著者
高橋 日出男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.217-232, 2001-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
21
被引用文献数
2

本研究では,梅雨季 (6・7月) の日本における「雨の降り方」の地域性と年乏の差異(「陰性」・「陽性」梅雨)を知るために,梅雨季総降水量に対する日降水量の階級別の寄与にっいて検討した.日本全体を大きく二分する場合,総降水量に対して上位階級(大きい日降水量の階級)の寄与が大きい地域には,九州地方,中国地方西半,四国~東海地方南岸,および中部山岳域西部が該当する.西日本であっても,南西風に対して山地風下にあたる地域では,風上側に比べて上位階級の日降水量の寄与は相対的に小さいことなど,大地形との対応が認められる.総降水量に対して下位あるいは上位階級の日降水量の寄与が大きい場合を,それぞれ「陰性」あるいは「陽性」梅雨と考えるならば,両者の判別は極端な少雨年を除き可能であると考えられ,同程度の総降水量であっても「陰性」・「陽性」それぞれの場合が認あられる.また,「陰性」・「陽性」いずれの場合であっても,平均状態に認められる「雨の降り方」の基本的な地域性は維持されている.
著者
鍬塚 賢太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.179-201, 2001-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
38
被引用文献数
1

アジアへの多国籍企業の空間的展開を企業組織の側面から明らかにする上で,製造業企業であっても非製造機能に対する分析は欠かせない.本稿では電気機械器具製造業に分類される日本の企業グループを対象として,それがシンガポールに設立した「地域オフィス」の活動特性と企業グループ内での役割を明らかにすることで上記の課題に迫る.まずアジアにおける日本の電機企業グループの立地展開を把握し,シンガポールと香港への非製造機能の集積を確認した上で,シンガポールの地域オフィスにっいて考察した.地域オフィスは管轄エリアである東南アジアに立地するグループ企業を本社に代わって一元的に統括するものではない.地域オフィスはシンガポールに移管・集約することで効率的となる機能を限定的に保持しているにすぎない.それは管轄エリアにおいて主に販売会社を展開する企業グループの場合,販売に関する管理業務であり,製造会社を展開する企業グループの場合製造会社に対する本社サービスの供給拠点としての機能である.
著者
田中 健作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.4, 2011

1.はじめに<BR>本報告では,山村地域の公共交通運営の在り方を探るため,広島県三次市を事例として,市町村合併後の公共交通再編成の特徴を明らかにする.そのために,自治体の対応を軸に,各路線の配置形態や利用状況に加え,サービス生産に必要な各経営資源の存立形態等について検討する.<BR>2.広島県内の公共交通政策の動向<BR>規制緩和等により,シビルミニマムとしての公共交通を確保していくうえで,三次市をはじめ各自治体の役割はより重要になっている.広島県内の各市町の政策動向をみると,市町村合併後に,公共交通ネットワークの効率化と交通空白地域解消を目指し,国や県の公共交通再編支援策を活用しながら,各市町は山間部等の低需要地域を中心にデマンド型交通を,市街地への循環バス等を導入している.<BR>この結果,広島県内の過疎地域を多く抱える各地域では,公共交通への需要が低迷する中で,乗合バス事業者が主に広域的な輸送を,事業者の撤退した路線や市町内の輸送を自治体バス等が担っている.<BR>3.広島県三次市における公共交通の再編成<BR>このような下で三次市は,市町村合併後,旧町村間にあったバス運行形態のバラつきの解消や交通空白地域の解消を目指した公共交通再編成を進めている.<BR>はじめに,公共交通政策の変遷をみると,市は2005年3月の「三次市生活交通体系実施計画」の策定以降,2007年3月,2010年3月に相次いで公共交通再編計画を打ち出してきた.公共交通の全体的な利用者数が減少する中で,市は,広域的幹線であるJR線に加え,乗合輸送に関して,再編計画に基づき_丸1_事業者による広域生活路線(主に旧三次市を発着する地域間バス)を基幹部分に据え,旧町村部の無料福祉バス等を統合する輸送手段として新設した_丸2_市の自主運行する域内生活路線(市民バス),_丸3_市が商工会に運行を依頼する域内生活路線(デマンド),_丸4_住民組織により運営される市民タクシーを重層的に配置してきた.<BR>これらにより市は交通空白地域の解消を含むサービス平準化を目指した.その際に市は,高齢者の生活利用を前提に既往の無料福祉バス等の運行ダイヤを基本的に踏襲したが,一方で新たに利用者負担の原則を導入し,全路線を有償運行化した.なお,_丸2_~_丸4_の運行内容は輸送状況により継続的に見直されている.<BR>次いで,公共交通の利用者状況をみると,_丸1_事業者路線の利用者数が減少する中で,_丸2_~_丸4_の利用者数は小規模ながらも横ばいで推移しており固定客が中心であると考えられる.なお,_丸2_の市民バスの場合,通学利用を除くと,週に1~2回から月数回ほど利用する高齢者の利用が主となっている.<BR>さらに以下,経営資源の存立形態を各主体の役割や諸関係に着目してみていく.市は,赤字負担と企画立案部門に徹しており,さらに運行部門の主体を以下にみるように複数組み合わせることで,市は財政面や事務面での自らの負担を軽減しようとしている.市が主体的に設置する_丸2_~_丸4_をみると,_丸2_の場合,市は委託先である地元貸切バス事業者との間に長期的な業務関係が築けるよう,複数年契約を結び,他方では事業者路線(_丸1_)と遜色ない輸送単価に基づく契約金額を設定している._丸3_の場合,運営主体に据えられた地域社会側の主体である商工会が無償で運行管理や事業者間の調整を行っている.市はこの体制を長期的に維持するため,商工会側の要望した経営インセンティブを後に設けた._丸4_の場合,経営資源として自治機能が位置づけられ,インセンティブの設定のない住民参加の運営体制を制度化している.しかし,住民組織の高齢化等,継続的に事業を進めるための課題も残されている.<BR>4.まとめ<BR>以上より三次市の公共交通再編成の特徴には,各路線が重層的に配置されていること,市が運行部門との間に長期的に安定した協働的契約ともいうべき業務関係を結ぶとともに,部分的には地域の社会的基盤も活用していることが挙げられる.しかし,運行部門に関する課題が一部に残されていることも確認される.<BR>これらを踏まえると,山村地域における自治体の公共交通運営において,行政の企画立案能力や財政負担とともに,各運行部門が継続的に事業に取り組めるような枠組み作りが重要になっていると考えられる.
著者
中道 圭一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.92, 2004

_I_.はじめに<br> 森林には,様々な植物群落が存在するが,気温・水・風・日射量・土壌など,多くの環境要因に対応した植生を持っている.なかでも山地や丘陵地では,斜面の方位,地形などによって地表面での水や熱の配分が変わり,局地的に環境が変化し,植生が変わり,土壌も変わることが知られている(ex.吉良,1983).そこで,山地や丘陵地の植生を明らかにするには,斜面の方位と斜面型の分類を行い,それに対応した植生調査が必要である.<br>_II_.研究地域概要と研究目的<br>瀬戸市南東部「海上の森」は,総面積約540ha,植生の約3分の2がコナラやアカマツなどの二次林で,その他はスギやヒノキの人工林が占める.多様性がある生態系を持ち,名古屋大都市圏で有数の里山である.航空写真判読から,戦中まで海上の森の樹木は,燃料として一様に伐採(丸刈り)され,森林は人間活動の影響を受けていたことがわかるが,その後,約50年間は石油・ガス燃料の普及に伴ってほとんど人為的影響が及んでいない.よって現在みられる森林は,自然の遷移に任された二次林である.<br> しかし,海上の森の植生は砂礫層地域と花崗岩地域で,明瞭に異なっている.砂礫層地域はモチツツジ‐アカマツ群集に属し,樹木の密度が低く,生育が不良な森林である.それに対して,花崗岩地域の植生は非常に豊かで,ケナザサ‐コナラ群集に属する生育の良い森林が広がっている.海上の森は,比較的狭い範囲で二次的遷移のスタートが同時であるのにも関わらず,現存植生に大きな違いが生じた点で重要であり,地質要因が植生の配置構造になんらかの作用をしている事が確認できるフィールドである.これらを踏まえて,海上の森の里山二次林について植生を定量的にあらわし,〔地形_-_地質_-_植生〕の関係性を明らかにすることを目的とした.<br>_III_.調査方法<br> 上記の2つの地質で,田村(1996)に従い,南向きの斜面を上部,中間,下部の3つに分類し,北向きの斜面からも1つ選定し,10m×10mの方形区を設定した.次に設定した計8方形区で毎木調査を行ない,種構成,胸高直径と樹高,材積などを明らかにした.また,ボーリングステッキを用いて土壌層を調査した.<br>_IV_.結果<br> 花崗岩地域は,全斜面型の高木層と南斜面の亜高木層・低木層の種構成に大きな変化はなかったが,北斜面の亜高木層・低木層は,特に常緑樹が多かった.また,全体に高木層と亜高木層の樹高に大きなギャップが見られた.一方,砂礫層地域では,上部斜面において高木層の優占種はアカマツだが,下部斜面に向ってアカマツとコナラの混合林へと変化していった.北斜面は,下部斜面と同様に混合林であった.全体に亜高木層・低木層は,人為的影響を受けた所に生育する種や,乾燥に強い種が見られた.各階層の生長量に差はなく,低木層から高木層まで連続的な生長分布を示した.また,花崗岩地域全体と砂礫層地域全体の材積を比較すると,花崗岩地域は,砂礫層地域の約3倍であり,最も生長のよい花崗岩上部の方形区と最も生長の悪い砂礫層上部の方形区を比較すると約8倍もの差があった.花崗岩地域の材積の大部分は,コナラ・アベマキが占めるが,砂礫層地域の大半は,アカマツが占めていた.花崗岩地域の北斜面は,南斜面に比べて生長が悪く,砂礫層地域の北斜面は,上部斜面に比べて生長が良くなっていた.<br>_V_.考察<br> 同一の気候下で遷移のスタートが同時であっても,約50年間で地形・地質要因の違いにより,植生の生長や種構成に違いが現われることが明らかとなった.それらの原因は,水分・土壌・日照条件などを反映していると考えられる.花崗岩地域の土壌は,岩石の風化により多大な植物有用元素が供給され,土壌層も厚いために保水力が高く,日射量の多い南斜面においては生長が非常に良くなる.北斜面では日射量が少ないので陰樹の生長が卓越する.一方,砂礫層地域の土壌は,チャート主体である為に風化されにくく,植物有用元素の供給が乏しい.その上,土壌中の空隙が多いので,降雨は素早く排水してしまい,土壌は常に乾燥状態であるので,樹木の生長は不良で環境耐性の強い種が多くなる.降雨は,上部斜面から下部斜面に向かって排水するので,上部斜面の土壌ほど水分量は少なく,薄くなることが,樹木の生長や遷移を緩やかにしている.
著者
森山 昭雄 江口 亜希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.136, 2004

この春の地理学会で,中道 (2004)は,瀬戸市海上の森で,地形地質の立場から花崗岩地域と土岐砂礫層地域において森林植生の違いを定量的に調査した結果,花崗岩地域はコナラ・アベマキが優位な生長の良い森林,砂礫層地域はアカマツが優位な生長の良くない森林にはっきりと分かれ,花崗岩地域は砂礫層地域の3倍もの生長量(材積)の差があることを明らかにした.地質(地形)の違いが明瞭に森林植生に表れることは,他の地質でも起こっているのではないかと考え,今回は中・古生層の上に土岐砂礫層を乗せる濃尾平野北東縁丘陵地において,地質(地形)と二次林植生との関係を明らかにするために調査を行なった. 調査地点は,標標高の増大に伴う気温の低下など気候的影響を少なくするため高300m以下の地域で,斜面の方位により地表面での水や熱の配分が変わるその違いをなくすため,地形的位置は南向きの斜面とした.地質としては,土岐砂礫層地域,中・古生層の主としてチャート地域および中・古生層の主として砂岩地域の3地域とした. さらに,1947年撮影の米軍航空写真を判読し,樹木が一様に伐採されて丸刈り状態になっている場所で,それ以降人為的な手入れが行なわれていない森林とした.これは,遷移のスタートが同じ時期である二次林の,その後の生長を比較するためである.また,現地調査により,新しい崩壊がない二次林で,広い範囲を代表する植生地点とする.本研究では斜面の一連の変化と植生との関係を見るため,上部斜面,中間斜面,下部斜面を選定した. 毎木調査は,方形区内の樹高が1.4m以上のすべての木本について,樹木の種類を同定し,個体数,胸高直径,樹高を測定する.高木層・亜高木層・低木層に分類し,樹冠投影図を作成した. 土壌に関しては,土壌断面形態を調べ,A層厚,貫入深,土壌水分量,土壌pHを計測した.調査地点のA層とB層の土壌を持ち帰り土壌中の養分を蒸留水に溶出させこの土壌水をイオンクロマト法(日本ダイオネクス社製)によりイオン分析を行った. 毎木調査を基に森林植生を定量的に分析した結果,地質別に見ると,土岐砂礫層地域がコナラ・アベマキなどの落葉広葉樹の生長が最もよく,チャート地域ではアカマツ・クリが優勢で生長が悪いこと,砂岩地域ではヤマザクラ・アラカシが優勢である.地形別に見ると,下部斜面が最も生長がよく,上部斜面が悪い.生長量の違いは材積の違いからも明らかである.遷移のスタートが同じであるにもかかわらず,植生に違いが生じるのは土壌の影響が大きいと考えられる.土壌は,岩石の風化によって生成されるため,地質によって土壌の養分量が異なる.また,土壌の粒度の違いにより孔隙量,透水性,水分量が異なる.そのため,その土壌条件に耐えられる根を持つ植物が優先的に生長する.その結果,高木層の樹種が異なり,これが低木・亜高木の植生に影響を与え,全体的な樹種の違い,生長量の違いとなったと考えられる.つまり,地質による植生の違いは,土壌養分量の違いだけではなく,土壌の透水性など性質の違い,樹木の根の性質の違いなどによる影響も受けていると考えられる.地形による植生の違いは地質の影響より小さいが,上部斜面と中間・下部斜面では明らかな植生の違いがみられ,斜面位置の違いにより生長量(材積)も異なっている.上部斜面は排水が盛んであるため,水分量が中間・下部斜面に比べて明らかに少ない.そのため,乾燥に強いアカマツが優先的に生長し,上部斜面では中間・下部斜面とは異なった植生になったと考えられる.また,中間・下部斜面は,A層厚,土壌養分量の違いが生じている.砂礫層地域では根を深く張るコナラの生長が良い.根を深く張るため,土壌が厚く,地上部の生長を促進する窒素やマグネシウムが多く含まれる下部斜面で生長がよい.一方,チャート地域では,根を浅く張るリョウブの生長が良いため,土壌養分量が多く, A層が厚い下部斜面の生長がよい.以上のように,地形による植生の違いも,土壌養分量の違いだけでなく,土壌の厚さや根の性質の違いによる影響を受けていると考えられる.
著者
山下 宗利
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

テーマ性を有した大規模なアートプロジェクトが西洋で始まり、世界各地に展開されてきた。近年、日本においても、まちづくりの支援や地域振興を目的としたさまざまなアートプロジェクトが生まれている。日本ではこれまで以上にアートのもつ機能が注目されている。その分野は多岐にわたり、地域のブランディング、観光産業の振興、低未利用地の活用、若者の転入増加、治安の回復・維持、心のケア、マイノリティの社会的包摂、教育など、それぞれの地域の社会課題の解決を目指して多くの取り組みがなされている。これはアート機能の拡張を反映したものといえる。<br> 地理学においても地域の固有性やアートと場、といった視点からのアプローチがなされてきた。地域に根ざしたアートプロジェクトという観点から、越後妻有「大地の芸術祭」や直島に代表される「瀬戸内国際芸術祭」、「釜ヶ崎芸術大学」などが研究対象とされてきた。作家、行政やNPO、ボランティア、地域の住民、一般の参加者のアートプロジェクトへのプロセスとまなざしが考察されてきた。<br> 大都市の都心では名高い美術館や博物館、ギャラリーが数多く立地し、商業主義的作品の展示場所になっている。これらとは一線を画して、都心周辺部ではアーティスト・イン・レジデンスという形で地域に根ざしたアートプロジェクトが進行中である。これら二つのアートプロジェクトは異なった場所で併存しており、互いの地域差を価値にしている。<br> 若い作家が空き家をアトリエにして作品の制作・発表場所として活用している事例もある。作家志望の大学生をはじめ、さまざまな人々が作家と関係性をもちながらコミュニケーションが生まれている。しかし当該地域が活性化し、ジェントリフィケーションが起こると、経済的に困窮した若い作家にとってその場所はもはや最適な活動場所ではなく、新たな制作場所を求めて移動するようになる。グローバル化の進行に付随したローカル性の追求がそこに見て取れる。<br> アートプロジェクトは社会課題の解決の一方策として注目され、治安の回復と維持、社会的包摂に活用されている。しかし一方で、アートそのものがジェントリフィケーションの機能を果たし、また「排除アート」と称されるアート作品が都心空間に現れ、社会的困窮者の追い出しに作用していることも見逃せない。
著者
市川 健夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.215-231, 1963
被引用文献数
1

1) 八ガ岳山麓西斜面における土地利用は,昭和恐慌・太平洋戦争・戦後を経て大きく変化した.広大な採草地は大部分が林地化し,一部は開拓された。馬産地であつた南部では,酪農が伸びて従来の養蚕にかわり,日本的な混合農業が営まれている.中部・北部では,部分的に洋菜・花卉が発展しているところもあるが, 1929年に三沢勝衛が規定した「穀桑式農業」が構造的な変化をうけずに維持されている.<br> 2) 東斜面の野辺山原では,戦前粗放的な牧野利用が卓越し,後進地域に属していた.ところが1936年の小海線全通後,集約的な遠郊式農業が始められた.さらに戦中・戦後を通じて開拓が大規模に進み,土地景観は一変した.現在ここでは酪農と自由式遠郊農業が有機的に結びついた商業的混合農業が成立しっっある。<br> 3) 八ガ岳の東・西斜面における土地利用は地域類型が異なり,きわめて非対称的であるが,いずれも高冷農業地域として高度な発展段階を示している。
著者
太田 慧 菊地 俊夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1</b><b>.</b><b>研究背景と目的</b> 多摩地域に位置する東京都小平市は市域が東西に広がっており,市内の東西で土地利用や産業構造に異なる特徴がみられる.本研究は2016年度に実施した小平市産業振興計画に基づく基礎調査のアンケート結果に基づいて,東京都小平市における消費行動の傾向を品目別に検討し,それらの地域的な特徴について明らかにした.<br><b>2</b><b>.</b><b>東京都小平市における購買行動の地域特性</b> 図1および図2は,小平市の東部,中部,西部の地域別に生鮮食品および娯楽サービスの主要な購入・利用先の回答割合を線の太さで表現したものである.図1のように,小平市の東部地域における生鮮食品購入先の回答は,「花小金井駅周辺地区」で購買する割合が最も高い.一方,中部地域の回答では「一橋学園駅周辺地区」,西部地域は「小川駅周辺地区」などのそれぞれの地域から近い場所で購入する割合が高いほか,一部では「新宿駅周辺地区」や「吉祥寺駅周辺地区」などの都心方面の回答もみられた.娯楽サービスについては,小平市の東部地域は「新宿駅周辺地区」,中部地域と西部地域は「立川駅周辺地区」を利用する割合が最も高くなる一方で,相対的に小平市内における娯楽サービスの回答割合は低い傾向となっていた(図2). さらに,アンケート調査回答の購入・利用割合について,生鮮食品,紳士服・婦人服,娯楽サービス,教育サービス,外食サービス,医療・介護サービスの6項目について検討した.その結果,生鮮食品,教育サービス,医療・介護サービスなどの市民が日常的に利用するものに関しては小平市内やその近隣で購入・利用されていることが示された.一方,紳士服・婦人服,娯楽サービス,外食サービスについては,「新宿駅周辺」や「吉祥寺駅周辺」などの都心方面に加えて,「国分寺駅周辺」や「立川駅周辺」などの中央線沿線の商業地域がよく利用されていた.全体的にみれば,小平市東部地域の住民は「新宿駅周辺」や「吉祥寺駅周辺」などの都心方面において商品・サービスを購入・利用する傾向があるのに対して,西部地域の住民は「立川駅周辺」を回答する傾向があった.また,中部地域の住民は「国分寺駅周辺」の回答がやや多いが,おおむね東部地域と西部地域の購入・利用傾向の中間的なものとなっていた.以上のような小平市内で購入・利用先に差異がみられる傾向は,娯楽サービスでより顕著にみられた.つまり,服の購入,娯楽,外食などの週末の利用が想定される項目に関しては,小平市内よりも新宿や吉祥寺,立川などの中央線沿線の商業地域がよく利用されているといえる.
著者
横山 智
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.5, pp.287-304, 2001-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
40
被引用文献数
2

1991年に甚大な台風被害を受けた福岡県矢部村に右いて,斜面崩壊地の分布と台風災害の復旧状況に関わる,自然的要因ゲ人的要因,経済的要因を分析し,台風災害地の森林管理問題を考察した.分析地区の崩壊地は台風災害地と重なり,また大半の崩壊地は災害復旧がなされていない林分であった.崩壊地の発生要因には,自然的要因のほかに,台風災害復旧を行っていない,すなわち森林管理を放棄するという人的要因も関与していた.森林管理が放棄される傾向にある森林所有属性は不在村森林所有者であり,在村森林所有者と比較して災害復旧速度が相対的に遅い.また,復旧には,経済的要因も加わり,多くの要素が相互に関与しあって,森林管理の放棄に結びっいている状況を明らかにした.森林管理は,自然資源を活かした地域振興を試みる山村の存立基盤にも大きく影響するため,不在村森林所有者の問題をはじめとする森林の維持管理対策が山村には必要不可欠である.
著者
一ノ瀬 俊明 陳 宏
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.216, 2011

世界最速の都市化、自然条件の多様性というバックグラウンドを持つアジア地域の都市を対象に、環境配慮型都市デザインを実現するための研究を推進してきた。都市の物理的な形態、取り巻く自然条件の優位性、特有の政治・社会体制を最大限生かしたデザインを、日本国内では困難な社会実験(顕)などを通じて得られた知見(実証結果)をもとに提示し、グローバルな都市デザインへの貢献、都市計画のパラダイムシフト、低炭素都市実現への革新的ロードマップの提示をめざすものである。今日、経済的利潤の最大化よりも、よりよい環境の創造を優先させた都市計画の事例は存在せず(先進各国では実質的に不可能)、実現するとしたら、土地利用、都市計画における政策的トップダウンが有効であるアジア(中国など)をおいてほかにないとの考えのもと、数値シミュレーションではなく、実地で効果が検証できれば、都市計画の汎世界的なパラダイムシフトへ近づけるものと考えられる。これは、都市の普遍的な技術システム研究とは異なり、また、上記の視点は日本特有のものである。<BR> 手法としては、フィールド観測と数値シミュレーション、ワークショップが中心となる。その過程で、都市計画・建築計画に環境研究の結果を活かすために、その重要な要点を地図上に表現したもの(環境アトラス)を作成し、これをベースとした解析・議論を進める。たとえば、都市の自然を活かした暑さ対策は、その地域(都市)特有の自然条件、気候条件(海風や山風、緑地や河川)を活用するという意味では、特殊素材などの導入に比べ、空間スケールの大きな対策となりうるが、どこでも同じようにできるというものではない。またこの過程では、市民・行政官・専門家(研究者・デザイナー)がラウンドテーブルで、観測・シミュレーション結果、学術資料をもとに、都市環境に配慮した都市開発プランを討議し、合意形成を進めていくことが必要となる。このアプローチの有効性を確認し、普及させていくことにこの研究の意義がある。<BR> わが国と体制・制度・自然条件の異なる中国の都市において、制度的有利性に依拠した形での、新たな都市開発の方向性を模索し、都市の熱環境の悪化防止、あるいは改善を実現するような都市計画が具体の都市において実現することをめざし、武漢を対象として、数値計算や野外観測の結果にもとづき、来る3月にまちづくりワークショップを開催する。ここでは、「ヒートアイランド緩和策」を盛り込んだ市街地の整備プランなどの提案を行う。当日はその結果について報告する。<BR><BR>謝辞:本発表は、科研費基盤研究B「中国におけるクリマアトラスを通じた都市熱環境配慮型都市開発の実現」(代表・一ノ瀬俊明)の研究成果の一部である。
著者
田中 博春 井上 君夫 足立 幸穂 佐々木 華織 菅野 洋光 大原 源二 中園 江 吉川 実 後藤 伸寿
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.83, 2010

<B>I. はじめに</B><BR> 地球温暖化による気候変動は、農作物の栽培適地移動や栽培不適地の拡大、夏季の高温による人々の健康被害等、多くの好ましくない事例が発生することが懸念される。特に都市化に伴うヒートアイランドの拡大は、高温による人的被害をさらに助長する可能性があり、将来の気候変化を見据えた都市・農地の開発計画が必要である。そこで、農研機構が開発した「気候緩和機能評価モデル」に、気候シナリオを再現できる機能を組み込み、将来気候下で農地・緑地等の気候緩和機能を評価できるようにした。<BR><BR><B>II. モデル概要</B><BR> 「気候緩和機能評価モデル」は農研機構中央農業総合研究センターが2004~2006年に開発した領域気候モデルである(井上ほか, 2009)。コアモデルとしてTERC-RAMS(筑波大学陸域環境センター領域大気モデリングシステム)を用いており、サブモデルとして植生群落サブモデルと単層の都市キャノピーモデルを追加している。Windows XP搭載のPCにて日本全国を対象としたシミュレーションが可能であり、計算条件の設定から結果表示まで、すべてグラフィカルユーザーインターフェースによる操作が可能である。計算可能な期間は1982~2004年。計算可能な水平解像度は最大250m。1976,1987,1991,1997年の全国の土地利用を整備しており、それを元にユーザー側で自由に土地利用の変更が可能である。モデル内の都市を農地に変更することで、現在から将来までの農地の持つ気候緩和効果の理解が容易にできる。 2009年は上記モデルの「気候シナリオ版」を作成し、IPCCにより策定されたA1B気候シナリオに基づいた気候値の予測データ(MIROC)を組み込み、気温や降水量の変化を1kmメッシュで再現できるようにした。計算可能な期間は、1982~2004年の現在気候、および現在気候と同条件下の2030年代と2070年代の将来気候である。<BR><BR><B>III. モデル適用事例</B><BR> 現在気候の計算例として、仙台平野を中心とした領域における2004年7月20日の日平均気温分布を示す(図1(a))。この日は東京で史上最高気温(39.5℃)を記録するなど現在気候下で猛暑の事例である。モデル計算により、日平均気温28℃以上の高温域が仙台平野の広い範囲に分布していることが把握できる。<BR> 同じ期間における2030年代の気温を計算すると、計算領域全体で約1.5℃の気温上昇が認められる(図1(b))。仙台市を中心とする平野部が最も高温であり、海岸部では海風の進入によると思われる低温域が形成されている。さらに、同じ期間における2070年代の気温を計算すると、平野部を中心として32度以上の高温域が広範囲に形成されている(図1(c))。<BR> 2004年と2030年代の気温差を計算すると、領域北部で昇温が大きく、海岸部で相対的に小さい特徴的な分布が把握できる(図2)。これに関しては、海岸部では内陸の昇温により海風の進入が強まり、日中の昇温を現在よりも抑制することが考えられる等、将来の気候分布に力学的な解釈が適用可能である。<BR><BR><B>IV. モデルの利用方法</B><BR> 本気候緩和機能評価モデルの利用にあたっては、下記宛てにご連絡下さい。利用申請を頂いた後、500GB以上のハードディスクを郵送して頂くことで、プログラム・データを無償配布している。本気候緩和機能評価モデルは、日本国内の身近な地域の温暖化を予測するツールとして最適であり、大学や研究機関、中学校・高等学校にての教育や、自治体等で利用可能である。<BR><BR><B>連絡先:</B><BR>独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構<BR>東北農業研究センター やませ気象変動研究チーム<BR>田中 博春 宛<BR><BR><B>文献:</B><BR>井上君夫・木村富士男・日下博幸・吉川実・後藤伸寿・菅野洋光・佐々木華織・大原源二・中園江 2009. 気候緩和評価モデルの開発とPCシミュレーション. 中央農研研究報告 12: 1-25.<BR>
著者
河野 忠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.179, 2008 (Released:2008-07-19)

四国八十八ヶ所霊場を巡る遍路道は古来重要な道として栄えてきた。この遍路道は時代的な背景によってかなりの変遷がみられ,相当大きなルート変更もあったことであろう。四国八十八ヶ所霊場は弘法大師が設定したことになっているが,遍路道はお遍路が開拓,整備していったものであると思われる。遍路道と湧水の空間的な存在意義は,社会学や民俗学的な観点から研究が行われている。しかし,現在のルートが何故設定されたのかという検討は行われていない。その一つの試論として,実用的および自然地理学的な観点から遍路道の存在意義を考え,八十八ヶ所霊場途中にある水場から検討する。 お遍路は札所を巡っていく際に,道中の水場で休憩し水を補給して旅を続けなければならない。従って,水場の無い遍路道は次第に廃れていき,水場のある遍路道が開拓されていったと考えることができる。この遍路道途中にある水場の中には弘法大師が杖を突いたら水が出たという「弘法水」の伝説が数多く語り継がれており,四国内だけで100ヶ所以上,全国で1400ヶ所前後存在していることが明らかとなっている(河野,2002)。四国では札所の寺院に弘法水が存在している場合が多いが,遍路道途中にも相当数の弘法水が存在している。従って,お遍路は途中に水場のあることを重要な条件として遍路道を策定し,そこに弘法大師の偉大な足跡を後世に残すために路傍にあった湧水に,弘法水の伝説を摺り合わせていったと考えられる。 一方,弘法水の水質は,一般的な湧水と比較してミネラル分が異常に多く含まれていることがわかっている(河野,2002)。遍路道のある四国はほぼ全域が堆積岩地帯であり,そこから湧出する水はミネラル分に乏しい。お遍路のように長距離を歩く人にとってミネラル分の補給は重要であり,そこで,経験的にミネラル分の多い水場が選ばれたのではないかと考えられる。実際,遍路道上の湧水とそれ以外の湧水のミネラル分を比較すると,倍近い濃度差が検出された。従って,四国遍路道における水場はお遍路にとって体調維持のために重要なミネラルに富んだ湧水のある道が淘汰され残されたものと考えることができる。
著者
川口 夏希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.151, 2018 (Released:2018-12-01)

1.ジェントリフィケーションと「ルーラル」ジェントリフィケーション ジェントリフィケーションは従来,大都市内部のインナーシティで生起する,極めて都市的な現象として理解されてきたと言えよう.産業構造の転換の中で衰退したかつての工業地域が再価値付与され,地区の景観および居住者の社会階層の変化,低所得者層やマイノリティといった旧住民の立退きが引き起こされるという現象である. ジェントリフィケーションをめぐっては,ニール・スミスの議論に代表される,地代格差によって利潤を得ようとする資本の動きや,ポストフォーディズム期の社会集団と嗜好性の変化といった,様々な論点から議論が蓄積されてきたが,そこに共通しているのは,インナーシティという大都市内部の衰退した(価値が損なわれた)空間に対する価値の再付与をめぐった諸力のせめぎ合いであるという点であろう. しかしながら近年,インナーシティだけではなく,都市とは大きく背景の異なる「ルーラル」エリアにおいてもジェントリフィケーションが生起することが提起されている.このルーラル・ジェントリフィケーションと呼ばれる現象を,どのように理解すればよいのであろうか.ルーラルな空間への価値の再付与はどのようにして起こっているのであろうか.どのような社会経済的背景において,誰によって,何が価値付けられるのであろうか.そして,その過程において,どのようにジェントリフィケーションへと帰結していくのか,明らかにする必要がある.2.「豊穣化」による可能性とジェントリフィケーション 「価値の再付与」をめぐっては,市場経済自体の変化に目を向けることが重要である.現在,とりわけ先進諸国では,企業は過去の物語を内包する,「すでにあるもの」の価値の再付与によって利潤を得る傾向にある.フランスの社会学者であるボルタンスキーとエスケールによって「豊穣化の経済」として近年論じられるものである.その議論の中で強調されるのは,豊穣化の経済において,歴史的な地区,アート・文化によって意味づけをされた場所が豊穣化されるという点である.加えて,その豊穣化のプロセスは,衰退した地域(たとえば,脱工業化によって衰退した工業地域)に「再生」の可能性を与える一方で,ジェントリフィケーションのリスクをも併せ持つことが指摘されている.地域のコモンズの生産なのか,あるいは,ジェントリフィケーシォンの生起なのか,価値の再付与が有する両義性の指摘であるとも換言できよう.3.兵庫県篠山市の経験 以上のような問題意識を踏まえて,本報告では,兵庫県篠山市で行われている地域再生に向けた取り組みを事例として取り上げる.篠山市は,大阪市,神戸市,京都市から約50kmに位置する人口4万人強の小都市である.近年,日本においても,歴史的な街区や建造物のリノベーションが注目を集め,農村部への若年層の移住が増加する中,篠山市もまた,若年層の移住と古民家のリノベーションやコンバージョンが顕著な地域である. 他方で,人口減少,高齢化,空き家問題,限界集落といった日本の地方都市に共通する深刻な問題を抱えながら,地域に残る歴史的景観や古民家,里山での生活の価値を見直し,地域再生へとつなげようとする政策や取り組みが実践されている. 篠山市の事例を通じて,価値の再付与(豊穣化)がルーラルな地域に再生をもたらすのか,それともジェントリフケーションへと帰結してしまうのか,検討したい.
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.233, 2010

<B>I はじめに</B><br> 全国各地の神社で行われる風の祭祀は二千数百余を数えるが、災害除けが祈願されることが多く、地域の自然、生産などとの深いかかわりがみられる。祭祀は名称や形態等、地域によりさまざまであり、そこでの風の捉え方や意味などを明らかにすることは、こうした記事を含む史料にもとづいて気候を復元する場合などに資するものと考えられる。もとより各地の気候にまつわる行事の分析には多面的な検討を必要とし、さらに災害除の祈願といえ、台風常襲地域や豪雪地域でも、それらは祭祀の対象とされないことも多く、自然現象とその記録との関係について、詳細な検討を必要とする。さきに神社において行われる風の祭祀について特色を明らかにしたが、風の祭祀は神社のみならず、寺院において、集落や個人宅においても行われる。全国の自治体史などから新たに、風の祭祀にまつわる千件余りの行事を収集し、先の風の祭祀のデータベースに加えた。ここではこれらも含めて、風の祭祀にかんして多少の再検討を試みる。<br><br><B>II 風の神の呼称</B><br> 風に対しては一般的な神名のみならず、民間にさまざまな呼称がある。その例に「風の三郎」があり、それに類した名称を用いる地域が新潟、福島、山形などにみられる。また長野や、岐阜、静岡から伊豆諸島にもみられる。風の三郎と呼ぶのは、山麓に多く、会津から流れる阿賀野川と米沢からの荒川の間にそびえる飯豊山の麓や、またその山麓から離れた島嶼、海岸部にも、風の三郎の例がみられる。信濃川の北岸、信越国境にそびえる菱ヶ岳山麓付近、また上越国境にそびえる谷川岳の山麓付近にも、風の三郎がみられる。<br> 風の三郎は、山上や山麓などに祀られることが多く、狩猟あるいは漁労とかかわりが深い。ここでは強風に限らず、さまざまな風が含まれる。海上では順風も必要であり、風は生産に必要なものとしても捉えられる。<br><br><B>III 風の祭礼の特色</B><br> 社寺また集落などで行われるにせよ、風の祭礼には、五穀豊穣祈願や厄払いなどの要素が含まれる。それらは相互にかかわりあい、地域的差異や時代的変容も大きい。その例として風の鎌立(風切鎌)があげられるが、広域に分布する(図)。山間地に多いが平野部にもあり、そこには農耕や田の神とのかかわりがみられる。風塞ぎ、風の神送りなど災害除けとしての風の祭祀も多い一方、鎌はその設置の状態、位置、代替の御幣、強風の中での呼び声など、風が必ずしも厄払いの対象でないことを示すものも多い。<br> 風の祭礼では、田の神、山の神、風の神などに対する豊作祈願、豊猟・漁祈願、鎮風祈願などが主であるが、こうした祭日は春や初夏にもみられる。一方とくに鎌立てにまつわる風の祭礼は八月二十七日や二百十日ころに多く行われる。これらは稲の開花期の後の登熟期にあたり、収穫を前にして催される行事とみることができる。 <br><br><B>IV 風の祭礼の分布と地域的な風のかかわり</B><br> 豊作予祝や豊猟・豊漁祈願として、山地や山麓周辺での春や初夏での風の祭礼は、基本的なものである。こうした地域には、地形による局地的強風が含まれる場合もあり、それらは春の嵐などに伴いもたらされることが多く、風の神のみならず田や山や神への祈願が結びつくものと考えられる。なお古代以来、風祭は龍田の祭として行われるが、この風も台風とは性格の異なるものと考えられる。<br> さらに風の祭礼は八月下旬から九月上旬に行われるものが多く、とくに二百十日の祭とされる。これらは山地に限らず、平野部の農村地域にも広くみられる。盆ともよばれて収穫を前にした農村の行事であるが、八月二十七日は諏訪の祭で鎌はその神器のひとつでもあるため、そこでの習合も考えられる。
著者
塚本 僚平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.12, 2011 (Released:2011-05-24)

1.はじめに 近年の地場産業研究においては,伝統的地場産業や都市型地場産業に関する蓄積がみられた。しかし,その一方で,地方部において日用消費財(伝統性が強調されない製品)を生産する産地(地方型・現代型の産地)が研究対象としてとり上げられることは少なかった。こうした産地は,労賃の高騰や輸入品との競合といった各種の環境変化の影響を受けやすいため,そうした問題に関する様々な対策が講じられている。本報告では,地方型・現代型の産地である今治タオル産地をとり上げ,主に1980年代以降に起こった産地の変化を捉え,分析する。 2.タオル製造業の動向と今治タオル産地 日本国内には,今治(愛媛県)と泉州(大阪府)の二大タオル産地があり,国内生産額の約8割が両産地によって占められている。このうち,今治タオル産地では,先染先晒と呼ばれる製法によって,細かな模様が施された高級タオル(それらの多くは,高級ファッションブランドのOEM製品)やタオルケットが多く生産されてきた。また,泉州タオル産地では,後染後晒と呼ばれる製法によって,白タオルや企業の名入れタオルが多く生産されてきた。 今治では,1984年からタオル生産がはじめられ,その後,度重なる機器の革新を背景に,高級タオルを生産する産地へと成長していった。1955年に生産額が国内1位になった後も成長を続け,1985年にピーク(816億円)を迎えた。また,その後も,1991年まで700億円以上の生産額を維持し続けるなど,国内最大の産地として今日まで維持されてきた。 3.産地の縮小と産地の対応 国内のタオル産地は,1990年代前半までは,順調な成長を遂げてきたが,近年では,新興国からの輸入品に押され,苦戦を強いられている。今治タオル産地も例外ではなく,2009年時点での企業数は135社(対ピーク時,73%減),2,652人(同,76%減),生産量9,381t(同,81%減),生産額133億円(同,84%減)となっている。 こうした事態を受け,産地内では生産工程の海外移転や一貫化,産地ブランド化・自社ブランド化といった動きが起こった。このうち,生産工程の海外移転・一貫化については,一部の有力企業に限ってみられる現象である。これは,ブランドのOEM委託先が,海外へとシフトし始めたことへの対応策として採られたものであり,コスト低減のほか,リードタイムの短縮,品質向上等も目的としている。 一方の産地ブランド化・自社ブランド化は,従来のOEM生産を主体とした問屋依存型の生産構造からの脱却を狙うものである。産地ブランド化については,四国タオル工業組合が主体となって事業を推進し,ブランドマーク・ロゴの制定から品質基準の作成,新製品開発,メディアプロモーション等が行われてきた。結果,産地の知名度の高まりや,流通経路の多様化といった効果がみられ,そうした流れのなかで,自社ブランドを展開する企業も増加してきた。 4.おわりに 近年の今治タオル産地では,従来からの産地内分業が維持される一方で,一部の企業においては,生産工程の海外移転や一貫化といった変化が確認された。このうち,海外生産については,逆輸入品の流入による市場の圧迫や産地ブランドへの影響を懸念する声が聞かれた。また,当該産地における産地ブランド化事業は,成功事例の一つといえるが,産地ブランドに対する認識には企業間での温度差がみられた。
著者
前畑 明美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.184, 2005

1.研究目的 日本は、周囲を海洋に囲まれた世界有数の島嶼国である。その広大な本土とは対照的に、小島嶼では第二次世界大戦以降、本土との隔絶から派生する「後進性」の改善が要請され、国による「離島」振興が推進されてきた。特に1960年代からの「架橋時代」、島々は本土からの莫大な投資により近代化・資本主義化を進め、急速にその孤立性を喪失したといわれる。しかし現在も、それら多くの島嶼では後進性からの脱却は果たされていない。人口減少と高齢化、地場産業の衰退、共同体の消滅によって社会的存続の危機にある。今や日本の島々は、縁辺地域として固定化され、最も生活空間の様相が変質し地域社会の衰退が顕著な地域となってきている。本報告では、沖縄の浜比嘉島を事例とし、"架橋化"という島の大近代化事業を通した「島社会」の変容とそのしくみを、"島嶼性"を考慮しながら総合的に検討してみたい。2.島嶼の架橋化 島嶼地域の架橋化は、事実上、海上交通から常時陸上交通システムへの移行を意味する。それは島嶼の特性である海による本土からの隔絶性を除去し、自然の制約を越えた人と物の自由な往来を可能とする。これまで「離島」振興においては、この隔絶性の解消こそが島の抱える社会・経済問題を解決すると考えられてきた。広域化・大規模化・高速化へと進む現代社会にあり、生活や生産・流通にもたらす橋のプラス効果は絶大、かつ人口減少を抑制するとみなされている。いわば後進性脱却への最終手段である架橋化は今日まで諸島嶼で進められ、現在120橋を数える。3.対象地と方法 浜比嘉島は、沖縄本島中部東海岸の太平洋上に浮かぶ、面積が約2㎢の島である。農業に加え、沖縄屈指の広大なイノー(サンゴ礁の浅い礁池)を背景に漁業を基幹産業としている。琉球開闢の神が渡来した島として知られる浜比嘉島もまた、戦後に人口が減少の一途をたどり(1997年の架橋の前には、40年間に国勢調査人口は1372人から421人へと約70%減少)、過疎が進行していた。 用いるデータは、島での面接による聞き取り・参与観察に拠るもの、そして各種の統計である。これらを基に、島の内情についての価値判断に重点をおき、架橋化に伴う生活の質的変化をみていく。その際、様々な要素から成る「島社会」を捉えるには多面的な考察が必要となる。本研究では、人口・産業・共同体の三つの側面から変容の全体像にせまり、それをふまえそのしくみについて明らかにする。4.結果の概要(1)架橋後の島では、交流人口が増加したにもかかわらず、人口再生産はなお縮小し、引き続き人口の減少傾向がみられる。(2)産業も、その再編過程においてモズク養殖への特化に至り、全体として縮小・不安定化している。(3)共同体は内部の個別化・孤立化を受けて急速に弱体化し、解体へと向かっている。(4)日々の生活や産業、共同体の複合体として成立する「島社会」は、存立基盤そのものを喪失しつつある。その結果、本島への依存性が強まる中、受動的変化を遂げながら「島社会」は著しく衰退してきている。しかしこうした島の動静は、島嶼の人々の人間関係や人と島との関係における現代社会特有の変容ともまた別言される。(5)近年の島の変容は、架橋化のもたらした輸送や心理の効果が、海に基づく「人の繋がり」や「多様な暮らし」を包括していた伝統的「島社会」に対し限定的に、同時にマイナスとしても全般的に働いた帰結である。先行研究では人口面での架橋効果が示されているが(宮内・下里,2003)、島の統計人口を扱う際の問題、さらに「島社会」全体のプラス面を上回るマイナス面の影響にも留意していく必要があると考える。島嶼地域の架橋化は、確かに海上交通にはない利便性を島にもたらす。しかし事例を通しては、島独自の社会生活の向上、および社会的存続という点では、その効果が島嶼の特性に十分に反映されず、一定以上の効果を生み出すのは難しいといえる。
著者
加藤 晶子 荻津 達
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<br><br>長周期地震動(周期1秒以上)の地域的な差異 については、地下の地質構造に起因していると考えられている。千葉県では地震動の速度応答(建造物のゆれの大きさに対応する)の分布が、房総半島中央部で周期10〜12秒で周辺の地域より高い値を示すことがわかっており、地下構造探査で先新第三系上面深度が最も深い5000m以上と見積もられている地域とほぼ重なっている。本研究では、この先新第三系上面が深い地域において、地震の観測波形から、先新第三系の上面深度とゆれが大きくなりやすい周期の関係を明らかにするとともに、表層が沖積層や埋立層の場合に増幅・周期ののびの影響が生じるため、表層地質の異なる観測点の比較を行った。対象地域は房総半島中西部をとし、市原市ちはら台、同市有秋台(各々の先新第三系上面深度はおよそ3500m、5000m、表層地質は更新統下総層群、標高約40m)に速度計(測定範囲0.01~100秒)を、木更津市鎌足(先新第三系上面深度4500m、下総層群)に加速度計(測定範囲0.03~10秒)を設置している。また、沖積層上の地点として市原市牛久(先新第三系上面深度およそ4500m)、市原市沿岸部3カ所(先新第三系上面深度およそ3500m)の加速度計で観測した。対象とした地震は、最近2年間に観測されたものから、①大規模(マグニチュード5.5以上)-震央が遠いもの、②大規模-やや近いもの、③小規模-近いものを選定し、各観測点での波形データから速度応答スペクトルの解析を行った。①の大規模-遠い地震の場合、ゆれが大きくなる周期は、ちはら台2~2.5秒および9~10秒、有秋台2~3.5秒および9~10秒、鎌足2秒付近となっており、基盤深度の差が影響していると考えられる。加速度計では10秒程度の長周期地震動を観測できず、速度応答に反映されない。また、震央が遠い地震では、距離減衰が大きいく、地震動がより長周期側に出る沖積層上の観測点では記録が得られなかった。さらに、震源が浅く、ごく遠い海外の大規模地震では、減衰されにくい表面波のみが12秒前後の長周期地震動として観測された。②のやや近い大規模地震の場合には、ちはら台・有秋台ともに0.5秒前後で速度応答が大きくなっている。③近い小規模地震)の場合には、ちはら台で0.1~0.3秒、有秋台で0.3秒、鎌足で0.2~0.3秒、牛久で0.3~0.4秒、市原市沿岸部0.15~0.2秒にピークがあり、基盤深度の影響がみられる。これらのなかで比較的規模の大きい地震(マグニチュード5.2)では、0.5秒前後にピークがあるが、地震のエネルギー規模が大きくなるほど長周期の波が観測されるためと考えられる。これまでの結果では、表層地質の違いによる周期への影響は先新第三系の深度によるものより小さい。しかし、沖積層上の観測点では加速度計の記録であるため、周期2秒以上の速度応答が充分得られておらず、その周期域における解析はさらに必要と考えている。
著者
小口 高 近藤 康久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

オマーン内陸部のワディ・アル=カビール盆地は、大規模な山地であるハジャル山脈の南麓に位置する。盆地には涸れ川(ワディ)が分布しており、とくに東から流入するワディ・アル=カビールと、北から流入するワディ・フワイバが顕著である。本地域は1988年にユネスコの世界文化遺産に登録された「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」の一部を含み、石積みの墓などの完新世中期の人類遺跡で知られる。さらに旧石器時代の遺物も発見されており、日本、米国、ドイツなどの考古学者が近年活発に調査を行っている。 演者らは2013年初頭にワディ・アル=カビール盆地とその周辺の地形と地質を調査した。その結果、興味深い斜面地形、河川地形、表層堆積物が確認された。その一例は、盆地の北東部に位置する比高300 m程度の山地と山麓の地形(図1)である。山地の中部~下部の斜面には、基板岩の構造を反映する帯状の凹凸がみられ、凸部(図1の暗色部、A)には石器の材料となる良質のチャートが含まれる。山地斜面の谷の両脇には開析された崖錐斜面(B)が分布する。山麓の一部には扇状地がみられ、相対的に古いもの(C)と新しいもの(D)を識別できる。さらにその下方にはワディ・アル=カビールが形成した氾濫原が分布している(E)。崖錐斜面や扇状地の地表面および堆積物から、中期旧石器などの考古遺物が発見された。 既存研究によると、中東地域の開析された崖錐斜面は氷期~間氷期の気候変化を反映する。現地観察によると、扇状地や氾濫原における完新世中期以降の地形変化は概して不活発であり、それ以前に大規模な堆積を含む顕著な地形変化があったと考えられる。今後、地形変化の実態と人類史との関係を、さらなる現地調査を通じて詳しく検討する予定である。
著者
伊藤 修一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.220, 2009

<U>I はじめに</U> 東京湾アクアラインが開通してから11年以上経過した.<BR>アクアラインは千葉県木更津市と神奈川県川崎市との間を結び,開通前には両都市間の移動には約90分もかかっていたが,開通後には約30分と3分の1に短縮された.<BR>さらに,木更津市などから東京都区内や横浜・川崎駅との間を結ぶ,アクアライン経由の高速バスの路線網は拡大し続けている.そのバス利用者の増加率は毎年10%程度を維持している.<BR>このことは,自家用車を自由に利用できない者にとっても,東京や横浜方面と南房総との間の交通利便性が向上していることを示している.本研究では,木更津市内に通学するという,アクアラインの利用可能性が高い大学生を対象として,特に東京や横浜方面への移動におけるアクアラインの利用状況に注目して,個人の特性との関係について考察する.<BR><U>II 研究方法</U> 対象者は木更津市の清和大学に通学する学生である.このうち,発表者が担当する人文地理学Iの2008年7月3日の受講者を対象としている.対象者に対して,質問紙による調査を30分程度かけて実施し,68人から有効回答を得た.<BR>質問内容はアクアラインの利用に関するものと,都区内と横浜市内への訪問に関するものに分けられる.アクアラインの利用に関しては,アクアラインの認知とその利用の有無や頻度,利用した際の交通手段,出発地と最終目的地,その間の所要時間などについて質問した.<BR>都区内と横浜市内への訪問に関する質問は,アクアラインを利用するかどうかを問わずに,それぞれの地域へ訪問する際のルートとその所要時間を尋ねた.<BR><U>III アクアラインの利用とルート選択</U> <U>1) 対象者の特徴</U> 67人は千葉県内に居住し,そのうち,52人は木更津市と隣接する市原市や君津市,富津市,袖ヶ浦市から通学している.ただし,入学時に千葉県内へ転入した者は29人おり,このうち27人は木更津市に居住している.そのため,対象者は平均19.7歳であるが,高校卒業前から県内に居住していた者は平均16.5年現住地に居住しているのに対して,県外出身者は0.38年と短い.<BR>また,自動車運転免許所有者は28人であるが,このうち全く運転しない者が12人おり,免許を持たない者を含めると51人が日常的に自動車を運転しない.<BR>そのこともあって,29人が最終目的地として都区内に1度も訪れたことがなく,横浜市内へは40人が1度も訪問したことがない.また,両地域ともに訪問経験がない者は22人と,東京大都市圏縁辺に居住していることもあって行動圏の狭い者が少なくない.特に県外出身者は,都区内に訪れたことがある者は11人,横浜市内には6人のみが訪問経験があり,県内出身者よりも少ない.<BR><U>2) アクアラインの利用</U> 対象者のうち,60人はアクアラインを1度以上利用している.このうち定期的な利用者は6人である.他は44人がこれまでに往復で平均4.9回利用しており,このうち9人は10回以上利用している.<BR>こうした利用回数の,出身地による違いは小さいが,その利用内容は,出身地によって大きく異なる.県内出身者がアクアラインを利用して最もよく訪れる目的地は,都区内と,横浜市内7人を含む神奈川県がともに11人と最も多い.これらの地域へは,11人が食事や買い物を目的としない観光で訪れており,7人が食事や買い物を目的として訪問している.<BR>一方,県外出身者には,都区部や神奈川県が目的地だった者は8人と県内出身者と比べて少ない.17人は出身地との移動の際に利用しており,引越しなどで短い期間にアクアラインを利用する機会が多い.<BR>こうした目的地までは,県内出身者のうち,24人は他人が運転する自動車で移動しているのに対して,県外出身者は18人が高速バスで移動しており,その移動手段に違いもある.<BR><U>3) 東京・横浜方面へのルート選択</U> アクアライン経由のルートを選ぶ理由として,47人が早く目的地へ着けることを挙げている.実際,36人はアクアライン経由のルートのみを利用している.<BR>一方で,アクアラインを経由しないでその目的地まで行ったことがある者も22人と少なくない.このうち15人は鉄道を利用して移動している.アクアラインを経由した場合とそうでない場合の所要時間がわかる17人のうち,それを経由した場合の所要時間のほうが長い者は1人のみに過ぎない.<BR><U>IV おわりに</U> アクアラインの利便性はよく認知され,非日常的な行動圏の拡大に貢献している.ただし,自家用車に同乗できるかどうかという環境は,大都市圏中心部への行動に影響している.これは,この地域に居住する交通弱者にとっては,それが十分ではない可能性を示唆している.
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>【はじめに】</b>東日本大震災では、岩手県宮古市でも津波襲来直前まで防潮堤門扉の閉鎖や警戒活動等に携わっていた消防団員16名が殉職された。現在、被災地だけでなく日本各地で地域防災計画の見直しが行われており、命を優先した避難体制の強化が求められている。 本発表では、2012年12月7日に三陸沖で発生したマグニチュード7.3の地震に対応した消防団員の行動を考察し、岩手県宮古市で現在進められている「津波避難計画」の中の「緊急避難(レベル)」を紹介する。また、命を優先した避難体制との係りから防潮堤の門扉や乗り越し道路等のハード面についても若干の考察を加えたい。<b>【被災地区消防団員の津波警戒時の対応行動】</b>2012年12月7日17時18分頃に三陸沖(牡鹿半島の東、約240km付近)でマグニチュード7.3(速報値)の地震が発生し、盛岡市と滝沢村で震度5弱、また久慈市、宮古市、陸前高田市等で震度4が観測された。この地震による強い揺れを受けて、宮古市では17時18分に災害警戒本部が設置された。一方、気象庁では17時22分に青森県太平洋沿岸、岩手県、福島県、茨城県に津波注意報が発表され、宮古市での津波到達予想時刻が17時50分とされた。消防団員は、地震による揺れを感じた場合には、取り決めとして、防潮堤の門扉の閉鎖や地域住民の避難誘導等に当たるために、災害本部等からの指示を待たずにまずはそれぞれ屯所に向かう。例えば、東日本大震災の津波被災地区の宮古市新川町に立地する第一分団の分団員Aは、地震発生時17時18分に屯所と同じに町内の職場におり、道のり約130mを歩いて17時21分に屯所に到着し、屯所から道のり約50mにある「第三水門」を「1分で閉めた」という。しかし、非被災地区の仮設住宅に住んでいる分団員Bは、地震発生時17時18分に仮設住宅で夕食の準備をしており、多少片付けてから道のり約1.5㎞を歩いて22分かかり17時40分に「既に閉じられていた第三水門」に到着した。そして、屯所から道のり約290mの中央公民館まで歩いて到着し、津波到達予想時刻の17時50分に「高台避難」を完了させた。このように津波被災地区では、東日本大震災以降、被災者である消防団員の多くが非被災地区の仮設住宅等に移り住んだために、地震発生直後数分で津波警戒行動に従事できる「被災地区で生活する分団員」の人数が極めて少なくなり、被災地区に立地する消防分団の緊急時の活動が極限られた分団員で何とか維持されている。これは、消防団員の高齢化と共に看過できない問題である。<b>【宮古市津波避難計画における緊急避難】</b>宮古市では、地域防災計画で「消防団員は津波到達予測時刻10分前には高台に避難していなければならない」という「10分ルール」を定めた。そして、これを完了させるために20分前には防災行政無線で消防団員の避難を呼びかけることとしている。従って、宮古市では津波到達予想時刻の20分前からは浸水の恐れがある地区での消防団等による公助が基本的一時的に終了し、それ以降から津波到達予想時刻までは共助と自助で住民個々の避難が行われなければならないこととなる。2014年1月現在策定中の宮古市各地区での「津波避難計画」では、消防団の「10分ルール」に呼応する形で、地域住民の避難行動も津波到達予想時刻の20分前から「緊急避難(レベル)」に移行することが提示されている。「緊急避難」とは「津波到達予想時刻の20分前になった時点で初動避難の目標の避難場所に到達していない場合の避難行動の様式」である。約20分後に津波が到達することと、自分の体力との関係を考慮した上で、現在位置から「目標の避難場所」に到達できるかできないかを判断して、できると考えた場合にはそのままの徒歩等を続けて、できないと考えた場合には現在位置から一番近い避難ビル等の高所に逃げ込む。これは、堤防を越えた津波の動きの解析と人びとの体力に応じた避難行動の様式に基づいている(岩船 2012)。<b>【防潮堤門扉の手動閉鎖の問題】</b>宮古市の消防団の「10分ルール」および「緊急避難」の実施を考えた場合、漁港等と市街地との間に設置された防潮堤門扉の閉鎖はそれらを妨げる可能性が高い。例えば、津波襲来前に「船出し」を行うために港に急行したい漁業関係の「懇願」等によって、ギリギリまで門扉を閉鎖できないからだ。安全性を考慮して遠隔操作できる門扉等が開発されているが、津波襲来直前まで堤外にいる人々の「自助」での避難行動を阻害しないためにも「乗り越し道路」が少なくとも要所に一つは必要であろう。地面との比高が大きい堤防であるほど、設置に必要な用地も広くなるが、生死が懸かった究極の場面でのトラブルを未然に防ぐためにも、各自の判断で避難行動が自由に選択できる施設環境が整備されることが望ましいだろう。