著者
加藤 武夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.26, no.5, pp.179-187, 1953

The author has been studying the distribution and variation of population In the middle of Edo Period by &ldquo;Junkoki&rdquo; that is a historical work of Owari Clan. This book was recorded by &ldquo;K&ocirc;ko Higuti&rdquo; (1750-1826) who inspected all the villages within Owari Province. In this &ldquo;Junk&ocirc;ki&rdquo; he recorded two sets of population number, the one is of the year of 1671 A. D. and the other is of some year of the early 18 th century.<br> Fig. 1 shows the rates of the increase or decrease of population of each village gained from the comparison of two sets of population noted in &ldquo;Junkoki.&rdquo; And the author classified those rates into five classes:<br> 1. Remarkable Increase, 2. Increase, 3. Sluggish Increase, 4 Stagnation, 5. Decrease.<br> Fig. 2 shows the accumlated population on each administrative unit at the time of 1915. Hereupon one can see the regions of increased or, decreased population by these figures. It was the head region of Ise Bay, eastern Highland and Tita Peninsula that increased remarkably in population. Because. the head region of Ise Bay was reclaimed land, this increase of population in this region resulted from the migration of the people from the neighbouring land (Fig. 3). The most of the eastern part of the highland and Tita Peninsula were cleared regions and there were constru-cted many irrigation ponds or canals by which cultivated lands were enlarged and. the population was increased. In this region, there were some industrial centres such as Seto City and its suburbs and Tokoname Town on the west coast of Tita Peninsula, where industries were ceramics, - - - -Arinzatu Town, variegation of cloth, - - - the most part of the peninsula, textile of cotton, - - -Handa City and its neighbourhood brewing --- the coast of peninsula, marine transportation. And these industries had been developed into the stage of&ldquo; manufacture&rdquo; in the middle of Edo Era. Consequently, the development of these industries brought about the increase of population in the districts above mentioned. Contrary to these regions, the middle part of the Owari Plain and the outskirts of Nagoya were the districts of the stagnation or decrease of population. Since agriculture was a principal occupation, having been conti-nuously developed front ancient time, it was impossible to attempt the expansion of cultivated fields, and as the result there was difficulty in increasing the population in this area. In addition to these conditions, the Castle Town of Nagoya was absorbing the rural population, and so it was decreasing remarkably. Besides those regions, the ports on the head of Tita Peninsula, such as Morozaki and Toyohama, lost some of their population for their narrow hinterland and the shortage of cultivated land.<br> The distribution and variation of population under the feudal system were different from those under the capitalistic economic system. These differences are based on the differences of the basic industries and the scale of the cities under these two systems.
著者
池 俊介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.156-164, 2020 (Released:2020-05-15)
参考文献数
4
著者
三浦 尚子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>研究の背景と目的</p><p> 法務省は次の入管法改正で国籍国への帰国を拒否する外国人対策に,送還忌避罪や仮放免逃亡罪という刑事罰や難民申請の回数制限を設けようとしている.日本は難民条約を批准しているにもかかわらず難民認定率が1パーセントに満たない「難民鎖国」であり,不法残留(オーバーステイ)の送還忌避者に対して収容という措置を講じている.入管法には収容期間の基準がなく,送還忌避者の長期収容が恒常化しており,国際連合の恣意的拘禁作業部会からも勧告を受けている.</p><p></p><p> 日本の入国管理体制は,1990年代では外国人の入管法違反に対して減免措置を取り続け,政府の責任及び義務を免じてきた(明石2010).しかし2001年に起きた同時多発テロを契機に,日本でもテロ対策が強化され,さらに2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催に向けて不法残留者の摘発および収容が厳格化されていく.出入国在留管理庁の収容空間は,各地方の出入国在留管理局(収容場)と2カ所の入国者収容所にある.</p><p></p><p> これまでも,入管の収容処遇に関する非人道性や被収容者のメンタルヘルス不調が,報道機関や支援団体によって批判されてきた.一方仮放免制度で一時的に収容所の外に出られたとしても,仮放免者はいつ再収容されるかどうか予測できず,就労不可,医療費の全額負担,さらにコロナ禍で家族・親族の収入が激減し生活困窮にあるという.移民の権利に対する政策の不在が,問題の根底にある(髙谷2019).加えて,支援団体の活動展開は収容所のin(内)/ex(外)で分かれる傾向にあり,被収容者・仮放免者等に対するシームレスな支援体制の構築が求められる.そこで本研究では,まず東日本入国管理センター(以下牛久入管収容所と記す)の被収容者と支援団体を調査対象に選び,コロナ禍における入管収容と課題を検討したい.</p><p></p><p>2.調査方法</p><p></p><p> 2020年11月からSWNW入管収容問題を考える会,2021年1月から牛久入管収容所問題を考える会に参加し,牛久入管収容所に週1回面会ボランティアをしながら聞き取り調査を実施した.面会は各30分間で1日最大7名に行い,主に日本語で,ごくたまに英語で対話した.</p><p></p><p>3.被収容者の生活状況とメンタルヘルス</p><p></p><p> 1993年12月に開設された牛久入管収容所,通称「ウシク」は,700名定員の大規模な収容施設である.通常,退去強制令書が発布された300名程度の男性送還忌避者を収容していたが,新型コロナウィルスの影響で2020年4月から2021年1月18日までで231名が仮放免となっている(牛久入管収容所問題を考える会の代表田中氏による).2021年1月現在で100名弱が収容されており,ナイジェリア,タンザニア,コンゴ民主共和国,ネパール,ミャンマー,スリランカ,イラン,ベトナム,ペルーの日系人などが含まれる.被収容者の中には入管法違反以外に薬物,傷害,窃盗などの違反歴があり,虞犯の観点からか刑期を終えているにもかかわらず収容されている者がいる.調査対象者は1990年代から2000年代に訪日しており,概ね日本語を流暢に話す.</p><p></p><p> 収容棟には旧館と新館があり,各階に配置された2つのブロックは通り抜けできないようになっている.被収容者が自動ドアで施錠された各居室からブロック内の共有スペースに自由に行き来できるのは,1日6時間に制限されている.旧館の居室は和室6畳にトイレとテレビが配置され,7時に電気とテレビを職員がつけ22時に消しに来るという.コロナ禍で暖房が24時間完備され,寒さが緩和されている.作業やプログラムなどは一切なく,運動場の利用は1日50分である.シナガワ,ヨコハマなどの収容場での収容期間と合わせると,調査対象者は1名を除き4年間以上収容され,仮放免の不許可に精神的なダメージを受けている.収容に対して,比較的短期の被収容者は帰国するより「生き残れている」と述べる一方,最長7年間の者は「自分は動物じゃない」,「外も大変なのはわかるが自由を得たい」と主訴している.車いすを常時使用する者,100日超のハンガーストライキを行う者,思春期の子供を心配する者,保証金が支払えず無気力になった者など,被収容者の健康状態,経済状況,家庭環境,国籍国の政情,過去の教育へのアクセス等は個々別々でそれぞれにケアが必要である.被収容者は収容所内でも極端に移動が制限されており,電話,面会,差し入れ,将来の希望など,外界との僅かなつながりで何とかメンタルヘルスを保っている状況にあり,長期収容の廃止等喫緊な対応が求められる.</p><p></p><p>文献 </p><p></p><p>明石純一2010.『入国管理政策—「1990年体制」の成立と展開』ナカニシヤ出版.</p><p></p><p>髙谷 幸2019.『移民政策とは何か—日本の現実から考える』人文書院.</p>
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>【はじめに】</b>山での遭難事故は,①事故者(本人・集団)の要因(体力,技術,知識,判断力,疲労,人間関係や規約,装備,服装等),②自然環境等の外的要因(地形・地質,気象の季節変動・日変動,登山路面を中心とした事故者近辺の状況,落石・雪崩・噴石・動物襲撃等の突発的な「物理的外力」等),③両方を兼ねる要因があり,複合的に相互作用して発生する(青山2004,小林2015等)。従って,山での遭難事故の発生理由を考察するには,これらの要因にかかわる時空間的に整理された具体的な記録を収集・分析する必要がある。<br>発表者は,遭難事故等の事例収集を2009年から実施している。本研究では,霧島山高千穂峰で2008年8月22日に生じた遭難事故(アクシデント,レベル4,腰椎破裂骨折等)について,聞き取りと現地調査等からその実態をパーソナル・スケールで明らかにする。<br><b>【高千穂峰</b><b>2008</b><b>年</b><b>8</b><b>月</b><b>22</b><b>日遭難事故】</b>事故者(息子)A,父B,母Cに2010年10月18日に会い,2時間弱聞き取り調査した。その証言および現地視察から遭難事故時の行動の前半を,以下に記す。<br>&nbsp;前日21日に,県外から訪れた家族4人(A,B,C,娘D)は霧島市隼人町日当山の温泉旅館Yに宿泊し,当日22日にチェックアウトした。「暖かく,朝には晴れていた」が,「午後の天気予報は雨」。「(家族の)山の経験は,上高地を数時間歩いた経験1回のみ」。Aは「当時高1で,テニスを小5から週5日〔2時間半/日〕」行う運動習慣があり,「中1から片道11~12kmの自転車通学」していた。一方,娘Dは「当時小6で,部活等での運動経験なし」であった。父Bは「韓国岳に登ることも考えたが,(『天逆鉾をみたい』Aの望みを叶えたく,)高千穂峰でも1時間半くらいで行けるだろう」と考え,登山口がある高千穂河原に向った。<br>「11~11時半にビジターセンター脇の鳥居(標高約970m)から登り始めた」。「息子に,リュックを持たせた。中には,お茶〔500ml〕,アメ〔約100包〕,貴重品,帽子,カメラ,ビジターセンターからもらった地図,母Cの携帯電話が入っていた」。(地形的)森林限界(標高約1150m)から上がガレ場となり,CやDが滑って思うように上がれなかったが,Aは「余裕があり,頂上の剣(天逆鉾)をみたいと思っていた」。「12時過ぎ」で(御鉢の火口縁(標高約1330m)まで達しない)「時々滑る」場所にいた。「前を夫婦(BとC)で歩き」,「天候もあやし」かった。「12時15分くらい」に,Aは,家族と別れて先に山頂に向かった。Bは「木がないから見失わないだろう」「背中が見えていたから(大丈夫)」と考えていた。「12時30分頃」に,「急に霧が出てきて,湿気を感じ」,「(Aがみえなくなって)まずい」と思った。<br>「12時35分ころ」に,CとDは登山を諦めて「分かれて先に下山し始め」,Bは「ガレ場を御鉢の方に上がっていった」。しばらくしてAがBの携帯電話に「道に迷った」と連絡する。Bによると「後から聞くと、(Aは頂上に至る前に)御鉢の火口縁を一周したようだった」。「行き過ぎたところで、電話を掛けた様子だった」。BはAに「『分岐(標高約1420m)で戻ってこい』と伝えようと思い,電話をしたがつながらなかった」。そこで「上に息子がいると思い,仕方なく登っていった」。12時50分頃にAは「すべりやすいところで大雨」に遭った。「道を2・3回折れて登り切る」と,「〔山頂付近と思われる〕整備されたところ」に至った。周囲は「息ができないほどの大粒の雨」で「雷がすごく」,「雷というか、白くて光が見えない」状態だった。Bも「雷で、僕(B)も息子(A)も死ぬかもしれない」と思い,「冷静に判断できない状態」だった。そして,電話でAに「おりる。こわい。お前も降りろ」「御鉢の途中、滑るから気をつけろ」と伝えて下山した。途中の御鉢のガレ場では「〔土石流のような〕ものすごい川」で「大雨がすごく,視界があまりなかった」。<br>Aは「(下り)で来た道を戻ろう」と思ったが、「左右(≒方向)が分からなかった」。「視界1m程度」で周りがみえず,「御鉢のガレ場以上に滑る」状態であった。Aの靴はテニスシューズ。「横に大きな岩をみながら、2・3回折れて降りた後、目印がなくなった」が,そのまま下りた。「(草本に覆われた長さ1m強高さ数10cmの高まりが連続する)モコモコとした」斜面を下った。「急いで下って,滑り,走り,滑り,走りを繰り返した」。「前が見えずに走った」。「すべって、滑って、宙を飛んで、ドン」。「1回半回って、左足の踵から着地」した。<br>「(着信履歴から)13時10分」に,高千穂河原にほぼ到着した父Bの携帯電話の留守電に「崖から落ちた」「立てない状態、ちょっと休んでから行く」とメッセージを残した。
著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

世界においてナイトライフ研究への注目が2010年代以降高まりつつある.地理学においても,イギリスの学術誌Urban Studiesで「都市の夜間に関する地理」(2014)が特集号として発表されるなど,都市間競争の苛烈化と24時間経済の覚醒を背景に,夜間時間Night timeと夜間経済Night-Time Economiesへの注目が増している.国内ではナイトライフを体系的に論じた従前の研究が少な,ナイトライフ観光がインバウンド・アウトバウンド観光双方において欧米系旅行者に特有のものと認識されてきたが,ナイトライフ空間の地理的特性や観光行動の具体性などは吟味されてこなかった.しかし近年では,日本人の若者の観光行動との関わりも顕著となりつつあり,観光のみならず,社会・経済的側面等からのアプローチも求められつつある.そこで本発表では,国内におけるナイトライフ研究の可能性を模索すべくナイトライフ観光に焦点を当て,それら資源の具体性や研究可能性を探る.こうした世界の都市における夜間経済への動きのなかで,東京では既にプレ・オリンピック,ポスト・オリンピックの文脈において,実社会で変化の兆しが窺える.前者はナイトライフ観光の資源化であり,後者は夜間経済への注目である.例えば東京都は2017年度初頭に発表した『PRIME観光都市・東京-東京都観光産業振興実行プラン』において,ナイトライフ観光推進の必要性を明文化した.後者は世界的な流れでもあるが,例えば2012年のオリンピック開催都市であるロンドンでは,金曜・土曜の夜間地下鉄Night Tubeの就航が2016年以降開始されるなど,特定の大都市においては夜間経済活性化の動きがみられる.日本でもナイトクラブ運営などに適用されていた法律である風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下,風営法)の改正(2016年6月23日施行)が,東京都港区・渋谷区を中心に活性化するなど,夜間経済の合法化への動きもみられる.こうした動きは,ポスト・オリンピックにおける変化の要因と成り得る「特定複合観光施設の整備の推進に関する法律」(2016年12月15日成立)を見据えた動きとしても理解できる.こうした状況において,渋谷区は伊藤園,観光協会および國學院大學との協働で2017年6月より「渋谷ナイトマップ」の配布を開始するなど,都内一部地域では観光資源化の動きが強まっている.同事業は先述した風営法改正1周年記念イベントとして行われた官民協働事業であり,ナイトライフを資源化した動きとしては国内初のものであるという<sup>2)</sup>.こうした動きの中で,夜間時間特有の観光形態や観光資源への注目が今後より一層,求められると推測される.
著者
土'谷 敏治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

茨城県ひたちなか市は,これまでにも積極的な公共交通政策を実施してきたことで知られるが,さらに,第三セクター鉄道のひたちなか海浜鉄道湊線の延伸を計画している.本稿では,ひたちなか市域全体を対象として,市民が日常の移動行動でどのように公共交通機関を利用しているのか,湊線延伸計画,ならびに,これまでのひたちなか市の公共交通政策をどのように評価しているのか,今後の交通政策に何を期待しているのかについて,アンケート調査を実施した.その結果,市民の移動行動は自家用車中心であるが,移動目的や居住地域などに対応することによって,公共交通機関の利用を促進することが可能とであると考えられる.湊線延伸計画,これまでのひたちなか市の公共交通政策については,地域差はみられるが,市民の賛同がえられていることが明らかになった.また,自家用車を利用できなくなることに不安を抱いている市民が多く,交通機関の連携を深めながら,公共交通を整備拡充していく必要性が認められる.現在は,市民への啓蒙活動と情報提供を進めることで,公共交通に対する市民意識の改革を図る好機でもあると判断される.
著者
奥富 弘樹 永野 征男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.60, 2006

<B>〔1〕研究目的</B>:近年,首都圏の通勤流動は大きく変化し,とくに郊外においては,区部を境に東・西部でその流動が異なる.なかでも鉄道整備を契機に郊外化が進み,その現象の発生時期は,西部地域から約10年遅れて東部地域が追随したと考えられる.<BR>そこで,類似した地理的条件をもつ首都圏の西部地域(多摩市) ,東部地域(印西市)を選定し,その変遷を比較した.<BR><B>〔2〕研究方法</B>:対象地における関係圏の圏域設定を行うために,通勤流動に着目した.そこで流出入のデータと交通網の発展を指標に,時系列変化を分析した.また,交通の発展が通勤者に与える影響をみるために,対象地域内の中心駅(印西市:千葉NT中央駅,多摩市:多摩センター駅)を発地とする等時間通勤圏に関して検討を加えた.<BR><B>〔3〕首都圏西部(多摩市)の事例</B>:首都圏では,1960年以降,郊外から区部への通勤者は増加傾向にあったが,1990年代後半から減少に転じた.なかでも多摩地域は,高い減少傾向がみられた.このことは,東京都の人口重心の移動が,1990年代中頃まで西進していることから,居住者が増加しても区部への通勤率が下がっていることになる.つまり,近年の多摩地域は,かつての区部通勤者の居住地から,周辺域や区外への通勤者の比重が高まりつつある.<BR>本発表では,多摩地域から多摩NTを含む多摩市を選定し,業務核都市の指定(2002),多摩センター駅の開設(1974),京王線の橋本駅まで延長(1990),多摩都市モノレールの全通(2000)を背景に,周辺地域との関係を考察した.<BR><B>a.多摩市からの流出入人口の変化</B>:1990年以降,多摩市からの通勤者数は鈍化している.流出先としては,多摩市およびその周辺域と区部に分かれ,前者は増加傾向にある.一方,流入は増加傾向にあり,80/90年では60%増を示し,90/00年は微増である.多摩市民の市内従業率は,1975年の約60%から,2000年の42%と減少し,東京周辺部に拡散する市外通勤者の増加がみられる.<BR><B>b.中心駅からの等時間通勤圏</B>:通勤者の交通手段の約60%が鉄道であることから,「多摩センター駅」について等時間通勤圏(30分/60分/90分圏)を作成した.これらの圏域は,東・南部方面に広がりを示し,一般的には,郊外都市の鉄道網は大都市方向へ充実,郊外の都市間では乗換え,迂回による所要時間を要する形状となる.<BR><B>〔4〕首都圏東部(印西市)の事例</B>:ここでは千葉県北総地域の中心都市:印西市を選定し,通勤の発地には「千葉NT中央駅」を対象とした.<BR>千葉NTは,首都圏の宅地需要に対処した多摩市と同じ目的で開発され,千葉県の企画(1966),事業開始(1969),入居開始(1979)である.事業スタートは多摩NTと同時期ながら,入居が遅れたために,期間延長となり,宅地開発公団も参画(1978)した.<BR>印西市には計画の約60%が含まれ,中央駅は住宅整備公団鉄道により開設(1984),また北総開発鉄道の都心延伸(1991)により,京成線,都営浅草線,京浜急行線による直通運転が実施された.<BR><B>a.印西市の流出入人口の変化</B>:NT内の鉄道未開通時は,JR成田線,常磐線沿線に通勤者の流出が多く,1985年以降は,新線の開通と都心へのルートが確立したことから,区部の通勤率が増大した.この関係は1995年以降に強まり,都心南部へも拡大した.<BR>流入人口は,流出人口と同様に成田線沿線の我孫子・成田市方面から多くみられたが,1985年以降は県内に拡散した.そして,中央駅周辺の業務街の始動とともに,1995年以降は船橋市などの印西市以西からの高い通勤率がみられるようになった.<BR><B>b.中心駅からの等時間通勤圏</B>:この広がりは,南西から北西方向で大きい.その要因としては,鉄道アクセスの良い西方向と,郊外都市を結ぶ路線の発達による南北方向によるものである.<BR><B>〔5〕要約</B>:以上のように,千葉NT中央駅における等時間通勤圏の広がりと,西部地域の多摩センター駅と比較すると,都心方面へ伸びる圏域の広がりと,それとは反対方向へ伸びる圏域の狭さに共通点がある.<BR>一方,郊外都市間の結びつきでは,鉄道網の形態,また運行状況の変遷が要因となり,横浜・川崎方面のへ広がりに特色があった多摩センター駅と異なり,NT中央駅では松戸・船橋・千葉市方面への郊外都市との結びつきにその特色をみることができる.
著者
小倉 拓郎 早川 裕弌 田村 裕彦 守田 正志 小口 千明 緒方 啓介 庵原 康央
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.166, 2021 (Released:2021-03-29)

1.はじめに 防災学習は,初等教育における総合的な学習の時間において,従来の各教科等の枠組みでは必ずしも適切に扱うことができない探究的な学習として,地域や学校の特色に応じた解決方法の検討を通した具体的な資質・能力を育む課題学習の一例として挙げられている1).ハザードマップは防災学習でよく用いられるが,浸水高や震度分布などの複雑なレイヤ構造を有するため,児童らが一般的に苦手とする基礎的な地図の判読スキルのみならず,重なり合う地図上の情報を適切に取捨選択して理解する能力が要求される.そのため,発災現場などの非日常体験をより直感的に想像できる授業実践や教材の開発が求められる. そこで,実際に自然災害の生じた地域における小学校の児童を対象とし,校区内での被災状況をハザードマップと地形模型を援用した3Dマッピングにより把握することから,地域環境を見つめなおすという防災学習を実践した.本報告では,その実践の過程や学習内容,児童の気づきについてまとめる.2.授業実践の内容 本実践は,2019年度に横浜市立千秀小学校の総合的な学習の時間および図画工作科で計8時数実施した.ここでは,2017年度の小学校6年生が,航空レーザ測量にもとづく標高データ由来の地域の大型地形模型(縮尺1/1000)を製作したため2),これを3Dマッピングの基盤として用いた.一方,防災情報の基礎として,横浜市栄区洪水ハザードマップに描かれている浸水最大規模のレイヤ情報をスチレンペーパーで作成し,地形模型の上に貼り付けることで,通常は2次元の地図で提供されるハザードマップの情報を3次元的かつ実体的に表現した. 本地域では,令和元年台風19号の通過により,校区内で浸水被害や倒木,信号機の風倒などがみられた.児童らは校区内の台風通過後や過去の被災状況について,通学路や自宅周辺の観察や近隣住民への聞き取り調査を実施し,内容と位置をメモや写真にまとめた.調べた内容は地図と模造紙にも記入した(図1).また,被災内容を記したピクトグラムを作成し,調べた位置情報をもとに地域の大型地形模型の上に設置した(図2).その上で,授業の最終段階では,担任教諭や外部協力者としての大学教員・大学院生を交えて,被災した場所の位置や分布の特徴について議論した.3.結果と考察 児童らは地図に被災状況を並べる作業を通して,浸水箇所が河川に近いことや,信号機・テレビアンテナ等の損傷が住宅地に多いことに気づいた.その結果,校区内の地域でも,被災種類に地域性があることを理解した. その後,児童らは,自ら調査した情報を地形模型の上に乗せる作業を行うことによって,地形の凹凸と被災種類の関係に興味をもった.その結果,信号機の風倒箇所が谷部に集中していることに気づいた.地形に注目する中で,自然地形と人工地形の形状の違いについても関心をもち,地図と照らし合わせながら地形改変(宅地開発)や同じ標高の面(段丘面)について確認していた.また,道路や田畑が浸水した箇所は,ハザードマップで描かれていた浸水想定で浸水高が高い傾向を示す箇所に集中していることに気づいた.そこで,本地域の地形の成り立ちについて教員が説明し,旧河道であることを理解した. このように,大型地形模型を利用することによって,児童らに2次元の地図上での議論では浮かび上がらなかった,地形と被災内容の3次元的な空間関係を考える傾向が見られ,3Dマッピングによる考察の深化が観察された.3次元表現を行うことで,水平方向の位置関係や被災種類と土地利用との関係に対する関心から,垂直方向の関心にも目が届き,模型を上から俯瞰するだけでなく,しゃがむ,視点を変え斜め方向から360°回りながら眺める,といった身体を動かしながら対象を理解しようとする行動が見られたことも,3次元的な自然現象の想像・理解につながったと考えられる.4.文献1)文部科学省 2017. 小学校学習指導要領解説.2)田村裕彦・早川裕弌・守田正志・小口千明・緒方啓介・小倉拓郎 2020. 総合的な学習の時間を活用した地理・地形教育の実践−地域文化資源を用いた小規模公立小学校への地域学習から−, 地形, in press.
著者
日野 正輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<br><br><br><br><b>広域中心都市・仙台</b><b></b><br>&nbsp;<br><br><b>日野正輝(東北大)</b><b></b><br><br>&nbsp;<br><b>1</b><b>.検討課題</b><br><br> 筆者はかつて東北の人口減少時代の到来を確認した上で、仙台の近年の変化として、①郊外での戸建住宅供給の減少と都心部での分譲マンション供給の増加、②支店集積の縮小、③市民組織などによる集客活動の増大を紹介した(日野、2006)。これらの傾向は現在も変わっていない。本報告では、主に仙台の産業構造および都市の活性化の動きを近年の統計を参照しながら再検討したい。<br><br>&nbsp;<br><br><b>2.</b><b> 1990年代以降の人口動向と基盤産業の推移</b><br><br><b> </b>仙台市および仙台都市圏(30km圏)の人口は2010年現在も増加を維持している。しかし、2000年代の増加率は1990年代にくらべると大きく低下した。人口増加率は2010年代には再び増大すると予想されているが、2020年代には再び低下し、2025年以降は人口減少に至ると予想されている。同時に、高齢化と世帯規模の縮小が一層進展する。仙台の経済基盤について、経済基盤説における基盤産業に着目し、主要基盤産業の動向をみると(産業小分類に基づき立地係数1以上の産業で、基盤部分の従業者数が多い産業)、1991年には卸売業が全基盤産業従業者数の35%を占めたが、2012年には当該比率を21%と大きく低下させ、代わってサービス産業の比率が増大するなど、仙台の経済基盤が多様化している。<br><br><b>&nbsp;</b><br><br><b>3.</b><b> 支店集積の縮小</b><br><br><b> </b>広域中心都市は周知のとおり高度経済成長期以降「支店経済のまち」と呼ばれ、支店集積が都市の発展をけん引するところが大きかった。しかし、支店の集積量が1990年代後半以降縮小に転じ、それに対応するかのように都心部のオフィスビルの空室率が大きく増大した。この傾向は2000年代においても継続している。2012年経済センサス(活動調査)による支店従業者数は113,522人であり、2001年121,699に比べて減少している。都心部オフィスビルの空室率は2001年11.6%、2011年13.2%と推移し、依然として10%以上の水準にある。1990年代前半の当該比率は5%前後であったことからすれば、高止まりの状態にあると言える。しかも、その間にオフィスから店舗などへの利用転換も少なくなかったことからすれば、実質的には空室率は増大してきたと推察される。その理由は、支店集積の増大が見込めないなかで大型ビルの建設が2000年代にも続いたことを指摘できる。<b></b><br><br><b>&nbsp;</b><br><br><b>4.</b><b> 市民活動と集客産業の動向</b><br><br><b> </b>東北地方の主要都市の中にあって中心商店街が賑わいを維持しているのが仙台のみと言ってよい状況にある。高橋(2009)は、仙台の中心商店街の賑わいについて、そこは単なる買い物の場所ではなく、来訪者がそこで時間を消費する「消費・集客装置」と見立て、仙台の磁力は多様化するとともに強まっていると見ている。同時に東京資本の影響が大きいと指摘している。他方、仙台の集客力に関連して、市民に支えられたイベントの増加と定着も注目される。青葉祭り、定禅寺ストリートジャスフェスティバル、みちのくYOSAKOI祭り、光のページェントなどは七夕祭りとともに、仙台の風物詩と位置づけられまでに育っている。さらに、楽天イーグルス、ベガルタ仙台などのプロスポーツクラブの設立および各種会議の開催が仙台の集客力を高める働きをしている。また、都市の持続的な活性化との関連では、NPOなどの各種の市民組織の活動が注目される。<br><br>&nbsp;<br><br><b>5.</b><b> 社会・文化的活動と都市の活性化</b><br><br> 上記した仙台の状況は、仙台駅周辺に開発された1990年代後半以降の高層ビル群から受ける仙台の印象(順調に発展する都市)とは違っている。前者の状況認識から、今後の仙台の在り方を考えるとき、支店経済の部分を含めた都市基盤の保持に努めることに加えて、市民活動の高まりなどに見られる社会・文化的活動のための環境整備および市民生活の質を高めることで、都市の活性化を促すことが期待される。都市の社会・文化的活動が都市の集客力や人口の社会増加に与える影響は小さくないと考えられる。<br><br>&nbsp;<br><br> <b>参考文献</b><br><br>高橋英博(2009):『せんだい遊歩―街角から見る社会・学―』北燈社、124頁。<br><br>日野正輝(2006):転換期を迎えた仙台の構造的変容。地理、第51巻、第12号、83-91頁。<br><br><br><br>
著者
両角 政彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.問題の所在と研究目的<br>&nbsp;&nbsp; 毎年全国各地で何らかの原因によって園芸施設が倒壊する被害が発生している。この発生メカニズムを地域ごとに明らかにすることは,農業者が個別的・組織的に事前対策・発生対処・事後対応をおこなうための基礎情報の提供につながる。園芸施設雪害の発生原因について,村松ほか(1998)が,①屋根雪と屋根面の凍結などの原因で屋根雪の滑落が阻害され積雪荷重が増加して発生する被害,②豪雪時の停電などにより融雪や消雪装置が機能しなくなり発生する被害,③屋根から滑落した雪を処理することを前提に設置された施設でも適正な処理が出来なかった事例,④パイプハウスは降雪する前に被覆材を撤去するなど事前の対策が不十分な事例,以上の4点を挙げている。本報告では,上記の①に関連し,園芸施設雪害の発生原因(素因)の一端を気象変化の分析によって明らかにする。<br>2.研究対象地域の選定および資料・研究方法<br>&nbsp;&nbsp; 研究対象地域は,2014年2月の降雪による園芸施設被害を受けた埼玉県,山梨県,長野県の3県とした。さらに3県の中から園芸施設を多く有する埼玉北部農業共済組合,山梨中央農業共済組合,南信農業共済組合諏訪支所の各管轄区域を選定した。また,3つの地域で共通して降雪が多かった2001年1月を比較対象とした。<br>&nbsp;&nbsp; 園芸施設被害については,農林水産省『園芸施設共済統計表』と,各農業共済組合が保有する「園芸施設共済関係資料(通常総代会提出議案)」を使用し実態把握をおこなった。これと対応させて,気象庁webサイト「各種データ・資料」を利用して降雪日時を特定し,降雪,積雪,気温の1時間ごとのデータから園芸施設被害の発生原因の検証を試みた。<br>3.2014年2月の降雪と雪害の状況<br>&nbsp;&nbsp; 2014年2月の降雪は異常な気象変化であり,各地に未曾有の雪害をもたらした。農林水産省「2013年11月~2014年7月調査結果」によると,主として降雪によって発生した園芸施設への被害は,36都道府県で85,086件に及び,農作物等の被害総額も1,765.7億円に達した。<br>4.農業共済組合管内における園芸施設被害と気象変化<br>1)埼玉北部農業共済組合管内<br>&nbsp;&nbsp; 2013年度の園芸施設被害は2,273棟に及び,棟数被害率が71.9%に達した。熊谷地方気象台によると,降雪は2014年2月8日4~23時に最大7cm/h,積雪は最大43cmになった。気温は-1.9~0.1℃で推移した。また,14日8時~15日6時に降雪があり,最大7cm/h,積雪は最大62cmであった。気温は-0.3~0.4℃で推移した。2000年度の園芸施設被害は261棟にあり,棟数被害率は5.6%であった。2001年1月の積雪は最大23cm,気温は-0.3~1.9℃で推移した。<br>2)山梨中央農業共済組合管内<br>&nbsp;&nbsp; 2013年度の園芸施設被害は362棟にあり,棟数被害率が42.0%に達した。甲府地方気象台によると,降雪は2014年2月8日4~23時に最大6cm/h,積雪は最大43cmになった。気温は-1.0~-0.3℃で推移した。また,14日6時~15日9時に降雪があり,最大9cm/h,積雪は最大114cmであった。気温は-0.7~0.3℃で推移した。2000年度の園芸施設被害は21棟にあり,棟数被害率は1.7%であった。2001年1月の積雪は最大38cm,気温は-0.2~0.6℃で推移した。<br>3)南信農業共済組合諏訪支所管内<br>&nbsp;&nbsp; 2013年度の園芸施設被害は711棟にあり,棟数被害率が18.6%に達した。諏訪特別地域気象観測所によると,降雪は2014年2月8日2時~9日1時に最大8cm/h,積雪は最大29cmになった。気温は-4.9~-2.0℃で推移した。また,14日7時~15日9時に降雪があり,最大7cm/h,積雪は最大52cmであった。気温は-4.5~-0.3℃で推移した。2000年度の園芸施設被害は208棟にあり,棟数被害率は6.5%であった。2001年1月の積雪は最大69cm,気温は-3.2~0.8℃で推移した。本管内では年度ごとの雪害率を特定することができ,2000年度には59.6%,2013年度には88.6%であった。<br>5.園芸施設雪害の発生原因とその地域差<br>&nbsp;&nbsp; 園芸施設雪害では降雪と積雪の深さに加え,降雪の時間的集中や気温の変化が注目される。研究対象地域の中でとくに雪害が甚大であった埼玉北部農業共済組合管内では,降雪時における平年の気温が相対的に高い一方で,2014年には気温が低かった。山梨中央農業共済組合管内では,降雪と積雪の深さが過去50年間で例を見ない状況であり,気温が通常より低かった。南信農業共済組合諏訪支所管内では,2014年の降雪と積雪が2001年のそれを下回ったが,雪害はおよそ3倍に達し,降雪時の気温の低さが際立っていた。雪が比較的短時間に大量に降り,気温が氷点下で推移し続けた場合,積雪が急速に増すため,雪害への対処も困難になり,被害が大きくなる可能性が示唆された。
著者
片柳 勉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.9, pp.577-588, 1997-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
1

Administrative mergers of cities have increased since the 1960s, aiming at area development with the progress of industrialization and urbanization in Japan. As a result of these mergers, many new cities have more than two centrall built-up areas. This has given rise to several topics of debate, including: distribution of government investment; formation of appropriate urban structures ; etc. It is there-fore necessary to study the changing urban structure of merged cities. The purpose of this paper is to clarify the spatial change in the urban structure of Joetsu city after a merger. The study area was incorporated by the merger of the two cities of the same scale, Takada and Naoetsu, in 1971. It had two separate built-up areas when the two cities merged. The transportation network has been rearranged and the built-up areas have expanded in the past 25 years. The ur-ban structure of Joetsu city has changed accordingly. The paper focuses on three aspects: first, the relation between the process of the merger and the city planning of the new city; second, the functions of city planning and the location of main public facilities; and third, the formation of new built-up areas between two previously existing built-up areas. The results obtained are summarized as follows: (1) Takada and Naoetsu, each of which had a central built-up area, merged on equal terms. This merger affected the urban planning of Joetsu city. To establish a new city, the local government had to redevelop the two existing built-up areas at the same time or build a new administrative center between the built-up areas of Takada and Naoetsu. Joetsu city adopted the latter plan. (2) The local government used city planning which aimed at urbanization between the built-up areas of Takada and Naoetsu (Figs. 2, 3, 4, and 5), because the two cities merged on equal terms. In the early 1970s, new administrative and cultural facilities were constructed intensively in the Kida area around Kasugayama Station. Since the 1980s many public facilities have been constructed in the Sekikawa-East area, and large-scale retail stores have also located there. (3) Joetsu city now has new administrative and cultural centers in the Kida and Sekikawa-East areas, as well as the previously existing Takada and Naoetsu central built-up areas. The urban structure of Joetsu city has become more dispersed due to the equal merger of two cities.
著者
淺野 敏久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

ラムサール条約は湿地を保全することを目的とした条約で,日本は1980年に加盟した。湿地の保全,ワイズユース,普及啓発(CEPA)を3つの柱とする。近年,登録湿地の数と対象を広げる方向に動いており,水田なども対象となっている。日本では,1980年に釧路湿原が登録されたのがはじめで,当初サイト数はあまり増えずにいた。2005年に大幅増となり,2012年6月末現在,37箇所、総面積131,027haが指定されていた。2012年7月のCOP11でさらに9箇所が新規に登録された。ラムサール条約にどの湿地を登録するかは,それぞれの国のルールによっている。日本の場合,国際的に重要な湿地であること,対象湿地が国内法で保護対象になっていること,指定にあたって地元の賛意が得られていること,が求められる。 報告者は2010年より科研費の共同研究で日韓のラムサール条約湿地を調べており,複数湿地での現地調査や国内37サイトでの利用と保全に関するアンケート調査を行っている。報告ではその一部を紹介する。 第1に,日本のラムサール湿地は基本的に保護対象地として認識されているケースが多く,登録後に,ラムサール条約を前面に出して利用を強調する取り組みが進んだケースは少ない。蕪栗沼のように農業振興とラムサール登録を結びつける戦略が意識されているところはこれまで多くなかったが,今回の円山川や渡瀬遊水地は地域づくり的方向が意識されており,今後の傾向になる可能性はある。 第2に,利用という括りで,環境教育利用が想定される傾向が強い。これはCEPAにあたるもので,ワイズユースと分けられるのであるが,日本ではラムサール湿地の利用というと教育的利用が真っ先に意識されるようである。 第3に共通する利用形態として「観光」が考えられる。アンケート調査の結果からは,バードウォッチングと写真撮影が最も多い行動になっており,日本の観光地の中でかなり特殊な性格をもっている。 その他,観光化に対する日韓の対応差や,国内での世界遺産とラムサール条約への地元の対応差などついて当日報告したい。 ラムサール条約湿地や世界遺産,エコパーク等,何が同じで何が違うのか。本報告では,ラムサール条約湿地とジオパークの相違点や,ラムサール条約のワイズユースの国内事例から示唆される,ジオパークの課題や留意点について話題提供したい。
著者
安田 正次 大丸 裕武
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.1-16, 2014-01-01 (Released:2018-03-22)
参考文献数
25

奥利根・奥只見の中央に位置する平ヶ岳の山頂周辺に分布する湿原は,多雪による多湿化によって成立したとされてきた.しかし,実際の調査データに基づいて湿原の成立を検討した研究はなく,湿原の形成要因は不明瞭なままであった.本研究では,湿原の分布と夏期の積雪の分布との対応を,衛星写真および現地調査によって詳細に検討した.また,積雪の分布に影響を与える冬季の風向を,偏形樹と雪庇から調査した.これらの調査の結果,積雪と湿原の分布は一致しており,積雪による日光の遮断や低温・湿潤な環境のために,樹木が生育できず湿原となっていることが確かめられた.湿原の一部では乾燥地に適応した植物種が認められたが,それらは冬季の強い風によって積雪が吹き飛ばされて積雪が消失するのが早い場所に成立していることが明らかとなった.こういった場所では,冬期に積雪による保護効果が得られないために乾燥害が起きて樹木が生育できないと考えられる.
著者
平野 淳平 大羽 辰矢 森島 済 財城 真寿美 三上 岳彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.5, pp.451-464, 2013-09-01 (Released:2017-12-08)
参考文献数
32
被引用文献数
3 5

本研究では,東北地方南部に位置する山形県川西町において1830年から1980年までの151年間,古日記に記されていた天候記録にもとづいて7月の月平均日最高気温を推定し,その長期変動にみられる特徴について考察した.推定結果からは,1830年代と1860年代,および1900年代に寒冷な期間がみられ,これらの寒冷な時期が東北地方における飢饉発生時期と対応していることが明らかになった.また,20世紀後半には,1980年代から1990年代前半にかけての時期は寒冷であり,この時期の寒冷の程度は,1830年代や1900年代に匹敵する可能性があることが明らかになった.一方,温暖な時期は1850年代,1870年代~1880年代,および1920年代にみられた.1850年代前半には現在の猛暑年に匹敵する温暖な年が出現していたことが推定された.
著者
中村 努
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.288-299, 2013-05-01 (Released:2017-12-05)
参考文献数
24
被引用文献数
1 2

本稿では,川崎市北部において,医薬分業が大病院で実施されるのに伴い,ICTを活用して医薬品を安定供給できるシステムがどのように整備されたのかを明らかにした.流通システムの整備には,差別化の手段として流通システムへの大規模投資を行った医薬品卸の経営戦略と,薬局へのICTの導入率を高める役割を担った薬剤師会による仲介が不可欠であった.川崎市北部は医療サービスに対する需要が大きい,人口に比して薬局,病院,入院病床などの医療資源が不足している,医療資源の多くを大病院に依存している,といった大都市圏特有の医療環境を有する.こうした環境を踏まえ,医薬品卸は情報システムへの大規模投資を行い,薬剤師会はすべての薬局が医薬品にアクセスできるよう,個々の薬局の利害を代表して,ICTの導入を間接的に支援した.こうした環境に対応した関係主体の行動によって,医薬品の安定供給においてICTの機能が発揮されることが明らかになった.
著者
大石 貴之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.248-269, 2013-05-01 (Released:2017-12-05)
参考文献数
43
被引用文献数
1

本研究では,荒茶取引における品質決定のあり方を考察することによって,静岡県牧之原市東萩間地区における荒茶供給構造を明らかにした.荒茶取引は荒茶工場の経営形態に規定されることから,荒茶工場の経営形態ごとに,茶商との取引形態を分析した.東萩間地区における荒茶工場は,個人自園工場,個人買葉工場,茶農協工場,株式会社工場に分類され,個人自園工場や個人買葉工場は特定の範囲の茶商との直接取引や斡旋業者を介した取引によって,茶商との密な取引関係を構築し,それが比較的高品質な荒茶供給につながっていた.一方で茶農協工場や株式会社工場は,斡旋業者を介した取引や農協共販による取引によって,広範囲にわたる茶商との経済的な関係を構築し,質よりも量を重視した荒茶供給を行っていた.その結果,東萩間地区では,荒茶工場に対する茶商の関与度および,生葉生産農家に対する荒茶工場の関与度によって,製品の質が規定されるという荒茶供給構造が形成されていた.
著者
佐藤 善輝 小野 映介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.270-287, 2013-05-01 (Released:2017-12-05)
参考文献数
46

鳥取平野北西部に位置する湖山池南岸の高住低地を主な対象として,完新世後期の地形環境変遷を明らかにした.高住低地ではK-Ahテフラ降灰以前に縄文海進に伴って低地の奥深くまで海域が拡大し,沿岸部に砂質干潟が形成された.また,K-Ahテフラの降灰直前には砂質干潟から淡水湿地へと堆積環境が変化した.その後,湿地堆積物や河川からの洪水堆積物などによって湿地の埋積が進行し,5,200 calBP頃までには陸域となって森林が広がった.一方,埋積の及ばなかった低地の北部では5,800 calBP頃までに内湾環境が形成された.以後,内湾は河川堆積物による埋積によって汽水湖沼へ変化し,4,600 calBP頃に淡水湖沼化した.湖山池沿岸部では縄文時代後期までに内湾から淡水湿地への環境変化が生じたことが共通して認められ,閉塞湖沼としての湖山池の原型はおよそ4,000~4,600 calBP頃までに完成したと推定される.
著者
加藤 央之 永野 良紀 田中 誠二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.95-114, 2013-03-01 (Released:2017-12-02)
参考文献数
33
被引用文献数
1 3

将来の地域気候予測に用いる統計ダウンスケーリング手法に利用するため,東アジア地域における海面気圧分布パターンの客観分類を行い,寒候期を対象として,平均分布型,出現の卓越季節,従来手法による分類結果などを参照し,得られた各パターンの特徴を明らかにした.本手法は,分布パターンを主成分スコアという客観指標に置き換え,主成分空間内でクラスター分析によりこれを分類するものである.対象領域における30年間(1979~2008年: 10958日)の午前9時の海面気圧分布パターン分類を行った結果,寒候期のパターンは強い冬型(3グループ),弱い冬型(3),低気圧型(1),移動性高気圧型(2),移動性高気圧・低気圧型(2),その他(1)の12のグループに分類された.各グループの継続性,グループ間の移行特性(特定のグループから特定のグループへの移行しやすさ,しにくさ)について,確率を用いて定量的に明らかにした.