著者
和田 崇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.33, 2009

「セカンドライフ」は,従来のインターネット・サービスと比べて,表現の幅と活動の幅が大きく広がったとされる(山口,2007)。本研究は,「セカンドライフ」にみられる表現の幅と活動の幅の拡大が,従来のインターネット上でのコミュニケ―ションの方法や社会的ネットワークの構造や形成過程,さらにサイバースペースとジオスペースの相互関係をどのように変化させているかという点について論じることを目的とする。3D仮想空間は独自のコミュニケーション環境を持つ空間であり(山口・野田,2008),それを生み出す独自機能として,アバター,チャット,自己組織化,の3点をあげることができる。自己表現,変身願望,着せ替え人形としてアバターは,それ自体を話題にできることや文字以外に表情やしぐさで表現できることから,利用者間のコミュニケーションを活発にする働きがあるとされる。チャットはコミュニケーションの同期性は高いが,情報の蓄積性が乏しい。自己組織化とは利用者の行動と相互作用がその空間構造や社会規範を規定していくことをいう。2001年にプロトタイプが開発され,2003年6月に商用サービスとなった「セカンドライフ」では,上記に加え,仮想空間内の瞬間移動,持ち物の所有・管理,友達の設定,コミュニティの形成,土地の所有,オブジェクトの作成と著作権の付与,仮想通貨リンデンドルの付与および支給,仮想通貨リンデンドルとアメリカドルの交換などの機能・サービスが提供されている。「セカンドライフ」の利用者数は,2006年の約10万人から2007年5月には約650万人に急増した。そのうち日本人の利用者数は約4万人(2007年5月)と言われる。インターネットメディア研究所が2007年に実施した日本人の利用動向調査によると,利用者の年齢は20代後半から30代が中心である。利用者の居住地は関東地方が突出する。職業はほとんどが社会人で,しかもITリテラシーが高いと思われる層の利用が多い。しかし,継続的な利用は初期登録者の1/4程度といわれ,利用が定着しない理由として,全体像がつかみにくいこと,楽しみ方がわかりにくいことなどが指摘されている。その中で,継続的に利用するようになった者は,仮想街の見物,知人や初対面の人とのチャット,買い物,オブジェクトの作成,ダンス,イベント参加など,様々な方法により「セカンドライフ」で長い時間を過ごしている。また,日本人や日本企業の利用を支援する仮想市民ネットワークやコンサルタント企業も存在する。「セカンドライフ」は世界中からアクセス可能で,「セカンドライフ」内では国・地域の境を越えて利用者同士が仮想的に接近・接触したり,コミュニケーションしたりすることができる。そのため,ジオスペースとは無関係に思われる。しかし,次の5点において,「セカンドライフ」にも地理を見いだすことができる。第1は管理区域としての地域(「シム」)であり,設計者が設定したグリッド(緯度経度に相当)がその位置を規定する。第2は「セカンドライフ」内に形成される仮想都市の存在である。AKIBAやOKINAWAといった日本人街の形成も進んでいる。これらは仮想空間に形成される地理といえる。第3はジオスペースの地域コンテンツの発信である。自治体や観光協会などが観光情報を提供するとともに,仮想体験を通じて,集客や販売の促進に結びつけようとしている。第4は特定地域の課題解決に向けた国や地域の境を越えた協力活動である。新潟県中越地震に関する募金活動などがその例である。第5は「セカンドライフ」内での対人関係の形成とジオスペースでの地域単位でのイベント開催である。これらはジオスペースにおける地理を反映している。このように,「セカンドライフ」にみられる地理は,仮想社会(サイバースペース)と現実社会(ジオスペース)が入り交じったものとなっている。また利用者は,仮想経験とジオスペースでの行動,およびそれぞれをベースとした2種類のコミュニケーションを展開している。
著者
中村 洋介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震はMw9.0と有史以来に我が国で発生した最大規模の地震である。同地震と同じくマグニチュード9クラスの地震であるスマトラ沖地震は、2004年12月26日に発生した本震(Mw9.1)以降、10年弱の間にマグニチュード7~8クラスの余震が10回以上発生している。&nbsp;2011年東北地方太平洋沖地震と2004年スマトラ沖地震は、プレート境界で発生した低角逆断層型の地震でメカニズムが非常によく似ている。実際に、東北地方太平洋沖地震においても2011年3月11日の本震発生以降余震ならびに誘発地震が頻発し、現在もなお地震活動が活発である。気象庁によると、東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月から2013年3月までの2年間の間に、同地震の余震・誘発地震とみられる地震はM4以上が5794回、うちM5以上は753回である。現在のところ、最大余震は本震から30分後に茨城県沖で発生したM7.7であるが、本震から約1ヶ月後の2011年4月7日には宮城沖でM7.2の地震(スラブ内地震)が、本震から約1年9か月後の2012年12月7日には同じく宮城沖でM7.3の地震(アウターライズ地震とみられる)が発生している。&nbsp;また、誘発地震も数多く発生しており、本震の翌日の2011年3月12日には長野県北部を震源とするM6.7の地震ならびに秋田沖を震源とするM6.4の地震が発生している。本震から3日後の2011年3月14日には富士宮付近を震源とするM6.4の地震が、同3ヶ月後の2011年6月30日には松本市付近を震源とするM5.4の地震が、同1年11ヵ月後の2013年2月25日には栃木県北部を震源とするM6.2の地震がそれぞれ発生した。これらの地域は東北地方太平洋沖地震発生以後に地震活動が活発になった地域が多く、現在もなお地震活動が活発である。以上を考慮すると、東北地方太平洋沖地震もスマトラ沖地震と同様に、今後長期間に渡って余震・誘発地震が発生すると考えられる。<br>
著者
李 善愛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.181, 2009

本研究では、韓国のワカメ漁場利用慣行の地域的広がりを比較分析してその特徴を明らかにする。<br> 漁場は捕獲、採取される漁獲物や道具によってさまざまな種類に分類される。こうした漁場の種類の中には古い時代から行われてきたものが多く、もっとも古いのは竹防簾という定置網漁場と藿岩というワカメの天然漁場である。<br> 竹防簾は移動する魚を捕獲対象とする漁具漁場で個人が私有し、売買することができる。一方、藿岩はワカメ、イワノリのような海藻類やアワビ、サザエのような貝類などの定着性動植物を捕獲対象とする漁場で、村の共同体が漁場使用権を共有し、ほとんど売買することができない。<br>ところで、竹防簾漁場は現在韓国の南海岸の南海という特定地域を中心に分布しているが、藿岩は岩礁性海岸の地域に広く分布し、さまざまな形態の利用慣行がある。このような歴史性と地域性をもつ藿岩漁場のさまざまな利用慣行に焦点をあて、人間と自然環境とのかかわりの現在を考えたい。<br> 韓国で用いられる海藻の種類や量は多いが、その中で著しく多いのはワカメである。ワカメは日常の食料としてよく利用される。一方、非日常のお歳暮や中元のような贈答品、産婦の食事や一般人の誕生日の食事にも必ず用いられている。また、近代医学が発達した今日においてもワカメはお産の神への供え物としても欠かせない。<br> さらに、藿岩漁場で採れる天然ワカメは、量産性の高い養殖ワカメとは対照的に、珍奇なものとして、天然のものは健康によいという認識のもとで高級地域ブランド品になっているものもある。このようなワカメの社会・文化的利用と位置づけが経済的価値を高め、それと相応した形で天然のワカメが採れるワカメ漁場の利用形態は村ごとに異なり、しかも複雑な形で展開していると思われる。<br> 以上からみると、ワカメ漁場の韓国の現在におけるワカメ漁場利用形態は以下の3つの特徴にまとめることができる。<br> まずは、ワカメ漁場の使用権は大きく共有型と私有型に分けられるが、共有型が多数を占めている点である。<br> 次は、ワカメ漁場の割り当て方法は、くじ引きと輪番に分類することができる。両方とも漁場を一定数の区画に分けて割り当てしているが、くじ引きで漁場を割り当てる場合、毎年のワカメ生産量を参考しながら区画に配置する人数を調節する。輪番の場合は、班などの共同体構成員グループが決まった漁場の区画を年別に一定方向で順番に利用している。両者は、漁場の割り当て方法においては異なるが、共同体構成員間の漁場利用機会の平等性と公平性を図っている点は似ている。<br> その次は、ワカメの生産・分配形態は共同と個人に分かれる。こうした生産・分配形態を決める大きな要素は、1人当たりの漁場利用面積の大きさ、ワカメの販売先が確保できる消費地の有無やそれを決める村の立地条件などである。<br> しかし、ワカメ供給先の有無、共同体構成員の年齢構成とその一定人数の確保の可否などは、これらワカメ漁場利用形態の特徴である漁場の使用権と割り当て方法、生産と分配形態を持続あるいは盛衰を左右する大きな決め手になると思われる。
著者
荒堀 智彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1. 研究の背景と目的<br>&nbsp;感染症流行の調査監視,防疫を行う際,流行状況や患者数の把握を目的として運用される感染症サーベイランスがある.日本では都道府県単位,保健所管轄区単位における広域な流行状況の把握を基本としているが,サーベイランスのみでは局地的な地域内伝播を把握することは難しい.また,重松・岡部(2008)ではサーベイランス情報には地域に関する情報が含まれておらず,ローカルな防疫戦略や,住民に提供する情報に付加価値を付与するためにも他の地理情報との結び付けが重要となると指摘している.<br>&nbsp;そこで荒堀(2013)では,和歌山県の学校施設における学級・学校閉鎖状況から,県内諸地域におけるインフルエンザの空間的拡散について,学校間距離による分析を行った.しかし,2009年9月以降を対象とした伝播のみを扱っているため,県外からの伝播経路の考察ができていない.また,インフルエンザはヒト同士の接触,移動によって感染が広がると考えられるため,環境要因として人々の行動範囲である生活圏を考慮する必要がある.和歌山県は全体の約81%が山間部で占められており,全市町村において,常住地における従業・通学者数が最も多い.そのため,生活圏内における伝播を分析することで,局地的な地域内伝播を考察することが可能であると考えられる.本研究では,2009年の新型インフルエンザパンデミックを概観し,県外からの侵入と局地的な地域内伝播について,生活圏との関係を考察することを目的とする.<br>2. 研究方法<b><br></b>&nbsp;本研究では国立感染症研究所と和歌山県による感染症サーベイランスデータ,および新聞記事資料を用いる.新聞記事資料からは,2009年シーズンにおける世界の流行状況と,サーベイランスから得ることが困難な学校施設以外の地域伝播に関する情報を抽出した.生活圏は流行シーズンに近い平成22年国勢調査従業地・通学地集計により,通勤・通学圏を生活圏として用いた.<br>3. 新型インフルエンザパンデミックと日本への影響<b><br></b>&nbsp;2009年の新型インフルエンザは,3月下旬のメキシコにおける発生を発端に,約1ヶ月の間に米国,英国,トルコなど40ヶ国・地域に急速に伝播した.流行開始直後に米国とメキシコのウィルスがA(H1N1)亜型と判定され,これを受けて世界保健機関(WHO)は6段階ある警戒水準をフェーズ5に引き上げた.最終的に6月には警戒水準をフェーズ6に引き上げており,ウィルスの感染力が強かったことがわかる.<br>&nbsp;日本においては,2009年5月上旬にカナダから成田空港に帰国した3名の感染が確認された.当初は成田空港検疫所の症例が,国内最初の症例とされていたが,国内流行開始後の調査で神戸市における発生が成田空港よりも先であったことが明らかにされている(谷口,2009).インフルエンザは潜伏期間のある感染症であるため,感染から発症までのタイムラグが関係していると考えられている.その後,5月下旬にかけて,近畿地方では兵庫県,大阪府で,関東地方では東京都から神奈川県,埼玉県で患者が確認された.和歌山県内においては和歌山市において5月下旬にハワイに渡航歴のある患者が1名確認され,7月上旬の山形県の発生をもって国内全都道府県の発生が確認された.<br>4. 和歌山県におけるローカルな伝播過程<b><br></b>&nbsp;2009年5月下旬に県内で初発例が確認された後は,6月下旬に橋本市においてタイに渡航歴のある患者が1名確認された.大阪府では6月下旬まで患者の増加が続いていたものの,和歌山県においては2例目の確認が初発例の1ヶ月後であったのは,和泉山脈を隔てた生活圏の分断の影響と考えられる.以後7月下旬までの患者数の増加は,和歌山県北部から大阪府南部への通勤・通学者から発生し,和歌山市と岩出市において高校生を中心とした集団発生が確認されている.北部の市町村のうち,和歌山市と岩出市は,泉佐野市などの大阪府南部への通勤・通学者数が多いことが要因として考えられる.7月下旬以降には和歌山市から約70km離れた田辺市において高校生の集団発生を発端とした感染者増加が確認されている.田辺市の事例は,初発患者が夏季のクラブ活動において田辺保健所管内を移動したことによる接触の影響が考えられているが,初発患者の感染経路は不明である.他の市町村では,9月以降に感染者の増加が確認された.以上により和歌山県へのウィルス侵入は関西空港を経由した渡航経験者から始まり,地域内伝播と生活圏については,北部は大阪府との通勤・通学,中南部は中心地から生活圏内の移動による影響が強かったと考えられた.<br>&nbsp;こうしたローカルな伝播過程は,荒堀(2013)による学級・学校閉鎖からみた和歌山県内の空間的拡散パターンの裏付けとなる.
著者
宇都宮 陽二朗
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1.米大統領のホ゜ートレートに見る地球儀</b> <br>初代から45代までの大統領のホ゜ートレートを通覧し、執務室に同一地球儀のないことや、それを傍にホ゜ース゛の政治家の存在を知った。Pobanz氏は地球儀を従えたHitlerの写真は皆無と答えている (Kimmelman, 2007)。ホ゜ートレートや報道写真の構図を、モテ゛ル数、相対位置、注目度、意義理解度等に着目し整理した。地球儀を伴う肖像が皆無や複数、単なるインテリアなど様々であるが、その中でTheodore Rooseveltは特異である。 <br> <b>2.</b> <b>Teddy</b><b>と地球儀</b> <b><br>1) </b><b>立ち姿の</b><b>Teddy</b> <br>LOC他のweb画像に大地球儀を従える立ち姿や椅子に腰掛けホ゜ース゛を決めたTeddyがいる。立ち姿では、地球儀を右脇にしたTeddy㋐と、左脇にしたTeddy㋑が正面を見据えている。その地平環と地平環支持枠接続部には四分円の補強飾りがある。Teddyの身長178cmから比例計算すると、地球儀の球径は80cm、高さは130~150cmとなる。画像㋐をトリミンク゛し、サイン入りでKansas City Starの一文の抜粋を加えた画像もある。 西海岸に達したこの国は19世紀後半、ハワイ、ハ゜ナマやフィリヒ゜ンを手中へと画策し、帝国主義国へ仲間入りを試みており、棍棒外交の彼のWWI参戦の論調はその延長上にある。大地球儀を従え、正面を見据えるホ゜ース゛は、他のいずれの大統領にもなく、彼が大地球儀の意義を十分に知り、引立役としたことを示す。<br>&nbsp;<b>2) </b><b>椅子に腰掛けた</b><b>Teddy</b><b><br></b>腰掛けた彼の写真はLOCの横向きと書物を左手に正面を向くホ゜ース゛、さらにFine art の2枚及びphactual.comの1枚がある。撮影日は立ち姿と異なり、3本の曲がり脚と中央支柱に縦の筋が認められる。Fine art画像のTeddyは椅子に腰掛け、事務机に左肘を、肘受けに右腕を預け、カメラ/正面を見据える。後方の地球儀に子午環と地軸、地図模様が見え、四分円の補強飾から立ち姿のそれと同地球儀と推定される。他のphactual.comの写真ではTeddyは縫いぐるみの熊を抱いている。 <br> <b>3</b><b>. &nbsp;NY Police Commissioner</b><b>時代</b> <br>spiritualpilgrim.netの写真はNY市警視総監時代(1895&ndash;1897)のOfficeで、Teddyの左手は机の引出しを掴む。事務机後方で半円が椅子の肘掛けに隠れるが、来客用椅子の背もたれ頂部飾り横材ではなく、Harvard大の回答で地球儀と確認できた。 机高、80cmとの比率から椅子の背横木の高さは121cm、背もたれの横木は114cmと算出さきる。地球儀の高さはこの横木に匹敵し、子午環の直径は52cm, 球体のそれは46cmと算出される。ただし、半円を暖炉のアーチ状焚口の枠とすれば、球体の直径は46cm以下となる。立ち姿の別写真では地球儀の高さは右肘付近にあり、身体比から、115cmとなる。これから、彼は、一地方都市のNY市警視総監職でも、相当の地球儀マニアで、執務室の肖像写真の原風景であろう。 大島大使、井上公使との総統執務室での会談やBerghofでのHelga Goebbelsや、数人と討議するHitler後方に大地球儀が写るが、筆者の捜索でも、Hitlerには地球儀を横にしたホ゜ース゛の写真はなく、地球儀を権威づけに用いなかったことが知られる。これに対し、四半世紀以上前にその意義を知り、活用したTeddyは地球儀に関する限り、メカ゛ロマニア<b><sup>注</sup></b><b><sup>)</sup></b>と見なせる。 <b><br>4.</b><b> </b><b>木工屋の修理した地球儀</b><br>&nbsp;donsbarn.comのwebpageに副大統領公式オフィスのTheodore Rooseveltの地球儀の修復記事があった。画家のJ. L. G. Ferrisが1904年に、Teddyが、床置き地球儀球面のカリフ゛海からヘ゛ネス゛エラ付近を拡げた5本指で押さえながら、フ゜ロイセン国王に抗議する様を描いている。 彼の描く地球儀の架台部分は木工屋の修復地球儀に酷似し、脚の形はほぼ一致するが、これを従えたTeddyの写真はない。絵画中の地球儀の高さと直径は彼の身長から各々、109~115cm、75~79cmと算出される。 <b><br>5.まとめ</b> <br>米国歴代大頭領のホ゜ートレートを見ると、執務室の主人毎に地球儀が異なり、皆無や複数の存在も明らかとなった。その中で、Teddy Rooseveltの地球儀の意義を知悉したホ゜ース゛は他の誰にも見られない。チャッフ゜リンのThe Great Dictatorで洗脳された我らの常識にも拘わらず、彼はHitlerのお株を奪った、元祖メカ゛ロマニアと言えよう。(注:メカ゛ロマニアは意味を限定して使用)
著者
山内 昌和 江崎 雄治 西岡 八郎 小池 司朗 菅 桂太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.109, 2009 (Released:2009-12-11)

課題 沖縄県の出生率は、少なくとも沖縄県が日本に復帰して以降、都道府県別にみればもっとも高い値を示す。2007年のTFRは全国の1.37に対し、沖縄県は1.78であった。 沖縄県の高い出生率の背景に夫婦の出生力の高さがあることは知られているが(例えば西岡・山内2005)、さらに踏み込んだ検討はほとんどなされていない。こうした中で、Nishioka(1994)は、1979年に沖縄県南部地域で行われた調査データをもとに、沖縄県の夫婦の出生力が高いのは家系継承者として父系の長男に固執するという家族形成規範があることを実証した。同研究は沖縄県にみられる出生行動とその要因を指摘した重要な研究といえる。しかし、近年の沖縄県の出生率が低下傾向にあることを踏まえるならば、現代の沖縄県の出生率の高さを沖縄県特有の家族形成規範で説明できるのかどうか慎重であるべきだろう。他方、Nishioka(1994)は言及していないが、沖縄県の高出生率は人口妊娠中絶率の低さとも関わっている。このため、妊娠が結婚・出産に結びつきやすいことも沖縄県の高出生率の一因となっている可能性がある。 以上を踏まえ、本研究ではNishioka(1994)で利用された調査データの対象地域を含む地域で改めて調査を実施し、近年の沖縄県における出生率の高さの要因について検討する。 方法 出生行動を把握するための独自のアンケート調査を実施し、その結果を分析する。アンケート調査は調査員の配布・回収による自計式とし、20~69歳の結婚経験のある女性を対象として2008年10月下旬から11月中旬にかけて実施した。対象地域は沖縄県南部のA町の複数の字であり、全ての世帯(調査時点で1,838)を対象とした。 結果 調査票は20~69歳の結婚経験のある女性1,127人1)に配布し、有効回収数は946(83.9%)であった。 分析対象とした調査票は、有効票のうち、Nishioka(1994)や全国の出生行動についての調査結果(国立社会保障・人口問題研究所2007)との比較可能性を考慮し、夫婦とも初婚であり、調査時点で有配偶であること、子どもの数とその性別構成が明らかであること、さらに複産・乳児死亡を含まないという条件を満たす706である。分析の結果、以下の点が明らかになった。 (1)45~49歳時点の平均出生児数は2.9人で全国の2.3人(国立社会保障・人口問題研究所2007)よりも多かったが、1979年の4.7人(Nishioka1994)よりも減少した。 (2)かつてみられた強固な男児選好は弱まっていたが、夫ないし妻が位牌を継承した(或いは予定のある)ケースでは男児選好が強く、多産の傾向がみられた。このため、沖縄県特有の家族形成規範と出生行動との関連は弱まっているものの、依然として一定の影響を与えていることがわかった。 (3)第1子のうち婚前妊娠で生まれた割合が全体で4割を超え、明瞭な世代間の差もみられなかった。このため、妊娠が結婚・出産に結びつきやすい傾向は少なくとも数十年間は継続していると考えられる。 以上から、沖縄県の高出生率をもたらしている夫婦の出生力の高さの要因として、沖縄県特有の家族形成規範と妊娠が結婚・出産と結びついていることの2点を挙げることができる。ただし、沖縄県特有の家族形成規範と出生行動との結びつきは弱まっており、今後は沖縄県の出生率がさらに低下する可能性もあろう。 なお、本研究の実施に当たって科学研究費補助金(基盤研究B)「地域別の将来人口推計の精度向上に関する研究(課題番号20300296)」(研究代表者 江崎雄治)を利用した。 1) 対象地域の1,838世帯の全てに調査を依頼し、協力を得られた1,615世帯(87.9%)に対して聞き取りを行い、対象者を特定した。
著者
畠山 輝雄 駒木 伸比古
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1</b><b>.はじめに</b></p><p></p><p> COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染拡大に伴い,人間の移動がウイルス感染拡大に影響するという観点から,各国で独自の移動制限が行われた。日本でも新型インフルエンザ対策特別法(以下,特措法)に根拠を置く緊急事態宣言に伴い都道府県を単位とした「移動自粛要請」という形で対策が行われた。このような中,特措法や緊急事態宣言に関わるさまざまな計画や提言,方針において「地域」が使用され,それらを背景として,国内の移動制限が行われた。しかし,これらで使用された「地域」は,異なる空間的範囲や用途による抽象的な表現であったため,具体性の欠如や実態との乖離が生じている。</p><p></p><p> 地理学では,地域概念として「地域」を類型化し説明してきた背景があるため,本報告では緊急事態宣言に伴う移動制限に対して地域概念という視点から考察する。</p><p></p><p><b>2</b><b>.研究方法</b></p><p></p><p> まず,COVID-19の感染者数の空間分布について,各都道府県のウェブサイトから抽出したデータにより都道府県単位と保健所管轄区等の単位により比較をした。その上で,移動制限に関する権限の考察を,特措法の条文と各都道府県の新型インフルエンザ対策行動計画から考察した。そして,移動自粛要請を都道府県単位とした経緯について,新聞記事検索や政府の関連資料,全国知事会資料から考察した。さらに,海外の移動制限との比較をするために,各国における日本大使館のウェブサイトに掲載される資料から考察した。</p><p></p><p><b>3</b><b>.都道府県単位の移動制限と地域概念</b></p><p></p><p> COVID-19の感染者数の空間分布は,一般的に都道府県単位で公表されているが,保健所管轄区等の単位で再集計したところ,都道府県内でも空間分布に地域差があり,一様ではないことが明らかとなった。</p><p></p><p> 以上よりCOVID-19の感染分布と移動制限を地域概念から考察すると,COVID-19の感染拡大地域は「等質地域」であり,感染要因は飛沫感染や接触感染が多いことを考えると,人間の行動圏(「機能地域」)と大きく関係する。このような等質地域や機能地域という実質地域で生じている問題を,「都道府県をまたぐ移動の自粛」という形式地域単位での移動制限によって感染防止対策をした。</p><p></p><p> 都道府県単位で移動制限を行うメリットには,万人にわかりやすく,規制や監視をしやすいことが挙げられる。都道府県知事には,緊急事態宣言により住民の移動自粛要請をする権限が国から委譲され,それにより自動車ナンバー調査や都道府県境による体温チェックなどが行われた。しかし,特措法では自粛要請として強制力はない。つまり,上記のような移動制限の明確化は,結果として自粛警察による監視を促す結果となった。これはデメリットでもあり,移動に関する明確な境界設定による差別や偏見がおき,県外ナンバーへの嫌がらせも生じた。</p><p></p><p><b>4</b><b>.都道府県単位の移動制限の経緯と諸外国との比較</b></p><p></p><p> そもそも,特措法には移動自粛についての言及はあるが,その空間的範囲については明確に示されていない。なぜ,「Stay home」だけではなく,都道府県という空間的範囲への言及が必要だったのであろうか。これは,2020年3月中旬から4月にかけて大都市圏での移動自粛要請やコロナ疎開と呼ばれる大都市圏から地方圏への移動による感染拡大が背景であると考えられる。政府の方針において最初に都道府県単位の移動制限の言及があったのは4月7日の7都府県への緊急事態宣言時であり,4月16日の緊急事態宣言の全国への拡大時により強調されることとなり,その後は既成事実化された。</p><p></p><p> 諸外国では,日本と同様に州や県単位での移動規制が多い。しかし,これは日本とは異なり法的強制力があるゆえ意味のあることである。そのような中,フランスでは自宅からの距離による移動規制をしていることは興味深い。</p><p></p><p> 日本においては,都道府県界という移動境界を明確化することはデメリットの方が大きいため,フランスで行われた機能地域的対策が,現行法の強制力がない中ではより現実的ではなかろうか。また,今回のように都道府県に強力な権限を委譲していくことを今後さらに進めていくのであれば,より住民の生活圏に合致する都道府県域の再編も視野に入れる必要がある。</p><p></p><p> </p><p></p><p> 本研究の遂行にあたっては,科学研究費補助金(基盤研究(B)「ローカルガバナンスにおける地域とは何か?地方自治の課題に応える地理的枠組みの探究」研究課題番号20H01393,研究代表者:佐藤正志)を使用した。</p>
著者
神谷 浩夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.39, 2006

1.問題の所在<BR> グローバル化の進展によって,より安価な賃金コストの地域に生産拠点を移転させ,グローバル市場において優位性を確保しようとする動きが活発になりつつある.こうした生産拠点の海外移転は労働力が非可動的であることを想定している.もちろんこれは,他の生産要素に比べた相対的なものである.実際には,地域間で賃金格差が大きい場合にも労働力は移動する.けれども,労働力の国際移動は素材や製品の輸出入と比べると規制が大きい.<BR> 東南アジアへの日本企業の進出は1970年代ころから活発化し,それにともない海外へ赴任する日本人の数も増大していった.海外で働く日本人の多くは,男性従業員が妻と子供を同伴するスタイルをとっていることが多い.一方1990年代半ばから,海外で働くことが20代の独身女性の間でブームとなっている.とりわけ,香港やシンガポール,上海など東南アジア諸国で働く女性が増加しているものと思われる.そこで本発表では,東南アジアで働く日本人女性に着目し,シンガポールで働く独身女性が増えた理由を検討する.<BR><BR>2.分析の手順<BR> 企業の海外進出にともなう人口移動の実態を明らかにし,海外で働く日本人独身女性が増えた理由を検討するためには,その前に日系企業の進出状況が東南アジアでどのように進んだのかを明らかにしておく必要がある.<BR> 次に,東南アジアに滞在する日本人の動向を把握することで,シンガポールにおける日本人女性が就いている職業に関して予察的な考察を試みる.海外で働く日本人に関しては,労働力調査といった国内で利用可能な労働力に関する各種統計が利用できないため,多面的に推測を積み重ねる方法をとらざるを得ない.<BR> 最後に,東南アジア諸国において日本人が働く際に大きな影響を与える就労ビザの発給方針についても整理しておく.<BR><BR>3.結果の概要<BR> 地域オフィスが形成される過程やその役割に関して考察した鍬塚(2001)は,シンガポール地域オフィスは販売管理業務あるいは現地の合弁製造会社に対する本社サービスの提供にあることを明らかにした.世界都市としてのシンガポールの機能はこうした中枢管理機能に負っている部分が大きく,日系企業の事業所もほぼこうした原理に則っている.日系企業の進出状況を業種別の現地法人で見てみると,シンガポールでは製造業が4分の1を占めるに過ぎないのに対して,マレーシアやタイでは製造業がほぼ半数を占めている.<BR> 図1は,シンガポールにおける長期滞在者の推移を示したものである.本人(男)の人数は,日系企業の現地法人に勤務する駐在員の数に相当すると考えることができる.本人(女)の人数は,男性に比べると圧倒的に少ないことから,量的な面では家族を同伴する駐在員の人数に比べれば,シンガポールで働く(おそらく独身の)日本人女性はごく少数である.それでも,1990年代に入ってから増えていることが読み取れる.<BR> その他の検討結果については,当日に報告する予定である.<BR><BR>文献<BR>鍬塚賢太郎 2001. 日本電機企業の東南アジア展開にともなうシンガポール地域オフィスの形成とその役割. 地理学評論 41A-3, 179-201<BR>Thang, L. L., MacLachlan, E., and Goda, M. 2002. Expatriates on the margins: a study of Japanese women working in Singapore. Geoforum 33, 539-551.
著者
畔蒜 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.44, 2021 (Released:2021-03-29)

東京大都市圏では依然として待機児童の解消が叫ばれており,保育所の増設とともに保育士の人材確保が喫緊の課題として認識されている.近年はこのような現状を背景に,養成校との関係に基づいた保育労働力の需給構造を明らかにした研究が蓄積されつつある(甲斐2020).他方で保育士の労働市場に関する議論は新卒保育士の就職部分に焦点化されており,就職後の職業キャリアや中途採用の状況については触れられていない.これを踏まえて本報告では,保育所で実際に働く保育士のライフコースを描き出し,職業キャリアの特性を検討する. 本報告では東京大都市圏郊外における対象事例として,東京都調布市の社会福祉法人運営の認可保育所を取り上げる.常勤保育士18人のうち12人に対してインタビューを実施し,養成校を卒業してからの職歴の詳細や,結婚・出産等のライフイベントとの関係を明らかにした. 対象者のうち10人は養成校を卒業することで保育士資格を取得しており,初職先の選択については先行研究で得られた傾向と類似していた.既卒で資格を取得した2人については,資格取得前より保育補助として勤務しており,現場での経験を蓄積する積極的な意思を持っていた. 次に調査対象者の職歴をみると,同一の保育所または法人内で勤続している者は1人しかおらず,多くの保育士は転職を頻繁に繰り返したり,一度保育士を辞めたのちに再度復帰したりと,自らのキャリアを流動的に形成する傾向にあった.主な転職理由に着目すると,職場内での人間関係,保育所側の運営方針への不満などが挙げられていたほか,特に営利法人の保育所については企業的な経営体制が内包する労働環境等の問題が多く指摘されていた. また,一時離職を経験した保育士については結婚や出産が離職の契機となる場合が多く,女性職としての保育士の特性を反映している.しかし意思決定の内実は多様であり,出産を契機とする退職は慣習であったと述べる者もいれば,第一子出産後に子育てとの両立が困難になったため,勤続を断念した者も見受けられた.これに対して勤続していた保育士は,親族による育児サポートや勤務シフトの柔軟性を理由に勤続が可能であったことを述べている. 個々の職歴をみる限り,保育士の職業キャリアは流動的に形成される傾向にある.しかし対象者の勤務地歴をみると,過去の就業地の空間スケールは狭域に収束している.さらに調査対象である保育所への就職経緯をみると,多くは知人による紹介や同僚の転職経験など,人づてによる情報から現在の職場を認知している.人材紹介サービスを用いて転職活動を行っていた対象者についても,通勤時間を重視しつつ自宅の近隣で転職先を探していた.以上を踏まえると,施設単位でみた場合の保育労働力は,新卒者に限らずローカルに供給される傾向が示唆される. なお,本調査は単一の保育所を事例に,保育士の職業キャリアや労働力供給の一端を明らかにしたに過ぎない.したがって,異なる地域間・運営主体間の差異に着目することで,本報告の調査結果を相対化することが求められる.
著者
山本 健太 久木元 美琴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

大都市における文化創造機能については,これまで主として生産者の視点から議論されてきた.他方で,文化を消費する人々の行動については,十分な知見が得られていない.特に,従来の研究蓄積において,消費者の行動とその空間性について言及したものはみられない.本研究では,大都市における文化産業として演劇をとりあげ,観劇者の属性と消費行動の特性の一端を,アンケート調査の結果から考察する. <br> 具体的には,小劇場劇団Hの劇場Aにおける公演(10月26日~31日,10公演)の観劇者を対象として,アンケート調査を実施した.当該公演の客入数は合計617,回答数は98であった.アンケートでは,これまで明らかにされてこなかった観劇者の居住地や職場の位置,観劇前後の行動などの質問を設定した.<br> 劇団Hは,2001年に旗揚げし,現在は劇団代表で脚本・演出も手掛ける俳優Nの下で9人が活動している.劇場Aは1984年に設立され,舞台配置にもよるが,60席程度を設置できる規模である.小劇場の中でも知名度の高い劇場で,中堅劇団の公演地として選択されることが多い.最寄駅は京王井の頭線駒場東大前駅である.<br><b> 観劇者の属性:</b>性別年齢別回答数では,女性の20代後半から30代前半がボリュームゾーンになっている.職種では,事務職(24)が最多で,その他専門技術職(13)が次ぐ.最終学歴では大学卒(非芸術系)が卓越するが,芸術系出身者も少なくない.居住地の最寄駅をみると,劇場の立地を反映して,JR中央線沿線や東急田園都市線,京王線,小田急線など,新宿や渋谷を起点とする路線沿線に居住するものが多い.一方,広島県(2人)や富山県(2人)など,遠距離地域からの集客があることも注目される.<br><b> 観劇に至る経緯:</b>公演を知るきっかけは,「チラシ」が98人中37であり,重要な情報収集ツールになっている.また,劇団関係者(21)や友人(17)からの情報も多い.さらに,本公演では,劇場Aを通じて観劇に至ったことに言及したものが8人(9%)いた.このことは,劇場による宣伝が公演を実施する際に無視できないことを示している.観劇に来た理由では,「演出家[m3]&nbsp;Nの演出/脚本が好きだから」(50)が最も多く,「好きな俳優が出演する」(24)との回答も少なくない.誘われて観劇に来たものは13あり,ここでも,友人ネットワークを通じた「口コミ」による観劇者動員の重要性が指摘できる.<br><b> 劇場の立地と観劇者の行動:</b>観劇を決定する際に,劇場の立地をどれくらい重視するか尋ねた結果,劇場の駅からの距離や劇場周囲の雰囲気はあまり重視されないことが示された.他方で,職場や自宅からのアクセスは,「気にする」「とても気にする」の合計(46)が,「あまり気にしない」「全く気にしない」の合計(38)を上回った.これは,仕事帰りに観劇に立ち寄る場合や,終業後に一度帰宅してから観劇に至る場合が少なくないことによる.このことから,終業後に公演時間に間に合う劇場立地であることが,観劇を決定する上で重要な要素となっているといえよう.<br><b> 劇場周辺における観劇者の消費行動:</b>観劇前後の訪問場所をみると,57人中15人が,単館系映画館や小劇場,美術館などを挙げ,近在する文化施設を「ハシゴ」している様子が認められた.劇場Aは,渋谷と下北沢の中間地点に位置し,いずれの街からもアクセスしやすい.渋谷や下北沢といった盛り場や,そこに立地する文化施設に近いことが,本事例における回答者の「ハシゴ」行動を支えていると推察される. 消費者のこうした行動は,都市における演劇文化の消費行動の実態や,ひいては「都市の魅力」「地域の魅力」の要因を検討するうえで,無視できない知見であろう.このような消費行動が他地区での公演においても認められるのか,事例の蓄積が必要である. <br>
著者
片山 雅木
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

昭和の時代待ち合わせと言うと駅というのが定番であり、 駅の改札口の横や待合室に置かれた伝言板には待ち合わせの時間通りに来なかった人向けのメッセージが黒板一杯に書き込まれていたものであった。国有鉄道における伝言板は「告知板」という名称で明治37年に新橋、横浜、大阪など8駅に設置されたのが始まりで、その後大正から昭和にかけて住宅地が都市郊外に移り、大都市圏中心に通勤・通学の足として電車網が急速に整備され発展するとともに、各鉄道路線が交わるところに設けられたターミナル駅が人々が交差する場所となり、伝言板の設置とあいまって待ち合わせの場所となっていった。伝言板に書かれるメッセージが待ち合わせに関する物から変化していったのが1980年代頃であった。この変化は、駅が人々が集まり滞留する場所から街中の繁華街へ行くための単なる通過点になったことや、電話の普及により公衆電話や自宅の電話等を介して連絡をとる手段が登場した事によってもたらされた。伝言板が待ち合わせに使われなくなり、若者中心に仲間間のやり取りやいたずら書きが目立つようになりJR始めいくつかの鉄道会社では携帯電話の普及を待たず1990年前後から徐々に撤去が始められていった。これら変化を伝言板という今までほとんど省みられなかった物から辿ってみることにより、伝言板の役割の変化をもたらした鉄道や社会の変化について考察をおこなった。
著者
関 陽平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.研究背景<BR><br>天気予報などで耳にする最高気温の前日差は,暑い寒いといった相対的な感覚をわかりやすく理解する指標として広く知られている.前日差は体感温度に関係しており,寒暖差アレルギーや熱中症などの健康面への被害だけではなく,商品の売り上げ等に関連する経済的にも重要な指標である.<BR><br>どの地域,どの季節で前日差が大きいかを気候学的に理解しておくことは重要であるにも関わらず,前日差の地域性・季節性について詳細に検討した研究例は無い.よって,日本全国における気温の前日差の地域性・季節性を統計的に解析した結果を報告する.<BR><br>2.解析手法<BR><br>本研究では,前日差を前日と当日の日最高気温の差で評価する.使用するデータは全国のアメダスデータで得られる日最高気温のデータを用いる.解析期間は1986年から2015年までの30年分とする.海面水温再解析データはアメリカ海洋大気庁(NOAA)のOISST(Optimum Interpolation Sea Surface Temperature)データを使用した.<BR><br>前日差を気候学的に評価するために以下に示す手順で気温急低下指数と気温急上昇指数の二つの指数を定めた.前日差の30年分の各月毎の10パーセンタイル値を求める.その後,10パーセンタイル値以下の前日差の値を条件として標準偏差の計算を行ったものを気温急低下指数とした.同様に,90パーセンタイル値以上の前日差を条件としたものを,気温急上昇指数とする.これらの指数の値が大きいほど,気温の急変時の気温変化が大きいことを示す.<BR><br>3.結果<BR><br>気温急低下指数と気温急上昇指数の月ごとの気候値を求め,全国の地点で平均した.その結果,4月が気温の急変のピークを迎えることがわかった.11月にも第二ピークがあるが,気温急上昇指数は大きくないことが春との大きな違いである.<BR><br>次に,地域性を評価するために,各月の全国マップを作成した.シグナルが強かった地域は北海道東部,中部地方北部,三陸沿岸などが挙げられる.中でも北海道東部は突出している.それらのシグナルが強かった地域に着目すると中部地方北部では4月に,北海道東部では5月にピークを迎える.<BR><br>これらシグナルが強い地域性をもたらす原因を,地形,大気,そして海洋からの3つの視点から探った.地形的原因として,低気圧の通過に伴うフェーン現象が発生しやすい地形である.さらに低気圧の通過後には寒気移流が起こりやすいという大気的特徴を持つ地域である.<BR><br> 春の北海道東部や三陸沿岸で気温の急低下が大きくなる原因は,上記で述べた地形や大気的原因以外に,この季節の海面水温が挙げられる.オホーツク海のこの季節の海面水温は6℃程度であるのに対し,陸上の日最高気温の気候値は15℃にも達する.このように,この季節のこの地域は海陸の温度コントラストが際立って大きい.北海道周辺の海面水温と日最高気温の差は5月にピークを迎える.そのため,北風時には寒気移流による気温低下が著しい.この効果に加えて,地形と大気の原因が重なり,気温の前日差が他の地域を圧倒する地域となっていることが判明した.<BR><br>なお,この地域の海面水温が低い主因は冬季の海氷である.したがって,この地域の大きな気温前日差には,冬季の海氷が間接的に影響している.従って,これは時差を伴った大気海洋相互作用の一つともいえよう.<br>
著者
小杉 正人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.359-374, 1989-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
46
被引用文献数
8 10

縄文海進によって形成された古奥東京湾において, 13地点から得られた珪藻化石群集の層位分布の検討により,各地の前浜-海岸線-後浜の環境系列の変=遷を復原し,完新世における海岸線の形態,移動,周囲の環境などの特徴を明らかにした. 海進期 (10,000-6,500年前)には,地形勾配が急であったため,谷の形状に規制された細長く,入り組んだ海岸線がみられた.海進最盛期 (6,500-5,300年前)の海岸線は,現在の海岸線から50km以上奥部の館林~古河付近に達した.海退期(5,300年前~現在)には,湾の浅海化が進んでいたため,前後に広い後浜干潟・前浜干潟を伴う単調な形態を呈する海岸線がみられた.
著者
加藤 内藏進 松本 健吾 大谷 和男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.はじめに<br> 東アジアの暖候期には,グローバルな規模を持つアジアモンスーンの影響を受けて,梅雨等の顕著な雨季が現れる。しかし,日本列島付近は,ユーラシア大陸の高緯度域,南アジア域,北西太平洋の熱帯・亜熱帯域,北太平洋高緯度域のようなかなり異なるアジアモンスーンサブシステム間の接点にあたり,僅か1000km程度の東西の違いで,梅雨降水の特徴等も大きく異なる(Ninomiya and Mizuno 1987,等)。例えば,西日本の梅雨前線では組織化された積乱雲の集団に伴う集中豪雨の頻出で梅雨期の総降水量は東日本に比べてかなり多い。但し,東日本側でも,西日本側に比べると大雨日(以下,50mm/day以上の日をさすことにする)の頻度は少ないものの,東日本の大雨日には,10mm/hを下回るような「普通の雨」による総降水量への寄与が大きいタイプが半数程度を占めていた(松本他 2013, 2014,それぞれ,岡山大学地球科学研究報告,Vol. 20,21。本グループの松本他による1971~2010年の解析に基づくポスターも参照)。<br> 但し,種々の広域システムの接点にあたる日本付近では,日々の変動,季節内変動,季節変化,年々変動も大きく,しかも低緯度と中高緯度のシステムの関わり方の違いにより,降水量だけでなく「降水特性」の多様性も大きい。そこで本グループは,本大会の松本他の研究を踏み台に,梅雨期から盛夏期を中心とする降水について,降水量だけでなく降水特性の多様性や,西日本と東日本との違いの詳細についても注目して,1950年以前も含めた長期解析(日本の気象官署の日降水量や天気図などに基づき)にも着手した。長期的な気候変化・気候変動だけでなく,種々の現象を把握して気候学的平均像を長期的なパラメータレンジで把握することも狙う。その際に,限られた過去の地上データや天気図等から,どの程度,日々の現象の傾向を記述する気候学に迫れるかの検討も行う。<br> なお,気象庁が日原簿をスキャンしたPDFファイルも一部の気象官署に関しては古い時期のものも気象業務支援センターを通して入手出来たので,そこに記載された1時間降水量のデータも活用法を検討したい。<br> 2.日降水量データに基づく梅雨最盛期と盛夏期の降水量や降水特性の長期解析(長崎と東京との比較を例に)<br> 本研究ではまず,西日本(特に九州)の例として長崎,東日本の例として東京における長期間の日降水量データを中心に,比較解析した。1901年~2010年における梅雨最盛期(ここでは6月15日~7月15日とした),盛夏期(8月1日~31日)について,総降水量やそれに対する50mm/day以上の日(大雨日)の降水の寄与などの解析を行なった。<br> 従来知られているように,梅雨最盛期には長崎の方が東京よりも大雨日の寄与が大きく総降水量も大きかったが,110年間でみた年々の総降水量の変動も,長崎では大雨日の寄与の変動を大きく反映していた。しかし,東京では,基本的には大雨日で積算した降水量と総降水量の増減の対応も一応みられたが,大雨日の寄与は殆ど無いのに,総降水量は110年間の平均値を上回るような年もしばしば出現する等,降水特性の変動も大きいようであった。また,総降水量に対する大雨日の降水量の寄与の割合も(以下,寄与率と呼ぶ),長崎では11年移動平均ではあまり年々の違いはなかったが,東京では数10年周期で比較的大きな変動がみられる等,降水特性の平均ばかりでなく年々の変動にも東西の違いが見られた。<br> 更に,東京の大雨日の日降水量に対する1時間降水量の寄与も,110年間で集計した(図略)。東京では,110年間でみても,梅雨最盛期の大雨日に比べて盛夏期の大雨日の方が,1時間降水量でみた強雨の寄与が大きい等の季節進行もみられた。発表では,1950年以前の特徴的な状況における1時間降水量や天気図等による事例の吟味も行なう予定である。
著者
曽我 とも子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100028, 2011

厳島神社は広島県廿日市市宮島町の海上に造営された珍しい神社である。厳島神社には、厳島の中心となる神の山と崇められてきた弥山を源流とする御手洗川と白糸川の両河川が流れ込んでいる。厳島神社本殿の裏の森である後苑は、祭神が紅葉谷(御手洗川)を通路とし、弥山から本殿へ出現するという信仰に裏付けられ、神聖な場所として人の出入りを禁じ、不明門は神の通る門であって絶対に開いてはならないとされている。<br> 厳島神社において、最も盛大な祭りのひとつが、旧暦6月17日の夕刻から深夜にかけて船上にて管絃を奏する管絃祭である。この日の日没後、北斗七星は厳島神社本殿の前方(西北)に、南斗六星は社殿後方(南東)にくる。西北は八卦の乾(☰)にあたり乾は陽の気の集まった最も純粋な「陽」である。ゆえに西北は万物を生み出す光の元でもある<b>天</b>を象徴する方角とされる。さらに旧暦6月は、北斗七星の柄(剣先)は十二支の未を指している。未とは万物が実り豊かに滋味をもたらすさまをいい、易(後天八卦)では坤(☷)であり、坤は純陰で<b>地</b>を表す。この日、弥山の祖神は紅葉谷を通り不明門から厳島神社本殿へと入る。では、その時に管絃を伴うのはなぜか。<br> 厳島の管絃は、雅楽と呼ばれる伝統的な古典音楽で、舞を伴わない合奏である。『史記』「楽書」には、楽の和は天地間の和の気を受けたものであり、和を合する作用があるため万物が生まれ、節序があるため四季における陰陽の気が1年12ヶ月の順序を決める。楽は天の道理によって作られ、陰と陽の和合は、五行を順当におこない季節をなめらかにすることで五穀豊穣となすとしている。<br> 管絃祭のすべての神事の終る23時頃には、社殿背後(南東)から十七夜月が顔を見せる。満月に合わせた管絃祭が十五夜(15日)でなく十七夜(17日)としたのは、北斗七星にちなんだものと思われる。北斗七星は、農耕の基準である季節を指し示し、海上生活の方角見にとっても重要視されていた。<br> 旧暦6月17日の夜は、山の神(陽)と水の神(陰)が出合い、天(陽)と地(陰)が楽(管絃)によって和合する日であり、厳島管絃祭は、五穀豊穣と航海安全を願う祭りと考える。
著者
佐藤 英人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.144, 2010

1.はじめに<BR> オフィス立地は都市内部の物的な構造を議論する都市内部構造論や都市間結合のあり方を分析する都市システム研究などで早い段階から分析されてきた。これらの既往研究では、オフィス機能の立地や分布に着目し、オフィス機能の空間的な偏在性(オフィス機能が都心部に集中し、中心業務地区を形成したり、人口規模が上位な都市ほど、より多くの支店が配置されるという支店経済の成立など)が確認された。発表者も1980年代以降の東京大都市圏の多核化や郊外核の形成という新たな動向を明らかにすべく、郊外に整備された業務核都市(旧大宮市、幕張新都心、横浜みなとみらい21地区)に注目し、当地に進出した企業の属性や従業者の通勤行動などを分析した。<BR> しかし、既往のオフィス立地研究の多くは、立地や分布の空間的な偏在性を事実として明らかにしてきたが、なぜオフィス機能が偏在するのかという、要因分析に関しては十分な研究蓄積があるとは言えない。さらに、オフィスという業種横断的で、かつ就業形態という枠組みで集計されたデータは意外と少なく、実はどの企業が、いつ、どこから、どのようにして、現在のオフィスビルに移転したのか、基本的な知見すら十分に把握できていないのである。<BR> そこで発表者は、各種資料や統計を用いて、東京特別区内にオフィスを設置している主な企業を対象とした「移転経歴データセット」の作成に取り組んでいる。このデータセットには、どの企業(資本金規模、従業員規模、業種・業態、設立年、本社・支社の別、機能等)が、いつ(入居期間)、どこから(移転元住所)、どのようにして(拡張移転、統合移転等の移転形態)移転してきたのか、整理されており、オフィス移転の発着地を同時にとらえることができる。ただし、「移転経歴データセット」は、住宅地図の表札情報やNTTタウンページ、各企業の社史、『日経不動産マーケット情報』の記事、さらには、発表者が独自に実施した現地調査など、様々なソースから膨大なデータを取得しなければならない。そのため一個人の研究者では能力の限界から遅々として作業が進まず、オフィス移転の全体像を十分に把握し難いという課題に直面している。<BR><BR>2.隣接分野との連携<BR> 以上の課題を克服するために、発表者は都市経済学や不動産学の研究者とともに、不動産仲介会社が所有する賃貸オフィスビルの入退出データの公開に向けた取り組みを進めている<SUP>1)</SUP>。不動産仲介会社には、仲介した物件の入退出に関するデータが、過去15~20年にわたって蓄積されている。特に都市経済学や不動産学の研究者は、オフィス賃料や空室率の経年データから今後の賃料やコストを推計したり、一般化を試みる研究に関心が払われる一方で、住所データを用いた立地分析には十分な関心が払われていない。一個人の研究者の尽力のみでは、公開されることのない貴重なデータを、隣接分野の研究者とともに、いかに分担して利活用していくのか、重要になろう。なお、隣接分野との共同研究として、オフィス移転と企業の成長・衰退過程との関係性を議論する「企業のライフコース」からみたオフィス移転の分析にも着手している<SUP>2)</SUP>。<BR><SUP>1)</SUP>企業・家計の多様性に着目した都市内部構造の動態変化に関する研究,平成20~22年度文部科学省科学研究費補助金(基盤研究C),研究代表者:清水千弘,研究分担者:唐渡広志,吉田二郎,佐藤英人<SUP>2)</SUP>「企業のライフコース」からみた産業クラスターの形成要因―企業間ネットワークの構築とオフィス移転を手掛かりにして―,近未来の課題解決を目指した実証的社会科学研究推進事業(平成21年~22年度),一橋大学産業・金融ネットワーク研究センター,研究代表者:清水千弘,研究分担者:唐渡広志,佐藤英人,渡辺 努
著者
山口 晋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

本研究では,日本最大規模といわれるフリー野外音楽フェスティバルである「上田ジョイント」の盛衰について検討する。上田ジョイントには巨大な音楽資本が参入せず,地域住民や企業が上田ジョイントを強くサポートするため,地域コミュニティとの動態が把握できる。より詳しくは,上田ジョイントの盛衰について,主催者と地域コミュニティとの関係から明らかにする。特に,主催者の意図が上田ジョイントを取り巻く,地域コミュニティのアクターとどのように一致するのか,一致しないのかについて提示する。最後に,上田ジョイントの制度化と主催者の音楽活動からの卒業の観点から,地方都市における音楽文化の困難と可能性について知見を示したい。
著者
天野 宏司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

飯能市では,飯能アニメツーリズム実行委員会を組織し,アニメ「ヤマノススメ」を活用した誘客事業を展開しつつある。このような流れは,団体型・発地型観光の凋落傾向のなか,個人型・着地型観光に対する関心の高まりのなか,S.I.T.が浸透してきたと捉えることができよう。<br><br>アニメ・ツーリズムとは,作品のファンが,作品世界に我が身を浸潤させようとする,いわゆる「聖地巡礼」が自発的かつ同時多発的に発生する事を指す。あるいは,観光地域の側で,その様なファンの来訪行為を体系化し,コントロールしようとすることも概念的には含まれよう。<br><br>飯能市の場合,隣接する秩父市がアニメツーリズムで成功を収めたことをロールモデルとして,これに追隨しようとの意図も有している。<br><br>報告者は,飯能アニメツーリズム実行委員会の一員として誘客イベントの企画から効果分析までを関わってきた。同時に,秩父市での取組にも関与してきたことから,報告ではこのの両者の取組を比較しつつ誘客効果について分析を行う。<br>
著者
埴淵 知哉 川口 慎介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.137-155, 2020
被引用文献数
3

<p>近年,学術研究団体(学会)における会員数の減少が懸念されている.本稿では,日本学術会議が指定する協力学術研究団体を対象として,日本の学会組織の現状および変化を定量的に俯瞰することを試みた.集計の結果,学会のおよそ3分の2は会員数1,000人未満であり,人文社会系を中心に小規模な学会が多数を占める現状が示された.過去10年余りの間に個人会員数が減少した学会は3分の2にのぼるものの,それは理工系,中小規模,歴史の長い学会で顕著であり,医学系や大規模学会ではむしろ会員数を増加させていた.また,学会の新設に対して,解散は少数にとどまっていた.結果として,既存学会の維持および会員数の選択的な増減,そして新設学会の増加が交錯している状況が示された.そして,地理学関連学会は学術界全体の平均以上に会員減少が進んでおり,連合体や地方学会を含めてそのあり方を検討する必要性が指摘された.</p>
著者
新井 祥穂 永田 淳嗣
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.192-208, 2017 (Released:2017-12-01)
参考文献数
14
被引用文献数
1

2000年代以降,国産紅茶の生産が拡大している.本稿は紅茶の栽培好適地とされる沖縄を例に,その生産者群の経営的・技術的性格を明らかにした.生産者群は,緑茶生産本位の生産者と「プレミアム紅茶」を追求する生産者に大別された.前者の生産と販売が,緑茶生産におけるそれらの延長上にあったのに対し,後者は,紅茶に即した生産・販売体制を構築する.すなわち,生産においては労働手段を高度化せずに,生産者が技能性を発揮してこれを補う.販売では,商品のもつスタイルを明確化できる販路を新たに構築する.これらのため,前者には生産組織化の可能性があるが,後者はその契機に乏しい.国産紅茶の廉価品市場が成立していない日本においては,前者と後者の間は段階的関係としてとらえられるであろう.