著者
黄 璐
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>2016(平成28)年熊本地震では,震度7を2回記録する地震が発生し,熊本市全地域における住宅は多くの被害を受けた.被災地の生活を再建するに当たり,住宅再建は重要な課題の一つである.そのため,2016年4月以降に発生した熊本地震における地域コミュニティの被害と復興過程について検討してきた.とくに被災地の中,住民主導による速やかに生活が再建できた東無田集落を対象にし,主体間の関係性を着目しながら,復興の主体の関係づくりはいかに震災復興に影響したのかを分析することを目的とする.</p><p> 本報告は,熊本地震による被害の概要を振り返ったうえで,熊本地震の被災地で見られた地域コミュニティが地震直後からどのように生活を再建したのか,また,長期的な復興過程でどのように他の復興主体と関係づくりをしたのかについて検討しながら,地域コミュニティの自主行動にみられる主体性,とりわけ状況に応じて臨機応変にとられた行動について検討した.</p><p> そこで,まず行政,マスメディア,外部支援者など関係当事者が,被災地住民を支援する体制を表現する枠組みとして提起された「減災の四面体モデル」を援用し,この四つの関係当事者を災害復興の主体として主体関係を考察する.また,災害から復旧・復興の過程についての古典的なモデルに基づき,震災復興過程を①生活・住宅再建期,②復興主体形成期,③復興課題解決期3つの期間ごとに分析した.さらに,住民主導型災害復興に着目しながら,各段階の主体行動と関係性から震災復興における主体関係性とその形成要因を明らかにした.</p><p> 対象地域(東無田集落)の被害状況は以下の通りである.①集落全体の住宅被害が顕著し,約7割以上は全半壊を受けた.②集落住民の7割は高齢者であり,自力再建世帯は約60戸であった.③仮設住宅入居数は76戸中192名であった.集落の復旧・復興のために,どのように自発的に取り組んでいるのかとその効果,これらの活動を通して,他の主体との間にどのような関係を構築したのかを明らかにするため,2020と2021年に復興と関わる重要な人物と集落住民に向けた聞き取り調査とアンケート調査を実施した.</p><p> その結果として,東無田集落の復興特徴は以下の3点が挙げられる。①生活再建期(2016年4月-2016年6月):この期間は,独自のボランティアを受け入れた集落住民は外部支援者との双方向関係が構築することができ,ボランティア団体の作業効率化したうえ,集落の住宅解体作業が他地区よりも相対的に早く進んだ.②復興主体形成期(2016年-2017年2月):この時期は,東無田復興委員会の活躍を通じて,集落住民が復興の活動に主体的に取り組み外部から来る人々との交流を通じて主体性を回復させ,復興を自らの問題として取り組む時期である.とくにインターネットの活用,マスメディア団体を依頼と東無田独自の災害スタディーツアーなど積極的な活動を通じて,集落住民・復興組織とマスメディアとの双方向関係を促進できた.このような外部との交流の事業化は,外部へ発信しながら,積極的に行動を起こす住民の存在特に高齢住民の生きがいを発見しながら,集落と外部の関係だけでなく,集落内部関係も緊密に結びつけた.このような関係づくりはその後の復興課題の解決に多大な影響を与えた.③復興の課題解決期(2017年-2019年10月):この時期は,住民を主体としてまちづくり協議会と連動し,復興の目標を実現するための活動時期である.その典型例としては,災害公営住宅の建設問題について,協議会と意識高い住民を中心として展開より意識的課題解決に向けた能動的活動を行い,成果を取得した.さらに,この段階には行政との関係は以前の単一関係から双方向関係へ進化したことも明らかになった。</p><p> 主体性の立場から対象地域の復興過程の全体像を捉えるうえで,主体関係性からみた震災復興過程の地理学視点は次の3点が有効である.第1に,平時からの住民自治によるコミュニティづくりの取組が,住民同士の間,住民と行政または他の主体との信頼関係を築くことに有益である.第2に,地域住民は他の主体間の双方向関係は地域の復興効果を高めていると推測できる。特に本報告の場合,住民と外部支援者・マスメディアと支援したり支援されたり双方向関係の支え合い関係が災害復興に強い地域社会をつくることと繋がっている.また,住民主体的な復興といっても,行政や他の主体の役割も大きい.第3に,住民内部の相互関係づくりが震災復興の前提となり,住民主体の内発的意識と行動を呼び起こす中心人物が重要であることが指摘できる.</p>
著者
小泉 諒 杉山 和明 荒又 美陽 山口 晋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.232-261, 2021 (Released:2021-08-03)
参考文献数
58
被引用文献数
3

本稿は,2018年の平昌冬季五輪で浮き彫りとなった五輪招致と南北関係,セキュリティ,環境問題,そして跡地や競技施設の利用にかかわる論点を,ボイコフの「祝賀資本主義」の議論を踏まえ検討した.平昌の五輪招致活動は3度にわたったが,会場計画を含めて,その時々の国内および国際的な政治状況に大きく左右されてきた.国家的なセキュリタイゼーションは平昌でも見られ,東京五輪の関係者による視察が行われたことから,レガシーとして引き継がれる点も多いと考えられる.また平昌冬季五輪開催において国際的な批判の対象となった環境問題は自然林の伐採であり,46年前の札幌冬季五輪と比較しても環境負荷には改善が見られない.長野では大会後の利用困難が見通されていたにもかかわらず競技施設の建設が進められ,平昌もまた同様の事態となった.
著者
野上 道男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

中国史書によれば2世紀末に倭国に「乱」があり、それを契機に卑弥呼が国王に共立された、という.日本の歴史における古代はここに始まると見て良いであろう.結論を先にすると「倭国乱」は冷夏による2年続きの飢饉で起きた社会不安と食を求める民衆の流浪が実態であり、戦乱ではない.冷夏の原因はタウポ火山(NZの北島)の大噴火である.<br> 以下の項目について、検証した(ここでは内容の詳細は省略).<br>1)氷床コアの記録: 2)中国史書の記録:3)古事記・日本書紀の記事:<br> 崇神7年は豊作だった.豊作で2年続きの「疾疫」が治ったのであるから、それが栄養失調症であったことをうかがわせる.さらに崇神12年の条には天皇が回顧して言う言葉の中に「寒さ暑さ序を失えり.疾病多に起こりて、百姓災を蒙る」とある.つまり疾疫が農と関係する栄養失調症であり、その原因は異常気象であったことがさらに明確に述べられている.<br> 伝染病の大流行によって土地を捨てる流民は発生しないだろう.食を求めて「百姓流離」と解釈する方が自然である.魏志韓伝の同時代にも、後漢が植民地支配していた楽浪郡の郡県から韓人の流民が起こったとの記事がある.中国の黄巾の乱(民衆蜂起)や流民の発生は凶作飢饉が原因である.民衆は課税の対象である水田を捨て、冷夏に強いドングリなどの果実が豊富でヒエ・アワなら稔る落葉広葉樹林帯に疎開したのであろう.<br> 非農業人口が多く稲作依存率が高い地方(弥生時代の先進地域、すなわち九州地方北部)ほど冷夏飢饉の影響は深刻だったはずである.クラカタウ火山大噴火による宣化元年(536年)の飢饉の際にも、各地の屯倉の米を那の津(博多港)の倉庫に集めるよう、勅令が出されている.

2 0 0 0 OA リビヤ沙漠

著者
小笠原 義勝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理 (ISSN:21851697)
巻号頁・発行日
vol.2, no.4, pp.551-559, 1939-10-20 (Released:2010-03-19)
参考文献数
7
著者
神田 孝治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<B>Ⅰ. はじめに</B><BR> 近年,映像メディアの撮影地を訪れて映像の世界を追体験する、フィルム・ツーリズムが注目を集めている。こうした観光が既存の観光地を舞台とする場合、映像メディアによる同地の空間表象は、それまで魅力を生じさせていたものと必ずしも同じではない。本研究では、映像メディアによってかつてない新しい空間表象が観光地にもたらされた場合、現地の地域社会がどのように反応するのかについて、映画『めがね』の舞台となった与論島と、アニメ『ひぐらしのなく頃に』の舞台のモデルとされる白川郷を取り上げて検討する。<BR><B>Ⅱ.映画『めがね』と与論島</B><BR> 与論島は、沖縄本島の北方約23kmの距離にある、周囲約21.9kmの小さな島である。この地は、1953年から1972年の沖縄本土復帰まで、南西諸島における日本最南端となっており、1970年前後にはサンゴ礁と美しい海の観光地として人気を博した。かかる観光ブーム時の与論島は、若者にとっての「自由」の島、「恋愛」の島であるとされ、ある週刊誌ではそこを奔放な性の楽園として描き出した。そうした与論島の空間表象や、それをもとに展開される若い観光客たちの実践は、地域社会の大きな反発を招いた。しかしながら、沖縄観光の本格化などを背景に、1979年をピークに観光客が漸減するなかで、次第に観光客と地域社会の対立は表面化しなくなっていった。<BR> 2007年に公開された映画『めがね』は、この与論島をロケ地としており、そこに新しいイメージを付与している。「何が自由か、知っている」をキャッチコピーとする同映画は、都会から南の島にやって来た女性が、いわゆる観光をするのではなく、何もせず「たそがれる」という内容になっている。この映画は、1970年代の観光ブーム時と同じく、与論島に自由のイメージを喚起する。しかしながらその表象は、男性にとっての性的な楽園から、恋愛等をせずにゆったりとした気持ちでたそがれるという、特定の働く若い女性にとって魅力あるものへと変化している。こうした映画に対して、与論島の住民から反発の声を聞くことはない。そうしたなかで、地元の観光協会は、製作会社の意向や自分で情報を探して来島しようとする観光客の性質などから、大々的に観光宣伝を行わない方針をとっているが、時間が経過するなかで、映画『めがね』を観光に活用する取り組みを着実に進展させている。<BR><B>Ⅲ.アニメ『ひぐらしのなく頃に』と白川郷</B><BR> 白川郷は、1995年に世界文化遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に登録され、観光地として人気を博している地域である。1994年に日帰り宿泊計約67.1万人であった観光客は、2009年には約173.1万人にまで増加している。同地は近年、観光パンフレット等において、しばしば「日本の原風景」と表象されている。<BR> この白川郷は、2006年に公開されたアニメ『ひぐらしのなく頃に』の舞台のモデルであると考えられたことから、惨劇の村・雛見沢という新しいイメージを喚起することになった。雛見沢のイメージは、のどかな日本の原風景と、その裏に存在する隠された惨劇の村という両義的なものである。かかるイメージを消費する観光客は、世界遺産としての白川郷を訪れる人々とは異なる特徴を持っている。そうした観光客は、主として2~3名グループの若い男性で、多くがインターネットで情報収集し、しばしば白川郷のガイドマップを改変して作成された雛見沢の地図を持参して、アニメで登場したと考えられるポイントを見物するのであり、場合によってはアニメキャラクターのコスプレをしている。<BR> 地元の観光協会は、先の与論島の事例と同じく、こうした観光客の性質上、積極的な宣伝を行わない方針をとっている。しかしながら、住民の反応は大きく異なり、一部で許容する声があるものの、アニメの内容やこうした観光客に対して嫌悪感を抱き、そのイメージが白川郷にふさわしくないと考える住民が存在する。こうしたなかで、白川郷においては、同アニメを活用した観光振興の動きを確認することができない状態にある。
著者
淡野 寧彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.94, 2005

_I_.研究の視点と目的 戦後の畜産物消費の増加とともに,日本の養豚業産地は発展を遂げてきた。しかし,近年の食品流通のグローバル化や食品の輸入自由化が進むなかで,国内の養豚業にとって海外産地との競合は避けられない状況にある。一方で,BSEや鳥インフルエンザの発生,産地表示の偽装といった畜産物の生産や流通に対する消費者の不信感から,食品の安全性を重視する消費者ニーズなども発生している。こうした問題に対し,国内の養豚農家や豚肉を取り扱う食肉業者などは,事業の合理化や再編成,あるいは新たな事業展開を行わねばならない状況にある。 本研究では,上記のような養豚業を取り巻く課題への産地の対応として,高付加価値食品による商品の差別化に視点をおき,特に近年,全国各地で着手されている銘柄豚の生産・販売に着目して検討する。事例地域として,大消費地を抱える関東地方において,著しい飼養頭数の増加が起こり,かつ,現在,銘柄豚の生産が行われている茨城県旭村を選定した。_II_.関東地方における銘柄豚生産・販売の類型 『銘柄豚肉ハンドブック 改訂版』に記載されている銘柄豚のうち,関東地方において養豚農家によって生産が行われている銘柄豚43種類を取り上げた。これらは実施主体の性格から,大きく3つに分類できる(右図)。特にこのなかで,近年の銘柄豚生産・販売の性格を有するものは,「農協主導型」と「個人主導型」のなかでも複数の出荷先を持つ「複数取引系」である。_III_.銘柄豚の生産・販売の実態と課題 _-_茨城県旭村の事例から_-_ 茨城県旭村は,全生産額に対する第1次産業の割合が約50%を占める農村地域で,メロンや甘藷栽培とともに養豚業も発展している。旭村では,今日,「農協主導型」の属する「ローズポーク」と,「個人主導型複数取引系」に属する「はじめちゃんポーク」の生産が行われている。旭村でローズポーク生産にたずさわるのは,農協に出荷する養豚農家6戸のうち3戸であり,そのなかには母豚55頭という小規模な経営の農家も含まれる。ローズポークの生産・販売には,農協によって生産方法や生産農家,流通経路,販売店が指定され,高付加価値食品を供給する独自の枠組みが構築されている。しかし,販売される地域が限られ,販売量も伸び悩んでいる。一方,「はじめちゃんポーク」の生産・販売では,母豚5000頭を飼養する極めて規模の大きい養豚農家が銘柄豚生産に着手し,出荷された肉豚は複数の食肉業者によって関東地方一円に流通している。しかし,銘柄豚生産農家は流通や販売に直接関わっていないため,銘柄豚として販売されるかどうかはそれぞれの食肉業者の対応に左右されがちである。_IV_.関東地方における養豚業存立にとっての銘柄豚の意義 関東地方における銘柄豚生産の大部分は養豚農家によって行われており,個々の養豚農家が自らの経営方針のなかで生産に着手している。このことは,これまでにも指摘されてきた,農家を中核とする養豚業が現在も存続していることを意味している。その一方,流通や販売の面では,農家や食肉業者,農協,販売店などの間での結びつきが弱いために,銘柄豚による商品の差別化が十分行われていないことが明らかとなった。
著者
和田 崇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.17, 2010

日本の観光は近年,物見遊山,団体客,発地型,一過性,通過型などを特徴とする形態から,体験・交流,個人客・小グループ,着地型,持続性,滞在型などを特徴とする形態へと変化してきた。これらの新しい観光は,「見る」「食べる」といった従来からの目的に加え,「体験する」「学ぶ」「癒す」「追体験する」という目的も顕在化している。このうち,「追体験する」ことを主目的とする旅行形態として,小説や映画,テレビ番組,歌,漫画,アニメなど,メディアを介して記録・伝送・鑑賞される映像や画像,音楽,文章などのコンテンツに関わる場所を訪ねるコンテンツ・ツーリズムが盛んになりつつある。本発表では,コンテンツ・ツーリズムの一つとしてアニメキャラクターを活用した観光をとりあげ,鳥取県境港市と同北栄町を事例に,自治体や地元企業,市民・NPOなどの関係機関が観光地づくりにどのように関わっているかという点を中心に報告する。すなわち,2つの事例について,アニメキャラクターを活用した観光まちづくりの実態を報告するものである。 アニメキャラクターを活用した観光まちづくりは,コンテンツの種類および地域との関わりという2つの視点から,いくつかのパターンに分類できる。コンテンツの種類からみると,アニメは商業系アニメ,芸術系アニメ,自生系アニメの3つに分類できる。また,地域との関わりからみると,題材型,ゆかり型,機会型の3つに分類できる。 鳥取県境港市は,漫画家・水木しげる氏が育った地であることに着目して,水木氏の代表作品である「ゲゲゲの鬼太郎」を活用した観光まちづくりを推進している。1992年から商店街(水木しげるロード)に「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪などのブロンズ像を設置したほか,鬼太郎列車の運行(1993年~),水木しげる記念館の運営(2003年~),各種イベントの実施などにより,水木しげるロードへの入込客数は1994年の約28万人から2008年には約172万人へと大幅に増加した。取組みの中心的役割を果たしたのは,当初は境港市役所であった。その後,商店街にブロンズ像が設置され,集客効果が実感できるようになると,鬼太郎音頭保存会(1996年),水木しげるロード振興会(1998年)など市民活動団体が組織されたほか,境港市観光協会や境港商工会議所も妖怪そっくりコンテストや境港妖怪検定,妖怪川柳コンテストなどユニークなイベントを主催した。また,水木作品(漫画およびその原画)の著作権を保有する水木プロダクションが,水木氏ゆかりの境港市のまちづくりに協力的であったことも,市内の各主体による取組みを後押しした。例えば,水木プロダクションはブロンズ像や記念館展示物のキュレイションを担当したほか,市内事業者が関連グッズを開発する際の著作権使用料を減免するなどした。 鳥取県北栄町は,「名探偵コナン」の原作者・青山剛昌氏が同町出身であることに着目し,1999年から「名探偵コナンに会える町」づくりを推進している。具体的に,1999年にJR由良駅と国道9号を結ぶ県道を「コナン通り」と命名し,7体のブロンズ像を設置したほか,2007年に青山氏の作品や仕事ぶりなどを紹介する「青山剛昌ふるさと館」を整備した。同記念館の入館者数は年間約64,000人(2008年)である。北栄町の取組みは,旧大栄町商工会が提案した「コナンの里」構想をきっかけに,旧大栄町役場が地域振興券に名探偵コナンをデザインしたことに始まる。その後も旧大栄町(2005年から北栄町)が名探偵コナンを冠したイベントを開催したり,観光プロモーションを展開したりした。活動が進展するに従い,町民の活動に対する認知度と参加意欲が高まり,2000年にはコナングッズを販売する「コナン探偵社」が町民有志によって設立された。北栄町では,町役場が漫画の著作権者である小学館プロダクションとの交渉を担当している。小学館プロダクションは,作品のイメージ保持と適切な著作権管理の観点から,著作物使用協議を慎重に行うほか,ふるさと館での展示方法や接客方法について北栄町役場に対してきめ細かく指導している。しかし,こうした慎重な協議ときめ細かな指導は,北栄町にとって時間的・精神的な負担,迅速な観光プロモーションへの障害となっている面があることも否めない。
著者
天野 宏司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

埼玉県秩父市では,アニメーションを積極的に活用し旅客誘致をはかるため秩父アニメツーリズム実行委員会を組織している。2010年には『銀河鉄道999』を,2011年には『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を活用し,誘客に効果を上げた。本報告は,この実行委員会の一員として知り得た事情を含め,コンテンツツーリズムの成果と課題を報告する。
著者
宇都宮 陽二朗
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.90, 2011

1.はじめに 2007年暮の「元GI、Hitlerの地球儀をオークション出品」のニュースにから2010初夏、念願のKehlsteinhaus (Eagle's Nest)を訪問した。ここでは、ニュース及び公式報告書」「History of the Eagle's Nest」等に基づき、Hitlerの地球儀について、2,3の考察を加える。2. Obersalzberg及びKehlsteinhaus:オーストリアの音楽の町Salzburg南方、約21.3Kmに位置するKehlsteinhausはKehlstein山頂付近に建造されている。攻撃目標として小さいため免れたが、麓のObersalzberg一帯は空爆によりHitlerの別荘Berghofを含め、廃虚と化した。 3. Hitler地球儀のありか:Hitlerの地球儀に関しては、オークション前、9月18日のニューヨークタイムス゛のインタヒ゛ュー記事「Hitler地球儀の謎、世界を廻る」で、元地図技術者Pobanz氏が、1)ヘ゛ルリンのト゛イツ歴史博物館、Märkisches Museumや地理研究所のものは「Hitlerの地球儀」ではない。それは、フォルクスワーケ゛ンと同大で、高価な特注の木製架台を設えた地球儀である。3) Columbus製地球儀はミュンヘンに2個、BreslauとWarsawに各1個存在する。4)新首相府のHitler執務室由来、他は、Nazi 行政庁由来で、「Hitlerの地球儀」といえる。5)新首相府のHitlerの居所の写真に巨大なColumbus製地球儀が写っている。6)しかし、チャッフ゜リンの「独裁者」を想像させる地球儀はなく、Hitlerには地球儀に対する特別な考えはなかったと述べている。 4. 競売に付されたHitler地球儀: 元GIにより競売に出され、サンフランシスコ在住のBob Pritikin氏が落札したBerghof由来の地球儀は半円の金属製支持環、支柱と木製の円形台座を備える卓上型地球儀で、直径と高さは、それぞれ、直径33.2cm、高さ45.7cmを示す。 5. Hitler地球儀の信憑性:Hitlerの別荘(Berghof)で机上の瓦礫に埋もれた地球儀が、Hitler所有物である確証はない。机がHitlerのものか不確かで、元の場所に存在したという確証はなく、総統の所持品としては小さすぎる。目撃者とBerghof側関係者の証言、指紋やDNA鑑定による判定も必要であろう。写真では、Berghof大広間に直径1m余(1.5m以下)の地球儀があるが、彼の書斎の机上には小型の地球儀すらない。 6. Hitler地球儀の肖像権騒動:競売の後年、Pritikinは映画「Valkyrie」でHitlerの地球儀複製の無断使用として法的行動を検討した。法的に無理との意見や、嘲笑がネット上に溢れた。収集品をTom Cruiseが買取り、Simon Wiesenthal Centerに寄付するという法廷外の方法などの意向が出でるなど落札者の本音が見える。映画「Valkyrie」に登場する2基の地球儀は件の競売品とは全く異なり重厚な地球儀である。 7. まとめ: Hitlerの地球儀の話題を紹介した。まとめると以下のとおりである。 1) 元GIがBerghofから略奪した地球儀がHitlerの地球儀として競売されたが、「Hitlerの地球儀」であるか疑問である。被爆前のBerghof内部の写真では、大広間に直径1m余の大地球儀が存在するが、Hitlerの書斎の机上には地球儀の影はない。2)落札者が肖像権を盾に映画「Valkyrie」制作者側を悩ませたが、その地球儀は落札者のそれとは全く別物で、本音はユタ゛ヤヒ゛シ゛ネスにある。3) 単なる購入者が肖像権をとれる米国司法制度と社会は異常であり、地球儀製作者の権利侵害である。4)巨大な「総統の地球儀」(Pobanz氏の伝聞による記憶)は過大ではないか。なお、チャッフ゜リンに関する彼の解釈はフ゛リューケ゛ルの影響とみる筆者とは異なるが、彼の調査は貴重である。フ゛リューケ゛ルも当時の他の画家達のテ゛サ゛インを取入れ、他の作品ではBoschをほぼ踏襲している。ついでに言えば、水木しげるの作品には、フ゛リューケ゛ルの影響が少なくない。
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.287-309, 2021
被引用文献数
2

<p>モンゴル西部アルタイ山脈に暮らす遊牧民は,ユキヒョウとの長年にわたる接触体験から,さまざまな動物民話のオーラルヒストリーを蓄積・継承してきた.ユキヒョウと遊牧民との接触により語り継がれた民間伝承・伝説・語りなどの伝承《ナラティヴ》は,科学的成果《エビデンス》とも十分に照応できるローカルな生態学的伝統知T.E.K.でもある.本研究では, 2016年7月19日~8月25日および2017年8月2日~16日の期間,ホブド県ジャルガラント山系,ボンバット山系,ムンフハイルハン山系のユキヒョウ生息圏に居住する,117名の遊牧民からオーラルヒストリーの記録・収集を実施した.在来の動物民話の記録やその科学的検証は,地域住民をユキヒョウ保護のアクターとして統合する新しい保全生態のかたちを提案できると考えられる.本論では,野生動物を取り巻くエコロジーの多面性と重層性を,複合型生物誌として整備することを提案する.</p>
著者
丸井 博
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.11, pp.700-712, 1969

石炭不況はますます深刻の度合いを深め,大手炭鉱会社といえども軒並み赤字経営で,巨額の国家資金の援助の支えでようやく息をついている状況である.現状では石炭の採掘・販売のみでは,経営の黒字は期待できないeこのことは常磐炭田でも例外ではない.低品位の一般炭を主体にしているだけに,むしろ事態は一層深刻化しているといえる.<br> 常磐炭田において独占的な生産比重をもつ常磐炭鉱(株)も,繁栄期の7割にあたる約7000人の従業員で,繁栄期を上廻る年間約260万の出炭量をあげているものの,経営は久しく赤字で無配を続けている.そこで他の大手炭鉱会社にみられるように,常磐炭鉱においても経営の多角化,すなわち他部門を兼営することによって石炭部門の赤字を埋め,総合的には経営を黒字にもっていこうとする傾向を強く押し出さざるをえなくなっている.本研究はこの実態を明らかにし,常磐炭田の地域性とどのように関連しそいるかを解明しようとするものである.<br> 常磐炭鉱は以前からかなりの系列会社をもっていたが,近年はとくにこの拡充に力を入れているmこれらの系列会社は,残炭鉱区の処理,石炭の輸送・販売,倉庫,機械製作,火力発電,石炭製品,食品,観光などの分野に分れているが,炭鉱経営上から派生してきたものが多い.そして,これらの系列会社の性格を分析していくと,石炭生産にともなう独特な系列会社発生のメカニズムが明らかにされるe同時にエネルギー革命に直面した炭鉱会社が,系列会社をクッションにして,これをどのように受け止めようとしているかがわかる.
著者
寺本 潔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.43-48, 2012 (Released:2012-04-09)
参考文献数
7
被引用文献数
1 1

地図は子どもの空間認知形成にとって重要な役割を果たしている.子どもたちは地名に関する知識や知的好奇心を伴って描写する技能に長けている.地図や地球儀は,ローカルから地球規模までのスケールを扱うことができ,私たちの基礎的な地理的世界の形成に大きく寄与しているが,地理に関係する学習指導要領は子どもに地理的な原理や世界を学ばせる上で十分ではない.
著者
ラナウィーラゲ エランガー
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.165, 2010

人間とゾウの競合(Human Elephant Competition -HEC)は、人間社会とその経済・文化生活、およびゾウの保護活動と環境に対し悪影響をもたらす、人間とゾウとのあらゆる関わり合いと定義されている(IUCN-SSC 2007)。スリランカでは、人口増加とそれに伴う居住地の拡大、および農地開発による森林減少によってゾウの生息地が失われたことで、HECが発生するようになった(Gunaratne & Premarathne 2006)。スリランカの野生生物保護部局によると、HEC によって年間約 150頭の ゾウが死んでいるといわれている。同様に、年間30 人から50 人のヒトが死亡していると推定されている。<BR> 本研究では、スリランカの中央州における人間とゾウの競合の諸相を把握し、農業活動とゾウによる被害の関係とそれを生み出す地域の性格を明らかにすることを目的とする。<BR> スリランカの中央州は人口 2,423,966 で、スリランカで2 番目に人口の多い州である。18世紀半ばから、茶畑とコーヒーの栽培農場、あるいはその他の開発のために山林の伐採が進み、その結果、スリランカの野生のゾウは中央州のほとんどの地域で絶滅してしまった。一部の地域で残存する野生のゾウは生息地をめぐって人間と競合している。人間とゾウの競合関係を明らかにするため、本研究は中央州のマータレ(Matale)地域のピデュランガラ(Pidurangala)地区という農村地域を対象地域とした。この地域では、野生のゾウの正確な生息数は不明だが、およそ150頭から200頭のゾウが生息しているといわれている。そして、ピデュランガラ(Pidurangala)地区の人口と世帯数は565と176である。<BR> ピデュランガラ(Pidurangala)地区には雨季と乾季に基づく特有の農地の利用パターンがある。農家は雨季には水田で米を栽培し、乾季には焼畑農業を行って野菜を栽培していた。しかし、1990年にサンクチュアリや生物保護区となった以降、焼畑農業が禁止されたた。そのため、農家は自宅の庭や敷地内(ホームガーデン)で野菜を栽培するようになった。<BR> この地区にけるゾウによる被害は農作物被害・家屋損害・人身事故という3つのカテゴリに分けられる。その中でも農作物被害が最も多く起こっている。農作物被害は米と野菜の収穫時期に多く発生している。家屋損害は収穫されたばかりの米が多く貯蔵されている時期に集中している。ゾウは米が貯蔵されている家屋を襲い、家屋の一部に貯蔵されている米や野菜を食べようとして、家屋を破壊する。それ以外にも、ホームガーデンで野菜を栽培するようになってからは、ゾウが野菜などの作物を狙って来るようになり、ゾウの襲来とともに家屋被害が起こるケースも多くなった。農作物被害と家屋損害に関連した人身事故の発生件数は少ないが、2009年に2人がゾウに襲われて死亡した。<BR> 人間による農業活動のパターンとゾウの被害は、密接な関係にあることがわかった。ピデュランガラ(Pidurangala)地区は人間の居住地・農業地であると同時に、ゾウの生息地としても重要な地域である。そのため、HECを軽減させる方策の検討が急務となっている。今後は、HECを軽減させるための方策の検討の一つとして、ピデュランガラ(Pidurangala)地区の住民がゾウの生態をどのように認識しているかを明らかにし、ゾウとどのように共存するのかを検討することが重要である。
著者
杉村 暢二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.283-296, 1972
被引用文献数
1

歩行者通行量の多少は,概して,「通り」の地価に反映し,専門店・高級文化品店・百貨店などをはじめ,その他の商業施設,娯楽施設および主要駅などに影響されるぼかりでなく,市街地内の機能地域や都市地域をとりまく後背地域などによっても規定されるところが大きい.<br> ここでは,歩行者通行量をとりあげ,まず中心商店街の歩行者数とそのパターン,歩行者数のピークとその流動状況などにふれた,その後,中心商店街の性格を歩行者通行量に対する都市人口および後背地を含めた広域都市人口,平日対休日の割合,時間帯毎の変化,男・女別の構成比などから検討し,中心商店街として,ふさわしいタイプなどを求めた.<br> さらに・中心商店街の性格の1つである時間帯毎の変化によって,18都市の中心商店街のタイプづけを行ない,それらのパターンから,ショッピング・センターの類型にまでふれた.
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.4, 2007 (Released:2007-04-29)

1.問題の所在 デカン高原・綿花栽培(・レグール土)という半ば方程式のような認識が長年にわたって学校教育の場に存在してきたのではないか。あるいはガンジス川下流地域の米作と上流地域の小麦作という図式に関しても同様である。例えば,1970年代から80年代にかけての高校地理教科書や地理用語事典では「デカン高原は世界的綿作地帯」「デカン高原で同国の綿花の大半を生産する」といった記述が認められる。しかし,こうしたインドの農業に対する認識は,決して正確なものとはいえない。近年高等学校の教科書などでは,地誌的な記載が減ってきたためインドの農業自体に割かれるページ数そのものが少ないこともあるが,なお,地図帳を含めた多くの教科書でこうした記載が認められる。本報告ではこうした誤解を生じかねない認識の背景を検討したい。これは決して記載内容の正確さを議論しようとするものではない。限定された時間とスペースの中では全く正確な記述などできるものではないし,必要に応じて情報が取捨選択されるのはやむをえないことである。むしろ,提起したいことはなぜこのように正確ではない記述が採用され,それが長期にわたって再生産され続けてきたのかということである。 2.インド農業の現状 デカン高原は決してインドにおける綿花栽培の突出した地域ではない。独立以来インドの綿花栽培はグジャラート州,パンジャーブ州及びデカン高原という3つの地域によって担われてきたというのが正確である。デカン高原はあたかもインド最大の綿花栽培地域のように教えられてきたが,州別の綿花生産量では1970年代から,80年代にかけてはグジャラート州が,80年代以降はパンジャーブ州が首位を担ってきた。デカン高原に位置するマハーラーシュトラ州が州別の生産量で首位になるのは1990年代半ば以降である(皮肉にもそれは日本の教科書からデカン高原の記述が少なくなる時期と重なる)。また,デカン高原の綿花栽培の特徴としてはその生産性の低さが挙げられる。2002年のマハーラーシュトラ州のそれは158kg/haでパンジャーブ州の410kg/haを大きく下回っている。 また,多くの地図帳を含めた教科書で,ガンジス川下流域での米作と上流域での小麦作をインドの農業の地域区分の骨格のように示しているが,中・上流に位置するウッタルプラデシュ州やパンジャーブ州の米作が貧弱というわけではない。無論のこと両州は小麦の州別生産量では群を抜くトップ2であるが,同時に米の生産量でも2位(ウッタツプラデシュ州),4位(パンジャーブ州)であり,従来は米作の盛んな地域とされてきたビハール州やオリッサ州の生産量を凌駕している。 3.どのような趣旨のもとに教えられてきたのか それではどのような趣旨のもとで,この決して正確とはいえない情報が長年にわたって教え続けられてきたのだろうか。第1に考えられるのは「地域の環境とそれに応じた農業」という文脈が強調されたということである。すなわち,土壌や降水量などの環境条件と栽培作物を関連させ,自然と人間活動の関わりを教えるという文脈から,デカン高原の綿花やガンジス川上流と下流の農業の違いを典型例として例示したという仮説である。第2には経済(農業)開発という文脈の強調である。従来,生産性が低く雑穀類の生産が主であったデカン高原で,商品作物の綿花が導入されることで,同地域の経済や農業の発展が促されたという点を積極的に評価する事例としてもちいられたという見方である。第3には土地利用を優先した農業観の存在である。「世界地理」(石田龍次郎ほか編,1959)では,主要作目別の土地利用比率からインドの農業の姿を描き出している。当時デカン高原では生産量は十分に向上しないものの作付面積では他に比べる品目が存在しなかった。一方,パンジャーブ州などでは,綿花生産量も大きかったが,小麦の作付面積の広さが強調された。こうした理解がそのまま,教科書に反映されたものと考えることも可能である。 今日インドの農業の状況は私たちの世代が教えられた状況とは大きく変わりつつある。その際,漫然と従前の知識を伝えるのではなく,どのような趣旨のもとでそれを教えるのか,今求められている趣旨は何かを十分に検討する必要がある。
著者
黒田 圭介 宗 建郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

Ⅰ.はじめに <br>「ゆるキャラ」は「ゆるいキャラクター」を略したもので,主に地域情報のPRに使用される着ぐるみのマスコットキャラクターである。ゆるキャラは,その名前・デザインともに地域の様相を簡潔に反映したキャラクターである場合が多く,例えば2016年ゆるキャラグランプリで総合1位を獲得した高知県須崎市のPRキャラクター「しんじょう君(名前の由来は同市を流れる新荘川より)」の風貌は,同市に生息していた「ニホンカワウソ」をデフォルメしたものであり,頭には同市名物「鍋焼きラーメン」を模した帽子がかぶせられている1)。このようにゆるキャラは,ある地域に対して知識の乏しい第三者に,ネーミングの語感と見た目のインパクトを通して地域情報をアピール,伝達する手段として活用されていると考えられ,本発表はこれを地域調査(まちたんけん)結果のまとめ方の一例として教材化し,教員養成系学科の地理学の授業に組み込んだ教育実践の報告である。具体的には,斜陽化が進む地方都市の商店街調査を実施し,その特徴(特長)を凝縮した一体のゆるキャラ作成を義務付けて調査結果をプレゼンテーションさせた。この活動を通じて受講者(多くが小学校教員を志望)に対し,地域の特徴を見出そうとする探求心や,ゆるキャラ作成を通じて他者への伝達力を養成しようと試みた。さらに,ゆるキャラを,「まちたんけん」のまとめ(第三者への伝達手段)として利用できる可能性を学生自身に探究させ,将来の教材研究への柔軟な姿勢を育てることを大きな目的の一つとした。<br><br>Ⅱ.実施概要 <br>講義は西南学院大学人間科学部児童教育学科で隔年開講されている「地理学Ⅰ」で,例年小学校生活科の「まちたんけん」をテーマに地域調査を実施している。本年度の調査地は長崎県島原市の中心部に細長く立地する5つの商店街,北より森岳商店街(島原最古の商店街で,観光地的雰囲気が漂う),天蓋式のサンシャイン中央街と一番街,住宅と店舗が混在する湊道商店街とみなと商店街とし,それぞれ班単位で聞き取り調査やシャッター率調査等の活動を行った(2017年6月17日実施)。なお,島原市での本調査前に,学内及び大学近隣の商店街において聞き取り調査等の事前トレーニングを行っている。<br><br>Ⅲ.結果 <br>クオリティに差が出たものの,ほとんどの班は商店街の特徴を捉えたゆるキャラを作成した。しかし,みなと商店街を調査した班のみ,擬人化もすることなく,上手な鯉を描いてきた。事前指導において,ゆるキャラの概要や将来の生活科の授業でどう活かせるか等の説明はしたが,「絵の上手さより,地域(商店街)の特徴を簡潔に反映した親しみのもてる図案とすべき」旨の説明を行わなかったことに原因があると考えられ,これを反省点として次回講義へ活かしたい。<br><br>Ⅳ.学生アンケート結果(まとめにかえて) <br>最終回講義時に,本講義で行った活動についてのアンケートを実施した。ゆるキャラ作成への問いに関しては,「ゆるキャラの特徴を作るために,より注意深く調査でき,よいと思う」等,概ね好意的な意見が多かった。一方で,「自分たちが調査した商店街では元々ゆるキャラがいたので,難しかった。」や「もっと違った形でまとめる調査結果があると思う。」等の意見もあった。生活科の授業にどう活かせるかへの問いには「自分たちの学びを集約したゆるキャラという方法は,子ども達の工夫を様々にわき立てると思う(原文ママ)」等の意見があった。アンケート結果より,本講義の取り組みは,教員志望の受講者に,「まちたんけん」の調査結果のまとめの方の,新たな方法の可能性を探求させる有意義な機会になったと考えられるが,PRキャラとしてのゆるキャラの特徴を事前指導で詳細に説明しないと,単なるキャラクターデザインに終始したり,その作成自体に否定的な意見が生まれたりと,課題も多く残った。<br><br>参考Website<br>1)須崎市役所(発行年不明):「しんじょう君OFFICIAL WEBSITE」,http://shinjokun.com/,2017年7月20日閲覧.&nbsp;<br>
著者
荒山 正彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.792-810, 1995-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
62
被引用文献数
7 9

本稿では,これまでの観光研究においてほとんど取り上げられることがなかった,観光資源の成立に注目し,近代性を明らかにする地理学的研究課題の提示を行なった.このような研究課題は,「伝統の創造」や「文化のオーセンティシティ」という研究の視点と問題意識を共有すること,そして近年の民族誌記述の再考から観光人類学への研究の展開を整理することによって導きだされる.従来,観光現象と文化のオーセンティシティとは,まったく相反する事象であると考えられてきたが,真正な文化の生産や維持にとって,観光というシステムが果たした役割があらためて問い直されねばならないと考える. また,近代期に成立したわが国の国立公園制度を事例として,経験的研究への展開をも試みた.わが国の国立公園制度は,日本政府の観光政策のもとで実現したが,そこには国民国家の成立に伴う,意味や価値が充填された国土空間の生産を読み取ることが可能である.
著者
林 紀代美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.1-15, 2011 (Released:2011-12-17)
参考文献数
47
被引用文献数
2 2 2

本研究は,2000年代における水産物購入における「平均化」の進展状況と都市間での購入構成のばらつきを考察することを目的とする.考察の結果,水産物の購入構成に関しては,特にサケなど主要な生鮮魚介については,2000年代においても都市間の差異がより大きい過去の傾向に戻らなかった.購入構成が類似する都市は,三つの類型,六つの下位区分に整理された.このグループは過去の傾向を踏襲しており,水産物の購入構成の観点からみた「地域差」と分布傾向は2000年代においても継承されていた.
著者
森山 裕太 青木 久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<br><br>1.はじめに<br><br> 岩石海岸における特徴的な波食地形に波食棚がある.波食棚とは,海崖基部から海側に向かって平坦面をもち,その海側が急崖となっている地形である.波食棚の高さは,波の侵食力や岩石の抵抗力(力学的強度)などの諸要因によって規定されると報告されている.本研究では,まず静岡県須崎半島の岩石海岸に卓越する波食地形を把握する.そして恵比須島に発達する,火山角礫岩と砂岩からなる波食棚の形成高度の違いについて,岩石の抵抗力という観点から定量的に明らかにすることを目的とする.<br><br>2.調査地域の概観<br><br> 須崎半島は,静岡県下田市東部に位置する半島であり,伊豆半島ジオパーク下田エリアの一部となっている.恵比須島は,須崎半島南部の沖にある小さな島であり,須崎ジオサイトとなっている.恵比須島を調査地域として選定した理由は,(1)島の周囲には「千畳敷」と呼ばれる火山角礫岩と砂岩で構成される波食棚が発達すること,(2)それらの波食棚は近接して存在するため,作用する波の侵食力や潮汐の場所的違いが少なく,波食棚の地形と構成岩石との関係を考察しやすいと考えたためである.<br><br>3.調査方法<br><br> まず地形図の読図と現地観察に基づき,須崎半島南部に発達する波食地形を分類し,地質図を用いて,構成岩石との対応関係を調べた.次に,恵比須島に発達する波食棚を構成する火山角礫岩と砂岩の分布を調べ,地質図の作成を行った.さらに火山角礫岩と砂岩からなる波食棚に測線を設け,レーザー距離計を用いた縦断面測量を行い波食棚の形成高度を把握した.またシュミットハンマーによる岩石強度の計測を行った.<br><br>4.結果・考察<br><br> 須崎半島南部の岩石海岸は火山角礫岩,砂岩,安山岩で構成されており,波食棚の地形が卓越することがわかった.安山岩からなる海岸では,一部海食崖(プランジングクリフ)となっている海岸も存在した.<br><br>恵比須島に発達する波食棚は,火山角礫岩の波食棚のほうが砂岩の波食棚よりも高い位置に形成されていた.構成岩石の強度は火山角礫岩のほうが砂岩よりも大きな値を示した.このように力学的強度の大きい火山角礫岩の方が,砂岩に比べて波食棚の形成高度が高いという結果は,火山角礫岩の波食棚は砂岩に比べ,波によって下方に侵食されにくく,高い位置に形成されていることを示唆している.