とスカイトレインの沿線に拡大したことが報告されている(Hiransomboon 2012).<br> 中国雲南省元陽の観光資源は,2013年に世界遺産に登録された棚田とそれを耕作するハニ族の民族文化である.元陽は1992年に外国人に開放されると,経済活動の中心地である新街鎮のバスターミナル沿いに外国人BP向けの安価な宿泊施設が集積した.2013年以降は,マスツーリストに加えてBPが増加し,有料展望台と観光村が設置されている多依樹にFP向け宿泊施設が集積した(板垣 2017).本研究では,オンライン予約サイト上の口コミを収集し,2013年以降多依樹に増加したFP向け宿泊施設の評価を分析する.<br> 2016年1月現在,多依樹における宿泊施設は,個人マスツーリスト向けが元坪道路沿いに,FP向けが集落(普高老寨14軒,黄草嶺3軒)に集積している.普高老寨のFP向け宿泊施設は,集落入り口(7軒),集落内部(2軒),集落内棚田眼前(5軒)の3ヶ所に立地している.これらの立地の違いは,客室からの棚田眺望に関わる.黄草嶺のFP向け宿泊施設は全て集落内の棚田眼前に立地している.<br> 現地調査は,2009年8月,2011年2~3月と8~9月,2014年5~7月,2015年12月~2016年1月に行った.宿泊施設および観光施設の分布,土地利用(新街鎮・多依樹)を把握するために,歩測およびGoogle Earth衛星画像,旧ソ連製10万分の1地形図「ЮАНЬЯН」(1978年発行),百度地図の判読を行った.<br> オンライン予約サイトの口コミの分析には,テキストマイニングソフトであるKH Coderを利用した.多依樹におけるFP向け宿泊施設では2017年8月までに,主要予約サイトであるtrip advisor,Agoda,Booking.comのいずれかの829件の口コミがあり,英語で書かれた488件を分析した.次に,中国の主要予約サイトであるCtrip(携程旅行网)の中国語口コミ1,106件を分析した.口コミは予約サイトごとの評価項目によって点数化されるため,全ての評価,高評価,低評価の3種に分類し,それぞれの抽出語と出現頻度を把握した.そして,抽出語のつながりを分析するため,共起ネットワーク図を作成した.<br> 多依樹におけるFP向け宿泊施設の口コミ数および点数は,英語と中国語で大きく異なる.<br> 英語と中国語ともに,出現頻度が高い抽出語は,経営者,客室,観光資源,立地,サービスに分類できる.経営者は,英語と中国語ともに人柄やホスピタリティーに関する抽出語が共起された.さらに英語の口コミでは,英語力が共起された.客室に関する抽出語は,英語と中国語とに清潔さと展望が共起された.観光資源に関する抽出語は,英語の場合は棚田,村落,部屋からの展望が共起され,中国語では棚田に加えて有料展望台,日の出,多依樹,景区などが共起された.これは中国人と外国人の棚田観光の違いが浮かび上がったと考えられる.サービスでは,英語と中国語ともに食事が共起された.<br> このように,多依樹におけるFP向け宿泊施設では,経営者の人柄,客室の清潔さと棚田眺望,食事の質が重要である.加えて,経営者および従業員の英語力の差によって,外国人と中国人が棲み分けられている.
著者
平 篤志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.20, 2003

本稿の目的は,フランス・ドイツ・スイス国境地帯に位置するアルザス地域における多国籍企業の立地展開の特徴を地域経済の動向と関連づけながら解明することである.まず,当該地域における多国籍企業の立地パターンと属性について説明し,次に多国籍企業による直接投資と当該地域の社会経済的変化との関係について分析を試みる.研究方法として,既存の資料・文献類を分析したほか,聞き取り調査と資料収集を中心とした現地調査を2002年7月に実施した. アルザス地域は,西側で接するロレーヌ地域とともに,古くから交通・交易の要衝であり,また近代工業の成長とともにカリに代表される地下資源の存在が注目されるにおよび,過去において仏独間で当該地域獲得のための戦争が繰り返されてきたところである.アルザス地域は,農畜産物によっても知られるが,18世紀にヴォージュ地方で興った綿工業が端緒となり,フランス有数の繊維工業地帯となった.さらに,ライン川沿岸には,金属,化学,機械,電機などの工業が立地し,製造業は今日においても地域経済の中で重要な地位を占めている.アルザス地域は現在,EU統合が進行する中,EU中軸地帯としての地理的位置を獲得し,国境を接するドイツ・スイス側地域との連携を強めながらさらなる発展を目指している. アルザス地域のこのような地理的位置と工業的基礎および高水準の労働力の存在は,多くの多国籍企業の立地をもたらした.当該地域における多国籍企業の立地は,1950年代のドイツ系企業に始まる.1999年時点において,当該地域には482社(全国比率5.3%)の多国籍企業(外資出資比率50%超)が進出している.その過半数(63%)が,ストラスブールを中心とする北部のバ・ラン県に立地している.業種別にみると,機械および化学工業を主体とする製造業が直接投資の中心であるが,サービス業に従事する多国籍企業も増加しつつある. これら多国籍企業は,地域内の雇用創出に貢献している.多国籍企業の全従業員数は,アルザス地域の民間企業従業員総数の4割を超え,雇用創出数ではフランス国内地域別で第3位である.多国籍企業の中では,EU系の,中でもドイツ系企業が多くの労働者(2.2万人,39%)を雇用している.つづいて,アメリカ合衆国系企業(1.4万人),そしてスイス系企業(8,000人)が重要な雇用者である.日系企業は,自動車,電気機器関連の企業が進出しており,全体の雇用者数は約3,000人である. アルザス地域のこれからの課題は,国境をまたいだドイツおよびスイスの周辺地域との連携をさらに密接なものとしつつ,EU圏外からも外資導入を積極的に進めながら,EU中軸地帯に位置する地理的優位性を最大限に生かした成長戦略を策定し,実行に移していくことである.