著者
松本 裕行
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100350, 2017 (Released:2017-05-03)

2015(平成27)年は,戦後70年としてアジア・太平洋戦争の終結前後における日本の史実についての活発な議論が行われた.占領期日本の空間社会的変容は,戦後日本の歩みと現代日本の立ち位置を知る上では重要である.米軍進駐により接収された土地や建物,いわゆる接収不動産は「占領」という影響を多大に受けた対象であった.これまで,占領軍専用住宅の概要や(商工省工芸指導所1948),その建設方法と生活用品の仕様に関する分析(小泉ほか 1999),既存の一般住宅の接収に関する東京や京都を対象とした調査がなされてきた.また,接収にともなう改修工事の実例とその特徴,生活設備の産業技術的な側面に焦点を当てた調査も進められた(松本 2014・2016). 接収不動産をめぐる占領軍の意図や生活環境の日米の差異と戦後日本への影響などといった事柄は,今後も検討されるべき余地が残されており,接収不動産の実態をより精査することも,占領下の日本社会に与えられた影響の一端を明らかにできるものと考えられる. 本発表では,一次資料を重点的に調査して実証的分析を進めてきた中で,これまで具体化されてこなかった占領期大阪の接収不動産に関する総合的な調査結果と,今後の研究展望について報告するものである.

1 0 0 0 OA 学界消息

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.20, no.4, pp.218, 1944-05-01 (Released:2008-12-24)
著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

南米北部では、19世紀初め頃フンボルトがクロノメーターと天文観測で経緯度を定め学術目的で独立に地図を作成したが、アグスチン・コダッシは1826-1859年に南米北部に滞在し、独立後間もない地元政府の委託を受けてフンボルトの成果を活用し補測して全国的な地誌資料と小縮尺地図作成を行った。<br> 彼は1793年7月イタリア北部ルゴで生まれた。1810年7月イタリア王国軍に志願、パヴィアの砲兵理論実習学校で学んだ。この学校は1803年設立、砲兵術工兵術及びその基礎科目、数学、測量学、設計製図を教育訓練した。<br> 1826年南米北部グラン・コロンビアにわたり、マラカイボの州の砲兵隊長として海岸防衛のため地図を作成提出した。<br> 1830年グラン・コロンビアはベネズエラ、ヌエバグラナダ、エクアドルに分裂。ベネズエラ政府は全国地図作成を決定、その作業をコダッシに委託。1839年コダッシによる『ベネズエラ共和国自然政治アトラス』完成、説明文に人口94.5万と記載。翌年パリで印刷。パリ地理学協会、フランス科学アカデミーで好評。<br> 1849年ヌエバグラナダ大統領からの招きありボゴタに亡命。政府は全国の州ごとの地誌地図作成をコダッシに委託。1850年政府はこの作業の支援のため地誌委員会設置。地誌委員会はコダッシ委員長の下に1850年から1859年まで10回の測量調査遠征を実施。コダッシの地誌図が残されているが、10回目の遠征中、1859年2月未完のまま病没した。地誌委員会はコダッシの作業を継承編集し『コロンビア合衆国アトラス1865』にまとめた。<br> 人口、居住高度ほか自然人文条件が大いに異なるが、彼の活動は政府機関による全国的な地形図作成に先立つ個人指導によるものとして伊能忠敬と役割が似ているところがある。
著者
米家 泰作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

文化史や教育史,文学史,そして地理学から,近代日本のコロニアル・ツーリズムに関する研究が進んでいる。報告者は,植民地となった朝鮮半島や,それに準じる中国東北部(満洲)への旅行記の検討を踏まえて,前者が「過去の日本」として,そして後者が「帝国の前線」として体験されたことに,関心を寄せてきた。本報告では後者の点を検討すべく,20世紀前半の哈爾浜(哈爾賓)を取り上げる。<br> 日露戦争後,鮮満旅行が実業家や教育者の間で次第に盛んになったが,哈爾浜がその主要な訪問地となるのは1920年代半ば以降である。特に,「満洲国」が1932年に成立し,1935年に新京(長春)以北の北満鉄路(東清鉄道)をソ連から買収すると,多くの日本人旅行者にとって,哈爾浜は鮮満周遊の北端となった。1937年には哈爾浜観光協会が設立され,日本人旅行者への観光案内を主導した。<br> 日本人旅行者は,一方ではロシアの近代的な計画都市・哈爾浜を高く評価しつつも,ロシア(ソ連)への対抗を意識し,伊藤博文暗殺や日露戦争(諜報員銃殺)に関わる場所を積極的に訪問した。ロシアの影響力が失われた後も,ロシアが築いた教会や墓地,百貨店,レストランなどは,ヨーロッパ的な風景や情緒を体験できる場所として,観光コースに組み込まれた。さらに男性旅行者にとっては,歓楽街で接客するロシア人女性が,ヨーロッパへの憧憬をかきたてると同時に,ヨーロッパに対する優越感を与えてくれるアンビバレントな存在となっていった。<br> 近代日本の旅行者にとって,哈爾浜とは,ロシアとの帝国主義的な争いと、そこでの勝利を象徴する都市であり,「夜のハルピン」は歪んだオクシデンタリズムを掻き立てる場所となった。中国東北部の他の都市や地域の検討については,今後の課題としたい。
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.324-341, 2012
被引用文献数
1

本研究では,これまで十分な検討がなされてこなかった1940年代の国内人口移動の動向に関して,当時行われた人口調査と臨時国勢調査を使用してその動向を明らかにした.これらの調査は調査日が異なるものの,年齢が各歳の数え年で表章されており,コーホート分析が可能である.まず1944年時点では,兵役の影響で男子青壮年人口が極端に少ない特異な年齢構成を示す.都市部では若年男子人口が集積したが,その傾向は軍需産業の立地動向に影響を受けていた.終戦をはさむ1944~1945年にかけては,男子の兵役に関わる年齢層を除き,全年齢層にわたって都市部からの大規模な人口分散が起こった.大部分の人員疎開は縁故疎開であり,疎開先は戦前の人口移動の影響を受けた還流移動のかたちをとった.1945~1947年にかけての東京都と大阪府での人口回復は限定的で,疎開先にとどまった者が多い.その結果,東京都と大阪府では終戦をはさんで居住者がかなりの程度入れ替わった.
著者
遊佐 順和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100159, 2016 (Released:2016-11-09)

Ⅰ はじめに 2013年12月、日本人の伝統的な食文化である「和食;自然を尊重する日本人の心を表現した伝統的な社会習慣」は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関 UNESCO)より無形文化遺産として登録された。ユネスコ無形文化遺産の登録を受け、和食やそのベースとなる「だし」の魅力が、今改めてその価値を見直され、国内外で注目を集めている。和食は、米、豆類、魚、海藻などをもとに作られる一汁三菜を基本とし、ミネラルを豊富に含む昆布をはじめとする海藻の多用、豆類を発酵させた味噌などにより、栄養バランスに優れた健康的な食生活をもたらす。昆布は、だしを利かせた調理法により独自の郷土料理を生み、各地で年中行事とも深い関わりを有し地域に根ざす「食」を育むための一役を担い、日本の伝統的な食文化を支えている。昆布だしに含まれる「うま味」は、食材が有する本来の味を引き立て、さらにだしを利かせた調理により健康的な食生活を実現させている。「食」は人の心を強くつなぎ、「食」をとおした家族との絆や地域におけるコミュニティを育み、食文化を継承させる力を有する。こうしたことから、昆布は食文化と人々のつながりを醸成し、伝統文化を継承するために欠かせない存在だといえる。  だしの代表的存在の一つである昆布は、全国の9割以上が北海道で生産され、日本の伝統文化の変化と生存をつなげる重要な役割を担っている。北海道には主な食用の昆布として、真昆布、利尻昆布、羅臼昆布、日高昆布(三石昆布ともいう)、長昆布および細目昆布などの6種類がある。昆布は、産地の生育環境の違いから品種ごとに形状や食味が異なり、出荷先や調理用途も異なるなどの特徴がある。Ⅱ 問題の所在 北海道は、日本一の昆布の生産地であるが、その消費量は全国的に見て余り多くない。昆布は、富山県、福井県、京都府、大阪府や沖縄県などで、古くからだし利用や食用などにより多く消費され、これらの地域では何れも一世帯あたりの購入金額や消費量が大きいとともに、食利用において地域で継承される独自の伝統的な食文化を有する。 一方で、北海道では昆布の生産量が年々減少している。この背景には、天候や生育環境など自然環境の変化に加え、高齢化や後継者不足による昆布漁師の減少があげられる。産地における生産量の減少は、市場における昆布の販売価格を押し上げ、販売者や飲食店など利用者の商品確保に難しい状況を引き起こし、各地で昆布の消費にも大きく影響する。昆布の消費地では、生産地の昆布漁師の後継者不足により、供給量が減少することを危惧する声もある。 北海道内の各産地では、漁業後継者の確保や育成に向け、漁業後継者・新規就業者・就業希望者などに対する各種支援制度を設置し、漁師の減少を食い止めるための諸施策が実施されている。北海道宗谷管内の利尻島や礼文島では、自治体独自の支援制度のほか、自治体と漁業協同組合等の関係機関の協力に基づく漁業研修「漁師道」の実施により、町内のほか島外からも漁業就業希望者を迎え、実際の体験により漁業への理解を深め、移住を伴う外部人材を漁業従事者として育成するなど、漁業後継者の確保に努めている。 また、食生活の多様化により、一般家庭において昆布や鰹などからだしをとり調理することが減少する中で、昆布利用による効能や魅力をいかに効果的に発信するか検討することは、今後の需要喚起を考える上で重要となる。Ⅲ 今後の課題  生産地においては、昆布漁師の後継者を確保することにより昆布の安定供給の維持や品質保持および技術力を継承させるとともに、食育活動などを通して地域資源としての理解を促し、地域への矜持を醸成することが重要である。消費地においては、食育活動などをとおして昆布の効能や魅力に理解を促すとともに、地域と生産者を身近な存在に感じさせる関係性のもと、より深い関心や相互理解につなげるため、生産地との交流機会をもつことが必要である。付記 本研究は、日本学術振興会「課題設定による先導的人文学・社会学研究推進事業」実社会対応プログラム(公募型研究テーマ)「日本の昆布文化と道内生産地の経済社会の相互連関に関する研究」(研究代表者:齋藤貴之(星城大学)、研究期間:平成27年10月1日~平成30年9月30日)の成果の一部を使用している。
著者
北村 繁 エルナンデス ウォルテル プリンジャー カルロス マティアス オトニエル
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.100, 2007

<BR> コアテペケカルデラ(Lat. 13.87N, Long. 89.55W; 11.5 x 6.5 km)は中米北部にみられる5つの大規模カルデラ火山のひとつで、エルサルバドル共和国の首都・サンサルバドル市の西南西約40kmに位置している。これまで、3回の大規模噴火により、Bellavista, Arce, Congoとよばれる降下軽石および軽石流を、それぞれ77ka、72ka、および、56.9kaに生じたことが知られてきた(Pullinger, 1998; Rose, et al., 1999)。<BR> これらのうち、Bellavista降下軽石および軽石流は、カルデラ周辺にのみ分布が知られている。一方、Arce降下軽石は、エルサルバドル西部地域で見出される最も顕著な降下軽石層で、黒雲母と角閃石に富むため野外での認定が容易で、カルデラ周辺から西方一帯に広く堆積することが知られてきた。また、その下位には、グァテマラ南部~エルサルバドル西部に分布するHテフラ(84ka)が見出されている。Congo軽石流は、カルデラ周辺に厚く堆積しており、Congo降下軽石もカルデラから西方への分布が知られている。<BR> これに加えて、近年、Congo降下軽石より上位に、Atiqui- zaya降下軽石(kitamura, 2006)、および、Conacaste軽石流堆積物(Hernandez & Pullinger, 未公表資料)が見出された。従来、これらは、それぞれ、Congo降下軽石および軽石流堆積物の一部とみなされてきたが、Congo 降下軽石あるいは軽石流堆積物の上位に、明瞭なロームをはさんで堆積していること、最下部に桃白色の細粒火山灰(Turin火山灰)を伴っていることから、Congo降下軽石および軽石流堆積物と異なる噴火による堆積物であることが野外で認定できる。また、Atiquizaya降下軽石とConacaste軽石流堆積物は、それぞれ独立に見出されたが、上述したような層位的特徴からみて、両者は同じ噴火の産物であると考えられる。Congo降下軽石および軽石流堆積物、ならびに、Atiquizaya降下軽石およびConacaste軽石流堆積物は、いずれも角閃石と斜方輝石に富む。<BR> 一方、コアテペケカルデラの西北西150kmに位置するグァテマラ市周辺では、従来よりA1、および、A2テフラと呼ばれる火山灰が知られてきた(Koch & McLean、1975)。いずれも数cm程度までの厚さの白色細粒火山灰であるが、A1テフラは、黒雲母と角閃石に富み、A2テフラは、角閃石と斜方輝石に富む。A1テフラは、上述のHテフラの上位に、Cテフラをはさんで堆積しており、A2テフラは、A1テフラの上位に堆積している。また、A2テフラは、23kaとされるBテフラの下位に、Eテフラをはさんで堆積している。したがって、A1およびA2テフラは、コアテペケカルデラ起源のテフラと対比を検討すべき層位にある。<BR> 本研究では、コアテペケカルデラから20km程度までの地域、ならびに、グァテマラ市付近の数地点の露頭から試料を採取し、各テフラの火山ガラスの化学組成を比較することにより、対比を検討した。分析には、弘前大学理工学部地球環境学講座の波長分散型X線マイクロアナライザーを用い(加速電圧15kv、ビーム電流3x10<SUP>-9</SUP>A、ビーム径10μm)、ガラス片を10~30個程度分析して、平均と標準偏差をもとめた。<BR> 化学組成分析の結果、Congo降下軽石および軽石流堆積物と、Atiquizaya降下軽石およびConacaste軽石流堆積物については、互いに火山ガラスの化学組成が類似していることが判明した。一方、これらのテフラと、Arce降下軽石、Bellavista降下軽石および軽石流堆積物の火山ガラスの化学組成は、Harker図上で、互いに異なった分布を示すことから、明瞭に判別される。グァテマラ市周辺で知られてきたA1、A2テフラの火山ガラスの化学組成の分析結果をHarker図上で、これらと比較すると、A1テフラはArceテフラと、A2テフラは、Congo降下軽石・軽石流堆積物と、Atiquizaya降下軽石・Conacaste軽石流堆積物と類似した化学組成をもつことが判明した。<BR> 本研究で得られた化学組成、ならびに、従来より知られていた層位、鉱物組成からみて、A1テフラとArceテフラ、A2テフラとCongoテフラまたはAtiquizayaテフラは対比される可能性が極めて高い。すなわち、Arceテフラ、および、CongoまたはAtiquizayaテフラのいずれかは、約150km離れたGuatemala市まで到達していたとみられる。また、グァテマラのCテフラの年代は、約72ka以前で、Eテフラは、およそ57ka以降であるとみることができる。
著者
日野 正輝 丹羽 孝仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.47, 2010

1.研究の背景と目的<br> 東南アジアの都市化の様相は1980年代後半に大きく変化した(田坂,1998).小長谷(1997)は,その変化を過剰都市化から「FDI型新中間層都市」への移行と概念化した.McGee & Robinson(1995)は急速に膨張した首都圏域を指してMega Urban Regionと呼んだ.また,労働力移動に関しても,新規学卒者などのフォーマルセクターへの就業を内容とする人口流入が人口移動モデルのなかで大きく描かれてきた(松薗,1998).この傾向は,急増した外資系企業を含めた大都市のフォーマルセクターが求める人材は中等教育以上の学歴を持った若年層であって,農村部の既就業者でないことを示唆するものであった.<br>本研究は,タイの都市化の構造変化に関する上記した状況認識から,タイ北部の中心都市チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関を対象に新規学卒者の進路先調査を実施したものである.<br><br>2.調査地域および調査対象の概要<br>調査地域:チェンマイはタイ北部の中心都市である.2000年現在のチェンマイ郡の人口は238千人(2009年)である.同地域では卓越した規模を誇る.チェンマイの主要な都市機能は行政・教育,商業,観光業である.製造業の集積は小さい(遠藤,1991).調査方法:チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関として,中学・高校一体の中等教育機関3校,職業専門学校3校,大学5校を選び,訪問調査により入学者および新規卒業者の就職先等について聞取り調査を実施した.<br> 調査対象:中高校3校,職業教育学校3校(国立2校,私立1校),大学5校(国立4校,私立1校)<br><br>3.調査結果<br>_丸1_高校卒業生の大半が大学および職業専門学校への進学者であった.進学先は地元大学を強く指向している. <br>_丸2_タイでは,普通教育とともに職業教育ははやくから実施され,現在も中卒段階で5年制の職業専門学校に進学する生徒が多い.専門学校への入学者は一部に全国から生徒を集める私立学校があるが,国立の専門学校の場合は自県内からの進学者がほとんどである.専門学校の後期課程修了者の半数が主に地元の大学に編入学している._丸3_大学入試は基本的にはクォーター入試と一般入試からなる.前者は受験生を北部地域に限定して行われる.全入学者に占めるクォーター入試合格者の比率は大学によって異なる.卒業後の就業先地も,チェンマイ地域に就業する者が卓越する.ただし,大学評価の相対的に高いチェンマイ大学やメーチョ大学ではバンコク都市圏に就職する卒業生は相対的に多く,その点では部分的ではあるが卒業生をバンコク都市圏に送り出す働きをしていると言ってよい.外資系企業が立地する東部臨海地域にあるチョンブリ,ラヨン県にも就職している.<br><br>4. 調査結果の含意<br> バンコク大都市圏への人口集中に関連して,地方都市から進学目的による流入者が描かれてきたが,北タイの場合には,大学進学者の多くは地元の大学に進学し,バンコク都市圏に転出する比率は低い.大卒者の場合も,地元に留まる者が多かった点は,タイの若年人口の地域間移動を理解する上で留意しておく必要がある.加えて,現在タイは「産業構造の高度化に先行する高学歴社会の到来」の状況にあると言ってよい.そのためタイ社会にとっては今後高学歴者の雇用創出が課題になると同時に,低賃金労働部門での外国人労働力への依存が高まることが予想される.他方,日系企業を含めた外資企業においては,安価な若年労働力を大量に確保することは大都市圏のみならず地方においても困難になると予想される.<br><br>参考文献<br>遠藤 元(1991):北タイ,チェンマイ市の人口成長とその要因.経済地理学年報,37,201-224頁.<br>小長谷一之(1997):アジア都市経済と都市構造.季刊経済研究,20,61-89頁.<br>田坂敏雄編(1998):『アジアの大都市 1:バンコク』日本評論社,335頁.<br>松薗祐子(1998):就業構造と住民生活.田坂敏雄編『アジアの大都市 1:バンコク』日本評論社,191-209頁.<br>McGee, T. G. & Robinson, I. M. eds. (1995): The Mega Urban Regions of Southeast Asia, UBC Press.
著者
田邉 裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1 地名問題の現状<br><br>1967年以来、国連は国連地名標準化会議(UNCSGN)を開催し、国境領土の変動、少数民族文化の尊重、旧植民地の解放に伴って内生地名の外来地名に優先する原則を主導し、各国に地名標準化の行政機関の設置を勧告し、国連地名専門家会合(UNGEGN)を設置し、研究・勧告を続けている。世界の主要国は地名標準化委員会を持っているものの、日本には地名標準化の行政機関は存在しないため、日本学術会議ではその設置の提案を検討している。<br><br>国内の地名は国土地理院および海上保安庁が現地調査あるいは地方公共団体の申請を受けて、調整決定し、地図・海図に記載するものもあるが、事実上各地方自治体が歴史的地名として継承し、住居表示に関する法律、行政区画の変動、地域計画・開発によって、変更し決定する。各省庁は地名問題に独自に対応し、国家的な標準化を図る機関は存在しない。地名は国民全体の文化的歴史的共有財産であるにもかかわらず、地方自治体や私企業がその所有者のように振る舞い、命名権を行使する場合の地名表記に関わるガイドラインはない。<br><br>地名表記には漢字・ひらがな・カタカナ・Romajiなど、方式は多様であり、表記の標準化を図る機関の存在が欠如して、教育現場や観光への影響も大きい。加えて確立した唯一の呼称に別称を国際的に要求されることもあり、地名呼称の総合的管理が必要である。<br><br>外国の地名は慣例を除き現地読みが原則であるが、英語読みもあり、現語が当該国の公用語と異なる少数民族への対応は標準化されていない。漢字使用国以外はカタカナあるいはラテン文字表記であるが、中国地名は漢字・英語読みや広東語読みやピンインの仮名書きが不統一である。外国地名は、外務省の読みを多くの部局が採用しているが、標準化されているわけではなく、諸外国との交易に携わる私企業・出版界や教育界などが用いるものも統一されているとは言い難い。<br><br>2 具体的提案<br><br>(1)地名委員会(Japan Committee on Geographical Names)の設置<br><br>地名委員会を行政府内に設置することを提言する。同委員会は、国内地名と日本で用いる外国地名を統合管理(命名・改名・呼名・表記を含む)し、諸省庁・地方公共団体・民間などで地名を使用するガイドラインを作成し、地名表記と呼称とを標準化する行政の責任機関とする。また外国に対して日本の地名を周知し、外国語表記の標準化を進め、外国語を用いた国内地名の評価・指導、場合によっては廃止などの許認可を行い、対外的には地名ブランドの保護、日本海呼称問題など外国との地名呼称問題などに総合的に対応する。<br><br>(2) 地名専門家会議の設置<br><br>地名委員会の下に地名専門家会議を設置し、地理学・地図学・言語学・歴史学などの専門家や総務省(統計局を含む)・外務省・国土交通省(国土地理院・海上保安庁を含む)・文部科学省・防衛省などの関係省庁の協力を得て、ガイドラインの作成、国内外における地名収集を進め、その呼称と表記を研究し、学術的技術的分野を支援して、地名の教育・使用・標準化に関して国家として地名の最終的承認・廃止・改正を地名委員会に勧告する。<br><br>(3) 国際的対応の強化<br><br>国連地名標準化会議関連の諸会議及びIGU/ICA共同地名研究委員会など地名に関わる国際的諸会議に、関係機関と協力して多くの国々と同程度の数名の地名専門家を派遣し、世界の地名問題に対応する。特にUNGEGNへの専門家の派遣は必須である。<br><br>(4) 地名集(Gazetteer)の作成<br><br>諸外国ですでに出版されている地名集や歴史地名を含めたデータベースを日本でも作成し、国内では教育やジャーナリズムの分野で使用する地名を標準化し、国外には日本の地名の呼称・表記のガイドラインを提示して、地名の統合管理を行う。<br><br>(5) 地名委員会並びに地名専門家会議設置のための研究会の設置<br><br>以上の(1)〜(4)の実現のための準備作業を行う地名問題研究会を行政府内に設置し、喫緊の課題を処理する。
著者
平田 航 日下 博幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.119, 2011

<B>1.はじめに</B><BR> 「二つ玉低気圧型」は日本の代表的な気圧配置の一つで、日本各地に悪天をもたらし、大雨や強風などのシビア現象が起こりやすいことが知られている。<BR> 北畑(2010)は過去20年間の二つ玉低気圧事例を4つのタイプ(並進タイプ・日本海低気圧メインタイプ・南岸低気圧メインタイプ・分裂したように見えるタイプ)に分類し、形成過程における日本列島の影響を調査した。<BR> 他にも二つ玉低気圧に関する統計的研究や事例紹介はいくつか行われているが(Miller, 1946; 櫃間, 2006)、本格的な研究はほとんど行われておらず、二つ玉低気圧とシビア現象の関係は未だ明らかになっていない。<BR><BR><B>2.目的</B><BR> 二つ玉低気圧通過時における降水量・降水強度・風速・降雪の地域的特性について統計解析を行う。また、二つ玉低気圧のタイプ別や日本海低気圧・南岸低気圧との比較を行い、降水の実態を解明する。<BR><BR><B>3.使用データ</B><BR>・気象庁アジア太平洋地上天気図(ASAS)<BR>・AMeDASデータ(降水量の1時間値)<BR>・気象官署データ(風速・降雪の深さの1時間値)<BR><BR><B>4.解析手法</B><BR><B>4.1.二つ玉低気圧の統計解析</B><BR> 北畑(2010)が抽出した二つ玉低気圧解析対象事例10年分の並進タイプ・日本海低気圧メイン(以下、日本海Lメイン)タイプ・南岸低気圧メイン(以下、南岸Lメイン)タイプを使用した。また、比較のために、日本海低気圧事例・南岸低気圧事例を抽出した。<BR><B>4.1.1.事例毎の降水観測期間の設定</B><BR> 「降水観測期間」を定義し、地上天気図で判定。<BR><B>4.1.2.降水・最大風速・降雪の地域的特性の調査</B><BR> 総降水量、1時間・3時間降水量の極値、総降雪量、最大風速を地点毎に算出。<BR><B>4.1.3.全国の降水規模調査</B><BR> 事例毎の全国総降水量・降水観測地点数の調査。<BR><B>4.2.シビア現象を引き起こす環境場の考察</B><BR> 二つ玉低気圧の間隔・気圧下降量などに着目。<BR><BR><B>5.結論</B><BR> 二つ玉低気圧通過に伴う降水は日本の南岸や北陸で強いが、日本海Lメインタイプの降水は全国的に弱い傾向がある。二つ玉低気圧と日本海低気圧・南岸低気圧で全国総降水量の差は小さい。並進タイプは降水観測地点割合が全国で90%近く、次いで、南岸Lメインタイプが広範囲に降水をもたらす。日本海Lメインタイプは東日本で降水観測地点割合が大きい。<BR> 最大降水強度の強い事例は、二つ玉低気圧の3タイプともに南岸低気圧が日本列島により近いところを移動する傾向がある。日本海低気圧の経路には明白な差がみられない。<BR> 最大風速の平均は日本海Lメインタイプが沿岸部を中心に強く、南岸Lメインタイプは全国的に10m/sを下回る。<BR> 二つ玉低気圧は日本海低気圧・南岸低気圧よりも全国で降雪が起こりやすくなる。二つ玉低気圧3タイプの中では並進タイプや日本海Lメインタイプは東北や北海道で比較的ふぶきとなりやすい。南岸Lメインタイプは関東南部まで降雪の可能性があり、全国的に穏やかな降雪をもたらすことがわかった。
著者
若林 芳樹 久木元 美琴 由井 義通
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000165, 2018 (Released:2018-06-27)

2012年8月に成立した子ども・子育て関連3法に基づいて,子ども・子育て支援新制度(以下,「新制度」と略す)が2015年4月から本格施行された.これにより,市区町村が保育サービスを利用者へ現物給付するという従来の枠組みから,介護保険をモデルにした利用者と事業者の直接契約を基本とし,市区町村は保育の必要度に基づいて保育所利用の認定や保護者向けの給付金を支払う仕組みへと転換した.また,待機児童の受け皿を増やすために,保育所と幼稚園の機能を兼ねた認定こども園の増加や,小規模保育所や事業所内保育所などの「地域型保育」への公的助成の拡大が促進され,保育サービスのメニューも広がった(前田, 2017).しかしながら,こうした制度変更の影響について地理学的に検討を加えた例はまだみられない.そこで本研究は,新制度導入から3年目を迎えた現時点での保育サービス供給の変化と影響について,若林ほか(2012)がとりあげた沖縄県那覇市を中心に検討した. 新制度では,認可保育所などの大規模施設で実施される「施設型保育」に加えて,より小規模な「地域型保育」も公的補助の対象になった.このうち「施設型保育」については,認可保育所以外に認定こども園の拡充が図られている.2006年から幼児教育と保育を一体的に提供する施設として制度化された認定こども園は,制度や開設手続きの複雑さなどが原因となって普及があまり進んでいなかったが,新制度では幼保連携型認定こども園への移行を進める制度改正が行われた.その結果,2019年4月における保育の受け入れ枠の14%を認定こども園が占めるようになった. 一方,「地域型保育」には,小規模保育(定員6~19人)・家庭的保育(定員5人以下)・事業所内保育・居宅訪問型保育があり,主に0~2歳の低年齢児を対象としている.これらは,住宅やビルの一部を使って実施されるため,従来の認可保育所に比べて設備投資が小さくて済み,小規模でも公的補助が受けられる.そのため,用地の確保が困難なため認可保育所で低年齢児の定員枠の拡充が難しい大都市では,待機児童の受け皿となることが期待されている.この他にも保育士の配置などで認可基準が緩和され,公的補助のハードルが全体的に低くなっている.その中でも小規模保育は,新制度への移行後の保育枠の増加に大きく寄与している. 新制度に対応した那覇市の事業計画では,需要予測に基づいて2017年度末までに約2500人の保育枠を増やすことになっている.そのために,認可外保育所に施設整備や運営費を支援して認可保育所に移行させ,認定こども園や小規模保育施設を新設するとともに,並行して公立保育所の民営化を進めることになっている.工事の遅れや保育士不足などによって,必ずしも計画通りには進んでいないものの,地方都市では例外的に多かった同市の待機児童数は,2018年4月から1年間の減少幅では全国の自治体で最も大きかった.これは,保育所定員を2443人増やした効果とみられるが,依然として200人(2017年4月)の待機児童を抱えている. 新制度実施前の那覇市では,認可外保育所が待機児童の大きな受け皿となっていた(若林ほか, 2012).保育の受け入れ枠を拡大するには,それらの施設の活用が考えられるため,認可外保育所の代表者6名にグループインタビューを行ったところ,認可外保育所の対応は3つに分かれることがわかった.比較的大きな施設は,施設を拡充したり保育士を増やすなどして認可保育所への移行を図っているが,規模拡大が困難な施設は小規模保育として認可を受けるところもある.しかし,認可施設に移行すると既存の利用者の多様なニーズに柔軟に応えられなくなる恐れがあり,保育士の増員も困難なため,認可外にとどまる施設も少なくない. また,事業所内保育施設については,市が施設整備費補助制度を設けていることもあって増えている.そこで新規に認可を受けた事業所内保育所2施設に対して聞き取りを行った.A保育所は,都心からやや離れた場所にある地元資本のスーパー内の倉庫を改装して使用し,運営は県外の民間業者に委託している.利用者は事業所従業員と一般利用が半数ずつを占める.B保育所は,風営法により認可保育所が立地できない場所にある都心部のオフィスビルに1フロアを改装して新設されている.定員のうち従業者の利用は少なく,大部分は地域枠として募集しているが,入所待ちの児童もあるという.これらの小規模保育施設に共通することとして,2歳児までしか受け入れ枠がないため,3歳児から移行できる連携施設を近隣に確保するのが課題となっている.
著者
武田 祐子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.222, 2004

<b>1.背景と研究目的</b><br><br> GISユーザー層の社会的な増加に伴い、空間データクリアリングハウスには、一次データのみならず、様々なデジタル・マップを整備し公開する役割が期待される。本研究は、センサス統計を利用したデジタル・アトラスを作成し、WEBコンテンツとして公開することを目的とする。<br><br>これまで作成されたデジタルアトラスでは、3大都市圏を対象とした社会地図がWEB上で公開された例があるが、ここでは、WEBマップとして視覚的なインパクトを与えることに成功した(矢野・武田、2001)。本研究では、これにならい、「女性」に関するデジタル・アトラスを作成する。<br><br><b>2.利用データと方法</b><br><br> 利用した統計は、平成12年の国勢調査の都道府県別集計の第1_から_3次集計である。ここでは、関東地方1都3県を対象に、空間単位は、市区町村ベースとした。女性に関する指標として、未婚率、学歴、親との同居の有無、職業・産業別従事者比率、母子家庭率、保育園・幼稚園の児童数を取り上げ、これらの主題図を作成した。それぞれに関して、どのような地域においてどの程度の男女差が生じているのか、その傾向を明らかにする。また、年齢階級別の比較が可能な変数の場合、年齢別に生じる差異も検討していく。<br><br><b>3 ジェンダー・マップ</b><br><br>本アトラスでは、1)未婚率、2)単独世帯率、3)パラサイトシングル率、4)学歴、 5)女性労働力比率、6)パートタイム比率、7)専業主婦比率、8)失業率、 9)職業別人口比率、10)産業別人口比率、11)母子家庭比率、12)保育園・幼稚園児童率、についてのセンサス・マップを作成した。<br><br><br>以下では、このうち、23区内での30代前半の男女の未婚率をとりあげ比較していく。女性では大半の区で30%以上となるが、とりわけ、杉並、中野、目黒、渋谷の各区では50%を越え、地区による未婚率の高低が明瞭で分布に偏りがみられる。一方男性は、おおよそ50%以上となる。とりわけ高い60%以上を示すエリアは、女性と同じ区以外にも、千代田、新宿、豊島、台東と都心部を含む範囲に広がり、かつその地域差は小さい(図1)。女性の就業地は、先の未婚率の顕著な区とは必ずしも一致しないことから、職住近接志向の男性に対し、女性は居住環境に強いこだわりをもって特定の区に集中していることが推測される。<br><br><b>4.まとめ</b><br><br><br>本研究では、関東1都3県を対象としたジェンダー・アトラスを作成し、WEB上のコンテンツとして公開した。未婚率を論ずる場合でも、分布の男女差を説明するためには、複数の地理的な指標を考慮することが必要となる。このため、WEBアトラスとは、地理的な視点の重要性を非GISユーザーに対して発信できる貴重な第一歩といえるのではないか。<br><b><br>謝 辞</b><br><br><br>本研究は、文部省科研費基盤研究B(1)(課題番号(14380026)、研究代表者、由井義道「女性の就業と生活からみた都市空間のジェンダー化に関する研究」)の一部を使用した。その成果は、http://www.sci.metro-u.ac.jp/geog/gis/Gatlas/にて公表予定である。<br><b>文 献</b><br><br><br>矢野桂司・武田祐子、2001、GISによる全国デジタル・メッシュ社会地図、京都地域研究15、264-286.</br><br><br>
著者
田中 耕市
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.271, 2010

<B>I. 研究目的</B><br> 2010年は,東京国際空港(以下,羽田空港とする)の再国際化などによって,首都圏における空港を取り巻く状況の激変が見込まれている.羽田空港の再国際化は,東京都心から海外都市へのアクセシビリティを飛躍的に向上させると期待されているが,運航される路線や便数は未だに正式決定していない.本研究では,東京大都市圏における国際空港へのアクセシビリティの変化を測定して,海外主要都市へ訪れる国際線利用者が享受しうる利便性の変化を定量的に明らかにする.そして,利用者の利便性の側面からみた羽田空港に就航すべき国際線の配分について検討する.<br><br><B>II. 首都圏空港が抱える問題</B><br> 1978年に新東京国際空港(現・成田国際空港;以下,成田空港とする)が開業して以降,国際定期便は成田空港に移転して,羽田空港は国内線用(一部の国際チャーター便を除く)として運用されてきた.しかし,滑走路の問題から成田空港の離発着数に著しい制限があるため,東京という大都市を背景にした大きな需要を賄うことができていなかった.そのようなボトルネックの状態が続いた結果,近年では香港(Chek Lap Kok)やソウル(Incheon)といった近隣海外都市に東アジアのハブ空港の地位を奪われつつある.加えて,羽田空港においても国内線の需要の増加に対応できていないため,首都圏第三空港の建設がたびたび議論されている.<br><br><B>III.国際空港へのアクセシビリティを変化させる要因</B><br> 2010年の首都圏においては,空港へのアクセシビリティを変化させる以下のようなイベントが予定されている.<br>1) 羽田空港の再拡張に伴う再国際化(10月予定)<br>4本目となるD滑走路および国際線ターミナルの建設される.<br> 2) 新ルート経由の京成電鉄の新特急による成田空港へのアクセス改善(7月予定)<br>日暮里駅から成田空港駅への最短移動時間が36分に短縮される.<br>3) 茨城空港の開業(3月予定)<br>自衛隊百里基地を民間運用する.<br><br> <B>IV.羽田空港の増分スロット(離発着枠)の配分</B><br> D滑走路の運用開始によって新たに増加する年間約10万回のスロットのうち,約3万本が国際線へと割り当てられる.その内容については未だに正式には決定していないが,比較的近距離の国際線への割り振りが予定されている.しかし,2009年12月には,アメリカ合衆国とのオープンスカイ協定の締結によって,一日あたり8往復が同国への便に優先的に割り振られた.<br>
著者
谷川 尚哉 相原 正義
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.109, 2005

現在の千葉県柏市と我孫子市にかかる、利根川河川敷の地域は、田中遊水地と呼ばれている。第2次世界大戦後、この遊水地を農地化して食料難と外地からの引揚者の入植地に使用という計画ができた。1946年4月、北太平洋のパラオからの引揚者22戸が入植した。利根川の堤防工事に従事しながらの入植であった。おりからの、キャサリン、アイオン、キティなどの台風により、度重なる洪水との戦いの中での入植であった。パラオからの入植者で、現在も農業に従事しているのは10軒である。
著者
浅田 晴久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.52, 2008 (Released:2008-11-14)

1.はじめに インド東北地方は国内でも最も開発が遅れている地域の1つである。バングラデシュ、ミャンマー、ブータン、チベット(中国)に囲まれたこの地域は多数の少数民族が暮らしており、現在も独自の文化を守り続けている。1980年代以降、政情が不安定であったため外部の研究者が立ち入ることは難しかったが、近年、治安が落ち着いてきたこともあり調査が可能となっている。京都大学東南アジア研究所・大学院アジア・アフリカ地域研究研究科はアッサム州のゴウハティ大学地理学科と学術協定を締結し、インド東北地方の農業・生態・気象・疫病を対象とした学際的なプロジェクトを開始している。 本研究はインド東北地方の中でも面積・人口ともに最大のアッサム州において、州の主要産業である稲作の動態を明らかにすることである。アッサム州には東西を横切る形でブラマプトラ川が流れており、雨季になると毎年のように洪水が発生し稲作に被害を及ぼす。またヒマラヤ山脈の南縁に位置し、将来の環境変化による影響が危惧される。 2.調査地の概要 調査地として選ばれたR村はアッサム州東部(上アッサム)、ブラマプトラ川の北岸(右岸)に位置する。本村はチベットを源流としヒマラヤ山脈を越えて流れてくるスバンシリ川に近接しており、過去には堤防が決壊して大洪水が起こったこともあった。また、年間降水量は3000mmに達し、6~9月の雨季には降雨のため田に植えられた稲が被害に遭うこともある。 R村の世帯数は約110、人口は約600人になる。住民はタイ系のアホム(タイ=アホム)である。アホムは現在の中国雲南省から移動を開始しミャンマーを抜けて、13世紀にブラマプトラ渓谷に定住したとされている。ヒンドゥー教徒でアッサム語を話す。R村は1910年代から開墾が始まり、現在は開拓世代の子・孫の世代が村の中心となっている。 3.調査方法 発表者は2007年7月 ~ 11月、2008年1月 ~ 7月の期間中、のべ260日間調査村に滞在し現地調査を行った。村びとの家に下宿しながら、質問表を用いた全戸調査、観察、聞き取りを実施した。全戸調査の際には助手として村人に同行してもらい、聞き取りにはアッサム語が使用された。 4.結果 結論から述べると、R村の稲作はよくいえば伝統的な、近代的稲作からかけ離れたものである。村には灌漑設備がないため、雨季の期間しか稲作がおこなわれず、稲刈り後の乾季は牛が田に放牧されている。調査地周辺を見回しても同じような景観が続いていることから、上アッサムには未だにR村のような未開発の村が多く残されていることが推測される。これは乾季作(ボロ稲)・灌漑・機械化など近代技術が進んでいるアッサム州西部(下アッサム)とは対照的である。 村内で栽培されている稲はアフ(3 ~ 6月)、バオ(3 ~ 11月)、ハリ(7 ~ 11月)の3種類である。このうちハリ稲はすべての世帯で栽培されるが、アフ稲は屋敷付近の高位田で、バオ稲は低位田で比較的小規模に栽培されている。 稲の品種を調べたところ、村全体で50種類以上の品種が植えられていることが確認された。各世帯で植える品種数は5種類が最も多く、なかには10種類以上の稲を植える世帯もある。田の比高の差によって品種を植え分ける必要があるほかに、コメの利用法の観点からも品種数が多くなっている。 田の土地所有をみると、各世帯の田は高位田と低位田を含む細長い長方形になっている。低位田は水と肥沃度が高く高収量が見込め、高位田は洪水のリスクが少ない。しかし土地は均等に相続されるため、水田所有の細分化が問題となっている。
著者
菅野 洋光 西森 基貴 遠藤 洋和 吉田 龍平 ヌグロホ バユ ドゥイ アプリ
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

北日本における4月と8月の月平均気温は、季節が異なっているにもかかわらず、1998年以降、強い負の相関関係を示している(Kanno,2013)。前回の大会では、これがIPOにより判別される気候ステージ(-IPO)で発現しており、ラニーニャモードによるSSTの応力の弱さと偏西風循環に内在された独自の変動に影響されている可能性があることを指摘した。また、インドネシア付近の対流活動の重要性についても明らかにした。今回は、対流活動の中心に位置するインドネシアの農作物生産性の変動について、IPOに基づく気候ステージを考慮した解析を行った。<br>北日本の月平均気温偏差は気象庁HPよりダウンロードした。客観解析データはJRA55を、多変量解析は気象庁のiTacs (Interactive Tool for Analysis of the Climate System)を用いて行った。インドネシア農作物収量データは、イネ、トウモロコシ、ダイズの3種類で、1993年~2015年の期間、34の州のデータをインドネシア農業省より入手した。このうち、26の州についてはデータの欠落がなく、以下の解析にはそれらのデータを用いている。一般に途上国での農作物生産性は、栽培技術の進歩により時間の経過とともに増加する。そこで本研究では、全期間のデータに一次回帰計算を行い、回帰式からの偏差を解析対象データとした。また、近年の気候ステージについては、England et al.(2014)によるIPOのステージ区分を用い、また生産性と海洋変動との比較には、標準的なPDOインデックスを用いた。<br>図1にはインドネシアにおけるイネの生産性の一次回帰式からの偏差と年平均PDOインデックスの時間変化を示す。全期間(1993-2015年)を通すと相関係数は0.34となり、統計的に有意ではない。そこで、IPOによる気候ステージを考慮して、2001年以前(概ね+IPO)と2002~2013年(概ね-IPO)とで分けると、前者はR=+0.78、後者はR=-0.70で、ともに危険率5%以下で統計的に有意となった。また、エルニーニョが発生した2014年以降は、一転して同時的な変動に移行したようにみえる。トウモロコシでは、イネと同様に、全期間を通すとR=0.22となり、統計的に有意ではないが、IPOステージを考慮すると、2001年までがR=0.84、2002~2013年までがR=0.71となり危険率1%以下で統計的に有意となる(図略)。図2にはダイズの例を示す。こちらはIPOステージとの関係は明瞭ではなく、全期間を通して有意な正の相関を示す(R=0.57)。このような作物ごとの差異についてその原因を考察するため、JRA55を用いたインドネシア域(10S-5N, &nbsp;95E-140Eの矩形領域)における年積算解析降水量を計算し、PDOと比較した(図3)。その結果、全期間を通して降水量とPDOは負の相関を示し(R=0.67)、特に1997年以降が明瞭でR=0.76となる。すなわち、イネ、トウモロコシの生産性については、-IPO期間は降水量の年々変動に強く影響されていることが分かる。また+IPO期間については数年の幅はあるが、PDOと降水量とが比例している時期と重なっており、こちらも概ね降水量に影響されていると言える。一方、ダイズについては解析期間を通してPDOと正の相関を持ち、イネ、トウモロコシとは異なった変動を示している。これは、インドネシアではダイズはmain cropではなくcatch cropであるため、特に-IPO期間ではイネ、トウモロコシが不作の際に補完的に作付けられ、それが降水量変動と負の関係を示す原因として考えられる。
著者
松本 博之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.184, 2009

ジュゴンは熱帯・亜熱帯の浅海域に生息する草食性の哺乳類である。潮の満ち干にともなって、アマモ類を索餌するために満ち潮で浅瀬に接近し、引き潮で沖合へと移動する。肺呼吸をおこなう生き物であるから、索餌中も2,3分に1度は海面に浮上し呼吸する。その瞬間がハンターたちの銛を打つ唯一の機会である。<br>オーストラリア、トレス海峡諸島は太平洋およびインド洋の沿岸域に生息するジュゴンの分布域の中でも最も周密に生息する海域である。トレス海峡の先住民は、考古学的な史料によると、少なくとも2000年前からこの生き物を狩猟してきたようであり、今日でも単なる食料としてのタンパク源・脂肪源の意味をこえてトレス海峡諸島民の文化の核に位置している。<br>狩猟行動によって意識化される海底地形と植生、潮、風、それにジュゴンの生態行動など、今日「文化遺産」ともよばれる生きた自然に関する知識は膨大なものである。たとえば、その他の漁労活動や海上交通の理由にもよるが、サンゴ礁地形の発達する海域において、 日常的な行動海域に120以上もの海底地名を付けており、それ以上に、その地名の意味内容をこえて、周辺の海底に関する知識は詳細をきわめている。アマモ類の藻場の分布はいうまでもなく、ジュゴンの行動をとらえた「ジュゴンが背中を掻く岩」の所在や潮の満ち干にともなった移動路となるサンゴ礁内の澪筋ないし入り江にもその観察はおよんでいる。<br>また、ジュゴンは内耳神経の発達した生き物であり、音にきわめて敏感である。先住民たちもそのことを熟知しており、もう1つの狩猟対象であるウミガメのプルカライグ(目の良い奴)に対比して、カウラライグ(耳の良い奴)というニックネームを与えており、そのことが彼らの狩猟行動の多くを説明する。つまり、1970年代から導入された船外機のついたアルミニウム合金製の小型ボートで狩猟場の風上まで疾走するが、そこからはエンジンを止め、海面の乱反射を避けるために太陽を背後に受け、話し声もふくめ一切物音を立てず、風向と潮流にまかせて、船を風下・潮下に流すのである。その際、船体はかならず潮流と平行に保つように舵を操作しなければならない。わずかでも潮流が船体に当たり、波音を立てることさえ避けようとするのである。いわば、自分たちの存在を風の音と波の音にかき消すのである。しかし、彼らは単に風と波に身をまかせているわけではない。水面下で索餌するジュゴンの行動も考慮のうちに入っている。ジュゴンは潮上にむけて直線的に索餌し、かつ呼吸のために浮上する際も潮上にむかって泳ぐのである。したがって、ハンターたちの行動はジュゴンとの遭遇の機会を増大させているのである。<br>しかしながら、こうした先住民のジュゴン猟も現代世界にあっては、さまざまな問題を抱えている。ジュゴンは言うまでもなく国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定されている生物だからである。目下オーストラリアという国民国家の中の先住民として暮らす彼らには、少数民族として多数(主流)派社会の法や世論を無視しえない。彼らのジュゴン猟も、その伝統的な食料資源としてのみならず、肉の分配にともなった社会的凝集力や彼らのアイデンティティにつながる墓碑建立祭の折の不可欠の食べ物、さらにはハンターに与えられる社会的威信などに配慮して、自給目的の狩猟のみを認められているにすぎない。しかし、主流派の規範となっている「生物多様性」、「環境保全」、「持続しうる開発」は動物保護団体による全面狩猟禁止や船外機付きボートという狩猟手段の問題視を引き起こしている。政府から派遣された「持続しうる開発」のために基礎調査を行う海洋生物学者たちも、ジュゴンの再生産率の低さゆえに、目下の捕獲頭数を政府への答申や学術雑誌の中で危険視している。一方先住民の間では、ジュゴン猟がみずからの民族性を示す特徴の一つとしてシンボル化し、民族自治を願う彼らにとって、ジュゴン猟への干渉は政治問題に展開する可能性を秘めている。こうした問題はトレス海峡諸島民のみならず、たとえば、カナダ極北のイヌイットの人々の生存捕鯨、カナダ北西部海岸先住民のサケ漁、カナダ北東部クリーの人々のシロイルカ猟など、現代の海と関わる先住民の社会が共通して抱える問題なのである。
著者
井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

地理教育の観点からみた防災教育の課題<br>この課題の一つとして、災害から身を守るべくハザードマップが十分活用されていない、もしくは活用できないことがある。ハザードマップは、自分自身の身を守る「助かる」だけでなく、他の人を「助ける」ためにも有用であり、さらには地域全体としての防災をどうすべきかを考えるうえでも重要である。しかし、そのハザードマップが活用できていないことが多々あるのである。その要因は、地図を読むスキルが不足しているという読み手の問題と、ハザードマップをみてもどう活用できるのかわかりにくという地図作成側の問題とがある。いずれも、地図を読む、意図のはっきりした読みやすい地図を作成するといった地図活用のスキルの不十分さが指摘できる。学校教育としての地理教育だけでなく、社会教育としての地理教育を考えていかなければならない。<br>地域の観察と防災教育<b><br> </b>矢守氏の「防災といわない教育」、この視点は地理教育でも極めて重要と思われる。津波や地震などに襲われたとき、ハザードマップを見ながら逃げるわけにはいかない。つまり、ハザードマップが頭にはいっていなければならないことになる。その際、ハザードマップだけでなく日頃の地域に関する自分の認知と地図が一体化し、瞬時に判断していかなくてはならない。自分の家の周りを散歩するだけでも、どこが坂となっていて、どちらのほうにいけば高台にいけるかはわかる。さらには、土地の起伏や住宅の密集度などを観察して散歩していれば、日頃から様々な地域の情報がはいってくる。このようにして得られた情報と、自分があまり意識しない近隣地域も範囲となっているハザードマップを見慣れていると、何か起こった時、瞬時の判断の最適な判断材料となろう。 ハザードマップが適切な情報を提供していない場合もなくはない。その場合も、住民の経験による地域認識とハザードマップが一致しているのか、一致していないとすればどこに問題があるのか、考えながら地域を歩くことで地域の見直しができる。それにより、より適切なハザードマップができ、新たな見方を習得することができるようになろう。このようなことは、学校教育の社会科、地理の学習活動としても可能である。防災を目的とした地域調査であろうと、異なった目的の地域調査でも、防災に関する情報を、実地で収集することができる。このような地域調査に基づき、既存のハザードマップを修正したり、行政機関に修正を依頼したりすることもできよう。このような学習は、社会参画にかかわる学習となり、市民として何ができるか、何をしなくてはいけないかといった市民教育ともつながっていく。さらには、持続可能な社会を構築していくことにもつながる。<br>国際協力と防災教育<br> 防災教育をめぐる国際協力の在り方を指摘した桜井氏は、今後の地理教育を考えるうえで新しい示唆を与えてくれた。高等学校までの防災教育は、「自助・共助・公助」という観点があるが、国内での防災教育が前提となっている。特に教科教育の国際発信は、理数教育が注目され、海外から需要も高い。しかし、防災教育のカリキュラムを国際的に発信すれば、国際協力にもつながっていくように思われる。高等学校までの防災教育、とくに地理で行われる教育は国内を対象としている。一方で、世界各地での災害をみれば、地震による都市での災害、津波による災害、噴火による災害など日本との共通点も多く見出すことができる。日本では、多くの災害を経験し、教育にも国内を中心とした防災教育をとりいれてきた。こうした教科としての防災教育は、共通性の高い災害の起こりやすい他国でも参考になるし、情報を共有することで、一層質の高い防災教育をすることにつながる。日本の大学や大学院で、国内外の学生が地理教育を通しての防災教育学び、その成果を海外発信することは、世界が日本の地理教育、防災教育に期待することの一つとなろう。<br>地理教育における防災教育<br> 次期学習指導要領(小学校2020年、中学校2021年、高等学校2022年実施予定)では、高等学校では地理が必履修化される可能性が高い「地理総合(仮称)」では、防災が一つの主要な柱となっている。また、中学校、小学校でも防災教育は行われるだろう。地理教育における防災教育は、地域調査などを通して地域の特性を深く学び、防災に関する課題を見出し、主体的にその解決策を見出そうとし、お互いの考えなどを討論して、不足している知識を習得し、実現可能な解決策に近づけることがもとめられる。こうした学びは、習得、活用、探究といった学びのプロセスを踏むだけでなく、アクティブラーニングンの概念も踏襲している。さらにこのような防災教育にかかわる地理教育は、そのカリキュラムを海外へ発信することで、国際協力にも貢献できる可能性を秘めている。
著者
淡野 寧彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.6, pp.382-394, 2007
被引用文献数
2

本稿は, 茨城県旭村における養豚業の存立形態を示すとともに, 銘柄豚事業による農産物のブランド化が, 養豚業の存続にもたらす有効性と課題にっいて検討した. 旭村では, 1970年代以降, 養豚専業経営農家が現れ, 養豚団地の整備や糞尿処理設備の導入によつて, 養豚業の基盤が整えられた. 産地全体での生産・出荷体制は構築されず, 個々の農家による経営規模拡大や生産性の効率化によって, 茨城県最大の養豚産地となっている. しかし現在, 環境問題対策への負担増や肉豚取引価格の下落が課題となっており, その対策として銘柄豚事業が取り組まれつつある. 銘柄豚事業への着手は, 生産部門にとって, 肉豚取引価格の向上や安定, 流通・販売部門との結びつきの強化, 豚肉の販売状況に関する情報の入手といった利点を生み出している. 一方, 販売部門からは, 質的・量的安定性やトレーサビリテイの実現可能性が, 銘柄豚事業の利点として評価されている. しかし, 銘柄豚の流通範囲が限定的であることや, 小売業者によって銘柄豚の取扱いに差異があるといった課題が生じている.